「あなた、噂になってたんですよ。人食いの魔物が森にいる……って」
……目が覚めると、窓もない狭い部屋に閉じ込められていた。どこなのここ? 服も綺麗な白いワンピースが着せられている。こわい。
俺は角に小さくなることしかできない。
「あれ、三角に座っちゃっていいんでしたっけ?」
言われた瞬間、手を地面についた。どうやら、女は躾がしたいらしい。
「偉いですねー。もう二足は禁止ですからね? 分かりました?」
必死に頷く。女の前では常にそうでなければ、命がないという確信があった。
「トイレはあそこにしてくださいね」
女が指さす先には、ふわふわとした青いシートが敷かれているだけだった。
「え……」
つい、言葉が口から漏れていた。すると、女が俺の頭を撫でながら言う。
「嫌ですか? もうできなくなる方が嬉しいのかな〜」
杖をチラチラ見せられて、従うしかない。首を横に振る。耳も深く畳み、姿勢を低くする。
「あ、喋ってもいいんですよ。私が来たとき、毎日あれを持ってきて交換をお願いしてくださいね」
……化物だ。女は俺よりもずっと人じゃない。俺は苦笑いしながら、声を絞るしかなかった。
本当に、どうしてこんなことに? あ、そうだ。お腹がすいてたんだ。ただそれだけ。
すぐにでも何か食べないと、死んでしまうんじゃないかと思うほどの飢餓感に襲われていたんだ。
「あの、ご飯を……お願いします」
俺は震えながら小さく言う。
すると女は、自分の指を見えない何かでスパッと切り、溢れた少量の血を床に垂らした。
舐めろ、ということだろう。大丈夫だ。生き残れるなら……お腹が満たされればいつか動ける。
必ず反撃する。万全ならきっと勝てるはずだ。そもそも人と魔人は、身体能力に差があるのだろう……特殊性癖おじさんも、押さえつけたら一切動けていなかった。
俺が舌を伸ばすと、女が靴で血を踏みつける。床に伸びたそれを舐めるのに一瞬の躊躇いがあるが、これも生きるためだ。
本当に久しぶりの食事だった。俺の身体は、燃費がよすぎるのか栄養がなくても長く生きられる。意味がわからないね。
だが、この量では足りない。成人男性を丸々一人……その量を食べてようやく万全になるのだ。直接傷口から吸い出しても満たされないだろう。
そんなことを考えていると、優しい声が響く。
「あー可愛い。本当に
……保護だと? 頭がイカれてるのかこの女は。
「私以外なら、すぐに殺していたでしょう。人の顔で、人の言葉で、人を騙す。許されるはずがありませんよね?」
「はい。助けていただき、ありがとう……ございました」
喜ばせとけば、おかわりがある気がする。俺にプライドは必要ない。必要なのは力だ!
