風呂に来た。女が背中を流してくれると言うので、小さな椅子に座っている。
「ごめん、なさい」
「謝らないでください。仕方ないことですよ……頑張ってくれた証拠ですから!」
頭を撫でてくる。そんなことで、ちょっと優しくされたぐらいで、この恐怖を解消できるとでも思っているのか。
「ワタちゃん、震えてます。怖がらないでください……今日はもう、お昼寝だけでもいいですよ」
それも冗談か?
もう俺は何も言えなかった。
「あれ、食いついてきませんね」
「少し意地悪したかったのに」
何なんだお前は? どうして存在が許されているんだ。
「もう……やめてよ」
小さく言った。何も考えたくない。
当たり前だ。これから残り何時間、どれだけ苦しむのかを考えるだけで……吐き気がする。
女は優しく背中を擦る。尻尾をかなり重点的に洗ってきているので、多分そこが好きなんだろう。たくさん振るからやめてくれないかな。
「前も綺麗にしましょう」
優しい手つきだ。本当に、信じられない。部屋にいた時と別人じゃないのか?
「やりすぎました。ちょっと気持ちよくなりたかっただけなんです……もう今日は優しいことしかしません」
「嘘つかないで。お風呂で、お仕置きって言ってたよ」
俺は泣きながら言った。希望をちらつかせるな……
「本当です。今日は少し痛すぎましたよね、ゆっくり慣らすべきでした」
それも嫌に決まってるだろ。気持ち悪い。
「お仕置きも冗談でした。あの時は、少しでも長く泣いててほしかっただけなんです」
……女が唐突に抱きついてくる。
「怖がられるのは悲しいです!」
俺も、女の背中に手を回して返す。これはいい流れな気がする……今日はこれで終わらせれるんじゃないか?
「ワタは、ずっと好きだよ」
「怖くない。本当は優しいの知ってるから」
洗脳完了とでも思っていろ。
「でも痛いのは……減らしてほしいかな」
もう言うしかなかった。どうせ、嘘なら全部が関係ない。
「ワタちゃん! 可愛いですね、そのちっちゃい頭でたくさん考えてますもんね……好きです」
どっちだ? 当然のように煽られてる……無理だったか。
「今日は、やっぱり苦しいことにしましょう。そういう気分になりました」
…………痛くないならなんでもいいよ。
女と一緒にお湯に浸かると、ケモ耳を触ってきた。
「これ、どうなってるんでしょうか?」
「人の耳もありますよね。意味あります?」
「……アリスの声が、よく聞こえるよ」
「わ! そんなこと言います?! 可愛すぎても何もでませんよ!!」
手が出てるんだよ。クソ女……
しょうもない会話をして、適当に好き好き言っていたら風呂から出ることになった。
移動は、やはり目を開いてはいけないらしい。ゴスロリみたいなのを着せられて、抱っこされての移動になった。
◆
「すっごく似合ってます」
「……えへへ」
嬉しくない。死ね。
ベッドで俺達は向かい合っている。お昼寝は本当だったみたいだ……このまま終わるといいな。
「それじゃあ、休憩しましょうか。お疲れ様でした……嗅いでてもいいですか?」
「いいよ」
病気にでもなればいい……弱ってないと、多分殺せないんだろうし。
さっきから耳に興味があるのだろう。顔を埋めようとしてくる。
「たくさん寝てくださいね。怖くないですよ、起きても私は優しいままです」
お前は一回も優しくねぇよ。俺は逃げるように、
熱い。お腹に短剣が刺さっていて、起きようとしても起きれない。息をしようとしたら捻られて、それでそれでそれで……
「──ッ!」
怖い夢で目が覚める。女は、俺ではなくアリス人形を抱えている……
多分、あまり時間は経っていない。
「もう寝れない」
口に出してみたが、反応は返ってこない。ただ気持ちよさそうに眠っている。許せない。俺はこんなに怖いのに。
どうやって痛いことを回避するか、それしか今は考えられない。
とりあえず今日は大丈夫らしいが……もう自分で痛いのは嫌だ。せめて、一思いにコイツにやってもらいたい。
こんな時間、おかしい。どうして気持ち悪いことを考えないといけないんだろう? 全部、女のせいだ。殺したいけど、俺はずっと口だけでそんな力がまだない。
万全になれば……そう自分に言い聞かせているけど、本当はそれでも無理なんじゃないか。そんな思考に塗りつぶされていく。
もし殺せたら、幸せになれるのかな?
