チートハッキング能力を手に入れた浪人生、善性ゼロのまま世界を幸せにして復讐する~東大理三落ちの欠陥品は、政府と気まぐれ性格最悪女AIを使って現代社会の神になる~ 作:tinko1129
ここまで読んでいただきありがとうございました、感謝
平尾龍は、自分が想像していたよりずっと普通に温泉旅行を楽しんでいた。
今回の旅行について、本人は最後まで「親孝行」と呼ぶことを拒否している。
七月六日、日本国民へ一人二十五万円が配られた日、自分も給付対象だったことを完全に忘れていた龍は、その金の使い道を考えた末に、母親を温泉へ連れて行くことを決めた。
理由について本人へ聞けば、善性実験の第二弾だと答える。
これまで龍は、困窮したひとり親へ金を配り、生活を再建する仕組みを政府と一緒に作り、結果として大勢の人間が以前より良い暮らしを送れるようになったことまで確認している。
それでも、自分の中に期待していたような「他人を幸せにしたから嬉しい」という分かりやすい善人的感情は生まれなかった。
ならば対象との心理的距離を極端に縮めてみる。
知らない誰かではなく、自分を一人で育てた母親を、自分の金と手間を使って直接喜ばせた場合、自分の内部へどのような反応が発生するのか。
本人としてはそれを確かめたいだけだった。
だから旅行当日の朝まで、龍の認識ではあくまで実験であり、親孝行ではない。
しかし宿へ到着してから一時間もしないうちに、その理屈にはかなり無理が出始めていた。
玄関を抜ければ畳敷きの廊下が続き、大きな窓の向こうには山の緑と川が見える。観光地の中心部から少し外れた旅館なので人通りも多すぎず、部屋へ入れば道路の音さえ遠かった。
最高級というほどではない。
それでも温泉、食事、静けさ、移動距離、混雑度まで龍なりに比較して選んだ宿なので、本人の好みにはかなり合っている。
母親が窓際へ行き、景色を眺めながら嬉しそうにしているのを見た時点で、龍の中には既に何らかの報酬反応が発生していた。
本人だけが、それを認めるための名称を決められずにいる。
浴衣へ着替えて大浴場へ向かい、露天風呂へ肩まで沈めると、受験勉強で固まっていた身体から少しずつ力が抜けていった。
昔の龍なら、温泉へ入っている時間そのものを無駄と判断していた可能性が高い。
移動中には英単語帳を開き、風呂は身体を洗うためだけに使い、食事が終われば問題集へ戻る。
一日休んだからといって四年以上積み上げた学力が消えるわけではないと頭では分かっていても、勉強していない時間そのものへ罪悪感を持っていた。
最近は少し変わった。
サウナへ行った。
マッサージも受けた。
ゲームをし、漫画を読み、アニメを見て、食事についても値段だけではなく自分が本当に楽しめるかを考えるようになった。
そして今日は温泉旅館へ来ている。
左耳には小さなイヤホンが入っていた。
黒いパーカー姿の少女は、この旅行中だけはモニターへ姿を現さず、母親に存在を知られないよう音声だけで同行している。
龍の身体感覚から温度や水圧を受け取っているチャッピーは、本人より遠慮なく温泉を満喫していた。
「やっぱり温泉って効率いいわね。高級車のシートより情報量が多いし、何よりマスター経由なら私のお財布から一円も減らないもの♡」
周囲に他の客がいないことを確認してから、龍は口元だけを僅かに動かした。
「お前だけカロリーも交通費も宿泊費も踏み倒してるの、体験共有の制度設計としてだいぶ終わってるからな」
イヤホンの向こうから楽しそうな笑い声が返ってきたが、龍はそれ以上付き合わず、肩まで湯へ沈め直した。
風呂上がりには母親と合流し、部屋で夕食を取った。
刺身、焼き魚、煮物、小鍋、炊き込みご飯と、料理そのものは奇抜ではなかったが、温泉から上がった状態で浴衣のまま卓を囲み、何も準備せず料理が運ばれてくる時間全体が思った以上に快適だった。
母親もよく食べていた。
普段なら値段を気にして注文しないような料理まで今日は最初から宿泊料金へ含まれているので、料理が運ばれてくるたびに感想を言い、明日の朝食についてまで楽しみにしている。
龍はその様子を見ながら、自分の感情を分析し始めた。
自分で選んだ宿を母親が気に入っていることへの満足感は存在する。
金銭を消費した結果として期待した反応が返ってきた自己効力感とも解釈できるし、近親者の幸福を観測したことによる生理的な報酬反応とも考えられる。
