デーモン城へ入城するため、フォルダ大陸に散らばる「五つのタグ」を求め、最初の試練の地・ディノバレーへと足を踏み入れたタイチとミコトたち。
そこで一行を待ち受けていたのは、大地のタグの番人である強大な完全体デジモン・トリケラモンだった。
成熟期を遥かに凌駕する圧倒的なパワーとあらゆる攻撃を跳ね返す強固な外皮。
ゼロ丸の猛攻すら通用しない絶望的な状況の中、タイチとミコトはトータモン戦の経験を活かした驚異の連撃を敢行する。
デビドラモンとゼロ丸の完璧な連携により、トリケラモンの「内側」へ必殺のブイブレスアローを叩き込み、見事その巨体を撃破した。
激痛に苦しむが、なおも完全体としてのプライドのために立ち上がろうとするトリケラモン。
しかし、病床で孤独に世界を呪っていた過去を持つミコトの「痛みを分かち合おうとする言葉」が、彼の頑なな心を激しく揺さぶる。
かつて自分を救ってくれた恩師の面影をミコトに重ねたトリケラモンは、ついに戦意を失い、自らの消滅と引き換えにタグを渡す覚悟を決めるのだった。
そこへ突如現れたデーモンの刺客・エテモンキー!
裏切りを許さぬ冷酷な凶弾がトリケラモンを襲うが、ミコトは「誰も消させない」と身を挺してその前に立ちはだかる。
彼女の魂の叫びに呼応するように溢れ出した「さくら色の浄化の光」は、エテモンキーの攻撃を相殺し、谷のデジモンたちをデーモンの呪縛から解き放った!
しかし、強大すぎる奇跡の代償はあまりにも重く、ミコトは倒れてしまう。
仲間を救い、確かな命の絆を紡いだ少女の運命は――!?
「おい、しっかりしろ、ミコト……!」
タイチは震える手でミコトの額に触れた。
ひどく熱い‥限界を超えた能力の使用は、彼女の壊れやすい小さな身体を確実に蝕んでいた。
「……し、信じられん。自らの命の危険を承知で、敵である俺たちを救ったというのか!?」
その様子を、先ほどまで敵として対峙していた完全体――トリケラモンが呆然と見下ろしていた。
「僕のパートナーはそういう子なんだ」
ミコトの横で、デビドラモンが消え入りそうな声で呟く。
その紅い瞳は激しい後悔に揺れていた。
ミコトの荒い呼吸を何度も確認し、その小さな胸が上下するたびに、胸を締め付けられるような痛みを覚えている。
「どんなに自分が傷ついていても、誰かが泣いているなら迷わず光を差し出す……。なのに僕は、またミコトにこんな無理をさせてしまった……」
「……デーモンの支配下では、傷ついた仲間は役立たずの烙印を押されて切り捨てられるのが常だった。だが、彼女は違ったな」
トリケラモンは重い足取りで近づくと、デビドラモンの腕の中でぐったりとしているミコトを覗き込んだ。
その巨大な角や強靭な肉体からは完全に殺気が消え去り、ただ静かに少女の無事を願う温かさが宿っていた。
「俺は力を求めるあまり、デーモンの甘言に心まで塗り潰されていた‥‥だが‥‥今、この少女から受けた光は、俺の中にあった『歪み』を完全に焼き切ったようだ。少年よ‥‥お前たちが求めるタグはあの洞窟の中にある。我々デジモンには触れる事が出来ん代物だ。持っていくがいい‥‥俺には、もはやアレを守る資格はない。いや、守るべき『主』を見誤っていたのかもしれん」
「あ、ああ‥‥」
タイチはデビドラモンにミコトを任せ、急ぎ足で洞窟の中へと入って行った。
奥へと進むと、岩とガラスで出来た厳重なカプセルの中に怪しくも力強い輝きを放つ、赤いV字の「大地のタグ」が納められていた。
「これか‥‥!?」
タイチはカプセルからタグを取り出すと、一刻を争う事態に、すぐさまミコトたちの元へと引き返した。
「ガーボ、ここから一番近い町や村はどこだ!?」
「え、えっと、此処からならネットオーシャンの『ネットサーフ村』が一番近い集落だよ! しかもその村は、海のタグがある場所にも一番近い村なんだ!」
