心を持った少女人形(原材料:人間)   作:ばっどぼーい

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[エマ編 1]最初から人形だった

真琴が目を覚ましたとき、最初に感じたのは、自分の身体がひどく重いということだった。

背中には硬く平らな寝台の感触があり、白い照明が顔のすぐ上で光っている。消毒薬に似た匂いが鼻につき、どこかで機械が低く唸っていた。

意識がはっきりするにつれ、記憶が断片的に戻ってきた。

仕事帰りの駅前。降り始めた雨。鞄から傘を取り出そうとした瞬間、背後に立った人影。口元を覆った布と、甘い薬品の匂い。

その先は何もない。

真琴は起き上がろうとした。

身体はほとんど動かなかった。

薬が残っているのだと思った。全身麻酔の後なのかもしれない。そう考えながら右手を握ろうとしたが、指の感覚が返ってこなかった。

脚へ力を入れても、足先が動く感覚はない。

「……誰か」

声は掠れていた。

「誰か、助けてください」

返事はない。

恐怖を押し殺し、真琴は肩へ力を入れた。

今度は、何かが動いた。

右腕が寝台の上を大きく跳ねた。

しかし、それは腕を持ち上げたというより、肩から吊り下げられた重い棒を振り回したような動きだった。肘も手首も曲がらず、掌が寝台の縁へぶつかって乾いた音を立てる。

 

かつん。

人間の手が当たった音ではなかった。

硬い物同士がぶつかる音だった。

真琴は息を止めた。

もう一度、肩を動かした。

腕は乱暴に持ち上がり、今度は自分の脇腹へ落ちた。重さはある。腕がそこにあることも分かる。だが、どれほど念じても、肘から先は一切反応しなかった。

真琴は左脚も動かそうとした。

股関節から何かを振る感覚があり、寝台の上で脚らしきものが横へずれた。

膝は曲がらない。

足首も動かない。

足の指を丸めようとしても、命令はどこにも届かなかった。

身体には白い布がかけられていた。

その下に何があるのか確かめたくなかった。

それでも、見なければならないという焦りが、恐怖を上回った。

「誰か!」

真琴が叫ぶと、部屋の扉が開いた。

灰色の作業着を着た男が入ってきた。五十歳ほどに見える。医師の白衣ではなく、名札もない。片手には、小さな櫛が握られていた。

男は真琴の顔を見ると、安堵したように微笑んだ。

「おはよう、エマ」

「ここはどこですか」

「まだ混乱しているね。長く眠っていたから仕方がない」

「警察を呼んでください」

男は答えず、寝台のそばへ来て真琴の髪を梳き始めた。

真琴は顔をそむけた。

「触らないで」

「髪が乱れているよ。きれいにしてあげないと」

「私の名前は真琴です。エマじゃありません」

男は笑いもしなければ、腹を立てもしなかった。

幼い子どもの勘違いを訂正するように、穏やかに首を振った。

「君はエマだ。私が作った人形だよ」

真琴の胸の奥が冷えた。

「何を言っているんですか」

「まだ、人間になった夢を見ているんだ」

「私は人間です」

「そう思っているだけだよ」

男は白い布へ手をかけた。

真琴は反射的に叫んだ。

「待って!」

男の手が止まる。

その下を見るのが恐ろしかった。

だが、真琴は震えながら言った。

「……見せて」

男が布を取り払った。

一瞬、何を見せられているのか理解できなかった。

肩から先にあるものは、見慣れた自分の腕ではなかった。

上腕の途中までは人間の皮膚が残っている。その先に、象牙色の硬い部品が接続されていた。肘には丸い関節があり、前腕の先には細く整えられた人形の手が取りつけられている。

