デジモンアドベンチャー Re:Life   作:ステルス兄貴

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四十一話 初音島の嘘と九人目の影

 

過酷なデジタルワールドでの冒険を終えて、現実世界へと帰還した八人の選ばれし子供たち。

 

そんな中、ヤマトの妹・ミコトは『魔王の因子』という恐るべき闇の力をその身に宿し、一年中桜の咲き誇る初音島の病院で療養生活を送っていた。

 

妹を失う極限の恐怖から一度は病室を逃げ出したヤマトだったが、親友である太一の泥臭くも真っ直ぐな友情に背中を押され、共に再び初音島へと向かう。

 

無防備に眠るミコトの温かい手に触れ、己の弱さを肯定できたヤマトは、今度こそ兄として妹に向き合う覚悟を取り戻した。

 

一方、ミコトの病室には、彼女と共に別世界を旅した相棒のデジモン・チビモンの姿が密かに隠されていた。

 

チビモンから、別次元の凄腕テイマー「八神太一」と瓜二つの少年が兄を導いてくれた事実を知らされたミコトは、過酷な運命に打ち勝ち、次こそ笑顔で兄に会うための強い決意を固める。

 

その夜、お台場へ帰還した太一の服から、妹のヒカリが微かな「デジモンの気配」と、ヤマトに残っていた「悪いもの」の気配を感知する。

 

光子郎がネットで交流する少女『HATUNE』の語る「小さな相棒」の符合、そしてヒカリの直感から、子供たちはミコトの傍に未知のデジモンが潜んでいるという驚愕の事実に辿り着いた。

 

未知のデジモンはなぜミコトの傍にいるのか?

 

彼女は「九人目の選ばれし子供」なのか?

 

大人たちの複雑な事情と過酷な運命が絡み合う中、ヤマトはどんな試練が待っていようとも妹を守り抜くことを夏の海風に誓う。

 

終わらない夏休みの中、初音島を舞台にした新たな物語が今、静かに動き出そうとしていた。

 

お台場海浜公園での緊迫した話し合いを終えた、その日の夜。

 

石田家のリビングには、テレビの微かな音だけが響いていた。

 

父親の裕明はまだ仕事から戻っておらず、ヤマトは一人、ソファに深く腰掛けていた。

 

昼間、仲間たちと交わした会話が頭の奥でリフレクションのように繰り返される。

 

――ミコトの傍には、間違いなくデジモンが潜んでいる。

 

「ミコト……お前は、本当に……」

 

ぽつりともらした呟きは、静寂に吸い込まれて消えた。

 

妹が自分たちと同じ過酷な運命の輪に巻き込まれているかもしれない。

 

その新たなる不安が胸を締め付けようとした、その時だった。

 

ジリリリリリリン――!

 

静まり返った室内に、固定電話の呼び出し音がけたたましく鳴り響いた。

 

「っ!?」

 

ヤマトはビクッと肩を揺らし、吸い寄せられるように受話器へと手を伸ばした。

 

「はい、石田です……」

 

『――あっ、ヤマトお兄ちゃん?』

 

受話器の向こうから聞こえてきたのは、少し掠れているけれど、間違いなく聞き覚えのある愛おしい妹の声だった。

 

「ミコト……!?お前、こんな時間に電話なんて大丈夫なのか? 体の方は……」

 

ヤマトは受話器を握る手に思わず力がこもった。

 

先日、病院の廊下で恐怖に震え、逃げ出してしまった時の情けない自分がフラッシュバックする。

 

だが、ヤマトは強く奥歯を噛み締め、今度は絶対に逃げないと心に決めてミコトの声に耳を傾けた。

 

『ふふ、大丈夫だよ。今は夜の自由時間だし、面会時間も診察時間も終わっているから病院のロビーは今、私の貸切状態なの‥‥あのね、看護師さんから聞いたよ。この前、またお見舞いに来てくれたんだってね』

 

「あ……ああ。寝ていたから、起こさない方がいいと思ってさ」

 

『ううん、嬉しかった。私、ずっと眠っちゃっていてごめんね……ヤマトお兄ちゃん、私の手を握って、泣いていてくれたんでしょう?』

 

「っ……!」

 

ヤマトの顔がカッと熱くなった。まさか看護師にそこまで筒抜けだったとは思いもよらなかったのだ。

 

