海のタグを手に入れるために水泳の特訓をしていたゼロ丸とミコト。
しかし、その動きは海のタグの番人であるデーモン軍の完全体デジモンたちに知られてしまった。
そして、ミコトがもつ力を恐れたエテモンキーはまず、ミコトを狙うように忠告する。
水泳の練習中に完全体デジモンの手下であるゲソモンに襲われるミコト。
しかし、ゴマモンのゴン、ゼロ丸、デビドラモンの協力でゲソモンを退けることが出来た。
だが、その戦闘でゴンがゲソモンの一撃を受けて負傷し、ミコトがヒーリングで治すも体力を大幅に消費して倒れてしまった。
その日の水泳訓練は中止となった。
タイチはミコトがあんな目に遭ったのだから再び海に対して恐怖心を抱くのではないかと危惧したが、ミコトは翌日もゼロ丸と共に水泳訓練を行った。
波打ち際に立つミコトの背中は、昨日ゲソモンに襲われた時のような震えはなかったが、どこか無理をしているようにも見えた。
タイチは隣に並び、静かに海を見つめる彼女に声をかける。
「ミコト。その‥‥本当に大丈夫なのか?」
タイチの問いかけには、単なる体調への心配だけでなく、「昨日、ゲソモンに襲われた恐怖がトラウマになっていないか?」という兄のような気遣いが込められていた。
ミコトは一度、深く息を吸い込み、寄せ波が自分の足元を濡らすのをじっと見つめる。
昨日のゲソモンの冷たい触手、ゴンが流した血、そして自分の力が尽きかけた時のあの虚無感……思い出せば、今でも足がすくみそうになる。
「……正直に言うと、タイチさん。海を見るのは、昨日よりもずっと怖い。あの暗い水の中に、まだ誰かが潜んでいるんじゃないかって思ってしまって……」
「だったら、今日は無理しなくていい。休むのも訓練のうちだぞ」
タイチが優しく諭そうとすると、ミコトは首を横に振る。
その瞳には、恐怖を塗りつぶすような強い光が宿っていた。
「ううん、今日やらなきゃダメなんです。昨日、ゴンが傷ついたのを見て、私……すごく悔しかった。ゼロ丸さんやデビドラモンが戦ってくれている間、私はただ守られて、少し力を貸しただけで動けなくなっちゃって……」
(みんなは命を懸けて戦っている。私はヒーリングの力を持っているけれど、今のままじゃみんなの足を引っ張ってしまう。私がもっと強くなれば、ゴンだってもっと安心して戦えるはず)
「私は『守られるだけの存在』でいたくないの……みんなと一緒に、この冒険を最後までやり遂げたい。そのためには、この海を克服して、海のタグを絶対に手に入れないといけない‥‥そう決めたんです」
タイチは、ミコトの横顔を見て、彼女が昨日よりも一回り成長したことを確信した。
ただの「優しくてか弱い少女」ではなく、仲間を想うがゆえに強くなろうとする「選ばれし子供」の一人としての自覚。
「わかった。ミコト、お前は強いな」
タイチは少し照れくさそうに笑い、彼女の肩を叩く。
「でも、無理は禁物だ。異変があったらすぐに言えよ。ゴンもデビドラモンも、そして俺も、お前の背中は全力で守ってやるからな!」
「ありがとうございます。タイチさん」
ミコトは再び海へと向き直る。
打ち寄せる波はまだ冷たく、底知れぬ深淵への恐怖は消えてはいない。
しかし、隣にはタイチが……ゼロ丸が……デビドラモンや仲間がいる。
「それじゃあ、行くぞ」
「はい!!」
ミコトは勢いよく海へと駆け出した。
水しぶきを上げながら進む彼女の姿は、昨日の怯えていた姿とは違い、希望へと向かって突き進む力強さに満ち溢れていた。
昨日のゲソモンの一件があったので、デビドラモンは空から警戒していた。
ゴンもミコトがヒーリングをしたので、怪我もなく昨日と同じくミコトの水泳のコーチをしている。
「いいよ、ミコトちゃん!昨日の感覚、しっかり体で覚えているね!」
ゴンの明るい声が、波音に混じってミコトの耳に届く。
海面に顔をつけ、ゆっくりと息を吐き出しながら、ミコトは手足を動かしていた。
昨日の恐怖が嘘のように、彼女の体は水になじみ始めている。
(大丈夫……怖くない。デビドラモンやゴンがいてくれる。みんなが見守ってくれている……!)
