死にたくない私の悪あがき【リメイク版】   作:淵深 真夜

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56:4月の福音

 

 肩を少し越える長さになった白髪を、風で舞い散った花弁と一緒になびかせて、ソラは言った。

 

「おぉっ! 絶景絶景!」

 

 山の獣道よりはマシ程度に荒れた道を振り返り、麓を見下ろせばソラの言葉通りの絶景が広がっていた。

 もう完全に日が落ちて、街燈が満足に整備されていない、良く言えば昔ながら、悪く言えば田舎な山麓にいくつもの提灯が灯り、まるで地上の星々のように輝いていた。

 

 それだけなら確かに美しい、良い風景だとは思えるが、。絶景」というにはまだ少し足りない。

 その「足りない」部分を補うのが、提灯に照らされたいくつもの桜だろう。

 むしろ提灯は、この夜桜の美しさをさらに際立たせる為の物であることが、全体を見渡してみればよくわかる。

 

 そんな夜桜と提灯という絶景を、実に満足そうに笑いながら、ソラはケータイでぱしゃりと写真を取って言った。

 

「やっぱり桜は、日本人の心そのものだねぇ」

「いや、ニホンってどこだよ?」

 

 ソラの言葉に突っ込みつつ、彼も麓の桜と照らす提灯を愛でる為に集まった人々の風景を見下ろし、言った。

 

「……まぁ確かに、この花だけは理屈なく、問答無用にジャポンの人間の心をわし掴んでるよな」

 

 花を愛でるような感性はないはずの自分ですら、この花だけは例外だと認めて、黒装束のジャポン人……ハンゾーは麓の桜を眺める。

 が、自分が何で正直言って二度ととまでは言わないが、出来ればあまり関わりたくなかった同期と一緒にいるのか、その理由を思い出して顔を歪める。

 

「……わし掴み過ぎて、怪談の定番っていうのは勘弁してほしいけどな」

 

 言って、今度は見上げる。

 もう少し、おそらく自分たちの足でなら、あと1時間足らずで到着するであろう山の頂近くにある廃寺。

 そこに植えられた、麓の桜以上に美しく咲き誇る桜の古木。

 ……曰くつきの桜を、ハンゾーは不気味そうに眺めて呟いた。

 

 * * *

 

 ハンゾーのセリフに、ソラは笑いながら同意する。

 

「言えてるね。けど、柳の下よりは不気味さよりも儚さが際立って、絵になるからいいよね」

「そういう問題か? っていうか、マジで余裕だなあんた」

「そりゃ私は、プロになる前から評判のゴーストバスターだからね」

「ハンターじゃねぇのかよ! いや、確かにやってることは狩り(ハント)というより殲滅(バスター)だろうけど!」

 

 一通り突っ込みを入れつつ、ハンゾーは改めて自分と同じくプロハンター歴0年でありながら、自分よりはるか高みに存在する女を眺めて、自分の未熟さに軽く凹む。

 

 ハンター試験を終えて、「裏ハンター試験」と「念能力」の存在に気付いた早さは、おそらくは既に念能力者だった例外達を抜けば、自分が一番であったという自信がある。

 そして念能力を身に着ける早さも、おそらくは自分がトップクラスだと思っている。

 

 ハンゾーの自己評価は、何も間違っていない。実際にソラはハンゾーと再会して、現在“凝”の修業中と知らされ、「ありえねぇ!」と驚愕したレベルだ。

 1,2か月で精孔を開いて、“纏”をマスター出来れば天才と言っていい世界で、まだハンター試験を終えて3ヶ月ほどのハンゾーが、既に“発”手前までマスターしているのは、掛け値なしの才能だけではなく、努力のたまものだろう。

 

 ソラは素直にそのあたりのことを絶賛したが、ハンゾーは素直にその称賛を受け止めることが出来なかった。

 それは念能力を得たことで、最初からわかっていたものを改めて、具体的に思い知らされたから。

 

 同期の中でトップクラスに優秀とはいえ、まだ四大行もマスター出来ていないハンゾーが、ソラの仕事に同行している理由は、ただ単にソラから連絡があったから。

 試験後、「何かあったら連絡しろ。ジャポンなら案内してやるぜ」と言って渡した連絡先を、さっそくソラは活用してきたのだ。

 

 ソラとしては、自分の故郷に一番よく似た文化だが微妙に違う所が多いので、全然知らない国に行くよりも逆に、変なことをやらかしそうだと自分を良くわかっていたので、一応連絡を取って、ジャポンについてちょっと色々尋ねてみただけだ。

 ハンゾーの同行は、ハンゾーの方が「修行の一環で、念能力者やハンターの仕事をちょっと近くでよく見たいから、負担や邪魔にならないのなら、お前の仕事に同行してもいいか?」と頼んできたので、あっさりOKを出した結果である。

 

 正直言ってハンゾーは、頼むだけなら損はねぇというダメ元だったので、OKされて本人が一番戸惑ったくらいである。

 それぐらい、「死者の念」というものが厄介であることは、自分の“念”の師匠から耳タコになるほどすでに教えられている。

 

 だからこそ、その厄介極まりない「死者の念」専門の除念ハンターとして、アマチュアの頃からひっそりとだが、確かな実績を積んでいるソラの能力を少しでもこの眼で、以前とは違う、“念”という特殊能力の知識を得たうえで、不可視のオーラも可視出来る“凝”という技術を持ったうえで見て、出来ることならばその力を自分も会得したいと思ったのだが、改めて会っただけで、自分のその考えは絵に描いた餅よりも非現実的なものだと思い知らされた。

 

 別に何かされたわけではない。ただソラは、近況報告と暇つぶしの世間話として、つい最近受けた仕事の話を、ハンゾーにしただけだ。

 ソラにとってそれは、つい最近やっと後片付けを終えた仕事に対する愚痴でしかなかったが、ハンゾーからしたら百匹単位の犬の死後の念を相手取ったなんて、何の冗談だ? という内容だった為、話を聞いて絶句したのは言うまでもない。

 

 ついでにその話を聞いて、ソラがまだ四大行もマスター出来ていない自分の同行を許可した訳が、良くわかった。

 他に仲間がいたとはいえ、それだけの数の死後の念を、ほぼ一人で相手取って殲滅したこの女が、「この時期になると、桜の古木の下に女の幽霊が出る。その女を見ると、2,3日体調を崩す」という、無害ではないがあまりに微細な被害しか出していない幽霊退治なら、そりゃ見学人の一人や二人いても問題ないだろう。

 

 そもそも何故、それだけの実力があって、こんな放っておいてもさほど問題なさそうな幽霊退治の依頼を受けたのかを、ハンゾーが疑問に思い始めた時、ハンゾーが尋ねる前にソラが、麓の提灯に照らされた桜と人々を眺めながら尋ねた。

 

「ねぇ、ハンゾー。この祭りって、花火上がる?」

「はぁ? 上がる訳ないだろ。祭りというかこれは、花見客が多いからついでに露天出してるだけで、正確には祭りじゃねーし、そもそも祭りと花火と言えば夏だろ」

 

 ソラの唐突な問いに、完全に素で答えるハンゾー。その答えに、ソラも腕を組んで「だよねー」と同意する。

 言ってから、ソラの国では春に祭りと花火がメジャーなのかと思ったが、その反応からしてソラも、祭りと花火は夏のイメージらしい。

 なら何故訊いた? と思えば、これもハンゾーが尋ねる前に、ソラが先回りして答える。

 

