デジモンアドベンチャー Re:Life   作:ステルス兄貴

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三十四話 新たな名前・お台場潜入

 

デジタルワールドを脅かした超究極体・デーモンとの死闘を制し、現実世界への帰還を果たしたミコト。

 

幼年期へと退化したパートナーデジモン・チビモンと共に、初音島の病院で穏やかな日々をやり直そうとしていた。

 

一方、別のデジタルワールドでヴァンデモンの野望を阻止すべく現実世界へ帰還したヤマトたち七人の選ばれし子供たちは、敵の標的となっている「八人目の子供」の捜索を開始する。

 

光子郎のデジヴァイスが芝浦で反応を示し、捜索が本格化する中、ヤマトはかつて初音島へと渡った病弱な妹・ミコトの身を案じつつも、彼女がこの過酷な運命に巻き込まれていないことに対して、皮肉にも安堵していた。

 

己の妹が、すでに別次元のデジタルワールドを救った英雄であることなど露知らずに――。

 

そんな兄の思いをよそに、東京でデジモンが暴れているというニュースを目にしたミコトは、東京に居る家族の身を案じる。

 

初めて口にしたアンパンと炭酸飲料に大騒ぎするチビモンとの平和で微笑ましい時間に癒されながらも、ミコトは迫り来る脅威に備えるため、この現実世界でチビモンを進化させることができるのか、密かな実証実験に挑もうとしていた……。

 

中庭での平和なひとときから一転、ミコトは静かな決意と共に立ち上がった。

 

「よし……それじゃあ、行こうか?チビモン」

 

「ん?どこに行くの?」

 

「人があまり来ない場所。チビモンがこの世界でも進化できるのか、試してみるの」

 

ミコトは周囲を警戒しながら、ある場所へと向かった。

 

それはこの初音島の観光名所であり、象徴でもあり、最も不可思議な場所‥‥

 

枯れない桜のある林だ。

 

この桜の樹齢は何百年と桜としても長寿な樹木で、その幹は太く、裏側は格好の死角となっていた。

 

桜の木陰に入ると、ミコトはショルダーバッグからチビモンを降ろし、深く深呼吸をした。

 

そして、バッグの奥底にしまっていた「デジヴァイス01」を取り出し、慣れた手つきで左腕にしっかりと装着する。

 

さらに、もう一つのキーアイテムである「生命の紋章」のチェーンを首にかけ、胸元に下げた。

 

それはかつて、デジタルワールドで幾多の困難を乗り越え、魔王と対峙した時と全く同じスタイルだった。

 

「なんだか、懐かしいね。ミコトのその姿を見ると、僕も力が湧いてくる気がするよ!」

 

チビモンは嬉しそうにぴょんぴょんと跳ねた。

 

「服は全然違うけどね‥‥それに東京にデジモンが現れたと言う事は、この初音島にも現れるかもしれないからね。そのためにもまずはチビモンが戦える姿に戻れるかを確かめなきゃ」

 

ミコトはチビモンを真っ直ぐに見据え、左腕のデジヴァイス01に右手を添えた。

 

(お願い……私たちに力を、もう一度!)

 

ミコトの強い想いに呼応するように、胸元の生命の紋章が淡い光を放ち始める。

 

同時に、デジヴァイス01の画面が発光し、眩い光の帯がチビモンの小さな体を包み込んだ。

 

『チビモン、進化ァ!!』

 

光の中でチビモンのシルエットが力強く膨張し、手足が伸びていく。

 

『ブイモン!!』

 

光が収まると、そこには黒い鱗に覆われた小竜型デジモン――成長期のブイモンが力強く立っていた。

 

「やった! 進化できたよ、ミコト!」

 

ブイモンは自分の両手を見つめ、力こぶを作るように腕を曲げて喜んだ。

 

「よかった……本当に進化できたんだね、ブイモン!」

 

ミコトも安堵の笑みを浮かべ、ブイモンの少し硬い黒い体を力いっぱい抱きしめた。

 

(これで、もしパパやお兄ちゃんたちに危険が迫っても、助けに行けるかもしれない……!)

 

その後、ミコトはブイモンが人に見つからないよう、桜の巨木の裏や旧病棟の影に隠れながら午後を過ごした。

 

ブイモンは久しぶりの手足の感覚を確かめるようにシャドーボクシングをしたり、こっそり木登りをしたりと、エネルギーを持て余している様子だった。

 

しかし、太陽が西に傾き、夕食の時間が近づいてきた頃だった。

 

「ふぅ~……ちょっと動きすぎちゃったかな。あれ?なんだか急に……」

 

ブイモンがふらりと座り込んだ瞬間。

 

――きゅるるるるるっ。

 

ブイモンのお腹から、雷鳴のような盛大な腹の虫の音が鳴り響いた。

 

「あはは、お腹すいちゃったみたい」

 

照れ臭そうにお腹をさするブイモン。

 

ミコトが「そろそろ病室に戻って、何か食べるものを……」と口を開きかけたその時だった。

 

シュウゥゥゥ……!