「そこで顔を上げて、『パッ』と息を吸う!」
ゴンの合図に合わせ、ミコトは顔を水面から出す。
「ぷはっ……!」
新鮮な空気を肺いっぱいに吸い込み、再び水の中へ……その動作は昨日よりもずっと滑らかで、確かな推進力を生み出していた。
ゴンはミコトの少し前を泳ぎながら、その姿を頼もしげに見つめていた。
(ミコトちゃん……すごいな。昨日はあんなに怖い思いをしたのに、全然逃げようとしないんだから)
昨日、自分の怪我を治してくれた時の……あの温かくて優しい光……そして、その直後に倒れ込んでしまった彼女の青白い顔。
(僕のせいでミコトちゃんを傷つけたくない。今度こそ、僕がミコトちゃんを……みんなを守ってみせるんだ!)
ゴンの小さな胸の中にも、熱い決意の炎が燃えていた。
一方、その少し離れた場所では、今日も相変わらず騒々しい特訓が繰り広げられていた。
「違う、違う!足の蹴りが浅いんだよ!もっと根元から太ももを使って、こう、グッと水を押し出せ!」
「わ、わかっているってば!でも、ボクの足、そんなに長くないから難しいんだよぉ!」
「言い訳すんな!お前は幻竜型デジモンだろうが!気合でカバーしろ、気合で!」
タイチのスパルタ指導に、ゼロ丸が豪快な水しぶきを上げながら応える。
昨日つかんだ「竜かき」のコツをさらに磨き上げ、ゼロ丸の巨体は海面を力強く、そして意外なほどのスピードで突き進んでいた。
「おおっ!?すげぇぞゼロ、今のはかなり様になっていた!」
「へへんっ!言っただろ、ボクに不可能は無いってな!この調子なら、ネットオーシャンの底まで一息で潜ってやれるぜ!」
「調子に乗るな。息継ぎを忘れたら元も子もないだろ」
笑い合う一人と一匹の姿に、浜辺で見守る村のデジモンたちからも「おおーっ!」「いけいけー!」と歓声が上がる。
上空を旋回するデビドラモンは、その賑やかな光景を紅い瞳で見下ろしながら、周囲の警戒を強めていた。
(……平和な光景だ。この光景がいつまでも続けば良いんだけどな……でも、敵がこのまま黙っているはずがない)
昨日、ゲソモンが逃げる際に口走った『マリン様』という完全体デジモン……そして、昨日の一件で敵に情報が漏れている可能性。
(ミコトの力は確かに驚異だが、それゆえに狙われやすい。タイチたちだけではカバーしきれない事態が起きるかもしれない。僕が目を光らせておかなければ)
デビドラモンは風を切りながら、海面だけでなく、海中の不自然な影の動きにまで意識を研ぎ澄ませた。
やがて、太陽が真上に差し掛かる頃。
「ミコトちゃん、ストップ!そこまで!」
ゴンの声に、ミコトはバシャッと水面から顔を出した。
息を弾ませながら足をつくと、水はすでに彼女の胸の高さまで来ていた。
「すごいよ、ミコトちゃん!今、浜辺からここまで、一度も足をつかずに泳ぎ切ったよ!」
「えっ……?」
ミコトが振り返ると、スタート地点だった波打ち際がずいぶん遠くに見えた。
浜辺からは、ガーボや村のデジモンたちが手を振って喜んでいるのが見える。
「わ、私……泳げた……本当に、泳げたんだ……!」
「うん!完璧な息継ぎだったよ。これなら、海の中に潜るためのダイビングの練習にもすぐに入れるはずさ!」
ゴンが自分のことのように嬉しそうに飛び跳ねる。
ミコトの顔に、これまでにない満面の笑みが花開いた。
「やったぁ……!ありがとう、ゴン!ゴンが丁寧に教えてくれたおかげだよ!」
「えへへ、そんなことないよ。ミコトちゃんが頑張ったからさ」
「おーい!ミコト!」
そこへ、ゼロ丸の背中につかまったタイチが勢いよく泳いで近づいてきた。
「どうやら、そっちもコツを掴んだみたいだな!」
「はい!タイチさん、ゼロ丸さん!私、もう海は怖くありません!」
輝くようなミコトの笑顔を見て、タイチも満足そうに頷いた。
「よし!二人の泳ぎの基礎はこれでバッチリだ。午後は少し休んで、いよいよ海中への潜行特訓に入るぞ!」
「「おーっ!!」」
彼らの絆がさらに強固になり、準備が整いつつあるその裏で――。
ネットオーシャン・海底洞窟
「ウキキッ……見ろよ、連中も随分と上達したもんじゃねぇか」
モニターに映し出されたミコトたちの笑顔を見つめながら、エテモンキーが嘲笑う。