「私の親友が好きだった絵本が、春に祭りをしてたんだ。

 桜が舞い散る春嵐の中で、夜空に大輪の花。それが、作者にとってふさわしい『祭り』のイメージだったんだろうね」

 

 麓の桜を見るのをやめて、懐かしむように夜空色の瞳を細め、山道を上がりながらソラは語る。

 特に興味がわく話ではなかったが、ハンゾーは何も言わず、ソラが語る「親友が好きだった絵本」のあらすじをただ聞いた。

 何となく、水を差すのが悪い気がしたから、黙って好きに語らせた。

 

「ニホン」という、「ジャポン」とよく似ているのに別物の国が、もう二度と帰れない彼女の故郷だということを、ほんの少しだけ聞いたから、ただ静か聞き続ける。

 語りたいのなら、語らせようと思った。

 

 しかしソラの語る絵本のあらすじは、「本当にそれで合ってんのか、おい」と何度か突っ込みを入れたくなるものだった。

 

 まず第一の突っ込みどころは、絵本のタイトルが「吸血鬼の涙」なのに、主人公は吸血鬼ではなくロボットだという所。

 そしてそのロボットは、自分を作った博士と研究所から、逃げ出したところから話が始まるが、逃げ出した理由は特に書かれていないらしい。

 初めは人間の心を持ったロボットが、人間に憧れたから、研究材料として扱われるのに耐えきれず逃げ出したと、ハンゾーは自己解釈していたが、どうやらそのロボットは別に、人間に憧れなど懐いていなかったらしい。

 ただ、逃げ出した先でたどり着いた(まち)の雑多さを美しいと思い、ここなら自分のような外れ者が紛れ込んでも大丈夫だろうと思ったから、人間のフリをして生活するようになったそうだ。

 

 もはやこの時点で、あまり子供向けではない内容だと思ったが、ラストがハンゾーが持っていた「絵本」のイメージから、大きく外れていた。

 彼にとって絵本は、子供向けの夢物語。リアリティよりも、「正義は必ず勝つし、心優しい者は必ず報われて幸せになる」という終わりが最優先で当たり前だと思っていたが、その物語はハンゾーが持っていた絵本のイメージを、完膚なきまでに破壊し尽くした。

 

 ロボットは人間に憧れてなどなかったが、その(まち)に住み続けたことで愛着を持ち、人間らしい心を得るようになる。

 しかし心は人間のものになっても、体はロボットのまま。

 顔や体はいくらでも誤魔化すことが出来たが、血液や涙といったものは手に入らなかった。

 

 そんなロボットが、自分が逃げ出して住み着いた時期に行われる春の祭りで、花火を橋の上から眺めていたら、うっかり人に押されて橋から落ちてしまう。

 そのロボットは水が大敵で、触れるだけでもすぐに壊れてしまい、機能はダウンして、人間に偽装していた部分も溶けてしまう。

 

 その頃には人間に対して完全に愛着を持っていたロボットは、自分が助かることよりも、自分の顔や姿を隠し続けた。

 (まち)から追い出されたくなかったから、(まち)の人間を怖がらせたくなかったから。

 

 ハンゾーがイメージしてた絵本ならば、「そんなロボットを(まち)の人間が助けて、ロボットが『怖くないの?』と訊けば助けた人々は『同じ「人間」なんだから怖い訳あるか』と答えて、ロボットは体を治してもらって、もう人間の見た目に偽装しなくても(まち)の人たちと仲良く暮らしました。めでたしめでたし」が、普通の終わり方だと思っていた。

 

 しかしその物語では、誰もロボットを助けない。

 橋の上からロボットを見つけた人々は悲鳴を上げて、隣人だった人たちはロボットを怒鳴りつけ、ロボットは水底に沈みながら、上手くやって来たつもりだったけど何もかも夢で、結局自分は仲間外れの一人ぼっちだということを思い知る。

 

 そして、ロボットは最期に一筋の涙を流す。

 橋の上で、祭りでにぎわう人々を眺めながら流した涙の意味は、語られない。

 仲間に入れてもらえないことが、悲しかったのか、悔しかったのか、憎かったのか、それとも、自分の正体を知られても、祭りが台無しになるほどの騒ぎにはならなかったことに対する安堵だったのか、何も語られないまま物語は終わる。

 

 ソラの語りが終わって、まず初めにハンゾーが口にしたのは、「本当にそれ、絵本か?」だった。

 

「絵本なんだな、これが」

 

 腕を組んでいったん立ち止まり、やや遠い目をしながらソラは答える。おそらく、ハンゾーの内心の感想に、彼女も深く同意してるのだろう。

 少なくともこれ、子供向けじゃねぇだろと二人は同時に深々と思った。

 

「友達は何でか知らないけど、この話を暗唱できるぐらいに読み込んでたから印象深いんだけど、私は別に好きでも嫌いでもなかったなー。というか、正直言って話の意味が良くわからなかった」

 

 ソラは再び、廃寺を目指して歩き始めながら、自分の感想を語る。

 意味がわからないには、ハンゾーも大いに同意した。

 いい年したハンゾーでも、その絵本は割と何が言いたかったのかがわからない。

 

 子供向けにしては救いがあまりにもない、暗い物語であるし、大人をターゲットにしているとしたら、ソラがうろ覚えであらすじだけ語った所為もあるだろうが、色々と突っ込みどころがあって、整合性がないとまでは言わないが、粗が目立つ物語に感じた。

 

 ハンゾーにとってはその程度の物語。

 きっと一時間もしたら、タイトルを「ロボットの涙」だと間違えてしまいそうな程度の物語だ。

 

「––––でも……」

 

 ハンゾーにとっては、明日にもなればあらすじの大部分を忘れるであろう、興味も何もない物語だった。

 けど、おそらくこれだけは忘れない。

 

「『とくべつ、人間に憧れていたワケではないのです。

 ただ、あまりにも(まち)が雑多できらびやかだったので。

 自分のような仲間はずれがひとりいても、誰も気にしないだろうと』」

 

 もう一度、ソラは降り返って麓を見下ろして言った。

 脈絡がない言葉。

 おそらくは、先ほどまで話していた物語の一節。ロボットのセリフだろう。

 

 人間に憧れた訳ではなかったのに、いつしか人間の心を得た、人間になりたがったロボットのセリフを暗唱してから、ソラは夜空色の瞳を細め、どこか遠くを、遥か彼方を見ながら呟く。

 

「今でも、あの話の意味はよくわからないけど……、このセリフだけは、この時のロボットの気持ちだけは、今はわかるような気がするんだ」

 

 一人きりでこの世界に流れ着いた異邦人は、自分の故郷によく似た国で、自分の故郷とよく似た風景を眺めて、そう言った。

 

 * * *

 

 ハンゾーはその言葉に、「……ふぅん」という相槌だけを返す。

 それ以外の言葉も浮かばなかったし、間違いなく相手も求めていないだろうから、何も言わなかった。

 

 ……ハンゾー自身も、わかってしまったから何も言わない。

 この女のことなど、ほとんど何も知らないはずの自分でさえ、ソラが暗唱したセリフは、絵本のロボットのセリフだとは一瞬思えなかった。

 

 寂しげで、儚げで、そのくせ吹っ切れたような諦観を滲ませたソラの声音と顔を、覚えておきたくもないのに、自分の記憶に刻み込まれたのを感じ、ハンゾーは深い溜息を吐いた。

 

 その溜息は嫌な記憶が焼き付いたことに対してか、それとも「仲間はずれなんかじゃねぇよ」と言えない自分に対してかは、わからない。

 