 

突然、ブイモンの体が再び光に包まれ、その姿がみるみるうちに縮んでいく。

 

「えっ!? わわっ、体が……!」

 

光が消えた後、草むらの上にペタンと座り込んでいたのは、成長期のブイモンではなく、幼年期のチビモンだった。

 

「……えっ?」

 

ミコトは目を丸くして固まり、チビモンも自分の短い手足を見つめて呆然としている。

 

「ブイモンがチビモンに……戻っちゃった……」

 

「えっ?なんで僕、退化しちゃったの!?」

 

二人は顔を見合わせ、信じられないものを見るように瞬きを繰り返した。

 

ミコトが旅をしたデジタルワールドの常識では、デジモンは一度進化すれば、元の姿に戻ることはない。

 

ミコトもチビモンも、「一度進化したらずっとそのままの姿」だと信じて疑っていなかった。

 

実際にタイチたちとデジタルワールドを旅していた時、互いのパートナーデジモンは、進化をしても退化はしなかったからだ。

 

だからこそ、ミコトは「進化したら大きな姿のまま隠し通せるだろうか?」と危惧していたのだ。

 

「お腹が空いて、エネルギーが切れて退化したってこと……? 現実世界だと、そういうルールなの?」

 

「わ、分からないけど……でも、これなら普段は僕のままでいられるから、病院のベッドの下でも見つからずに済むね!」

 

驚きつつも、チビモンはどこか楽観的に笑った。

 

(進化しても、退化して大きさを変えることが出来る……これなら、いざという時だけ進化して戦うことができる!)

 

根底から覆されたデジモンの生態に戸惑いながらも、ミコトの胸には一筋の光明が差し込んでいた。

 

しかし、彼女はまだ知らない。

 

この「エネルギーを消費して進化・退化を繰り返す」現象こそが、現実世界における選ばれし子供たちのパートナーデジモン特有の性質であることを‥‥

 

 

夜の帳が下りた初音島の病院。

 

既に消灯時間を過ぎ、薄暗くなった病室の中で、ミコトはベッドの上に置いた小さな読書灯の明かりを頼りに、ノートパソコンの画面を見つめていた。

 

布団の中では、夕食(売店で売っていた食料品)をたっぷり食べて満足したチビモンが、ミコトの温もりに寄り添うようにして丸くなっている。

 

ミコトはキーボードを叩く手を止め、スヤスヤと寝息を立てる小さな相棒をそっと撫でた。

 

(今日、ブイモンに進化して、またチビモンに戻った……現実世界では進化と退化を繰り返すことができる。それはすごく便利なことだけど……)

 

ミコトの胸の中に、小さな疑問が浮かび上がっていた。

 

姿が変わるたびに「チビモン」「ブイモン」と種族名で呼び変えるのは、なんだか他人のように感じてしまうのではないか?

 

どんな姿になろうと、彼が彼であることに変わりはないのに‥‥

 

そんな中でふと、ミコトの脳裏にデジタルワールドでの懐かしい記憶が蘇った。

 

『行けっ、ゼロ!!』

 

『OK!!タイチ!!』

 

ゴーグルをつけた少年、タイチの力強い声とそれに応えるパートナーデジモンの声‥‥

 

彼は自身のパートナーであるブイドラモンに「ゼロ丸」というニックネームをつけて「ゼロ」と愛称で呼んでいた。

 

そして、過酷な戦いの中でエアロブイドラモン、アルフォースブイドラモンへと姿を変えようとも、タイチはずっと一貫してパートナーを「ゼロ」と呼び続けていた。

 

(タイチさんみたいに種族名じゃなくて、この子だけの『特別な名前』があった方が絶対にいいよね)

 

「ねぇ、チビモン。起きている?」

 

ミコトが小声で話しかけると、チビモンは「んぅ……」と目をこすりながら顔を上げた。

 

「ああ、ゴメン。起こしちゃった?」

 

起きていると思ったのだが、どうやらチビモンは眠っていた様だ。

 

「だいじょうぶ~‥‥それで、どうしたの?ミコトはまだ寝ないの?」

 

「あのね、貴方に名前をつけようと思うの‥タイチさんのゼロ丸さんみたいに‥‥」

 

「名前?」

 

「うん。デジタルワールドじゃあ、種族名で呼んでいたけど、それじゃあ何だか他人行儀みたいじゃない?これからも一緒に居る訳だし、やっぱり名前は必要だと思うの」

 