「いや、それは……その、色々と心配かけちまったからさ。一人にして、逃げたりして……本当に悪かった」

 

『気にしないで、ヤマトお兄ちゃん。ヤマトお兄ちゃんが来てくれたの、ちゃんと分かったよ。すごく温かかったもん。だから、私からお返しに、元気な声を届けたくて電話したの』

 

妹の健気な言葉が、ヤマトの凍りついた心を優しく溶かしていく。ヤマトはふっと表情を和らげると、自身の近況を語り始めた。

 

「そうか……オレの方はさ、今年の夏休みは本当に色々あったんだ。みんなでサマーキャンプに行こうとしたんだけどさ、真夏だってのに信じられないくらいの大雪が降って、結局キャンプは中止になっちまってさ」

 

『えっ、大雪!?‥‥ああ、ニュースで言っていた異常気象が原因の……?』

 

「ああ、それだけじゃないんだ。その後もお台場が妙な霧に包まれる事件があっただろう? オレたち、あの騒動にどっぷり巻き込まれちまってさ……本当に今年は散々な夏休みだよ」

 

お台場の霧事件――その言葉が出た瞬間、電話の向こうのミコトが小さく息を呑んだのが分かった。

 

(お台場の‥霧の事件……)

 

ミコトの脳裏に、あのお台場の惨劇の際、青く巨大な狼のようなデジモンの背に乗って果敢に戦っていた、兄の姿‥‥

 

(あの時、ヤマトお兄ちゃんは確かにデジモンと一緒にいた……ヤマトお兄ちゃんも、私と同じ『テイマー』なのかな? だったら、ヤマトお兄ちゃんにジークのことを話して、相談しても大丈夫かな……?)

 

しかし、ミコトはハッと自分の唇を噛んだ。

 

(ダメだ……あの事件の時、私はずっと『初音島の病院に居た』ことになっている。もしヤマトお兄ちゃんがデジモンと一緒に戦っていたところを見たなんて言ったら、私があの時、お台場に居た事がバレちゃうし、デジモンを連れている事も‥‥ヤマトお兄ちゃんに、これ以上余計な心配をかけたくない……!)

 

一方で、ヤマトもまた、受話器を握り締めながら必死に言葉を濁していた。

 

(ヒカリちゃんの直感が正しいなら、ミコトの病室にはデジモンがいるはずだ……今すぐ、お前の傍にデジモンがいるのかって、ストレートに聞いて確かめたい。だけど、もしそんなことを聞いてミコトがパニックになったら?不用意に刺激するわけにはいかない……!)

 

二人の間に、不自然な沈黙と、ぎこちない空気が流れる。

 

互いに相手の「秘密」の核心に気づきかけていながら、相手を思いやるがゆえに、そして自身の矛盾を隠すがゆえに、聞くに聞けない。

 

沈黙を破ったのは、ヤマトの少し焦ったような声だった。

 

「み、ミコト? どうした、急に黙り込んで……その、体調が悪くなったのか?」

 

『あ、ううん、なんでもないよ……ね、ねぇ、ヤマトお兄ちゃん。その‥お台場の霧事件の時さ……ヤマトお兄ちゃんは、その‥変な生き物とか……見たりしなかった?』

 

「変な生き物……?」

 

『う、うん! ほら、テレビのニュースとかでさ、怪獣みたいなのが東京で暴れていたって言っていたから……近くで、そういう……生き物を見たりしなかったのかなって……』

 

ミコトの必死の探りに、ヤマトは心臓が跳ね上がるのを感じた。

 

ガルルモンのことを見られていたのかと一瞬焦ったが、あの時、ミコトは初音島に居た筈なので、ニュースの映像からの推測だろうと自分に言い聞かせる。

 

「あ、ああ……ニュースのヤツな。オレは、その……遠くから見ていただけだから、よく分からないよ。ただのデマか、特撮のロケか何かだろう?……それより、ミコトの部屋の方こそ、何か変わったことはないか? その、誰もいないはずなのに、変な気配がしたり……居るはずのない『小さな生き物』が隠れていたりとかさ」

 

『ええっ!?』

 

今度はミコトが声を裏返した。

 

ミコトの脳裏に小さな相棒の姿が過る。

 

『な、何言っているの?ヤマトお兄ちゃん! ここは病院だよ? 居るはずのない生き物なんて、居る訳ないじゃない!……あっ、でも、ぬいぐるみならベッドの周りにあるけど‥‥』