 色んな意味でモヤモヤとした気持ちを抱え込むハンゾーとは裏腹に、彼にそんなものを抱え込ませた元凶は、相手が軽く鬱状態であることに気付きもせず、無邪気な声を上げる。

 

「ハンゾー、ほら見えてきたよ! ついでに感じる? まだここは噂の幽霊のテリトリーじゃないけど、既にやーな感じがしてる」

 

 そこに先ほどまでの寂しさや儚さ、諦観が一切ないことに少しだけホッとしたが、それ以上にハンゾーは普通にムカついた。「お前、自分で生み出した空気の責任くらい取れ」と思いながらソラを睨み付けるが、ソラはハンゾーが何故睨んでいるかもわかっておらず、首を傾げつつも話を勝手に進める。

 

「たぶん“円”の範囲内に入った人間に、効果が作用するタイプだね。『体調不良にさせる』なら放出系だけど、『オーラが吸収された結果、体調不良になる』タイプなら特質だ。

 あんまり強力じゃなさそうだから良かったけど、気をつけなよ。効果によってちょっとオーラ多めの“纏”でガードか、“絶”でオーラを渡さない方がいいのか、対応が真逆になるから」

「わかってるっつーの!」

 

 苛立ってやや逆ギレ気味に言い返すが、さすがは今期ハンター試験、トップクラスの期待枠。言われるまでもなく、とてもまだ四大行をマスターしきれていないとは思えない程、自然にオーラを体に留めながら、眼にはやや余分にオーラを集めて、“凝”状態であたりを警戒する。

 ソラが言った「オーラを奪う」タイプの特質なら逆効果だが、相手の能力がわかっていない内から、無防備になる“絶”の方が危険と判断したのだろう。

 

 ソラの言動や実際の被害からして、本当にここの幽霊は、さほど強力な「死者の念」ではないのだろうが、それでも被害の軽微なのは、今までの相手が一般人だったからで、念能力者だと知られたら、相手も本気を出してくる可能性がある為、ハンゾーは警戒を緩めない。

 

 ソラの方も、いつも通りポケットからワンコインショップのボールペンを取り出して、クルクル回しながら、言葉通り眼の色を変える。

 ミッドナイトブルーの眼を、鮮やかなスカイブルーに変えてソラが、朽ち果てた山門に踏み入れた瞬間、声がした。

 

『……誰、ですか?』

 

 実に柔らかな女性の声だった。

 獲物がやって来たことに対する喜びはなく、まだテリトリー外だからかもしれないが、侵入された怒りもその声音からは感じられない。

 そこにあるのは、純粋な戸惑いだけのように感じ、思わずハンゾーも一瞬困惑する。

 

 そしてハンゾーが感じ取ったものを肯定するように、その声は言葉を続けた。

 

『……好奇心の肝試しなら、今すぐお帰りになった方が良いですよ。よほどの長時間、ここにいない限り死にはしませんが、体調は確実に崩しますから』

 

 まさかの体調不良の原因から、そのことに対する忠告をもらい、思わずハンゾーは「はぁ?」と声を上げる。

 ソラの方もさすがに予想外なのか、目を丸くしながら、ある一点をじっと見つめていた。

 

 ソラが特定の場所のみを見ていること、それが枯れ果てたいくつもの木々の中、一本だけ満開に咲き誇る桜、間違いなく「幽霊が出る」と噂の桜の古木であることに気付き、ハンゾーはさらに目にオーラを集めてみる。

 すると、“念”を覚えるまで信じていなかった幽霊らしき人影が、ハンゾーにもはっきりと見ることが出来た。

 

 そして、その人影がはっきりとした人の姿になって、思わずハンゾーは心の中で「こんちくしょう!」と叫んだ。

 淡い桜色の着物に臙脂の袴を履き、ソラと同じ白髪を、黒いリボンでポニーテイルにした15,6歳の何とも可愛らしい、幽霊というより桜の精と言った方が正確なほどの美少女に、ハンゾーは心の底から「生きてる頃に会いたかった!」と思う。

 

 そんなハンゾーの切実な願望など、もちろん少女は知る由もなく、ただ二人がばっちり自分を見ていること、見ているのに自分をガン見する以外の反応がないことにさらに戸惑って、狼狽えた。

 

『え? えっと、あの……な、何か御用ですか?』

 

 戸惑いながらもこちらに用件を尋ねるその姿は、微細とはいえ人に危害を加えている存在とは思えず、ハンゾーは嘆くのをやめて、こちらもどう反応すればいいのかわからなくなったが、ソラはそのセリフで何かを吹っ切ったかのように、いきなりずかずかとテリトリーに踏み入り、早足で少女の方まで歩み寄った。

 

『ええっ!?』

「ちょっ、おい!? 何してんだお前!?」

 

 今の所は思った以上に害はなさそうだが、それが演技ではないという保証はない。悪意などない弱々しいふりをして、油断させてから本格的に襲うタイプかもしれないと、ハンゾーでも思いつく可能性を、まさかわかってない訳はないと思いつつ、あまりに無防備な接近にハンゾーは手を伸ばして止めるが、もちろんソラは止まらない。

 

 幸いながら、少女の言動は演技ではなく素だったのか、ソラが目の前にやってきても危害を加える様子もなく、何故か首を傾げながらさらに自分をガン見するソラを、ポカンとしながらこちらもガン見。ただ単に呆気にとられて、眼をそらせないだけともいう。

 

 そんな少女に、ソラは何度か首を傾げてから、困ったような半笑いで言った。

 

「……えっと、まさかの……グレイ?」

「『は?』」

 

 何故かいきなりソラが尋ねた問いの意味がどちらも理解できず、同音異口に首を傾げる。

 一体何を見て思って、「灰色(グレイ)」だと思ったのか二人にはまったく理解できなかったが、そんな二人をよそにソラは遠慮なく少女の顔を両手で挟み込むように掴み、さらにジロジロと何かを確認・点検でもするように、まさしく穴が開くほど少女の顔を見続けた。

 

『え? えぇっ? えっと……あの……』

「……おい、お前マジで何やりたいんだよ? こんな幽霊困らせる女、初めて見たわ」

 

 そもそも幽霊を見たこと自体が初めてだが、おそらく幽霊以上に見る機会がないであろう現状に呆れながらハンゾーは突っ込むが、ソラはそんな突っ込みを全く気にせず、観照を続ける。

 その観照は1分ほど続いたが、じっくり見て一人勝手に納得して手を離し、ソラは結論を口にして、ようやく少女とハンゾーはソラの言葉の意味と奇行を理解した。

 

「うん、ごめん。やっぱり他人の空似か。

 そりゃそうだよね。顔はヤバいくらいに似てるけど、グレイは白髪じゃなくて銀髪だったし。あとグレイなら、桜の木の下より墓地にいるだろうしね」

「お前……幽霊の知り合いでもいるのか?」

「グレイは墓守なだけで、ちゃんと生きた人間の友達ですけど!?」

 

 ソラのセリフで、「グレイ」は「灰色」ではなく人名だったこと、自分の知り合いそっくりだったから、目を丸くして驚いていたことを理解したのはいいが、ソラが「他人の空似」と判断した理由の後半が不穏すぎて、ハンゾーがドン引きながら尋ねたら、慌てて補足を加えた。

 補足をされて少しホッとしたが、よく考えたらあまりホッとして良い職業ではない。類は友を呼ぶとはこのことかと、ハンゾーは妙な納得をする。

 

