パクノダ達を乗せた飛行船が断崖絶壁の岩山山頂に降り、そしてその飛行船から4人が降りたのを確認してからクラピカ達が乗っている飛行船も着陸するように指示を出す。
飛行船が着陸し、クラピカは鎖を引いてクロロを歩かせて外に出ようとするが、その前にキルアから声を掛けられた。
「おい! 本当にお前一人で行くのかよ! せめてソラやゴンが操られてないかかどうか確かめる為に、センリツも連れてけよ!」
もうすでに、「人質交換の場に立ち会うのはクラピカ一人」ということは話し合って決めていたのだが、納得しきれていなかったキルアが駄々をこねるように土壇場で叫び、クラピカは静かに首を振ってもう一度、立ち会うのは自分だけと決めた理由を語る。
「ダメだ。センリツは先ほどの電話の件で、無理をさせ過ぎた。そうでなくとも、『彼女』相手では、センリツの能力は悪いが意味がなく、ゴンとは初対面で『普段の心音』というものを彼女は知らないから、やはり意味がない。
そして、お前達も今更だがこれ以上姿を現して、向こうに情報を与えるな。飛行船から奴らを警戒してくれるだけで十分だ」
そのことには、もうとっくの昔に納得している。
確かに今更だが、それでも姿を現す必要がなければ、もう一切姿を見せない方がいいことなどわかりきっているし、センリツは未だに電話で聞いたらしい「彼女」の心音に怯え、耳を両手で塞ぎ続けているので、もう一度「彼女」の心音を聞けと命じるのは残酷この上ないことくらい、わかっている。
だが、キルアはクラピカの言い分を全て納得しているが、それらを納得する上で一番根本的な前提をまだ納得していない。
だから、クラピカを睨み付けてそれを突き付ける。
「…………本当に、『あれ』は偽物でも操られてる訳でもないんだろうな!?」
クラピカは結局、キルアとレオリオに「彼女」のことはほとんど説明しなかった。
クラピカ自身も「彼女」については何もわかっていないに等しいので、説明のしようなどなかったが第一なのだが、わかる範囲内で説明しようにもクロロが邪魔だった。
クラピカの系統柄、クロロから離れることが出来なかったので、そのことを理由に「本人が帰ってきたら話す」とだけ言って、二人の疑問も不安も不満を無理やり黙らせた。
もちろん二人だって、クロロの前で話すべきではない情報なのはわかっているが、だからと言ってあんなにも明らかに「違う」部分を見せつけた「彼女」が、偽物でも操られているとも疑わない訳がない。
「疑うのはわかる。だが、そう思えた根拠は今は話せないが、確かにあるから信じてくれ。
『彼女』は確かに、ソラではない。別人だ。しかし、体は間違いなくソラのもので、旅団に操られている訳でもない。正直言って私も『あれ』が何者なのか、どうのような状況なのかは理解できていないが……、それだけは確かだ」
何度も同じことを訊き、言わせた答え。
キルアはしばしクラピカを睨み続けたが、自分以上に彼の方が空港でのソラでは有り得ない行動を見て、『あれ』が何者なのか、ソラはどうしているのかを不安に思っていない訳がないことも、この上なく癪だがわかっている。
そんなクラピカが何の根拠もなく楽観的に、「偽物でも操られてもいない」とは絶対に言わないことだってわかっているからこそ、最終的に折れて鼻を鳴らし、そのまま行けと言わんばかりに背を向ける。
その小さな背中に、クラピカは一言だけ告げて彼も背を向け、歩み出す。
「––––相手が何であれ、誰であれ、必ず取り戻す」
クラピカの言葉にキルアは言い返した。
「当たり前のこと言ってんじゃねぇよ」、と。
その言葉に少しだけクラピカの顔の強張りが解れ、「そうだな」と返答して彼は扉を開けた。
* * *
草木など一本も生えていない断崖絶壁に、赤いコートと白い髪をなびかせて立つ「彼女」を目にすれば、そこは現実ではないように思えた。
それほどまでに、姿自体に変化などないはずなのに、ソラだって十分に絶世という枕詞が大袈裟ではないほどだったのに、「彼女」は格が違う。
女神の美貌で微笑む「彼女」が一人いれば背景が何であれ、それはもはや女神を題材にした一つの芸術作品であり、そしてその世界は現実ではない。
しかし、決してそこは天国でもない。
花のように、星のように、月のように、宝石のように、春の桜のように、夏の青空のように、秋の紅葉のように、冬の雪のように、この世の美しきものすべてに似た、幼子のような無邪気さあどけなさ、恋する乙女のような艶やかでありながら純粋さ、そして聖母のごとくの慈愛を湛えた女神の笑みを浮かべながら、それら全てが穢れて朽ちて壊れて潰れて腐って奪われて失って殺されて死に果てたのを見てきたかのような、諦めるしかない、諦める以外のことなどもうできない絶望の眼をしている女神がいる場所が、天国であるはずがない。
「眼」を目の当たりにして、わかっていたことを改めて、諦めきれないだけ「彼女」の眼より絶望的に思い知らされる。
その眼は、「彼女」はソラではないという事をクラピカに突き付けた。
一瞬クラピカは酷く傷ついた顔になり、ゴンはそんなクラピカに痛ましそうな視線を送るが、彼にそんな顔をさせた当の本人は、ただ穏やかに笑っていた。
クラピカの絶望を楽しむような悪趣味な笑みではなく、慈愛そのものの笑み。
まだ絶望できるだけの希望があること、この世界に、生きることに期待が出来ていることを羨むような、諦観の絶望にその笑みは矛盾しているようで、完璧に調和していた。
そのソラとは決定的に違う、何もかもを諦めきっている、諦めるしかできない「彼女」の笑みが無性に気に入らないと同時に、自分がどうして絶望しているかを思い出し、己を奮い立たせる。
ソラと「彼女」が違うように、自分も「彼女」とは決定的に違う。
諦めてなどいない。諦めることなど出来ない。
例え相手が神であっても、それよりも得体のしれない何かであっても、絶対にソラを取り戻すという自分を絶望に沈める重りでもある「希望」を抱えて、クラピカは「女神」を緋色の瞳で睨み付けて尋ねた。