 

「そ、そうか……そうだよな、変なこと聞いて悪かった。今、テレビでホラー番組がやっていて、病院内の怖い話もあって、ミコトが怖い目に遭っていないかと思ってな」

 

ヤマトは頭を掻きながら、ホッとしたような、どこか物足りないような複雑な溜息をついた。

 

互いの胸の内にある、デジモンという名の巨大な秘密。

 

会話の端々にトゲのように刺さるぎこちなさは、間違いなく二人が同じ「世界の裏側」に触れている証拠だった。

 

しかし、それを差し引いても、こうして日常の他愛のない会話を交わせることが、今のヤマトにとっては至上の救いだった。

 

『……でもね、ヤマトお兄ちゃん。私、ヤマトお兄ちゃんが来てくれて、本当に嬉しかったんだ。次に会う時はね、呆れ返るくらい元気な姿を見せるって、心に決めているの』

 

ミコトの声には、先ほどまでの動揺は消え、透き通るような強い意志が宿っていた。

 

「ミコト……」

 

ヤマトは受話器を通じて伝わってくる妹の確かな生命力に、胸の奥が熱くなるのを覚えた。

 

「ああ、分かっている。オレも……またすぐに、お見舞いに行くよ。オレの友逹と一緒にな。今度はちゃんと、お前が起きている時に行くから、その時はたくさん話そうな」

 

『うん! 約束だよ、ヤマトお兄ちゃん!』

 

パチッと小気味よい音を立てて、通話が切れた。

 

受話器を下ろしたヤマトは、暗いリビングの窓に映る自分の顔を見つめた。

 

その瞳には、かつての迷いは一切なかった。

 

「待っていろよ、ミコト。お前がどんな運命を背負っていようが……傍に誰がいようが、オレが絶対に守ってやる」

 

窓の外では、お台場の夜景が静かに輝いている。

 

ぎこちなくも、確かに一歩近づいた兄妹の距離。

 

終わらない夏休みの闇の向こうで、ヤマトは静かに闘志を燃やすのだった。

 

ガチャッ、と受話器を戻したミコトは、静まり返ったロビーの公衆電話の前で、ぽつりと佇んでいた。

 

その小さな胸の奥は、懐かしい兄の声に満たされる一方で、冷たい緊張感に支配されていた。

 

(ヤマトお兄ちゃん……やっぱり、何かを隠している)

 

テレビのニュースを口実に探りを入れた時のヤマトのあからさまな動揺。

 

そして、何より「部屋に変な気配や、居るはずのない小さな生き物が隠れていないか」という、あまりにもピンポイントすぎる問いかけ‥‥

 

ガルルモンと共に戦っていたあの兄なら、自分の病室に潜む「何か」を、直感的に、あるいは確信を持って疑っている。

 

ミコトは確信していた。

 

同じ頃、お台場の石田家で受話器を下ろしたヤマトもまた、暗い窓硝子を睨み据えていた。

 

(ミコトのやつ、絶対に何かを隠し通そうとしている……)

 

お台場の霧事件について聞いてきた時の、あの息を呑む気配。

 

そして「居るはずのない生き物」と言った瞬間の、取り乱したような声。

 

ホラー番組を言い訳にその場は濁したが、妹のあの過剰な反応は、間違いなくヒカリの直感が正しいことを示していた。

 

互いに相手の秘密の核心に触れながらも、決定的な一歩を踏み込めないまま、二人の心理戦の火蓋は切って落とされたのだ。

 

それから数日後‥‥

 

照りつける真夏の太陽と喧しい蝉時雨を遮るように、光子郎の部屋のカーテンは閉め切られていた。

 

エアコンの冷気が満ちた室内で、選ばれし子供たちはノートパソコンの画面を囲み、深刻な表情で頭を悩ませていた。

 

「光子郎、あれからヤマトの妹とのチャットで何か進展はあったか?」

 

太一が腕を組み、画面を覗き込みながら尋ねる。

 

光子郎は険しい表情のまま、カタカタと眼鏡の位置を直すと、エンターキーを強く叩いた。

 

「はい。あれからそれとなくHATUNEさんに最近の体調や、病室での過ごし方について探りを入れてみたんですが……」

 

