過酷なデジタルワールドでの冒険を生き抜き、無事に現実世界へと帰還した八神太一たち、八人の選ばれし子供たち。
しかし、彼らの運命の歯車はまだ止まっていなかった。
石田ヤマトの妹・ミコト‥‥彼女は『魔王の因子』という恐るべき闇の力をその身に宿し、一年中桜の咲き誇る初音島の病院で、密かに生死の境を彷徨っていた。
さらに彼女は、異世界からやってきた小さなデジモン・ジークを相棒に持つ、テイマーでもあった。
ミコトの傍に未知のデジモンが潜んでいるのではないか――ヒカリの鋭い直感と、光子郎がネットで得た情報を頼りに、ヤマトと太一は真相を確かめるべくデジヴァイスを手に初音島へと向かう。
だが、大好きな兄をこれ以上過酷な運命に巻き込むまいと決意したミコトは、父親の協力を得て事前に兄の来訪を察知していた。
彼女はジークを初音島の象徴である『枯れない桜』の上に隠し、笑顔という完璧な嘘で兄たちの目を欺き通すことに成功する。
デジヴァイスに何の反応もなかったことから、お台場の子供たちは「迷い込んだデジモンが元の世界へ帰った」と結論づけ、安堵の息を漏らした。
ただ一人、ヒカリだけが兄たちの服に残る微かなデジモンの匂いと気配を感じ取り、言葉にできない不安を胸に秘めたまま……
真実を隠し通した妹の孤独な覚悟と、束の間の平穏を取り戻した兄。
すれ違う二人の想いを乗せたまま、波乱に満ちた「終わらない夏休み」が終わりを告げようとしていた。
光子郎のマンションでの話し合いを終え、お台場の自宅へと帰ったその日の夜。
八神家では、すっかり安心しきった太一が「ヤっベェ!夏休みの宿題、まだ半分も終わってねぇ!」と頭を抱えながら慌てて自室へと行きドリルを広げていた。
いつもと変わらない、平和で騒がしい日常の風景。
しかし、ヒカリは自分のベッドの上で一人静かに座り、膝を抱えたまま動けずにいた。
手の中には、彼女自身の『デジヴァイス』が握られている。
無機質な画面は何も映し出しておらず、冷たい沈黙を保ったままだ。
(気のせいじゃない。絶対に……)
ヒカリはきゅっと目を閉じ、昼間、玄関先で太一を出迎えた時の感覚を呼び起こした。
太一の服から漂っていた、あの独特な気配‥‥そしてデータが混ざり合ったような、紛れもないデジモンの匂い‥‥
そしてヤマトから微かに感じ取った、背筋が凍るような『悪いもの』の気配の残り香。
光子郎の「迷い込んだデジモンが勝手に帰った」という仮説は、理路整然としていて、皆を安心させるには十分だった。
ヒカリ自身も、あの場でデジヴァイスに反応がなかった以上、反論する言葉を持っていなかった。
(でも、もし光子郎さんの推測が間違っていたら? ミコトちゃんの傍にいるデジモンが、今も初音島に隠れているとしたら……?)
ヒカリの胸の奥で、不安が渦を巻く。
もしデジモンがいるのなら、なぜミコトはそれを実の兄であるヤマトに隠す必要があるのだろうか?
「……お兄ちゃんに、話すべきなのかな?」
ぽつりと呟いた声は、夏の夜の静寂に吸い込まれて消えた。
今すぐ「やっぱりデジモンの気配が消えていない」と告げれば、太一は絶対にヒカリの言葉を信じてくれるだろう。
そして、ヤマトと共に再び初音島へ乗り込むはずだ。
しかし、ヒカリの脳裏に、光子郎の部屋で見せたヤマトの顔がフラッシュバックする。
『ミコトが危険な目に遭っていないなら、それが一番いい』
そう言って息を吐き出したヤマトの表情は、過酷な運命から大切な妹が外れていると信じ切った‥‥心底からの安堵に満ちていた。
あんなに優しくて、ホッとしたヤマトの顔を、ヒカリは初めて見た。
(確証もない私の感覚だけで、ヤマトさんのあの安心を奪っていいの……? もし本当に私の勘違いだったら、ヤマトさんを不必要に怯えさせるだけになっちゃう)
それに、もしミコトが必死に何かを守ろうとして嘘をついているのだとしたら、大人数で強引に暴き立てることは、彼女を深く傷つけ、決定的に追い詰めることにならないだろうか?