五本の指には爪まで作られていた。

だが、指は一本も動かない。

左腕も同じだった。

両脚は太腿の途中から先が失われ、そこへ人形の脚がつながっていた。丸い膝関節と足首の継ぎ目が露出し、足先には小さな靴をはかせるための細い足がついている。

「……何、これ」

真琴の声が震えた。

「きれいだろう」

男が言った。

「違う」

真琴は首を振った。

「これは、上からつけてあるだけですよね」

「君に合うように作った」

「外してください」

「どうして?」

「私の手と脚を返してください」

男は不思議そうに真琴を見た。

その表情で、真琴はようやく、自分が何を尋ねなければならないのかを理解した。

「私の手足は、どこですか」

男は答えなかった。

「どこにやったんですか」

「人形には、最初から人間の手足なんてないよ」

真琴は肩を激しく動かした。

人形の腕が寝台へ叩きつけられた。

かつん、かつんと硬い音が響く。

左腕も振り回した。右脚も、左脚も、股関節から無茶苦茶に振った。

人形の手足は、真琴の必死さに合わせて大きく揺れた。

だが、どれだけ暴れても手は何もつかめなかった。肘は曲がらず、掌は男へ届いても、硬い指がその服をつかむことはない。

脚を振り上げても、膝が曲がらないため男を蹴ることができない。ただ長い棒のような脚が寝台の縁に当たり、虚しい音を立てるだけだった。

完全に動かないわけではない。

だからこそ、失ったものが分かった。

肩は残っている。

股関節も残っている。

脳は腕を動かそうとしている。

脚で逃げようとしている。

だが、その先にあるのは、自分の意思を細かな動きへ変えてくれない人形の部品だけだった。

「返して!」

真琴は叫んだ。

「私の手を返して! 脚を返して! まだ間に合いますよね。病院へ行けば、つなげられますよね!」

男は黙っていた。

「お願いです。警察にも言いません。お金も払います。家族に頼めば、いくらでも――」

言葉が途切れた。

男の沈黙が答えだった。

切り離されたものは、もうどこにもない。

救急車が来ても、世界で最も優れた医師が来ても、失った腕や脚が元どおりに生えてくることはない。

「いや……」

真琴は肩を震わせた。

「いや、そんなの……」

両腕を振り上げ、顔を覆おうとした。

硬い手が頬へぶつかった。

しかし指は開いたままで、涙を拭うことも、目を隠すこともできない。顔を守るように腕を曲げることさえできなかった。

「いやああああっ!」

悲鳴が部屋を震わせた。

真琴は寝台の上で暴れ続けた。

肩や腰から乱暴に振られる人形の四肢が、周囲へ何度もぶつかった。動いているのに、何ひとつできない。

男を押しのけられない。

拘束を外せない。

起き上がれない。

自分の身体を抱きしめることさえできない。

失った手の指には、まだ感覚があった。

存在しない掌を握りしめている気がする。爪が皮膚に食い込み、指先が痺れ、手首を強く縛られているように痛んだ。

「痛い」

真琴は泣きながら言った。

「手が痛いんです。まだあるんです。ちゃんと感じる。だから返してください」

目の前にある人形の手は、微動だにしなかった。

「殺して」

真琴は声を枯らしながら言った。

「こんなことをするくらいなら、殺して」

「どうして?」

男は穏やかに尋ねた。

「こんなにきれいになったのに」

男は操作盤を取り出した。

レバーを動かすと、それまで垂れていた人形の右腕が静かに持ち上がった。肩だけでなく、肘も曲がり、手首が回り、指がひとつずつ閉じていく。

真琴にはできなかった動きだった。

人形の手が真琴の頬に触れた。

硬い指が、流れ続ける涙を拭う。

「ほら。ちゃんと動く」

「やめて」

「君が動かす必要はない。私が動かしてあげる」

「私の身体です!」

「エマの身体だよ」

男が操作すると、真琴の右手は自分の髪を撫でた。

左手は胸元で美しく重ねられた。

