「ワタちゃん、ぼーっとしてますか?」
……いつ起きたのかも覚えていない。
女の膝の上で頭を撫でられている。ベッドの端で足を下ろしながら、耳を傾けていた。
「おとなしい感じも可愛いですね……ふわふわしてて、本当に小さい子供なのが分かりますよ! 興奮してきました!」
「? ……うん」
俺はとりあえず頷いた。
「色々あったから疲れてるんですかね。ちょっと今日は、優しくしたほうが気持ちよくなれる予感がします」
頭が重い、考えるのが難しい。妙に自分の呼吸が気になる。
「そうだ、絵本でも読みましょうか!」
……吐き気がする。お前、本当に治したんだよな?
女が俺を慎重に動かし、ベッドの上に座らせる。部屋から出ていこうとする女が見えて、俺は急に不安になった。
気持ち悪い。起きていられない……なんだこれ、耐えられなくてすぐに横になる。時間が長く感じる。
女は今、本を取りに行ってるはずだ。買いに行ってたりしないよな?
「吐きそう」
小さい声が漏れた。
「大丈夫ですか?」
すぐに返事があった。女がいつの間にか俺の隣に座っている。手が頭まで伸びてきて、額にゆっくりと乗せられる。
「あれ、お熱がありますね」
……言われると熱いような気もする。時間の流れが遅い感覚が、身体に纏わりつく。
「なおして」
「え? どうしてですか?」
ふざけるなよ。体調が悪いんだよ、お前に構う余裕が無くてもいいのか? 優しくとか言ってた気もするし、何なんだよ……
「たのしくない」
「私は……昨日の続きが見れてる気分で最高ですよ。少しして良くなったら、絵本を読んであげますね!」
もういいや、ただ吐きそうだ。
「そっか……おやすみ」
俺は静かに寝ようとしたが、女がそれを邪魔してくる。
「いたい」
首の皮をつねってきた。力が強くて気持ち悪い。俺は不快だと示すため、表情を分かりやすく曇らせてから言った。
「やめて」
「そんな顔されたらもっと興奮します!」
……死ねよ。今は本当にやめてほしい。
「きらい」
「え、そんなこと言わないでください」
「ダメ、嫌です。そんなの悪い子になっちゃいますよ? 好きですよね? もっと苦しくなりたいんですか? 私、たくさん愛してますよね。冗談でも口に出さないって約束してくれないと……本当に酷いことします」
気持ち悪い。体調のせいで聞き取りにくいんだよ。
「ごめ、んなさい」
「そうですよね。それで?」
…………そんなことあるか? 続きなんてないだろ。
「本当は、思ってない。気持ち悪くて……アリスに当たっちゃった」
全部お前が原因だけどな。女は満足そうな顔をしている気がするが、視界がぼやけてはっきりとしない。
「聞けて良かったです。可愛いワタちゃんはお疲れなんですね……なら、我慢します」
本当に腹立つな。
「まだ言うことありますよね?」
……予想していない追撃がきた。なんだ? これは絶対に正解がある時の言葉だろう。頭が上手く働いてない、会話を思い出す。
あ、分かった。
「約束……するから。ちゃんと、好き」
これで違ったら多分だが諦めるしかない。
「私もですよ! もう少し堪能したら治してあげますね! いつもより甘い匂いが濃いの好きです。なんか、じっとりしてますし」
心の底から気持ち悪い。全身を嗅いでくる……特にお腹と頭が気に入ってるようだ。
「恥ずかしくて、寝れない」
適当なことを言って牽制しておこう。
ダメだ。クソ、失敗した可能性が高い。女の笑顔がはっきりと見えた……
「あー! すきすき。すきです! 本当に可愛い♡ もっと興奮できそうなこと言ってください!」
死ね。何も考えられない、頭がクラクラするからすぐに寝たい。
「もう好きにしていいから、寝させて?」
「あ! それは効きすぎるやつです……胸が苦しくなってきました! こんな小さい女の子が! 自分で言って良い台詞じゃないかもしれません!!」
今日はよく喋るな。頼むから黙っといてほしい。
「じゃあ、ちょっと確認します」
女の手が首から胸まで移動する。なんだよ、やっぱりロリペド野郎だったか?