「ふん、泳げるようになったからって、いい気なもんだぜ。あの小娘、すっかり油断してやがる‥‥だが、茶番はそこまでだ」
暗闇の奥から、完全体デジモンが重々しい声を発した。
その巨大なシルエットが、モニターの光を受けて不気味に浮かび上がる。
「ウキキッ!泳げるようになった程度で、この海の領域(テリトリー)を踏破できると思うなよ……おい、手筈は整っているんだろうな?」
エテモンキーは意地悪く目を細めた。
「抜かりはねぇよ。あの小娘の『力を使えば動けなくなる』って弱点は、俺たちにとって最高のエサだからな。奴らが海中に潜ってきた瞬間……仲間を庇って力を使わざるを得ないような、極上の『罠』でおもてなししてやるのさ!クックック……せいぜい浮かれているがいい、陸の愚か者ども。ネットオーシャンの深淵で、絶望の冷たさを教えてやる……!」
海底の冷たい闇の中で、彼らを待ち受ける完全体デジモンの悪意が、確かな形を持って渦巻いていた。
ミコトとゼロ丸の水泳もいよいよ佳境を迎える。
あとは潜るだけなのだが、タイチは何故か浮かない顔をしていた。
「タイチさん、どうかしましたか?何だかあんまり嬉しくなさそうですけど……」
「ミコトとゼロ丸も泳ぐことが出来るようになった……しかし、相手は海中のモンスター……もし水中での戦いとなったら俺たちは圧倒的に不利だ」
「水中では指示を出せないからですか?」
「そうだ……ゼロ丸が潜れても水中じゃあ、俺が指示を出せない。何とか水中でも指示を出す事が出来れば、多少は水中でも戦えるんだがな……」
「……あれ?そう言えばゴンの姿見ませんでした?」
「ゴン?いや……あっ、確かにいないな。ついさっきまでこの辺りに居たと思ったんだが……」
「まさか、海の中に?」
「見当たらないって事はそうかもしれない……海の中に入って無茶しなけりゃ良いけどな。海の中は危険だって言ったのは他ならぬあいつなのに……」
タイチたちは姿を消したきり帰ってこないゴンが心配になった。
そのゴンであるが、彼は海中深くに居るあるデジモンの所に向かっていた。
浜辺から遠く離れた海の光も刺さない海の底に潜む黒いドームのような巨体のデジモンの所にゴンは着いた。
「ゴン!もうここには来るなと言った筈だ!この海は危険だ……村で何があったかなど報告する必要はない!」
すると、海底からゴンを注意する声がした。
「も、申し訳ありません……」
「もし私がもう少し若ければ、自分でデーモンと戦ったものだが……だが今、私に出来るのは強いデジモンを待つことだけだ。ゴン、もはや私に村の報告の必要はない」
「ですが、どうしてもお伝えしなければならない事がありまして……」
「むっ?なんだ?」
「デジモンが二匹、あるテイマーたちと共にデーモンと戦うため、私の村を訪れて来たのです」
「何だと?」
「彼らはタグとか何とか色んな事を話し合っています……何のことかご存じでしょうか?」
タグという言葉を聞いて、海の賢者とも言えるそのデジモンはついにその重い腰を上げた。
「ゴン、危険を承知の上で頼みがある。その者たちをここへ連れてきなさい。私、ホエーモンはこの瞬間を長らく待っていたのだ」
海底に鎮座していた黒いドーム状のデジモンが動き出した。
それは巨大な鯨のような姿をしたデジモン、ホエーモンであった。
「は、はい!畏まりました、では今すぐに!」
ホエーモンの言葉を聞き、ゴンはすぐさまタイチたちの元へと向かった。
どうやって水中バトルを切り抜けるかという話をしていたタイチたちの元にゴンが姿を現した。
「おーい!!」
「あっ、ゴン!!」
「ゴン、お前どこ行っていたんだ?姿が見えなかったから心配したぜ!」
「うん、ちょっと頼みがあるんだ。みんな、僕について来てくれない?この海の主であり賢者でもある、ホエーモン様がお待ちなんだよ」
「ホエーモンが?……分かった。ガーボ、済まないけど留守頼めるか?」
「え、う、うん。分かった」
「デビドラモンも待っていてくれ。空から村の警戒をお願いしたい」
タイチが上空を見上げて声をかけると、デビドラモンが静かに舞い降りてきた。