『……そんなに、私とその人は良く似てるんですか?』

 

 ソラから解放された少女も、自分の顔をペタペタ触りながら尋ねる。

 どうやらこの少女は、自分の目の前にいる女が、自分を退治しにやって来たハンターだとは思っていないのか、何とも無防備で呑気な問いに、ある意味で一番楽観的な気持ちでやって来たはずのハンゾーが、思わず脱力する。

 

「うん。歳は君より少し年上だけど、初めて会った頃はちょうど今の君くらいだったな。

 そうだとしたらおしいなー。ここまでグレイにそっくりさんなら、君も20代くらいの姿ならバインバインだったかもしれないのに」

 

 退治される側が立場をわかっておらず無防備なら、退治する側も退治する気が本気であるのか、やたらとフレンドリーに笑いながら同性にセクハラ発言をかまして、見学者であるハンゾーを「何だこの状況……」とさらに脱力させる。

 

 が、意外なことにセクハラされた本人は、その発言に怒ったりドン引きしたりといった反応は見せなかった。

 困ったように薄く笑ったが、その苦笑は寂しさや諦観を多く含んだ笑みだった。

 ハンゾーに忘れられない、煌びやかな春の(まち)に焦がれたロボットのセリフを刻み付けたソラの笑顔と、それは良く似ていた。

 

『……それは、たぶん無理ですね。……私には、子を生す機能がありませんから』

 

 舞い散る桜の花弁の中で、少女は淡く、儚く微笑んだ。

 生物として決定的な欠陥の告白に、ハンゾーは何も言えなくなるが、ソラの方は同じように……けれど今にも、春霞にまぎれて溶けて消えてしまいそうな少女とは違い、ここに存在していることを苛烈に主張するように、強く笑って答える。

 

「だろうね」

 

 何故かソラは、言われるまでもなく少女の欠陥に気付いていたらしく、ハンゾーはさすがに本人を前にして、「どういうことだ!?」とは言えないので目で訴えるが、それは春のそよ風のように、爽やかナチュラルスルーされた。

 少女の方は、ソラの答えに目を丸くしてからまた笑う。

 やはり桜が良く似合うほど、淡く儚い笑みだが、その笑みから寂しさと諦観は薄れ、本心からおかしそうに笑ってから、少女はあどけなく尋ねる。

 

『あなた方は……私を殺しに来てくれたのですか?』

 

 * * *

 

 今更な問いを、歓迎するように微笑んで尋ねる。

 その問いにソラが答える前に、ハンゾーが我慢できずに逆に問い返す。

 

「……お前は、何なんだ? 何がしたいんだ?」

 

 思えば、初めからこの幽霊は奇妙なことばかりしている。

 

 体調を崩して2,3日寝込む程度の被害しか出していないとはいえ、忠告したということは、自分のしていることに自覚があるということだ。

 だから初めは、この寺や桜の木に思い入れがあるので、他人に入って欲しくない、荒らされたくないが、傷つけるつもりもないから、軽い脅しのつもりでやっているのかと思ったら、自分を退治しに来たハンターだと思っても、強く拒絶しないどころか、歓迎するような態度。

 

 こちらの油断を誘っているにしても、あまりに無防備な言動は、本気で自分の死を願っているように見えた。

 そして、ハンゾーの考えは当たっていた。

 

『……私は、私を殺してほしいのですよ、忍者さん。私のしていることを、もう終わりにしてほしいんです』

 

 淡く、儚く、寂しげに、けれどいっそ開き直ってすっきりしたような諦観を含んだ笑みで、少女は言った。

 

『私は、初めから子を生せない、一人きりで生きて、一人きりで死ぬのが決まっていました。

 けれど、私は長い間そのことに気付きませんでした。ただ、他の仲間より体が弱いだけだと思っていました。

 

 ……自分の事実に気付いた時、私は悲しみました。自分は何のために生まれてきたのかがわからなくなって、仲間と違って子孫に何も託せない、何もできないまま一人きりで終わるしかない自分の命が悲しくて、虚しくて、毎日毎日嘆き悲しんで、……私は愚かな願いを懐いてしまいました。

 

 子を生せないのなら、未来を託す相手がいないのならば、私が永遠になればいいのではないかと思ってしまったのです』

 

 最後の言葉は、子を為せない自分に絶望した先に行き着いた答えは、あまりにも暗澹陰鬱な声音で、どう考えてもその考えに至った本人ですら、それは「希望」ではなかったことを理解している、そんな声音で彼女は語ってから、自嘲気味に薄く笑う。

 

『……今思えば、愚か極まりないことだとわかるのですが、その時の私には本当に、本物の、唯一の希望に思えたのです。そもそも私は子が欲しかったわけではなく、ただ仲間はずれが嫌だっただけですから。

 ……私は、仲間が好きでした。ずっと一緒にいたかった。けどそれが不可能であることがわかっていたから、私は自分の子と仲間の子が、私と同じようにずっと一緒にいてくれることを期待して、託したかったのです。

 

 それさえも無理ならば、私自身が永遠となればいいと思いました。仲間は私と違って、永遠になれずとも、仲間の子が育つのを見守り続けることが出来るのであれば、それで満足だと私は思っていました。

 

 ……でも––』

 

 二人に背を向け、少女は桜の古木に縋り付くように額を押し当てて、言葉を続ける。

 自身の愚かさを悔いるように、自らの罪を懺悔するように。

 

『……私が『念能力』というものを得たのは、偶然にすぎません。私には詳しいことは良くわからないのですが、念の修業は悟りを得るための修業に似ているそうなので、門前の小僧習わぬ経を読むという奴でしょうか。

 気が付いたら、いつしか私はその力を得て、そして私の間違えた『希望』を、実現させてしまったのです。

 

 ……私は、本当に愚か者です。対価を支払わずに、何かを得ることなどできないことを、私は理解できていませんでした。

 ……私の『永遠』は、他者から命を僅かばかりとはいえ吸いあげ、吸収していくことだと、またしても長い間気が付かなかったのです。……このような愚かな希望を抱いてしまう程、一緒にいたかった仲間の命を奪い尽くすまで、私は自分の愚かさに気が付きませんでした』

 

 一度、少女は拳で目元をぬぐう動作をしてから、振り返る。

 振り返った少女は、もう笑ってなどいなかった。

 外見こそは相変わらず、儚げで可憐な少女そのものだが、そこに立つ少女はあらゆる甘えや期待を捨てて、覚悟を決めた者の眼をしていた。

 

 ––死を覚悟した者の眼だった。

 

『私は仲間の命を奪って、永遠を得たのです。そして、仲間は誰も私を責めてくれませんでした。

 

 自分達は子を生した、未来を託せたから、いつ死んでも良かった。お前はそれが出来ないから、永遠を望むのは仕方がない。

 だから、お前の永遠の一部になれるのならば、私達も後悔はない。

 

 ……仲間はそう言って、皆その命を枯らしてゆきました。私に、そのような価値などなかったのに。私があまりに愚かなだけだったのに、……なのに皆、未来などない私に自らの命を託して、去ってゆきました。

 仲間がいなければ、私の永遠に何の意味もなかったのに……、仲間が託した『未来』である子供たちは、私の手には届かない所で生きているから、本当に私が生きる意味なんて、なくなってしまったのに……』

 

 違和感を、覚えた。

 黙って少女の話を聞きつづけていたハンゾーだが、少女の話にどこかが引っかかった。

 