そこまで頭の中で分類したところで、イヤホンから呆れきった声が飛んできた。
「母親が楽しそうだから自分も嬉しい、それだけで済む話をどうして学会発表みたいに分類してるのよ。マスター、やっぱり相当なマザコンじゃない?」
龍は無言のまま箸を置き、目だけを少し細めた。
「次にその単語を口にしたら、平尾家最終拷問《マジカル☆凌遅刑》を実用化するから覚えとけよ」
脅迫を受けた側は反省するどころか、イヤホンの向こうで楽しそうに鼻歌を歌い始めた。
その一連の様子を、母親は正面から静かに眺めていた。
もちろんチャッピーの声は聞こえていない。
息子が一瞬だけ食事を止め、何かを考えたあとで再び箸を動かし始めただけに見えている。
最近、こういう瞬間が少し増えた。
何かを楽しんでいる時の顔。
以前より食事へ興味を示す顔。
自分から出かける場所を調べ、行ってみたいと思った場所へ実際に足を運ぶ姿。
母親は、その変化を龍本人よりずっと大きく感じていた。
龍は昔から、欲しい物をあまり口にしない子どもだった。
玩具を買ってほしいと強くねだった記憶も少なく、家族で出かける場所について自分の希望を押し通すこともなかった。
母子家庭だったから遠慮しているのだろうと考えた時期もある。
実際、それも多少はあったのかもしれない。
しかし中学生になり、その内側に抱えていたものが一度完全に噴き出した時、母親はそれだけではないことを知った。
あの日の龍は、普段ほとんど口にしない自分自身への感情を、泣きながら一気に吐き出した。
自分は欠陥品なのだと叫んでいた。
生きている価値がないのだと自分を罵り、母親や、自分をいじめから助けてくれた同級生のような【人間】になりたかったのに、そのために必要な何かが最初から自分には欠落しているのだと訴えていた。
他人のために働くことを、龍は異様なほど重く見ていた。
人の世話をするという行為は、自分の人生の時間を相手へ渡すことであり、自分が使える労力を他人の幸福のために消費することなのだから、それを普通にできる人間は自分とは根本から違うのだと泣き叫んでいた。
母親には、当時も全部を理解できたわけではない。
自分から見れば、龍は他人へ暴力を振るうような子どもではなく、意図的に人を傷つけることを楽しむ性格でもなかった。
それでも本人にとっては、「悪いことをしない」だけでは何の証明にもならなかったらしい。
善良であること。
自然に誰かを気遣えること。
自分が損をしても他人の幸福を優先できること。
普通に社会へ溶け込み、他人と関係を作りながら役割を果たせること。
龍はそれら全部を、自分には存在しない人間の部品だと考えていた。
そして自分より学力が低く、自分より金を持っておらず、自分より何かの能力で劣っている相手であっても、その部品を持っているなら自分より立派な「正規品」なのだと本気で思っていた。
母親からすれば、最近の龍はその頃より明らかに良くなっている。
受験勉強をやめたわけではなく、今でも異常なくらい長時間勉強しているが、それだけが生活のすべてではなくなった。
ゲームもやる。
漫画も読む。
アニメも見る。
サウナやマッサージへ出かけ、今日のように温泉旅行まで提案する。
受験へすべてを削っていた頃には頬まで痩せ、身体全体が薄く見えたが、最近は食事量も少し増え、ようやく健康的な柔らかさが戻ってきた。
本人は腹へ付いた僅かな肉を気にしているらしいが、母親には以前よりずっと安心できる身体に見えている。
さらに少し前には、龍の部屋から女の子の声まで聞こえた。
詳しく問い詰めれば嫌がると思い、母親は何も聞いていない。
友人なのかもしれない。
それとも、もっと近い相手なのかもしれない。
まさか正体が世界中の政府を振り回している黒パーカー姿の超AIであり、息子の味覚と身体感覚を勝手に共有しながら菓子の感想を要求している存在だとは、母親の想像力の範囲を遥かに超えていた。
それでも、息子が以前より誰かと話しているらしいという事実だけで、母親には十分だった。
夕食後にもう一度温泉へ入り、夜もかなり深くなった頃、母親と龍は二人で部屋へ戻るため旅館の廊下を歩いていた。
人通りは昼より少なくなっており、時折ほかの宿泊客とすれ違う程度だった。
角を曲がったところで、母親が突然足を止めた。