「わかった。僕のような飛行型のデジモンは海中に潜ると極端に機動力が落ちるから、足手まといになりかねない。それに、留守中の村の防衛も必要だからね。地上から目を光らせておくよ」
「助かるよ。頼んだぜ」
「よし、じゃあ行くか」
「はい!!」
「おう!!」
「ミコトちゃん、もしつらい様だったら僕に掴まってね」
「うん。ありがとう」
ゴンの案内の元、タイチ、ミコト、ゼロ丸はホエーモンの下に向かった。
ホエーモンを見たタイチはそのあまりの巨体に最初は身が震える怖さを感じた。
(ピノキオに出て来る鯨みたい……)
ミコトはその巨体から病院で読んだ絵本、ピノキオに出て来た怪物クジラの姿を思い浮かべた。
しかし、ホエーモンはその巨体とは裏腹にタイチたちを、あたたかくその体内に迎え入れた。
ホエーモンの体内には空気が充満していたので、窒息する事はなく呼吸する事が出来た。
だが、タイチの行動を見ているモノたちがいた。
タイチは勿論、ホエーモン自身もその存在に気付かなかった……。
「ようこそ、諸君。私はこの海の主、ホエーモンだ。君たちをずっと待っていたぞ」
「これは……」
「すっげぇ!こんな空間がデジモンの中にあったのか!?」
「はっはっは、その通り。まさかこういうデジモンが居るとは夢にも思わなかっただろう。私から説明しよう。この世界、デジモンワールドの万物はすべて人間が把握しやすい以上の物は何もないのだ。それは私とて例外ではない。私は外見こそモンスターの形をしているが……この世界はコンピュータの中の世界なのだ。この世界に存在するものはすべて単にデータを編集したものでしかない。例えばだ……」
するとゼロ丸の前にある緑色のホログラムが現れた。
「な、何だ!?こりゃあ!?」
「ふむ、思った通りだ。やはりこのデジモンは原始的には至ってシンプルな、しかし強いプログラムだ」
「原始的ってどういうことだ!?」
ホエーモンの言葉にゼロ丸が突っ込みを入れる。
「コンピュータ内部のデータの数値公式はすべて0と1で配列される。だから私だけでなく君たちデジモンの体は無数の0と1の体で配列されている、奥まで突き詰めていくとそうなるのだ。だが、この世界にはその配置を悪意的に破壊するものがある……それが『ウィルス』と呼ばれるものだ。もし、ウィルスが広まっていけば、このデジモンワールドはたちまちに荒廃してしまうだろう」
「う、ウィルス……」
「それってまさか……」
「そうだ、その悪のウィルスこそがデーモンなのだ!デーモンは力をつけ、この世界の配列を操り始めた!タグと未知なるモンスターパートナーとして持つ少年、そして癒しの力を持つ少女よ。そのデーモンと呼ばれるウィルスを破壊することこそが君たちの使命なのだ。つまり、君たちこそがこの世界にとっての『ワクチン』なのだ」
「うーんでも……」
デーモンを倒す事はそもそもこの旅の目的なので、構わない。
しかし、今回のタグを手に入れるのに大きな問題を抱えている。
その問題を解決するかのようにすかさず代弁するホエーモン。
「分かっている。君たちの声は水中で出す事が出来ない。水中の完全体デジモンを倒すのに、自分たちのコンビネーションが十分通用するかどうか分からない……それが、君たちが心配していることなのだろう?」
「ビンゴ!」
「諦めるな!この世界には君たちテイマーとパートナーデジモンのサポートプログラムがある。それがホーリーエンジェモンと私だ。そのサポートプログラムを授けるために君たちを此処に呼んだのだ」
すると、タイチとミコトの左腕が光るとそこにはデジタル時計のような機械が装着される。
タイチはシルバーの下地に青いボタンに青い画面枠。
ミコトは黒い下地にさくら色のボタンにさくら色の画面枠。
「こ、これはっ!?」
「デジタル時計?」
「君たちに授けたのは『デジヴァイス01』と言って、データの送受信が出来る携帯コンピュータだ。データ送信により水中での送信も可能となる。だが、機能はこれだけではない。使い方次第で様々な機能が生まれる。例えばスキャン機能……パートナーデジモンに向かって左のボタンを押してみるといい」
「こ、こうか?」
「わ、私もやってみよう……」
するとタイチとミコトの画面にはゼロ丸のステータス情報が表示される。