チビモンはパチリと目を輝かせ、短い手足をバタつかせた。

 

「僕だけの名前!? いいね!!欲しい!!折角だからすっごくカッコイイ名前がいいな!!」

 

「ふふっ、そうだね。ええと……」

 

ミコトは腕を組み、うーんと唸った。

 

「成長期がブイモンだから、シンプルに『ブイ』? うーん、ちょっと味気ないかな。じゃあ、タイチさんのゼロ丸さんにあやかって『ブイ丸』とかはどう?」

 

「ブ、ブイ丸……? なんだか、ずんぐりむっくりしていて、あんまり強そうじゃないかも……」

 

チビモンは眉を下げて、少し不満そうに口を尖らせた。

 

「あはは、ごめん、ごめん。じゃあ、もっとかっこいいのを探してみるね」

 

ミコトは再びパソコンに向かい、検索ブラウザを開いた。

 

(ゼロ丸さん……『ゼロ』に関連する言葉で、何かいい響きのものはないかな……)

 

タイチやゼロ丸との絆を忘れなくないので、自身のパートナーにも「ゼロ丸」に近い名前をつけたくて色々と調べるミコト。

 

(『レイ』‥‥だとレイさんに被るし‥‥)

 

ゼロの別名であるレイであるとネオの妹のレイと被ってしまうし、女の子っぽい名前になる。

 

カタ、カタ、とキーボードを打つタイピングの音が静かな病室に響く。

 

チャットを趣味としているので、ネットでの検索はお手の物だ。

 

「ゼロ……数字のゼロ、英語、ドイツ語……あっ、これとかどうかな?」

 

ふと、一つの検索結果がミコトの目に留まった。

 

それは、旧日本海軍の主力戦闘機『零式艦上戦闘機』――通称「ゼロ戦」に関するページだった。

 

記事を読み進めると、そこには興味深い事実が書かれていた。

 

当時のアメリカをはじめとする連合国側は、このゼロ戦に対してあるコードネームをつけて呼んでいたという。

 

「……『Zeke(ジーク)』」

 

ミコトは小さくその単語を口に出してみた。

 

短く、力強く、それでいてどこか鋭い響き。

 

戦闘機のようなスピード感と、どんな空でも自由に飛び回る強さを感じさせる名前だ。

 

そしてその響きはドイツ語では『勝利』を意味する言葉‥‥

 

タイチの100%勝利と間接的ではあるが、ゼロ丸のゼロの両方を兼ね備えた名前‥‥

 

「ねぇ、チビモン……」

 

「ん?」

 

「『ジーク』って名前はどうかな?」

 

ミコトが振り返って尋ねると、チビモンは目を丸くした。

 

「ジーク……ジーク……うんっ! なんだかとっても強そうで、かっこいい響きだね!」

 

「本当? 気に入ってくれた?」

 

「うん! 僕は、今日から『ジーク』だよ! ブイモンになっても、いつかまたメタルメギドラモンになっても、ずっとミコトのジークだ!」

 

ジークは嬉しそうにミコトの腕にすり寄り、ミコトも愛おしそうに彼を抱きしめた。

 

「それじゃあ、改めてよろしくね、ジーク」

 

「うん。よろしく、ミコト!」

 

どんな姿に変わろうとも揺るがない、二人だけの固い絆の証。

 

新たな名前を与えられた小さな相棒と共に、ミコトは来るべき東京での戦い、そして己の内に潜む見えない運命に立ち向かう決意を、静かな夜の病室で密かに固めるのだった。

 

 

1999年8月3日

 

この日、お台場は朝から深い霧に閉ざされていた。

 

そして街中にはヴァンデモンの手下であるゴーストデジモンのバケモンたちがお台場中を飛び回り、お台場に住んで居る人々を次々と捕らえていた。

 

それはデジタルワールドを旅した選ばれし子供たちの家も例外ではなく、太一の家にも、空の家にも、ミミの家にもヴァンデモンの手下はやってきた。

 

大人も子どもも関係なく捕らえられ、人々はビッグサイトへと集められていた。

 

ヴァンデモンが攻勢に出たその理由は前日の夜、遂に八人目の選ばれし子供のパートナーデジモンが見つかったからだ。

 

八人目の選ばれし子供のパートナーデジモンは、ヴァンデモン軍団に所属していたテイルモンで、そのテイマーは太一の妹のヒカリであった。

 

ヒカリのデジヴァイスはテイルモンの親友であるウィザーモンが発見し、彼女の手に渡ったが、選ばれし子供としてまだ必要なモノがあった。

 

それはヒカリのタグと紋章である。

 