「ゴンと……『式織 空』で間違いないな」
「えぇ。改めてもう一度、初めまして。私が、『式織 空』よ」
クラピカの確認に、人質を連れてきたパクノダではなく「空」があどけなく微笑んで答える。
そのことにパクノダもクラピカもやや不快そうに眉間のしわを深めたが、「彼女」に何を言っても無駄なことくらい、両者はおそらく同じくらい理解しているので、勝手に気が済むまで語らせる。
しかしこの女、ソラとは別人なくせに間違いなく同一人物であることを確信させる斜め上を、ここでも見せる。
「あなたとの話はこの後でも出来るから、こちらと話をさせてね」
微笑みながら言う「彼女」の言葉の意味が良くわからず、クラピカとパクノダどころか、ゴンや後ろの方で人質交換が終わるまで大人しく待っているヒソカもいぶかしげな顔になるが、そんな彼らの疑問を無視して「空」は、自分の口元で細い指先を軽く振るう。
何かをその指先で切り落とすような動作をした直後、「彼女」は微笑みながらもう一度、挨拶を口にした。
「初めまして、クロロ=ルシルフル」
「––––––––お前が、予言の『女神』か」
クロロが女神の言葉に応じ、クラピカは驚愕で眼を見開きながら、臨戦態勢で振り返る。
人質交換が終わるまで何も話せないように口元を覆っていたクラピカの鎖が、チェーンジェイルが消失していた。
クロロの動きを拘束している体の鎖や、心臓に埋め込んだ念の刃は健在であることを確認しても、クラピカから警戒と焦りは消えない。
明らかにあの動作で、クロロと話すために口元の鎖を切断なり無効化なりしたのだろうが、それだけなら勝手に余計なことをしたことに対しての怒り程度にしか感じないが、クラピカはクロロが「彼女」の言葉に応じるまで、一部とはいえ自分の能力が無効化されたことに、気付けなかった。
除念の存在を知っているのだから、当然クラピカは自分の“念”が無効化された時、例えその除念された対象が自分から遠く離れていても、感知できるようにという保険を付けている。
なのに、自分の指から繋がっている状態だというのに、クラピカは全く感知できなかった。
その保険ごとクラピカの能力を、命を代償にして支払って得たものを殺しつくされたことで、ソラとは別人であることを確信しても、カルナ以上に得体が知れない相手であることを理解しても、それでも信じきれずにいた「彼女」の機能……、「彼女」が神であることを信じざるを得なくなる。
また更に、「必ず取り戻す」という希望が、底なしの絶望にクラピカを沈める重さを増すが、それでもやはり彼は女神でさえも縋った「諦観」という最悪の救いを振り払い、焦りをねじ伏せて思考を走らせる。
「彼女」とクロロに黙るように命じるべきか、このまま当初に思った通り「彼女」の気が済むまで勝手にさせるべきかと、自分のすべき行動は何かを必死で思考を高速回転させているクラピカには気付かなかった。
「空」の背後でクロロの「予言」の意味を知っている二人が、旅団のアジトでやらかした爆弾発言を再度投下するのではないかと、ゴンは本気で焦って、パクノダは顔真っ赤にしてオロオロしていることに。
そしてクロロ本人も、部下と子供にやたらと心配されているということに気付いていない。
気付くどころか彼はパクノダやゴンも、自分を睨み付けて車内や飛行船内以上に全力で警戒しているクラピカも、何故かいるヒソカだって眼中にない。
あの空港で目にした瞬間から、彼は「彼女」しか見ていない。
見えていない。
頭の端で、自分は予言の意味を大きく間違えていたことを理解する。
あれは、この「女神」によって旅団が壊滅するという意味ではなかったことを思い知る。
優位は揺るがされた。
今のクロロに、余裕などない。
無様に自分が「幻影旅団の頭」であることを忘れて、「彼女」に手を伸ばしてその身を、その存在を求めないのは、ただ単にクラピカによって拘束されていて動けないからに過ぎない。
何者かなんてわかっていない。それでも、理解した。
クロロが、自分が求めていたのはソラ=シキオリでも、彼女が持つ魔眼でもなく、ソラの深淵で眠り続けていた、魔眼の最果て。
自分はこの女神を、虚無を、「 」を求めていたことを、ようやくクロロは理解した。
そして自分が今まで求めてきたものは全て、この「 」にあると確信する。
理屈などない。ただ盗賊として、
全てを覚悟の上で捨てた。そうしないと、手に入らないものだから。それらを犠牲にしても、欲しかったから。それらを犠牲にして、逃げ場をなくしてしまわないと、折れてしまいそうだったから。
けれど、それらを取り戻す術があると言うのなら。
捨てた「昔の自分」では、出来ない手段も今の自分なら、「強欲な盗賊の首魁」たる自分なら、何もおかしくない。
求めることさえも、それは「役」から外れない。
だから、欲しい。
どんな手段を使っても。どれほどの犠牲を払っても。
犠牲になどしたくなかった、捨てたくなかったからこそ、犠牲にして捨てて、手を伸ばす。
矛盾さえも飲み込み、実現するであろう目の前の「万能」に。
「……ねぇ、クロロ」
そんなクロロの恋のように熱っぽいが、決して恋なんかではない視線を、本人よりもその視線に込められた感情の意味を理解しながら、受け入れるでも跳ね除けるでも無視するでもなく、その意味を殺しつくして溶かしつくして無意味に堕とす全知は言う。
「あなたの願い。一つだけ今、叶えてあげるわ」
あまりにも唐突な宣言に、熱に浮かされていたはずのクロロも困惑し、「は?」と声を上げた。
クラピカやヒソカは一瞬呆気を取られるが、その発言がクロロの逃亡に繋がりかねないと即座に理解し、クラピカは「!? どういうつもりだ!?」と叫び、ヒソカは静かにトランプを構える。
ゴンとパクノダは、アジトでの気まずさ再演ではなかったことに安堵したかったが、二人はこの女神の底知れなさを、他の連中よりも思い知らされていたからこそ、嫌な予感しかしなかった。