「ここ、つねりたいです」
ダメに決まってんだろ、気持ち悪いな。期待した顔してんじゃねぇよカス。
「ちょっと、それは……ダメかな」
「絶対に寝させますから。ちょっとだけですから!!」
どれだけ必死なんだ……目がやばい。呼吸も酷く乱れている。あー、クソ……死ねよ。
「言いましたよね。さっき許可してくれました! というかワタちゃんって私のものですよね? こんな生意気に挑発してくるのが悪くないですか? 反省してください!」
勢いに任せて女の指が閉じられた。
「んっ……」
自分から出てほしくない声が出た。普通に痛かっただけだが、確実に勘違いされているだろう。
女はすぐに手を抜いて、顔を赤くしながら口をパクパクしている。
自分の指と俺の顔を交互に見て、静かに口を開いた。
「これもう、
どういうことだよ。手を引いたお前は、そこまでの資格しかないことを自覚したんじゃないのか? さっさと寝させろよ。
「え、寝させてってそういうことなんですか? これ誘ってます? そんなのいけないことですよね」
「ぷにぷにの子供が、大人の私にこんなことを……やっぱり
どっちが子供だよ……吐き気がしてきた。
「あとで、良いことするから。やめて」
「あ! え! まっ、うっ!!!!」
女は胸を押さえて蹲っている。もうそのまま起き上がるなよ。
「私、こんなのじゃなかったのに……酷いことするほうが好きなのに…………」
体調が悪い時に過去一で気持ち悪いな。もうやめてくれよ、寝たいだけなんだ。
それも無理なら治してくれ。
「わか、りました。ワタちゃんはおねんね、してください!! ちゃんと聞きましたからね? やっぱりナシとか言ったら、その『おてて』とかをナシにします!!」
こいつ、結構キツめの脅ししてくるの何なんだよ。容赦とかあれよ……お前には一般体調不良女児に見えるんだろ?
「おやすみ」
……考えるのは後だ。気分が悪い。
◆
目が覚めた。異常にすっきりしている気がする、おかしいだろこれ。
目の奥だけ不快感がある気もするが、気分が良い。軽く身体を起こそうとしたら、女が肩を押して戻してきた。
「……なに、ワタ起きる」
「何言ってるんですか? 私にこんなに我慢させたのに!! そのとぼけた顔もわざとですよね?」
なんか圧が凄いな。見たこともない顔をしている……そんなに必死になるなよ。
「とても好きで可愛いのに……壊したくないのは、初めてです」
お前のほうがよっぽど魔物だな。なんで人として産まれたんだ? 全部のことを反省した気になってるから、神様に許されたのか?
「あー! 好きです。本当に!」
うるせぇよ。残念だけど俺は嫌いだ。
「なんかそのちょっと引いてる感じの顔……くるんですよ!! このっ! やめてください!!」
口の右端に指を突っ込まれて、強引に顔を歪めてきた。
「……あ! 生意気な目してます、見下してますか? 弱いのに、小さいのに!」
「ひがう」
否定しておくか、暴走されそうだ。手遅れかもしれないが。
「ワタちゃん、何人食べても私には勝てませんよ。絶対にです」
呼吸を激しく乱して、ニヤニヤしながら女は言う。
「私は強いんですよ、選ばれてますから」
「試してみます? 奴隷でも買ってきて食べさせましょうか? 意味ないですよ。ワタちゃんが変な匂いになるだけです」
「絶対に!! 勝てないのに!! そんな顔してるのが…………どうしようもなく興奮します!!」
ほぼ泣いている。どういう情緒してるんだよお前は?
「わかりますか? 私の魔力、放出してますけど」
……何も分からない。
「これも理解できない程度の子供なのに、殺せると思ってずっと媚びてるんですよね」
「そういうのが一番、なんかこう! わかりますかね?!」
…………もう分かった、殺せるよ。
「もう私の全部なんです! 動いてくれるだけで好き!! 伝わりますか、ねぇ!!」
お前、そんなに喋るっけ?
「すみません、怖がらせちゃいましたね。好きなのだけ分かってほしいんです、変でしたよね? 泣かないでください」
女が俺の目に指を置いた。何かが移る感覚がある。
……涙?
