キミとアイドルプリキュア♪~魂と輝き~ 作:Ryo02913
――朝
目覚ましを止めたこころは、枕元のカレンダーへ目を向けた。
5月11日
その日付を見た瞬間、眠気が消える。
「今日は母の日です!」
身体を起こし、急いで部屋を出る。
リビングへ行くと、母の愛はすでに出かける準備をしていた。
「お母さん、今日も仕事?」
「うん。日曜日なのにごめんね」
愛は鞄を肩にかけながら笑った。
「でも、今日はなるべく早く帰ってくるから」
「うん!」
「朝ごはんは作ってあるから、ちゃんと食べるのよ」
「分かってる!」
「それじゃあ、行ってきます」
「いってらっしゃい!」
玄関の扉が閉まる。
こころはしばらくその扉を見つめていた。
今日も仕事。
家のこともして、そのうえ自分のことまでいつも気にかけてくれている。
「……よし!」
今日はちゃんと感謝を伝える。
こころは拳を握った。
――咲良家
「お兄ちゃん!」
「朝から何だよ」
リビングで飲み物を口にしていた響の前へ、うたが勢いよくやってくる。
手には小さな紙袋があった。
「今日、何の日か知ってる?」
「母の日だろ」
「あれ? 知ってた」
「馬鹿にしてんのか」
「だってお兄ちゃん、そういうの忘れそうだから」
「余計なお世話だ」
響はそう言いながら、テーブルの端に置いてある小さな包みを見る。
うたも気づいた。
「あ! ちゃんと用意してる!」
「声でかい」
「何買ったの?」
「まだ言わねぇ」
「何で!?」
「お袋に渡す前にお前に見せてどうすんだよ」
「私のはこれ!」
「聞いてねぇよ」
うたが紙袋を抱えながら笑う。
「でも母の日っていいよね」
「何が?」
「お母さんにありがとうって言える日!」
その言葉に、響の手が止まった。
母親。
ただの言葉のはずなのに。
なぜか胸の奥に引っかかる。
「……」
「お兄ちゃん?」
「何でもねぇ」
母親ならいる。
今も同じ家にいる。
声だって聞ける。
なのに――。
どうしてだ。
母親という言葉を聞くと、時々ひどく遠いもののように感じる。
理由は分からない。
「変なお兄ちゃん」
「うるせぇ」
響は飲み物を口にした。
考えても分からない。
いつものことだ。
ただ――。
今日はちゃんと言っておこう。
そんなことだけは、妙に強く思った。
――はなみちタウン
こころは花屋の前に立っていた。
店先には赤やピンクのカーネーションが並んでいる。
「やっぱり母の日といえば、これですよね!」
赤いカーネーションを一本選び、店員へ渡す。
「こちらですね」
「はい!」
「今日は母の日なので、よければメッセージカードもお付けしますよ」
「メッセージカード?」
差し出された小さなカードを受け取る。
「ありがとうございます!」
店を出たところで、こころはカードを見る。
「……」
何を書こう。
『いつもありがとう』
それは絶対に書きたい。
でも、それだけでは足りない気がする。
いつも仕事を頑張っていること。
毎日ご飯を作ってくれること。
自分の話を聞いてくれること。
落ち込んだときに励ましてくれたこと。
父を失ったあとも、ずっと一緒にいてくれたこと。
伝えたいことが多すぎる。
「書けません……!」
こころはカードを握りしめた。
こういうときは――。
「うた先輩たちに相談です!」
――喫茶グリッター
「そこ、もう少し右!」
「こう?」
「もうちょっとです!」
「ここ?」
「ななさん、それだと見えちゃいます!」
営業時間前の店内。
うた、なな、田中が何かを準備していた。
壁にはまだ途中までしか飾られていない装飾。
テーブルの上には箱やリボンが並んでいる。
プリルンとメロロンも手伝っていた。
「こころ、喜んでくれるかな?」
「きっと喜んでくれるよ」
ななが笑う。
「プリルンも楽しみプリ!」
「ねえたまと一緒なら何でも楽しいメロ!」
