死にたくない私の悪あがき【リメイク版】   作:淵深 真夜

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87:諦観の絶望

 

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 その言葉と同時に、アジト内にいた()()全員の背筋に悪寒が走り、旅団は警戒態勢を取る。

 わずかな違和感を懐いていたノブナガ達はもちろん、フィンクスやボノレノフなどといった、起きたソラとは今初めて会う彼らにも、何がおかしいのかは理解出来た。

 

 それは、彼女をこの中で一番よく知る、誰よりも何よりも大切に思っているからこそ片時も離れず、離さず、自分の身を盾にすることも覚悟の上で抱きかかえ続けていたゴンが、今すぐにでも逃げ出したいと言わんばかりの恐怖に染まった顔で、「誰?」と尋ね、そしてその問いを肯定するように「初めまして」と「彼女」が答えたからはもちろんだが、理由としての割合は小さい。

 

 むしろ、彼らはゴンよりも「それ」が何者かわかっていた。

 あれは、「中身」が違うということを理解していた。

 理解できたのは「カルナ」のことを事前に聞かされていたからだが、誰も今目の前にいる者が「カルナ」だとは思っていない。

 

 それは「カルナ」が男性人格なので、口調や動作が完全に男のものになるだの、目がオッドアイになるだのとヒソカが語った変化を覚えているからではない。

 そんな情報はむしろ、頭から完全に抜けていた。

 

「それ」が何者なのかなんて、一目でわかる。

 あの笑みを見ればわかる。わかってしまった。

 

 自分たちは、予言を深読みしていたことに気付いてしまう。

 あれはきっと、ブチキレて死神じみた暴走をするソラの比喩などではなく、そのままだ。

 

 この世の美しいもの、特に女性を讃えるにふさわしいものによく似た笑顔は、美しすぎて人間の域ではない。

 それは、女神の笑顔だ。

 

 今、自分たちの目の前でどこまでも穏やかに、あどけなく、嫋やかに微笑みながらも、絶望そのものの目をした「それ」は––––––––

 

 

 

 * * *

 

 

 

 得体のしれないものが目の前にいることで酷く緊張しているのか、喉が渇ききって上手く出せない声を張り上げ、フィンクスは問う。

 

「……てめぇが、『(そら)の女神』か!!」

「違うわよ」

「誰だてめぇ!?」

 

 しかし緊張で張り詰めた空気は、おっとりとした即答と、その即答にとっさかつ素で言い返したフィンクスの突っ込みで思いっきり緩んで、旅団の何人かは脱力してずっこけかけた。

 そんな彼らの様子をクスクスとおかしげに、無邪気に笑いながら「彼女」は答える。

 

「フィンクス、それは『(から)の女神』と読むべきよ。あなた達の予言の解釈間違いはそこからね」

 

 空気を緩ませた張本人が、緊張をまるでマチの糸のようにそこらに張り巡らせる。

「彼女」の返答におちょくられたと感じたのか、フィンクスは右腕にオーラを込めながら肩を回し始めた。

 

「……どっちでもいいっつーの。今ここで、お前は死ぬんだからな!!」

「ダメだフィンクス!! やめろ!!」

 

 フィンクスが何度か肩を回して足を一歩踏み出したタイミングで、シャルナークは叫びながらもアンテナを取り出し、マチは糸でフィンクスを拘束し、そしてシズクはデメちゃんの乱杭歯が並ぶ吸い込み口をフィンクスの後頭部に突き付ける。

 いきなり3人がかりで邪魔してきたことに、フィンクスはブチキレて無理やりマチの糸を引きちぎろうとオーラを全身に回して暴れながら、叫ぶ。

 

「!? てめぇら、何してやがる! さっきまでならともかく、こいつが! 『女神』が目覚めたんなら、取引も条件もねぇよ!!

 こいつを今すぐに殺さねーと、最悪の事態になるって予言が出ただろうが!!」

「落ち着いてよ、フィンクス。この子は、あなたの名前を呼んだんだよ?」

 

 暴れるフィンクスにシズクはデメちゃんを構えたまま少し困ったように言うと、シズク達の行動が理解できずにいた他のメンバーも気付き、顔色を蒼白にさせて見開いた目で「彼女」を見た。

 しかし頭に血が昇っているフィンクスは、まだ気づかない。

「それがどうした!?」と叫ぶ彼に被せるように、シズクはため息を一度ついてから教えてやる。

 

「今までずっと寝てたのに、フィンクスの名前を呼んだんだよ?」

「––––––––––––!?」

 

 そこまで言われて、何故自分が止められたのかを理解する。

 先ほどまで、ソラ=シキオリは確かに気絶していた。寝たフリが通用するほど、旅団は甘くない。間違いなく、「彼女」が目覚めたのつい先ほどだ。

 

 なのに、この女はフィンクスの名を呼んだ。

 完全に初対面でありながら、何の迷いもなくごく自然に。

 

 血が下がって冷えた頭が、金を積んでハンターサイトか何かである程度調べて、団員の顔と名前くらい把握していたという可能性も考えたが、冷静さを取り戻した頭がその可能性をさっさと却下する。

 ノブナガ達の話を思い返して、そして信じればこの女は今、視力を失っているはず。少なくとも人の顔の判別がつく視力ではないのなら、予め旅団メンバーの顔と名前を頭に入れていてもわかるはずがない。

 

 いや、視力喪失が嘘でノブナガ達は騙されている、もしくは一時的なもので今は回復しているとも考えられた。無理やり、そんな可能性をひねり出して自分に言い聞かせる。

 自分の名前を知っていることは、そこまでおかしなことではない、有り得ないことではないとフィンクスは言い聞かせて、さらに拳を強く握りこむ。

 

 たとえ、どれほど得体が知れなくなくても、今ここにいるこの女が「空の女神」であることだけは間違いない。

 ならば、ここにいる全員が犠牲になっても殺さなくてはいけない。この女を生かしてしまうことが、旅団(クモ)の死だ。

 

 そんな考えにフィンクスが支配されていることは、止めている3人もわかっている。そして3人も、「彼女」を殺すことには反対などしない。

 止めているのは相手があまりにも得体が知れず、底知れない、手出しのしようがないと感じたから、ただ考え無しに特攻するのは時間稼ぎにもならない無駄死だと思ったから。

 

 他の連中だって、「彼女」を殺すことしか考えていない。止めないのは、フィンクスという犠牲で「彼女」がどう動くかを少しでも知って、フィンクスの死を材料に、「彼女」を殺す術を少しでも得る為。

 

 殺すことしか考えていない。

 そんな「未来」を確定していた旅団に、「彼女」はやはり場違いなほど楽しげに、無垢に、慈悲と慈愛そのものの笑顔を浮かべて語る。

 

「無理して私を殺す必要なんかないわよ。『私』が目覚めることは、旅団の全滅なんかじゃない。全滅どころか、『蜘蛛の手足の半分が捥がれる』だってもう回避してるわ。

 あなた達は旅団(仲間)個人(自分)を同一視しすぎてる、クロロの教育が行き届きすぎていたのが、解釈間違いの原因。私が原因で旅団が壊滅するのなら、他の人の予言にも『空の女神』という警告文が入るわよ。『優位が揺らぐ』のはクロロ個人の話。旅団(あなた達)にはなーんの関係もないから、無理しない方がいいわよ」

 

 おっとりとした口調で、あっさりと否定する。

 殺し尽くす。

 旅団の「殺せる保証なんてないけれど、それでも何としてもこいつを殺さないといけない」という絶望的な未来を殺し尽くすと同時に、「自分たちが死んでも旅団(クモ)を生かす」という覚悟をも、「無意味」だと断じて殺しつくす女に、団員はクラピカに団長が攫われたことや、彼の計画通りに動かされている以上の屈辱を味わされる。

 それでも、マチの糸を引き千切ろうとしていたフィンクスは体から力を抜く。

 そして彼は訊いた。

 

「……おい、パク。お前ら、こいつに『予言』のことを話したか?」

「……話す訳ないじゃない。『予言』とか『紅玉』とかキーワードなら口にしたけど、詳しい内容を懇切丁寧に教えてなんかしないわよ」

 

 パクノダの答えに、フィンクスたちがホテルに到着以前にソラと接触していた他のメンバーも首肯する。

 その肯定を見て、自分の名を知っていること以上に説明がつかないこと、占われた旅団の本人たちもまた解読しきれていない予言の細かい内容を把握して解説という有り得ぬことを、あまりにも自然にしたことを、フィンクスは認める。

 認めてしまったからこそ、他のメンバーたちと同じく顔面を蒼白にさせながらも、「化け物」という言葉すら可愛らしく思えるほどに得体が知れない「彼女」と、何とか自分を奮い立たせて向き合う。

 

「彼女」は、初めと変わらずそこに、ゴンの隣に座っている。

 座って、左手で自分の頬に触れ、指が滑るようになぞる。

 クロロによって包帯が引きちぎられた時に負った引っ掻き傷を、汚れを拭うように治した(消した)

 そのままついでなのか、左手首に巻かれたパクノダのハンカチを解いて、座り込んだ膝の上で折りたたみ、近くにいるパクノダに「はい」と渡す。

 

 だが、パクノダは受け取らない。受け取れない。

 手首の傷も、ハンカチに染み込んだはずの血も、なかったことのように消え失せているのを目の当たりにして、受け取れる訳がない。

 

 何もかもがあり得なすぎて、「どうして?」「どうやって?」という疑問すら浮かばない。

 

 そんな彼らに対して、「彼女」はただ微笑む。

 どこまでも穏やかに、あどけなく、嫋やかに、女性美を体現するように美しく、優しく、慈悲深い女神のように微笑みながら、それでもその天上の青をこの世の全てに期待していない、あまりに穏やかで救いのない絶望に染めた「それ」に、フィンクスはかすれきった声で再び問う。

 

「恐怖」を押し殺していないと、何とか堪えて奮い立たせていないと、一度折れたらもう二度と元に戻れない気がしたから、この「恐怖」は相手があまりにも正体不明の「未知」だから湧き上がるものであることだけはわかっていたから、だから訊いた。

 

「……………………お前は……何なんだ?

