High-Sky-Fields   作:紺野遍音

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プロローグ

「……──本船は、東京から南南西に向かっておよそ1,200キロ南下し、大阪の真南、北緯20度に位置する中ノ島に航行いたします。ご乗船の皆様におかれましては……」

 なんだ、こんなものか、とがっかりする。

 せっかく宇宙エレベータの地上部分が位置する島に向かう超高速旅客船だというのに、なんとつまらないアナウンスだろう。

 ただ、露骨にそれを態度に出すわけにもいかない。なんせ私が引っ越しの荷物は船で運んだ方が安いからとか我儘を言って船移動にしてもらったからだ。

 しばらくクロスワードパズルを解いて暇を潰した。学生時代の暇な時間というのは、本来は熱心に読書に勤しむのが最もあるべき過ごし方なのだが、最低限に振動が抑えられているとはいえ船上であまり集中しすぎると酔ってしまう。

 

「奈佐、今日は早起きしてようやく落ち着いたからそろそろ食事にしない?」

「出発日はバイキングが開くのが遅れるらしいよ」

 視界の右上を見やる。10時27分。

 電波も圏外になっていない。ホテルのように船内にサービスで無線LANが付いているのは知っていたが、海の真ん中でも電波が途切れないことにはやはり驚く。このメガネも役に立ってくれるということだ。

「私は13時頃になったら行く」

「そっか、了解」

 よし。クロスワードを解いたり横になって眠ったりして、だらだらとした無為な時間を満喫しよう。高校2年生なのは百も承知。でも問題集は荷物に預けてしまったのだから、仕方がない。

 

「……奈佐ぁ~」

 ゆさゆさと身体が揺すられている。知らない間に眠ってしまっていたらしい。

 船がこんなに揺れていたら大惨事である。お母さんが私を揺らしているのだった。

「なぁに、お母さん」

「奈佐、ごはん食べに行こう?」

「はあい」

 身体を起こして、少しの揺れも感じなくなった床に立って伸びをする。

 それにしても、お母さんの距離感はなんとかならないのかな、と心の中で呟く。

 架空の高校生の友人──つまり小説内にだけ登場するような、よく言えば積極性に富んだ友人──か、あるいは恋人かのような距離感で接してくる。

 もちろん、自分の考えはきちんと持っている自立した人だし、そういうところは可愛いところでもあるから、不満ということはないのだけれど。

 レストラン会場の案内表示を前に、「奈佐はなに食べたい?」と振り返る屈託のない笑顔を見ると、この人が子どもなのか大人なのか分からなくなってしまうのだった。自分の親ながら、私はこれほど不思議な人に今まで出会ったことはない。

 

「そういえば、こうやって二人だけで食べるのは久しぶりだね」

「そうかな……中2の時の誕生日もお父さんが急に仕事が入って二人にならなかった?」

「あーそっか、まああの時はいろいろ頼んじゃってたし待つわけにもいかなかったからね。……いや、3年前は久しぶりって言わない?」

「そうだったかも」

 私の時間感覚も大概信用ならないな。このままでは残り少ない高校生活もすぐ終わったように感じてしまいそうだ。

 今日はお父さんは先に仕事に向かっている。ある夕方にカンケンショウの中ノ島支部に配属されることになった、と電話で言われたっきり帰って来ていないのだ。どうやら仕事帰りにそのまま送られたらしく、カンケンショウとやらは人遣いの荒い会社か、あるいはブラックな官公庁だなと思っていた。

「それにしても、お父さんが国際機関とはねえ」

「ビックリしたよね」

 やたらお父さんと連絡が取れなくなったので、叔父さんに何か聞いていないか、カンケンショウってどこなんですかと聞いてみると、電話の向こうでおばあちゃんを大声で呼んでいるのが聞こえた。