光子郎がディスプレイを一同に向けると、そこには無機質なテキストのログが映し出された。

 

「以前は『相棒と特訓している』とあんなに楽しそうに話していたのに、昨夜のやり取りでは急に言葉少なになって……『何も変わったことはない』『毎日寝てばかりいる』と、一転して警戒するような返答ばかりなんです。まるで、こちらが何かを探ろうとしているのを完全に察知しているかのように……」

 

「警戒‥ねぇ……」

 

太一は顎に手を当てて唸った。

 

「やっぱり、ヤマト君が電話で言った一言が引っかかっているのかしら?」

 

隣に座る空も、心配そうに眉をひそめる。

 

その横で、ヤマトはギュッと拳を握りしめていた。

 

先日、電話越しに聞いたミコトの震える声と、あの不自然な沈黙が脳裏に蘇る。

 

(ミコトはオレが初音島へ行った時、確かに眠っていたはずだ。それなのに……看護師の言葉からオレの動揺を察したのか、あるいは、オレの服に染み付いていたデジモンの気配を、アイツの傍にいるデジモンが感じ取ってミコトに伝えたのか……?)

 

ヤマトは鋭い瞳で光子郎を見据えた。

 

「ミコトは元々、めちゃくちゃ勘がいいんだ。オレが電話で『変な生き物が隠れていないか』なんて変に突っ込んじまったからな。向こうもオレが何かを確信していると気づいたはずだ……となれば、次にオレが初音島に来る時は、デジモンを探知するような機械(デジヴァイス)を持ってくるか、最悪、アグモンたちみたいなパートナーデジモンを引き連れて暴きにくるんじゃないかって、今頃身構えているに違いない。アイツがそこまで身構えているなら、今すぐ突っ込んでも完全に殻を閉ざされるだけだ……だから、少し期間を置く」

 

ヤマトは一度目を閉じ、ふう、と深く息を吐き出した。

 

「今行けば、向こうの警戒は最高潮だ。あえてしばらくお見舞いに行かず、少し時間を置いて警戒が緩んだタイミングを狙う……夏休みの最後の週だ。そこに照準を合わせて、もう一度初音島に行く」

 

「なるほど、頭を冷やす時間を与えるわけですね」

 

と、光子郎が頷く。

 

「ああ。だけど、今度は手ぶらじゃ行かねぇ。『デジヴァイス』を持っていく。デジモンを連れているなら必ずデジヴァイスを持っている筈だ。デジヴァイス同士が近づけば必ず反応する筈だ」

 

ヤマトの冷徹でありながらも妹を想う強い眼差しに、太一はニッと白い歯を見せて笑った。

 

「おう、その作戦で行こうぜ」

 

一方、お台場の子供たちの予測通り、初音島の一般病棟の一室では、張り詰めた空気が漂っていた。

 

「ねぇ、ジーク。やっぱりヤマトお兄ちゃん、何かに気づいているよ……」

 

ベッドの上に座り込んだミコトは、パジャマの袖をぎゅっと握りしめていた。

 

その視線の先では、相棒のチビモン――ジークが、ベッドの端に低く身をかがめ、部屋の木製のドアを片時も目を離さずに睨みつけている。

 

「ああ、間違いないよ。あの電話の聞き方は尋常じゃなかった。お兄さんはきっと、僕の存在を疑ってかかっている。次にここへ来る時は、デジモンを引っ張り出すための探知機を持ってくるかもしれない」

 

「どうしよう……私の『デジヴァイス01』と『生命の紋章』なら、病室のセーフティーボックスに隠してあるから、ヤマトお兄ちゃんが私物をひっくり返さない限りは見つからないと思うけど……」

 

ミコトは不安そうにジークを見つめた。

 

「でも、ジークはぬいぐるみじゃない。いくらデジモンだからって、ヤマトお兄ちゃんたちが突然部屋に入ってきたら、隠れるのだって限界があるよ……」

 

「うーん……」

 

と、ジークは小さな腕を組んで唸る。

 

「突然来られるのが一番マズイな。お兄さんがいつ来るのかさえ事前に分かれば、僕が天井の裏に隠れるなり、別の場所に一時避難するなりして、完璧にやり過ごせるんだけど……」

 

「来る日さえ、事前に分かれば……そうだ!!」

 

ミコトはハッと目を見開くと、ジークを腕に抱き急いで病院のロビーへと行き公衆電話へ手を伸ばした。

 