 ……どうして、……俺の名前や予言の内容を知ってる?」

「私が何者なのかは、もうあなた達は『予言』で知っているでしょう? あなたと初対面なのに名前がわかったのも、私がネオン=ノストラードの予言の内容を知っているのかも、私が何であるかを知れば、それで説明がつくんじゃないかしら?」

 

 フィンクスの問いに「彼女」は、当初から変わらぬおっとりとした口調でだが即答した。

 言葉自体は質問に質問で返しているが、それは確かに「答え」だった。

 

「……お前は、自分が本当に『女神』だというのか?」

 

 シャルナークがその「答え」を口にする。

 言葉にしてしまえばあまりに自意識過剰で痛々しいが、否定など出来ない。

 シャルナークはもちろん、この場の誰もが目の前の「彼女」を人間だとは思えない。

 

 別に姿が変わったわけではない。認めるのは何となく癪だが、ソラは初めから黙って笑っていたら「女神」という呼称が大袈裟ではないくらいの美女だ。

 何故かこの「彼女」はソラと比べてあまりにも、まるで「女性」という存在のお手本のように言葉づかいも動作も女性らしいのが、ただそれだけだ。

 人間に決してできないことを、している訳じゃない。

 

 フィンクスの名前を呼んだことだって、予言のことを知っていたのだって、ソラが念の系統を全網羅しているような反則ぶりを知っていたら、なんとでもこじつけられる。

 自分の傷を癒したり、ハンカチから血を消し去っているが、これだって念能力の範疇だ。

 

 第一にこの目の前の女が「カルナ」と同じく、ソラに取り憑く亡霊ならば、ソラの持つ能力とは関係なくその亡霊固有の能力があると考えればいいだけだ。

 それがパクノダの能力の上位互換のようなものなら、今までの言動に説明は簡単につき、「彼女」の言っていることはほぼハッタリに過ぎないことになる。

 

「彼女」のしていることなど、どうとでも説明がつく。

 決して「人間」の枠組みから、外れてなどいない。

 

 なのに、目の前の女には異常な程「人間味」が感じられない。

 彼女の浮かべる笑みは、ただ美しいだけの人形のような、笑みの形をしているだけという印象はない。どこまでも温かみのある、感情的で有機的な笑みなのだが、無機質ではないのに人間味だけが抜け落ちている。

 

 そんな誰よりも美しいのに、誰よりも底知れず恐ろしい笑みを浮かべたまま、「彼女」はおっとりとマイペースに即答する。

 まるで用意されていたセリフのように、一瞬の考えるそぶりもなく、すらすらと答えた。

 

「言わないわ。私は万能かもしれないけど全能じゃないから、『神』とは言い難い存在よ。でも、あなた達に理解しやすく言うならば、『神』という概念が一番便利で近いから、そう思ってもらっても支障がないだけ。

『私』という『機能』を言い表すのならば、女神でも根源接続者でもラジエルの書でもアカシックレコードでも聖杯でもいいけど、『私』という『存在』を言い表すのならば、それは『式織(しきおり) (そら)』しかないわね」

 

 クスクスと実におかしげに笑いながら、「彼女」はやはり自分で言うには妄想が過ぎると言わんばかりに痛々しいことを言うのだが、それを笑える者は本人以外いない。

 笑い飛ばしたいのに、妄想だと思い込みたいのに、しかし同時に誰もが「彼女」の言葉が真実であって欲しいとも思っていた。

 

 この目の前の「何か」が本当に「神」であるのなら、今、自分たちの膝が屈しないのが不思議なほどの恐怖に説明がつく。納得できる。

 目の前の「何か」が何であるかが全く分からないことこそが、あまりに怖かった。

 

 ソラを「得体のしれない化け物」と思って、警戒して忌避していたシャルナークでさえも、自分の警戒心はまだ足りなかったと思わせるほどに、「彼女」は得体が知れない。

 ソラも全く何を考えているかが色んな意味で分からなかったが、「彼女」の比ではない。

 理解など出来ない。

 

 こんなにも幼子のように無邪気に、恋する乙女のように艶やかに、母親のように慈愛そのもののように微笑みながら、燦爛と輝く蒼天の瞳は何もかもを諦めた絶望を湛えているという酷い矛盾が、何の違和感もなく調和している「これ」の精神と比べたら、あれほど壊れていたソラの精神が至極真っ当に見えてくる。

 

 何を考えているか、何を答えるか、何をするかが全く分からない。

「未知」そのものの恐怖に捕らわれて、旅団はそれ以上何かを問うことも出来ない。

 知りたいことは山ほどにあるはずなのに、何を訊けばいいのかがわからない。今、何か行動に移らなければ絶対に後悔するとわかっているのに、何をすればいいのかがわからない。

 

「––––––––ソラは?」

 

 思考の行き着く先が何もかも「わからない」で支配されて、硬直状態に旅団が陥っている中、訊いた。

 

「……ソラは……どうしたの? ソラはどこ? ……あなたは、誰? 初めましてってことは、あなたはソラじゃないんでしょ? 少なくとも、俺の知ってるソラじゃない!!

 ソラは……ソラは……、そんな眼をしない!! 何かをする前から全部を諦めた目なんか、絶対にしない!!」

 

 真っ先に、一番近い距離で「彼女」を目の当たりにして怯えていた少年が、ゴンが再び「彼女」に問い、そして断言する。

「空」と名乗った、「式織 空」でしかないと言った相手に「違う」と、「ソラ」ではないと頭を振って泣きじゃくりながら否定し、そして「空」の手を恐怖で震える手で掴んで懇願する。

 

「返して! お願いだから、ソラを今すぐに返して!!

 俺達は帰らなくちゃいけないんだ! 俺は迷惑をかけたから、だから絶対に帰さなくっちゃいけないんだ! クラピカの元にソラを無事に帰してあげなくちゃいけないんだ!! だからお願いだから、ソラを返して!!」

「『ソラ』は眠っているだけよ」

 

 ゴンの狂乱と言える懇願にも、困惑した様子も見せずに「彼女」は優しく答えた。

 その声は間違いなくソラのものだった。ソラと同じように、優しくて柔らかな声音だった。

 だけど、何かが決定的に違うとわかる声だった。

 

 だからゴンはソラではない「空」に戸惑い、怯えつつも、それでも顔を上げて彼女の答えを復唱する。

 

「……眠っているだけ?」

「そう。どこにもいなくなってなんかいない。ただ、今は今までの『私』のように、夢さえも見ない夢を見ているだけ。

 別に今すぐに私が眠ってソラを起こしてもいいんだけど、ソラに頼まれたことがあるから私は起きただけよ。だから、もう少しだけ待ってね」

 

 ゴンにそう答えて、微笑みかける。

 その微笑みは、ソラに似てると思えた。姿が変化したわけではないのだからそれは当たり前なのに、それでもそのことがやけにゴンを安堵させたが、同時に酷く胸が痛んだ。

 どれほど優しく、柔らかく微笑んでも、その双眸はやはりゴンが「絶対にソラがしない」と断言した、諦観による絶望の眼だからこそ、その微笑みが優しければ優しいほど、酷く痛々しいものにしか見えなかった。

 

「……あなたは、ソラ=シキオリの何なの? 『カルナ』と似たようなものなの?」

「別物よ。ソラとカルナは一心同体の他人。私とソラは独立した同一人物ってところかしらね」

「……意味が全く分からないんだけど? ソラ=シキオリは二重人格な上で、カルナっていう亡霊に取り憑かれているから三つの人格を持っているって解釈でいいの?」

 