そのタグと紋章はヴァンデモンが持っていた。

 

テイルモンはウィザーモンと共にヴァンデモンの住処へと向かい密かに紋章とタグを奪おうとするも失敗し、ヴァンデモンにテイルモンが八人目の選ばれし子供のパートナーデジモンであることがバレてしまった。

 

そこでヴァンデモンはお台場全体を霧の結界で封じ込め、八人目の選ばれし子供を見つけようと8月3日の早朝から大攻勢に出たのだ。

 

お台場全体が深い霧に閉ざされていたその頃、東京のお台場から離れた初音島の朝は、いつもと変わらぬ穏やかな日差しに包まれていた。

 

しかし、病室のテレビから流れてくるニュースの音声が、その平穏を無残に切り裂いた。

 

『――繰り返しお伝えします。現在、東京都港区のお台場周辺が、原因不明の局地的な濃霧に覆われています。視界は数メートル先も見えない状況であり、さらに、お台場内部と外部を繋ぐ電話やインターネットなどの通信網が完全に遮断されており……』

 

画面には、レインボーブリッジの向こう側‥本来ならフジテレビの球体展望室や高層ビル群が見えるはずの場所が、どす黒い灰色の霧に完全に飲み込まれている不気味な映像が映し出されていた。

 

「お台場が濃霧で……通信途絶……?」

 

ベッドの上でそのニュースを見ていたミコトは、血の気が引くのを感じた。

 

お台場は、父である裕明と長兄のヤマトが暮らしている街だ。

 

「ミコト、どうしたの? また昨日みたいにデジモンが出たの?」

 

布団の中から顔を出したジークが、ミコトの強張った横顔を見て心配そうに尋ねる。

 

「お台場全体が霧に包まれて連絡が取れないみたい」

 

「霧?それって‥‥」

 

「……うん。ただの霧じゃないわ」

 

ミコトはテレビの画面から目を離せなかった。

 

アナウンサーは「異常気象」や「大規模な通信障害」という言葉を使って説明しようとしているが、ミコトには分かっていた。

 

あんな異常な霧が、自然に発生するはずがない。

 

(これは……デジモン‥それも、とてつもなく強大で、恐ろしい『闇』の力を持ったデジモンの仕業だわ……!)

 

なぜそんなことが分かるのか、ミコト自身にも説明はつかなかった。

 

ただ、あのどす黒い霧の映像を見た瞬間、心臓の奥底が『トクンッ』と不気味に、そして力強く脈打ったのだ。

 

まるで、己の内に潜む同質の「何か」が、テレビ越しに伝わる強大な闇の力に共鳴し、歓喜の産声を上げているかのように‥‥

 

「パパ……ヤマトお兄ちゃん……!」

 

ミコトは胸元をきつく握りしめた。

 

通信が途絶しているということは、電話をかけても繋がらないということだ。

 

未知なる闇のデジモンが、霧でお台場を丸ごと封鎖して何かを企んでいるのは火を見るより明らかだった。

 

「ジーク!」

 

「うん!」

 

「昨日、ジークがこの世界でも進化と退化を繰り返せることは分かったわ……もしかしたら、究極体まで進化できるかもしれない」

 

成長期のブイモンでは、初音島から東京まで海を渡る手段がない。

 

フェリーや新幹線を使えば時間がかかりすぎる。

 

しかし、もしジークがデジタルワールドの時のように、究極体であるメタルメギドラモンへと進化できれば、その巨大な翼で空を飛び、お台場まで一直線で向かうことができる。

 

それに、あの霧を生み出している強大な敵にも対抗できるかもしれない。

 

「やってみるよ、ミコト! ミコトの家族が危ないんだもん、助けに行こうよ!」

 

ジークは小さな拳を握りしめ、頼もしく宣言した。

 

「ありがとう、ジーク……すぐに準備をして、病院を抜け出そう。それで誰にも見つからない場所で、進化を――」

 

ミコトがベッドから降りようとした、まさにその時だった。

 

コンコン‥‥

 

「っ!?誰か来た‥ジーク隠れて!!」

 

「う、うん」

 

ミコトは慌ててジークを布団の中に隠す。

 

「はい。どうぞ」

 

病室のドアがノックされ、返答すると親しい看護師が顔を覗かせた。

 

「ミコトちゃん、おはよう。体調はどう?今日は月に一度の精密検査の日よ。午前中いっぱいかかるから、準備して車椅子に乗ってね」

 

「あっ……!」

 

ミコトの動きがピタリと止まる。

 

そうだ‥今日に限って、絶対に避けては通れない長時間の検査が予定されていたのだ。

 

「あの、私……今日はちょっと気分が……」

 

「ダメよ、ごまかしても。ミコトちゃんが最近すごく元気になってきているからこそ、しっかり数値を調べなきゃいけないんだから。先生も待っているわよ」

 

看護師は有無を言わさぬ笑顔で、ミコトのベッドの傍に車椅子を引き寄せた。

 

ミコトは焦燥感に唇を噛んだ。

 

ここで強引に逃げ出せば、大騒ぎになって病院中、いや島中の大人たちに探されることになり、かえって身動きが取れなくなる。

 

(どうしよう……今すぐお台場に向かいたいのに……!)