そして、二人の予感が正しかったことは、すぐに証明される。
「『あの子』に会わせてあげる」
クラピカの叫びを無視して「空」は、聖母のごとく慈愛そのものの笑みで言った。
クロロが欲してやまない、取り戻したいもののうちの一つを、彼の願いを告げる。
「だから、『あの子』と会って決めなさい。
これからあなたは、『やめる』のか、『進む』のかを」
「あの子」を喪くした日の、クロロと同じ絶望の眼で。
「やめて!!!!」
咄嗟にパクノダは叫ぶ。
クラピカやヒソカ、そしてゴンはもちろん、クロロでさえも意味がよくわかっていない発言の意図を、彼女だけが理解できた。
目を逸らし続けて、見なかったことにして、振り払い続けてきたものに追いつかれたことに、彼女は気づいてしまい懇願するが、女神はその願いは聞き入れなかった。
だから、「あの子」との再会は、果たされた。
「––––––––クロロ」
『!!??』
声が変わる。
ソラの変声期直前のような独特な声ではなく、カルナの声でもない。
甲高いとも言える、幼い女の子の声がクロロを呼ぶ。
人は声から忘れていくという話を、クロロは思い出した。
その話の通り、自分は「あの子」の声を今の今までに忘れていた。脳裏で思い出して再生される声音は、記号としての「女の子の声」であって、「あの子」の声ではいつしかなくなっていたことを思い知る。
同時に、忘れてはいても失っていなかったことも知る。
その呼び声ひとつで、鮮明に思い出せるほどに自分は「あの子」を捨てることなどできてなかったと思い知った。
姿は変わらない。
初めから絶世に相応しい美貌の女の姿のまま。
それでも、また中身が違うことは誰でもわかった。
何故なら浮かべている笑みは、もう女神の笑みではない。
幼さと艶やかさと淑やかさが共存した、この世全ての美しいものに似た笑顔ではなくて、口を大きく開けて歯を剥き出しにした、お世辞にも上品とは言えない笑顔。
子供らしい、元気いっぱいで、オレンジ色がよく似合う笑顔だった。
「空」は「あの子」の笑顔で、声で言う。
––––––今にも泣き出しそうなのに、泣くのを必死に堪えた、罪悪感による絶望の眼で。
* * *
「!? パクノダ!?」
「空」であり「空」ではない誰かの謝罪の言葉に、パクノダは糸が切れたかのようにその場に座り込んでしまい、ゴンが思わず普通に心配して声をかける。
しかしパクノダは、ゴンに何の反応も返さない。
ただ地面を見下ろし、涙と嗚咽をこぼす。
クラピカは、動けない。
何も言えない。疑問すら湧かない。
わからないことだらけなのに、叩きつけられるように理解してしまったから。
きっと、「あの子」はクロロやパクノダにとって、大切な人。
自分にとってのパイロのような存在。
そして、「あの子」の言葉は、あれはきっと自分が、クラピカが「復讐」を本懐として、誰かの血でこの手を汚してしまった時、パイロはきっと––––
「––––––––––––は、」
長い沈黙を破ったのは、まずは短い吐息。
「は、ははっ! ははははははっ!!」
吐息が徐々に、変質する。
「はははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!」
狂ったような、哄笑。
実際に発狂したのかと、クラピカは本気で思った。
理解できたからこそ、そう思った。
ヒソカでさえも唖然とするほど、彼は笑う。笑う。笑い続ける。
『この宇宙にそんな、再会のシステムがないのだとしたら––––』
あの日の願いは叶えられ、疑問は晴れた。
間違えていたのは自分だと、思い知った。
思い知ったからこそ、笑うしかない。
だから笑って笑って笑って……唐突にその哄笑は止み、荒い息をつきながら彼は……クロロは呟いた。
「…………あぁ、そうだ。……サラサは、決して望んでいない」
わかっていた。本当は15年前から。
自分が守りたいものなら、彼女も賛同してくれる。けれど、自分の決意には決して賛成してくれない。
自分が捨てるものを、あの子なら「捨てないで!」と泣きじゃくって止めてくれる。
そんな子だと、知っていたのに。
知っていたからこそ、あり得ないとわかっていながらも望んでいた再会の時、喜んで何度だって頭を下げると決めていた。
わかってる。わかっていた。
本当は初めからみんながわかっていた。
「だから…………謝るのは……お前……なのか」
自分の死が、自分が勝手なことをして、心配をかけて、悲しませた挙句、彼らの夢を最悪の形に変質させて、最も尊き全てを流星街より遠い最果てに捨てる原因になったことを、あの元気で優しい子は、自分を許さない。
全て、自分の所為だと自らを責め立てる。
クロロが謝る前に、彼女が謝る。
それは、わかっていたこと。
わかっていたのに、目を逸らしていたこと。
「クロロ」
目を逸らし続けた臆病で卑怯な「悪役」に、それを突きつけた女神は言う。
自分の
間違いなくクロロが本心から望みながらも逃げ続けた願いを叶えて、女神は冷厳に問う。
「答えは?」
15年間、ずっとずっと逃げ続けたのだから、もう待ってはくれない。
猶予も捨てたのは自分だとわかっていたから、だからこそクロロは答えた。
「『進む』、だ!」
「! ……………………」
クロロの即答に、泣き続けていたパクノダが顔を上げる。
何かを懇願するように、彼女はクロロを見つめ続けたが、クロロはその視線に気づいていないのか、無視をしているのか、パクノダには一瞥もせずに「空」だけを見ている。
『彼、「私」を通してあなたを愛してるだけだから』
自分を悶絶させた言葉が、あまりにも残酷な形でパクノダに突き刺さる。
「彼女」越しに彼は自分を見てくれているのに、ここにいるパクノダを見てはくれない。
舞台から降りてくれないのに、その役者である、クモの足の一本である今のパクノダではなく、捨てたはずの「パクちゃん」を見て、求めて、
「今更だ! 全て! わかっていたのに目を逸らし、逃げて、それでも俺たちはここまで来た!!