脚は寝台から下ろされ、膝が人形らしく滑らかに曲がった。

自分の意思では振り回すことしかできない四肢が、男の命令には従順に応じていた。

真琴は、自分の身体の所有権を奪われたのだと悟った。

その日から、真琴をエマへ変える訓練が始まった。

男はまず、彼女に服を着せた。

肘や手首を隠す長袖のブラウス。指先まで覆う白い長手袋。脚には厚いストッキングをはかせ、その上から足首まで届くロングスカートをまとわせた。

手袋をつければ、手首の継ぎ目も硬い指も見えなかった。

スカートの下では膝や足首の丸い関節も隠れた。

靴をはかせ、髪を整え、椅子へ座らせる。

鏡の中には、上品な服を着た一人の女性がいた。

膝の上で手を重ね、背筋を伸ばしている限り、普通の人間とほとんど変わらない。立ち上がらない理由も、行儀よく座っているだけだと思われるだろう。

「よく似合っている」

男は満足そうに言った。

真琴は鏡を見つめた。

長手袋の下に、自分では握ることのできない手がある。

スカートの下に、自分では曲げることのできない膝がある。

肩を振れば腕は揺れる。

腰をひねれば脚も少し動く。

だが、それは歩くための動きでも、物に触れるための動きでもなかった。

美しい衣装は、人間らしさを取り戻すものではない。

人間の形を失った事実を、他人の目から隠すための包装だった。

「病院へ連れていって」

真琴は何度も頼んだ。

「病院へ行っても、元には戻らないよ」

男ははっきり言った。

「別の義手や義足をつけることはできるかもしれない。でも、君が生まれたときから使ってきた手と脚は、もうどこにもない」

真琴は目を閉じた。

分かっていた。

しかし、言葉にされると、胸の奥に残っていた最後の希望まで潰れた。

たとえ救出されても、元の手で母に触れることはできない。

自分の足で歩いていた感覚も戻らない。

最新の義手を手に入れたとしても、それは失った手そのものではない。訓練を重ねて何かをつかめるようになったとしても、以前と同じ自由が戻るわけではない。

真琴はその夜、眠らなかった。

母の手の温度を思い出した。

父と並んで歩いた道を思い出した。

仕事帰りに買い物袋を持った感覚。熱いマグカップを両手で包んだ感覚。風呂の中で足の指を動かした感覚。

取るに足らないと思っていた動作の一つ一つが、二度と戻らないものになっていた。

翌日から、男は別の訓練を始めた。

真琴の前に大きな鏡を置き、人形の右手を机の上へ載せた。

長手袋は外され、硬い指が露出している。

男は真琴の残された上腕へ、小さな器具を当てた。

「何をするんですか」

「君の手を、戻してあげる」

「嘘です」

「見ていれば分かる」

男が操作盤を使い、人形の人差し指を柔らかな布で撫でた。

同時に、上腕のある一点へ弱い刺激が加えられた。

真琴は身体を震わせた。

存在しない人差し指を、何かがなぞったような感覚があった。

目の前では、人形の指が撫でられている。

触れられた感覚があるのは、失ったはずの自分の指だった。

「違う」

真琴は首を振った。

「偶然です」

男は今度は人形の親指を押した。

それと同時に、上腕の別の場所へ刺激を与える。

真琴の幻の親指に、圧迫感が生じた。

「やめて」

「どこを触られた?」

「私の……親指」

「これは誰の親指?」

男は人形の手を示した。

「違う。それは作り物です」

「でも、触られたと感じた」

「違う!」

それは毎日続いた。

人形の小指に触れると、失った小指に感覚が生じる。

掌へ布を滑らせると、存在しない掌がくすぐったくなる。

人形の手を冷たい金属へ載せると、真琴は失った手に冷たさを感じた。

脚にも同じ訓練が行われた。

人形の足裏へ柔らかな毛布を押し当てれば、もう存在しない足の裏に感触が生まれた。つま先を温めれば、幻の指先が温かくなる。人形の膝を軽く叩かれると、失った膝の表面に鈍い衝撃が走った。

