メジャーでの10年が経過して、俺は37歳になっていた。
メジャーでは俺の契約が奴隷労働とか色々揶揄されたが、金に関しては特に困ってなかったし、どちらかと言うとアメリカ経済界に繋がりを持つことができたのは大きかった。
シアトルでは5年間投げて、毎年50登板くらいし、なんならダブルヘッダーで連続完投なんて記録も達成。
メジャーでもグラビティボールやライズボールを打てる打者は殆どおらず(偶に当たる打者は居たりしたが……)、殆どで勝ちと貯金を積み上げていった。
ただシアトルはどちらかと言うと弱いチームで、俺と奴隷契約をしていたり、浮いたお金で戦力を整えても、メジャーの頂上であるワールドシリーズ制覇まで4年の歳月がかかってしまった。
5年目……32歳のシーズンも元気に投げていたのだが、オーナーが変わって、俺と交換で有望株を引っ張ってきた方が良いと思われたのか、トレードに出されて、オハイオ州にあるチームに移籍。
静香は付いてきてくれたし、子供達もアメリカの学校に通わせて色々やらせていた。
オハイオのチームは投壊していて、久しぶりに中2回や連投を当たり前のように求められて、チームの再建が完遂できるまでの5年間で俺はメジャー450勝を達成していた。
日米通算650勝。
アンタッチャブルレコードである。
オハイオでは趣味の競走馬育成にも熱中することができて、良い馬が居れば適当にアメリカで走らせてから、日本で俺と提携しているラムタラファームにアメリカで良さそうだなって思って所有した馬を送り込んで、繁殖に充てた。
メシアコールは俺がメジャーに行ってから産駒が走り始めて、初年度から3 年目までの産駒を俺がほぼ独占し、35頭くらい持って全部毛利先生の厩舎に預けたらめっちゃ走りまくって、勝ちまくり。
2年目の産駒は昔のサンデーサイレンスやディープインパクトがやったように牡馬牝馬の三冠レース(3歳の時期にしか出られない大きなレース 格式高いレース)の合計6レースを別々の馬で独占。
あとシンジケートを組んで馬産地から期待の眼差しを向けられていたメシアエスパーは超能力が産駒に遺伝せずに、異常な回復能力が一部の産駒に遺伝するに留まり、正直言うと爆死。
4年でシンジケートは解散になり、ラムタラ牧場で細々と種牡馬を続けるに至るが、メシアエスパーと相性がよい牝馬や気に入った馬を自由に種付けしていいよって、メシアエスパーはほぼ自由にやらせた。
その中で良さげな牝馬(メシアエスパーをお父さんって慕ってる馬)は賢かったり、回復能力が遺伝しているので繁殖牝馬として残し、メシアコールだったり、安くても走りそうな血統の馬に種付けをさせて、走らせて稼がせてもらった。
ラムタラファームは俺が出資した当初は20頭ほどの繁殖牝馬がいる小規模な牧場だったが、俺が出資しまくったり、アメリカから繁殖牝馬を送りまくった結果、繁殖牝馬150頭、種牡馬10頭、従業員70人を抱える大牧場になっていた。
生産者リーディングでも流石に日本一の牧場グループって言われているところには負けるが、2位や3位を維持。
メシアコールがどんどん種付け料金が値上げされて、俺がメジャーから帰ってくる頃には種付け1発2000万円まで高騰して、それが200頭近く種付けするので、牧場長の日立さんはウハウハしていた。
寺門さんは俺がメジャー8年目の時に現役を引退。
デロスサントスやロビカスも去年現役を引退して、日本の食事や娯楽が最高と日本にある神宮球場近くの俺のマンションに再び住んで隠居生活をしていた。
ヤクエナキャッツの方は、俺が10年契約が終わって帰国しないかって言ってくれたが、メジャーでやることやったし、またバランスブレイクしてもなぁって思って、特別に引退セレモニーをしてもらうに留め、37歳で現役生活を俺は終えた。
「これで多少ゆっくりできる……」
これからは子供達や静香とゆっくり過ごす時間を大切にしようと思っていたのだが、世間の方が騒がしくなっていた。
第二次球界再編問題。
プロ野球の売り上げはほぼ横這いを推移していたのだが、マーリンズの親会社が経営不振に陥り球団を身売りするという事件が発生。
で、マーリンズを買い取るとなると、新球場の建設費用も身売り先に託すということになっていたので、1000億近く負担しなければならなかったことに加えて、選手間でも不祥事が相次いで、マーリンズの人気が低迷していたのである。
最初大変だなぁって対岸の火事だと思って、定期的に呼ばれるラジオや解説の仕事を受けながらノヘーってしていたら、高中さんから電話が掛かってきた。
高中さんが食事に来てほしいって頼まれて、ホイホイついていくと、球界のお偉いさんが集まっていて、身売りしているマーリンズを買い取らないかって誘われたのだ。
「私ですか?」
「君の会社なら球団運営くらいはできると思っているし、君自身が世間への影響力が絶大だ。プロ野球人気を再び活性化する人柱になってもらいたい」
「人柱って……マーリンズ側の経営体力はどれくらいで尽きますか?」
「持ってあと1年。2年は持たない」
「わかりました。マーリンズ側と調整をお願いします」
マーリンズ側と交渉の末に資金援助を行うので、こちらの準備が整うまで安易な身売りは辞めてくれとお願いをし、1年間の準備期間を稼ぎ出した。
そこからは毎日日本中を飛び回って人材集めに奔走。
引退して他所でコーチをしていた寺門さんを監督に、作戦参謀的なポジションに独立リーグで監督していた小林さんを引っ張ってきて、打撃コーチと投手コーチに引退して暇していたデロスサントスとロビカスを緊急招集。
他にも戦力外通告を受けて、在野に流れていた若手を俺の会社に即席で野球チームを発足させて、寺門さん含めた首脳陣やコーチ陣に育成してもらい、とりあえず使える駒を掻き集める。
なんなら独立リーグや高卒、大卒だけどプロに引っかからなかった人なんかでピンと来る人材を集めた。
そしてマーリンズの戦力とフロントになり得る人材収集、ドラフト候補の人材集めと奔走して、ペナント終了直後にマーリンズは俺の会社……メシアカンパニーへとマーリンズを身売り。
メシアマーリンズへとチーム名を変えて再出発に踏み込むことに。
ドラフトでは俺の野球チームに加入していた選手で育った人材から順にドラフトで指名。
支配下契約最大人数の10人だけではなく、育成枠でも12名指名。
マーリンズの選手で不祥事に関わっていた者はクビ、及び血の入れ替えを断行。
若手と一部のベテランを除き、30名近くを戦力外として放出するのだった。
これにはマーリンズファンから批判が殺到したが、全てをぶっ壊すという球団社長兼GMである俺が批判を一手に受ける。
そして選手としては海外FAを希望していた鈴原と戦力外になっていた38歳の西住を泣き落として獲得。
2人にはほぼコーチとしての権限を与えて、チームの再建に尽力してもらうことになるのだった。