間違っていようが! 望んでなかろうが! それでも俺がデザインした『
あの子を! サラサを悲しませたからには尚更に! 退いてたまるか!!」
自分が間違えていることなど、初めからわかっていた。
けれど、正答なんかないことはもっと前から知っている。
だからこそ、間違えていても欲しいものを手に入れる為に、守りたいものを守る為に、……サラサと同じような犠牲者が、もう流星街から出ないようにする為、それまでの自分を殺して今の自分に成ったのだから。
だから、クモは止まらない。
たとえそれは、損切りが出来ない愚かな選択だとしても、諦めない。
「絶対に……手に入れる!!」
だって、「盗賊」でなければ、「悪」でなければ、この再会はなかった。
自分達がされたこと、あの子がされたことと同じくらいの理不尽を行い、憎まれて恨まれたからこそ……
自分の「罪」を思い知らされたが、それでも確かに会いたかった人に再会した喜びがあるからこそ、彼は更に罪を犯し、「昔の自分」であった誰かの何もかもを踏み躙り、目の前の「今」を……「クモの足」であることをもう取り繕えない、ただの「パクノダ」すら目に入らないまま、クロロは手を伸ばす。
「『式織 空』!!
お前が何者であろうと、絶対に俺は
今までの「ソラ」への執着が可愛らしく思える狂的な宣言に、「空」はやはり穏やかに笑いながら、空虚な言葉で返す。
「––––そう。
好きになさい、強欲な蜘蛛の小我にして『回帰の獣』の卵」
それは彼の「愛」を、彼女なり讃えた言葉だと理解できたものはいない。
世界を、人類が人類を滅ぼす獣の雛どころか卵という、候補の候補程度とはいえ、確かに彼は資格を得た。
彼が守ると誓った「愛」は、「人類悪」という獣になり得ると。
ただしそれは、自分が傷つけたものを、傷つき続けているものを、その痛みを考慮せずに取り戻し、囲い込み、飲み干し、作り変えて守るという、傲慢な父性。
本来、母なる存在がその席に座する理を、「 」を手に入れることで成ろうとする獣。
讃えると同時に、更に間違い続ける彼に対する皮肉であったかどうかは、誰にもわからない。
* * *
クロロの口元に再び鎖が伸び、塞がれる。
「……もう! 黙れ!!」
クラピカは苦しげな息の合間に命じるが、それはクロロに向けたものなのか、「空」に向けたものなのかは、きっと自分でもわかっていない。
そもそも、相手はどちらも言いたいことなど既に言い切っている。それでも、黙って欲しかった。もう何も聞きたくなかった。聞いたことを全て無かったことにして、忘れてしまいたい。
心臓が、自ら刺して縛った鎖も刃も関係なく、破裂しそうな痛みが治らない。
「彼女」が叶えた願い、「あの子」の言葉、そして目の前の憎い憎い仇の慟哭のような宣言から、クラピカは察してしまった。
流星街出身という情報がなければ、結びつかなかった、像を結ばなかった想像ができてしまった。
こいつは、「
「クラピカ」
クラピカの命令など無視して、それは、女神はおっとりと呼びかける。
「旅団の過去だとか、結成された理由はあなたが察した通りだけど、気にしなくていいのよ」
ソラのように空気を読まず、ソラのようにクラピカを気遣っておきながら、ソラとは違ってクラピカが一番否定して欲しかった部分を隠しも誤魔化しもせず、突きつける。
「ソラが知れば、『同情はするけど結論はカス!!』で一蹴するような話よ。
怪物と戦っていたら怪物に成り果てた悲劇ですらなく、狂人の真似事、悪人の演技を続けていたら本物になっていた、愚かな本末転倒でしかないのだから、反面教師にすればいいだけ。
舞台に上がって役者の一人になりたいのならば、あなたもお好きにどうぞ」
クラピカが察してしまうほど、旅団の「傷」を垣間見せた当の本人が、どこまでも旅団を、クロロを嘲弄するように、彼らの全てを「本末転倒」と評する。
クロロが叫んだ、退けない理由、「悪」であることで得たものを無意味と断じる。
どこまでも穏やかで優しい、柔らかな声と口調で、クラピカを宥める為でも、気遣っているのでもなく、ただの事実を口にしているだけと理解できてしまうほど、空っぽの言葉を連ねる「空」にクラピカはもう一度「黙れ!」と叫ぶ。
「大丈夫よ。別にあなたの事がなくても、放っておかないから」
だがやはり、この女神は「クラピカの願いを叶えに来た」と言っておきながら、全くクラピカの要望を聞いてはくれない。
聞いてくれないくせに、全くの別人だとこの短い間に何度も何度も何度も思い知らせてきたのに。
それなのに……
「パクノダ」
クロロは、無視できた。
癪だが「空」が言っていた通り、この同情心は気にするようなものではない。
彼らは彼らの意思で、彼らが最も憎んだ者と同じ外道に成り果てた愚者。
その愚行の巻き添えに遭ったのが
今は無理でも、この胸の痛みはいつか消すことができる。奴の主張も過去も、白けた目で馬鹿らしいと思えるだろう。
最悪の間違いを犯したまま突き進もうとする自分のIfなど、反面教師以外の価値も意味も与えず、切り捨ててしまえばいい。