 ゴンの問いと懇願に、少しは「わからない」という思考停止していた旅団側も考えの整理がついたのか、パクノダが「彼女」に問いかけると、やはり1秒も間を開けないで答えられる。

 しかし、「空」の説明ではパクノダは理解できず、かなり無理やりな解釈をひねり出してさらに問う。

 

 ゴンはパクノダの口から出てきた「カルナ」という、聞き覚えがありすぎる名前に今までのパニックが吹っ飛んで別のパニックが生まれるが、立ち上がった「空」が彼の頭を撫でて「後でね」と先回りで質問を封じられたので、大人しく黙った。

 

 ゴンを大人しくさせてから、「空」は旅団と向き合って答えた。

 

「それも違うわ。ソラとカルナは、陰と陽。太極から真っ先に分かれる属性、両義。そして私は、その両義を囲む円。

 ソラとカルナは『私』の精神にして心。そして『私』は、二人の体にして魂」

 

 そこまで語り、改めて自己紹介するように自分の胸に手をやって「彼女」は儚げに、今にも消え入りそうな微笑みで自らの存在を告げる。

 

「私は、『式織 空』。この『肉体(からだ)』の人格よ」

 

 * * *

 

「……体の……人格? ……それは、二重人格とはどう違うの?」

 

 余計に意味がわからなくなって、もう一度ほぼ同じことをパクノダは尋ねてしまう。

 いや、むしろ彼女は「空」の言っていることを理解していた。

 だからこそ、訳がわからなかった。

 

肉体(からだ)」そのものの「人格」といういう意味が、まったく分からなかった。

 

「訳が分からないのは当然だけど、まるっきり別物よ。二重人格は精神の人格が枝分かれしたものであって、精神と体の人格はそれぞれ独立して存在しているものよ。

 人格は精神のことをだけを表す言葉ではないし、脳だけに宿るものなんかじゃないわ。だって、人格という魂を形にするのは、遍歴を積み重ねた知性と、そのカラである肉体なんだから。

 確かに人格を育てるだけなら知性だけで十分だけど、知性だけで育った人格は自己を顧みない。肉体があっての知性であり人格なのに、その肉体を蔑ろにする人格なんて計算機と一緒。

 ……そうね、あなた達の団長がいい見本よ。あの人は、自分自身の肉体という大我を捨てて、幻影旅団を新しい肉体(大我)、己は知性そのものという小我に変換して、旅団(クモ)を生かすための機能(システム)になろうとしているでしょう? まぁ、最終目的としては旅団(クモ)すら故郷の為の小我にしたいのでしょうけど。

 

 だけど、あなた達の認識も間違っていないわ。

 だって肉体が知性の元と言っても、肉体そのものにはやっぱり知性なんてない、ただそこにあるだけの『もの』にすぎないのだから、知性の大元であり生んだのが肉体でも、育ててそれを操縦することが出来るのは精神だから、精神がなければ肉体(わたし)なんて本来なら、生きているし五感も正常だけど何も見えていないし聞こえていない、外界の事なんか何も認識できてないで動かない、死んでないだけの死体に過ぎないわ。

 

 私が今こうやっていられるのは、『私』の場合はそもそも普通とは順序が逆だから。

 普通は肉体が生み出した知性は赤子の体に見合った知性の芽であって、外界を認識して外界からの刺激でその芽を育てることにより、人格が形成されるけど、『私』には育てていく必要のない知性が初めからあった。だけどそれは、人間として生きるにはあまりに邪魔なものだったから、人間として必要な部分以外をそぎ落として、そうやって産み落とされたのが『ソラ』という私の精神(こころ)

 

 だから私は外界の事を見ても聞いても、『理解』なんか出来てないわ。それをするのは私じゃなくてソラの役割だから。『肉体(わたし)』にそんな機能はないから。

 でも、理解できてなくても初めから全部知っているから、そんなもの初めから全部『私』の中にある、外を見て得て学ぶ必要なんかないものだから、こうやって会話することが出来るのよ」

 

 前半は理屈としてはまだ何となく理解できるものだったが、後半の内容に尋ねたパクノダはもちろん、その場の全員が絶句する。

「彼女」の言葉、「空」という存在の在り様をその説明で理解出来た訳ではない。

 ただ、何となく感じていた違和感は、その説明で理解出来た。理解してしまった。

 

 おっとりとしながら、何を問うても即答するのは、訊かれることもその答えも予め全部知っていたからだ。

 会話は成立しているのに、どうしても話が噛み合わないような違和感を覚えるのは、向こうはこちらの話を「理解」し、答えてくれているのではなく、ただ問題を出されたからその回答を読み上げるように、そのまま口にしているだけだから。

「質疑応答」は成立しても、「会話」が成立していないから、話はスムーズに進んでいるのに、どうしようもない認識のズレが生じていたのだろう。

 

「……俺は、ソラという女の体に『神』が降りてきて、人間の体を借りている状態だと思っていたが……根本から逆なのか」

 

 ボソリと、ボノレノフが呟いた。

「空」の語る話を団員たちは「信じられないけど、それで納得してしまいたい。信じたいけど、あり得ないと思いたい」と矛盾した願望を抱え込んでいた。それは「彼女」が神と同等かそれ以上の存在であると認めれば、現状が恐怖の根源である「未知」はなくなる代わりに、現状が絶望的だと認めなくてはならないからであるが、同時に団員のほとんどが無宗教で、神の存在などまるっきり信じていないからというのも大きかった。

 

 だからこそ、ギュドンドンド族という少数民族にしか伝わらない、かなり特殊な宗教観であり、彼は戦士としての側面が強いとはいえ、ボノレノフは祭祀の役割も持つ舞闘士(バプ)だからこそ、「彼女」が比喩ではなく本物であると早い段階から受け入れ、納得していた。

 ……納得していたつもりだった。理解できていたつもりだった。

 

 だが、自分の解釈は間違っていたことを、「空」の「体の人格」についての説明で思い知らされ、彼は「彼女」が何者か、そして「ソラ」という女はどのような存在だったのかをより正しく理解してしまった事を後悔しながら、間違っていることを、否定されることを期待して叫ぶ。

 

「………………お前は、何かの間違いで人間の世界に人間の姿をして生まれた『神』であり、ソラ=シキオリという女は、お前が人間のフリをして生きていくために、神の権能を剥ぎ取って作ったものでしかないということか!」

 

 ボノレノフの悲鳴のような叫びに、「空」は怯える子供を宥めるような、優しく柔らかな笑顔を向けて言った。

 

「––––ボノレノフ」

 

 やはり、一度も「彼女」の前で名乗っても誰かに呼ばれてもいないのに、「空」はフィンクスと同じように名を呼び、答える。

 この世に希望などないことを知る、諦観の絶望の眼で微笑みながら。

 

「私が、生きていたいように見えるの?」

 

 答えではなく、問いかけの形。

 だが、それはあまりに雄弁な肯定と、たった一つの否定だ。

 ボノレノフの違っていてほしいと願った仮定の9割方を肯定し、たった一点だけ「彼女」は否定する。

 

「生きていくため」という部分のみ、「空」は否定した。

 

 その答えが、旅団に「彼女」の絶望を感染させる。

 生きることに何の希望も意味も見いだせていない女神を前にしたら、ちっぽけで脆弱な人間はどう生きたらいいかなんてわからない。

 生きている意味も、生きていたい理由も、生きていく方法も、それこそ呼吸の仕方さえこの女神を、その「眼」を見ていたら思い出せなくなる。

 

 ソラとは全く違う形での死に至らしめる眼。死に至る絶望そのものの眼で、「空」は、「女神」は、「 」そのものは辺りを見渡していた時……

 

「……じゃあ、ソラにあげてよ」

 

 ゴンは言った。

 ソラよりも凶悪で、残酷で、無慈悲な死の双眸を見据え、彼は言った。

 

「あなたは……世界に何の興味もなくて、期待もしてなくて、死んでしまいたいのかもしれないけど、……でも、それでもソラは生きていたいってずっと言ってる!

 ソラは生きることを楽しんでるし、世界への期待も希望も捨ててなんかいない! どれだけ傷ついても絶対に、生きることを諦めない!

 

 だから……、生きていたくないのなら、ソラにあなたを、その身体をあげて。ソラを道連れにして死ぬな!

 例えソラはあなたが作ったものでも、ソラがあなたの偽物でも、ソラの『生きたい』って気持ちも、生きたい理由も意味も、それは全部ソラが自分で作った本物だ!!

