山を越え、川を渡り、道を歩くこと約2時間。スバルたちがたどり着いたのはナタ六部族の内の一つでもある『謎煙の主』、もとい、シトラリの現在の居住地でもあった。ちなみに、スバルがシトラリの巨大ぬいぐるみに担がれていたのは30分間ほどであり、それ以上は情けなさと羞恥心が勝ったので、体に鞭を打って無理矢理歩いた。
そのせいでスバルはほぼ満身創痍だったが、自分で歩けると言った手前、そんな様子を見せるわけにもいかず、余裕そうな表情を崩さないように歩ききった。つまらぬ所で意地を張ってしまうのは、治らないスバルの悪癖のようなものでもある。
『謎煙の主』は、思わずスバルの股下がブルブルッとなってしまうほどの高さであり、もし足を滑らせて落ちようものならひとたまりもないだろう。建物の雰囲気は民族色の強いものであり、そこで住む人々は龍らしき生物と当たり前のように暮らしており、シトラリが言っていたように、ここは『龍の国』であるということを再認識した。
「ここが『謎煙の主』か……テーマパークに来たみたいでワクワクするぜ!」
「またバカなこと言って……私は知り合いの医者を呼んでくるから、ちょっと待ってなさい」
シトラリが民衆の中へと消えていくのを見届けたスバルは、近場にあったベンチに横たわると、今までの疲れをすべて出し切るかのように、小さな声を出しながら体を伸ばした。
「本当に何から何までおんぶにだっこだな……俺って」
ナタに来てからの出来事を思い返してみれば、シトラリに物取りから救ってもらい、シトラリに安全なところまで案内してもらい、シトラリに医療を受けるための手はずをつけてもらっている。
「思ってた倍ぐらいシトラリだよりじゃねぇか!! 親のすねを骨髄までしゃぶりつくす俺でも、さすがに心苦しくなってくるぜ」
そうはいっても、肝心の彼女に対する恩返しの方法は、無一文かつ無能力のスバルには何も思いつかない。今日、彼女にしてもらったことを考えれば、ちょっとやそっとの恩返しでは全く釣り合わない。だが、100返すことは不可能だとしても、その100分の1、もしくは10000分の1でもいいから、何かできることをしよう。
そうスバルが決心して起き上がると、目線の先には、綺麗なグラデーションがかかった桜色の髪が風になびかれ、太陽の光を反射しているのが見えた。その表情にはちょっとした困惑がにじみ出ており、その原因は彼女の目の前で泣いている少女であることは誰の目にも明らかだった。
「ちょっと……話してくれないと、どうして泣いてるのかわからないじゃない」
なるべく優しい声音で話しかけるシトラリだったが、目の前の少女には大して効果がなく、泣き続ける少女に対して手招きしていると──
「はいはい~、お客様。こちらには何の変哲もないギザ十が一枚あります。こいつを手のひらでぎゅっと握りしめてやると……あら不思議。きれいさっぱり消えてしまいました」
スバルは少女に一枚の硬貨──もとい、ギザ十をくるくると裏表を見せながら、何のタネも仕掛けもないことを見せると、おにぎりを握るようなしぐさで硬貨を握る。すると、先ほどまで手のひらにあったはずの硬貨は、いつの間にかスバルの手の中から消えていた。
目の前の現象に少女が泣くことを忘れ、不思議そうにスバルの手のひらを眺めていると、もう片方の手を少女の頭をなでるように回す。
「はい。消えたコインはこんなところにありました」
「ああっ!!」
そして、そのもう片方の手から出てきたのは、先ほど消えたはずのギザ十だった。
スバルの百あるといわれる特技の一つでもある手品は、目の前の少女から涙を奪うには十分すぎる働きをしてくれた。ちなみに、他の特技は、あやとり、手芸、メイク、けん玉など、不登校時代に腐るほどあった時間で身に着けたものである。ほとんどが日の目を浴びたことがないのだが。
「それで、お嬢ちゃん。なんで泣いてたのか教えてもらっていいかな?」
「お母さんからプレゼントでもらった髪飾りを無くしちゃって……ずっと探してるんだけど、なかなか見つからなくて、それで……」
「なるへそね。だったら一緒にこの近場を……」
「その必要はないわ。巫術を使って探したげる」
スバルが探しに行こうとするのを制したシトラリが少女の頭にそっと手を添えると、目を閉じながら、何かを探すように黙り込む。その様子は、占い師が水晶玉に手をかざしながら運命を占っているようであり、神聖な雰囲気を漂わせていた。
「あっちの方の草むらに引っかかってるみたいね。早く行きましょう」
「すげえな……そんなことまで分かるのかよ」
「別に、初歩的な巫術を使っただけよ。その気になれば、人のミライを少し覗くことだってできるんだから」
「マジかよ!! こりゃもうS・M・T。シトラリ・マジ・天才だな!!」
「ちょっ!! あんまり恥ずかしいことを大声で言わないで!! なんでそう歯が浮くようなセリフがポンポン出てくるのよ!」
照れを隠すように、わざと大仰な言い方をするシトラリ。そんな様子も実に美少女的だと、スバルがシトラリの反応を面白がり、大げさに褒め続けていくと、限界が来たのか、ぬいぐるみで無理やり口をふさがれる。