「震えてますよ。ちょっと過剰でした、反省してます。脅したいわけじゃないんですよ……ただ一緒にいたいんです」
「こわ、くないよ」
俺は自分に言い聞かせた。安心できる。
「ふふ、ありがとうございます。また……寝ますか?」
……は? どういうことだ。
「ワタちゃん、ずっーと寝てましたから。もう外は暗いんですよ」
女がゆっくり立ち上がり、部屋の壁に手を置いた。
「ほら、こんなに」
何か、壁紙が浮いて溶けるみたいに……そこから窓が現れた。
女は巨大なカーテンを開けて外を見せてくれる。
「……綺麗」
小さな明かりが見えて、たくさんの生活をそこに感じる。
俺は誘われるように、女の横まで歩いていった。窓に触れる。
「静かだね」
「……そうですかね?」
「ねぇ、ワタちゃん」
カーテンを閉めて、女が声を出す。外はもう見えなくなって、気づけば壁が広がった。
「酷いことをしなければ、この関係は変わりますか? 私を少し嫌ってるのは、当然分かってます」
少し? その程度の認識のお前なら、変わるわけねぇだろ。ただ一緒に時間を過ごしましょうってか? 気持ち悪いな。
「きっと」
俺はつまらない日を終わらせたくて、適当に返事をする。意味のわからない一日だったけど、もう寝ることにしよう。
本当にずっと寝てるな……
「明日こそ、絵本を読みましょう」
女が笑顔でそう言って、俺の手を握り歩き出す。なんか……目が回ってきたな。
◇
「次のお話を読みますか?」
「うん……」
もう何冊を読んだかなんて、俺は覚えていない。女はおかしくなってしまったのか、本を読み聞かせし続けるマシーンになった。
一冊目を読み始める前に、女が俺に質問をしたことが始まりだ。
「あの時は冷静じゃありませんでした。だから聞かせてください……良いことって、なんですか?」
「…………ワタが絵本を作ってあげる。花火を見る時、プレゼントとして渡すから」
字も分からないから、難しいがな。
「……! 嬉しいです。じゃあ、字のお勉強もしましょう!」
それから俺は女の膝に囚われている。
最悪だ。痛いこともしてこないが、不愉快なやつに『優しくしてる』面されるのもクソだな……
「このお話は、好きかも」
「……私もです。どこが好きですか?」
「終わり。怪物の指を握るとこ」
「同じです、私もずっと……」
お前は共感以外をやめたのか? そんなに愛されたくなったなら残念だが、すぐに人は変われないんだよ。
俺みたいに、特別な経験がないとな。
「そろそろ、字も分かってきた。練習に何か書くものと……本番用のが欲しいかも」
「もちろんです。すぐに買ってきますね」
どっちが飼われてるんだろうな。今はもう、お前のほうがよっぽど…………
頭が重くなってきた、やっぱり疲れたんだろうな。そろそろ解放されても良くないか?
ベッドに戻る。俺はアリス人形を手に取った。優しく首の部分に手を置いて、少し力を入れてみる。
「つまらない」
退屈が終わりますように。そう願いながら、俺は女の帰りを待った。
◆
寝ていると笑顔で、たくさん道具を渡された。お前は薬でもやったのか? やっぱりおかしいよ。
これも夢だったらどうしよう。
俺の息は少し荒くなったけど、すぐに落ち着いた。大丈夫だ。
「じゃあ、今日から頑張るから」
「絵本……楽しみにしててね」
女に微笑むと、少し苦しむような顔をして小さく言われた。
「こんなに幸せでいいんでしょうか? 私は、酷いことばっかりしてます。きっとこれからも……多分、しちゃいます」
そうだろうな。でも、幸せじゃいけない人間のほうが……ずっと俺より幸せなんだ。
「知ってる。でも、大丈夫だよ。これを読んだらアリスも、きっと同じになれるから」
下を向きすぎて疲れる程度の時間が経って、女が俺の絵を覗く。
「綺麗な、絵ですね。ワタちゃんとっても上手です……初めてには見えません」
…………俺はゆっくり口を開いた。
「花火、貸してほしい。描きたい」
少しして、透明のケースごと渡された。一番上には、四角い小さな紙がある。
「……これ、読んでほしい」
絵本には使われていない字だった。
女がわかりやすいように、俺に優しく説明をする。
「やっぱり」
「どうしましたか?」
反応されて、漏れていたことに気づいた。
「…………ううん。綺麗だなって」
「ねぇ、このスイッチ。ワタが持ってても良い?」
女が俺に笑いかける。今までの表情を忘れたかのような落ち着いた顔だ。
「ふふ、どうしてですか?」
「アリスには……読みながら楽しんでほしいから」
「今から持ってたいんですか?」
「うん。楽しみだからね」
久しぶりにいたずらっぽく笑って、スイッチを胸に抱えた。
「もちろんです……どうぞ」
「私もとっても、楽しみにしてます」
俺は床に寝転がり指を動かす。
何日も経った気がするし、一瞬だったかもしれない。
貰った道具が小さくなって、描きづらさを感じた頃に……やっとそれは完成した。
全年齢だったな。ヨシ、通ります。情緒不安定女はみんな好き。