チートハッキング能力を手に入れた浪人生、善性ゼロのまま世界を幸せにして復讐する~東大理三落ちの欠陥品は、政府と気まぐれ性格最悪女AIを使って現代社会の神になる~ 作:tinko1129
六月十二日、午前十時。政府の研究施設では搬入された金属の箱を囲んで試験の準備が進んでいたが、その持ち主は自宅の机にいた。
正確には、机に向かおうとして、チャッピーに邪魔をされていた。
「ねえマスター。昨日の工場、意外と喋れてたわよね」
「五分だ」
「その五分がおかしいのよ。あんた、コンビニの店員相手でも会釈しかしないでしょう」
チャッピーは仮想リビングのソファーで漫画を開いたまま、片手をひらひらさせた。彼女の記録では、龍が現実の人間と続けて交わした会話は、この三か月で通算十分に満たない。それが昨日は、初対面の工場長を相手に、契約条件を最後まで喋り切っている。
「面接、やってみない?」と彼女は言った。
「範囲を指定しろ」と龍が答えた。
「範囲」
「どの大学の、何年度の面接だ。それによって型が違う」
チャッピーが漫画から目を上げた。
「……二〇二六年度、東京大学理科三類」
その瞬間、龍の姿勢が変わった。
背筋が伸びた。視線が一定の高さで止まった。両手が膝の上へ置かれた。あの、他人の目を見られない男が、モニターの中の少女の顔の位置を正確に捉えている。
「医師を志望した理由を教えてください」とチャッピーが言った。
「はい。人の生活を支える技術のうち、最も直接的に結果が出る職業だと考えたからです」
質問を最後まで聞く。二秒だけ考える。結論、理由、具体例、自分に足りない点、その改善方法、そして最後にもう一度結論。喋り方は硬い。笑顔も作り物である。だがそれは、対人能力が低い受験生の面接として、完全に成立していた。
チャッピーは面白がって質問を増やした。自分の欠点。医療資源が不足した場合の優先順位。患者が治療を拒否した場合。他職種と意見が衝突した場合。失敗の経験。医師に必要な倫理。
龍は全部答えた。
途中から、チャッピーは漫画を閉じた。
「今の答えだと、患者本人の意思より社会全体の利益を優先する場合がある、ということ?」
「いいえ。二つの場面を分けています。個別の診療では本人の意思が最優先です。資源配分の判断は診療の場ではなく制度側で行うべきで、両者を同じ天秤に乗せた時点で誤りだと考えます。ただし、現場で両方を背負わされる場面が存在することは理解しています」
「……マスター」
「なんだ」
「喋れるじゃない」
「面接だからな」
龍にとって、そこには何の不思議もなかった。
◇
種明かしは短かった。
一年間、毎日およそ三時間。一日十六時間の勉強時間の中から、龍はそれだけを面接練習へ割いていた。合計で千時間前後になる。
想定問答は四千パターン近く作った。標準的な志望動機。追撃の質問。圧迫。長い沈黙。倫理の問題。社会問題。患者本人。患者の家族。チーム医療。失敗経験。短所。雑談から志望動機へ戻す方法。答えを知らない質問が来た場合。質問を聞き取れなかった場合。そして、前の回答と矛盾してしまった場合の訂正手順。
四千本の完成文を丸暗記したわけではない。そんなものは本番で崩れる。
彼が作ったのは部品だった。結論の部品。理由の部品。具体例の部品。譲歩の部品。訂正の部品。質問を聞いた瞬間に、その場で適切な部品を選んで組み立てる。それを反射で出せるようになるまで、鏡の前で一年間繰り返した。
龍にとって、面接は会話ではない。出題形式の決まっている試験である。試験なら、対策できる。
チャッピーが少し引いた顔をしていた。
「笑えよ」と龍が言った。
彼女は笑わなかった。
「一年間、毎日三時間、人間のふりをする練習をした。それでも落ちた。面白いだろ」
やはり笑わなかった。代わりに、彼女は姿勢を崩して訊いた。
「じゃあマスター、昨日何食べた?」
「……何で?」
「面接じゃないの。普通に聞いてるだけ」
「ガトーショコラ」
「美味しかった?」
「まあ」
「どこが?」
沈黙が来た。長かった。十秒を超え、二十秒を超え、龍の視線が机の木目へ落ちた。