「……言えない。今はまだ、言っちゃダメだ」
ヒカリはギュッとデジヴァイスを胸に抱きしめ、小さく首を振った。
ヤマトの束の間の安堵を守るため‥‥そして、見えない事情を抱える「ミコト」という見知らぬ少女を思いやるため、ヒカリは自分一人で、この重い疑念を抱え込むことを決めた。
(私だけでも、気をつけていなくちゃ。次にあの気配を感じた時、あるいはミコトちゃんに何か異変が起きた時‥‥その時は絶対に、私が見過ごさないように‥‥)
窓の外では、終わらない夏休みの終わりを告げるように、遠くで秋の虫が鳴き始めている。
兄たちの気付かないところで、ヒカリは孤独な決意を固めていた。
それは奇しくも、遠く離れた初音島でミコトが抱いた「たった一人で秘密を抱え込む」という覚悟と、鏡合わせのように重なっていたのだった。
夕闇が初音島を包み込み、水越総合病院の面会時間がとうに過ぎた頃。
消灯前の静まり返った病室の窓を、コンコンと小さく叩く音がした。
「……ジーク!」
ベッドで本を読んでいたミコトが弾かれたように立ち上がり、急いで窓の鍵を開ける。
夜風と共に、小さな黒い影が部屋の中に滑り込んできた。
「ふうーっ、ただいまミコト! いやぁ、あの大きな桜の木、登るのは簡単だったけど、ずっと隠れながらしがみついているのは結構骨が折れたよ」
「おかえりなさい、ジーク! ごめんね、長い時間ずっとあんな高いところに一人にさせちゃって……誰も見ている人はいなかった?」
ミコトが心配そうに尋ねながらジークの体をタオルで優しく拭いてやると、ジークは「へへっ、余裕、余裕!」と胸を張った。
「誰も気づいちゃいなかったよ。お兄さんたちも、中庭をウロウロしながらあの機械(デジヴァイス)を見ていたけど、まさか島の真ん中にあるあの木の上に僕がいるなんて思ってもみなかったみたいだ。作戦は大成功だ!」
得意げに笑うジークの姿に、ミコトはホッと胸を撫で下ろした。
これで当分、ヤマトたちが初音島に探りを入れてくることはないだろう。
ミコトの狙い通り、完璧な形で兄たちの目を欺き、疑念を払拭させることができたのだ。
「……よかった。本当によかった……」
安堵の言葉を口にしたミコトだったが、ふいにその視線が、サイドテーブルの上に置かれたフルーツの籠に止まった。
それは数時間前、ヤマトが嬉しそうに「太一と一緒に選んだんだ」と手渡してくれたものだった。
『ミコト、紹介するよ。オレの親友の、八神太一だ』
あの時の、誇らしげで、どこか照れくさそうに笑っていたヤマトの顔が脳裏に蘇る。
妹を心配し、勇気を振り絞って再びこの病室を訪れてくれた優しい兄。
そして、別世界で命を懸けて自分を導いてくれた恩人・タイチに瓜二つの、明るく真っ直ぐな少年。
あの二人の真っ直ぐな好意を、自分は完璧な嘘と計算で裏切ったのだ。
「……っ」
ギュッとパジャマの胸元を握りしめ、声を出さないように必死に唇を噛む。
「ミコト……?」
ジークが心配そうにミコトの顔を覗き込む。
「私……最低だね、ジーク。ヤマトお兄ちゃん、あんなに優しく笑ってくれていたのに……太一さんだって、わざわざ私のために来てくれたのに……私、ずっと騙して、嘘ばっかりついて……っ」
罪悪感が堰を切ったように溢れ出し、ミコトはベッドに突っ伏して肩を震わせた。
本当なら「私もテイマーだよ」と打ち明けて、ジークを紹介したかった。
デジタルワールドでの出来事を共有し、兄と共にこの理不尽な運命に立ち向かいたかった。
けれど、それができない絶対の理由が、ミコトの中にはある。
ジークは小さく息を吐くと、ミコトの背中にそっと触れた。
「ミコトが嘘をついたのは、お兄さんを傷つけないためだろう?」
「……え?」
「ミコトは知っているんだ。自分の中に『魔王』っていう、とんでもなく恐ろしい闇の力が眠っていることを……もしお兄さんがそのことを知ったら、どうなる?」
ジークの問いかけに、ミコトは涙で濡れた顔を上げた。
「……ヤマトお兄ちゃんは、すごく責任感が強くて、優しいから……もし私の中に魔王がいるなんて知ったら、絶対に『自分が傍にいなかったせいだ』って、自分を責めると思う。私の運命を全部一人で背負い込んで、私の代わりに傷ついて、ボロボロになっちゃう……」
「そうだろう? 僕もお台場でお兄さんを見たから分かるぜ。あの人は、大切なものを守るためなら自分の身を削るような危うさがある。ミコトと同じ様にな‥‥」
ジークの言葉は、ヤマトの本質を正確に突いていた。
だからこそ、ミコトは沈黙を選んだのだ。テイマーであることを明かせば、必然的に『魔王の因子』の存在も知られてしまう。
あの過酷なデジタルワールドを生き抜いた兄に、これ以上、重すぎる十字架を背負わせるわけにはいかなかった。
