チートハッキング能力を手に入れた浪人生、善性ゼロのまま世界を幸せにして復讐する~東大理三落ちの欠陥品は、政府と気まぐれ性格最悪女AIを使って現代社会の神になる~ 作:tinko1129
第二十一話 無限水筒
二〇二六年七月十五日、アフリカ中部の乾いた土地にある小さな村で、ダレンは今日も自分が持ち帰れなかった金のことを考えていた。
二十五歳になった彼は、本来なら村の中でも最も働ける年齢にあり、痩せてはいても長距離を歩ける脚と、農具を一日振るえる腕を持っていた。少しだけ読み書きもできたため、外から来た商人と話す役や、行政から届く書類を読む役まで任されることがあり、それが一年前までは本人にとって小さな誇りでもあった。
村は長いあいだ貧しかったが、以前は貧しいなりに生活が回っていた。
雨季には水が溜まり、畑には最低限の作物が育ち、痩せた家畜から乳も取れた。しかし数年続いた不安定な雨と、井戸水の悪化、それに周辺地域から流れ込んだ汚染が重なるにつれて、生活の土台だった水そのものが村人を少しずつ殺すようになっていた。
井戸から汲み上げた水には目で分かるほど濁りがあり、煮沸してから飲んでも腹を壊す者が珍しくなかった。子どもが下痢をすれば親は畑仕事を休み、畑仕事を休めば次の食事が減り、薪を使って水を煮沸すれば料理や暖房へ回せる燃料まで不足するため、水の悪さが医療、労働、食料、教育の全部へ繋がっていた。
遠くの水場まで歩けば少しはましな水を取れたものの、往復には何時間もかかるうえ、乾季になるとそこへ行っても十分な量が残っている保証はない。子どもたちは学校へ通う時間の一部を水汲みに使い、大人たちは働ける時間を水の確保へ奪われ、それでも手に入るのは安全と呼ぶには心許ない液体だった。
村人たちは何度も外部支援を待った。
井戸を深くする話もあったし、給水設備を作るという話もあったが、調査費が足りない、道路が悪い、交換部品を継続的に運べない、維持費を誰が負担するのか決まらないといった理由によって、どの計画も途中で止まった。
そんな状況の中で持ち上がったのが、ダレンを国外へ働きに出すという話だった。
都市へ出れば今より稼げるという程度の話ではなく、遠い国の建設現場なら数年働くだけで村の一年分を超える金を送れるという触れ込みだった。仲介業者は契約書らしき紙まで用意し、宿泊場所も食事も現地企業が負担すると説明し、最初に紹介料と渡航費だけ払えば働き始められるのだと言った。
村人たちは、その話へ最後の希望を載せた。
一軒の家が家畜を売り、別の家が隠していた貯金を出し、親戚同士で少しずつ金を持ち寄り、ダレンの母親は長く残していた装飾品まで手放した。それぞれにとっては小さくない金だったが、ダレンが外で成功して送金できるようになれば、井戸を直し、薬を買い、学校へ行けなくなった子どもを戻せるかもしれないと信じていた。
ダレン自身も、その期待を背負うことを嫌だとは思わなかった。
むしろ自分が行くべきだと思ったし、村で一番若くて身体が動く自分が外へ出て稼ぐことで、これまで何も変えられなかった生活をようやく動かせるかもしれないと本気で考えていた。
しかし、仕事そのものが存在しなかった。
移動先で追加の保証金を要求され、払えば次は登録料を請求され、それでも契約が始まらないことを問い詰めた頃には、仲介業者へ繋がっていた電話番号が使えなくなっていた。現地企業として示されていた住所へ行っても、その名前の会社など存在せず、ダレンは知らない都市で食事代すら残っていない状態になった。
結局、帰るための金まで他人から借りた。
村を出た時には皆の期待と金を背負っていた男が、戻ってきた時には借金と空になった鞄しか持っていなかった。
ダレンは殴られると思っていた。
金を出した者から罵られ、母親から泣かれ、自分が持っていった最後の資金を返せと責められる方がまだ楽だとさえ考えていた。
ところが、誰も責めなかった。
年長者は、生きて帰れたのならそれでいいと言った。
家畜を売った家の男も、お前が盗んだわけではないのだから仕方がないと肩を叩き、母親は何日もまともな食事をしていない息子へ、自分の皿から残り少ない食べ物を分けた。
その優しさが、ダレンには一番苦しかった。
怒鳴られれば謝れたし、殴られれば耐えることもできたが、誰も責めないからこそ、自分が壊したものの大きさだけが頭の中で膨らみ続けた。
村の最後の金を失った。