「凄い!!ゼロ丸さんの情報が出ている!?」
「こいつはありがてぇ!!サンキューホエーモン!!」
「死ぬ前にお前たちにそれを渡せて嬉しかった」
「えっ?」
「そ、そんなっ!?」
ホエーモンの言葉に息を呑むゴンとミコト。
「わ、私がなんとか……」
ミコトはホエーモンにヒーリングを使おうとするが、
「いや、癒しの力を持つ少女よ……私が死ぬのは決して怪我や病気ではない……寿命だ……天寿は例え癒しの力を持ってしてもその運命を変える事は出来ない」
「……」
「ゴン、次はお前がこの海を守るんだ。お前に与えたその銀のメダルがその印だ」
「そ、そんな……ホエーモン様……」
「仲間たちが君に勇気を与えてくれたではないか。物事はすべて上手く行った……我が人生に一片の悔いなし……プログラムエンド……」
そう言い残しホエーモンの体全体が眩い光に包まれる。
ホエーモンの巨大な体が光の粒子となって海へと溶け込み、後には静かに輝く一つの卵……デジタマとゴンに託された銀のメダルだけが残された。
「ホエーモンさん……」
「俺たちを待ってくれていたのか。有難う……ホエーモン」
ホエーモンが死んだ悲しみの感傷に浸る間もなく背後から音もなく忍び寄る悪魔の影があった。
「ゲソゲソゲソ……海の守り主が居なくなって寂しいでゲソか?ならその悲しみごとこの海に沈めてやるゲソ!」
「此処がお前たちの墓場だ!!」
背後から響いた耳障りな声にタイチたちが振り返ると、昨日ミコトたちを襲ったゲソモンとタコのような姿をした成熟期デジモン・オクタモンの姿があった。
さらに最悪なことに、ホエーモンが消滅したことで彼らを包んでいた空気のドームが崩壊を始め、恐ろしい勢いで冷たい海水がなだれ込んできたのだ。
「うおっ!?」
「きゃあっ!」
一気に海中に呑み込まれ、息が詰まるタイチとミコト。
水圧と冷たさが全身を襲い、口を開けば泡となって空気が逃げてしまう。
(ちぃっ……こんな状況で二体同時の襲撃かよ!)
タイチは咄嗟に身構えるが、水中では身動きが上手く取れない。
『タイチ! どうすりゃいい!?』
その時、タイチの頭の中にゼロ丸の焦った声が直接響いた。
タイチが驚いて左腕を見ると、ホエーモンから託された青い『デジヴァイス01』の画面が明滅していた。
(そうか、デジヴァイスの通信機能! これなら水中でも意思疎通ができる!)
タイチは即座にデジヴァイスへと思考を集中させた。
『ゼロ! お前はゲソモンとオクタモンを牽制しろ! ゴン、ミコトを連れて一度海上へ出ろ! 村に戻るんだ!』
『えっ!? でもタイチさんたちは……!?』
ミコトのデジヴァイスにもタイチの声が届き、彼女は首を横に振ろうとした。
『いいから行け! 今のミコトじゃ息も持たないし、パートナーもいない、これじゃあ敵の的になるだけだ! ゴン、お前の泳ぎでミコトを頼む!』
『……わかった! ミコトちゃん、息を止めて!』
ゴンは躊躇うミコトの腕を強く引き寄せると水棲デジモン本来の凄まじいスピードで海面へと急浮上していった。
「逃がすかよぉっ! 『海鳴墨銃』!!」
オクタモンが手に持っている銃を撃つとそこから真っ黒な墨を吐き出し、ゴンたちを追撃しようとする。
『させるかぁ!!』
ゼロ丸が強引に水を蹴り、墨の軌道上へ割り込んでその巨体で攻撃を弾き飛ばした。
『タイチ、指示をくれ! こっちの準備は万端だぜ!』
『よし、行くぞ、ゼロ! 竜かきの要領で下から突き上げろ!』
タイチとゼロ丸の、デジヴァイスを介した初めての水中戦が火蓋を切った。
「ぷはぁっ!!」
ネットサーフ村の浜辺近くの海面に、ゴンとミコトが顔を出した。
激しく咳き込み、肩で息をするミコトを、ゴンが必死に波打ち際まで運ぶ。
「ミコト! ゴン! どうしたんだ、タイチたちは!?」
空から警戒していたデビドラモンが舞い降り、留守番をしていたガーボも血相を変えて駆け寄ってきた。
「ゲソモンとオクタモンが……!海の底で、タイチさんたちが足止めをしてくれて……!」
ミコトは砂浜に手をつき、悔しさに唇を噛み締めた。
(まただ……また私は、タイチさんやゼロ丸さんに守られて、逃げてきちゃった……!)