「ふむ、確かネットサーフ村には確か海の賢者と呼ばれるデジモンが居ると聞く。そのデジモンならお前たちの力になってくれるだろう」
ガーボが次のタグの在処を説明し、トリケラモンがネットサーフ村の追加情報を伝える。
「次は海か……よし、すぐに向かうぞ!」
タイチがミコトをしっかりと抱き上げ、移動の準備を始めると、トリケラモンが静かにその巨体を伏せた。
「ならば、俺の背中に乗れ」
「えっ? でも、デビドラモンなら空を飛べるし、その方が早いんじゃあ……」
ゼロ丸が素朴な疑問を口にする。
「言っただろう? 完全体はスピードもパーフェクトだと……それにデビドラモンでは全員を乗せる事は出来ん」
トリケラモンは確かな自信を覗かせてニヤリと笑った。
「……いいのか?」
「ああ。その娘を早く休ませ、医者に診せねばならないのだろう?」
タイチが問うと、トリケラモンは頷き、一行はトリケラモンの巨大な背中へと飛び乗った。
「乗ったな?では、行くぞ!!」
咆哮と共に、トリケラモンが大地を蹴る。
かつてはデーモンの部下としてタグの番人として立ちはだかった強者が、今はミコトという小さな少女の護衛として、その巨体を大地に轟かせている。
トリケラモンの言う通り、地を走るデジモンとはいえ、その加速と速度は段違いだった。
周囲の景色が凄まじい速さで後ろへと流れていく。
その背中で、デビドラモンはミコトの体を風から守るように翼を広げながら、じっと自分の爪を見つめていた。
(完全体の足なら、これほどの速度が出るのか……?もし、僕が完全体に進化できていれば、ミコトを苦しめることなく、すぐに安全な場所へ連れていけたかもしれないのに……!)
己の無力さへの焦燥と悔しさが、暗黒デジモンの胸の内を黒く焦がしていく。
主の脆さを誰よりも知っているからこそ、守りきれなかった自身の未熟さが狂おしいほどに恨めしかった。
やがて、赤茶けた荒野の先に、どこまでも広がる蒼い海――ネットオーシャンが見えてきた。
波打ち際にはデジタルデータが輝きを放ちながら打ち寄せられ、幻想的な光景を創り出している。
「見えた!!あれがネットオーシャンだ!!」
トリケラモンが地響きを立てて停止すると、タイチはミコトを抱きかかえたままその背から降り立った。
「海か……デジタルワールドの海は、陸地とはまた違ったエネルギーを感じるな」
タイチの腕の中で、ミコトの呼吸は少しずつ整いつつあった。
それでも、彼女の消耗は深刻だ。
「では、俺は此処までだ。俺の裏切りはエテモンキーからデーモンに伝わるだろう。ディノバレーに居る仲間たちをデーモンの魔の手から守るのが、これからの俺の新たな使命だ。だが、もし生き残り、お前たちに危機が迫った時には……必ずこの命を懸けて駆けつけよう」
「ああ、此処まで運んでくれてありがとな、トリケラモン」
「……トリケラ、モン……」
その時、かすかな声が響いた。
ミコトがうっすらと目を開けてトリケラモンをジッと見つめていた。
「生きて……そして、今度は間違えないで……大切なものを守ってね……」
トリケラモンは驚きに目を見開いた後、深く頭を下げた。
「ああ、ミコト。お前に拾われたこの命、決して無駄に散らすつもりはない……では、また会う時まで、さらばだ!!」
かつての宿敵はそう言い残し、守るべき仲間たちが待つディノバレーへと力強く駆け戻っていった。
潮風が、一行の間を静かに吹き抜ける。
トリケラモンの背中を見送りながら、ゼロ丸がぽつりと呟く。
「……変わったんだね、あいつ」
「ああ、ミコトが変えたんだよ。力で屈服させたんじゃない。“救われた”からこそ、彼は新たな自分の道を見つけたんだ」
デビドラモンが静かに応じる。
タイチは腕の中のミコトを見下ろした。