時計の針は正午を少し回ったと頃‥‥昼休憩の時間だ。

 

ミコトは記憶している番号を素早くプッシュし、受話器を耳に当てた。

 

数回のコール音の後、少し騒がしい背景音と共に聞き慣れた父親の声が響く。

 

『はい、石田です』

 

「あっ、パパ? ミコトです。今、お仕事の休憩中?」

 

『あ、ああミコトか‥‥どうしたんだ?こんな時間にわざわざ電話なんて。体調でも悪くなったのか?』

 

裕明の焦ったような声に、ミコトは慌てて「ううん、違うの!」と声を和らげた。

 

「体はとっても元気だよ。あのね、パパ……ちょっとお願いがあって……もし、次にヤマトお兄ちゃんが初音島にお見舞いに来ることが決まったら、その日を私に教えてほしいの」

 

『ヤマトが来る日を?』

 

『うん……この前、ヤマトお兄ちゃんが来てくれた時、私、お薬でずっと眠っちゃっていて、お話しできなかったでしょう? それがすごく悔しくて。だから、次に来る日が分かっていれば、私、ちゃんとお薬の時間も調整して、目を覚ましてヤマトお兄ちゃんを待っていられるから……』

 

受話器の向こうで、裕明が短く息を呑む気配がした。

 

いつも入院生活で我慢ばかりしている娘が、兄に会いたいがために健気な提案をしてきている。

 

父親として、その心を無下にできるはずがなかった。

 

『……そうか。分かった、ヤマトが次に行く段取りを決めたら、すぐに仕事の合間にでもお前に連絡を入れるよ』

 

「本当!? ありがとう、パパ! ……あっ、それとね、もう一つお願い。私が『来る日を教えてほしいって言っていたこと』は、ヤマトお兄ちゃんには絶対に内緒にしておいてね? 驚かせたいから!」

 

『はは、サプライズってわけか?いいだろう、約束だ。ヤマトには一言も漏らさないよ』

 

「うん、約束ね! お仕事頑張ってね、パパ」

 

ぷつり、と電話を切ると、ミコトはふぅーっと大きなため息をついて受話器を戻す。

 

それを見届けていたジークが、ミコトの肩に飛び乗る。

 

「やったな、ミコト! これでお兄さんがいつ来ても、不意打ちを食らうことはなくなったぜ!」

 

「うん……パパにはちょっと嘘ついちゃって申し訳ないけど、背に腹は代えられないもんね……ヤマトお兄ちゃん、ごめんね。でも、私とヤマトお兄ちゃんがお互いにテイマーだって確信できるまでは、まだジークのことは秘密にさせて」

 

ミコトはロビーにあるカレンダーを見つめ、静かに決意を固めるのだった。

 

お台場と初音島。

 

互いの手の内を読み合い、あえて時間を置く選択をした兄と事前に情報を察知する網を張った妹。

 

じりじりと照りつける夏の太陽が、世界の境界線を一層歪ませていく。

 

約束の「夏休み最後の週」に向けて、静かな、しかし確実な心理戦のカウントダウンが始まっていた。

 

夏休み最後の週‥‥うだるような暑さが少しだけ和らぎ、空には秋の気配を帯びた高い雲が浮かび始めていた。

 

お台場のマンションを出たヤマトのポケットには、『デジヴァイス』がしっかりと忍ばせてある。

 

その隣には、同じく覚悟を決めた面持ちの太一が並んで歩いていた。

 

本音を言えば、ヒカリや光子郎、空たちも同行したがっていた。

 

しかし、ミコトが体調を崩している病人である以上、大勢で病室に押し掛けるのは迷惑になる。

 

そう判断したヤマトたちは、今回も二人だけで初音島へ向かうことになったのだ。

 

「悪いな、太一。何度も付き合わせちまって」

 

「気にするなって、俺だって初音島に居るかもしれないデジモンがどんな奴なのか気になるからな」

 

その二人の出発を、マンションの窓から静かに見送る影があった。

 

ヤマトの父、裕明である。

 

裕明は腕時計で時刻を確認すると、手元のノートパソコンを操作し、初音島の病室にあるミコトのノートパソコン宛てに、短いメールを送信した。

 

『――ヤマトが今、そっちに向かって出発した』

 

初音島・水越総合病院。

 