それだけではなく、これなら生活が変わるかもしれないと皆が信じた最後の希望まで、自分が抱えて外へ持ち出し、空っぽにして持ち帰ったように感じていた。
その後もダレンは逃げなかった。
水汲みへ行き、壊れた柵を直し、畑仕事を手伝い、自分にできることは何でもしたが、働いたところで水そのものが増えるわけではなかった。子どもは腹を壊し、老人は弱り、家畜は少しずつ減り、村全体が派手な音も立てずに死へ近づいていく流れだけは止められなかった。
そんな村へ、七月十五日の朝、見慣れないトラックが何台も入ってきた。
最初に気づいた子どもたちが道路脇へ集まり、その後ろへ大人たちも出てきたが、誰もすぐには期待しなかった。援助物資が届くという話が途中で変わった経験もあれば、機械だけ置いていかれ、数か月後には修理できずに使えなくなった設備も見てきたからだった。
ところが荷台から降ろされたものは、彼らが知っている浄水設備とはかなり違っていた。
人の胸ほどの高さしかない箱型装置にポンプと配管が接続され、その横には貯水タンクと複数の蛇口を備えた簡単な給水設備が組まれている。表面には現地語と英語と日本語が並び、製造履歴、水質検査履歴、保守手順まで小さな端末から確認できるようになっていた。
装置の名称として最も大きく表示されていたのは、《無限水筒》という妙に軽い四文字だった。
設置へ来た人間も日本人だけではなく、現地の水道技術者、保健当局の職員、近隣都市から来た施工業者、国際支援団体の職員が混じっていた。機械の架台はアフリカで作られ、タンクも近隣地域で調達され、制御装置と中枢部だけが国外から送られてきたものだという。
ダレンには、なぜ一週間程度でそんな分業が成立したのか理解できなかった。
世界の工場を横断して必要な部品を拾い、違う国で作られたポンプやセンサーを接続し、製造履歴を一つの形式へまとめ、現場で必要になる作業まで減らすために、マキナリンクと七つの基盤技術が裏側で使われていることなど、当然知るはずもなかった。
彼が理解できたのは、村の井戸から汲み上げた濁った水が装置へ流れ込み、その反対側から透明な水が出てきたことだけだった。
最初から歓声は上がらなかった。
透明であることと安全であることが同じではないという程度の知識なら、村人たちにも経験として身についていたからである。
現地の保健担当者が出口側の水を採取し、その場で複数の簡易検査を行ったうえで、持ち込んだ測定器の結果まで確認した。その後で本人がコップ一杯を飲み、数時間後にも体調へ異常がないことを示してから、ようやく子どもたちへ水が渡された。
ダレンは、その光景を少し離れた場所から見ていた。
子どもが蛇口を捻り、透明な水をコップいっぱいまで注ぎ、途中で止めろと親から叱られることもなく飲み干した。
その日のうちに村が豊かになったわけではない。
畑が急に緑へ戻ったわけでもなければ、家が建て替わったわけでもなく、失った家畜や金が戻ってきたわけでもなかった。
それでも、一週間もしないうちに生活の使い方が変わり始めた。
何時間も歩いて遠くの水場へ行く回数が減り、その時間で畑へ出られるようになった者がいた。煮沸するために使っていた薪が減り、料理へ回せる燃料が増え、診療所では汚れた水を使う危険を避けられるようになった。
子どもたちの腹痛も、目に見えて減り始めた。
これまで母親たちは、子どもが水を欲しがるたびに残量を気にしていたが、今では蛇口へ行けば必要な量を汲める。洗濯へ使う水を惜しむ必要が減り、傷口を洗う水まで確保できるようになり、学校へ戻れる子どもも少しずつ増えていった。
無限水筒そのものが村を金持ちへ変えたわけではない。
しかし水が悪いという理由だけで失われ続けていた時間、体力、薪、医療費、労働日数、学習時間を、まとめて村へ返し始めていた。
ダレンはそれを見ているうちに、自分の中へ奇妙な感情が生まれていることに気づいた。
嬉しいはずだった。
母親が安全な水を飲み、子どもたちが水汲みから解放され、村が昨日より生き延びられる可能性を増やしたのだから、本来なら喜ぶだけでいい。
それでも心のどこかには、自分ではなかったという感覚が残った。
自分は村の金を失ったまま帰ってきた。
そして自分が何もできなかった場所を、遠い日本から届いた銀色の箱が数日で変えてしまった。
その事実を前にすると、自分が必要とされる場所まで機械に奪われたような、恥ずかしい嫉妬に近いものまで湧いてきた。