少し呼吸は落ち着いたものの、顔色は依然として白い。
その小さな身体はひどく軽く、少し強く抱けば壊れてしまいそうなほどだった。
「……やれやれ、まったく、無茶しやがって」
タイチは小さく舌打ちする。
怒りではなく、ミコトの自己犠牲的な危うさが、たまらなく怖かったのだ。
自分が倒れる事すら覚悟して、他人を救おうとする。
それは強さでもあり、危うさでもあった。
「タイチさん……」
ミコトが弱々しくタイチの服の裾を掴む。
「ん?どうした?」
「ごめんなさい……また私、迷惑をかけちゃいました……」
「……馬鹿」
短く返したタイチの声は、不器用だがとても優しかった。
「助けたいって気持ちは分かる。けどな、お前が倒れたら意味ねぇだろう。お前が消えたら、悲しむ奴がここにたくさんいるんだぞ」
ミコトは少し目を見開く。
「……私なんかのために?」
「“なんか”って言うな」
タイチは真っ直ぐにミコトの灰色の瞳を見つめた。
「ゼロも、デビドラモンも、ガーボも……俺だって困る。お前がみんなを助けたいと思うのは、お前のすごいところだ。でもな、ミコト。お前は肝心なことを忘れている」
「肝心なこと……?」
「そうだ。その助けたい『みんな』の中に、お前自身は含まれているのか?」
「えっ……?」
タイチのその言葉にミコトの呼吸が一瞬止まった。
潮風が静かに吹き抜け、波の音だけがやけに大きく聞こえる。
ミコトは呆然とした表情でタイチを見上げた。
今まで一度も考えたことのなかった問いを突きつけられ、ゆっくりと瞳を瞬かせる。
彼女の薄紫色の瞳に、海岸に打ち寄せるデータの波が反射して揺れている。
「自分自身を‥助ける……?」
幼い頃から、病室という閉ざされた世界で「せめて誰かの重荷にならないように」とだけ願ってきた彼女にとって、それはあまりにも新鮮な言葉だった。
「お前のヒーリングは凄いが、ホーリーエンジェモンも言っていた通り諸刃の剣だ。だからまずは、自分自身を一番に大事にしろ。お前が笑っているからデビドラモンも戦えるし、お前が生きているから俺たちも旅を続けられるんだ」
タイチの確信に満ちた言葉に、ミコトの目から一筋の涙が零れ落ちた。
それは苦痛からではなく、自分という存在がここにいていいのだという、絶対的な安心感と信頼からくる安堵の涙だった。
彼にとっても、勝率100%を目指してゼロ丸を鍛え上げる日々の中で、パートナーを危険に晒すことへの恐怖は常に隣り合わせだ。
だからこそ、ミコトが平気な顔をして自分の命を削る姿が、何よりも胸を締め付ける。
「……ごめんなさい、タイチさん。でも、私には……これしか、ないから‥‥」
ミコトは弱々しく笑った。
その笑顔はあまりにも透明で、今にも消えてしまいそうだった。
「お前の『あるもの』がヒーリングだけだなんて、誰が決めたんだよ」
タイチはふいと視線を海の方へ向けた。
水平線の彼方、デジタルデータの波が複雑に混ざり合い、光を乱反射させている。
「さっきお前が光を放った時、ティラノモンたちもトリケラモンも、ただ助けられただけじゃなかったはずだ。彼らは、お前の言葉を聞いて『変わろう』と思ったんだ。それって、お前自身の魂の力じゃないのか?」
ミコトはその言葉を咀嚼するように、小さく息を呑む。
自分の力‥それは、ただ誰かを癒すためだけの道具ではなく、誰かの閉ざされた心を開くための、確かな意志の力。
「私の‥魂‥‥」
「そうだ。だから、まずは自分自身を大事にしろ。お前が笑っているから、デビドラモンも戦える。お前が生きているから、俺たちもこの旅を続けられるんだ」
太一の不器用な、しかし確信に満ちた言葉に、ミコトの目から一筋の雫が零れた。
それは痛みや疲労からくるものではなく、自分という存在を必要としてくれる場所が、この過酷な戦場の中に確かにあったという安堵の涙だった。