静かな個室に置かれたノートパソコンが、小さな電子音を鳴らして新着メールを知らせた。

 

画面を確認したミコトは、弾かれたようにベッドから跳ね起きた。

 

「来た……!ジーク、時間だよ!」

 

「おう! 任せとけ!」

 

ミコトは病室の窓を開け放つと、ジークを抱え上げて病院の外へと続く非常階段の踊り場まで急いだ。

 

目指すのは、島の中央にそびえ立つ、初音島の象徴――『枯れない桜』の巨木だ。

 

「ヤマトお兄ちゃんたちが病室にいる間、この木の上で隠れていて。絶対に、誰にも見つかっちゃダメだからね」

 

「分かっているって! 異世界でのサバイバルに比べたら、木登りなんて朝飯前だぜ!」

 

ジークは得意げに笑うと、小さな手足を器用に使って、するすると巨大な桜の幹を登り始めた。

 

過酷なデジタルワールドを生き抜いた経験と特訓の成果が、その身軽な動きに確かな成長として表れていた。

 

ピンク色の花びらと鬱蒼と茂る枝葉の中に、黒い小さな姿が完全に紛れ込んだのを見届けると、ミコトはホッと息を吐き、足早に病室へと戻っていった。

 

それから数時間後。

 

コンコン、と控えめなノックの後、病室のドアがゆっくりと開いた。

 

「ミコト、起きているか?」

 

「ヤマトお兄ちゃん!?」

 

ベッドの上で本を読むふりをしていたミコトは、わざとらしく驚いたような笑顔を作って兄を迎えた。

 

「ああ、今日は起きていてよかった……ミコト、紹介するよ。オレの親友の、八神太一だ」

 

「よっ。ヤマトから話は聞いているぜ。太一だ、よろしくな!」

 

太一が一歩前に出て、屈託のない笑顔を向けた瞬間――ミコトは息を呑み、目を見開いた。

 

(嘘……本当にタイチさんとそっくり……!?)

 

(しかも名前も一緒‥‥)

 

ジークから「お兄さんの親友がタイチに瓜二つだった」とは聞いていた。

 

しかし、目の前に立つゴーグルを頭に乗せた少年の姿は、背格好から、笑い方、そして周囲を明るく照らすようなその気配に至るまで、デジタルワールドで共に戦った『八神太一』と恐ろしいほどに重なっていたのだ。

 

もう二度と会えないかもしれないと思っていたそっくりの人物を前にミコトはあの時の旅を思い出して、思わず涙が出そうになる。

 

「ど、どうした? 俺の顔に何かついているか?」

 

ぽかんと見とれるミコトに、太一が不思議そうに頬を撫でる。

 

「あっ、う、ううん! な、なんでもありません! えっと‥初めまして、太一さん。ヤマトお兄ちゃんがいつもお世話になっています……!」

 

ミコトは慌ててペコリと頭を下げ、動悸を抑え込みながら作り笑いを浮かべた。

 

ヤマトが持参したフルーツの籠をテーブルに置き、夏休み中の他愛のない日常の出来事を語り始める。

 

「それでさ、キャンプが中止になった後は、家でずっと……」

 

ヤマトが自然な会話でミコトの注意を引いている間に、太一はミコトの死角となる窓際に移動し、ポケットの中でそっと『デジヴァイス』を握りしめた。

 

(頼む、何か反応してくれ……!)

 

しかし――。

 

太一がデジヴァイスの画面をこっそり覗き込んでも、液晶には何の波形も現れず、警告音一つ鳴らない。

 

病室の中をゆっくりと移動し、ベッドの下やクローゼットの付近も探ってみるが、結果は同じだった。

 

(おかしい。ヒカリが感じた気配なら、間違いなくデジモンがいるはずなのに……)

 

(それにデジヴァイスがあるなら、俺のデジヴァイスにも反応がある筈だが‥‥)

 

焦りから、太一の視線が不自然に室内を彷徨う。

 

そのぎこちない動きをミコトの鋭い観察眼が見逃すはずがなかった。

 

「あ、あの‥太一さん?」

 

「えっ!? あ、ああ、なんだい!?」

 

不意に声をかけられ、太一はビクッと肩を揺らした。

 

「さっきから、手に持っているそれは……何ですか? ずっと画面を見たり、部屋の隅っこをウロウロしたりしているみたいですけど……?」

 