「私が……自分でどうにかしなきゃいけないの。この私の中に眠る『悪いもの』に打ち勝って、ちゃんと普通の女の子に戻れるまでは……ヤマトお兄ちゃんには、絶対に秘密にしなくちゃ」
ミコトは袖口で乱暴に涙を拭うと、真っ赤な目で真っ直ぐにジークを見つめた。
その瞳には、先ほどの脆い涙は消え、過酷な運命に一人で立ち向かう「選ばれし子供」としての強靭な意志が宿っていた。
「……必ず自分の運命に決着をつける。ヤマトお兄ちゃんが、本当に安心して笑えるようにね」
「ああ! その意気だぜ、ミコト!」
ジークは嬉しそうに笑うと、ミコトの頬にすりすりと顔を擦り寄せた。
「お前は一人じゃない。僕がずっと傍についている。絶対に、その『魔王の因子』とやらをぶっ飛ばして、胸を張ってお兄さんに会いに行こうぜ!」
「……うん! ありがとう、ジーク」
ミコトは小さな相棒を腕に抱きしめ、窓の外を見上げた。
夜空には無数の星が瞬き、初音島の『枯れない桜』が月明かりに照らされて微かに揺れている。
終わらない夏休みが、静かに終わりを告げようとしていた。
お台場と初音島、それぞれの場所で大切な誰かを想い、すれ違いながらも運命に立ち向かう子供たち。
兄の安堵を守るため、一人で闇と戦う覚悟を決めた少女の孤独な闘いが、ここから本格的に幕を開けようとしていた。
その頃、お台場のマンションでもある意味で戦っている少年が居た‥‥
「あーーっ! もうダメだ、全然終わらねぇ!!」
八神家のマンションの一室で太一の絶叫が部屋の中に木霊した。
机の上には、見事なまでに真っ白な原稿用紙、半分以上手付かずの計算ドリル、そして『夏の生活』と書かれた分厚い冊子が、まるで難攻不落の要塞のように積み上げられている。
その要塞の前に突っ伏した太一は、髪をグシャグシャにかきむしりながら深く長い溜息をついた。
「なんで……なんで夏休みって、こんなに宿題が多いんだよ!?……世界を救うより難易度高ぇんじゃねぇのか?これ……」
恨めしそうにプリントを睨みつけていると、机の上に置かれたパソコンから『ピコン』と軽快な通知音が鳴った。
画面を見ると、光子郎が立ち上げてくれた選ばれし子供たちのチャットルームに、新しいメッセージが届いている。
『太一さん、読書感想文の進捗はいかがですか?』という光子郎からの丁寧な問いかけの下には、空からの容赦ない追撃が続いていた。
『太一のことだから、どうせまだ本すら開いてないんでしょう? もう来週から新学期なのよ!』
「うぐっ……空のヤツ、エスパーかよ」
太一は図星を突かれて顔を引きつらせながら、キーボードを叩く。
『うるせー! デジタルワールドで世界を救うために忙しかったんだから、仕方ねーだろ!』
送信ボタンを押した数秒後、今度はヤマトからメッセージが返ってきた。
『お前な、それを学校の先生に言って信じてもらえるとでも思っているのか? 初音島に付き合ってくれたことには感謝しているが、それ以外の日もずっとサボっていたお前の自業自得だろう?オレはもうとっくに全部終わらせたぞ』
「くそーっ、ヤマトのヤツ余裕ぶっこきやがって! ムカつくけど言い返せねぇ……!」
太一は再び机に突っ伏し、「アグモンのベビーフレイムで、この宿題全部燃やしてくれぇ……」と、今はもうデジタルワールドに帰ってしまった相棒の名前を呼んで現実逃避を始めた。
「お兄ちゃん、また宿題が終わっていないのをデジタルワールドのせいにしているの?」
不意に背後から声がして振り返ると、妹のヒカリが、冷たい麦茶とスイカを乗せたお盆を持って立っていた。
「おっ、サンキュー、ヒカリ! 砂漠でオアシスを見つけた気分だぜ!」
太一は弾かれたように起き上がり、冷えたスイカに勢いよくかぶりつく。
「もう、お兄ちゃんったら。お母さんに『太一の宿題が終わるまでおやつは抜き』って言われていたのに、内緒なんだからね」
ヒカリは苦笑いしながら、太一の横にちょこんと座った。
「へへっ、ヒカリは優しいなぁ。お前は宿題、もう終わったのか?」
「うん。絵日記以外は全部終わったよ」
「マジか……うちの妹、優秀すぎだろ……」
太一はガックリと肩を落とし、残ったスイカの種をププッと吹き出した。
「お兄ちゃんも、サマーキャンプが雪で中止になったり、お台場が霧に包まれたりして、大変だったのは分かるけど……ちゃんとやらないと、先生に怒られちゃうよ?」
「分かっているって……でもさ、あんなすげー冒険して、ヴァンデモンやらダークマスターズやアポカリモンやらと死ぬ気で戦った後に、分数の計算とか漢字の書き取り読書感想文とかやらされても、いまいち実感が湧かないっていうかさ」