 

「ミコト、焦っちゃダメだ」

 

布団の中に潜り込んだジークが、ミコトにだけ聞こえるような小声で囁いた。

 

「今、無理に動いたら怪しまれる。検査が終わるまで我慢しよう。僕もその間、力を溜めておくから」

 

「……分かったわ」

 

ミコトは震える手でシーツを握りしめ、ゆっくりと車椅子に移った。

 

焦る心を必死に押し殺しながら、ミコトはテレビの画面――未だ深い霧に包まれたままのお台場の映像を、祈るような思いで振り返った。

 

(パパ、ヤマトお兄ちゃん……どうか、無事でいて。必ず、私が助けに行くから……!)

 

遠く離れた初音島で、焦燥と決意に身を焦がすミコトであった。

 

午後12時半

 

予定よりも長引いた過酷な精密検査を終え、車椅子で個室へと戻されたミコトは、看護師が部屋から退出するや否や、すがるような思いでテレビの電源を入れた。

 

『――お台場周辺の霧はさらに濃さを増しており、現在も内部との連絡は一切取れない状況が続いています。救助に向かおうとする警察や消防も深い霧の影響で進入できず、お台場に住んでおられる方々の安否確認は未だに出来ておりません。政府はこの異常事態に対し、自衛隊の出動も検討しており‥‥』

 

画面に映し出されるのは、未だに深い霧につつまれているお台場周辺の姿。

 

ミコトは微かに震える手でシーツを握りしめた。

 

(もう、一刻の猶予もない……パパも、ヤマトお兄ちゃんも、あの霧の中にいる。私が、助けに行かなくちゃ!)

 

「ミコト……顔色がすごく悪いよ。無理しちゃダメだ」

 

バッグの隙間から顔を出したチビモン(ジーク)が、心配そうにミコトを見上げる。

 

しかし、ミコトの瞳に迷いはなかった。

 

「ううん、行くわ。だってあの中にはパパとヤマトお兄ちゃんが居るんだもの」

 

「‥分かった」

 

「ありがとう‥‥ただ、その前にちゃんと準備をしないと」

 

「準備?」

 

「そう、タイチさんならきっとこの状況下でも冷静に状況を分析して、相応の準備をする筈だもの」

 

ミコトはそう言って財布を握りしめると売店へと向かう。

 

売店でミコトはアンパン、カロリーメイト、ビーフジャーキー、スポーツ飲料を買った。

 

(昨日、ジークは空腹でブイモンからチビモンに退化した‥‥)

 

(進化状態を維持するには現実世界とデジタルワールドでのエネルギー消費量が違う筈‥‥)

 

途中でジークが空腹になって、退化してしまったり、いざ戦闘と言う時にエネルギー切れでは大変なので、ミコトはジークのエネルギー源となる食糧を確保したのだ。

 

「おまたせ」

 

「何処に行っていたの?」

 

「これを買っていたの」

 

ミコトはジークに売店で買って来た商品を見せる。

 

「うわぁ、アンパンだ!!」

 

ジークはアンパンを見て目を輝かせる。

 

「昨日、ジークはブイモンに進化したけど、お腹が空いてチビモンに戻ったでしょう?」

 

「うん」

 

「多分、この世界では進化状態を維持するためのエネルギー消費量がデジタルワールドよりも多いからだと思うの‥だから、少しでも腹ごしらえをしておかないとね」

 

「なるほど」

 

ミコトは商品をリュックに詰め、素早く私服に着替えた。

 

昼食の食器片づけの後、看護師の巡回が手薄になる。

 

ミコトはジークをリュックに隠し、息を殺して病棟の裏口から外へと滑り出した。

 

夏の刺さるような日差しの中、彼女が向かったのは、初音島の象徴にして最大の死角――『枯れない桜の林』の奥深く、誰も寄り付かない静寂の場所だった。

 

「ジーク、これ、食べて」

 

桜の巨木の裏に隠れると、ミコトは売店で買っておいたアンパンをジークに差し出した。

 

「じゃあ、いただきまーす!!」

 

アンパンを平らげ、気合十分に短い腕でガッツポーズを作るジーク。

 