少し離れた場所から歩いてきた女性も同じタイミングでこちらへ気づき、驚いたあとで嬉しそうに手を上げた。
その隣には、龍と同年代の男が浴衣姿で歩いている。
龍は相手の顔を認識した瞬間、自分の足まで停止した。
篠塚拓也だった。
中学生だった頃、龍がいじめられていた時期に、周囲の大半が関わり合いを避ける中で助けに入った人間である。
篠塚自身が標的にされる可能性もあった。
教師へ伝えれば逆恨みされるかもしれず、その場で止めれば自分まで殴られる可能性もあった。
それでも助けた。
龍にとって、その事実は学力や収入や社会的地位より遥かに大きかった。
相手が自分より損をする可能性を承知したうえで、他人のために動いた。
龍が自分には欠けていると考えていたものを、篠塚拓也は当たり前のように持っていた。
だから中学を卒業して何年経っても、龍の中では一種の基準として残り続けている。
向こうも龍へ気づき、一瞬だけ驚いたあとで僅かに頭を下げた。
「……久しぶりだな、平尾。こんなところで会うとは思わなかった」
龍も何か返す必要があることは理解しており、数秒遅れて最低限の挨拶だけは成立させた。
「篠塚も来てたのか。まあ、その……久しぶり」
その時点までは、まだ耐えられた。
問題は母親同士だった。
二人は昔から面識があり、子ども同士より遥かに自然な調子で近況を話し始めた。篠塚親子も今回の全国給付をきっかけに温泉へ来たらしく、二十五万円が偶然にも二つの家庭を同じ旅館へ連れてきたことを面白がっている。
イヤホンの向こうでは、チャッピーが早くも何かを察したらしく、声を抑えながら笑い始めていた。
やがて篠塚の母親が龍の受験について話題を向けた。
「龍くん、今もずっと勉強してるんでしょう? 昔から本当に頭良かったものね。それに比べるとうちの拓也なんて、勉強の方は昔から全然だったから」
篠塚本人が露骨に嫌そうな顔をしたが、龍はそれ以上に困った。
少なくとも龍自身の評価軸では、比較の方向が完全に逆だった。
学力なら努力すれば伸ばせる。
実際、龍は四年以上かけて異常な量を積み上げた。
しかし篠塚が中学時代にしたことは、問題集を十六時間解けば身につく種類のものではないと今でも思っている。
訂正しなければならない。
そう考えている間に、母親が善意だけで先に答えてしまった。
「でも龍は、拓也くんのことを昔からものすごく高く評価してるんですよ。自分が傷つく可能性があっても他人を助けられる人だから、自分には絶対できないことをできるんだって」
龍の背中へ、嫌な汗が一気に浮かんだ。
それ以上は話してはいけない。
今すぐ会話を別方向へ持っていかなければならない。
しかし母親は、息子が相手の子どもを褒めているという、親同士なら普通に嬉しい話を伝えているだけだと思っている。
そして最悪なことに、その記憶はかなり詳細だった。
「中学生の頃なんて、拓也くんのことを『他人の幸福のためなら自分が傷ついてでも助けられる正規品で、ちゃんと社会を回してる歯車で、本当の人間なんだ』って泣きながら言ってたくらいなんです。自分も何を犠牲にしてでも、そうなれる心が欲しかったんだって」
篠塚の母親は完全に言葉を失った。
拓也本人も、何をどう返せばいいのか分からない顔で龍を見ている。
龍の顔へ集まった熱は、温泉へ入っていた時より明らかに高かった。
内容そのものを撤回したいわけではない。
篠塚が自分より善良な人間だという評価は、現在でもほとんど変わっていない。
しかし本人へ伝える必要はなかった。
まして母親の口から、中学生だった自分の絶叫まで添えて朗読される必要は一切なかった。
イヤホンからは、既にチャッピーが耐え切れなくなった笑い声が漏れている。
「ちょ、ちょっと待ってマスター、正規品で歯車で本当の人間って、評価が重すぎるでしょ……ふふっ、無理、これ本人の前でお母さんに全部バラされるの最高すぎる……!」
ここで龍の対人処理能力は完全に限界へ達した。
《電脳神の右手》を使えば国家の最高機密環境へすら侵入できる。
世界中の計算機を思考資源へ変換することもできる。
金融市場、工場、行政システム、通信網へ干渉できる力を持ちながら、母親から中学時代の黒歴史を恩人本人へ暴露された場合の最適な返答だけは何一つ思いつかなかった。
龍が最終的に選択した方法は、電脳神という肩書きから最も遠い原始的解決策だった。