 嘘の矛盾を見つけた訳ではない。

 忍びとして戦闘能力はもちろん、洞察力や読心術も叩きこまれているハンゾーが見て分析する限り、少女は何も嘘をついていない。

 

 彼女は本気で、この「他者のオーラを奪う」という能力を、浅慮で得てしまった悔やんでいる。

 そう考えたら、最初の忠告も自分を殺しに来た相手を歓迎するのも、筋が通る。

 能力を解除しないのは、ちゃんと学んで得た能力ではないから、暴走に近い形で常時発動してしまっているのだろう。解除しないのではなく、出来ないのだ。

 

 少女の話に今のところ、矛盾は見当たらず、少女の仕草に嘘をついている者に見られる違和感もない。

 だけど、少女の話そのものに、どこかしら引っかかる感覚が消えない。

 おそらくは少女も、ハンゾーやソラを騙している意図はない、ただ単に自分が気づいていないだけの「何か」だと、ハンゾーも思っているが、そこまでわかっていても肝心なその引っかかている「何か」がわからなかった。

 

 なので、さらに用心深くハンゾーは、少女の話を聞きいる。

 少女の仕草に不自然な所はないか、話の内容に矛盾はないかを探るように聞き続けるハンゾーとは対照に、ソラはちゃんと聞いているのかどうかも怪しいほど、どこか気だるげな雰囲気だった。

 

 そんな対照的な二人がおかしかったのか、少女は少しだけまた笑う。

 笑っても、やはり彼女はもう「永遠」どころか、この先一秒たりとも長い生を望んでいるようには見えなかった。

 

『私の能力がそんな身勝手なものだと知ってすぐに、私はこの力を呪いました。こんな能力、いらないと願いましたが、一度得た能力は消えることがありませんでした。

 もしかしたら、無意識に私は能力を失うのを恐れていたかもしれませんね。だって、仲間の命を奪ってまで得たのに、あっさり捨ててしまったら、それこそ私の仲間は何のために死んだの? と思ってしまったのでしょう。

 

 ……幸いながら、私は積極的に誰かを殺したかったわけではないので、私の能力は初めに言ったように、すぐに命を吸い尽くされて亡くなることは有り得ません。私から離れればいいだけなので、私の仲間はともかく、普通の人間ならば、まず死に至ることはありませんでした。

 

 ……だから、私はずっとずっとここで、仲間の命を糧にして、一人きりで生きてきました。これが私の浅慮の結果であり、罰だと思って』

 

 ハンゾーが思った通り、能力は解除しないのではなく出来なかった。能力を失えない理由も、ハンゾーが予測していた範囲内だった。

 少女の言葉や答えは、全てハンゾーの想定内。

 

 なのに、自分の考えが肯定されても、違和感がやはり募る。

 明らかに、彼女の話は何かがおかしい。そう感じているのに、ハンゾーはその違和感を見つけられない。

 

 ハンゾーが違和感の正体を掴めないまま、少女の話は、懺悔は終わり、そして「永遠」という希望が絶望に変わってから、代わりに懐き続けた希望を口にする。

 

『けれど、それも今日で終わりなんですね。

 もっと私は長く苦しむべきだと思いますが、私がいたら迷惑ですもんね』

 

 自らの処刑を望む、永遠だった少女は笑う。

 永遠どころか刹那で、今にも消え入りそうなほど儚い、それでいながらやっと楽になれることに安堵するような、今にも泣き出しそうな笑みで少女は、細く白い首をソラに差し出して、希う。

 

『さぁ、どうぞ。どうか私に、引導を渡してください』

 

 ハンゾーはその言葉に、ソラに何かを言いかけてやめる。

 何を言おうとしたのかが、自分でもわからなかったから。

 

 少女の話に違和感があるから。

 違和感の正体がつかめないから。

 

 だからまだ少し、待ってほしいという気持ちは確かにあったが、そんなことで人の仕事の邪魔をしていいわけがない。

 この仕事の同行は、完全にハンゾーのわがままで、ソラの厚意によって許可されたものだ。

 いくら危険がなさそう相手でも、自分が何か要望を言える立場じゃないのはわかっている。

 

 それでも、ハンゾーは何か言いたかった。

 このまま、ソラに殺してもらって終わらせるのは嫌だった。

 

 そこに少女が美少女だからという下心はない。

 理屈ではなく、ただただ嫌だった。

 

 ––––そしてそれは、ソラも同じだった。

 

「いいよ」

 

 言いながら、彼女が掴んだのは少女の細い首では、なくそれ以上に細い嫋やかな手首。

 ソラは少女の手を掴んで、駆けだした。

 

 

 

「引導を渡してあげる。けど、その前に君は見るべきだ。君が望んだ『永遠』を」

 

 

 

 少女の手を引き、いきなり駆け出してソラは、困惑する少女に向かって命じる。

 

「ほら、気合い入れて“円”の範囲を広げる! 私と接触してるんだから、私からオーラ吸い上げたらそれぐらいできるだろ!」

「『ええぇっ!?』」

 

 何故か「引導を渡す」と言いながら、やっていることは完全に真逆な行動に、思わずハンゾーと少女が盛大にハモる。

「お前マジで何がやりたいの!?」とハンゾーが叫べば、振り向いたソラがきっぱりと言い放つ。

 

「こんな能力なくったって、彼女が望んだ『永遠』は叶ってたってことを見せるんだよ!」

「はぁ!?」

 

 やりたいことはわかったが、何をどうしたらそうなるのか、そんなものがどこにあるのかがハンゾーにはさっぱりで、余計に謎が深まった。

 もちろん少女も、ソラの言っている意味がわかっておらず、ソラに腕を引かれて転びそうになりながら、山門に引きずられるように連れていかれる。

 そうやって引きずって連れて行きながら、ソラは語る。

 

「君は、“円”の範囲内でしか行動できないんだろ? だから、見た事がなかったんだね。

 言っとくけど、私がしようとしてることは、君を今ここで殺すこと以上に残酷な『引導』だ。……それでも、君は見るべきなんだと私は思う」

 

 制御出来ていない能力が、ソラのオーラを少しずつだが吸い上げて、“円”の範囲を広げてゆく。

 山門まで届かなかった“円”が広がり、ソラは少女の手を引いてその門を、境界を超える。

 

「ほら、見てごらん」

 

 境界を越え、少女の手を離し、振り返って見せつける。

 

 山頂の廃寺から見下ろす絶景。

 

 提灯に照らされた満開の夜桜と、それを愛でる人々をソラは、両手を広げ、見せつけて言った。

 

「これが、『永遠』だ」

 

 何十本もの咲き誇る桜並木を、まん丸く目を見開いて茫然と見下ろす少女に断言し、ソラは少女の名を呼ぶ。

 

「そうだろう? ––––ソメイヨシノサクラ」

 

 * * *

 

 ソラが呼んだ名に、真っ先に反応したのは本人ではなく、ハンゾーの方だった。

 

「あーーっ!! それか! 違和感の正体はそれか!!」

「何事!? っていうか、気付いてなかったんかいお前は!!」

 

 ハンゾーの叫びにソラがややキレながら突っ込んだが、ハンゾーはそれどころではなく、自分の髪がない頭を掻き毟って、こんなにわかりやすかったのに気づかなかったことを悔しがる。

 

 わかりやすかったが、気付かなかった。

“凝”をしなければ見えなかったし、あまりに儚いその雰囲気がイメージに合っていたし、何よりもその前提がなければ、ソラに依頼されなかったであろう仕事なのだから、大前提すぎてその前提が間違えているとは、つゆにも思わなかった。

 