ミコトは深く深呼吸をし、左腕のデジヴァイス01に右手を添えた。

 

胸元で揺れる『生命の紋章』が、彼女の決意に呼応するように熱を帯びる。

 

「お願い……ジークの力を、限界まで引き出して!」

 

ミコトの祈りとともに、デジヴァイス01から激しい光の柱が天に向かって立ち昇った。

 

「チビモン、ワープ進化ァ!!」

 

眩い光の中、小さな身体が爆発的に膨張し、骨格が組み替わり、漆黒の鋼鉄と蒼の装甲が形成されていく。

 

『メタルメギドラモン!!』

 

桜の林を揺るがす低い咆哮。

 

そこには、デジタルワールドで超究極体デーモンと渡り合った、巨大にして凶悪な漆黒の魔竜が君臨していた。

 

「ジーク、急いで! お台場へ!」

 

「分かった。しっかり掴まっていてね」

 

ミコトをそっと背中に乗せると、メタルメギドラモンは強靭な翼を羽ばたかせた。

 

凄まじい風圧で桜の葉を舞い散らせながら、二人は夏の青空を一直線に引き裂き、東京湾の上空へと飛び立った。

 

眼下に広がる青い海を猛スピードで置き去りにしていく。

 

しかし、離陸から数十分が経過した頃、異変は起きた。

 

「……グ、ゥゥ……ッ!」

 

「ジーク!? どうしたの!?」

 

風切り音に混じって、メタルメギドラモンが苦悶の声を漏らした。

 

その漆黒の装甲の表面が、ノイズのように明滅している。

 

「ミ、ミコト……ごめん。やっぱり、デジタルワールドの時と全然、違う……! 体の奥から、力が滝みたいに抜け落ちていくんだ……!

 

「エネルギーの消費が早すぎる……!? これが、現実世界での究極体維持の制限なの……!?」

 

アンパンで蓄えたはずのエネルギーが、文字通り秒単位で削り取られていく。

 

ミコトは冷や汗を流しながら前方を睨みつけた。

 

水平線の彼方に、どす黒い灰色のドーム――お台場を覆うヴァンデモンの結界が見えてきた。

 

「あと少しよ! お願いジーク、あの霧の壁を突き破るまで、なんとか堪えて!!」

 

「ウォォォォォォッ!!」

 

残された命を燃やすように、メタルメギドラモンは最後の一鳴きを上げ、渾身の力で分厚い霧の結界に突撃した。

 

バチバチバチッ!!

 

結界を構成する闇の力と、魔竜の巨体が激突し、凄まじいスパークが弾け飛ぶ。

 

「突き破れぇぇっ!!」

 

ミコトの叫びと共に、結界の壁が硝子のように砕け散った。

 

お台場の上空へ侵入した、まさにその瞬間だった。

 

シュウゥゥゥ……ッ!!

 

「えっ――!?」

 

限界を迎えたメタルメギドラモンの巨体が、唐突に眩い光の粒子となって四散した。

 

足場を失ったミコトは、お台場の無人のビルの屋上へと向かって、空中へ放り出される。

 

「きゃあああああっ!?」

 

「ミコトォォーッ!!」

 

光の中から飛び出してきたのは、エネルギーを完全に使い果たし、涙目で手足をバタつかせる幼年期のチビモンだった。

 

ドンッ、と鈍い音を立てて、ミコトはビルの屋上のフェンス越しに、貯水槽の影の芝生へと激しく転がり込んだ。

 

「……っ、ぐ、ぅぅ……」

 

全身を打つ強い痛みに顔を歪めながらも、ミコトは這いつくばってチビモンを抱き寄せた。

 

チビモンは白目を剥いて完全に気絶している。

 

(……結界の突破と、究極体の維持。これが限界だったんだ……)

 

ミコトは荒い息を吐きながら、ゆっくりと立ち上がった。

 

眼下に広がるお台場の街は、不気味な霧に沈み、人の気配は完全に消え失せている。

 

遠くから、異形の怪物たちのけたたましい鳴き声だけが響いてきた。

 

動けないパートナーと病み上がりの身体。

 

戦える時間はとうに過ぎ去り、絶対的な時間制限とエネルギー不足という絶望的な現実に直面しながらも、ミコトの瞳の奥の闘志は決して消えてはいなかった。

 

「ジーク、大丈夫? 怪我してない?」

 

ミコトは急いで胸元に抱えたチビモン――ジークの様子を確認する。

 

「う、うん……目は回っているけど、怪我はないよ。でも……」

 

「でも?」

 

「お腹が、すっごくペコペコ……もう、指一本動かせないよぉ……」

 

ジークはぐったりと力なくミコトの手の中に収まり、情けない声を出した。

 