 かわるがわる相手が移り1時間にもわたる電話からようやく得た情報によると、カンケンショウとは、貫成層建築小委員会、つまり現在の国際静止軌道管理機構(OSOM)のことらしいと分かった。

 

「よし、ごちそうさまでした」

「ごちそうさまでした」

 食事は陸地がなくても楽しめることがわかった。これなら、きっと人工島でもうまくやっていけるだろう。

 会場の壁掛け時計は15時を少し回って、レストランから水平線を望む窓には斜めに日が射し込んでいた。

 

 

 それからしばらくはお母さん主導で船内をあちこち探検して、一日しか使われないであろう設備を堪能した。ダーツ台の横に居た警備員さんに聞くと、こういった設備は船が60キロメートル毎時よりも遅かった時代の名残で、ここ十年では、あえて船を遅くしてゆったりとした昔ながらの旅を楽しむお金持ちも居るのだとか。世界中が高速な移動手段の網に覆われたこの時代においては、もはや移動時間の暇さえ贅沢品なのだ。

 

 隣のベッドでお母さんが寝ている。動き回って疲れたのだろう。本当に子どもみたいな人だ。

 23時15分。

 そろそろ見に行くか。

 お母さんを起こさないようにベッドを抜けて、部屋を出る。

 質素な階段をいくつかのぼって、ドアを開けると、大窓の向こうに闇夜が待ち受けていた。

 灯台に登るように甲板から外に出て見たいところだったが、この船の速度では暴風になってしまうから、一般客は出港から加速までの30分程度しか甲板に出ることを許可されていない。

 その代わり、船の上部に360度を見渡せるガラス張りの回廊展望台が用意されていた。

 遠くに光っていた灯りがひとつスッと消えた。

 これから向かう中ノ島直上にある静止軌道ステーションが、地球の影に隠れたのだ。

 『きざはし』の天空ステーション。

 それははるか天上の構造物で、お父さんが支えている基地でもあった。

 乱立しながら相互にも結び付く静止軌道ステーション群は、まるで地球を軸にした自転車のスポークのような姿を成している。しかし、物理的な強さとしてはひもで吊った玉でしかなく、放っておくとすぐにカオスに陥ってしまう。だから常に姿勢制御が求められているのだが、専用のソフトを扱える人材が万年不足していた上に最近一人が辞職してしまった。そこでお父さんに白羽の矢が立ち、このように多少強引なヘッドハンティングを受けたというわけだ。

 宇宙の安定のためと言われれば止むをえまい。私だっていつか制御不能に陥った『天空ステーション』が36,000キロ上空から降ってくるなんてことは御免被りたい。

 しかし──。

 ガラスの向こうに広がる、砂粒のように星が散りばめられた黒洞々たる夜は、まったく見せかけの虚空でしかなかったが、それでも私を安心させてくれた。

 昔はよかった、と言うつもりはない。

 人類は宇宙へ進出した。ついに永続的な居住地を空の上に築くことに成功した。微小重力環境を利用した合金は私たちの生活にも利用されている。社会の教科書にはそう誇らしげに書いてある。

 それでも。

 この空は狭い。

 宵の明星と軌道エレベータを降下するコンテナとが隣り合う写真が美しいとよくSNSに上がっている。ちっとも芸術的なんかじゃないし、骨董品がもったいない。

 かつてフロンティアと謳われた宇宙は、少なくとも上空96,000キロメートルの範囲までは、地球人の気心知れた土地だ。

 たしかに人類は気軽に3次元空間を移動できる手段を得た。真の意味で空間を支配したと行っていいだろう。だが、人類はその代償として地球と地球上に暮らす人類全員を鳥かごの真ん中に配置することに決めたらしい。

 時刻は既に真夜中を越した。

 さて、そろそろ部屋に帰ろうか。

 また太陽がコンテナを照らして、闇を明かしてしまう前に。

 

 きっと中ノ島では、これほどほんとうに真っ暗の夜空は、見られなくなるだろうから。

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