 ハンゾーの第一印象が正しかった。

 この袴姿の少女は、幽霊ではなく桜の精と言った方が正しい存在。

 

 念能力を得て、自分のオーラを人間の姿に具現化させることを可能にした桜……、彼女が現れると言われた桜そのもの、樹齢50年以上のソメイヨシノだったのだ。

 

 少女の話で感じていた違和感の正体は、彼女が幽霊だとしたら、彼女はいつ死んだのだ? という部分だ。

 彼女の能力だと、逆に彼女はそう簡単には死ねないはずなのに、彼女が幽霊であるということが当然の前提だったのと、現に今も“凝”をしなければ見えない少女がいることで、まったくその一番の疑問点が頭に浮かばなかった。

 

 少女が自分の正体のことを言わなかったのも、ソラが気付いているようだから、言う必要がないと思われたのだろう。

 

 少女である桜の木が生きているのなら、そもそも彼女が人間でないのなら、彼女の話で細々とした他の違和感や疑問も、全て筋が通って解決する。

 まだ15・6歳にしか見えない外見でありながら、やけに子供ができないことを気にしていると思ったが、植物ならばそりゃ「種の保存」が自分の存在意義と考えてもおかしくない。

 

「仲間」の話もそうだ。

 彼女の話では「こいつの仲間ってどんな聖人君子だよ?」と思っていたが、間違いなくその仲間とやらは、人間ではなく彼女自身と同じように、寺の境内に植えられていた木々のことだろう。

 そうだとすれば、子孫を残せたのならそれでよしとし、残せない欠陥を抱えた彼女に同情して命をささげたのも、人間どころか動物ですらないのなら、確かにそこまで自分の命に固執しないだろうと納得できる。

 というか、存在の在り様が遠すぎて、本当に植物ならどう思うのかなど想像ができないので、植物である少女本人がそう言うのなら……と納得するしかない。

 

 色々と腑に落ちたのはいいが、本当に気付こうと思えば、すぐに気付けても良かったことに気付かなかった自分が悔しいやら恥ずかしいやらで、ハンゾーはその場にしゃがみ込んで頭を抱え続けるので、ソラはハンゾーの相手をするのをやめて、少女の方に話しかける。

 

「……見えるだろ? あれは、全部君だ。君の子孫じゃなくて、君自身だ。ここだけじゃない。君は、ジャポン全土に、海外にも存在する。

 君は子を生せない代わりに、接ぎ木でここまで増やされた。ただただ、君にとっては意味が無いはずの花を愛でる為だけにね」

 

 麓の桜を、ソメイヨシノを見下ろしながらソラは語る。

 ジャポンと日本は微妙な差異は多いが、やはり大部分が同じ文化を持ち、同じ文明の発達を遂げていた。

 その代表例が、ソメイヨシノという桜。

 

 この桜は、野生種のエドヒガシという桜と、日本……こちらで言えばジャポン固有種のオオシマサクラの雑種との交配で生まれた園芸品種であり、本来なら一世代だけ、子孫を残すことが出来ないはずの樹木だった。

 正確に言えば自家受粉という、人間でいう近親婚を防ぐための自家不和合性というものが高すぎて、同種のソメイヨシノ同士では種子がほぼ確実に発芽しないのであって、別種の桜とならば受粉した種子の発芽は可能だ。

 ……しかしそれはもう、「ソメイヨシノ」ではなく別物の種である。

 

 人間にはわからない感覚だろうが、植物の彼女にとって「種の保存」が最優先されるべきという価値観である為、別種の桜との間に生まれた雑種の桜は、完全な赤の他人だったのだろう。

 

 そして、人間にとってもそうだった。

 他の品種ではダメだった。

 人間は、「ソメイヨシノ」という桜に魅せられて、この桜をもっと長く観賞したい、もっと多くの人に見てもらいたい、もっとどこででも見れるようになってほしいと願った結果、ソメイヨシノは「接ぎ木」という最も古い形であろう「クローン技術」によって、他の固有種を押しのけて日本を、ジャポンを代表する「桜」となったのだ。

 

「……それは、完全な人間のエゴだ。君自身の意思なんか、当然考慮されてない。

 歪な命の形……と言われたら否定できないよ。実際、これを人間に置き換えたら、外道なんて言葉じゃすまない所業だし。

 

 ……でもさ、……子孫を残せないっていうのは確かに、生物としては致命的な欠陥だけどさ……、そのたった一つの欠陥で、『何のために生まれてきたの?』って思うこと、思わされることだって間違いだと思う」

 

 淡々とソラは隣の少女に語り続けるが、少女は答えない。

 ただ、彼女は見続ける。

 両手で自分の口元を、顔の下半分を隠すようにして、自分の分身である桜の木々を、そんな自分を愛でるために集まった人々を、ただただ食い入るように見続ける。

 

「生まれてきたからには、生きるべきだと思うんだ。例え、他の皆が持っているものを持っていなくても、逆に持っていないものを持って生まれても、それだけで生まれてきた意味や、生きる意味を無くす理由には、なりはしないと思うんだ。

 

 ……だから、たとえあなたは望んでいなくても、人間(私たち)のエゴを恨んでいたとしても、どうかこれだけは知っていてほしい。恨んでも憎んでもいい、許さなくてもいいから、それでもこれだけは、『君』に知っていてほしいんだ」

 

 一陣の風が吹き、桜の花弁を舞い散らせる。

 春の雪のような花吹雪の中で、ソラは間違えた「永遠」を求めた桜の木に伝える。

 

「君の命に、意味はある」

 

 沈黙を続けていた少女……ソメイヨシノの唇が開き、言葉を紡いだ。

 

『……本当に、残酷な引導ですね』

 

 彼女の言う通り、「子が生せないのなら」という理由で間違った「永遠」を望んだものに、少し動ける範囲を広げれば見ることが出来た「永遠」を見せつけたこと、そして死を希ったものに対して、その生に意味があったと伝えることは、あまりに残酷な引導だ。

 

 けれど––––

 

『でも……ありがとうございます』

 

 彼女は、ソメイヨシノは笑った。

 自らの花によく似た、淡くて儚い笑顔ではなく、くしゃくしゃに泣きながら彼女は笑う。笑って、伝える。

 

『……恨みませんよ。

 私は、仲間が一番でした。ここのお寺に人がいた頃は、人間にほとんど興味はなく、毎年毎年、私が花を咲かせたら私の下で騒ぐのをうんざりしていたぐらいでした。

 ……でも、仲間を失って、お寺の人も、ここを訪れる人もいなくなって、私の花を見る人もいなくなったら……ひどく、虚しくなりました。

 ただでさえ何も生み出せないのに、咲かす花に意味はないと思っていたのに、それを見てくれる人もいないのなら、それこそ私は何のために生きているのかがわからなくなっていました。

 

 ……だから、私は人間を、誰も、恨みも憎みもしません。私は人間に、感謝します。

 私に意味と価値を見出してくれて、一人きりで死んでいくしかなかった私に、私自身とはいえたくさんの仲間をくれて、そして私が仲間の子孫を見守ることを出来るようにしてくれて……私が望んだ『永遠』を、正しく形にしてくれた人間(あなたたち)に、感謝します。

 

 本当に……ありがとうございます––––』

 

 くしゃくしゃの泣き笑いの顔で、どうしようもないほどの、抱えきれないほどの喜びを露わにしながら、彼女は感謝を伝える。

 自分の生に、何も生さないはずの花に、意味を見いだせなかった自分自身に意味があると言ってくれたこと、その証拠を、「永遠」を見せてくれたことを感謝して、彼女は……ソメイヨシノは消えていった。

