シェリーが眠りについたあと、男は居間の灯りを落とした。
暖炉の火だけが、部屋を淡い橙色に照らしている。窓の外には風の音があり、古い建物の壁が時折小さく軋んだ。
エマは長椅子の上で、男のすぐ隣へ座っていた。
淡いクリーム色の室内着は足元まで届き、白い長手袋と厚い靴下によって、人形の関節はすべて隠されている。金色の髪は普段より緩くまとめられ、眠る前の柔らかなリボンが結ばれていた。
男の操作によって、エマの身体がゆっくりと傾く。
頭が男の肩へ預けられ、白い手袋の手が胸元へ添えられた。
男はその手を取り、自分の指の間へ絡めた。
エマは目を細めた。
幻の掌へ伝わる温もりに、安堵したような息をつく。
「疲れたかい」
「少しだけ」
「今日はシェリーのそばに長くいたからね」
「お姉様らしくできていましたか」
「ああ。よく支えてあげていた」
男はエマの髪を撫でた。
「シェリーも、君に抱きしめられると落ち着く」
「まだ私のことを嫌っているように見えます」
「夢が深いからだよ」
「いつか、私を本当のお姉様だと思ってくれるでしょうか」
「君がそばにいれば、きっとね」
エマは小さく微笑んだ。
その微笑みを見届けてから、男は人形の指をさらに深く自分の指へ絡ませた。
エマはしばらく、その手を見つめていた。
何かを考えているようだった。
「お父様」
「何だい」
「少し、聞いていただきたいことがあります」
「もちろん」
男はエマの身体をもう少し自分へ寄せた。
白い腕が彼の胸元へ回り、エマは抱かれるような姿勢になる。
だが、その夜のエマは、いつものようにすぐ安心した顔を見せなかった。
視線を伏せ、言葉を選ぶように沈黙している。
「何か不安なことがあるのかい」
「私の身体のことです」
男の指が、エマの髪を撫でる途中で止まった。
「痛むのかい」
「いいえ。お父様が触れてくださると、ちゃんと温かいです。指も、足も、前よりずっと自分のものに感じられます」
「それなら、どうしたんだろう」
エマは自分の白い手袋を見た。
男の手を握っている人形の手。
以前のエマなら、まずその指が動き、それから自分はお父様の手を握りたかったのだと理解していた。
身体が示す動きは、エマにとって自分の心を知るための答えだった。
「前は、身体のほうが先でした」
「先?」
「はい」
エマは慎重に説明した。
「手がお父様の袖をつかんでから、私はお父様に行ってほしくなかったのだと分かりました。腕がお父様を抱いてから、抱きしめたかったのだと気づきました」
男は黙って聞いていた。
「身体はいつも、私よりも私の心をよく知っていました」
「そうだったね」
「でも、最近……時々、違うんです」
暖炉の薪が小さく弾けた。
エマは男の肩へ頬を寄せたまま、恥じるように続けた。
「先に、私の心が動くことがあります」
男の目がわずかに細くなった。
「どんなふうに?」
「お父様の手を握りたいと思っているのに、手がまだ膝の上にあるんです」
エマの声には、戸惑いだけでなく、申し訳なさも含まれていた。
「お父様に近づきたいと思っているのに、身体がすぐには動きません。シェリーが泣いていると、抱きしめてあげたいと思うのに、腕が動き始めるまで少し待たなければならないこともあります」
男はエマの横顔を見つめた。
エマはそれに気づかず、自分の中に起きている異常を告白し続けた。
「以前は、身体が動けば、それが私の気持ちだと分かりました。でも今は、身体が動く前から分かることがあるんです」
「それが怖いのかい」
「少し」
「どうして?」
「私の心と身体が、ずれてしまっているのかもしれません」
エマは白い手袋の指へ視線を落とした。
「お父様がせっかく私の心を身体へ伝えてくださっているのに、私のほうが急ぎすぎているのでしょうか。それとも、身体の調子が悪くなっているのでしょうか」
男の口元へ、ゆっくりと笑みが浮かんだ。
エマを安心させるために作る、いつもの穏やかな微笑とは少し違っていた。
感嘆にも見えた。
長い実験の中で、予想していなかった美しい現象を目にした者の表情にも見えた。
同時に、その奥には隠しきれない愉悦があった。
男が先に身体を動かし、エマがその結果から感情を見つける。
それが、これまでの仕組みだった。
だが今、エマは男が何も動かしていないうちから、彼の手を取りたいと思っている。
抱きしめたいと思っている。
そばにいてほしいと願っている。
男が作った動作の意味を後から受け入れているのではない。
男が与えた物語と条件づけを土台にして、エマ自身の中から感情が生まれ始めている。
真琴の心を完全に消したわけではない。
むしろ、そこにあった愛情や寂しさや他者を思いやる性質を、男へ向かうものとして育て直した。