 あなたが本当に神様かどうかなんてどうでもいい! 何であっても、ソラを道連れに死んだら絶対に絶対に絶対に許さない!!」

 

 啖呵を切った。

 相手が本当に「神」だと思っていない訳ではない。というか、下手したらこの疑うことを知らなさ過ぎる、純粋すぎて心配になる子供は、ボノレノフよりも「彼女」が「神様」と呼ぶべき存在であることを受け入れているし、疑っていない。

 

 言葉通り、神様であってもそうでなくても、それ以上の存在であっても許す気がないから言っているだけ。

 ボノレノフの仮定が正しく、「彼女」が否定した通りだというのなら、ゴンは目の前の「空」を許せない。

 

 なぜ、こんなにも救いのない眼をしているのかは気になるが、ゴンにとって優先すべき人は目の前の「彼女」ではなくソラだ。

 

 例え「彼女」がソラを生み出した者であっても、ソラは「彼女」の偽物に過ぎない、「彼女」が生きてなどいたくない世界で、生きることを押し付けただけの存在であっても、それでもソラは確かに幸福に生きていたことも、生きていくことを望んでいることもゴンは知っている。

 だから、「生きていたくない」と言うくらいなら、それこそさっさと夢さえ見ない夢の中に沈んで、ソラにその身体を返せと訴えた。

 

 その訴えに、「空」は笑う。

 

「……ええ。……知ってるわ。

 ソラが誰よりも何よりも死にたくないことも。生きていたいと望んでいることも。全部、全部知っているわ。だって彼女は、『 』に溶けても叫び続けたからこそ『私』が生まれて、……そして私は『ソラ』を作った。

 …………なんて酷い矛盾。でも、それこそ混沌であり虚無である『 』(わたし)らしいのかしらね」

 

 あまりに眩いものを見たかのように目を細めて、……泣き顔のような笑顔で「空」は語ったが、言っている意味は「彼女」が起きてから語った話の中で一番わからなかった。

 それは独り言でしかなかったのか、「空」はゴンの硬い髪をクシャリと撫でて話す。

 先程の話の説明ではなく、自分とソラの在り様を、ゴンにもう少しわかりやすく説明し始めた。

 

「心配しなくても、私がソラを道連れに死ぬことはあり得ないわ。

 そもそも、ゴン。私とソラのどっちが本物か偽物かという考え方は見当はずれよ」

「え?」

 

「自分がソラという精神を作った」という発言で思い込んでいた前提を否定され、ゴンは先ほどまでの勢いを一瞬で殺され、思わず間抜けな声を出す。

 その反応が面白かったのか、「空」はクスクスとあどけなく笑って言葉を続ける。

 

「ゴン、初めに言ったでしょ? 身体の人格と精神の人格は、それぞれ独立して存在しているものだって。

 確かにソラを作ったのは私だけど、ソラは私の偽物なんかじゃないわ。それは子供は親の偽物と言うようなものよ。

 

 ……私がソラを作ったのは確かだけど、私のしたくないことを押し付けるために作ったわけじゃないわ。

 私は生きていたくない、死にたいわけでもないわ。何もしたくないというのも違う。

『私』には、何もないの。したいことなんてなくて、そしてしたくないことだって何もないの。だって、何もかもが私にとっては始まりから終わりまでわかりきったもの、無意味でしかない、無意味にしか思えないものばかりだから。……だから私は、彼女を作る必要も理由も意味も何にもなかったけど、でも私に見出せない意味を見つけて、求めて、『意味はある』って叫んでソラがこの身体を必要としたから、だからあげる意味なんて私にはないけど、あげない理由や意味だってなかったからあげたの。

 ……あなたの望み通り、初めから全部あげているから心配なんていらないわ」

 

 実は「体の人格」についての話は、ほとんど理解できずに耳が情報を素通りしてあまり覚えていなかったゴンだが、「子供は親の偽物ではない」という例えで、とりあえず「ソラは『彼女』の偽物ではない」ということを理解し、納得して安堵の息をつきかけたが、その呼吸は喉の途中で酷く重いものに変化する。

 

 ゴンが望んだ通りの答えだった。

 けれど、そんなの初めから啖呵を切る必要も意味もなかった。

「彼女」は最初の方で言っていた。何故、自分が起きたかを。

 

「ソラに頼まれたから」と、「彼女」は自分が目覚めた理由を、ソラを起こさず自分が今ここにい続ける理由を語っていた。

 初めからゴンが心配する必要も意味などなく、「彼女」がソラを利用しているのではなく、ソラの為に「彼女」は動いていた。

 

 なのに、「ソラにその身体をあげて」と言った自分が、どれほど酷い言葉を吐いたかを、今更になって理解する。

 そんなつもりはなかったが、「死にたいのなら一人でさっさと勝手に死ね」と言っているも同然な言葉を連ねた自分に気付き、ゴンの顔は酷い後悔で歪む。

 

「空」は、初めから変わらぬ笑みを浮かべている。

 優しげで儚げであどけなくて穏やかで美しい笑顔で、どうしようもないものに貫きたかったものが折られ、屈して、希望など抱けなくなった絶望の眼をしていながら……、断る理由がなかったからくらいの理由であっても、それでもソラの望みを叶え続けている「彼女」に、言いがかりで「許さない」と言ったこと、「お前なんかいらない」と目の前の「空」を否定した自分が、ソラを道連れに死のうとしていると思い込んでいた「空」に対してと同じくらい、ゴンは自分を許せない。

 

「そんな顔も、そんな思いもしなくていいのよ」

 

 しかし、ゴンの後悔を「空」が否定する。

 困ったように眉を下げて笑うその笑みは、今まで何度も見てきたソラのものなのに、やはり眼だけが違う。セレストブルーに諦観の絶望を刻んだまま、「彼女」は事もなげにゴンの後悔を「しなくていい」と言った理由を語る。

 

「ゴン。何度も言うけど私は何もない。何も望んでなんかいないし、何にも期待していないから傷つくことなんか何もないわ。

 だから、そんな『無意味なこと』はしなくていいのよ」

 

 その答えで、思い知らされる。

 自分で言っておきながら、どうしようもない「ソラ」と「彼女」との違い。

 何もかもを諦めきっているからこその寛容に、ゴンは言葉を失い、そして絶望する。

 

「彼女」の言っていることが本当ならば、例えその身体の使用権は完全にソラのものであっても、ソラ(こころ)がどんなに「生きたい」と望んでいても、ソラを作りだした大元は、身体(かのじょ)はこんなにも何も求めていない絶望そのものであることに、こんなにも虚ろな「何か」であることに、ゴンは言いようのない絶望を感じる。

 

 ゴンが後悔よりも深く傷ついたこと、そしてその原因が自分の言葉であることもきっと、「彼女」はわかっている。

 わかっているが、揺るがない。

「彼女」にとってあの言葉も、ゴンの反応だって「無意味」だから。

「彼女」にとって、意味のあるものなど何もない。していることは、全てがただ「なんとなく」でしかない気まぐれ。

 

 意味などない。意味など見出せない。

 だからこそ、夢すら見ない夢の中で眠り続けていた。

 ここで、目覚める意味などありはしなかった。

 

「……そう。無意味なことよ。何もかもが。……それなのに、『あなた達』は意味を見出して……いいえ。意味を見出すために、足掻くのね」

 

 ––––けど、それでも、意味などなくても目覚めたのは、例えその身がどれほど「 」に近くても、「空」が望むことなど何もなくても、何の意味がなくても、意味なんて何も見出していなくても…………、それでも、「意味」はあるから。

「意味はある」と叫ぶ者がいるから。

「意味を見つけたい」と叫び、訴え、求める「心」がそこにあるから。

 

 その精神(こころ)を生んだのも、育んだのも、それは確かに「 」(自分自身)だから。

 

 だから「空」は、それに応えただけ。

 何の意味もない無色の器だからこそ、自分の意志で動く以前に意志(そんなもの)自体がないからこそ、その「意味はある」と叫ぶ声に引きずられる形で動いただけの話。

 

「けれど、さすがにそれは足掻き方を間違えてるわよ。シャルナーク」

 

 * * *

 

 無邪気に、優しげに、そして憐れむように「彼女」は告げて、ふわりと真白の髪をなびかせて優雅に振り返り、視線を向ける。

 セレストブルーの、最果てに繋がる深淵そのものの眼が「それ」を見た瞬間、音も立てず粉々に砕け散った。

 

「なっ…………」

「操作系は、オーラを送り込む触媒であるアンテナを刺し込めば無敵。『私』にはその常識が通用しなくても、ゴン相手なら通用すると思ったのは間違いではないわ。

 でも、シャルナーク。根本からあなたは二つ、間違えているわ。

 一つは、ゴンやクラピカが大事なのは『ソラ』であって、『私』ではないこと。『私』に人質なんて、通用しないわよ。

 

 二つ目は……、『直死の魔眼(この眼)』のオリジナルは、『死が見える』ではなく『死を顕現させる』眼だということ」

 

「空」の言う通り、ゴンとの会話で注意が逸れ、自分たちの精神を蝕んでいた絶望が薄れていた旅団は、それぞれ何としても、自分が犠牲になろうとも、予言以上の人数の犠牲が出ようとも、この「空の女神」を殺すために思考を働かせ、行動に移していた。

 ゴンに何としてもアンテナを刺し込んで、彼を人質にすることに活路をシャルナークは見出していたが、それはあっさりと「間違っている」と否定された挙句に、殺された。

 

 見ただけで、シャルナークのアンテナは粉々どころか砂のように崩れ去った。

 

 クロロが何よりも執着しているあの眼は、反則や非常識の代名詞と言っていい性能だが、それでも「ソラが直接、見えている線や点に干渉しなくては効果はない」という、接近戦専用という弱点があった。

 だからこそまだ勝ち目は、活路はあると誰もが捨てずにいた希望を、この女神は、「 」を体現する器は、「全ては無意味だ」と告げる絶望を刻む眼の持ち主は告げる。

 

「……ねぇ、このまま私なんか見なかったことにして、気を失ってるより勝手に歩いてくれるだけマシだと思って、放っておいてくれない?