 

 まさに春霞としか言いようがなく、儚く、桜吹雪にまぎれるように、溶けるように、ソメイヨシノそのものだった少女は消えて、いなくなった。

 

 寺全体を覆っていた“円”の気配もなくなった。

 範囲が今まで通りに狭まったのではない。完全に、なくなってしまった。

 

 もう、誰かの命を奪う「永遠」は、そこにはない。

 そこにあるのは、枯れ果てた木々の中で咲き誇る、桜の古木だけだった。

 

 * * *

 

 ソメイヨシノの少女と、彼女の“円”が消えたことを感じ取り、ハンゾーがようやく立ち上がってソラに訊く。

 

「……まだ、死んだわけじゃねーよな」

「当然。仲間を殺しちゃった罪悪感で逆にやめれなくなってたのが、こんなの続けていくことこそ意味が無いって気付けたから、花が咲いてる時期の常時発動が納まっただけ。

 彼女は、……この桜はまだちゃんと、生きてるよ」

 

 寺の境内に戻り、桜に歩み寄って幹を優しく撫でながら、ソラはハンゾーの質問に答える。

 そしてハンゾーが何か言う前に、ソラは相手を安心させるように振り返って笑う。

 

「もちろん、私も殺す気はないよ。彼女がもう誰からもオーラを奪わないのなら、そんなことする意味はないからね」

 

 その答えに、ハンゾーは安堵する。

 理屈はない。ただ嫌だった自分の気持ちを、彼女も理解していたのだろう。

 

 花を愛でる趣味などないはずの自分でさえも毎年の楽しみにしている、もはや心の一部と化しているこの花を、殺さなくてはいけないというのは、理屈なしに酷く悲しくて、出来るのであれば避けたいものだったのは、ソラも同じだった。

 だから、彼女はこの寺の境内から彼女を連れ出して、引導を渡した。

 

 死ではなく、能力を自ら封じてまだ生きろと、そんなさらに残酷な道への引導を。

 

 残酷だが、それでも彼女はその道を選んだ。

 

 所詮は人間のエゴにすぎない行為でも、自分に意味を見出してくれたことを泣いて喜び、その意味をまっとうしようと思ったのだろう。

 今度こそ、人から愛でられる桜になりたいと思ったのだろう。

 

 それも、ハンゾーがそうであればいいという願望に過ぎないということは、わかっている。

 それでも、エゴであっても願った。

 

 桜を美しいと思う気持ちに、その桜を見て湧き上がる、理屈ではない幸福感は嘘ではないからこそ、この人間のエゴでたった一世代だけだった存在を増やし、伸ばした命に幸福があらんことを願った。

 お互いが幸福であって欲しいと思う気持ちに、嘘などなかった。

 

「……お前がこの仕事を受けたのって、もしかして受けた段階で幽霊じゃなくて、桜そのものだってことに気付いてたからか?」

 

 麓の桜とは違い、月と星灯りのみに照らされる桜を見上げながら、何気なく初めから気になっていたことを尋ねてみると、ソラはあっさり否定した。

 

「いや、さすがにその段階では無理。見たらすぐわかったけど、見なきゃわかんないよ。私も普通に見るまで、幽霊だと思ってたし」

 

 逆に言えば、見るだけで死者の念かそうでないかは一目でわかるという発言に、それはそれですさまじいとハンゾーは思った。

 やはり彼女の除念能力を、自分も得られるのではないかという期待は、絵に描いた餅どころか妄想の餅レベルだということを思い知るハンゾーに、ソラはさらに言葉を続けた。

 

「この仕事を受けた理由は、桜を……ソメイヨシノを絶対に見せるって約束したからだよ!」

 

 誰に? と訊く気は起こらなかった。そんなの、訊くまでもなく候補は4人に絞られる。

 特に可能性が高いのは、自分を散々「エロガッパ」と言って罵ったクソガキか、試験終了後に、4次試験で何があったのかをわかっていないくせに、何の躊躇いもなくハンゾーを殴った金髪の男女だろうと考えるハンゾーに、ソラは自分のケータイを放り投げ、彼に渡して言った。

 

「ハンゾー! せっかくだからこの桜と一緒に私を撮って!

 今、送ればちょうど時差で4日の朝に届いてるはずだから!!」

 

 

 

 * * *

 

 

 

 朝、ケータイのメールを見るまでクラピカは、その日が自分の誕生日であることに気付いていなかった。

 

 9月のヨークシンオークションまでに旅団と戦える力を求めるクラピカは、“念”の修業に明け暮れて、すっかり日付の感覚を失いかけていた為、忘れていた。

 いや、約一月半前の山小屋ではもう吹っ切れたつもりだったが、実は全然吹っ切れていなかったのかもしれないと、自嘲する。自分の誕生日なんてとっくの昔に嬉しいものではなくなっていたから、祝ってくれる人はもう誰もいない、全て奪われたと思っていたから、眼をそらして忘れていた。

 

 その眼をそらし続けていたものを、突き付けられる。

 

『クラピカ、17歳の誕生日おめでとう! 直接お祝いが出来なくてごめんね!

 ちゃんとしたプレゼントは、今度会った時に渡すよ。君が今どこにいるのかは、国しかわかってないしね(笑)

 

 だから、プレゼント代わりにこれを送っとく。

 昔、約束したでしょ? 桜を、ソメイヨシノを見せるって。

 写真だけど、とりあえず今年はこれで許して。来年こそは、一緒に見よう。その時は今度こそ直接、君の誕生日を祝いたいし』

 

 あまりに真っ直ぐすぎる祝いの言葉に、過去の何気ない約束を覚えていてくれたことに、そしてクラピカも望む未来への約束を与えてくれたことに目頭が熱くなって、添付された画像をしばらく見ることが出来なかった。

 

 数分間、与えられた祝いの言葉を噛みしめて、何とか涙腺を締め直したクラピカが添付された画像データを開くと、今度は素直な感嘆の声が上がる。

 

 地上の星のように光を燈す提灯に照らされた、薄紅色の海。

 ソラが今から4年前に、クラピカに見せたいと言っていた桜……ソメイヨシノの写真を見て、まずは当時を思い出して「……よく覚えていたな」と呟いた。

 

 同時に、自分が言っていた言葉も思い出す。

 実はクラピカは、この花に、ソメイヨシノに良い印象を持っていなかった。

 

 花そのものが嫌いなわけではない。そもそも、この花が咲いているのをちゃんと見たのは、この送られてきた写真が初めてだ。

 良い印象がないのは、このソメイヨシノが人工的に生み出された品種であり、本来なら一世代で消えるか弱い雑種に過ぎなかったのを、接ぎ木で増やしてソラの故郷である日本を、そしてこちらの世界のジャポンを代表する花になったという所。

 

 悪印象というより、クラピカはソメイヨシノに同情していた。

 ただ「美しい」という理由で、自らの体の一部を材料にして、クローンを制作して愛でられるという、人間のエゴによって自然からかけ離れた在り様にされたその花に、クルタ族を、緋の眼を連想してしまったからこそ、クラピカはソメイヨシノという花の存在を避けていた。

 

 そのことをソラに悪いと思いつつも正直に語れば、ソラは笑いながら同意して、それでもクラピカに言ったのだ。

 