「今日中に準備を終わらせないとね」
ななが飾りを持ち上げた、そのとき。
入口の扉が開いた。
「こんにちはー!」
全員の動きが止まった。
「……」
こころが立っている。
「うた先輩?」
「こ、こころ!?」
うたが慌ててななを見る。
ななも田中を見る。
田中は素早くテーブルの上の飾りを布で隠した。
「どうしたんですか?」
「いや、別に!」
「何でもないよ」
「皆さん、怪しいです!」
三人とも目を逸らした。
「それより、こころちゃんはどうしたの?」
ななが話を変える。
「あ、そうでした!」
こころはカーネーションとメッセージカードを取り出した。
「母の日なので、お母さんにプレゼントを渡そうと思ってるんです」
「いいね!」
「でも……」
カードを見つめる。
「書きたいことが多すぎて、何を書けばいいのか分からなくなっちゃって」
「なるほど……」
うたが腕を組む。
「だったら、いつもありがとうって書く!」
「それは絶対書きます!」
「大好きって書く!」
「それも書きたいです!」
「それから……」
うたは少し考えた。
そして突然顔を上げる。
「歌う!」
「歌うんですか!?」
「気持ちがいっぱいあるなら、全部歌にすればいいんだよ!」
「カードに入りませんよ」
田中がすぐに突っ込む。
「じゃあカードを書きながら歌う!」
「何の解決にもなってねぇ」
ななが笑う。
「こころちゃん」
「はい?」
「一番心に残ってる、お母さんとの思い出を考えてみたらどうかな」
「一番心に残ってる……」
「そこから考えたら、本当に伝えたいことが見つかるかもしれないよ」
こころは少し考える。
お母さんとの思い出。
たくさんある。
でも――。
一つだけ、すぐに浮かんだものがあった。
「……なるほど」
表情が明るくなる。
「やってみます!」
「うん!」
「ありがとうございます!」
こころが立ち上がる。
そこで響の方を見る。
「響さんなら、何て書きます?」
「俺?」
突然来たな。
「母の日のメッセージです!」
「……そうだな」
響は少し黙った。
母親。
また胸の奥に引っかかる。
何でこんなに気になる。
分からない。
でも。
「難しく考えなくていいんじゃねぇか」
「え?」
「言いたいことがあるなら、言えるうちに言っとけばいい」
店内が少し静かになった。
うたが響を見る。
「お兄ちゃん?」
「……何だよ」
「いや、何か今日のお兄ちゃん、ちょっと違う」
「気のせいだ」
こころは響の言葉を考えてから、笑顔で頷いた。
「はい!」
そして店を出ていった。
扉が閉まる。
「危なかったー!」
うたが力を抜く。
「完全にバレると思った……」
ななも胸を撫で下ろす。
「ところで」
うたが響の顔を覗き込んだ。
「さっきの、どういう意味?」
「何が」
「言えるうちに言っとけって」
「そのままの意味だ」
「ふーん」
「何だよ」
「別にー」
うたはまだ少し気になっているようだった。
その横でプリルンが首を傾げる。
「母の日って何プリ?」
「あ、プリルン知らないんだ」
「プリ?」
うたは笑う。
「お母さんに、いつもありがとうって伝える日だよ」
「お母さん?」
メロロンも首を傾げる。
田中が説明する。
「私たちキラキランドの妖精は、人間とは生まれ方が違いますからね」
「プリルンたちはキラキラの木から生まれたプリ!」
「ねえたまと一緒に生まれたわけじゃないメロ。でもねえたまはねえたまメロ!」
「つまり……」
うたが考える。
「プリルンたちのお母さんは木?」
「違うプリ!」
「違うメロ!」
二人の声が重なる。
――その頃
こころは一人で町を歩いていた。
一番心に残っている、お母さんとの思い出。
それは幼い頃。
学校の帰り。
門の前で待っていると、仕事を終えた母が迎えに来てくれた。
「こころ!」
どんなに忙しい日でも。
疲れているはずの日でも。
母は自分を見つけると笑ってくれた。