 この世界は人類の活動領域が狭いから、神秘はまだ数多く残っているとはいえ、流石に神代は終わっているのだから、バロールの邪視(神代の奇跡)なんかが再臨してしまえば、抑止が動き出して不幸になるのは人間(あなた達)の方よ?」

 

 小首を傾げて少し困ったように「彼女」が語るセリフの意味は、ほとんどわからない。

 だが、シャルナークのいつでも投げつけてぶっ刺せるように摘まんでいたアンテナがなくなった、空っぽの手が証明する。

 ソラが使っていた「魔眼」など、「本物」のおこぼれ程度でしかなかったと。

 

「本物」は、その眼を持つ者がわざわざ動く必要などない。

 文字通り「見るだけ」で、対象を見て殺したいと思うだけで殺せるのだと見せつける。

 見せつけておきながら、何度も何度も絶望に抗い、足掻く旅団にさらなる絶望を叩きつけておきながら、嘲笑うでもなく本心から困ったような苦笑を浮かべていた。

 

「……っざけんな! てめぇは、どこまで俺達をバカにすりゃ気が済むんだ!!」

 

 それでも、足掻く。

 何度絶望を思い知らされても、相手にとって自分たちなど、それこそ指先で潰せる子蜘蛛でしかないとしても、それでも旅団はもう、「意味」を見失わない。

 

 それは旅団の誇りが、「彼女」がもたらす絶望を上回ったからか、それともただ単に黙り込まれると話が進まないので、そうならないように「彼女」が手加減してやっているに過ぎないのか。

 しかし、例え後者であったとしても、その屈辱を糧に旅団はなおさらに足掻く。

 

「てめぇが目覚めたら団長の優位が揺らぐって出てるんなら、俺らが全滅してもてめぇを殺すことに意味はあるんだよ!!」

 

 ノブナガはブチキレて叫びながら、オーラを増幅させて“円”を展開し、愛刀に手を掛ける。

「空」は“円”の範囲に入っていない。自分の居合抜きを決めるには、ノブナガの方が「彼女」に向かって突っ込んで行かなくてはならない。

 本物の直死の魔眼(バロールの邪視)相手にはあまりに不利な条件だが、そんなのノブナガにはどうでもいい。

 

 自棄を起こしていると言えばそうだ。しかし無意味な自殺ではない。無意味なんかではない。

 例え自分が見られただけで死んだとしても、その瞬間、「見ている」のはノブナガだけとなる。

 あの死そのものの眼が自分だけに向けられて、1秒でも時間を稼げたら、他の者がさらに距離を詰めるなり、能力を発動させるなりの時間となる。

 

 稼ぐ時間が一人1秒ほどでも、10人死んで10秒しか稼げなくても、最後の一人がその稼いだ時間で、この「女神」を殺せたらいい。

 そこに意味がないとは、言わせやしない。

 

 その為にノブナガがまずは先陣を切ろうとしたが、けれどやはり「空」はあまりにも残酷に、冷淡に告げる。

 その足掻きは「無意味」だと。

 

「ここで蜘蛛の足が全滅したら、クラピカに捕らわれているクロロはどうなるの?」

 

 踏み出したノブナガの足が止まる。

「こいつだけは殺さないといけない」という思考に染まった頭が、氷水でも掛けられたかのように急激に冷える。

 それはノブナガだけではなく、同じく「1秒でも時間を稼いで後の者に託す」と誓い、武器を構えるなりオーラを増幅させるなりしていた他の団員達も同じ。

 

 誰も見もせず、両眼を伏せて淡く微笑みながらソラは何故、彼らの足掻きが無意味なのかを宣告する。

 もう説明されるまでもなく、旅団が理解していることをわざわざ口にすることに、意味などない。

 初めからこの女がしていることになど、意味はないのだから今更だ。

 

「ここで私を殺して、なおかつ一人でも生き残るのなら、旅団(あなた達)が勝者と言えるけど、ここで旅団(クモ)の足が全滅と引き換えに私を殺せても、クロロは助からないわよ。

 むしろ、クラピカが彼を生かす理由がなくなってしまうでしょ? せっかく全滅はもう避けてるのに、わざわざ予言より酷い結末を自分たちから作ってどうする気?」

「うるさい!! 黙れ!!」

 

 マチの叫びはもうすでに、旅団としての誇りでも矜持でもなく、ただの癇癪に過ぎなかった。

 何も知らぬまま、ただ勘だけで「関わりたくない」と思い続けていた相手にマチは、涙を眼のふちに溜めて、足は生存本能に忠実にがくがく震えていながらも、それでも叫ぶ。

 

 誇りでなくても、矜持でなくても、捨てられぬもの。

 無意味だとわかっていても、無意味だなんて言われたくないもの。

 ただ自分一人だけだとしても、確かに意味を見出したものを守る為に彼女は叫び、訴えた。

 

「全部あんたの言う通りだよ! あたしたち全員の命を掛けたって、あんたを殺すどころか、かすり傷一つつける自信なんか本当はないよ!!

 けど! ここであんたを放っておけば、団長がヤバいってわかってるのに放っておけるか!! 団長を切り捨てりゃいいだけだって保証もないのならなおさらだ!!」

「別にクロロを切り捨てる必要もないわよ。言ったでしょ? 優位が揺らぐのは旅団全体の話じゃなくて、クロロ個人だって」

「お前の話が信用できるか!!」

 

 マチの言葉にも、やはり「空」はおっとりと即答するが、子供のような癇癪を起しているマチはその発言を一蹴し、さすがにここまで聞く耳ゼロな相手に「空」は困ったようにまた苦笑するだけで、何も言わなかった。

 それは、もうマチに何を言っても無駄だとわかっていたからか、それともこの後の展開などわかりきっていたからなのか。

 

「やめて! お願いだから、何もしないで俺達をこのままクラピカの所に行かせて!!

 約束するから!! 俺が、絶対にこの『空』に何もさせない! パクノダも団長も無事に返すって約束するから!! お願いだからもうやめて!!」

 

 ゴンがマチとソラの間に飛び出して手を広げ、仲裁と言うより懇願しだしたので、思わずマチも毒気がわずかに抜ける。

 そして彼女が言葉を失っている隙に、ゴンはさらに叫ぶ。

 

「この『空』は……俺の良く知る『ソラ』のために出て来てるのなら、絶対に団長を殺したりしないから信じて……。

 ソラは本当は、誰も殺したくないんだ! そしてそれ以上に、誰かがその手を誰かの血で、死で汚してほしくないんだ! ソラはいつだって、誰かが『殺人』っていう罪を背負わないように、自分が代わりにその罪を背負うために、自分の手を汚すから……、だから、だから……ソラが『空』に頼んだことは、絶対に団長を殺してとかそんな酷いことなんかじゃない。

 

 ソラは絶対に、自分の『身体』にだって、自分とは違う自分にだってそんなことをさせない! そんな責任転嫁は絶対にしない!!