「……わかった。私、頑張ってみる。自分を助けるために、まずは……ちゃんと、強くなる」
ミコトは小さく、だがはっきりと頷いた。
「ああ、その意気だ。さて、その前にまずはお前を休ませないとな」
タイチはミコトを抱き上げたまま、ネットサーフ村へと足を踏み入れた。
ネットオーシャンのネットサーフ村の浜辺にいくつもの家が並んでいるものの、外には人っ子一人いない。
「おい、ガーボ。本当にここは村なのか?」
「廃村の間違いじゃないか?」
タイチとデビドラモンがガーボに確認するかのように尋ねる。
「あ、あれ? おかしいな……みんな海へ漁にでも出ているのかな?確か海のタグはこの近くの海中にあるはずなんだけど……」
「よし、だったらボクが潜ってタグを取ってくるか、海に居る誰かを呼んでくるね!」
勢いよく海へと飛び込むゼロ丸。
「……なぁ、タイチ。ゼロ丸って海に来たことあったっけ?」
デビドラモンの不穏な質問に、タイチの動きが止まる。
「そういえば無いな‥‥」
「ゼロ丸は泳げるの?」
「あっ‥‥」
タイチはこれまでゼロ丸を海や深い川、湖などの水中戦を経験させていない事に気づく。
海が初体験のゼロ丸は案の定、すぐに海面に浮き上がり、
「ガボッ!? ゴボッ!! だ、だじげでぇ~!!」
と派手に溺れ始めた。
「げっ、やべぇ!!ゼロの奴、溺れている!?」
「わぁ!?ゼロの奴、カナヅチかよ!?」
「しょうがないな‥‥」
デビドラモンが素早く飛び、ゼロ丸の両腕を掴んで海岸まで引き上げる。
パンパンになったお腹をデビドラモンに押され、ゼロ丸は口から大量の海水を吐き出して激しく咳き込んだ。
「げほっ、ごほっ……! 海の中じゃ呼吸できないんだね……!」
「当たり前だろう、お前は水棲デジモンじゃないんだから……それにしても弱ったな、誰もいないんじゃミコトを休ませる場所も――」
「クスクス……」
その時、どこからか小さな笑い声が聞こえてきた。
タイチが鋭く振り返ると、海面から白いアザラシのような体型をし、頭部にはオレンジ色の毛が生えたデジモンが顔を出していた。
「誰だ?お前は?」
「僕はゴマモンの『ゴン』。君たち、面白いね」
「すまないが、ゴン。この子を休ませたいんだが、どこか休憩出来る場所を知らないか?」
「それなら、僕の家においでよ」
ゴンの好意に甘え、一行は彼の家に上がらせてもらうことになった。
「すまねぇな、ゴン。助かったよ」
「いいってことさ……はい、これ。その子に飲ませてあげて。よく効く村の秘薬だよ」
ゴンが小さな小瓶を差し出す。
しかし、タイチはその手を受け取らず、鋭い視線で小瓶とゴンを交互に見つめた。
「……その薬、本当に大丈夫なのか?」
張り詰めた空気にゴンは一瞬目を丸くしたが、すぐに納得したように苦笑した。
「用心深いんだね。でも、怪しいものじゃないよ。ほら」
ゴンは小瓶の蓋を開けると、自ら薬を少しだけ口に含んで見せた。
「僕たちが普段から使っている気付け薬さ。これで信じてくれる?」
タイチはその様子を見て、ようやく警戒を緩めた。
「……疑って悪かったな。ありがたく使わせてもらうよ」
薬を飲ませると、ミコトの荒かった息遣いは急速に落ち着き、深い眠りへとついた。一同はホッと胸をなでおろす。
「なぁ、ゴン。この村には『海の賢者』と呼ばれるデジモンがいるって聞いたんだが……」
タイチの問いに、ゴンは驚いて身を乗り出した。
「えっ? どうしてそれを知っているんだい!?一体、誰から聞いたの!?」
「トリケラモンから聞いたんだ」
「トリケラモン!?あのディノバレーに住んでいる、暴れん坊のトリケラモンの事かい!?」
ゴンはトリケラモンの名を聞き驚愕する。
「前はそうかもしれないが、今のアイツは違うよ‥‥アイツは立派な戦士になったんだ」