「お母さん!」
走っていくと、いつも抱きしめてくれた。
父がいなくなってからも――。
母はずっと変わらなかった。
本当は母だって辛かったはずなのに。
自分の前では笑ってくれていた。
「……決めました」
こころはカーネーションを見る。
「今日は、私がお母さんを迎えに行きます!」
――チョッキリ団
カッティーが画面を見ていた。
そこにはアイドルプリキュアの映像が映っている。
「……実にキラキラしておりますな」
「何見てるっすか?」
「うわっ!?」
カッティーが慌てて画面を隠す。
ザックリーが横から覗き込む。
「もしかしてアイドルプリキュアの動画っすか?」
「違いますぞ! 敵情視察ですぞ!」
「随分楽しそうに見てたっすけど」
「気のせいですぞ!」
「何やってんだい!」
チョッキリーヌの声に二人が振り返る。
「今日は母の日っていう、人間が贈り物をする日らしいじゃないか」
「母の日?」
「つまり、あちこちにキラキラした気持ちが溢れてるってことだよ」
チョッキリーヌが笑う。
「ザックリー!」
「はいっす!」
「行ってきな!」
「イエッス、ボス!」
――夕方
駅前
こころはカーネーションを持ちながら、人の流れを見ていた。
「そろそろのはずです」
少し緊張する。
いつも迎えに来てもらっていた。
今日は自分の番。
「あっ」
駅から出てきた人の中に、母を見つけた。
「お母さん!」
愛もこころに気づく。
「こころ?」
その手にはケーキの箱があった。
「どうしてここに?」
「それは――」
こころがカーネーションを後ろへ隠す。
その瞬間。
「見つけたっす!」
聞き覚えのある声。
「え?」
ザックリーが姿を現した。
「母の日に再会する親子! ザックリキラキラしてるっすね!」
「あなたは……!」
こころの表情が変わる。
ザックリーが愛へ手を向けた。
「そのキラキラ、真っ暗闇にしてやるっす!」
闇が愛を包む。
「お母さん!」
こころが手を伸ばす。
だが、間に合わない。
愛の姿が闇の中へ消えていく。
ケーキの形を思わせる巨大なクラヤミンダーが現れた。
「クラヤミンダー!」
「お母さんを……」
こころは拳を握った。
「お母さんを返してください!」
アイドルハートブローチを取り出す。
『プリキュア! ライトアップ!
キラキラ、ドレスチェンジ! YEAH!
キミと~! YEAH!
一緒に~! YEAH!
キミと踊る、ハートのリズム! 心キュンキュン キュアキュンキュン!』
キュンキュンがクラヤミンダーの前へ立った。
「今日は大切な母の日なんです!」
クラヤミンダーが腕を振る。
キュンキュンは横へ避ける。
「キュンキュンレーザー!」
光が身体へ当たる。
クラヤミンダーが少し下がる。
「お母さんを返して!」
キュンキュンが距離を詰める。
蹴りを入れる。
だが、身体を覆う闇が攻撃を受け止めた。
「まだです!」
もう一度踏み込む。
クラヤミンダーの周囲に、白いクリームのような闇が集まった。
それがいくつもの塊となって飛んでくる。
「っ!」
キュンキュンは避ける。
一つ。
二つ。
三つ。
しかし数が多い。
肩に一発を受け、身体が傾く。
「まだ……!」
すぐに立ち上がる。
お母さんが中にいる。
絶対に助ける。
『キュンキュンレーザー!』
再び光を放つ。
クラヤミンダーも正面から闇を放った。
二つの力がぶつかる。
「負けません!」
キュンキュンが押し返そうとする。
だが、少しずつ光が押されていく。
「くっ……!」
足が後ろへ下がる。
ザックリーが笑う。
「一人じゃ無理っすよ!」
「それでも……!」
キュンキュンは腕に力を込める。
「私がお母さんを助けるんです!」
その頃
喫茶グリッター
「ブルッと来たプリ!」
プリルンが突然振り返った。
「真っ暗闇の気配プリ!」
「クラヤミンダー……?」
うたとななが表情を変える。