フゴフゴとスバルが声を出せなくなっている間に、シトラリが少女を髪飾りのある場所へと案内するために手を引く。ぬいぐるみからの拘束を逃れたスバルもまた、その少女の横に立ち、ちょうどシトラリと共に挟むような形になった。
「こうしてると、何も知らない人たちからは若夫婦とその子供みたいに見える気がしない?」
「またバカなことを言って……控えめに見ても、キミとこの子が兄弟ぐらいにしか見えないと思うけど」
「それはさすがに年が離れすぎだろ」
「そうね。あなたみたいな弟がいれば、この子は苦労するでしょうね」
「俺が年下!?」
そんなくだらない話をしている間に、シトラリの言っていた草むらへとたどり着く。すると、何かを見つけた少女がスバルたちの手から抜け出し、大きく腕を振りながら草むらの中へと入り込む。
がさがさと草を揺らしながら中から出てきた少女の手には、青薔薇を思わせるような装飾が施された髪飾りを握っていた。それを髪につけた少女は弾けんばかりの満面の笑みを浮かべ、こちらへと駆け寄ってくる。
「髪飾り見つかったよ!! ありがとう!!」
「おう! つっても俺はほとんど何もしてないからな。礼ならシトラリに言ってくれ」
「別に私も大したことしてないわよ」
「いいからいいから。礼は大人しくもらっとくもんだぜ」
「その……『黒曜石の老婆《グラスバーバ》』って偉い人だから、ちょっと近寄りがたいイメージがあったけど、全然そんなことなかった。髪飾り見つけてくれてありがとう、『黒曜石の老婆《グラスバーバ》』!!」
シトラリは少女からのお礼に対し、誰も気が付かないほどの小さな笑みを浮かべる。しかし、次の瞬間には元の表情に戻り、いつもと変わらぬ様子で少女に言い放った。
「大切なものだったら、もう無くさないこと。わかった?」
「うん!!」
心優しい。しかし、どこか素直ではない少女。否、黒曜石の老婆《グラスバーバ》に対して、スバルは損な性格をしていると思うと共に、またそれが魅力なのだろうと一人でに納得していた。
シトラリたちは「またね~」と大きく手を振りながら帰っていく少女を見送ると、スバルの治療をしてくれる医者がいるというところまで、二人で歩くことにした。
この世界の医者は一体どのレベルなのだろうか。できるだけ痛いのと苦いのはごめんだとスバルが考えていると、ふとシトラリが話しかけてきた。
「あなたは子供の扱いがうまいのね」
「まあ、な。代わりに同級生との人間関係は壊滅的だったけど」
スバルの脳裏に思い出されるのは、昼休みに一人悲しく兎小屋で昼ご飯を食べていたこと。兎小屋が放つ特有のにおいはスバルにとってなじみ深いものであり、青春の香りともいえるだろう。後はトイレのカルキ臭。膝の上に弁当をうまく乗せる技術だけは誰にも負けない。できれば負けたかったところだが。
「実を言うと、あの子に話しかけたときも結構困ってたのよ。意気揚々と言ったはいいものの、私が行ってむしろ泣き始めちゃったし。だから……その、キミが来てくれて助かったわ」
「そんな大したことしてねぇよ。それにシトラリは俺の命の恩人なんだから、これじゃあまだ10000分の1だって返せてないぜ」
探し物を見つけることができたのもシトラリの力によるもので、スバルはただ手品を見せただけ。人を笑わせる道化としてなら役割は十分果たしたといえるが、役に立ったかと言われれば首を傾げざるを得ないだろう。
なんせ、スバルがシトラリにしてもらったことは、これの比じゃないのだから。
「……キミは本当に変わってる。私が怖いとは思わないの?」
「なんで自分のこと助けてくれた恩人を怖いと思う馬鹿がいるんだよ。怖いどころか安心感の方を覚えるわ」
「キミは『謎煙の主』で私がどれだけ人の才能に対する幻想を打ち砕いてきたのか知らないかもね。一生をかけて努力しても、生きた伝説にはなれないとみんな悟ってしまう」
シトラリは過去の嫌な出来事を思い出したのか、苦々しい表情を浮かべながら、スバルに語る。
天才は往々にして人からの羨望と嫉妬を一身に受けながら生きていく。それが何百年も続いているシトラリにとってどれほどのものなのか、スバルに予想することはできない。
スバルはその才能を持つ者に対して羨望し、真似をして、挙げ句、大やけどをしてしまった張本人だったからだ。シトラリの言う通り、彼女に近づきにくくなってしまう人の気持ちもわかる。
だから、とスバルは提案する。
「だったら世界凡人代表の俺と一緒にいたら、その印象もなくなるんじゃね? さっきの子だって、シトラリが怖いっていうイメージは無くなったはずだからな!」
それに、とスバルは続ける。
「シトラリが優しくて面白い人ってのは俺が知ってるからな。後はヘリウムぐらいの口の軽さで広めてやるぜ」
「そんな恥ずかしいことしないで頂戴! ……あくまで気持ちだけ受け取っておく」
シトラリはフンッと前を向くと、そのまま歩くスピードを上げる。スバルは体の痛みを忘れながら、その後ろを急いでついていった。
ネタバレですがスバルは死にます。