「へぇ~あいつがね‥信じられないな‥‥だけど、海の賢者たるホエーモン様は、普段ははるか深海にいらっしゃって、滅多に姿を現さないんだ。海に選ばれた清らかな魂を持つ者しか会うことができない、っていう伝説があるくらいさ」
「神秘的だね……でも、今はそれどころじゃないんだ」
ガーボが深刻な顔で割り込む。
するとタイチはドアの方から何やら自分たちに向けられる視線に気づく。
「「「っ!?」」」
タイチが振り返ってみるとそこには二、三匹の訝しげな視線があったが、タイチと目がかち合った途端急速に逃げてしまった。
「なぁ、ゴン。さっき村の奴らが俺たちの姿を見るなり逃げ出したのはどうしてだ?」
ゴンの表情が途端に暗くなった。
「……みんな、ピリピリしているんだ。この海に『悪魔』が現れてからね」
「「「悪魔?」」」
全員の視線が、ウイルス種である暗黒デジモンのデビドラモンに集中する。
「ちょっと待て!!僕じゃないぞ!!」
「わかっているよ。君が悪いデジモンじゃないのは、その女の子を必死に守ろうとしている姿を見ればわかるさ……僕たちが『悪魔』って呼んでいるのは、デーモン軍が放った海のタグの番人の完全体デジモンのことだよ。そいつの手下が浅瀬まで襲ってきて、食べ物を強引に奪っていくんだ。それでみんな怖がって、大好きだった海に近づくこともできないのさ」
「ねぇ、ガーボ‥悪魔ってもしかして‥‥」
「ああ、海のタグの番人‥デーモンが放った刺客の完全体デジモンの事だね‥‥」
デビドラモンがガーボにこっそりと耳打ちする。
海のタグがある場所に一番近い村なので、デーモンの刺客であり、タグの番人でもある完全体デジモンが突然この村の近くに居てもおかしくはないが、ゴンたちこの村に住むデジモンたちにしてみれば迷惑な話だ。
敵もタグも、すべては海の中‥‥陸と空が専門のデビドラモンは水中では思うように戦えず、ゼロ丸にいたっては先ほど見た通りのカナヅチだ。
「よし、ゼロ。水泳の特訓開始だ!! 海に潜れなきゃ、完全体相手に勝率100%なんて夢のまた夢だからな!」
タイチが拳を握りしめて宣言すると、ゼロ丸は顔面蒼白で後ずさった。
「い、いやいやいや!? さっき死にかけたんだけど!? あれは絶対“海”っていう名前のモンスターだよぉ!」
「甘えんな! 泳げないなら特訓あるのみだ!」
「タイチの100%理論、たまに無茶苦茶なんだよぉ!」
ゼロ丸が涙目で叫ぶ。
その様子を見て、ゴンがくすりと笑った。
「でも、泳げないなら本当に危ないよ。深海の悪魔の縄張りへ行くには、浅瀬だけじゃ辿り着けないから」
「だろ? だから特訓だ!」
タイチはそう言うと、ゼロ丸の肩をバンバン叩いた。
「ううぅ~……」
ゼロ丸は完全に尻尾を垂らしている。
その時だった。
「……タイチさん」
部屋の奥から弱々しい、けれど凛とした声が聞こえた。
振り返ると、ミコトがゆっくりとベッドから起き上がっていた。
「ミコト! まだ起きちゃダメだ!」
デビドラモンが慌てて駆け寄る。
「ううん、大丈夫……薬のおかげで、もうすっかり楽になったから」
ミコトはまだ白い顔のまま、真っ直ぐにタイチを見つめた。
「……水泳の練習、私も、やります」
「は?」
タイチが思わず聞き返す。
「私もゼロ丸さんと同じで泳げません。でも……強くなるって決めたから。いつまでも守られてばかりじゃ嫌なんです。だから、一緒に頑張らせてください」
その瞳には、かつてないほど強い意志の光が宿っていた。
ミコトのその言葉にゼロ丸がぱちぱちと瞬きをする。
「ミコトも泳げないの?」
先程、ミコト本人が泳げない事を公言したのだが、ゼロ丸は確認するかのようにミコトへと尋ねる。
「うん……」
ゼロ丸が感動したようにミコトの両手を握る。
「ミコト……仲間だ!! 僕、一人だけカナヅチかと思って心細かったんだ! 一緒に頑張ろうね!」