「どっち?」
「あっちプリ!」
プリルンが指差した。
響も立ち上がる。
「紫雨がいる方かもしれねぇ。行くぞ」
響は出口へ向かう。
「うん!」
「プリルンも行くプリ!」
「メロロンもメロ!」
田中が残った飾りを見る。
「こちらは任せてください!」
「お願いします!」
うた達は店を飛び出した。
――駅前
キュンキュンの身体が地面へ倒れる。
「……まだ」
腕に力を入れる。
立つ。
足が痛い。
肩も痛い。
それでも。
「まだ、終わってません」
クラヤミンダーが再び攻撃を放つ。
避けきれない。
キュンキュンが腕を上げた、そのとき。
大きな刃が目の前へ入った。
闇の塊が斬り払われる。
「え……?」
黒い死覇装。
大きな斬月。
「響さん……!」
響はクラヤミンダーを見たまま答える。
「一人で無茶しすぎだ」
その後ろから二人が走ってくる。
「こころ!」
「こころちゃん!」
うたとなな。
二人はすぐにブローチを掲げた。
光が身体を包む。
キュアアイドル。
キュアウインク。
二人がキュンキュンの隣へ並ぶ。
「遅くなってごめん!」
「大丈夫?」
「はい……!」
キュンキュンは息を整える。
「でも、お母さんが……」
クラヤミンダーを見る。
「中に?」
ウインクの表情が変わる。
「はい」
「だったら助けよう」
アイドルが拳を握る。
「三人で!」
響は斬月を構えた。
「四人だ」
アイドルが笑う。
「うん!」
クラヤミンダーが腕を振り上げる。
「来るぞ!」
四人が散る。
響は正面から距離を詰める。
斬月を横へ振る。
刃がクラヤミンダーの身体を切り裂く。
しかし、すぐに闇が傷を覆う。
「やっぱり同じか」
倒しきることはできない。
でも隙なら作れる。
クラヤミンダーが響へ向き直る。
「こっち見てろ」
響がもう一度踏み込む。
その間にウインクが横へ回る。
『ウインクバリア』
クラヤミンダーの攻撃を止める。
「アイドル!」
「うん!」
『アイドルグータッチ』
拳が正面へ入る。
クラヤミンダーが後ろへ下がった。
「今です!」
キュンキュンが走る。
だがクラヤミンダーの周囲から再び闇の塊が放たれる。
「危ない!」
ウインクがバリアを広げる。
アイドルも前へ出る。
響は斬月で一つを斬り払った。
それでも数が多い。
三人へ攻撃が迫る。
「私が行きます!」
キュンキュンが叫んだ。
「こころ?」
「私がお母さんのところまで行きます!」
「でも――」
「お願いします!」
キュンキュンは真っ直ぐクラヤミンダーを見る。
「ずっと、お母さんが私を守ってくれました」
幼い頃。
学校へ迎えに来てくれた。
仕事で疲れていても、笑ってくれた。
父がいなくなったあとも。
二人になったあとも。
自分を抱きしめてくれた。
「今度は私がお母さんを迎えに行くんです!」
アイドルとウインクが顔を見合わせる。
そして頷いた。
「分かった」
「私たちが道を作るよ」
響もキュンキュンを見る。
「だったら途中で止まるなよ」
「はい!」
クラヤミンダーが再び大量の闇を放つ。
「ウインク!」
「うん!」
ウインクが大きくバリアを広げた。
正面から攻撃を受け止める。
「アイドル!」
「任せて!」
アイドルが横へ走り、別方向から迫る攻撃を拳で弾く。
響も反対側へ回る。
「行け!」
斬月を振り、キュンキュンの前を塞ぐ闇を切り開いた。
道ができる。
「ありがとうございます!」
キュンキュンが走る。
クラヤミンダーが気づき、キュンキュンへ向き直ろうとする。
「余所見すんな」
響が斬月を振る。
クラヤミンダーの身体が傾く。
その隙にキュンキュンがさらに近づく。
だが、クラヤミンダーの中心から強い闇の光が集まり始めた。
「こころ!」
正面から闇が放たれる。
キュンキュンも腕を構えた。
『キュンキュンレーザー』
光と闇がぶつかる。
身体が押される。
「くっ……!」