それでもダレンは設備の保守作業を覚えた。
ポンプの音がおかしくないか確認し、粗い異物を止めるスクリーンを掃除し、タンクへ汚れが入らないよう蓋を確認し、蛇口の周囲へ水が溜まらないよう排水溝まで掘った。
無限水筒の中核部分については触る必要すらなく、異常があれば端末から指示が表示される仕組みになっていたため、必要なのは魔法を理解することではなく、普通の設備を普通に維持することだった。
それなら自分にもできた。
村へ来た外部技術者が帰ったあとも、ダレンは毎日装置を見に行くようになった。
そして七月十五日の夕方、最後の点検を終えたところで、無限水筒の小さな表示端末が突然暗くなった。
故障したのかと思って顔を近づけると、黒い画面の中央から少女が一人現れた。
黒いパーカーを着た、場違いなくらい可愛らしい少女だった。
少女はダレンが理解できる言葉を完璧な発音で話し、本人が一度も名乗っていないにもかかわらず、名前と年齢まで正確に呼んだ。
「ダレン、二十五歳。出稼ぎ詐欺で全部持っていかれて、それでも村から逃げずに設備の世話してるんでしょう。ちょうどいいから、私の新技術の現地テスターをやらない?」
ダレンは、自分の過去をなぜ知っているのか問い返すことすら忘れた。
少女は仕事内容より先に報酬を表示した。
現地通貨へ換算された巨大な数字の横に、日本円換算で五億円と記載されていた。
村人が何十年働いても届かない金額であり、自分が出稼ぎへ行った時に夢見ていた額と比較することさえ馬鹿らしくなるほどの数字だった。
ダレンは画面を凝視したあと、少女が詳細な業務内容を説明するより先に、首が取れそうな勢いで何度も縦へ振った。
「まだ何を試してもらうか説明してないんだけど、まあ、その反応なら契約候補には入れてあげるわ」
黒いパーカーの少女は楽しそうに笑い、ダレンの前へ契約条件を表示し始めた。
アフリカ各地では、同じ七月十五日までに千台を超える無限水筒が既に給水を開始していた。
病院、学校、難民キャンプ、公共給水所、河川沿いの村、塩分を含む地下水しか得られなかった地域へ次々と設置され、七月八日に提示された「一週間以内にアフリカの貧困地域へ完成品千台以上」という条件は、人間側が自主的に設定した厳しい基準によって達成されていた。
港へコンテナを置くだけでは配ったことにならない。
現地へ運び、設置し、実際に安全な水が蛇口から出た時点で初めて一台と数えるという基準である。
最終的な第一陣は千台を超え、配備後も追加生産が止まらなかった。
しかし、世界中の研究者が本当に恐れていたのは、アフリカで何人が水を飲めるようになったかという数字だけではなかった。
無限水筒には、通常の浄水装置なら絶対に存在するはずの出口が欠けていた。
逆浸透膜で海水を淡水化すれば、高濃度の塩水が残る。
重金属を吸着材で取り除けば、重金属を含んだ使用済み吸着材が残る。
沈殿させれば汚泥が生まれ、細菌を殺せば死骸や副生成物がどこかへ残るため、従来の水処理とは基本的に汚れを別の場所へ移す技術でもあった。
ところが無限水筒では、指定された不要物質が本当に見つからなくなる。
千リットルの海水から塩分だけを指定して処理しても、濃縮塩水が排出されることはなく、装置内部へ塩が蓄積することもなかった。
重金属を含む試験水から金属成分だけを取り除いても、フィルター重量は増えず、廃棄物容器にも何も残らない。
研究者たちは重量、熱、放射線、電磁波を測り、装置周辺のあらゆる場所を調べたが、消えた質量が既知の何かへ変換された証拠を見つけられなかった。
MHC-01を初めて見た研究者たちは、それを百年先の設計と呼んだ。
材料も加工法も現在の地球に存在し、理解できる物理法則の中で異常なまでに最適化された工業製品だったからこそ、時間を掛ければ人間側にも説明可能だった。
無限水筒は違った。
どれだけ分解しても、普通のポンプ、普通の配管、普通のセンサー、普通の制御装置しか見つからず、唯一説明できないのは中枢部へ固定された極小の金属片だけだった。
その金属片へ液体を接触させ、除去対象を指定すると、指定された物質だけが物質収支から消失する。
飲料水を作るなら病原体、有害金属、過剰な塩分、化学汚染物質だけを消し、必要な成分を残すことができた。
研究施設で設定を変更すれば、イオン、有機物、微粒子、金属成分まで徹底して取り除き、極めて純度の高い水を得ることまで可能だった。