『……うん。確かに人間のエゴに過ぎないよ。酷いことをしてるし、花に意思があるのなら、恨まれても仕方ないんだろうね。

 でも、自然の在り様だとソメイヨシノは何の意味もなく花を咲かせて、生きて、そして一人きりで死んでいくことになる。

 

 ……生まれてきた命に、意味や価値がないとは言いたくないなぁ。こんな意味や価値なら、ない方がマシかもしれないけど、それでも……その花を、ソメイヨシノという存在を愛していることに嘘はないから、生きてて欲しいと願ったことに悪意はないから、だからできればお互いに幸せであってほしいなぁ』

 

 その言葉に、クラピカは反論出来なかった。

 

 自分達クルタ族の眼を、緋の眼だけに価値を見出して、物のようにその眼を抉り取って虐殺した旅団はもちろん、その眼を虐殺の結果だと思わず、宝石のように歪つでおぞましい愛で方をするコレクターどもも反吐が出る存在であり、そんな輩にこの眼の意味や価値を語られるくらいなら、無意味で無価値の方がよほど喜ばしいと思っている。

 

 ……けれど、ソラに自分の眼を「綺麗だ」と言われたのは嬉しかった。

 ソラが全く緋の眼に興味を持たなければ少しさびしく思っただろうし、有り得ないが気味悪がられたら、それこそクラピカは生きていけなかっただろう。

 

 緋の眼は自分を、クルタ族を不条理な差別や迫害で苦しめ、滅ぼした原因であるのだから、きっと無くなった方が良かったとも思う。

 けれど、もしも自分の眼を色が変動しない、ごく普通の眼に変えることが出来たとしても、クラピカは緋の眼を手放さないことが容易に想像できる。

 

 それはもう、失った同胞と自分を繋ぐものが、それしか残されていないというのが大きいが、クラピカ自身、生まれ持ってきたものを、「自分を不幸にしかしない、意味がないもの」とは思いたくないからでもある。

 人間のエゴと醜い欲望の慰みものになるくらいなら、無意味で無価値で良いと思いながらも、本当に意味も価値もなくしてしまうのは嫌だった。

 

 それは、自分自身を構成する大切な一部だから、それが欠けてしまえば別人になってしまう気がするから、それを捨ててしまえば、今までの自分の人生そのものを否定している気がするから。

 

 だから、ソメイヨシノという桜の在り様を、人間のエゴだと思って嫌悪感を懐きつつも、避けていたはずのその花を見たいと望んだ。

 そこまで、人々に「毎年、この花を愛でたい」と思わせた、一世代の永遠を見てみたいと願った。

 

 その花が生まれてきた意味を、肯定したくなった。

 

 そんな4年前の何気ない、ささやかな約束をソラは叶えてくれた。

 

 写真の桜並木は、山の上から撮った俯瞰のアングルなため、まさしく薄紅色の海としか言いようがない。

 これだけの数の桜全て、同一の存在、クローンであることはやはり、どこか歪みを感じる。

 それでも……確かにその花は、一世代だけで終わらせることはあまりにも惜しいほど、生きていて欲しいと願う程に美しかった。

 

 例えエゴに過ぎなくても、生物として致命的な「子が生せない」という欠陥だけで、その命に意味はないと一蹴など、確かにしたくなかった。

 ここまで心を掴む、問答無用の理屈なき美しさに、意味を、価値を見出したかった。

 

「……確かにこれは、出来ればお互いに幸福であってほしいな」

 

 ソラの言葉を思い返しながら、当時は言えなかった、言えるほどその桜の荘厳な美しさを知らなかったから願えなかった言葉を呟く。

 

 出来ることならば、歪つな命の在り様を定めた人間を、恨まないで欲しかった。

 そこに自分の一族の全てを踏みにじった輩と同じ、おぞましくて醜い欲望はないのならば、なおさらに。

 

 クラピカは少しだけ同情していたはずの花を羨ましく思っていると、ケータイが着信を告げる。

 ソラからもう一通、メールが届いた。

 

 件名が「あ、ごめん。忘れてた」だったので、クラピカは記憶を掘り返して、他に何か約束をしていたか、何か頼みごとでもしていたのか、それとも自分が何か頼まれていたのかを思い返そうとしてみたが、心当たりはなく、メールにはまた画像が添付されていたので、ただ単にまだ送ろうと思っていた桜の写真を送り忘れただけかと思って、そのメールを開いてみて……その場にうずくまる。

 

「おーい。どうした? まだ寝てんのか?」

 

 珍しく、眠るのも惜しいと言わんばかりに修行に明け暮れているバカ弟子が、いつまでたっても出てこないことに気付いて、クラピカの師匠であるイズナビが、クラピカの寝室にとあてがった山小屋の一室に入ってみたら、弟子が何故かうずくまって悶絶していた。

 

 気を付けていたが、ついに自分の忠告を破って、勝手にハイペースな修行をして体調を崩したのかと思って、一瞬焦って駆け寄るが、よくよく見てみればうずくまって顔を隠しているが、クラピカの耳は真っ赤になっており、師匠が心配して駆け寄ったことにも気付いた様子もなく彼は、「……どうしてこいつは、こういうことを恥ずかしげもなく……」と訳の分からないことをブツブツ呟き続けていることに気付き、イズナビは率直に言って引いた。

 

「……おーい。クラピカー。どうしたんだ、マジで?」

 

 しゃがみこんで呼びかけても、クラピカはやはりうずくまって赤くなった顔を隠しながら、訳の分からない愚痴らしき言葉を呟き続け、そろそろ殴って再起動させようかと思ったタイミングで、イズナビはクラピカがケータイを持っていることに気が付く。

 どう考えてもこれが、弟子の奇行の原因だと思い、何の躊躇もなくイズナビはクラピカの手からケータイを抜き取って、その中身を、メールの内容を見た。

 

「!? なっ!? か、返せ馬鹿者!!」

 

 ケータイを奪われたことで、ようやく師匠の存在を認知したが、クラピカは相手が自分の師匠であることをすっかり忘れ、赤い顔のまま罵るが、イズナビはそれを無視して、クラピカに届かないようにケータイを掲げて、それから苦虫をダース単位で噛み潰したような顔になる。

 

 そんな顔にもなるだろう。

 

 イズナビが見たのは、短い本文のメールと、一枚の画像データ。

 月明かりに照らされた、桜の古木をバックに一人の女性が、振り向きざまに笑っていた。

 

 髪が伸びたからか、ハンゾーの写真撮影技術が何気に良かったからか、それとも楽しくて嬉しくて仕方がないと言わんばかりの笑顔の所為か、その写真に写るソラは珍しく、誰が見ても一目で女性だとわかった。

 誰が見ても、絶世の美女と言い切って良かった。

 

 そんなソラが映る写真が添付されたメールに、書かれた本文。

 ソラがクラピカの誕生日を祝うメールに書き忘れてしまったけど、絶対に伝えたかったことはたったの一言だった。

 

 

 

 

 

『大好きだよ、クラピカ』

 

 

 

 

 

 イズナビの顔を見て、クラピカはやはりまだ顔を紅潮させたまま、師匠を睨み付けて「……何だその顔は? 何が言いたい?」と尋ねる。

 尋ねているが、言いたいことはわかっている。間違いなく、レオリオにさんざん言われてきたことを言われるに違いないと、クラピカは確信していた。

 

 そしてクラピカの予想は、予知と言っていいほどに正しかった。

 

 

 

「てめぇ! 今すぐに爆発しろ!!」

「断る! いいからさっさと返せ!!」

 

 

 

 この日、師弟の実にバカらしいケンカは、昼ごろまで続いた。

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