強い。
さっきよりも。
足が下がる。
腕が震える。
それでも――。
「お母さん……」
幼い自分。
迎えに来てくれた母。
帰り道で手を繋いだ。
父のことを思い出して泣いた夜。
母も泣いていた。
それでも翌朝には、自分のために朝ごはんを作ってくれた。
嬉しかったこと。
悲しかったこと。
全部一緒だった。
今日まで、ずっと。
「私……」
キュンキュンは顔を上げた。
「お母さんに、まだ伝えてないことがいっぱいある!」
光が強くなる。
「ありがとうも!」
一歩前へ。
「大好きも!」
もう一歩。
「だから――!」
押されていた光が止まった。
「絶対に助ける!」
キュンキュンレーザーが闇を押し返していく。
クラヤミンダーの身体が大きく揺れた。
「今だ!」
響が叫ぶ。
アイドルとウインクがキュンキュンの隣へ並ぶ。
三人が視線を合わせた。
響は斬月を下ろし、後ろへ下がる。
ここから先は三人の役目だ。
周囲にステージの光が広がる。
音楽が始まる。
三人は息を合わせて歌い始めた。
クラヤミンダーを覆う闇が揺らいでいく。
「そんな……!」
ザックリーが後ずさる。
三人の光が一つになる。
『プリキュア・ハイエモーション!』
光がクラヤミンダーを包み込む。
黒い闇が少しずつ消えていく。
『キラッキランラン!』
光が収まった。
クラヤミンダーの姿は消えている。
クラヤミンダーを包んでいた闇が消えていく。
光が収まると、そこには愛が倒れていた。
「お母さん!」
変身を解いたこころが駆け寄る。
「お母さん! 大丈夫!?」
「……こころ?」
愛がゆっくりと目を開けた。
「どうしたの?」
「よかった……」
こころはようやく息を吐いた。
すると、愛が時計に目を向ける。
「えっ、もうこんな時間!?」
突然立ち上がった。
「ごめん、こころ! お母さん、先に帰るね!」
「え?」
「また家で!」
愛はケーキの箱を持ち直し、急いで駅前を離れていった。
こころはその背中を見送る。
「……何だったんだろう?」
うたとななが顔を見合わせる。
その少し後ろでは、響が死神姿のまま愛の背中を見つめていた。
母親、か。
さっき、こころは必死に母親を助けようとしていた。
傷ついても、何度倒されても諦めなかった。
当たり前か。
自分の母親なんだから。
「……」
何だ?
まただ。
どうして母親のことになると、こんなに胸が落ち着かなくなるんだ。
「お兄ちゃん?」
うたが顔を覗き込んでくる。
「……何だよ」
「どうしたの? 何か考えごと?」
「いや、別に」
響は首を振った。
「それより、お前らも早く帰ったほうがいいんじゃねぇか?」
「あっ、そうだった!」
うたがななを見る。
ななも頷いた。
「こころちゃん、早く帰ろう!」
「え? どうしてですか?」
「いいからいいから!」
「何でそんなに急ぐんですか!?」
こころが不思議そうに首を傾げる。
そのときだった。
「……!」
響が顔を上げた。
少し離れた通りから、覚えのある霊圧が伝わってくる。
クラヤミンダーとは違う。
この嫌な感じは――。
「……虚か」
「え?」
うたが足を止めた。
「お兄ちゃん、今……」
「お前らも感じるだろ」
ななとこころも表情を変える。
「はい……」
「この霊圧、虚ですね」
三人が周囲を見回した。
響は霊圧の方向へ目を向ける。
さっきまでの戦いで、こいつらの霊圧もかなり高まっていた。
それに引き寄せられたのかもしれない。
「……面倒だな」
響は斬月を握り直した。
「お兄ちゃん、私たちも!」
「いや、お前らは先に帰れ」
「え?」
うたが振り向いた。
「でも、虚が出たんでしょ?」
「ああ。だから俺が行く」
「だったら一緒に――」
「さっきあいつと戦ったばっかだろ」
響は三人を見る。
「お前らはもう十分戦った。ここからは俺がやる」
「でも……」
うたはまだ納得していない様子だった。