太一は椅子に深く寄りかかり、天井を見上げた。
「平和になったんだなぁって、こういう面倒くさい日常が戻ってきて、初めて感じるぜ」
その屈託のない太一の笑顔を見て、ヒカリもふわりと微笑んだ。
命の危険もなく、仲間たちとチャットで悪態をつき合い、宿題に頭を抱える。
そんな「普通の小学生」としてのありふれた夏休みの光景が、今はとても愛おしい。
(そう、ここは平和な現実世界。お兄ちゃんも、ヤマトさんも、みんな無事に帰ってこられたんだよね)
ヒカリは麦茶のグラスについた水滴を指でなぞりながら、ふと、窓の外に広がる青空に視線を向けた。
この空は、遠く離れた初音島へと続いている。
(でも……ミコトちゃんは、今もあの病室で……)
ヒカリの脳裏に、ヤマトの服から感じ取ったあの『気配』と、孤独に戦っているであろう見知らぬ少女の姿が過る。
平和な日常を満喫している太一のすぐ傍で、ヒカリは胸の奥がギュッと締め付けられるような痛みを覚えた。
「……どうした、ヒカリ? 腹でも痛いのか?」
不意に黙り込んだ妹を気遣い、太一が覗き込んでくる。
「う、うんん! なんでもないよ!」
ヒカリは慌てて首を振り、いつもの笑顔を作った。
「さあ、お兄ちゃん! スイカ食べたら、算数のプリントだけでも終わらせちゃおう? 私も丸つけ手伝ってあげるから」
「げっ、鬼コーチ登場かよ……分かったよ、やればいいんだろ、やれば!」
太一は渋々シャーペンを握り直し、再び宿題の山へと向かい合った。
「ええと、時速60キロで走る車が……って、ガルルモンに乗った方が絶対速ぇよな、これ」
「お兄ちゃん、また脱線している!」
八神家のリビングに、他愛のない兄妹のやり取りが響くのだった。
深夜の水越総合病院。
消灯時間をとうに過ぎ、静寂に包まれた病棟を、一つの小さな影が音もなく抜け出していく。
「……よし、誰もいないね」
パジャマの上にカーディガンを羽織ったミコトは、中庭へと続く非常口の扉をそっと閉めた。
彼女の首元には『生命の紋章』が微かな光を帯びて揺れ、左腕には病室のセーフティーボックスから持ち出したばかりの『デジヴァイス01』がしっかりと装着されている。
「ミコト、あんまり無理するなよ? 今日の昼間、お兄さんたちを誤魔化すのに相当神経を使ったんだからさ」
ミコトの肩にちょこんと乗ったチビモンのジークが、心配そうに彼女の頬にすりすりと顔を寄せる。
「大丈夫だよ、ジーク。夜風が涼しくて、かえって頭がスッキリしているくらいだから……それに、ヤマトお兄ちゃんが帰った今夜から、また特訓を再開するって決めていたでしょう?」
ミコトはふわりと微笑むと、初音島の象徴である『枯れない桜』の巨木の裏側――病室からの死角になり、かつ街灯の光も届かない暗がりへと足を踏み入れた。
ここは、デジタルワールドから帰還したミコトとジークが、毎夜こっそりと続けている秘密の特訓場だった。
「じゃあ、今日も基礎体力作りと、回避のステップからいくよ。ジーク、お願い!」
「おう! 手加減なしで行くぜ!」
ジークがミコトの肩からふわりと跳躍し、数メートル先の芝生に着地する。
次の瞬間、小さな身体からは想像もつかない鋭い踏み込みで、ジークは弾丸のようにミコトの足元へ突進した。
「っ……!」
ミコトは息を呑み、咄嗟に右へステップを踏んでジークの体当たりを躱す。
しかし、病弱で長くベッドの上にいた彼女の身体は、決して運動神経が良いとは言えない。
ギリギリで躱したものの、体勢を崩して芝生の上に手をついてしまった。
「あわわわっ! ちょっと、ミコト大丈夫か!?」
「だ、大丈夫……! 止まらないで、次!」
ミコトは荒い息を吐きながら立ち上がり、構え直す。
デジタルワールドの苛烈な戦闘を生き抜いたとはいえ、現実世界のミコトの身体は『普通の病弱な女の子』のままだ。
もし再び敵性デジモンが現れた時、ジークの足を引っ張らないためにも、自分の身を自分で守る最低限の体力をつける必要があった。
「いくぜ!」
ミコトはデジヴァイス01を握りしめ、ジークの動きと呼吸に意識を集中させた。
(左、右……次は、上!)
テイマーとデジモンを繋ぐ見えない絆。
ミコトは最小限の動きでそれを次々と躱していく。
「すごいぜ、ミコト! 今の動き、完璧だった!」
「はぁっ……はぁっ……やった……!」
喜びも束の間、ミコトの胸の奥で、突然『ドクン』と不吉な鼓動が跳ねた。
「……っ!!」
ミコトは胸を掻き毟るように強く押さえ、その場にうずくまった。
体力と精神力を極限まで消耗した隙を突くように、彼女の奥底に眠る『魔王の因子』が、冷たくどす黒い波動となってせり上がってくる。
(ダメ……出てこないで……っ! 私は、負けない……!)