「はいっ、よろしくお願いします、ゼロ丸さん!」
ミコトの顔に、前を向く者だけの明るい笑顔が咲く。
それを見たタイチは、やれやれと肩を竦めながらも嬉しそうに笑った。
「ったく、仕方ねぇな。それじゃあ、まずは形から入るか……って、水着はどうしよう?」
服のままでは水を吸って重くなり、満足に泳ぐことができないので特訓にならない。
かと言って、下着姿で海に入るは恥ずかしい。
「なぁ、ゴン。この村に水着のレンタルしている店は無いか?」
そこでゴンに尋ねると、
「ん?海に入る為の服なら、レンタルしているよ」
「本当か!?」
「うん。此処は海水浴場でもあるからね。人型デジモンの為に色々なサイズがあるんだ」
「それはありがたい。案内してくれ」
「分かった。こっちだよ」
ゴンの案内の下、タイチとミコトはレンタル水着屋へとやって来た。
水着のレンタルショップには、確かにゴンの言う通り、人間が着る水着と変わりない形の水着があった。
サイズも色もデザインも色々とある。
「俺はこれにするか」
タイチはオレンジ色のバミューダタイプの水着を選ぶ。
「ミコト、選び終わったか?」
一方、ミコトは棚の前で真っ赤になって立ち尽くしていた。
「タイチさん……その、サイズが、全然合いません……」
「えっ?サイズが合わない?」
用意されていたのは、エンジェウーモンなどの高世代の人型デジモンを想定したグラマラスなセパレートやビキニばかりだった。
小学二年生のミコトの体型ではブカブカで、使い物にならない。
「ゴン……人型の成長期サイズでこれとは別の形の水着は無いのか?」
「うーん、成長期の人型デジモンで女性っぽいとなるとパルモン、フローラモン、アルラウモンくらいなんだけど、そうしたデジモンたちにはあんまり水着を着る習慣がないからね。用意してあるのは、どうしてもあっちの大人びたサイズになっちゃうんだ」
「なるほどな……」
いくら特訓とはいえ、まだ小学二年生のミコトに着せられるようなものは一つとしてなかった。
もしそんなものを着せたら、ブカブカでまともに動けないどころか、ホーリーエンジェモンに知られたら「不届き者め!」とそれこそ天罰を下されかねない。
「ご、ごめんなさい……私がもっと大きければ良かったんですけど……」
すっかり縮こまるミコトに、タイチはポンと手を置いた。
「気にするな。こうなったら実用性重視だ。男物の一番小さいバミューダ水着を履け」
「えっ、男の子用ですか……?」
ミコトは少し戸惑ったように、タイチが指差した棚を見つめた。
そこに並んでいるのは、機能性だけを重視した、装飾のないシンプルなハーフパンツタイプの水着ばかりだ。
「そうだ。ブカブカのビキニで海に入ったら、泳ぐ練習どころか水着が流されないように気にするだけで終わっちまう。男物の一番小さいサイズなら、紐をきつく縛ればお前のウエストでもなんとかなるはずだ」
「は、はい! 形にこだわっている場合じゃありませんよね!?」
ミコトは自分に言い聞かせるように何度も頷き、タイチが選んでくれた紺色のハーフパンツ水着を受け取ったが、ふと重大なことに気づく。
「あの……タイチさん。下はこれでいいですけど、上はどうしたら……?」
さすがに小学二年生とはいえ女の子である以上、上半身が裸というわけにはいかない。
しかし女の子用のトップスはどれもサイズが大きすぎた。
「あぁー……確かにそうだな」
タイチは少し考えると、躊躇なく自分の首元に手をかけ、いつも着ているトレードマークの青いTシャツを勢いよく脱ぎ払った。
「じゃあ、これ貸してやるよ」
「ええっ!? た、タイチさん!?」
突然目の前で上半身裸になったタイチに、コトは両手で顔を覆いながら赤面した。