だけど、「彼女」は出来ない。
無視できない。放っておけない。痛みを忘れられない。
間違いのまま、間違えていることを思い知っても、大切な、大事な「あの子」が泣いていると知っても貫こうとするクロロに、「行かないで」と縋るように泣くパクノダは……、「ソラ」のIfはクラピカにとって癒えない傷となる。
「何故、絶望しているの?」
振り返り、見下ろして、「空」は問う。
「お前がそれを言うか?」という恨み言すら、パクノダからは出てこない。
「ネオン=ノストラードの予言に、クロロとヒソカ以外、『私』の記述がなかったのは、『私』はあなた達が回避すべき不幸ではないからよ」
言う資格などない。言う必要などない。
「『誇り』を選ばずとも、それ以上に『諦観』を拒絶したのが今であり、あなたの答えでしょう?」
あの時、「
だから、パクノダは恨み言など吐かない。
弱音だって飲み込んで、涙を振り払って立ち上がり、宣言する。
「鎖野郎! 人質交換を開始しなさい!!」
背筋を伸ばして、何かに戦いを挑むような、何かを決意したような、強い瞳で彼女は前を向く。
その真っ直ぐな眼は、クラピカが取り戻したい人と同じ眼。
それは、怪物と戦うことを選んだ者の眼だった。
戦いたくない、傷つけたくないと思ってしまうけれど、自分の中にあった同情心をクロロ以上に断ち切る、敬意を持ってしまうほどに強い決意の瞳は、傷になどなり得ない。
「そう。それでいいの」
クラピカの為か、パクノダの為だったのかはわからない。
「彼女」からしたらどちらの為でもない、意味のないことだろうが、きっと二人の為であった「彼女」の奥で眠るお人好しの「
「儚い夢でも、足掻き抜きなさい。
愛によって生まれた獣を打ち倒す者は、いつだって
諦観の絶望の眼で、それでも諦めないことを確かに讃えて。
しかしその賞賛は、色々と吹っ切れたようだが、その吹っ切った後悔やら罪悪感やらが全部怒りに転化しているパクノダが、舌打ちと「うるさい!」という一言で切り捨てた。
やさぐれだパクノダに「空」は肩をすくめて、ようやく黙る。
「空」の気まぐれが「黙る」にやっと向いてくれたこと、そしてクラピカが何も出来ないくせに放っておけなかったIFが消えたことで、彼もようやく本来の目的を実行する。
「……言われるまでもない!」
クラピカは鎖を引いてクロロを前に出し、そのままパクノダの方に歩いてゆけと命じる。
そしてパクノダも、「空」とゴンに同じことを命じる。ただし、彼女は余計な一言を付け加えて。
「行きなさい。二人とも。さっさと。
そして、もう二度と私たちの前に現れないで」
パクノダは二人に言う。
ゴンだけではなく、「空」に対しても「二度と現れるな」と。
それはクロロの目的、頭の命に反する願い。
その事に気づいたのか、口を塞がれたクロロはやっと、パクノダに視線を向ける。
「空」に対して向けていた、見苦しいほどに、痛々しいほどに、愚かなほどの熱は既にない。
冷たい闇色の瞳を、パクノダは見据える。
蜘蛛の足の一つにして、捨てきれなかった特別ではないただ一人の「パクノダ」として彼女はクロロを見据えるが、クロロは興味がないもの、路傍の石のように、自然に視線を外す。
今の「パクノダ」と分かり合えずとも、「空」を手にすれば手に入るから。
分かり合えないまま、傷つけ続けても手中に収まるのならば、それでよしとしたのか。
念能力がなくても、誰よりも何よりも理解できた、わかっていたはずの人の心がわからなくなった事に、またパクノダは泣きたくなった。
その涙を堪え、パクノダは前を向き続ける。
逃げ続けても、いつかは追い付かれることを思い知らされたから。
あの頃とは何もかも違う。あまりに多くのものを捨てて、殺して、汚れ切ってしまったけれど。
逃げずに立ち向かう強さなら、確かに今は手にしているから。
何より、女神は言った。
徹底して不幸を避けることに特化したあの予言に、「空の女神」の警告文があったのはクロロとヒソカのみ。
女神が目覚めたこの世界線は、クロロにとっては優位が揺らぐ避けるべき不幸だったのかもしれないが、パクノダにとっては、他の者にとっては不幸などではない。
それはクロロと同じように、捨てたはずのものを再びこの手に取り戻す妄執に囚われたからこその、「不幸ではない」かもしれない。
けれど、もしかしたら自分以外の誰か一人でも、同じものを「敵」だと認定し、戦う覚悟を決めてくれるかもしれない。
淡く期待をしながら、けれどそれ期待が叶わなくてもいいと自分に言い聞かせる。
諦めない限り不幸ではないとパクノダは自分自身に言い聞かせ、戦う決意を心に刻む。
手を、伸ばす。
「 」にではなく、傲慢で強欲な獣の卵から、もう既に腐り始めているのに、それでも進むことを決めてしまった
* * *
パクノダを何かを決意した眼を見て、心配そうに伺っていたゴンは、ほんの少しだけ表情をやわらげた。