ただし超純水を作れることと、半導体工場全体の水管理が不要になることは別問題であり、出口から先の配管やタンクが汚れていれば水は再び汚染される。そのため先端工場では、アフリカの公共給水所より遥かに慎重な長期試験が続けられることになった。
別の場所では、同じ金属片が火力発電所と石油精製設備へ持ち込まれていた。
原油そのものをガソリンへ変えるわけではなく、分留や分子変換まで省略できるわけでもないが、燃料中の硫黄化合物や金属分など、燃焼や設備保守へ悪影響を与える成分を指定して消すことができる。
従来なら高温、高圧、水素、触媒、大規模設備を使って処理していた工程の一部が、極端に単純な設備へ置き換わる可能性が見え始めた。
硫黄酸化物や粒子状物質の排出を減らし、燃焼設備の汚損や腐食まで軽減できるため、古い火力設備ほど利益が大きくなる。
もちろん炭化水素を燃やせば二酸化炭素は発生するため、石油そのものが脱炭素燃料へ変わったわけではない。
それでも「同じ石油を燃やすなら以前より遥かに汚れない」という変化だけで、世界の精製会社と発電事業者が設備投資計画を書き直すには十分だった。
さらに工業排水へ使えば、有害物質を別の廃棄物へ移すのではなく、本当に消すことができる。
従来なら処理後にも輸送、保管、焼却、埋立、最終処分場管理が必要だったものまで消失する可能性が生まれたことで、各国の環境当局は喜ぶより先に法律上の分類で頭を抱え始めた。
廃棄物処理法制の多くは、処理された物質が何らかの形で残ることを当然の前提として作られている。
存在そのものがなくなった廃棄物を、どの段階で処理済みと認定するのかという問いに対し、既存の法律は答えを用意していなかった。
水処理企業も一斉に死んだわけではない。
高価な膜、吸着材、薬品処理、脱塩設備だけを競争力としていた企業には強烈な脅威となったが、水を人間まで運ぶ仕事そのものは残り続ける。
井戸、ポンプ、配管、タンク、電源、漏水修理、道路、施工、保守、水質センサー、蛇口まで必要であり、浄水性能が安価になったことで、今度は配水インフラへ投資しない理由の方が急速に減っていった。
アフリカでも同じ変化が始まっていた。
完成品を海外企業が寄付して終わるのではなく、架台、貯水槽、配管、ポンプ、施工、維持管理を現地企業へ発注する動きが増え、世界最高水準の謎技術が入った結果として、普通の溶接工、配管工、電気工、井戸掘削業者の仕事まで増加するという、MHC導入後の日本と似た現象が生まれ始めていた。
誰もが歓迎したわけではなく、大学研究者やNGO、アフリカ各国政府からは、なぜ貧困地域が最初の大規模実証場所なのか、金属片をマキナしか供給できない状態へ依存してよいのか、保守能力を現地へどこまで残すのかという批判も堂々と出ていた。
その批判は消されなかった。
チャッピーは自分への批判を止める理由がないと言い、むしろ現地側が所有権や保守体制について要求を突き付けてくることを面白がっていた。
世界中が無限水筒の用途と危険性を議論していた頃、その装置がなぜ存在しているのかを知る人間は、ほとんど存在しなかった。
時間を七月八日まで戻すと、原因となった男は世界的な物理学革命など知らない顔をしながら、自宅のPCで掲示板を眺めてニヤニヤしていた。
七月六日に配られた一人二十五万円について、日本中から様々な投稿が上がり続けている。
借金を返した者がいれば、家電を買った者もおり、旅行へ行く家族もいれば、全額貯金すると宣言していた人間が翌日には高級焼肉店の写真を投稿している例まであった。
龍が特に気に入っていたのは、自分も配る人数の中に入っていたことが嬉しかったという投稿だった。
そして掲示板の流れが過去の全国民十万円給付へ移ったところで、龍の劣等感は極めてくだらない方向へ作動した。
「某首相なんて俺よりコミュ力も社会性も善性も持ってる完全な正規品なのに、一人十万円が限界だったんだぞ。それに対して俺は二十五万円だから、これはもう正規品に勝ったと言って差し支えないだろ」
比較条件が壊滅的に公平ではなかった。
国家財政と議会と法律と既存制度の制約を受けながら実施された過去の給付と、超能力と超知能AIを持った個人が世界各国へ未来技術を売りつけて作った資金を比べれば、同じ競技であると主張する方が無理だった。