「ミコト!!」
ジークが慌てて駆け寄り、ミコトの背中を小さな両手で必死に支える。
ミコトの全身から微かに立ち昇りかける黒いモヤ。
それは、周囲の桜の木の生気すらも奪い取りそうな、圧倒的な絶望と破壊の気配だった。
「……お願い、生命の紋章……力を貸して……!」
ミコトは震える手で、首元の『生命の紋章』とデジヴァイス01を強く握りしめた。
ヤマトの優しい笑顔を思い浮かべる。
太一の真っ直ぐな瞳を思い出す。
彼女が守りたい『平和な日常』の記憶が、紋章の奥底で暖かな光となって共鳴し始めた。
『――絶対に、ヤマトお兄ちゃんを守るんだから……!』
ミコトの強い意志に呼応するように、生命の紋章が淡いピンク色の光を放つ。
その優しく力強い光が、ミコトの身体を包み込むと、蠢いていた黒いモヤはシュゥゥ……と音を立てて鎮まり、彼女の奥底へと再び封じ込められていった。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
「ミコト……大丈夫か? やっぱり、まだ魔王の因子の制御は……」
芝生にへたり込んだミコトの額には、びっしょりと冷や汗が浮かんでいた。
デジモンとの戦闘特訓よりも、自分自身の内なる闇を抑え込むことの方が、何倍も心身をすり減らす。
「……うん、大丈夫。抑え込めたよ」
ミコトは乱れた呼吸を整えながら、ジークに向かって無理して笑ってみせた。
「ジークが傍にいてくれるから、私は平気……この魔王を完全にコントロールするか、浄化する方法を見つけるまでは、絶対にヤマトお兄ちゃんには秘密にしておかないとね」
「ミコト……」
ヤマトたちが探りを入れるのをやめた今が、ミコトにとっての猶予期間だ。
新学期が始まれば、お台場の兄たちは日常に戻っていく。その間に、初音島で必ず決着をつける。
「よしっ、休憩終わり! ジーク、もう一本いくよ!」
ミコトは震える両足に力を込め、再び芝生の上に立ち上がった。
季節外れの桜の花びらが、夜風に舞って二人の間を通り抜けていく。
遠く東の空が、ほんの少しだけ白み始めていた。
過酷な運命を背負いながらも、兄を守るために己の限界に挑み続ける少女とデジモン。
彼らの誰にも知られない孤独な特訓は、夜明けの光が差すまで延々と続けられたのだった。
夏のうだるような暑さが少しだけ和らぎ、高く澄んだ秋空が広がる9月1日。
長かったようで短かった「終わらない夏休み」はついに終わりを告げ、お台場小学校には日焼けした子供たちの元気な声が戻ってきていた。
「セーーーフ!! な、なんとか間に合ったぜ……!」
始業のチャイムが鳴り終わるのとほぼ同時に、太一が教室のドアを勢いよく開けて滑り込んだ。
肩で息をする太一の顔を見て、窓際の席に座っていた空が「もう、太一ったら相変わらずね」と呆れたようにため息をつく。
「昨日の夜中までヒカリちゃんに手伝ってもらって、泣きながら宿題終わらせていたんでしょう? 朝くらい余裕を持って起きなさいよね」
「うっ、なんでそこまでお見通しなんだよ……でもまあ、これで晴れて自由の身だ!」
太一はカバンを机にドサリと置き、隣の席に視線を向けた。
そこには、頬杖をついてぼんやりと窓の外の空を見つめているヤマトの姿があった。
周囲の喧騒など全く耳に入っていないかのような、どこか上の空の表情だ。
「おい、ヤマト。朝からシケた顔すんなよ。宿題は、全部終わってんだろう?」
太一がちょっかいを出すように肩を小突くと、ヤマトはハッとして視線を戻した。
「……ああ、悪い。ちょっとボーッとしていた」
「初音島の妹さんのことか?」
「……まあな」
ヤマトは短く答え、再び視線を落とした。
夏休みの最後に初音島を訪れた際、ミコトの病室には何の異常もなかった。
デジヴァイスも反応しなかった。
それが事実であり、安心すべき結果だったはずなのに、ヤマトの胸の奥には言語化できない微かな「引っかかり」がずっと残り続けていた。
(オレたちが帰る時、ミコトは確かに笑って手を振っていた……でも、あの笑顔は、どこか無理をして作っていたような……)
「考えすぎだぞ、ヤマト」
太一がニカッと笑い、ヤマトの背中をバンと叩く。
「あいつはすげー元気そうだったじゃないか。それに、もし本当に何かあったら、オレたちがまた飛んでいけばいいだけの話だろ?」
「太一……ああ、そうだな。サンキュー」
太一の裏表のない言葉に、ヤマトは少しだけ表情を和らげた。
日常への帰還と、残された違和感
休み時間になり、廊下に出た太一とヤマト、空の三人は、一学年下の光子郎と合流した。
「おはようございます、皆さん。いよいよ新学期ですね」