ミコトは小首を傾げ、純粋な疑問を装って太一の手に握られた小型の機械を指差した。

 

「こ、これか!? いや、その……こいつはただのゲーム機だよ! 育成ゲームっていうか、たまごっちみたいなやつでさ! さっきから全然キャラクターが育たなくて、電波を捜して歩き回っていただけなんだ! アハハハ……!」

 

太一は額に冷や汗を浮かべながら、必死にデジヴァイスを隠し、作り笑いで誤魔化した。

 

ヤマトも隣で「……お前、病室でゲームかよ」と呆れたような演技をして加勢する。

 

「ふーん……そうなんですね」

 

ミコトは心の中で、

 

(やっぱり、ヤマトお兄ちゃんたちは私が隠している何かを探しに来たんだ)

 

と、確信しながらも、それ以上は追及せずに微笑んだ。

 

その後、ヤマトと太一は「少しジュースを買ってくる」と言って病室を出て、病院の廊下や中庭まで散策しながらデジヴァイスの反応を探った。

 

しかし、彼らのデジヴァイスが病院から離れた『枯れない桜』の遥か上空に潜むジークを捉えることはできず、また、セーフティーボックスの奥深くで眠る『デジヴァイス01』の異なる波長を受信することもなかった。

 

ましてや『生命の紋章』はミコトの紋章なので、太一とヤマトのデジヴァイスでは反応する筈もない。

 

「……ダメだ、ヤマト。まったく反応がねぇ」

 

中庭のベンチで、太一が悔しそうに頭を掻く。

 

「そうか……やっぱり、ただの取り越し苦労だったのか……?」

 

ヤマトは安堵と、どこか釈然としない思いを抱えながら、病院の敷地内にある桜を見上げた。

 

結果的に、父・裕明からの事前情報を得て、完璧な対策を講じていたミコトに軍配が上がった。

 

ベッドの上で一人、兄たちが諦めて帰っていく足音を聴きながら、ミコトはそっと胸を撫で下ろす。

 

しかし、その勝利は決して晴れやかなものではなかった。

 

(ごめんね、ヤマトお兄ちゃん、太一さん……)

 

本当なら、自分もテイマーなのだと打ち明け、ジークを紹介して、兄たちと一緒に笑い合いたかった。

 

しかし、あの過酷な運命を‥そして自分の中に宿る『魔王の因子』の存在を、大好きな兄に背負わせるわけにはいかない。

 

窓の外では、季節外れの桜吹雪が、夏の終わりの風に吹かれて舞い散っていた。

 

完璧な嘘で兄を欺き通せた安堵の裏側で、ミコトはたった一人、孤独なテイマーとしての重い覚悟を噛み締めるのだった。

 

初音島からお台場へ戻った日の夕暮れ。

 

茜色に染まる空の下、選ばれし子供たちは再び光子郎のマンションの一室に集まっていた。

 

「……というわけだ。太一のデジヴァイスを使って病室の中も病院の敷地内も歩き回って探ったが、結局何の反応もなかった」

 

ヤマトが腕を組みながら報告すると、横に座る太一も深く頷いた。

 

「ああ。隠し立てしている様子もなかったし、ヤマトの妹もすごく普通に笑って出迎えてくれたぜ。病室のどこにも、デジモンもデジヴァイスの反応も確かになかった」

 

二人の報告を聞き、部屋の中にふっと安堵の空気が流れた。

 

光子郎は顎に手を当て、ウーロン茶の入ったグラスを見つめながら推測を口にする。

 

「なるほど……ヒカリちゃんが以前感じた『気配』やチャットの書き込みが事実だったと仮定するなら、こういう可能性が考えられます」

 

光子郎は皆の顔を見渡した。

 

「先日、初音島周辺で偶然デジタルワールドへのゲートが開き、迷い込んだ幼年期クラスのデジモンがミコトちゃんの病室に入り込み、今日ヤマトさんたちが到着する前に再びゲートが開き、そのデジモンはデジタルワールドへ帰っていった……太一さんたちのデジヴァイスが反応しなかったのなら、現時点ではそう結論づけるのが一番自然です」

 

「迷い込んだデジモンが、デジタルワールドから勝手に来て、勝手に帰った訳か‥‥」

 

ヤマトは少し拍子抜けしたように息を吐き出したが、その表情はどこか晴れやかだった。

 