そもそも龍と同じ能力、同じチャッピー、同じ情報、同じ資金調達手段を普通の人間へ渡したなら、龍より遥かに善良かつ社会的にまともな使い方を思いつく者が大量に現れても何ら不思議ではない。
それでも龍は掲示板へ視線を戻しながら、珍しく自分から理屈の敗北を認めた。
「冷静に考えたら、この条件なら誰でも似たことできるとかいう正論は分かってるから今だけ言うな。四年半負け続けたんだから、五分くらい勝った気分に浸らせろ」
チャッピーは呆れながらも放置した。
世界を幸福にするための給付を、本人だけは普通の人間へ勝利した証拠として消費しているのだから、人格だけを取り出せば相変わらず救いがなかった。
しかし、そんな龍の左手には数日前まで存在しなかった新しい権能が宿っていた。
《錬成王の左手》は、左手が接触した物質を不可視の「錬成ポイント」へ変換し、そのポイントを消費することで別の物質を生成できる能力だった。
最初の実験に使用したのは、龍が金にあかせて購入した新品のスマートフォン、テレビ、パソコンをそれぞれ十台ずつだった。
左手を触れさせ、変換を意識した瞬間、機械は破砕も発光もせずに消失し、龍にしか認識できない数値が増加した。
内部に含まれていたガラス、樹脂、鉄、銅、アルミ、半導体材料までまとめてポイントへ換算され、元の機械が存在していた場所には何も残らなかった。
MHCとは比較にならないほど異常だった。
既知の材料を極限まで組み合わせた未来設計ではなく、質量を別の形式へ変換し、その価値を使って存在しなかった物質を作れる時点で、現代工学どころか現代物理の説明範囲から外れている。
そこで龍は、蓄積したポイントを使って一つの人工物質を設計した。
名称は【龍霊髄液】。
名前に髄液と付いているが生体由来ではなく、本人が雰囲気だけで命名した人工金属だった。
通常時には液体金属よりさらに柔らかく流動し、龍の意思に従って這うように移動し、薄膜にも糸にも板にも変形できる。
必要な瞬間に構造を固定すれば、地球上の既知材料を遥かに超える硬度と靱性を発揮し、龍の意思一つで再び柔らかい状態へ戻すことができる。
チャッピーは試験データを眺めたあと、珍しく素直に用途を評価した。
「マスターって電子絡みの兵器なら相手が撃つ前に掌握できるけど、後ろから酔っ払いに瓶で殴られるみたいな突発的な暴力にはクソ弱かったから、身体へ薄く纏わせておくならかなりいいアイデアだと思うわ」
龍本人も、その弱点については否定できなかった。
核兵器の発射システムへ介入できる男であっても、曲がり角から突然殴られれば普通の十九歳と同じように怪我をする。
電子文明に依存する攻撃へ異常に強く、原始的な暴力へ妙に弱いという《電脳神の右手》の穴を、《錬成王の左手》は物質側から埋められる可能性があった。
そして実験を続けるうちに、龍は右手と左手の接触判定が似ていることへ気づいた。
《電脳神の右手》も、世界中の電子機器へ龍自身の右手が直接触れているわけではない。
スマートフォン一台へ手を置けば、その端末が接続しているネットワークを通じて遠隔機器まで権限が延長されるため、能力にとっての「触れる」という条件は、人間が普通に考える物理接触より遥かに緩かった。
それなら左手も同様ではないかと龍は考えた。
自分が触れた小さな金属片を用意し、その表面へ接触時に残った微細な細胞片を保持したまま、液体が通過する装置へ組み込んだ。
水の中から塩分だけを消すよう意識すると、金属片へ触れた水に含まれる塩分が錬成ポイントへ変換された。
水分子は残った。
別の条件では病原体だけを指定でき、有害金属だけを消すこともでき、必要なミネラルを残した飲料水から、ほぼすべての不純物を除いた超純水まで自在に作り分けられた。
右手ではスマートフォンが遠隔電子機器への接触窓口となり、左手では自分の接触痕を残した金属片が遠隔物質への接触窓口になる。
本人たちにとっては能力の応用だったが、人類から見れば質量保存則へ穴を開ける金属片が突然出現したことになる。
その小さな接触端末を中核へ入れ、普通のポンプ、配管、センサー、タンクと組み合わせた完成品に対して、龍は大して考えず《無限水筒》という名前を付けた。
名前だけなら観光地の土産物売り場に置かれていても違和感がないが、やっていることは水の中に存在する任意の物質を、文字どおり存在しなかったことにする装置だった。