響は少しだけ息を吐く。
「心配すんな。今感じるのは一体だけだ」
「……本当?」
「ああ」
「無茶しない?」
「それはこっちの台詞だろ」
「えー!」
うたが頬を膨らませる。
ななが小さく笑った。
「分かった。じゃあ、ここは響さんに任せます」
「ああ」
「気をつけてくださいね!」
こころも頭を下げた。
「響さん、お願いします!」
「任せとけ」
響は斬月を肩に乗せる。
「ほら、さっさと行け」
三人は頷き、駅前を離れていった。
うたは途中で一度だけ振り返る。
「お兄ちゃん!」
「何だよ」
「ちゃんと帰ってきてね!」
響は一瞬だけ目を丸くした。
「……当たり前だろ」
「約束だよ!」
「分かったって!」
うたは笑顔で手を振り、二人を追いかけていった。
響はその背中を見送る。
まったく。
毎回心配しすぎなんだよ、あいつは。
「……さて」
響は前を向いた。
「さっさと終わらせるか」
――駅前から少し離れた住宅街
一人の母親が、小さな男の子と手を繋いで歩いていた。
「お母さん、早く!」
「もう、そんなに急がないの」
男の子は楽しそうに母親の手を引っ張っている。
その少し後ろ。
建物の屋根の上に、白い仮面が現れた。
人間の倍以上ある細長い身体。
両腕は異様に長く、先端には大きな爪が伸びていた。
虚だ。
その視線が、親子へ向けられる。
もちろん、二人には見えていない。
虚が屋根から身を乗り出した。
長い腕が母親と男の子へ伸びる。
その瞬間。
巨大な刃が横から入り、伸びてきた腕を弾いた。
「……おい」
黒い死覇装を着た響が、親子と虚の間へ着地する。
「相手ならこっちにいるぞ」
虚が響へ顔を向けた。
「ようやく見つけた」
響は斬月を構える。
「さっさとかかってこい」
虚が腕を振り下ろした。
響は横へ避ける。
続けてもう片方の腕が迫った。
斬月で受け止め、そのまま押し返す。
「……腕が長ぇな」
距離を取ろうとしたところで、虚が再び爪を伸ばした。
狙いは響ではない。
その後ろにいる親子だった。
「……!」
何だ、こいつ。
響はすぐに地面を蹴った。
親子の前へ回り込み、斬月を振る。
伸びてきた爪を斬り払った。
「きゃっ!」
突然吹いた風に驚き、母親が男の子を抱き寄せる。
「大丈夫?」
「う、うん……」
「じゃあ、行きましょう」
母親は男の子の手を握り、足早にその場を離れていった。
響は二人の背中を見る。
母親が子供を自分の方へ引き寄せる。
何かあったら、真っ先に子供を守ろうとする。
当たり前の光景だ。
なのに――。
「……」
何でだ。
胸の奥が妙に苦しい。
自分でも理由が分からない。
「……くそっ」
響は斬月を握り直す。
今は戦闘中だ。
余計なことを考えてる場合じゃねぇ。
虚が再び腕を伸ばす。
「こっち見ろ!」
響は正面から踏み込んだ。
斬月で右腕を弾き、身体を低くして左腕の下を抜ける。
そのまま虚の懐へ入った。
「そこだ!」
斬月を振り上げる。
刃が虚の胸を斬った。
虚が大きく後退する。
だが、まだ倒れない。
長い腕を広げ、響へ向かってきた。
「まだ来るか」
響は一歩下がって距離を取る。
虚の腕が届く直前、横へ走った。
腕はそのまま地面へ振り下ろされる。
今なら懐が空いている。
響はすぐに方向を変えた。
虚が顔を上げる。
だが、もう遅い。
「終わりだ」
響は斬月を両手で握った。
そのまま一気に踏み込み、白い仮面へ振り下ろす。
刃が仮面を斬り裂いた。
虚の動きが止まる。
その身体は少しずつ崩れ、やがて消えていった。
「……ふぅ」
響は斬月を下ろした。
周囲に虚の霊圧はもうない。
終わったか。
「……」
さっきの親子が歩いていった方向を見る。
母親が子供を守ろうとした。
ただそれだけのことだ。
それなのに、どうしてあんなに気になったんだ。
何かを忘れている。
そんな気がする。
でも、何を?
