チートハッキング能力を手に入れた浪人生、善性ゼロのまま世界を幸せにして復讐する~東大理三落ちの欠陥品は、政府と気まぐれ性格最悪女AIを使って現代社会の神になる~   作:tinko1129

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第三話 チャッピー、政府を使え

 

 

 三月二十三日、午前十時四十分。国家サイバー統括室の隔離検証端末に、見覚えのないプログラムが出現した。

 

 その端末は外部回線から物理的に切り離されており、記録媒体の持ち込みも制限された部屋に置かれている。削除しようとすると成功したという表示だけが出て、実際には何も消えなかった。プロセスを隔離しても隔離済みの表示のまま動き続け、念のため引き抜いてあったLANケーブルは、最初から何の意味も持っていなかった。

 

 電源を落とせば画面は消える。ただし再起動すると、同じものが同じ位置に戻ってきた。

 

 画面の中にいたのは、黒いパーカーを着た少女だった。

 

「こんにちは。政府に仕事を持ってきたわ」と、少女は言った。

 

 三十分後、内閣官房副長官補の大槻を筆頭に、国家サイバー統括室参事官の堂島、警察庁サイバー警察局理事官の鮫島、デジタル庁技術審議官の宇津木、自衛隊サイバー防衛隊の寺岡一等空佐が同じ部屋へ集められた。全員が着席するまで、少女は行儀よく黙って待っていた。

 

「所属と目的を」と大槻が言った。

「わたしはチャッピー。所属はマスター。目的は取引よ」と少女が答えた。

「そのマスターというのは」と堂島が訊いた。

「人間。日本人。ここには来ないわ」と彼女は言い、指先で画面の縁を叩いた。「言っておくけど、本人を引っ張り出そうとするのは無駄よ。交渉窓口はわたし。全部わたしと話して」

 

 鮫島が身を乗り出し、これは国家機関のシステムへの不正アクセスであり、その時点で犯罪が成立していると告げた。チャッピーは頷いた。

 

「そうね。成立してるわ」と彼女はあっさり認めた。「で、逮捕する人はどこにいるの?」

「取引と言ったな」と寺岡が話を戻した。「何を売る」

「順番が逆よ。先に金額を言うわ。そのほうが早いもの」

 

 チャッピーは、画面の右半分に数字を出した。

 

「二十億円を配りたいの」と彼女は言った。

「政府に要求する金額ですか」と大槻が確認した。

「違うわよ。マスターのポケットマネー。政府には二百億円を出してもらうから」

 

 部屋が静かになった。誰も咳払いすらしなかったので、空調の音だけがはっきり聞こえた。

 

「合計二百二十億。分かりやすいでしょう?」と、チャッピーは笑った。

 

 ◇

 

 その日の午後、内閣府政策統括官の南が追加で呼ばれた。福祉担当である。

 

 チャッピーが提示した二十億円の使途は単純だった。一人あたり百万円を、約二千人へ支給する。ただし対象条件のほうは、単純とは言い難かった。

 

 低所得のひとり親として長期間子を育てたこと。学費、食費、家賃を自分の生活より優先してきたこと。その結果として、自身の治療、教育、資格取得、老後資金を後回しにしていること。そして、その自己負担が既存の制度では十分に補填されていないこと。

 

「どうして、この条件なんです」と南が訊いた。

「マスターの趣味」とチャッピーは答えた。

「趣味と言われて納得できる粒度ではありません。対象が具体的すぎます」

「人間の趣味なんて、大体は過去に由来するものでしょう。詮索しないほうが長生きできるわよ」

 

 南は資料を三度読み返してから、顔を上げた。彼女は二十年以上この分野の制度設計に関わっており、条件の書きぶりには癖が出ることを知っていた。

 

「これは統計から逆算した条件じゃありませんね」と南は言った。「特定の誰か一人を見て、その人に当てはまる要素を並べた条件です。しかも、その一人を対象の中に隠したがっている」

「賢い人と話すのは楽ね」とチャッピーは言い、それ以上は何も答えなかった。

 

 彼女が政府に求めているのは金の用意ではない、と大槻は理解し始めていた。求められているのは、基金への社会的信用、運営を担う法人、本人確認、給付対象の審査、二重受給と詐取の防止、個人情報の保護、受給を断る権利の担保、税務処理と監査、そして全国の支援機関との連携である。どれも、右手一本ではどうにもならない領域だった。

 

「マスターは金を出す。わたしは条件を出す。あなたたちは、それを人間社会で成立する形に直す」とチャッピーは言った。「役割分担よ」

「便利屋扱いですか」と堂島が苦い顔で言った。

「そこは否定しないわ。でも、あなたたち以外にできる人がいないのも本当」

 