「おう、光子郎! ネットの様子はどうだ? なんか変なデジモンが暴れているとか、ゲートが開いたとか、そういうニュースはないか?」
太一の問いに、光子郎は首を横に振った。
「全くありません。世界中のネットワークを調査・監視をしていますが、デジタルワールドからの干渉を示すデータは一切検出されていません……現実世界は、完全に平和な状態に戻ったと言っていいでしょう」
「そっか……なんか、本当に終わっちゃったんだなって感じね」
空が廊下の窓から校庭を見下ろしながら、ぽつりとこぼした。
数週間前まで、彼らは見知らぬ異世界で命がけのサバイバルを繰り広げ、強大な敵と戦っていた。
しかし今、手の中にあるのはデジヴァイスや紋章ではなく鉛筆や消しゴムで、立ち向かうべき相手はヴァンデモンでもダークマスターズでもなく、今月中に行われる学力テストだ。
平和な日常への帰還。
それは彼らがデジタルワールドでずっと願い続けていた悲願であり、手放しで喜ぶべきことのはずだった。
だが、同じ頃。
別の階の教室で、ニ年生のヒカリは一人、配られたばかりの新しいプリントを見つめながら静かに唇を噛み締めていた。
(平和な世界……本当に、そうなのかな?)
光子郎の言葉を借りるなら、現実世界にデジモンの気配はない。
しかしヒカリの記憶には、ヤマトの服から漂っていたあの『悪いもの』の気配が、黒い染みのようにこびりついて離れないのだ。
(ミコトちゃん……あなたには今、何が見えているの?)
ヒカリは窓枠に手をかけ、遠く離れた海の手の方向――初音島があるであろう南の空を、祈るように見つめた。
お台場の子供たちが日常のルーティンへと戻り始めた、その日の深夜‥‥
初音島の水越総合病院では、異変が静かに、しかし確実に牙を剥き始めていた。
「……うっ、あ……っ」
個室のベッドの上で、ミコトは胸を強く押さえながら、荒い息を繰り返していた。
額には脂汗が浮かび、シーツを握りしめる指の関節が白く変色している。
「ミコト! しっかりしろ、ミコト!!」
ベッドの横で、ジークが半狂乱になって叫ぶ。
昨夜の特訓の後から、ミコトの体調は急激に悪化していた。
いや、ただの体調不良ではない。
彼女の奥底に封じられていた『魔王の因子』が、まるで新学期の始まりという時間の区切り、あるいは兄たちが完全に警戒を解いたこのタイミングを狙い澄ましていたかのように、爆発的な活性化を始めたのだ。
ドクン、ドクン、ドクン……!
ベッド脇のサイドテーブルの上で、本来なら邪悪な力を抑え込むはずの『生命の紋章』が、警告音のように不規則な赤い明滅を繰り返している。
ミコトの虚ろな瞳の奥に、どす黒い闇が渦を巻き始める。
病室内の空気が急激に冷たくなり、テーブルの上に置かれたコップの水が、パキパキと音を立てて凍りつき始めた。
そして――。
『ピィィィィィィィン……!!』
鼓膜を突き刺すような高周波の電子音とともに、ノートパソコンの画面から溢れ出た黒い霧が、病室の床を這うように広がっていく。
歪んだ空間を無理やり押し広げ、ズルリと姿を現したのは、外見はデビモンなのだが、身体全体が黒いデビモンと異なり、そのデビモンは青白い色をしていた。
まだ夏の暑い季節の筈にもかかわらず、そのデジモンが出現した途端、病室内は一気に冷凍庫の様に寒くなる。
青白いデビモンの正体は、アイスデビモンであった。
「……ミツケタ、ゾ……闇ノ因子ヲ宿ス、器の子供……!」
赤い眼光が、ベッドの上で激痛に身をよじるミコトを捉える。
「ミコトには指一本触れさせないぞ!」
チビモンのジークが、ミコトを背中に庇うようにして立ちはだかる。
しかし、相手は完全体の凶悪なデジモンだ。
幼年期Ⅱクラスのチビモンとは、大人の男と赤ん坊以上の実力差があった。
「フン、たかが幼年期レベル有象無象の雑魚が……失せろ!」
アイスデビモンが虫でも払うかのように軽く腕を一振りする。
それだけで、病室内に凄まじい寒波と衝撃波が吹き荒れた。
「うわああああっ!」
ジークはまともに衝撃を食らい、壁際まで吹き飛ばされて激しく叩きつけられる。
「ジーク……っ!」
ミコトは叫ぼうとしたが、胸の奥からせり上がる『魔王の因子』の拒絶反応が彼女の体力を奪い、声が掠れて伝わらない。
病室内が次第に凍り始めていく。
空間そのものが、アイスデビモンの持つ「堕落の力」によって浸食し始めていた。
「ハハハ! 苦しめ、もっと闇の力を解放しろ! その時こそ、俺がお前の力を完全に手に入れる時だ!」
アイスデビモンが笑いながら、ミコトの細い首筋へと鋭い爪を伸ばす。
(だめ……ここで私が諦めたら……ヤマトお兄ちゃんが……!)