初めのうち、真琴は目を閉じて抵抗した。

しかし、男は鏡を見なければ刺激を強くし、見続ければ痛みを弱めた。

やがて真琴の脳は、視界の中の人形の四肢と、失った手足の感覚を結びつけ始めた。

人形の手に誰かが触れる。

真琴がそれを感じる。

人形の脚を毛布で包む。

真琴の足が温まる。

感覚だけなら、そこに手足が戻ってきたようだった。

それは救いに似ていた。

同時に、恐ろしい罠でもあった。

「これは私の手じゃない」

真琴は何度も言った。

「なら、なぜ触られたことが分かるんだい」

「あなたが、そう感じさせているだけです」

「人間の手だって同じだよ。神経が信号を送り、脳がそこに手があると思っているだけだ」

「違う」

「何が違う?」

真琴は答えられなかった。

ある日、男が人形の手へ触れた瞬間、真琴は反射的に肩を引いた。

「急に触らないで!」

男は微笑んだ。

「今、君はそれを自分の手としてかばった」

真琴は人形の手を見つめた。

長い指。

丸い関節。

手首にある細い隙間。

どれも自分のものではない。

それなのに、男の指が掌をなぞると、確かにくすぐったかった。

「違う」

真琴は呟いた。

「私の手は、もっと温かかった」

「エマの手はこれだよ」

男は長手袋をはめた。

継ぎ目が見えなくなる。

白い布で覆われた手は、鏡の中では普通の女性の手に見えた。

男がその手を真琴の頬へ触れさせる。

真琴は、頬に触れている感覚と同時に、人形の掌で誰かの肌を触っているような幻の感覚を覚えた。

触れられるだけではなかった。

自分が触れている。

硬い人形の指が、自分の指として世界に触れている。

真琴は泣いた。

それが嬉しかったからなのか、恐ろしかったからなのか、自分でも分からなかった。

「私の手じゃない」

泣きながら繰り返した。

「でも、何も感じないよりはいいだろう?」

男の問いに、真琴は答えなかった。

答えられなかった。

触覚を拒めば、彼女には肩から先の空白しか残らない。

受け入れれば、この人形の手を自分のものだと認めることになる。

男はその迷いを利用した。

――エマは人形。

――エマの手は、人形の手。

――エマの脚は、人形の脚。

――触れられる場所が、エマの身体。

真琴が自分の名を口にすると、頭の奥で鋭い鐘が鳴った。

「私は真琴」

痛み。

「これは私の手ではない」

痛み。

反対に、エマという名前を受け入れると、柔らかな音楽が流れた。

「君の名前は?」

「……真琴」

鐘の音。

「君の名前は?」

「真琴です」

さらに強い痛み。

「君の名前は?」

「……エマ」

音楽。

「これは誰の手?」

真琴は長手袋に包まれた人形の手を見た。

男がその掌を撫でる。

幻の掌に、温かな感触が広がった。

「……エマの手です」

「君は何者?」

「人間です」

痛み。

「君は何者?」

「私は……」

鏡には、長袖の服とロングスカートをまとった女性が映っていた。

男が操作盤から手を離すと、両腕はだらりと下がった。

真琴は肩を動かした。

人形の腕が大きく揺れ、椅子の肘掛けへ当たった。

その衝撃を、彼女は人形の手に感じた。

次に脚を振ろうとすると、スカートの下で人形の足が床をこすった。

足裏へ、床の硬さが伝わった。

立つことはできない。

歩くこともできない。

それでも、そこには自分の手足があるように感じられた。

「人間なら、自分の指を動かせるはずだろう?」

男が尋ねた。

真琴は人形の指を曲げようとした。

動かなかった。

「でもエマは、持ち主に動かしてもらう」

操作盤が鳴り、人形の手が美しく開いた。

幻の指が伸びたような感覚がした。

「そうだろう?」

「……はい」

日付の感覚が消えた。

住所を忘れた。

友人の名を忘れた。

父の声を忘れた。

最後まで残っていた母の顔も、思い出そうとすると輪郭が崩れた。

代わりに、エマの写真が与えられた。

庭の椅子に座るエマ。

窓辺で本を開くエマ。

花を抱えて微笑むエマ。

写真の中のエマは、いつも長袖と長手袋、長いスカートを身につけていた。関節はすべて隠れ、普通の美しい女性にしか見えない。

十年前の日付が印刷された写真もあった。

「偽物です」

真琴は言った。

「どうしてそう思うんだい」

「私は、その場所を覚えていない」

「人形は、箱にしまわれている間のことを忘れるものだよ」

「私は人間でした」

「その証拠は?」

真琴は答えようとした。

名前。

家。

家族。

自分の手で何かをつかんだ記憶。

自分の足で歩いた記憶。

どれも霧の向こうにある。

確かなのは今の身体だけだった。

男が人形の手へ触れると、自分の手が触れられたように感じる。

人形の足を温められると、自分の足が温まる。

そして、自分の意思ではその指一本動かせない。

「人形であることは、怖くないよ」

男は真琴を抱き上げた。

人間の四肢を失った身体は、以前よりずっと軽かった。

「何も決めなくていい。失敗もしない。誰かに嫌われることもない。君はただ、きれいでいればいい」

棚の中央へ座らされる。

背中を支柱に固定され、両手は膝の上に置かれた。

服を着た姿は、眠っている女性にしか見えなかった。

「おやすみ、エマ」

「……おやすみなさい」

返事をしてから、真琴は自分の口を疑った。

だが、その夜は鐘が鳴らなかった。

幻肢の痛みもなかった。

長手袋に包まれた手へ、男が柔らかな布をかけてくれた。

真琴は、自分の手が温かく包まれているように感じた。

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