「まあ、ミコトが危険な目に遭っていないなら、それが一番いい。オレの取り越し苦労だったってことだな」

 

「だな! これでやっと、心置きなく残りの夏休みを満喫できるぜ!」

 

太一も両腕を大きく上に伸ばし、背伸びをした。

 

実際に光が丘での事件の際も八神家のパソコンからデジタマが出てそれが孵化してボタモン、コロモン、アグモン、グレイモンと進化した後、パロットモンと戦った後、二体はデジタルワールドへと帰って行った経緯があるので、光子郎の唱える仮説は的を射ていた。

 

皆が光子郎の仮説に納得し、肩の荷を下ろす中――ただ一人、ヒカリだけは浮かない顔で、兄とヤマトの背中をじっと見つめていた。

 

(……ちがう)

 

ヒカリの研ぎ澄まされた感覚は、太一とヤマトの服から漂う『かすかな匂いと気配』をはっきりと捉えていた。

 

それは、デジタルワールド特有の空気の匂いであり、微弱だが紛れもない『デジモンの気配』だった。

 

(お兄ちゃんたちからは、まだデジモンの匂いが消えていない……ミコトちゃんの傍には、絶対に『何か』がいる。でも……)

 

ヒカリはきゅっと唇を結んだ。

 

頼みの綱であるデジヴァイスに何の反応もなかった以上、自分の曖昧な感覚だけで皆の安堵を打ち砕くことはできない。

 

ヒカリは胸の奥のざわめきを押し殺し、今はただ沈黙を守ることを選んだ。

 

「それにしても、ヤマトの妹さんかぁ。ミコトちゃんって、どんな子なの?」

 

重い話が一段落したところで、空が興味津々といった様子で太一にミコトの印象を尋ねた。

 

光子郎も「僕もネット越しでしか知らないので、気になりますね」と同調する。

 

考え込んでいたヒカリも、ハッとして「私も聞きたいな」と話の輪に加わった。

 

「どんな子って言われてもな……」

 

太一は頭を掻きながら、記憶を探る。

 

「ヤマトみたいにツンツンしているかと思ったら、全然そんなことなくてさ。すごく愛嬌があって、ニコニコしていて……でも、なんていうか、芯が強そうな子だったぜ。あと小二ながらもなかなかの美人だったぜ」

 

「へえ~写真とか撮ってこなかったの?」

 

空が身を乗り出して尋ねると、太一は「あっ、忘れていた!」と苦笑いした。

 

「ヤマト、お前ミコトちゃんの写真持ってないのか? 財布の中とかさ」

 

太一の言葉に、ヤマトは少しだけ視線を落とし、力なく首を振った。

 

「……悪い、写真は一枚もないんだ」

 

「えっ、そうなの?」

 

「……ミコトはさ、昔から入退院を繰り返してばかりで……ずっとベッドの上にいる生活が長かったんだ。だから、家族揃ってどこかへ出かけたり、記念写真を撮ったりする機会が、極端に少なくてさ」

 

ヤマトの静かな声に、部屋の空気が少しだけ切なく沈む。

 

「病室で写真を撮るのも、なんだかアイツの病気を記録しているみたいで……親父もオレも、カメラを向けることができなかったんだと思う……だから、あいつの元気な姿を形に残したものが、オレの手元には何もないんだ」

 

ヤマトの自嘲するような、けれど深い愛情と後悔が入り混じった横顔を見て、空と光子郎はハッとして「ご、ごめんなさい、デリカシーのないこと聞いちゃって」と慌てた。

 

「いや、いいんだ。事実だからさ……でも、太一が言った通りだよ。あいつは、オレなんかよりずっと芯が強くて、優しい自慢の妹だ」

 

ヤマトはふっと顔を上げ、誇らしげに微笑んだ。

 

「そっか……うん、太一とヤマトの話を聞いて、ミコトちゃんがどんな子か、少し分かった気がする」

 

空が優しく微笑み返し、ヒカリもまた、ヤマトの言葉にそっと頷いた。

 

写真という形には残っていなくても、ヤマトの言葉の端々から、ミコトへの深い愛情が痛いほど伝わってくる。

 

和やかな空気が戻った光子郎の部屋で、子供たちはそれぞれの思いを胸に、残り少ない夏休みの夕暮れを過ごしていた。

 

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