何かを安堵して、彼は既にさっさと勝手に進む「空」の背を追う。
クロロは足以外が鎖に拘束されたままな為、ノロノロと歩いて行く。
当初の予定では二人が操作されていないことを確認したら、クロロは能力を封じているのもあってさほど警戒すべき対象ではないので、鎖はこの時点で解くつもりだったが、「空」に対しての執着ぶりと、開き直ったようにも壊れたようにも思える哄笑を目の当たりにしたら、自分たちが完全に離れるまで、拘束を解く気はなくなったらしい。
そしてパクノダも、「彼女」を本気で求めているからこそ、能力を封じられた状態で手を出そうとはしないとクロロを信頼しながら、それでも「空」があの再会で証明してしまった、クロロが望むものは全て
幸いながらクロロはパクノダの信頼通り、余計なことをする様子もなく、「空」とすれ違っても眼でその姿を追うこともなく、大人しく歩いてくる。
大人しくしていないのは、女神の方だった。
「クロロ。あなたに一つ、予言をあげるわ」
すれ違いざまに、やはりパクノダの「うるさい」なんか気にせず「空」は言った。
その言葉に振り返りはしなかったが、クロロは立ち止まる。
「まぁ、そう言わないでよ。私のは無形の『予測』でも、殺せる『確定』でもなく、本物の『予言』だから」
クラピカの鎖で口は塞がれているので、何も話していないはずが、「空」はそんなもの関係なく、ごく普通に会話を交わす。
いや、初めから彼女は誰とも会話など交わしていない。
わかり切った答えを述べているだけなのだから、やはり声を発しているかいないかなど、関係ない。
クラピカは相手が「神」そのものの機能を持つことを忘れているのか、それとも「神」を敵に回す覚悟を完了しているのか、「何をしている! 早く来い!!」と叫び、ゴンも「空」の手を掴んで無理やり歩かせようと試みるが、「空」はクラピカの言葉を無視して、そして確かに掴んだはずの手はゴンの掌からするりとすり抜けてしまう。
そして「彼女」は本物の「予言」を口にする。
「『私』とあなたが出会うチャンスはあと一度。
数多の願いと欲望、繁栄と破滅を孕んだ泥が溢れ、氾濫することであなたが獣に変生する可能性があるのは、腐敗した大樹を乗せた黒い船。
『 』を求めるあなたの手が、何を掴むのかを私に見せてね」
「!」
「空」の「予言」を耳にして、クロロは振り返る。
しかし、自分の背後に確かにいたはずの女神がいない。
代わりにゴンとクラピカが、「信じられない」と言わんばかりに目を見開いていているのが見えて、思わず戸惑う。
彼は自分の背後でパクノダとヒソカも同じように、眼を見開いて固まっていることに気付いていない。
クロロだけ直前まで背を向けて、「彼女」を見ていなかったから気付かなかった。
「彼女」はクロロへの予言を口にした瞬間、姿を消したという事に。
いつの間に消えたかなんて、誰にもわからない。むしろ、本当にそこにいたのかどうかすら、たった数秒前の出来事なのに記憶が曖昧だ。
「何をしているの? 帰らないの?」
そして、クロロ以外の全員を訳が分からなすぎてパニックにすら起こせないことをやらかした張本人は、相変わらずいらない所だけソラと同じで、空気が読めていない発言をする。
クラピカの背後、飛行船の扉を開けて中からひょっこりと出てきた「彼女」は、やけにのほほんとした調子でクラピカとゴンに声を掛けた。
これまた「いつの間に?」と思うのもバカらしく、ソラとは別の方向性で酷く苛つかせにかかる「空」をクラピカが睨み付けて視線で抗議するが、「彼女」はクラピカなど全く見向きもせずにただ自分を、自分の肉体すら見透かした奥底、空っぽの深淵、「 」を求める男に微笑み返した。
「じゃあね、クロロ。『
微笑みながらも、その眼は変わらない。
結果などわかりきって、過程にすら意味も価値を見出せない。
何もかもを諦めた、自らの手で終えることすらも出来ないことを思い知らされた絶望の眼でそれだけを告げて、「彼女」は背を向けた。
* * *
「空」が勝手に飛行船に戻っていくのを見てクラピカは舌打ちし、ゴンに早くこちらに来るよう促して彼は、クロロを拘束する鎖を解いた。
開放したクロロとパクノダ、そしてヒソカに「取引成立だ。あとは好きにしろ」とだけ言い捨てて彼らはさっさと飛行船に戻り、そしてその飛行船も二人が戻って数分もしない内に浮上する。
ほとんど旅団を眼中に入れていない様子が少し癇に障ったが、おそらく「空」ではなくちゃんとソラを連れて来ていても、それはそれでクラピカは間違いなく、旅団を眼中に入れない。
しかし自分も、最後の最後で「空」がまたやらかしたからこそ彼らが視界に入っただけで、パクノダも人のことは言えない。
もう鎖野郎にもソラ=シキオリにも、パクノダは興味がない。
「……あぁ♥ もしかして、団長の『優位が揺らぐ』って、旅団の団長としてじゃなくて、クロロ個人の話だった?」
同じぐらい興味はないが、奴の目的からして眼中には入れておかねばならない男が、くつくつ笑いながら茶々を入れる。