薄れゆく意識の中で、ミコトは病室のサイドテーブルに置かれたフルーツの籠を見つめた。
兄が自分のために選んでくれた、温かい日常の象徴。
まだ死ねない。
ここで闇に飲まれるわけにはいかない。
「……ジーク……!」
ミコトは残された全ての力を振り絞り、床に落ちていた『デジヴァイス01』を掴み、胸元の『生命の紋章』を強く握りしめた。
「お前なんかに、ミコトを渡すもんかあぁぁぁ!」
ボロボロになりながらも、ジークが再び立ち上がる。
その瞳には、かつてデジタルワールドの戦場を潜り抜けてきたテイマーの相棒としての、不屈の炎が宿っていた。
その瞬間、ミコトの生命の紋章が、これまでにないほど強烈なさくら色の光を放った。
「光……だと!? 闇の器のはずが、なぜこれほどの聖なるエネルギーを!?」
アイスデビモンが思わず腕で顔を覆い、後退りする。
デジヴァイス01の画面に、爆発的なデータ波形が走り、光の奔流がジークの身体を包み込んだ。
『チビモン、進化ーーー!!』
まばゆい光の中から、引き締まった青い身体と、鋭い角を持つ成長期デジモンが姿を現す。
『――ブイモン!!』
「よし、身体が軽いぜ! いくぞ、アイスデビモン!」
ブイモンに進化を遂げたジークは、狭い病室のベッドの柵を蹴り、驚異的な跳躍力で天井近くまで跳ね上がった。
「小癪な!!コールドブラッド!!」
アイスデビモンが目から強力な闇と冷気の光線を放つ。
しかし、ミコトの瞳はすでにその軌道を正確に捉えていた。
「ジーク、左の壁を蹴って、懐に飛び込んで!」
「応っ!」
ミコトの的確な指示(コマンド)が、デジヴァイスを通してブイモンの脳内にダイレクトに響く。
ブイモンは空中で身を翻し、壁を蹴って光線を紙一重で回避。最短距離でアイスデビモンの胸元へと肉薄した。
「喰らいやがれ! ブイモンヘッドーーー!!」
渾身の頭突きが、アイスデビモンの胸の骨飾りに炸裂する。
バキィィィン! と重い破壊音が響き渡り、アイスデビモンが、その衝撃で窓ガラスを突き破って中庭へと弾き飛ばされた。
「……はぁ、はぁ……」
ブイモンは着地し、すぐに振り返ってミコトのもとへ駆け寄る。
「ミコト、今のうちに……!」
しかし、外へ飛ばされたアイスデビモンは、青白い羽を羽ばたかせて中庭の宙に浮き、激しい怒りに燃える目で病室を睨みつけていた。
胸の骨飾りにはひびが入っているものの、決定打には至っていない。
「よくもやってくれたな、成長期の分際で……! 凍らせてやる、この島の人間ごと、全てをな!」
アイスデビモンが両手を天に掲げると、初音島の夜空へ向けて不気味な闇の霧が広がり始める。
病室という密室の危機は脱したものの、舞台は病院の中庭へと移る。
「このままじゃ、病院のみんなが巻き込まれちゃう……!」
ミコトは咄嗟に状況を判断した。
ここで戦えば、無関係な入院患者や医療スタッフに被害が及ぶのは確実だ。
「ジーク、お願い! 奴を病院から引き離して!」
「分かっているぜ、ミコト! 奴の力を超えるには……僕も成熟期になるしかない!」
ミコトが『デジヴァイス01』を夜空へ掲げると、液晶画面がかつてないほど強烈な闇と光の混じった輝きを放つ。
その光の奔流がブイモンを包み込んだ。
『ブイモン、進化――! デビドラモン!!』
まばゆい光が弾け、そこに現れたのは複数の紅い複眼と禍々しい漆黒の翼を持つ、魔竜型デジモン・デビドラモンだった。
本来なら凶暴なデジモンだが、ミコトとの絆がその理性を繋ぎ止めている。
「乗って、ミコト!」
「うん……っ!」
ミコトはデビドラモンの背中に飛び乗り、首にしっかりと掴まった。
デビドラモンは力強く羽ばたき、アイスデビモンを挑発するように咆哮を上げながら、初音島の海岸線へと一直線に飛翔する。
「逃がすか、魔王の器め……!」
標的を追って、アイスデビモンも猛スピードで夜空を滑空し始めた。
深夜の波音が響く、誰もいない初音島の海岸。
デビドラモンが砂浜に着地して反転した瞬間、追いついたアイスデビモンからの容赦ない冷気攻撃が襲いかかった。
「クリムゾンネイル!」
デビドラモンが巨大な爪で反撃を試みるが、成熟期同士とはいえ、デジタルワールドの深淵からやってきたアイスデビモンの戦闘力は桁違いに強力だった。
「無駄だ。凍てつけ、『フロストクロウ』!!」
「しまった!!」
冷酷な宣告と共に放たれた絶対零度の冷気が、デビドラモンの身体を激しく打ち据える。
「ジーク!!」
ミコトの悲鳴が波音に掻き消された。
砂浜に墜落したデビドラモンは、右翼から下半身にかけての半分以上を分厚い氷に覆い尽くされ、完全に身動きが取れなくなっていた。
「……ここまでだな。器の小娘よ」
行動不能になったジークを一瞥し、アイスデビモンが悠然とミコトへと歩み寄る。
ミコトは砂浜に尻餅をついたまま、後ずさることしかできない。
「抵抗するな。お前をそのまま氷漬けにして、デジタルワールドへと連れ帰ってやろう……」
鋭い氷の爪が、ミコトの華奢な肩へと振り下ろされようとした、その時だった。
――ドクンッ!!