指が、震えた。
「あっ」
少しだけ太い……光の柱が立った。
「……ぎっ!」
俺を串刺しにするように、腹をしっかりと貫いている。狙った位置に出すなんてのは難しいんだろうな。
これ死ねるかも。静かに女は眠っているし…………いや、似たような状況は何回もあった。同じだ。結局、もうすぐのところで死ねない。
あぁ……苦しいな。怖い、クソみたいな生活でも死ぬのは嫌なんだな。
当たり前か、だから命乞いまでしたんだから。俺はとにかく生きたかったんだ。
無駄に考えが回って、これからを考えて憂鬱になっていく。
「あり、す……もういいよ」
「なおすんなら、なおして」
「アリス?」
返事はない。本当に、寝ている。
あれ? つまり、死ぬ。
呼吸が乱れた、怖い。なんで最初は死を求めたんだろう……ダメだ。怖い、怖い怖い怖い怖い怖い。
──絶対に後悔する。やめろ。
「こわい、たすけて」
「ねぇ、ありす」
「痛いよ……やだ」
ゆっくり、手を伸ばす。その頬に触れた。
「あれ、起きちゃいました?」
「死んじゃう、怖い。痛い」
「ワタちゃん? 何が……」
女が焦った顔をした。跳ねるように起きて、俺の腹を手で押さえる。激しく呼吸を乱していたが、やがて落ち着いて口を開いた。
「もう、大丈夫ですよ」
微笑まれて、何故か安心した。まだ生きられるのが嬉しいんだ。
女は殺したいけど、俺は死にたいわけじゃない。当たり前のことだよな。
……お願いだから、誰か『間違ってない』って言ってくれよ。
「よく起こしてくれましたね。生きてて良かったです……偉いですよ」
「……えへへ」
ちょっと、嬉しいかも。
◇
その日は寝るだけで許された。
苦しいことも一切されない。寝れなかったが、ベッドにいるだけで良かった。アリスがたまに俺を撫でるだけ……別に、痛くないなら良いや。気持ち悪いけど。
指輪はすぐに取り上げられた。本当に、大切にされてるのかも……多分、一週間程が過ぎても何もされていなかった。
これって好きだからかな……今のほうが幸せかも。
「今日は、何するの」
「お人形さんで遊びますか?」
「……いいの? それがいい」
楽だな、苦しくないな。もしかして、これは楽しいのかも?
「それでは……」
「この子をお友達にしてあげましょう」
そう言って出されたぬいぐるみには、顔に二つの大きな穴が空いている。目が、ない。
「え……」
「お友達になるんです。でも、仲間はずれだと思いませんか?」
…………吐きそう。
「きっとワタちゃんの目をあげたら、すっごく喜んでくれますよ」
冗談? なにこれ、気持ち悪い。怖い、怖い。なんで…………楽しくない。
「ボクモ、キレイナ『オメメ』ガホシインダー!」
楽しそうに笑って言うけど、こんなの……違う。遊びじゃない。必死で口を押さえた。
「ゔっ……」
「吐いちゃう、吐いちゃう……アリ、ス」
「あー、楽しいですね! もう目って言うだけで泣いてくれるからお得です! またいつか、本当にさせてもらいたいですけど」
…………間違えた。なんか『ワタちゃん』なら生きやすいと思ったのに。そんなことはない。
お腹を刺してからの全部、悪い夢だったことにしよう。
「冗談です。怖かったですか? えっと、大丈夫ですよ。前に取ったやつが残ってましたから」
「……おぇぇ゙」
この気持ち悪さは本物だ。
どこからか出てきた俺の目が、ぬいぐるみに埋め込まれる。そっと膝の上に置かれた。
消えればいいのに。どうしてこんなものを見ないといけないんだ……気持ち悪い。気持ち悪い、気持ち悪い。
生き延びたら苦しむなんて、そんなことがあっていいのか?
「あれ? うーん。この子、全然可愛くないですね!」
女はぬいぐるみを掴んで、ベッドの外に放り投げた。
すぐに光の柱が立って、塵も残さず綺麗に消えて……俺は思わず手を伸ばす。誰も聞こえないぐらいの声が漏れた。
「ぁ…………いいな」
でも大丈夫、ちゃんと幸せに生きるから。
優しいお話が書けました。感情ぐちゃぐちゃの可愛い子が、自分でダメな道を選ぶの……やっぱり興奮するよね