水滴の音がした。予想通り、追加で血が垂らされる。我ながら完璧な読みだ……そこで間抜け面してろよ。俺は絶対に日常を取り戻すからな。
「あ、反抗的な目」
女がぽつりと漏らした。まずい、俺は尻尾を振って仰向けになる。
手足を畳み、敵意の無さをこれでもかとアピールする。
「ワンパターンですね。舐められては困ります」
「えっ、ごめんなさっ……」
光が見えた気がした。すぐに激痛が俺の四肢を襲う。何事かと思って確認すると……俺の手足が全て短くなっていた。
「っあ!」
女がため息をした。俺に杖を向け、杖から淡い光が発され始めた。すると、切断面から少し肉が盛り上がり、傷口を塞ぐ。
塞いだだけだ。指は帰ってこず、肘と膝の関節すら戻っていない。
激しく息が漏れる。呼吸が乱れる……
「ねえ! なんで?」
俺は涙が溢れる。こんなことをされては、何があっても女の命に届く気がしない。
「反抗的な目でしたから」
女は当然のことだと、言葉にはしないがそう思っているのだろう。
「なんでこんなこと……」
「酷い。ひどい、ひどい、ひどい」
頭を抱えたい。が、その腕はもうなくなってしまった。この女を見るともう気が狂いそうだ。
「ただ、生きてるだけじゃん!」
尻尾を床に何度も叩きつけた。女は口元に手を当て、震えている。
「なんでっ! 俺がっ……」
「私」
被せるように冷たく言われた。
「俺なんて……そんな呼び方、可愛くないです。価値がなくなってしまいますよ」
女がクスクスと笑いながら、俺の腹に手を当てる。
あ、もうダメだ。壊れる。俺はあの瞬間から終わってたんだ。短時間でこれだけ苦しい思いをするなんて分かる訳がない。
「……ころして」
俺は言った。もうどうでもよかった。生き延びることは幸福ではなかった、前は次があったんだ。大丈夫。きっと、今回も次がある。
女なら、嬉々として殺すだろう。できるだけ楽しんだ後かもしれないが……
「ダメですよ」
俺の唇に指が添えられ、なぞられる。女は言う。
「あなたは何人殺したんですか? 罪は、償わないと」
……は? もう限界だった。何か言ってやらないと、保てない。
「お、私は! 今まで! たったの!! 三人しか! 食べてないのに!!」
叫ぶ。
「絶対、こんなに! 食べても、苦しんでない!!」
叫んだ。
「ふふっ、なんと醜いんでしょう。やはり人ではないのですね」
「自分の手を見てください。真っ赤に汚れていると思いますよ」
あ、もうないんでしたね。そう顔を歪ませる女……もう意味が分からない。なんなんだコイツは。
「じゃ、じゃあ、どうすればよかったの?」
「食べないで死ねって? あんなに苦しいのにできるわけない!!」
「大丈夫。ワタちゃんなら、できますよ」
女に頭を撫でられる。吐き気がする。きっと毎日、ちょっとだけ血を舐める生活が続くんだ。意味が分からない。
絶対、俺は不幸だ。こんなこと、あってはならない。女は頭がおかしい。
「クソッ、クソッ……殺してやる」
俺は頭に置かれた腕を噛みちぎろうとする。当然、届くはずもなく笑われる。
「ちゃんと反省もできないから、人に産まれることができなかったのでしょうね」
……お前に何が分かる。何が何が何が何が何が何が何が何が何が何が。腹が立つ。
無意識に喉が鳴る。
「そんなことしても意味ないですよ? 静かにしてたら、足も生えるかもしれません」
吠えた。
「なめっるな!!」
背中で跳ねて、女の首に噛みつきに行く。
「面白い芸ですね〜」
……届かず、ただ跳ねただけだった。
ああ神様、どうしてこんなことをするのですか?
何か、気に食わないことでもあったのでしょうか……すぐに改めてますから、どうか、この地獄を終わらせてください。
ブツブツと、小さく唱える。女はそれを聞き、よく頷いている。
「熱心でいいですね! 明日もその調子ですよ」
そう残した女は近くの扉をあけ、外に出ていった。俺は、すぐに床へ頭を叩きつける。何度も、何度も。
「ぅ゙ぁあっ!」
重い音が響く。頭も痛くなってきた。良かった、これで……
「もう! お呼びですか?」
終わらせてくれよ。
女は、「悪い子」とだけ言って、俺を角のスペースに入れた。少し高い柵で囲ってあって、下は柔らかい布団が敷いてある。
もういいや。そうだ舌を噛もう。そう思った瞬間、チョーカーが眩しく光って口に力が入らなくなった。
…………足、生えてこないかな。
多分、一日が経過した。ここに女が来たので、俺は「反省しました」と叫んでみた。
女は俺を笑った後、少し撫でて帰る。何がそんなに面白いんだ? 一体何が。
これが毎日続くなんて、絶対に嫌だ。もういいから、早く俺を殺してくれよ。
ご都合チョーカー