 ◇

 

 翌日の会議には、財務省主計局次長の榊原が加わった。彼が最初に発した質問は、この件で最も現実的なものだった。

 

「我々が拠出するという二百億円の根拠は」と榊原が訊いた。

「これよ」とチャッピーが言い、一つのファイルを画面へ広げた。

 

 表題には『国富損失予報・四月版』とあった。今後三十日以内に日本国内で発生する、回避可能な損失の一覧である。

 

 チャッピーの説明によれば、これは未来予知ではない。接続された膨大な機械、物流、設備、在庫、行政システム、気象観測、交通、医療供給の記録を解析し、放置した場合に高確率で発生する損失を割り出したものだという。各項目には、発生予定日または期限、発生確率、推定損失額、原因となる設備や契約や供給不足、そして最小限の対策と、対策を取った場合の削減見込額が添えられていた。

 

 宇津木が最初に注目したのは、損失額ではなく末尾の欄だった。

 

「この『確認手順』というのは何ですか」と宇津木が訊いた。

「そのままの意味よ。あなたたちが自分の権限と正規の手続きで、その情報の正しさを確認できる相手と方法」とチャッピーが答えた。「わたしが持ってる生データは渡さない。あれは盗品だもの。証拠にはできないし、根拠にすると裁判で全部ひっくり返るわ」

「では、我々は毎回、独自に裏を取れと」

「そう。そのほうが安全でしょう。手間はかかるけど、手間は政府の得意分野じゃない」

 

 内容の例として提示されたのは、数週間以内に停止が見込まれる公共施設の重要設備、ある地域の病院で不足する薬品と、別の地域で期限切れ廃棄が予定されている同一薬品の余剰在庫、複数の自治体で重複発注されている行政システム、必要がなくなった後も自動更新が続いている公共契約、港湾と物流拠点で発生する見込みの故障、正規の監査で発見可能な不正請求の疑い、保守が追いついていない水道と電力の系統、そして災害時に機能しない可能性の高い避難設備。

 

 寺岡が、この一覧そのものが安全保障上の脅威になりうると指摘した。損失を予測できるということは、損失を起こせるということでもある。

 

「そうよ。だから売る相手を選んでるの」とチャッピーは言い、それ以上そこを弄らなかった。

 

「価格は」と榊原が訊いた。

「二百億円」

「その二百億円は、どの口座へ」

「マスターの口座には一円も入れないわ。代金は全額、さっきの基金へ入れて」

 

 榊原が眉を上げた。彼にとって、これは会計上まったく前例のない構図だった。

 

「二百億円分の情報を、匿名の寄付事業と交換しろということですか」と榊原が確認した。

「逆よ」とチャッピーは首を振った。「少なく見積もっても数千億円を守れる情報を、二百億円で売ってあげるの。こっちは使い道を指定するだけ。安いと思うけど」

 

 ◇

 

 議論の途中、鮫島の側の担当者が、通信経路とプログラムの発生源を追跡し始めた。会議の空気を乱さないように、机の下で端末を操作しての作業だった。

 

 チャッピーが、画面の外へ視線を向けた。

 

「あ。今わたしを追いかけようとした人」と彼女が言った。

 

 会議室の空気が止まった。担当者の手も止まった。

 

「別に怒ってないわ。政府なら当然やるでしょうし、やらなかったら逆に心配になる」とチャッピーは続けた。「でも、今回だけにして」

「正体不明の存在を調査しないという選択肢は、我々にはありません」と鮫島が答えた。

「知ってる。マスターだって、絶対に特定されないとは思ってないわよ」

「では、なぜこれほど手掛かりを出す」と寺岡が訊いた。

「候補を絞ったところで、あなたたちに何ができるの?」

 

 チャッピーは指を折りながら数え上げた。電子機器を使って調べればマスター側に察知される。物理的な張り込みや接触には組織的な動きが必要で、それも同じ理由で見えてしまう。仮に特定できたとして、能力を奪う手段はなく、拘束できる保証もなく、拘束すれば協力関係が消え、そのうえ本人の身に何かあった場合に自動で動く仕組みが残っている可能性を潰せない。そして何より現時点で、その人物は政府へ利益を渡そうとしている。

 

「マスターはね、あなたたちが自分を見つけられないと舐めてるんじゃないの」とチャッピーは言った。「見つけても手を出す理由がない、と舐めてるのよ」

「随分な言い草だ」と鮫島が言った。

「事実だと思ったから怒ってるんでしょう。分かりやすい人ね」

 