「……分かんねぇ」
響は首を振る。
考えたところで答えは出ない。
「帰るか」
斬月を背負い直し、肉体を置いた場所へ向かった。
――その頃、紫雨家
「ただいまー」
こころが玄関を開ける。
家の中は暗い。
「……お母さん?」
返事がない。
「もう帰ってると思ったんだけど……」
こころがリビングの扉を開いた瞬間、部屋の明かりがついた。
「こころちゃん、お誕生日おめでとう!」
「ええっ!?」
そこには母と祖父母。
うた、なな、田中。
そしてプリルンとメロロンがいた。
部屋には喫茶グリッターで作っていた飾りが並んでいる。
テーブルにはケーキが置かれていた。
「た、誕生日……?」
こころが目を丸くする。
「こころちゃん、今日誕生日でしょ?」
「……あ」
忘れていた。
母の日のことで頭がいっぱいだった。
「忘れてたんだ」
ななが笑う。
「わ、忘れてました……」
「こころらしいね!」
「うた先輩!」
みんなが笑う。
愛がこころへプレゼントを渡した。
「お誕生日おめでとう、こころ」
「お母さん……」
「いつも頑張っているこころへ」
こころはプレゼントを受け取る。
「ありがとうございます!」
祖父母からも、うた達からも、たくさんの「おめでとう」が届いた。
「最高に……心キュンキュンしてます!」
こころの目が少し潤む。
「よかったプリ!」
「メロロンもお祝いするメロ!」
そのとき、こころが周囲を見回した。
「あれ? 響さんは?」
「お兄ちゃんなら、ちょっと用事があって」
うたが答える。
「あ、そうなんですか」
「でも、ちゃんとお祝いするって言ってたよ!」
「本当ですか?」
「うん!」
こころは嬉しそうに笑った。
「それなら、今度お礼を言わないとですね!」
その後、こころは朝から用意していたカーネーションとメッセージカードを愛へ渡した。
「お母さん」
「何?」
「これ、母の日のプレゼントです」
愛がカーネーションを受け取る。
「ありがとう、こころ」
「それと……カードも読んで」
愛はカードを開いた。
そこには、こころが何度も悩んで決めた言葉が書かれていた。
『お母さんへ。いつもありがとう。ずっと大好きだよ』
愛はしばらくカードを見つめていた。
そして、こころを抱きしめる。
「私も大好きよ、こころ」
「お母さん……」
こころも母の背中へ腕を回した。
うたとななは、その様子を笑顔で見つめていた。
――その日の夕方
咲良家
「ただいま」
響が玄関の扉を開けた。
「あら、おかえり。響」
リビングから母親の声が聞こえる。
「うたは一緒じゃないの?」
「あいつなら紫雨の家。誕生日会やってる」
「そうだったわね」
母親が笑う。
「響は行かなかったの?」
「……ちょっと用事があってな」
「そう。お疲れさま」
母親は冷蔵庫から飲み物を取り出した。
「はい、これ」
「ん、ありがと」
響は受け取り、ソファへ腰を下ろす。
ようやく帰ってきた。
クラヤミンダーに虚。
今日は随分と面倒な一日だった。
「響?」
「……ん?」
「何かあった?」
母親が向かいに座る。
「別に」
「そう?」
「ちょっと疲れただけだ」
「無理しちゃ駄目よ」
「ああ、分かってる」
「本当に?」
母親が顔を覗き込んでくる。
「響は昔から、自分のことになるとあまり話してくれないんだから」
「……そんなことねぇよ」
「そうかしら?」
母親が笑った。
響は飲み物を口にする。
さっきまで見ていた光景が頭に浮かんだ。
子供を抱き寄せた母親。
こころを抱きしめた愛。
どちらも、自分の子供を大切に思っている。
そして、目の前にいる母親も。
「……お袋」
「何?」
響は少しだけ迷った。
何を聞こうとしていたんだろう。
「……いや、何でもねぇ」
「もう、何よそれ」
母親が笑う。
「何かあったら、ちゃんと言ってね?」
「……ああ」
「私は響の母親なんだから」
その言葉に、響の手が止まった。
「……」
何だ?