自分も一緒に最後まで戦うと決めたはずなのに……強くなると誓ったはずなのに……いざ敵が現れれば、足手まといにならないために逃げることしかできない自分の無力さがたまらなく歯がゆかった。
「……ミコトちゃん、タイチはミコトちゃんを守りたかったんだ。それに、僕たちを信じて背中を預けてくれたんだよ」
隣で息を整えていたゴンが、ギュッと右手を握りしめて立ち上がった。
その手の中には、ホエーモンから託された銀のメダルが鈍く光っている。
「ホエーモン様は、僕にこの海を守れと言ってくれた。タイチたちだけに、僕たちの海を押し付けておくわけにはいかない!」
ゴンの瞳には、もはやかつての怯えた弱虫の面影はなかった。
仲間を想い、故郷を護るための確かな「覚悟」がそこにあった。
「ゴン……」
ミコトはゴンの横顔を見つめ、ハッとした。
(そうだ……落ち込んでいる暇なんてない。私には、ホエーモンさんが遺してくれたこの力がある!)
ミコトは左腕の『デジヴァイス01』を見る。
通信機能だけではない……この機械には、デジモンのデータを解析し、サポートする力があるはずなのだ。
「ゴン……私も行く」
「えっ?」
ミコトは力強く立ち上がり、決意に満ちた目で海原を睨み据えた。
「私はもう、逃げない。タイチさんたちを助けに行こう!」
「うん!!」
「無茶だ! 相手は水中戦に特化した成熟期が二体だぞ!?」
ガーボが慌てて引き留めようとするが、デビドラモンがスッとその前に立ち塞がった。
「止めないでやれ、ガーボ」
「デビドラモン!?君は良いのか!?君のパートナーがまた危険な場所へいこうとしているのだぞ!?」
「分かっている。出来る事なら僕が行きたい。でもミコトとゴンの目を見て」
「ん?」
「二人は、もう誰にも止められない戦士の目だ……行け、ミコト、ゴン!僕が海中に入っても本来の力は出せない。君たちを信じて、空中からのサポートと警戒に徹する!辛くなったら直ぐに海面に浮くんだ!」
「ありがとう、デビドラモン!……行こう、ゴン!」
ミコトは大きく息を吸い込むと、ゴンと共に再び冷たい海の中へと飛び込んでいった。
一方、暗い海底では激しい攻防が続いていた。
『右だ、ゼロ! ゲソモンの触手を躱して、オクタモンの死角に回り込め!』
『わかっているよ!』
タイチの的確な指示とゼロ丸の特訓の成果が噛み合い、水中という圧倒的不利な状況下でも、二体相手に互角の立ち回りを演じていた。
しかし、戦場はゲソモンとオクタモンにとって勝手知ったる自分たちの庭……徐々にその連携がゼロ丸を追い詰め始める。
「ちょこまかと鬱陶しい竜でゲソね! 『デッドリーシェード』!!」
ゲソモンが触手を広げ、周囲の海水を黒く染め上げる幻惑の墨を吐き出した。
『うおっ!? 前が見えねぇ!』
『ゼロ、止まるな! 上へ抜けろ!』
タイチが指示を飛ばすが、墨の暗闇から音もなく伸びてきたオクタモンの無数の吸盤付きの腕が、ゼロ丸の足と腕を固く絡めとった。
「捕まえたぜぇ!! このまま海の藻屑にしてやる!!」
『しまっ……! 離せ、このタコ野郎!!』
もがくゼロ丸だが、水中のため本来の筋力が出し切れず、ゲソモンの触手までが巻き付いてきて完全に拘束されてしまった。
(くそっ……! 息も限界に近い。ここまでか……!)