無理もない‥現実世界で初めて究極体へと進化して、初音島からお台場までの長距離を凄まじいエネルギーを消費する究極体で飛び続け、最後は分厚い結界を強引に突き破ったのだ。

 

今のジークには、歩く力すら残されていない。

 

「ごめんね、無理させちゃって。ええと、売店で買ってきたカロリーメイトとジャーキーが……あっ!」

 

ミコトは背負っていたはずのリュックを前に回そうとして、ハッと息を呑んだ。

 

肩にあるはずの感触がない。落下した際の衝撃で、空中で手放してしまったのだ。

 

急いで屋上のフェンスから下を覗き込むと、遥か下方の路上に、見覚えのあるリュックがひしゃげて落ちているのが見えた。

 

中身が散乱しているのか、黒っぽい影が周りに散らばっている。

 

さらにその周辺には、白い布を被ったような不気味なデジモン――バケモンたちがフワフワと漂っているではないか。

 

「嘘……落としちゃった……しかもあんなに敵がいたら、取りに行けない」

 

「あぁぁ、僕のアンパンがぁ……」

 

絶望的な声を上げるジークに、ミコトは冷や汗を流した。

 

ジークのエネルギーが回復しなければ、いざという時に進化して戦うことができない。

 

この敵のデジモンだらけの街で、それはあまりにも致命的だった。

 

「どうしよう……とにかく、どこか安全な場所を探して、食べ物を見つけないと……」

 

ミコトは屋上のフェンスに身を潜めながら、眼下の街を見渡した。

 

どす黒い霧に沈むお台場の街には、人っ子一人いない。

 

(早くパパと、ヤマトお兄ちゃんを探さなきゃ。でも……)

 

ミコトの脳裏に、最悪のシミュレーションがフラッシュバックした。

 

ただでさえ過保護なヤマトである‥病弱な妹が、あろうことか勝手に病院を抜け出して、こんな化け物だらけの東京にいると知ったら‥‥

 

しかも、得体の知れない生物(ジーク)を連れていると見れば、ヤマトは間違いなくパニックになり、顔を真っ赤にして大激怒するに違いない。

 

『ミコト!? なんでお前がこんな所にいるんだ! 病院はどうした! それに、その気味の悪い化け物はなんだ!?』

 

ありありと思い浮かぶ兄の怒鳴り声に、ミコトはブルッと身震いした。

 

「……絶対に怒られる。下手したら『今すぐ初音島に帰れ!』って言われて、ヤマトお兄ちゃんたちに余計な負担をかけちゃうわ……」

 

「ミ、ミコトのお兄ちゃんって、そんなに怖いの?」

 

「怖いっていうか、心配性で過保護なのよ。だから……うん、決めたわ。パパとヤマトお兄ちゃんを見つけても、決して表には出ない。私が陰から二人を守るの!」

 

こぶしを握りしめるミコト。

 

とはいえ、まずはジークのエネルギー回復が最優先だ。

 

ミコトは周囲を警戒しながらビルの非常階段を下り、地上へと降り立った。

 

しかし、ミコトはまだ知らなかった‥‥自分の兄二人もデジモンを連れているテイマーであると言う事を‥‥

 

 

お台場の通りは、灰色の不気味な霧が立ち込め、視界は最悪だった。

 

放置された車や、主を失ったベビーカーや自転車、バイクが転がる異様な光景の中、ミコトは息を殺して壁沿いを進み、角を曲がった先にあったコンビニエンスストアへと滑り込んだ。

 

停電しているのか、自動ドアは開かず、店内は薄暗く人の気配がない。

 

ミコトは少しだけ開いていたドアの隙間から強引に体を滑り込ませた。

 

「ふぅ~……ここなら、外からは見えないわね」

 

店内は静まり返っており、床には商品のいくつかが落ちていたが棚にも商品がそのまま残されていた。

 

普段なら絶対に許されないことだが、今は緊急事態だ。

 

ミコトは心の中で「後で必ずパパに払ってもらいますから!」と必死に謝罪しつつ、菓子パンのコーナーへと直行した。

 

停電しているので、防犯カメラも機能していない。

 

「ジーク、これならどう? あんパンもあるし、チョココロネもあるわよ」

 

「食べる! ぜんぶ食べるぅ……!」

 

ミコトが開けてやった袋からパンを引ったくり、猛烈な勢いで頬張り始めるジーク。

 

ミコトも自分のためにペットボトルのスポーツ飲料と、栄養補助食品を少し口にする。

 

静かな店内に、ジークがパンを咀嚼する音と袋のガサガサという音だけが響く。

 

その時だった。

 

――キキキッ! キィィィ……。

 

窓の外、濃い霧の向こうから、布が擦れるような不気味な音と、甲高い鳴き声が近づいてきた。

 

「っ!?ジーク、静かに……!」

 

ミコトは咄嗟にジークの口を塞ぎ、レジカウンターの陰へと身を隠した。

 

ガラス張りの窓の外を、巨大な幽霊型のデジモン――バケモンが数体、フワフワと漂いながら通り過ぎていく。

 

(あれが、この霧を出しているデジモンの手下で間違いないみたいね……?)