 ……だから、どうか信じて。お願いだから、信じて」

 

 ゴンの言葉に、マチは何も答えられない。

「信じて」など言われても、マチは目の前の「空」よりも「ソラ」のことを知らないのだから、信用など出来る訳がない。

 ––––––––だけど

 

「…………ちっ! おい、クソ女神」

 

 沈黙するマチの代わりに、ノブナガが舌打ちしながら尋ねた。

 

「……お前は団長に何かする気あんのか? 俺達の予言がどういう意味か全部わかってるんなら、何でお前の所為で団長の優位が揺らぐのか答えろ」

 

 この「女神」は、信用など出来ない。

 そもそも、人間とは見ているものも感じているものも何もかもが違うのだから、信頼関係など成り立つ訳がないのだ。

 

 ……神と人間に信頼関係など築けない。

 だけど、神の権能を全てはぎ取られた者ならば……、自分たちと同じように神が「無意味」と断じるものに、「意味はある」と訴える者ならば……

 

『ははははっ! いいなお前! いい女だ!!』

『団長は「ねぇよ」って即答してたけど、俺は結構マジで惚れそうだ!!』

 

 自分が殺した相手のことを、悼み、覚え続ける者ならば……、あのバカが気に入った女なら……、信用は出来なくても期待くらいは出来る。

 だからノブナガは、その期待をこの上なく癪だが口にする。

 

 それをマチは、黙って聞いていた。

「お前なんか信用できるか!」と叫んだのに、「彼女」の答えを黙って待つ。

 

 ノブナガと違い、ウボォーギンの死の記憶をまだ撃ち込んでもらっていないマチには、「ソラ」に信用も期待も寄せる材料は何もない。

 だけど、直接会ってもいないのに、絶対に関わりたくないと警鐘を鳴らし続けたマチの勘が、静かに告げた。

 

「ソラ」は、大丈夫だと。

 何の根拠もないけれど、確かにそう思ってしまった。

 

 そして「彼女」は、答える。

 ノブナガの問いに、マチの勘に、ゴンの信頼に応える。

 

「危害なんて加えないわ。

 というか、ソラはクラピカのことさえなければ旅団(あなた達)には結構同情的で、嫌っていないわよ。カスだとは思うでしょうけど」

 

 ゴンの信頼通りの答えを返すが、何故か幻影旅団(自分たち)を嫌ってはいない、でもカス扱いというフォローなのか何なのか不明なことを言い出して、また旅団を「空」は無駄にイラッとさせる。

 

「とりあえず、ソラはクロロ個人なんて眼中にないから、クロロに関してのことなんか何も頼まれてなんかいないわ。

 まぁせいぜい、ソラは未だに去勢拳を決めたがってるくらいだから、ゴンの言う通り私になんかに頼まず自分でやるわよ」

「まだ諦めてなかったんかその処刑技!!」

「待て! 諦めてなかったって、既に一回やってんのか!?」

 

 更に穏やかに笑いながらおっとりと言い放ったセリフに、思わず素でノブナガが突っ込み、さらにフィンクスが連鎖的に突っ込みを決めて、空気が一気に緩む。

 ゴンにいたっては張りつめていたものが思いっきり抜けて、その場にへたり込んでしまった。

 

「あんたら真面目にやれ!!」とマチは怒鳴るが、彼女も「空」の口からまさか「去勢拳」という単語が出てくるとは思わず脱力してしまい、叱責がワンテンポ遅れてしまったので、空気は緩んだままで締まらない。

 というか団員の数人がとっさに、しかし盛大にこのコントそのものなやり取りに吹き出してしまっているので、このまま締めても気まずいだけだ。

 

「…………なんか、あなたとソラは全く別の人格だけど、完全な同一人物だってことを思い知らされたわ」とパクノダが呟いた感想が、全てを表していた。

 初めの「違うわよ」という即答の時点で全員が気付いていたといえば気付いていたが、この女、「式織 空」は、結局のところ「ソラ=シキオリ」であると思い知る。

 

 そんな歪みない斜め上を見せつけた女神さまは、やっぱり揺るがず真っ直ぐに突き抜けて斜め上だった。

 

「まぁ、ソラがクロロにしたい願望は横に置いておきましょう。去勢されて優位が揺らぐわけじゃないから、安心して」

「「そんなくだらねぇ心配してねぇよ!!」」

 

 自分でどうでもいいことを言っておきながら、それを横に置くジェスチャーと、考えたくなかった「優位が揺らぐ」可能性を口にして、ノブナガとフィンクスに「空」は同時に突っ込まれると、場違いなほどの穏やかで無邪気な笑顔が、困ったようなというか気まずそうな笑みに変化して、それでもやっぱりためらいなく即答する。

 

「今のがくだらないのなら、真相も結局くだらないものよ。あなた達はクロロの予言を旅団(クモ)全体の予言と捉えて、大げさに考え過ぎね。

 あれ、『惚れた方が負け』くらいのニュアンスよ?」

『……………………は?』

 

 * * *

 

 旅団と全く同じ反応をしてから絶句しつつもゴンは、「この人、ソラとは絶望的なくらい違うのに、何かまた絶望的なことにソラと同一人物なんだな……」と、しなくていい納得をしていた。

 

「………………それ、どういうこと?」

 

 真っ先に「空」が言ったことを理解して、尋ね返したのはヒソカ……に扮したイルミだった。

 針なしとはいえちゃんと声まで変えているが、完全に素で訊いていたので、マチとゴンがわずかに違和感を覚えたが、正直そんな違和感よりも「空」の答えの方が気になったので、イルミにとって幸いなことに、二人はその違和感を無視した。

 

 そして「空」はがれきの上に腰掛けているイルミを見上げて、穏やかに笑って「安心して」と言い出した。

 その発言で薄々こちらも思っていたが、やはり「彼女」は自分がヒソカではなくイルミだと気付いていることを確信して、内心で舌を打つ。

 しかし、何故かイルミは「空」相手には、「殺してやりたい」とは思えなかった。

 

 自分に向かって笑いかけたのも、「安心して」なんて神経を逆撫でしかしないセリフも、ソラ相手ならば今現在が仕事中だというのも忘れて殺しにかかるくらい気に入らない、許容できないことのはずなのに、この女に対しては「ムカつく」程度で終わった。

 

 この「空」の雰囲気に、ゾルディック家の最深で封じられている「何か」と似た物を感じているからこそ、敵に回すリスクが高すぎると計算し、余計な手出しをしないというのはもちろんあるが、それをいうならソラだって同じ。

 何故か「彼女」に対してはあまりに自然に、周囲も自分自身も一番「らしい」と感じる自分(イルミ)でいられる、むしろソラ以上の異端で反則的な存在であるとわかっていながら、心の底から恐れもしなければ利用したいとも思わない。全く興味が湧かない。

「空」に興味は湧かなくても、その興味が湧かない自分自身に疑問を抱いて、イルミは酷く冷めた目で「彼女」を眺め続けた。

 

 業腹だがゴンと同じ感想を懐いた、自分が知る憎くて殺したくてたまらない女の眼とは別物の、諦観に満ちた絶望の眼を眺めながら、「彼女」の話を聞く。

 

「正確に言えば、恋愛感情とは言い難いものよ。

 俗な言い方になるけど、クロロは正真正銘の『身体』目当てでしかないわ。

 

 本当に俗すぎる表現をしながら、けれどそれは決して低俗な意味など含まれていないことはわかりきっている。

 むしろそれ以上に、冒涜的なものをクロロは求めている。

 

「『私』は『 』に、万象が生まれ、そして帰り着く、始まりにして終わりに繋がる躰。

 この世の何を捨てても許される、最後のゴミ捨て場。無くしたもの、捨てたものの行き着く先。本物の『流星街』。

 だから彼は、『私』が欲しいのよ。彼はソラには興味ないわ。元気いっぱいな所は大好きで、仲間にならずとも自分たちと同じ闇に来て欲しいとは思っているけど、本当に側にいて欲しい人はソラじゃない。魔眼だってあなた達が引くほどの執着なんか、本当はしていない。

 彼が見ていたものも、手を伸ばして求めていたものも、それはソラでも直死の魔眼でもなく、その深淵である、『彼』が捨てたもの全てがそこにある『虚無()』。

 

 私はクロロに対して、何かするつもりなんかないわよ。向こうが勝手に私という空っぽをなりふり構わず求めて、余裕をなくすだけ。部下(あなた達)を巻き込む気はないくらいの分別はついてるけど。

 私が何もしなくても、私と出会わなくても既に彼はソラを通して、彼女の奥の『 』()を見ていたからこそ、あの執着よ? 今日ここで私と会っても、彼は自分が真に執着してるものが何かを悟って、執着の対象が眼から『身体()』に変わるくらいよ。執着心が消えることはまずないわ。

 

 だから、あなたも安心してね、パクノダ」

「は?」

 

「空」の答えに、特にクロロが「ソラ」の元気いっぱいな所を気に入っているが、それは「誰か」の面影であることを「空」が理解していることに、結成当初のメンバーは警戒とも不愉快とも取れる顔をした。

 が、何故が最後に名指しで「安心して」と言われ、普通に困惑するパクノダ。

 パクノダ以外も訳が分からず目を丸くするが、そんな彼らにこの女神、自分の内なる両儀の片割れと全く同じことをしでかした。

 

「彼が『幻影旅団』という大蜘蛛になる為に捨てた全て。未練なんて持ってはいけないもの。

 だけど彼がデザインした『悪』は『残虐非道な盗賊』で、彼が被るペルソナは『強欲な盗賊の首魁』。だからこそ、彼は演じながらも本音が漏れ出すの。『強欲』なら、キャラ崩壊とは言われないからこそ、捨てたものに手を伸ばして求めるの。

 

 サラサや劇団として旅団、そして一番未練タラタラなのは、大好きな『パクちゃん』だから、安心して。

 彼、『私』を通してあなたを愛してるだけだから」

「今すぐに黙ってお願い!!!!」

 

 やはり「彼女」は、旅団(自分たち)の始まりを知っていると確信させたが、それらの情報を塗りつぶす、パクノダを直死以上にぶっ殺すトンデモ発言をぶちかまし、パクノダからクソデカボイス懇願された。

 

 得体の知れなさに対する恐怖や緊張、自分たちの聖域を土足で踏み入る不快感が吹っ飛び、とりあえずボノレノフやコルトピといった外様メンバーは気まずそうに固まり、結成メンバーはパクノダに対してひたすら同情の視線を向けるが、かける言葉は出てこない。

 

 なお、ヒソカに扮したイルミは、姿の変身こそは解けていないが、内面の化けの皮は昨夜の焼き直しと言わんばかりのパクノダ公開処刑で剥がれ落ち、両手で頭を抱えてひたすら「殺す殺す殺す殺す殺す……」と呟き続ける。

 幸いながら、嫌われ者のヒソカを気にかける者はいなかったので、イルミの奇行はバレずに済んだ。

 

 ゴンさえも、ポカンとしてからひたすらに気まずそうに、それでも必死に気を遣って何か言葉を探しているのが更に居た堪れなくなって、パクノダは真っ赤な顔を隠すようにその場にしゃがみ込んで、「私はこの後、どんな顔でクロロとこの子らの人質交換に行けばいいのよ!!」と叫ぶ。

 

「笑えばいいと思うよ」

「はい! シズクは黙る!!