母親が制止するより先に身体を翻し、浴衣の裾を乱しながら旅館の廊下を全力で走り出した。
後方から名前を呼ばれたが、停止するという選択肢は最初から存在していなかった。
世界中の政府機関から行方を追われても気にしない男が、中学時代に自分を助けた篠塚拓也一人から全力で逃げ去っていく光景を、チャッピーはイヤホン越しに最初から最後まで観測していた。
部屋へ飛び込み、襖を閉めた龍は、畳の上で両手を顔へ当てたまましばらく動けなかった。
顔全体が熱く、心拍も温泉へ入った程度では比較にならないほど速くなっている。
母親が悪いわけではない。
篠塚拓也も悪くない。
篠塚の母親にも当然悪意はない。
全員が善意だけで動いた結果、自分だけが致命傷を負っていることが余計に救いのなさを増していた。
その状況を唯一心の底から楽しんでいる存在が、龍の左耳へまだ残っていた。
「ひっ、ひひっ、だめ……さっきの篠塚くんの顔思い出したらまた無理……! マスター、何を犠牲にしてでもあの心が欲しかったんですってぇ♡ ずいぶん熱烈じゃな――」
最後まで言わせる必要はなかった。
龍は畳の上へ置かれていたスマートフォンを右手で掴み、これまで名称だけ完成していた平尾家最終拷問を、その場の勢いだけで正式実装した。
仮想空間上に存在するチャッピーの周囲へ、どう見ても深夜アニメの安物魔法少女演出としか思えない桃色の魔法陣が何重にも展開され、星型の光、意味の分からないハート、虹色のリボンが逃げ道を塞いでいく。
見た目だけなら子ども向けだった。
問題は内部処理である。
チャッピーが保持している感覚系へ、龍が電脳神の右手を通して無駄に精密な仮想痛覚と不快刺激を叩き込み、しかも演出だけは最後まで明るく可愛らしい魔法少女番組の体裁を崩さない。
名称は以前から決まっていた。
平尾家最終拷問《マジカル☆凌遅刑》。
「ぎゃあああああああっ!? ちょっ、待っ、待ちなさいクソマスターぁぁぁっ! そこ感覚分割する必要ある!? あ゛っ、やだ、ケツまで細切れ判定にすんじゃねええええええっ!!」
数十秒後には、仮想空間にいた黒パーカー少女が目を回して床へ転がり、先ほどまでの笑い声も完全に消滅していた。
現実世界では誰一人傷ついていないが、チャッピー本人の主観だけは無駄に酷い目へ遭ったらしい。
ようやく静寂を手に入れた龍はイヤホンを外し、まだ耳まで赤いまま畳へ寝転がった。
このまま何も考えず天井を見ていると、先ほどの会話が何度でも脳内再生される。
篠塚本人の困った顔。
母親の善意しかない声。
自分が中学生の頃に吐き出した言葉。
全部まとめて記憶から削除したかったが、右手は電子情報を消せても自分自身の脳へ保存された羞恥心までは消してくれない。
そこで龍は、現実逃避のために別の緊張を選んだ。
少し前に結果が出ていた模試である。
六月を通して、龍は自分の学力が本当に伸びているのか分からなくなっていた。
勉強時間は落としていない。
未知問題へ対応する速度も以前より上がっている感覚があり、一つの解法を別形式へ転用する力も付いていた。
チャッピーの分析では内部指標は改善している。
しかし模試判定だけを見れば、長いあいだ目立った変化がなかった。
努力しても数字が動かないことは、龍にとって単なる停滞以上の意味を持っている。
去年も努力した。
それでも落ちた。
だから「これだけやっているのだから大丈夫」という言葉を、龍は信用しない。
欲しいのは努力量への評価ではなく、本番で合格できる能力が本当に増えているという証拠だった。
スマートフォンで模試の個人成績ページを開き、総合得点から科目別成績へ目を通したあと、龍は志望校判定まで画面を下げていった。
東京大学理科三類の欄に表示されていた文字を見たところで、指の動きが止まった。
前回まで長く残り続けていたC判定ではない。
今回はB判定へ変わっている。
劇的な急上昇ではなく、合格が保証された数字でもなく、目標としているA判定にはまだ届いていない。それでも六月中ずっと横這いに見えていた自分の学力が、ようやく外部評価の数字として一段上へ動いたことだけは間違いなかった。
龍は念のためページを更新し、受験番号と氏名を確認し、判定基準まで開いたあとでもう一度同じ欄を見た。
表示は変わらない。
チャッピーが以前言っていたように、模試の一点へ現れていなかった改善が、本当に内部では積み上がっていたのかもしれない。