 

ミコトの心臓が早鐘を打つ。

 

しかし同時に、彼女の胸の奥底で、奇妙な感覚があった。

 

外をうろつくバケモンたちが放つ『闇』の力。

 

それに呼応するように、ミコトの命に刻まれた何かが、チリチリと熱を帯びて共鳴しているのだ。

 

(まただ……胸の奥が、何だか熱い。奴らの気配が、手に取るように分かる……!)

 

バケモンたちが完全に通り過ぎ、その気配が遠ざかるまで、ミコトは冷や汗を流しながら息を潜め続けた。

 

ジークもまた、エネルギーを少し取り戻したことで、周囲の異様な空気を敏感に察知し、真剣な表情でミコトの腕にしがみついていた。

 

「……行ったみたい。ジーク、食べ終わったらすぐに出るわよ。少し休んだら、パパたちを探しに行こう」

 

「うん。パンのおかげで、少しだけ力が戻ったよ。いざって時は、進化してミコトを守るからね!」

 

二人は互いに頷き合い、見えない敵が潜む霧の街へと再び足を踏み出す準備を整えた。

 

 

同じ頃。

 

お台場を覆う霧の中心、フジテレビ球体展望室。

 

そこは今や、現実世界を闇で染め上げようと目論む完全体デジモン、ヴァンデモンの玉座と化していた。

 

薄暗い室内で、ヴァンデモンはワイングラスに注がれた赤い液体を口に含みながら、眼下に広がる霧の街を見下ろしていた。

 

その背後には、巨大な鎌を手にした幽霊型デジモン、ファントモンが控えている。

 

「……ファントモンよ。八人目の子供は見つかったか?」

 

「はっ。現在、バケモンどもに街の人間をかき集めさせております。見つけ出すのは時間の問題かと……」

 

低く不気味な声で答えるファントモン。

 

「ふむ‥‥」

 

しかし、ヴァンデモンの表情は優れなかった。

 

彼の冷酷な瞳は、八人目の子供への執着とは全く別の、ある『不可解な事象』に囚われていた。

 

「いかがなさいましたか?ヴァンデモン様」

 

「……つい、数十分ほど前だ」

 

「は?」

 

「我が結界の一部が、外側から何者かによって強引に突破された」

 

ヴァンデモンの言葉に、ファントモンがギョッと身をすくめる。

 

「ば、馬鹿な……! ヴァンデモン様の結界を力業で破るなど、選ばれし子供たちのデジモン程度にできるはずが――」

 

「ああ、奴らではない。あれは……もっと禍々しく、底知れぬ力だった」

 

ヴァンデモンは自身の胸元を押さえ、不快そうに、しかしどこか歓喜を含んだように眉をひそめた。

 

結界が破られた一瞬だけ、彼はお台場の上空に、己の力すら凌駕するかもしれない圧倒的な『闇』の気配を感じ取ったのだ。

 

しかも、その気配は結界を破った直後に霧散し、今はどこかに潜伏しているかのように、微弱な波長となってお台場内に漂っている。

 

それはまるで、古のデジタルワールドに君臨した『魔王』の残滓のような、恐ろしくも甘美な闇の波長だった。

 

(八人目の子供の『光』とは対極にある、絶対的な『闇』……なぜ、この人間界でそんなものを感じる?)

 

ヴァンデモンはグラスの中身を飲み干し、マントを翻してファントモンを睨みつけた。

 

「ファントモン。八人目の子供の捜索と並行して、街中に漂う『異質な闇の波長』を追え」

 

「異質な闇?でございますか?」

 

「そうだ。我が軍団の者ではない。だが、極上の闇の因子を宿した何者かが、このお台場に紛れ込んでいる。それが敵となるか、それとも我が糧となるか……見つけ出し、私の前に連れてこい」

 

「御意のままに……!」

 

ファントモンが姿を消すと、ヴァンデモンは再び窓の外の濃霧に視線を向けた。

 

「光と闇……このお台場に、一体何が引き寄せられているというのだ……?」

 

自分が捜し求めている「八人目の子供」とは全く別の、想定外のイレギュラー。

 

己の野望の裏側で密かに牙を研いでいる者の存在が居ることなど、ヴァンデモンはこの時、まだ知る由もなかった。

 

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