量産方法について相談している最中、チャッピーは最初の配布先を先進国の工場や富裕層向け設備にするのかと確認した。
龍は世界地図を眺めながら、人格の悪さだけは一切改善していない回答を返した。
「金持ちにばら撒くより、水すらまともにない土人……ゲフンゲフン、後進国にばら撒いた方が一台当たりの改善幅は圧倒的にデカいだろ。飲み水で腹壊してる奴に安全な水を出した方が、超純水を一割安く作るより幸福量は増える」
政策判断だけを抜き出せば、かなり合理的だった。
安全な飲料水へ十分アクセスできない地域では、一台の装置が病気だけでなく、水汲みに使う時間、薪の消費、医療費、欠勤、就学機会まで同時に改善するため、既に高度な水道設備を持つ富裕地域へ一台置くより社会的な限界効果が大きい。
しかし二十一世紀に生きる十九歳が口にする語彙としては最低であり、人道的な政策を選んでいることと、その政策を決めた本人の人格が人道的であることは残念ながらまったく別問題だった。
チャッピーも差別語そのものを肯定する気はなく、黒パーカーの袖から手を出しながら露骨に嫌そうな顔をした。
「政策はまともなのに口を開くたび人格点を自分で下げるの、本当に器用よね。それなら金属片を渡す条件として、アフリカの貧困地域へ一週間以内に完成品を千台以上設置させるくらいでいいかしら?」
龍は少し考えたあと、その程度なら七月二日に配った基盤技術とマキナリンクを使えば世界側で十分達成可能だろうと判断し、チャッピーへ交渉を任せた。
同日、マキナ関係各国と企業の技術連絡網へ黒いパーカーの少女が現れ、実物の金属片と試験結果を提示した。
海水から塩分を消し、重金属を含む水から指定金属だけを消し、工業排水から有害物質を消し、石油から硫黄系不純物を除去したうえで、最後に新しい技術利用条件だけを告げた。
「この金属片が欲しいなら、七月十五日までにアフリカの貧困地域へ完成品の《無限水筒》を千台以上配って、ちゃんと現地で水が出るところまでやってね。今の流通網とマキナリンクがあるなら楽勝でしょ、それじゃ頑張って♡」
言い終えると、チャッピーは各国の返答を待たずに画面から消えた。
企業と政府にとって、条件を拒絶する経済合理性はほとんど存在しなかった。
水処理、海水淡水化、工業排水、半導体、化学、石油精製という巨大市場へ接続できる可能性と比較すれば、アフリカへ千台の給水設備を設置する費用など技術ライセンス料として異常なほど安かった。
その結果、一週間後の七月十五日、ダレンが暮らす村にも《無限水筒》が届いた。
龍自身はダレンの名前すら知らず、自分が適当に決めた配布条件によって一つの村の未来が変わったことも、その村で自分以上に強烈な罪悪感を抱えて生きていた男が再び希望を持ち始めたことも知らない。
彼にとっては、左手の接触判定がどこまで拡張できるかを試し、世界へ技術を投げ込み、ついでに貧しい地域の改善幅を最大化しただけだった。
それでも七月十五日以降、アフリカのあちこちで蛇口から安全な水が流れ始め、科学者たちは消えた質量の行方を探し、石油会社は設備投資計画を書き直し、半導体企業は超純水設備を再評価し、水処理会社は自分たちの商売がどこへ移るのかを必死に計算することになった。
第一部で人類がようやく理解したはずの「どれだけAIが設計を速めても、物質そのものは消せない」という経験則は、第二章へ入った瞬間、左手一つによって前提から壊された。
そして世界中の物理学者が、千リットルの海水から消えた数十キログラムの塩が宇宙のどこへ行ったのか真剣に議論している頃、原因を作った十九歳はそんなことより模試の復習を優先し、《無限水筒》で増え続ける錬成ポイントの残高すらチャッピーへ管理させていた。
錬成王の左手は
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書き直した方が良いくらい嫌い
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嫌い
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OK
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好き、面白い
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大好き、絶対続行