 とりあえず団長の予言は、『諦めてた夢が叶う方法を見つけたから、浮かれすぎて余裕をなくす』くらいのニュアンスだったってことでOK?! 」

 

 ここでもマイペースを貫くシズクに、シャルナークは黙るように命じて、もうこの内容は深掘りしたくないが、旅団全体にも関わることなので念押しで確認をとって、強引に流そうと頑張った。

 

「その認識でいいわ。でも一応、クロロの名誉のために言うと、『悪役』を貫いた上で、ウボォーギン個人としても満足していた彼は例外として、手足が予言通り半分どころか一人でも捥がれていたら、クロロは浮かれはしないわよ。代わりになおさら、『 』()から亡くしたあなた達を取り戻そうと、なりふり構わず求めるでしょうけど。

 そもそもクロロの予言に関しては、二つの未来、どっちに転ぶかがわからない50:50の未来を示しているものだったから、蜘蛛の手足が捥がれるのなら私は目覚めないから、浮かれた団長なんか見なくて済んだわよ」

 

 シャルナークの頑張り虚しく、流そうととしてるのにご丁寧に「空」は、さらに補足を加えてくる。

 だが流石にパクノダに対する追撃ではなかったので、イルミとマジで何考えてるかわからないシズク以外はホッとした。

 しかし同時に、またさらに気になることを言い出したので、シャルはまた爆弾発言が飛び出ないことを祈りながら訊いた。

 

「ちょっと待って。50:50の未来って何? 俺達の未来を占ったのは、『100%当たる未来予知』なんだけど?」

「未来を改変できる時点で、的中率は100%じゃないでしょう?」

 

 シャルナークの疑問にこれまた身も蓋もない返答をされたが、そのまま懇切丁寧に「未来予知」という能力そのものを、「空」は説明してくれた。

 

「予知能力には、色々種類があるものよ。

 スタンダードなのが、現状の情報からもっとも高い可能性を『予測』するタイプ。これは誰にでも出来る想像力を、『超能力』と言える域にまで強化されたもので、どれほど精度や的中率が高くても、あくまでその予知が記す未来は、『一番高い可能性』でしかないから、改変なんかいくらでも可能だし、予言通りの行動していたのに、遠い異国の蝶の羽ばたき一つで、大きく変わってしまうこともあるわ。

 

 そしてちょっと珍しいのが、良い未来に行き着くための方法、そして悪い未来を回避するための方法を得る、『確定』タイプ。これだって目標の為に行う行動予定が、無関係と思える事柄まで事細かくわかるという、『予測』と同じ想像力を別方向で強化させたもので、こっちの場合は、『その行動を取らないと行き着けない未来』よ。

 

 そして、ネオン=ノストラードの未来予知は、この『予測』と『確定』の複合型。基本的に彼女は一番可能性が高い未来をまず視て、それが良い未来なら、そこに行き着く可能性を強化させる為の行動、悪い未来なら回避させる行動は何かを視て、予言の4行詩として記す。だからこそ、『的中率が100%の未来予知』よ。ただでさえ高い可能性を、さらに強化させてるんだから、そう簡単には外れないわ。

 あと、彼女はあの能力を得るきっかけの憧れの占い師の影響で、良い未来と悪い未来に至る可能性がきっちり50:50なら、基本的に記す予言は『悪い未来』、特に『死に至る未来』を優先するわ。そっちの方が、外れても都合がいいしね。

 

 だからこそ、クロロの予言には『空の女神(わたし)』が出たのに、死の予言が出ている人たちには、私を警告する文がないのよ。私はあなた達の『死』に、全く関わっていないから。

 フィンクスの未来を占えなかったのが残念ね。あなたの未来がわかっていたら、私が出ることもなく、手足が欠けることもなく、クラピカを追いつめることが出来たかもしれないのに」

「! どういうことだ!?」

 

 予知能力についての解説には、シャルナークやフランクリンなど、旅団の中では比較的温厚な部類の者達と、そしてこんなところでも旺盛な好奇心を発揮しているゴンが、割と素で興味深そうに聞いているのに対し、旅団の中でも短気な部類の者、特にフィンクスは本当か嘘かわからないことをべらべら話している現状に苛立っていたが、いきなり聞き捨てならないことを「空」が言い出したので、噛みつくように怒鳴りつける。

 もちろん、そんな怒声に怯えたり逆に怒鳴り返す訳もなく、「空」は相変わらずおっとりとしていながら、台本を読むように淡々と即答した。

 

「あなたがソラかゴンに危害を加えようとすることが、『分岐点』だったってことよ。

 仲間でも止める隙も余裕もなく、ゴンかソラを傷つけようとしたら、『蒼玉の防人』であるカルナが目覚めて反撃して、5人欠ける可能性が高かった未来に至る。そしてあなたが仲間の説得を受けて何もしなければ、『私』が目覚めてクロロの優位が揺らぐ。クロロの予言は、そういう意味だったのよ。

 彼の予言で私に対するもの以外の警告文がなかったのは、手足が半分になってもクロロはまず死なないし、結果的に優位なのはあなた達の方だから、優先的に回避方法を記すべき『悪い未来』と認識されなかったのと、クロロは完全に別行動中だから、何をしようがこちらの未来に介入しようがなかったからこそ、彼女の占いでは珍しい二つの未来が記されるって形になったのよ。

 逆にあなた達の予言で私が全く出なかったのは、私ルートだと誰も死なないし、カルナルートでも死を回避する余地はあったから、カルナの方が優先されただけよ」

「俺のやろうとしてたこと、正解だったって事かよくそったれ!!」

 

「空」の解説にキレたフィンクスが、八つ当たりでその辺のがれきを蹴り飛ばして叫ぶが、その叫びも「空」は「そんなことないわよ」と、即座にぶった切る。

 

「カルナはあなた達が思っているよりずっと強いし、それに下手したら私以上に何やらかすかも、何を考えているかもわからない人だから、予言の内容を正確に解釈して理解して、対策を練って冷静に動かない限り、パニックに陥って予言通りになっていた可能性の方が高いわね。

 ただでさえあの予言は、あくまで来週のはずだったから、今日に前倒ししている確証なんて、あなた達にはないでしょう?

 それにこのルートのフィンクスの役割って、カルナを起こすことだけよ。あなた、カルナに速攻で反撃されて、死にはしないけど気を失って、明日の昼ぐらいまで目が覚めないわよ」

「うるせぇ、もう黙ってろてめぇ! っていうか、お前以上に何やらかすかわかんねーってどんな奴だそれ!?」

 

 自分がキーマンだったのに何もしなかったことで、「空の女神」を目覚めさせてしまったことを悔しがれば、行動に移していても悪い方向に導いた可能性が高かったと言われた挙句、ついでに自分の役割はそこで終わりと断言されたフィンクスは、またしても八つ当たりで怒鳴る。ただし、最後の突っ込みは素だ。

 

 その素の突っ込みに何人かが、こちらも素で笑ってしまい、ただでさえ「空」の爆弾発言で緩んでいた空気が、修復不可能なものになるトドメを刺したのは自分だと自覚したら、フィンクスはいたたまれなくなり、赤い顔で「っていうか、マジでお前らもうさっさと行って団長返せ!!」と、まだ悶絶しているパクノダに割と可哀想なことを怒鳴りつけた。

 

 緩んだ空気と、自分の自爆同然な言動に自棄になって、とっさに言ってしまった訳ではない。

 この上なく癪で癇に障って気に食わない、屈辱この上ないが「空」の言った通り、ここで現在のメンバーが全滅と引き換えに「彼女」を殺せても、団長が解放されていないのならば意味がない。