おそらくはクラピカと同程度に、「あの子」が何者なのか、クロロに、「旅団」に何があったか、どうして「幻影旅団」が生まれたのかを察しておきながら、ヒソカは嗤う。
これらを察せるのであれば、当然「空」やパクノダ達はヒソカに対して何の解説もしていなかったクロロの予言についても、正確な解釈に見当がついたらしい。
パクノダはその問いに答えずにヒソカをただ睨み付けるが、ヒソカは全く自分の視線を気にせず、揶揄うように楽しげな声音で更に続ける。
「クロロって実は一途だねぇ♥ イルミといい勝負なんじゃない?」
ヒソカの発言に、今にして思えばこいつがアジトにおらず、イルミと入れ替わっていたのは、本日の様々な不幸中唯一の幸いだと、パクノダは思う。
同時に、あの自分を悶絶させた爆弾発言の時、同じ体の別人から全く同じことをされた相手がいた事にも気づき、思わず小さく笑ってしまう。
吹き出してしまったパクノダを見て、ヒソカは肩透かしを食らったような、不思議そうな顔になったのが見えて、やはりこの男は流石にクロロが「空」を通し、誰を見ていたかまでは知らない。
おそらくはパクノダの反応を見て、失恋しても見苦しく縋りついている片想いだと思っていたからこそ、あの発言だ。
見当はずれなのに大正解なクロロ評に、またパクノダは笑えてきた。
憎らしくて仕方なかったが、同時に恐ろしいとも思っていた。
「空の女神」という反則が出現しなければ、完全に奴の掌の上だった事、あの具体性皆無の予言であそこまで読み、あの数分もなかった時間で、予言を前倒しになるよう誘導する虚言を連ねたことが、それこそあの「女神」並に怖かった。
だがやはりあの女神とは違い、ヒソカにも読みきれないものがあると理解すれば、パクノダにとってのヒソカは恐ろしい敵から、大っ嫌いな敵程度にまで評価は落ちる。
なのでこんな大嫌いな奴を相手にするのも時間が惜しいので、パクノダは自分が乗ってきた飛行機に帰ってゆく。
それを見てヒソカは少し意外そうに、「おや? ボクを止めないのかい?」と尋ね。パクノダはもう疲れて面倒くさいと言いたげなため息をついたが、同時に彼女は「女神」の意地悪に気づいたので、その意地悪に便乗して一言だけ告げる
「あなたに団長は殺せないわ」
その言葉を、ヒソカはクロロに向ける信頼と取った。
彼はようやく待ち望んでいた「クロロとのタイマン」という御馳走を前にして、「空の女神」を前にしたクロロほどではなくても浮かれているのか、女神の意地悪にも、便乗したパクノダの裏切りや、先ほどの発言に対しての意趣返しにも気付いていないのを見て、パクノダは「ザマァみろ」と思いながら歩を進める。
クロロには、何も話さない。
旅団との接触をクラピカに禁止されているからと言うのは、正直言ってこの時はほぼ無関係。
もう既に掌ほどの大きさになった飛行船を、ただ一心に見つめている、そこにいる「女神」を……その奥できっと「あの子」と一緒に泣いている「パクちゃん」ばかり見ているクロロなど、クラピカとの取引関係なく、パクノダからしたら置いていく一択だ。
(置いて行かれて、独りになって、少しは反省しろ!!)
捨てたはずの遠い昔、喧嘩した時と同じような事を思いながら、飛行船に乗り込んだ。
(……反省したら、迎えに行ってあげる)
結局そう思う自分の甘さにうんざりしながらも、パクノダは前を向く。
「幻影旅団」の一員でありながら「クモの足の一本」ではなくなった彼女は、自分が戦うと決めた「
* * *
パクノダが乗った飛行船もある程度離れ、これでもう邪魔者が入らないと確信したヒソカが、未だに自分たちの存在など忘れ去っているように、もう豆粒くらいの大きさになっている「空」が乗った飛行船を未だに眺め続けるクロロに話しかけた。
「クロロ♠ 愛しの女神さまが名残惜しいのはわかるけど、そろそろボクの相手もしてくれないかなぁ♥」
呼びかけられて、クロロはようやく視線を向ける。
「何だお前、いたのか?」と言わんばかりの眼で見られ、さすがにここまで眼中になかったことにヒソカは苦笑しつつも、この興味の無さがいつまで続くかと思えば熱が集まった。
どこにかは、言うまでもないことだから言わせないで欲しい。
「ずっと待ってたよ、この時を♥ さぁ、
滾る一部を「まだ早い」と抑えながら、クロロをヒソカは誘いつつ服を脱いだ。
変な意味はない。脱いだのは上だけ。ただ単に、自分の正体を晒しただけだ。
「ボクが入団したのは、いや、入ったと見せかけたのはまさにこの瞬間の為♥
もうこんなモノ必要ない♦」
言いながら、彼は自分の背中に張りつけていた4という数字が刻まれた12本足の蜘蛛の刺青を、べりっとシールのようにはがした。
ようにではなく、比喩抜きでそれはタトゥーシールに過ぎなかった。
ヒソカの能力により偽装されていた仲間の証、偽りの卯月が暦からはがされる。
「これでもう仲間割れじゃないから、エンリョなく
ヒソカから見せつけられたものと、彼の言葉にようやく未だに心は女神の方にあったクロロが、目を丸くしてヒソカの方に意識を向ける。