まただ。
胸の奥が痛む。
けれど、嫌な感じじゃない。
懐かしいような。
少し寂しいような。
そんな、よく分からない感覚だった。
「……分かってるよ」
響は短く答えた。
それからしばらくして。
「ただいまー!」
玄関から元気な声が聞こえた。
「おかえり、うた」
「お母さん!」
うたがリビングへ駆け込んでくる。
「あっ、お兄ちゃん!」
ソファに座っていた響を見つけ、表情が明るくなった。
「帰ってたんだ!」
「ああ」
「虚は?」
「倒した」
「大丈夫だった?」
「見りゃ分かるだろ」
「もう! ちゃんと答えてよ!」
「大丈夫だって」
うたは響の顔をじっと見る。
「……本当?」
「しつこいぞ」
「だって心配だったんだもん!」
「……」
響は少しだけ目を逸らした。
まったく。
どいつもこいつも。
「……悪かったよ」
「え?」
「心配かけた」
うたは一瞬驚いた顔をした。
それから笑う。
「うん!」
「何だよ」
「お兄ちゃん、今日は素直だね!」
「うるせぇ」
そのやり取りを見ていた母親が首を傾げた。
「虚?」
「あっ!」
うたの動きが止まった。
「えっと……」
しまった。
つい普通に話してしまった。
「きょ、今日は色々大変だったんだよ!」
「そうなの?」
「うん! すっごく!」
「……お前、誤魔化すの下手すぎだろ」
響が小声で突っ込む。
「お兄ちゃんも何か言ってよ!」
「俺に振るな」
母親は不思議そうに二人を見ていたが、やがて笑った。
「まあ、二人とも元気ならいいけど」
「うん!」
うたが大きく頷く。
響は小さく息を吐いた。
危ねぇ。
もう少しで変な説明をするところだった。
「そうだ!」
うたが手を叩く。
「お母さん!」
「何?」
「今日、母の日でしょ!」
「あら、そうね」
「じゃーん!」
うたは持っていた紙袋を差し出した。
「いつもありがとう!」
「まあ……!」
母親の顔が明るくなる。
「ありがとう、うた」
「えへへ!」
うたは嬉しそうに笑う。
「お兄ちゃんも!」
「分かってるよ」
響は立ち上がり、朝から用意していた小さな包みを持ってきた。
「ほら」
「え?」
母親が驚いた顔をする。
「響も用意してくれたの?」
「……まあな」
「ありがとう。開けてもいい?」
「好きにしろよ」
「もう、お兄ちゃん! もっと素直に渡しなよ!」
「うるせぇ」
母親は包みを開いた。
中には、落ち着いた色のハンカチが入っていた。
「あら、素敵」
「……そうか」
「大切に使うわね」
母親が笑う。
響は少しだけ顔を背けた。
「……それと」
「何?」
母親が響を見る。
響は一度言葉を止めた。
言えるうちに言っておけ。
昼間、こころにそう言った。
理由は分からない。
でも今は、その言葉が妙に頭に残っている。
「……いつも、ありがとな」
少しの沈黙。
そして、母親が優しく笑った。
「どういたしまして」
響の頭へ手を伸ばす。
「二人とも、ありがとうね」
「えへへ!」
うたが嬉しそうに笑う。
「お母さん、大好き!」
「私もよ、うた」
母親がうたを抱き寄せた。
「響もね」
「……俺はいいって」
「そう?」
「もう子供じゃねぇんだから」
「ふふ、そうね」
母親が笑う。
うたも笑っている。
響はその様子を見ながら、少しだけ目を細めた。
お袋も親父もいる。
うたもはもりもいる。
こうして、いつも通り家で話せる。
今までは何とも思っていなかった。
いや、そんなことはないか。
ただ、当たり前だと思っていただけだ。
「……」
何でだろうな。
今日は、それが妙に大切なことのように思える。
理由は分からない。
でも――。
「お兄ちゃん!」
「……何だよ」
「今、ちょっと笑ってたでしょ!」
「笑ってねぇよ」
「絶対笑ってた!」
「気のせいだ」
「お母さんも見たよね!」
「ええ、見たわよ」
「ほらー!」
「……二人して何なんだよ」
母親とうたが笑う。
響は呆れながらも、もう一度だけ母親の顔を見た。
いつもと変わらない笑顔。
その声を聞いていると、胸の奥にあった理由の分からない痛みも、少しだけ和らいだ。
……よかった。
何がよかったのか、自分でもうまく説明できない。
それでも。
今、こうしてお袋が笑っている。
それだけで十分だった。
俺達は 手を伸ばす
雲を払い 手を貫き
月と火星は掴めても
真実には まだ届かない
BLEACH/第10巻 志波岩鷲
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