 クラピカに団長を殺す理由を与えるだけだ。

 

 それにフィンクスにとってはゴンなど、ただのクソガキでしかないので、信用もくそもないのだが、これまた癪なことに彼の言い分も筋が実は通ってる。

「空」は旅団を殺そうと思えば、それこそ目覚めた瞬間から殺せた。

 シャルナークのアンテナを破壊したあの眼を使えば、まだ「彼女」が何者かを旅団が欠片も把握していなかった時に、ただ全員を見渡せば良かっただけなのに、それをしなかった。

 

 ここで旅団が玉砕覚悟で自分を殺しても意味がないと忠告したのなら、団長だけを殺しても意味がないこともわかっているはずだから、この女は本気で自分たちはもちろん、団長にも何もするつもりはないという証明だ。

 

 だから結局自分たちが出した結論と変わらず、このままパクノダに連れて行ってもらった方がいいことに変わりないと、空気が緩んだおかげで取り戻したわずかな余裕がそんな考えを生んだ。

 

 しかし余裕が生んだ冷静さで理解した事柄は、その冷静を一瞬で蒸発させる程に気に食わない数々だったので、フィンクスの言ったことだって結局は完全な逆ギレなのだが、「空」は「はいはい」と困った子供に対して向けるような笑顔で答えて、ゴンに手を差し伸べる。

 

「待て」

 

* * *

 

 ゴンはまだしゃがみ込んでいるパクノダが気になって、その手を取れずにいる間に、一人が待ったをかける。

 その声に、「空」とイルミ以外の全員が、悶絶していたパクノダでさえ意外そうな顔を向ける。

 

 マチだった。

「空」に対しては信用できないと叫んだが、「ソラ」は信じようとした、初めから人質交換に賛成して協力的だった彼女からの「待った」を皆が意外に思ったが、彼女の言葉は本当に「待て」でしかなかった。

 

「最後に、一つ教えて」

 

 今更、人質交換を反対するのではなく、彼女はどうしても知りたいことがあったから、まだこの場に留めただけだった。

 そして、「空」の答えを待たずにマチが口した質問に、古参メンバー……クロロの幼馴染と言える者たちの空気が張り詰めた。

 

 

 

「何が書いてあったの?」

 

 

 

 ボノレノフやコルトピ、シズクには意味のわからない問い。

 設立メンバーだけが理解できる、主語のない疑問。

 

『…………言わない』

あの日、クロロに読ませたもの。

 

『絶対……!! 口にしない……!!

 死んでもっ!!』

クロロが教えてくれなかったもの。

 

『知りたいなら自分で調べろ!!』

クロロに、自分たちが背負わせたもの。

 

 それを、教えてとマチは言った。

 

 パクノダにとってはとんだ災難だったが、マチは知ってしまったから、知りたかった。

 団長(クロロ)が、諦めきれず求めていると。

 間違いなく彼は、捨てたけれど。彼自身の意思と覚悟で、故郷の為に、もう「あの子」のような犠牲を出さない為に、覚悟を持って彼は、大事な宝物全てを、流星街よりも遠い最果てに捨てたけれど。

 

 それでも、それを取り戻す術があるのなら

 浮かれてしまうほどに、拾い上げたいと思っているのなら

 

 彼がもっと遠くに、この女神に届くまで手を伸ばせるように

 彼があの日、抱えてしまったものを自分も抱えたいと思ったから。

 

 女神は笑っている。

 お姫様役は嫌だ悪役が良いと言い続けていた自分を、説得しようとしていた彼のように、少し困った笑顔で。

 

 あの包みを……「サラサだったもの」を見てしまったクロロの眼で、「空の女神」は言った。

 

「『清掃戦隊カタヅケンジャー、参上。

 いい子の皆、お片付けはちゃんとしてる? ゴミはその辺にポイ捨てしてないかい?』」

 

「空」の言葉に、ゴンは戸惑う。

 明らかに何らかのアニメのタイトルコールらしき発言にも、もちろん訳が分からず面食らっているが、それよりも旅団の半数以上が、あまりにも平和な口上に対し、自分やソラに向けていた以上の憎悪を露わにしたことが、その殺気に対して恐怖よりも当惑が先だった。

 

 そして、その憎悪と殺気を一心に受ける「空」は、やはり笑ったまま続きを語る。

 

 あの子に––––、サラサに打ち付けられていた方の紙に書かれていた言葉を、淡々と告げた。

 

 

 

「『カタヅケンジャー、第一話。

 

ゴミはゴミ箱に』」

 

 

 

 ゴンには、何もわからない。

 ごく普通の、アニメのタイトルとしか思えない。

 それでも…………

 

 尋ねた張本人のマチは、「空」に啖呵を切っていた時以上に顔を歪めている。

 

 ノブナガとフィンクスは、逆に無表情となって肌が痛くなるほどの殺気を、オーラとして発している。

 

 フェイタンは細い眼を限界まで見開いて、ゴンにはわからない異国の言葉で何かを叫んだ。

 

 フランクリンは深く項垂れて、血を吐くような声音で「…………だから、……か」と呟いた。

 

 そして比較的、メンバーの中でも穏やかな方だったシャルナークとパクノダも、「空」を睨みながら「空」ではない誰かに対して、「許さない」と呟いた。

 

 全員、流血するほどに拳を握りしめて。

 

「気にしなくていいわよ、ゴン」

 

 マチへの問いの答えは終わったのか、ゴンに向き直って「空」は言う。

 

「あなたには関係のない話。あったとしても、あなたはもうあの腕相撲で結論を出している話にすぎないわ」

 

 やはりこの「空」は、ゴンが話していないノブナガとの腕相撲の話を、当たり前のように既知として語って、ゴンの中でモヤモヤとしていたものに答えを与える。

 

 わからないなりに、あの言葉はとても酷い使われ方をしたことをゴンは察し、同情していた。

 それでも……それでも、ゴンだって怒っていた。許さないと、思っていた。

 

 きっと彼らがされたことと同じか、それ以上に酷いことをクラピカに、クルタ族にしたのか? という思いが消えない。

 

 けれどそれは、消す必要などないと「空」は言い切る。

 彼らの憎悪と絶望に、ゴンが優しすぎるから同情しすぎて、バカな遠慮をしているだけであると、「関係ない」とバッサリ言い切って、再び「空」はゴンに手を差し出す。

 

 その手を、ゴンは取る。

 

 初め、目覚めた瞬間に見た時は、怖くてたまらなかった。そして今でも、正直言って「怖い」とは思っている。

 が、それでもゴンは躊躇いなく手を取って握る。

 目の前の「彼女」は、どうしようもなく自分の知るソラとは絶望的なまでに違っていながら、それでも決して切り離せないくらいに同じ存在だと思い知ったから、ゴンは「空」の手を握る。

 

 ソラが絶対にしない、出来ないからこそあんなにも苦しみ続ける「諦観の絶望」に染まった眼をしながら、……生きることに、世界に、人に何の意味を見出していなくても、ずっと夢さえ見ない夢を見続けていたいはずなのに、それでも目覚めてここにいること……、そしてゴンを放っておかず、「気にしなくていい」と言って、手を差し出すのは間違いなく、どうしようもなく……「彼女」がソラである証明に思えたから。

 

 だから、ゴンはその手を取って、握りしめる。

「彼女」はそんなこと求めていないのかもしれないけど、そんなことも「無意味」と断じるかもしれないけれど。

 それでも、ゴンは「空」の手を握りしめて歩き出す。

 

「ソラを返して」とは言わず、この「空」を連れて帰ろうとする。

「あなたも間違いなく『ソラ』だ」という、ゴンなりの答えであり、「彼女」を偽物呼ばわりして否定した償いであり、誠意のつもりだった。

 

 そんなゴンに、「空」は手を握り返して笑う。

 嬉しそうな笑顔だった。ソラと同じ、晴れ晴れしい笑顔だった。

 

 だけど、その眼は変わらない。

 

 ゴンを拒絶している訳ではないだろう。

 ゴンの償いも、誠意も受け入れてくれている。

 だけど、それらもいつか消えてゆくものだから、無意味になるものだから、この手の内から離れてゆくものだから。

 

 彼女は「全知」だからこそ、「全能」ではない。

 何もかも知っている。知っているからこそ、何もできない。何をしても、それは全ていつか必ず終わってしまうことを初めから知っているから。

 そんな結末を「知らない」もの(精神)を作ることは出来ても、自分が「知らない」ことには出来ないから、「彼女」はあくまで「全能」ではなく、「万能」なのだ。

 

 だからこそ、「彼女」の眼はずっと変わらない。

 何もかも諦めた、諦めるしかない諦観の絶望を湛えた眼で、「空」は笑っていた。





「何が書いてあったの?」の答えは、完全に私の解釈です。
 私が想像しうる中で一番、当たって欲しくない奴にしておきました。
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