タイチの視界が酸欠で歪み始めた、その時だった。
『マーチングフィッシーズ!!』
色鮮やかな光る魚の群れが猛スピードで暗闇を切り裂きゲソモンとオクタモンの顔面へ嵐のように直撃したのだ。
「ゲボァッ!?」
「何だぁ!?」
不意の痛撃に敵の拘束が緩んだ隙を見逃さず、タイチのデジヴァイスから鋭い声が響く。
『タイチさん、ゼロ丸さん! 今です!!』
『ミコト!?それにゴンも!?どうして戻ってきたんだ!?』
驚くタイチの視線の先には、力強く水を掻きながら真っ直ぐにこちらへ向かってくるミコトとゴンの姿があった。
『私だって……一緒に戦います!』
タイチはミコトの覚悟を受け取り、不敵な笑みを浮かべた。
『分かった、ミコト、ゴン!!一気に反撃だ!!ゼロ、怯んだオクタモンにゼロナックルを叩き込め!!』
タイチの頭脳からデジヴァイス01を通じて放たれた思考のレーザーがゼロ丸の闘志を爆発させる。
『うぉぉぉぉりゃああああっ!!』
ゼロ丸の拳が水圧を引き裂いてオクタモンの顔面に炸裂した。
「ブギィッ!?」
オクタモンは大きな体躯を激しく回転させながら、海底の岩肌へと叩きつけられる。
「ゲソッ!? オクタモン! おのれ、よくもやってくれたゲソね!」
ゲソモンが激昂し、十本の触手を槍のように尖らせてゼロ丸へと突撃する。
しかし、その進路を遮るようにゴンが素早く回り込んだ。
『僕だって、もうただ守られるだけの子供じゃないやい! 『マーチングフィッシーズ』!!』
ゴンの叫びとともに再び無数のカラフルな魚たちがゲソモンの視界を奪い、その突進を完全にストップさせる。
『やった! 息がぴったりだぞ、みんな!』
タイチは水中で小さくガッツポーズを取った。
ミコトが戻ってきてくれたおかげで、戦況は一気にこちらへ傾いている。
だが――その様子を海底のさらに奥深く、冷たい闇に紛れて監視していた影があった。
エテモンキーが放った隠密のシャコモンが、ミコトのデジヴァイス01を掲げる姿を冷酷に捉えていた。
海底洞窟・エテモンキーの作戦室
「ウキキッ! きたきた、バカどもが全員揃って水の中に飛び込んできやがったぜ!」
モニターの映像を見てエテモンキーは不気味に口の端を吊り上げていた。
「クックック……やはりあの小娘、ただ守られているだけでは満足できずに戻ってきたか。人間にしちゃあ大した度胸だが……それが命取りになるのさ」
エテモンキーの脳裏には、昨日ピコデビモンが持ち帰った映像が鮮明に焼き付いていた。
ゴンを治療した直後、まるで魂を抜かれたように崩れ落ちたミコトの姿。
「あの娘の力は脅威だ。だが、あれは『己の体力と生命力を削って分け与える』諸刃の剣……一度に大量の力を使わせるか、あるいは何度も酷使させれば、あの貧弱な肉体はすぐに限界を迎えて動けなくなる!」
エテモンキーは通信機に向かって、冷酷な声を響かせた。
「聞こえるか?ゲソモン、オクタモン!!予定通りの戦略(プラン)で行くぜ! ブイドラモンを正面から倒す必要はねぇ。あの小娘に『力を使わざるを得ない状況』を強制的に作り出すんだよ!!」
「ゲソゲソ……エテモンキー様からお許しが出たゲソ!」
魚の群れを振り払ったゲソモンが、不気味に目を細めて笑った。
その視線は、ゼロ丸ではなく、その後方で泳いでいるミコトとゴンへと向けられる。
「オクタモン、作戦変更ゲソ! あのトカゲは無視して、チビどもを痛めつけるゲソ!」
「ガッテンだぁ!!」
岩肌から飛び起きたオクタモンが、突然猛スピードでゴンへと襲いかかった。
『なっ……!?ゼロ、ゴンをカバーしろ!』
タイチが叫ぶが、ゲソモンが自らの体を回転させ、激しい水流の渦を作り出してゼロ丸の視界と自由を奪う。
「行かせないゲソよ!」
『くそっ、邪魔だ!!』
ゼロ丸が焦って渦を破ろうとするが、水中での動きは一瞬の遅れを生む。
その一瞬で、オクタモンの巨大な触手がゴンを捕らえた。
「捕まえたぜ、チビ公が!!」
「うわあああっ!?」
ゴンの小さな体がオクタモンの強力な力でギリギリと締め上げられる。
『ゴン!!』
ミコトは恐怖を忘れ、必死にゴンの方へ泳ごうとした。
しかし、オクタモンはさらに卑劣な笑みを浮かべ、もう一本の腕に鋭い海底の岩の破片を握りしめ、ゴンの脇腹へと容赦なく突き立てたのだ。
「ギガァッ……!!」
水中にゴンの鮮血が赤く広がる。
昨日の傷が癒えたばかりの体に再び致命的なダメージが刻み込まれた。
「ひゃーははは! さあどうする、小娘!!」
オクタモンがミコトを睨みつけ、耳障りな声で挑発する。
「お前の大好きな仲間が、このままだと死んじまうぜぇ? ほら、昨日みたいにその不思議な光で、今すぐこいつを治してみやがれ!!」
ゲソモンも渦の中から嘲笑う。
「ゲソゲソ! 治せばお前は動けなくなる! 治さなければこのチビは海の藻屑ゲソ! どちらを選んでもお前たちに待っているのは絶望だけゲソ!!」
(敵の狙いは……私……!?)
