二人も最初から、強い魔女だったわけではありません。
ポーンだった少女は、やがて盤上を駆けるクイーンとなり――
いつしか、次のポーンを育てる側になっていました。
狭くこじんまりとした研究室、そこでヘルムートと「グラーフ」はチェスに興じていた。
ヘルムートはおもむろにポーンを手に取るとこうつぶやく。
「グラーフお前さん、もう少し研鑽を積め、お前はまだポーンだ。体よく使い潰されるぞ」
「グラーフ」とあだ名のその少女は人一倍臆病で、よく教官のヘルムートになついていた。そして今日も今日とて、ヘルムートの説教に付き合うのだ。
「またその話ですか?先生、ポーンだっていつかはナイトに」
言い訳ばかりの「グラーフ」をヘルムートが鋭くにらんだ。
「ナイトでいいやと思ってる奴は、ポーンのままだ、クイーンになろうと積み上げて。ようやくナイトの称号を得る、そしてナイトでビショップを取る」
カッ、ヘルムートが素早くナイトを動かし、ビショップを取る。ご満悦だ。
「じゃあ、どうすれば?」
いつものようにおどおどと、ヘルムートの顔色をうかがう「グラーフ」。
「だから研鑽だと。当たり前のことを当たり前にする。お前の報告書はいつもお粗末だ。『敵を倒した。勝った。』としか書いてないだろ。いつ?どこで?何を目的に?何の行動を取っているときに?どうして敵と遭遇し、敵を倒した。ここまで書きなさい」
ここぞとばかりに一気にまくしたてながら、ヘルムートは「グラーフ」の提出したレポートに次々と赤で問題点を書き込む。
「嫌です」
グラーフはばつが悪そうに口をへの字に曲げた。
「ならポーンのままだ。ポーンに降りる命令は悲しいな、前に進め、決して下がるな。戦え。そして死ね」
ヘルムートは自分のポーンでグラーフのポーンをとった。
「あう…」
グラーフはヘルムートの説教のペースに飲まれている。
「その点、ナイトには特別な命令が、右斜め前、君の射程圏内に敵ビショップを捕捉、攻撃の可否は君の判断に任せる、帝国に勝利を、さあ、どっちがいい?ナイトか?ポーンか?」
そう言うとナイトの駒をフリフリとグラーフの前にちらつかせた。
「ナイトがいいです」
「そうだよな。ならこのレポートを書き直してくれ、ペラ1枚ではなく、10枚で再提出」
朱書きだらけのレポートを突き返すヘルムートはとても意地悪な顔。
「Ja.」
グラーフは肩を落としすごすごと研究室を後にした。
「君には期待している」
その背中をヘルムートはコーヒーをすすりながら見送った。
それから時は進み、乙女たちは傷つき、失い、大人になった。男の味も知ったいい女二人は、今日も今日とてチェスに夢中。ここは黄昏時の司令官室。
「なあ、ヨアヒム。なんでポーンは前にしか進めないんだ?」
ヘルムートはポーンを前進させそうつぶやいた。
「ポーンはまだ未熟なの。だから目の前の敵しか見えない」
ヨアヒムもそれに応じてポーンを前に出す。
「よし、ポーンどかした」
ヘルムートはとにかくポーンを目いっぱい出して、クイーンやビショップの通り道を確保したいようだ。
「そうやってポーンを軽く扱うのは、いただけないわね」
ヨアヒムは少し笑いながら言った。
「いいんだよ。ほら、ビショップとルークの道が開いた」
ヨアヒムは隙を見逃さない。
「じゃあ、そのビショップはルークでいただくわ」
「そこにナイトのご登場だ」
「ポーンを一歩前へ」
盤面は進んでいく。
「はは! 女王陛下で踏み潰してやる! クイーンは便利だよな。縦、横、斜め、どこへでも動かせる」
ヘルムートのお気に入りは何といってもクイーンだった。
「便利だからと働かせすぎると、こうなるの」
ヨアヒムがビショップでクイーンを取った。
「ああ…クイーンが…」
「まるで、あの時みたいね」
悲しそうにヨアヒムがつぶやく。
「あの時?」
ヘルムートは怪訝に聞き返した。
「あなたが落ちた時。司令部は、あなたを"万能のクイーン"みたいに使った」
「ああ。『お前が行けば大丈夫だ』って言ってな」
「その結果、クイーンはあっけなく失われた」
盤面が進みヘルムートは追い詰められていた。
「味方を失ったキングは、一人で逃げ回るハメに…」
「キングはいつまでも逃げられない。一歩ずつしか動けないもの」
「……」
「でも経験を積んだポーンは違う」
ヨアヒムがポーンを最終段まで進める。
「昇格。新しいクイーンよ」
「チェック」
「逃げ場がない……」
「チェックメイト」
「参った」
うなだれるヘルムートにヨアヒムが話しかける。
「ねぇムートお願いがあるの」
「なんだよ」
「廊下で聞き耳立ててる。かわいいポーン二人を、立派なクイーンに育ててよ。今のあなたみたいに」
「なに?」
ドン!!勢いよくドアが開かれ、二人の新米は震え上がっていた。
「おまえら...そんな度胸があるのならついてこい!!大好きなロードワーク!!そのあとは腕立てだ!!」
新米ウィッチの小早川とナタリアはレポートを持ったまま固まっていた。
「嫌...」
「そんな」
蚊の鳴くような悲鳴は、狼とフクロウには届かない。
「ふふ、頑張って強くなってね」
今日もフクロウが見張り狼が動く、そしてDINGOはオオカミに追い立てられる。騒がしいことこの上ない。
良ければ感想を。