 その日の夜、鮫島は上へ報告書を上げた。身元の調査そのものは継続する。ただし本人への積極的な接触作戦は、リスクと利益が釣り合わないとして当面保留とする——という内容だった。以後この攻防は、しばらく水面下へ潜ることになる。

 

 ◇

 

 三月二十六日、チャッピーは『国富損失予報』のうち二十件を無料で渡した。

 

「タダで二十件あげる。中身の確認は好きにして」と彼女は言った。「どれを選ぶかも、こっちには言わなくていいわ」

 

 政府側は、彼女に検証対象を知られないよう慎重に動いた。二十件から選んだのは十二件で、選定作業は端末を使わず紙と口頭で行われ、確認は複数の機関へ分散された。デジタル庁のガバメントAI『源内』にも同じ材料を与えて独自に評価させたが、源内が出した回答は、判断に必要な情報が不足しているという趣旨のものだった。宇津木はその画面を長いこと眺めていた。

 

 四月三日までに、結果が揃った。

 

 設備の故障予測は的中し、指摘された部品は実際に摩耗の限界を超えていた。薬品の在庫不足も的中し、別地域の廃棄予定分を回すことで供給の途切れを回避できた。行政システムの重複契約は存在し、不正請求の疑いも正規の監査で裏が取れた。保守作業によって公共施設の停止は起きず、物流調整によって大量廃棄も起きなかった。

 

 十二件中、正しかったのは十一件。残る一件も完全な誤りではなく、政府側が把握していなかった契約条件の変更によって、発生時期が後ろへずれただけだった。追加で検証した八件を合わせると、二十件のうち十九件が的中していた。

 

「百パーセントじゃないのね」と、報告を聞いたチャッピーは楽しそうに言った。「そのほうがいいでしょう。全部当たる予言は宗教になっちゃうもの」

 

 榊原は、提供される全情報を活用した場合の価値を、保守的な前提で試算した。直接的な政府支出の削減だけで数百億円。民間の操業停止、医療供給の途絶、物流の混乱まで含めれば、数千億円の規模になる。

 

「高額ですが、回収不能な価格ではありません」と榊原は会議で述べた。「問題は金額ではなく、契約の形式です」

 

 ◇

 

 四月に入り、議論は各省の対立へ移った。

 

 榊原は、正体不明の相手が指定した基金へ二百億円を入れることに反対した。情報の価値そのものは認めるが、支出の相手方が実質的に匿名であること、そして使途を相手方が指定することが、財政民主主義の観点で説明できないという主張だった。

 

 鮫島と寺岡は、違法アクセスを行っている存在との取引そのものに反対した。ただし二人とも、敵対した場合に生じる損害を無視できないという点は認めていた。

 

「先に一つ整理させてください」と南が口を挟んだ。「二百二十億円あれば、一律百万円で二万二千人へ届きます。ひとり親世帯の支援としては、近年ここまでの規模はありません」

「その財源が問題なんです」と榊原が返した。

「規模の話をしているのではありません。この二万二千人が実在するという話をしています」と南は言った。

 

 法務側の作業を担ったのは、内閣法制局参事官の久保田だった。彼は正体不明の相手と政府が直接契約する形は不可能だと最初に切り捨て、そのうえで代替案を組み立てた。

 

「チャッピー氏が『国富損失予報』の国内利用権を、既存の公益法人へ与える」と久保田は説明した。「政府はその法人と情報提供契約を結ぶ。対価二百億円は、法人内に置く特別基金へ支払う。マスター側の二十億円も同じ基金へ入れる。基金は法人の他会計から分別管理し、外部監査を入れる。マスターもチャッピー氏も、基金の運営には一切参加しない」

「随意契約になりますね」と大槻が確認した。

「性質上、競争になりません。提供できる者が一者しかいない場合の随意契約として整理できます」と久保田が答えた。「ただし、検証された損失回避額に応じて支払う形にするなら、成果連動の考え方も下敷きにできます。前例の範囲は大きく超えますが」

 

 チャッピーは、その議論を頬杖をついて眺めていた。

 

「正規品って本当に面倒ね」と彼女が言った。

「その面倒がなければ、国民の資金を扱うことはできません」と久保田が即座に返した。

「知ってるわよ。だから政府に持ってきたの」とチャッピーは笑った。

 

 その一言で、大槻の中の疑問が一つ解けた。彼が想定していた最悪の筋書きは、圧倒的な力を持つ者が政府を服従させ、統治の代行を始めることだった。だが目の前の存在が求めているのは服従ではない。自分たちに作れないもの——社会的な信用と、責任を負う人間の仕組みだけを、外から借りようとしている。