指の隙間から、小学五年生の、少し日焼けして引き締まったタイチの胸元が覗いている。
「何照れてんだよ、ほら。これならすぐ乾くし、お前が着ればお尻まで隠れるだろ」
タイチは笑って、Tシャツをミコトの頭にぽんと乗せた。
受け取ったシャツからは、タイチの温もりと、いつも近くで自分を引っ張ってくれた頼もしいテイマーの匂いがして、ミコトの胸にじんわりとした温かさが広がる。
「ありがとう、ございます……そ、それでは借りますね」
それはまるでお兄ちゃんに服を借りたような、不思議な安心感だった。
数分後、更衣室から出てきたミコトの姿を見て、タイチは「おお」と声を上げた。
「……た、タイチさん、これで、大丈夫でしょうか?」
恥ずかしそうに身を縮こまらせながら出てきたミコトの姿を見て、タイチは思わず口を半開きにした。
小学五年生の服は、小柄なミコトにとっては完全なオーバーサイズ。袖は肘の下まで隠れ、少し広めの首元からは鎖骨が綺麗に見えている。
裾はひざ上まで届くワンピースのようになっており、その下から男物の紺色のハーフパンツが少しだけ覗いていた。
「うん、いいんじゃねぇか! 動きやすそうだし、よく似合っているぞ!」
「よ、よかったです……タイチさんの服、すごく安心します。これで私も、思いっきり練習できます!」
袖を不器用にはためかせながら、ミコトの表情にさっきまでの暗さは消え、前向きな笑顔が戻っていた。
「よっしゃ! 準備運動をしっかりしたら、水泳特訓開始だ!」
タイチの元気な声が海岸に響く。
ざばざばと迷いなく海へ入っていくタイチの後を追い、ミコトとゼロ丸はおそるおそる足を浸した。
「つ、冷たい……! でも、すごく綺麗……!」
初音島の病院の窓から見ていた海とは違う、データの粒が宝石のように乱反射する美しい青。ミコトは感嘆の声を漏らす。
「ひゃああっ! 足が沈むぅーっ!」大騒ぎするゼロ丸の横で、デビドラモンは浜辺からハラハラとそれを見守っていた。
「本当に大丈夫かな……僕は海では戦えない、ミコトを守れない……この背中の翼が、今はもどかしいよ……」
「大丈夫さ」
ガーボがデビドラモンの足を小突く。
「ほら、ミコトの顔を見てごらん」
水が太もものあたりまで達したとき、タイチがミコトの両手を優しく、だが力強く掴んだ。
「よし、まずは力を抜いて、俺に掴まって浮いてみろ。海じゃ力が入っている奴から沈むんだ。ゼロ、お前は俺の肩を掴め」
二人がタイチにしがみつくと、鍛えられた彼の身体は二人を支えてしっかりと水面に浮かび上がった。
タイチの腕に掴まっていると、不思議なほど絶対的な安心感があった。
冷たい病室のベッドの上で孤独に世界を呪っていた時には決して知ることのなかった、泥臭くも温かい、確かな生の実感。
「……う、浮いた! すごいです、タイチさん!」
「そのままだ、足をゆっくりバタつかせてみろ!」
「こう!? こうやればいいの、タイチ!?」
青い海の上、タイチの活気ある指導、ゼロ丸の必死な犬かき、そしてミコトの鈴を転がすような明るい笑い声が響き渡る。
浜辺のデビドラモンは、水に濡れたタイチの青いシャツをはためかせながら、生まれて初めて心から楽しそうに声を上げて笑うミコトの姿を見て、胸の奥の焦燥が少しだけ和らいでいくのを感じていた。
(ミコトが笑っている……あんな顔、初めて見た……そうか、僕が強くならなきゃいけないのは、あの笑顔を守るためなんだ……!)
自分自身の足で立ち、前へ進み始めた少女。
彼女の心には、他者を癒す光とは異なる、自らの命を輝かせるための強靭なエネルギーが満ち始めていた。
しかし――。
そんな幸福な特訓の時間を切り裂くように、ネットオーシャンの遥か沖合、深い暗黒の底から、不穏な巨大な影がゆっくりと、確実に一行へ向けて近づいていることに、彼らはまだ気づいていなかった。