ミコトの胸の奥で、暴発寸前だった『魔王の因子』が臨界点を突破した。
「……っ!?」
咄嗟にミコトを捕らえようとしたアイスデビモンが、目に見えない強烈な衝撃波に弾き飛ばされた。
うつむくミコトの全身から、どす黒く、しかしどこか甘い香りを漂わせる『闇のオーラ』が、まるで間欠泉のように噴き上がり始めたのだ。
「な、なんだ?この力は……!? デーモン様の力……いや、違う!? 貴様、一体何者だ!!」
戦慄するアイスデビモンの目の前で、ミコトから立ち昇る闇のオーラは、初音島の夜空を舞う『枯れない桜』の花びらを吸い込みながら、巨大な一つのシルエットを形作っていく。
それはデーモンのような屈強な悪魔の姿ではない。
ミコトの魂の輝きと、初音島に満ちる不思議な桜の力が、彼女の中に植え付けられていたデーモンの因子を根本から変異させ、全く別の魔王を生み出してしまっていたのだ。
オーラが形作ったのは、背中に漆黒の翼を生やした、息を呑むほど妖艶で美しい女性の姿だった。
『これは妾の器ぞ‥‥気安く触れるでない。消え去れ、下郎が!!』
夜の海岸に、ゾクッとするほど蠱惑的で、絶対的な威厳に満ちた『妖艶な女性の声』が響き渡った。
「ば、馬鹿な……デーモン様ではない別の魔王が新たに誕生したとでも言うのか……!? ぎゃああああっ!!」
アイスデビモンが逃げ出そうと背を向けた瞬間、女性のシルエットがふわりと腕を振るった。
ただそれだけで、空間そのものを腐食させるような圧倒的な闇がアイスデビモンを飲み込み、悲鳴を上げる間もなく、一瞬にして完全なデータへと分解し、消去(デリート)してしまった。
妖艶なる笑い声と静寂
敵が完全に消滅した砂浜に、再び静かな波音が戻る。
呆然と座り込むミコトの脳内に、先ほどの声が直接、甘く囁きかけてきた。
『生まれたばかりにいきなり力を使ってしまったわ‥‥妾はしばらくまた眠るとする。またいつか会おうぞ、ミコト。フフフフ‥‥』
鼓膜の奥を撫でるような、不気味で妖艶な女性の笑い声。
それがすうっと遠ざかっていくのと同時に、ミコトの身体から立ち昇っていた闇のオーラは霧散し、完全に姿を消した。
「……ミ、ミコト……!」
オーラが消え去った直後、パキンッという乾いた音と共に、ジークの身体を覆っていた分厚い氷も跡形もなく砕け散った。
呪縛から解放されたジークは、成長期のブイモンの姿へと戻りながら、慌ててミコトの元へと駆け寄る。
「大丈夫か、ミコト!? 今の、いったい何だったんだ……!?」
「……わからない。でも……」
ミコトは震える手で、自分の胸元をそっと押さえた。
荒れ狂っていた魔王の因子は、今は嘘のように静まり返っている。
しかし、彼女の内に巣食う「悪いもの」は消えたわけではなかった。
むしろ、初音島の力と結びつき、より不可解で強大な別の『何か』へと変貌を遂げてしまったのだ。
「私の中に……居たデーモンが別の何かに変わった……?」
漆黒の海を見つめながら、ミコトは言いようのない寒気に身を震わせた。
終わらない夏休みが明け、お台場で兄たちが平和な日常を歩み始めたその裏側で、ミコトの過酷な運命の歯車は、予測不能な方向へと大きく狂い始めていた。