そしてそのまま数秒の間を置いて、彼は低く笑い始めた。
「フッ……くくく、なるほどな。団員じゃないなら話せるな。俺はお前と戦えない」
「?」
意識がやっとこちらに向いたのはいいことだが、余裕の笑みではなく本心からおかしそうに、おかしなことを笑って言い出したクロロに、今度はヒソカの方が目を丸くする。
そしてようやく、ヒソカは種明かしをしてもらえた。
「というより、戦うに値しないと言っておくか。
「…………………………」
クロロの答え、今現在の自分は一般人よりは強いだろうが、能力者と戦えるような状態ではないことを告げられ、完璧にその場で固まるヒソカにクロロはまだ笑いながら、「その様子だと、鎖野郎の能力をお前は知らなかったようだな。だとしたら、お前の改竄した予言は凄い偶然だな」と、追い打ちを掛ける。
その追い打ちに対して怒りを覚えた対象は、追い打ちをかけている本人でも、自分の目的を知っておきながら、能力を封じっぱなしで教えてもくれなかったクラピカでもなく、間違いなくこの「現在」という「未来」だって、あの飛行船内の時点でわかりきっていたのに、もう訪れないと確定している「未来」のことしか語ってくれなかった、心がないくせに性悪な女神に対してだった。
「……クロロ♣ キミ、イルミのこと言えないよ♦
っていうか『彼女』が本命って、ソラが本命よりずっと趣味が悪い♠」
「ほっとけ。俺の目当ては外見でも性格でもなく、あれの『機能』だけだ」
なのでせめてもの意趣返しにか、自称ノーマルだが相手と気持ちよく
「何ていうか、体目当てとかの方が純愛に聞こえるぐらい酷い理由だね♣」
「お前が言うな」な発言をしてから、ヒソカはそのまま脱ぎ捨てた上着を拾いあげて、歩いていく。飛行船はパクノダ一人が乗って帰ってしまったので、ヒソカの帰路は徒歩である。
その事にだいぶ虚しさを感じつつ、興味を失った相手に一応だが発破をかけておいた。
「じゃ♦ 頑張って早く能力を取り戻しなよ♠
愚図愚図してるとボクが、女神さまごと『元気いっぱい』なソラを、美味しく頂いちゃうから♥」
言われるまでもなく、クロロは手段など選ばず死ぬ物狂いで、一刻も早く自分に掛けられた念を外すことに躍起になるとわかっている。
しかし、その目的も理由も間違いなく愛しい女神を手に入れる為であり、
そのことがムカついたので、大事な仲間であり幼馴染みのパクノダの涙にも気付かぬほど、無様に何もかもかなぐり捨てても欲する「彼女」は、女神としてならともかくソラとしてならヒソカでも壊せる存在であることを突き付ける。
ついでに、前々から少し気になっていた、クロロだけではなくシャルナークも何故かよく使っていたソラへの評価、子供に対するような子供っぽい表現が、本当は誰を表していたかをあの再会で察したからこそわざと使って、自分の存在も忘れられないように刻み付ける。
「……あぁ。そうだな。……愚図愚図している暇なんてないな」
クロロは、ヒソカの言葉に応じながら俯いて口に手をやり、また笑いだす。
それを最後に一瞥だけして、ヒソカは断崖絶壁から躊躇なく飛び降りた。
自分の言葉に意味なんかないことを、ヒソカは理解している。
自分の言ったことなど、クロロはほとんど意に介していない。気にしていない。
ヒソカのことなど見ていないし、ヒソカの言葉なんか聞いてもいないこともわかっている。
クロロはきっとこれから、旅団の人間を含めて誰のことも見やしない。
誰を見てもその奥に、あの女神を見て求める。
あの女神そのものには、ソラには初めから誰かの面影だけを見て、彼女個人には心から興味などないからこそ、女神が内包する全てに、自分の大切なものを、守りたいもの、取り戻したいものを見たからこそ、もう誰もクロロの視界には入らない。
彼女さえ手に入れたら、全てが手に入るのならば、彼女さえ見ていればいいと結論を出してしまった。
その結論が、「彼女」を通して確かに見ていた、求めていたはずのただ一つの「夢」すらも蔑ろにして、求めているのに見捨てる矛盾を犯す。
「……一度……一度か。たったの一度といって本来なら嘆くべきなのだろうが、……十分だ。
確実にお前が再び俺の前に現れるのなら…………もう逃がさない」
強欲で傲慢なペルソナを被り続け、外し方を忘れた大蜘蛛の頭は、自らの矛盾に気付かぬまま笑い、もう目の前にはいない、けれどいつだって隣り立つ「彼女」に一番近いものに、「死」を「彼女」の代わりにして告げる。
「あぁ、見せてやるさ。必ず、お前を掴んでやる。
『
その眼に宿る熱の名は、執着。
恋愛感情とは別物の、灼熱の欲求。
だけど、それは「恋愛」とは言えずとも「愛」とは呼べたかもしれない。
自分の手を伸ばす先が「 」だと知っていながら、それでもがむしゃらに求める感情の名はきっとどんなに汚らしくて身勝手なものでも、それが正しい。
現実を歪めるほどに強い強い求める心。
それは、確かに「愛」なのだろう。