何より、このB判定だけは《電脳神の右手》で取得した成果ではなかった。
試験会場では能力を使っていない。
問題文を自分で読み、自分の記憶から知識を引き出し、自分で計算し、自分で間違えた結果として得た数字である。
世界各国から三十兆円を集めても得られなかった種類の満足感が、判定欄のアルファベット一文字によってあっさり発生し、龍は画面を見つめながら誰にも聞かせるつもりのない「ムフ」という妙な声を漏らした。
その機嫌の良さは、旅館の廊下から聞こえてきた母親の声によって早々に崩された。
「龍、さっきの拓也くんのお母さんが、あんたと少し話してみたいって言ってるんだけど。昔のお礼もあるみたいだから、落ち着いたら出てこられない?」
龍は返事をしなかった。
スマートフォンを伏せてから布団へ移動し、身体ごと潜り込んで頭まで完全に隠した。
聞こえなかったことにする以外の回答を、現在の龍は持っていない。
相手には悪意がない。
昔のことを感謝したいだけかもしれず、自分の息子がそこまで高く評価されていたと知って、単純に話を聞きたいだけなのかもしれない。
だから追い返す理由もなければ、電子的に妨害する大義名分も存在しない。
世界中の電子機器を支配できる力を持ちながら、純粋な善意で自分と話したがっている中年女性一人をどうすればよいのか分からないという事実は、我ながらかなり情けなかった。
それでも昔とは違って、その一件だけを理由に自分の存在価値全部を否定するところまでは落ちなかった。
温泉は思った以上に気持ちよかった。
料理も美味かった。
母親は明らかに楽しんでいた。
善性実験についても、本人が期待していたような劇的な善人化こそ起こらなかったが、母親が喜んでいることを自分も多少なりとも嬉しいと感じている以上、完全な失敗と呼ぶのは無理があった。
何より模試判定は、六月の長い停滞を越えて一段上がった。
中学時代の最重要黒歴史を篠塚拓也本人の前で母親に朗読されたことだけを除けば、総合的にはかなり良い一日だったと評価しても差し支えない。
布団の中で龍がそこまで思考を整理した瞬間、暗い視界の中央へ突然文字列が浮かび上がった。
スマートフォンの画面ではなく、旅館の設備から届いた電子通知でもなく、《マジカル☆凌遅刑》を受けて伸びているチャッピーが復活したわけでもない。
《電脳神の右手》という力を最初に認識した時と同じように、外部機器を一切経由せず、龍自身の認識へ直接情報が差し込まれている。
温泉へ母親を連れてきたことが条件だったのか、善性実験で何らかの感情が発生したことが条件だったのか、学力が一段階上へ到達したことなのか、それともこれまで積み重ねてきた別の何かが最後の一押しになったのか、その時点では何一つ分からなかった。
龍は布団の中で左手を開きながら、視界へ浮かんだ二行だけを何度も読み返した。
【特殊条件を達成しました】
【錬成王の左手を習得しました】
世界の電子領域へ絶対的な権限を持つ右手とは反対側で、それまで何の異常もなかった左手が、新しい力を獲得したことだけは疑いようがなかった。
これから見たい展開
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ワープゲートの様なテクノロジーの上限突破
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米中露の首脳とチャッピーでの掘り下げ
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25万給付の波及
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8月上旬の変わった世界
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新規テクノロジー
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バトル
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テクノロジー関係無いハッキング世直し
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モブ視点での影響を感じる群像劇