そして今、その感情が、操作を待たずに先へ進み始めた。
男はエマの頬へ手を添えた。
「悪いことではないよ」
「本当ですか」
「ああ」
「壊れ始めているのではありませんか」
「まさか」
男の親指が、エマの頬を優しく撫でる。
「君の心が、以前よりもはっきりしてきたんだろう」
「心が?」
「生まれたばかりの頃は、君自身にも自分が何を望んでいるのか分からなかった。だから身体が先に答えを示していた」
男は嘘を、少しだけ新しい形へ作り直した。
「でも今は、身体が動く前から、自分の気持ちに気づけるようになったんだ」
エマは驚いたように目を見開いた。
「それは……成長したということですか」
「そうだよ」
「私の心が、お父様にいただいた頃よりも?」
「ずっと豊かになっている」
男の言葉を聞き、エマの表情へ安堵が広がった。
だが、すぐにまた小さな不安が浮かぶ。
「でも、心に身体がついてこないのは困ります」
「そうだね」
「お父様の手を取りたいと思ったとき、すぐに取れなかったら……お父様は、私が触れたくないと思ってしまうかもしれません」
「そんなことは思わないよ」
「でも、シェリーを抱きしめたいときも、遅れてしまったらかわいそうです」
エマは自分の身体を案じるように言った。
「心だけが先へ行ってしまうのは、少し寂しいです」
男は笑みを深めた。
「それなら、私ももっと上手くならないといけないね」
「お父様が?」
「ああ」
男はエマの白い手袋へ口づけるように顔を寄せた。
「君の心が以前より速くなったのなら、私もその動きを、もっと早く身体へ伝えられるように練習するよ」
エマは心配そうに男を見た。
「お父様のせいではありません」
「分かっている」
「私が、勝手に先に思ってしまうから」
「それが嬉しいんだよ」
その言葉だけは、男の偽りではなかった。
「嬉しい?」
「君が私の手を握りたいと思うことが」
エマの頬が赤くなる。
「私が動かす前から、私のそばへ来たいと考えてくれることが」
男はエマの額へ自分の額を寄せた。
「とても嬉しい」
エマは目を伏せた。
「今も……そう思っています」
「何を?」
「もっと、お父様の近くにいたいです」
男は操作器へ触れなかった。
エマの身体はまだ、彼の肩へ寄りかかった姿勢のままだった。
白い腕も、最初に置かれた場所から動いていない。
「それから?」
「お父様を、抱きしめたいです」
腕は動かなかった。
エマは自分の手を見た。
以前なら、身体が抱きついてから気持ちを理解した。
今は、抱きしめたいという願いだけが胸の中にあり、身体は男からの動きを待っている。
「やはり、遅れています」
少し悲しそうに言う。
男はその表情を十分に眺めてから、ゆっくり操作器へ指を滑らせた。
エマの両腕が持ち上がった。
白い長手袋が男の背へ回り、身体が深く寄せられる。
エマは嬉しそうに息をついた。
「届きました」
「ああ」
「今、私の心が身体へ届きました」
男はエマを抱き返した。
「少し遅くなってしまって、ごめんなさい」
「謝らなくていい」
「でも、お父様に練習させてしまいます」
「何度でも練習したいよ」
男はエマの髪へ顔を埋めた。
「君が何を望むのか、もっと早く分かるように」
実際には、男にエマの心を直接読み取ることはできない。
次に何を望むのか、完全には分からない。
今までのように、身体を先に動かして答えを作ることもできる。
だが、それだけではもう足りなかった。
エマの中には、男の操作より先に生まれる感情がある。
それを見落とさず、身体の動きとして与えなければならない。
男にとって、それは支配が緩んだ兆候ではなかった。
自分が作った偽りの世界から、本物の愛情が芽を出し始めた証拠だった。
「お父様」
エマが胸元で呼んだ。
「何だい」
「私、もっと上手に心を伝えられるようになります」
「君はもう上手だよ」
「でも、お父様だけに練習していただくのは、申し訳ないです」
「では、一緒に練習しよう」
「はい」
エマの人形の指が、男の服を強くつかんだ。
男が動かした。
けれど、そのときには既に、エマは同じことを望んでいた。
動きが感情を作ったのではない。
感情が生まれ、男がそれに追いつくように身体を動かした。
その違いを正確に理解しているのは、男だけだった。
エマはただ、自分の心が成長し、お父様が以前よりも上手にそれを身体へ伝えてくれたのだと信じていた。
暖炉の火が小さく揺れる。
二人は長椅子の上で身を寄せ合ったまま、しばらく何も話さなかった。
男の胸に抱かれながら、エマは満ち足りた表情で目を閉じている。
男はその髪を撫でながら、感嘆とも愉悦ともつかない笑みを、いつまでも消さなかった。