ミコトの脳裏に、冷たい衝撃が走った。
彼らは私の力を知っている。
そして、私が力を使えば動けなくなるという「弱点」を完全に把握した上で、この卑劣な戦略を仕掛けてきているのだ。
(私が力を使ったら、私は意識を失う……そうなれば、タイチさんやゼロ丸さんまで人質に取られて、みんな全滅しちゃう……!)
しかし、オクタモンの腕の中で、ゴンは苦痛に顔を歪めながらも、必死に泡を吐き出しながら叫んでいた。
『ミコトちゃん……だめ、だ……! 力を使っちゃ、ダメだ……! 僕なら、平気……だから……っ!』
自分を犠牲にしてでも、みんなを守ろうとするゴンの健気な姿。
その姿を見た瞬間、ミコトの心の中から恐怖が完全に消え去り、代わりに激しい怒りと、絶対に仲間を死なせないという強い意志が沸き上がった。
(嫌……目の前で仲間が傷つくのを、黙って見ているなんて、絶対に嫌!!)
『ミコト、乗れっ!!』
その時、タイチの指示を受けたゼロ丸がゲソモンの渦を強引に突破し、ミコトの真下へと滑り込んできた。
ミコトはゼロ丸の背中に飛び乗る。
『私は……あなたたちの思い通りにはならない!! 力を使い果たして倒れるのが私の弱点なら……それを超える使い方を今ここで証明してみせる!!』
ミコトの強い覚悟に呼応するように、デジヴァイス01のさくら色の画面が、これまでにないほど眩い、爆発的な輝きを放ち始めた。
(私の生命力をそのまま与えるんじゃない……このデジヴァイスを通して、皆を助けたいという『想い』を『力』に変換するんだ!)
デジヴァイスから溢れ出したさくら色の光は、水中で無数の光の粒子――純粋なデジタルエネルギーのストリーム――へと変わり、オクタモンに捕らわれたゴン、そして足元のゼロ丸へと同時に降り注いだ。
「ギガァッ……!? 何だ?この光は!?」
オクタモンが眩しさに思わず腕を緩める。
光に包まれたゴンは、脇腹の致命傷が瞬く間に塞がっていくのを感じた。
そればかりか、失われていた体力が底無しに湧き上がってくる。
『ミコトちゃん……すごい!痛みが完全に消えた……それに、力が溢れてくるよ!』
『ボクもだ! ミコト、こいつはただの回復じゃねぇ。力が何倍にも跳ね上がってやがるぜ!』
ゼロ丸の身体からもオーラのような光が立ち昇り、水圧の抵抗を無効化していく。
ミコトのヒーリング能力は、デジヴァイス01のデータ最適化機能と共鳴することで『自身の生命力の消費』という枷を外し、『広範囲の回復と能力の同時強化(バフ)』という新たな力へと覚醒したのだ。
しかも、奇跡的な力を振るったにも関わらず、ミコト自身に疲労の色は見られなかった。
とは言え、あくまでも直接ミコトの手でヒーリング能力をやるよりはミコトの負担が減ると言うだけであり、連続使用すれば、意識を失う事には変わりない。
それでも負担が軽減するのは大きなアドバンテージだ。
彼女の瞳は力強く、怯むことなく敵を見据えている。
「バ、バカなゲソ! 治せば倒れるはずゲソ!?」
「そんな……俺たちの完璧な作戦が……!?」
驚愕し、狼狽えるゲソモンとオクタモン。
『さあ、反撃開始です! タイチさん、ゼロ丸さん、ゴン!』
ミコトの凛とした声に応えるように、タイチが不敵な笑みを浮かべてデジヴァイスを構えた。
『上等だ! 行くぞ、お前ら、海の藻屑になるのはテメェらの方だ!!』
覚醒したミコトの光のサポートを受け、タイチたちの怒涛の逆襲が今、始まろうとしていた。