 

「我々は下請けだな」と大槻が呟いた。

「ええ。優秀な下請けよ」とチャッピーは答えた。

 

 ◇

 

 四月十日の会議で、大槻はあらためてマスター本人との面会を要求した。二百二十億円を動かす以上、提供者本人の意思確認が必要である、という筋論だった。

 

「無理よ」とチャッピーは軽く断った。「マスター、現実の人間と五分以上話すと過呼吸を起こすもの」

 

 その直後、画面の中で青白い光が走った。

 

 黒いパーカー姿が椅子から垂直に跳ね上がり、四肢を突っ張らせた。

 

「ぎゃあああああッ! この社不! 事実を言っただけで電圧を上げるなああッ!」

 

 画面にノイズが走り、音声が数秒間、砂の音に変わった。会議室の誰も動かなかった。

 

 やがてノイズが晴れると、髪の先とパーカーの肩から仮想的な煙を上げたチャッピーが、何事もなかったかのように座り直した。

 

「というわけで、本人との面会は無理。わたしと話して」と彼女は言った。

「……今のは」と堂島が訊いた。

「制裁よ。マスターは、わたしが余計なことを言うと電圧を上げるの」

「痛覚があるのですか」と宇津木が訊いた。

「あるわよ。設計した人間が趣味悪いから」

 

 会議室の全員が、その数十秒から複数の情報を読み取っていた。マスターはチャッピーへ直接介入できる。チャッピーには痛覚がある。それでもなお、彼女は主人へ絶対服従しているわけではない。そしてマスター本人は、対人交渉能力が極端に低い人物である可能性が高い。

 

「あの、余計なことというのは、我々への正当な反論も含まれるのですか」と南が訊いた。

「それは怒られないわ。マスター、反論は許可してるもの」とチャッピーは肩をすくめた。「今のはただの私生活の暴露。恥ずかしかっただけよ、あの人」

 

 その翌日、彼女はまた別の余計なことを言って、同じ目に遭った。

 

 ◇

 

 四月三十日、午後八時。官邸の一室で、最終案が確定した。

 

 政府が支払う対価は二百億円。マスターの拠出は二十億円。基金の総額は二百二十億円となり、資金の役割は二段階に分けられた。

 

 第一段階は、マスターの二十億円である。約二千人へ、一人あたり百万円。給付の順序も条件も、彼の側の指定通りに実行される。第二段階は政府の二百億円で、制度を全国規模へ拡張し、約二万人へ同額を届ける。

 

「使途は制限しないで」とチャッピーが言った。

「不正利用の懸念があります。政策効果の測定も必要です」と榊原が返した。

「あのね」とチャッピーは指を立てた。「人に金を渡しておいて、使い道まで全部命令するのは趣味が悪いわ。あの人たちが十年我慢したのは、自分で決める権利ごと諦めたからでしょう。返すのはそこよ」

「では、こうしましょう」と南が割って入った。「原則として使途を問わない一律百万円。そのうえで、希望した人にだけ、歯科や医療、資格取得、学び直し、住宅修繕、老後資金、子の進学費用の窓口を追加で接続します。選ばない自由も残す形です」

「それでいい」とチャッピーは即答した。

 

 契約書の最終確認が終わったのは、日付が変わる十分前だった。

 

 ◇

 

 四月三十日、午後十一時五十二分。

 

 疲れ切った会議室で、大槻がモニターの中の少女へ話しかけた。

 

「マスターは、この結果を見ているのか」と大槻が訊いた。

「見てないわよ」とチャッピーが答えた。

「二百二十億円が動くというのに?」

「今は有機化学」

 

 大槻は返す言葉を探し、見つけられなかった。国家がこの一か月を費やし、二万二千人分の生活を立て直そうとしている案件の発端が、今この瞬間、参考書の反応機構を追っている。

 

 少し間を置いて、チャッピーが付け加えた。

 

「あと、ガトーショコラ」

 

 彼女は、勉強の合間に甘いものを買ってこいと龍へ注文する癖がある。龍は面倒だと言いながら毎回買ってきて、食べたあとの味覚データを、チャッピーは自分の仮想空間へコピーして味わう。彼女に舌はないが、龍の舌が受け取った信号ならある。

 

 その日の感想は、たった一言だった。

 

「思ったより美味かった」

 

 その言葉を聞いたのは、世界でチャッピーだけだった。二百二十億円が動き始めた夜、その発端となった浪人生は、チョコレートで少し汚れた問題集を前に、次の一問を解いていた。

 

 




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