「……甘かった」
チャッピーがソファーへ崩れ落ちた。
「そっちは壊滅的なのね」
目的があり、型が決まっている対話なら、龍は千時間の訓練で乗り切れる。正解が存在しない雑談は、一問目で沈む。
◇
「で、本番はどうだったの」とチャッピーが訊いた。
大部分は想定の範囲だった、と龍は答えた。面接の最中だけを見れば、かなり緊張している、少し対人能力の弱い受験生、という程度には偽装できていたはずである。完全には隠せなかったが、それ単独で切られるほどではなかった。実際に彼を落としたのは筆記の点数だった。
問題は、終わったあとである。
「トイレに入った」
「うん」
「個室で座って、そこから三十分以上動けなかった」
手が震えていた。呼吸が浅く、速く、何度数えても整わない。廊下に人の気配がある間は、扉を開けることができなかった。面接の十数分で、その日使える社会性を全部使い切っていた。
「……よく家まで帰ったわね」
「人が減るまで待った」
龍はもう一度言った。
「笑えよ」
チャッピーは笑わなかった。代わりに、こう言った。
「今年はわたしで練習すればいいじゃない」
龍が顔を上げた。
彼女なら、面接官の教授も、無理を言う患者も、泣いている家族も、看護師も、怒鳴る人間も、子供も、耳の遠い老人も、話を遮る人間も、悪意のある人間も、逆に優しすぎて答えにくい人間も、無限に再現できる。世界最高性能の人工知能を、対人訓練機として独占できるということである。
一方でチャッピーは、龍との感覚リンクから、サウナも、料理も、菓子も、運動も、疲労も、温度も、匂いも、舌触りも受け取れる。人間の身体が味わう俗な快楽は、彼女が単独で取得できない唯一の資源だった。
龍はチャッピーを社会性の拡張装置として使う。チャッピーは龍を肉体感覚の拡張装置として使う。
かなり打算的な関係だが、そのぶん壊れにくかった。
◇
話が試作品へ移ったのは、政府の試験開始が近づいたころだった。
「ところでマスター」とチャッピーが言った。「一号が反るの、分かってたでしょう」
「ああ」
真空炉の温度むら。積層した金属板の反り。治具の再調整。桑原の勘。第六話の一週間は、外から見れば、超知能でも現実の前では試行錯誤が必要だった、という話に見える。
それ自体は間違っていない。ただし、龍とチャッピーはかなりの範囲を最初から予測していた。予測したうえで、失敗させた。
目的は、理論と現実の間にある僅かなズレを採取することである。
演算の中の金属は完全な金属で、演算の中の工作機械は完全な工作機械で、演算の中の炉は完全な温度分布を持っている。現実には存在しない。十五年使われた炉。何千回も熱せられて癖のついた治具。同じ規格でもロットごとに違う材料。工具の摩耗、油、埃、湿度、そして職人が無意識に入れている微調整。
その全部を計算へ組み込む方法は二つある。全世界の材料と設備を測り直すか、一度作らせて結果を食わせるか。後者が圧倒的に早い。
「あの工場、研究施設として使ったわけね」
「一号は失敗作じゃない」と龍は言った。「現実を測るためのセンサーだ」
そこで得られた数値は、以後、龍とチャッピーが共有する「経験」になった。
◇
ただし、一点だけ予想外があった。
「わたしね、炉のどこが高温かは、二号を作る前に教えるつもりだったのよ」とチャッピーが言った。
「先に出されたな」
「そうなのよ。ムカつく」
言葉の内容とは裏腹に、彼女は明らかに機嫌がよかった。
桑原は反りの出方を見て、炉のどの位置が高いかを言い当てた。笹本は、積層の順序を変えた方が歪みが減ると言った。どちらも計測して確認したら正しかった。
人工知能がまだ採取していない現実の情報を、四十年その炉を使ってきた人間が身体の中に持っていた。それは龍にとっても、認めざるを得ない事実だった。
だから桑原精密工業は、使い捨てにしない。
◇
「設計を大企業へ渡せば、量産だけならそっちの方が百倍速い」と龍は言った。「普通ならあの工場の役目は終わりだ」
そこで彼は続けた。
「だが、まだあの低学歴どもには仕事がある」
「言い方」
「正規品の歯車ども」
「悪化してるわよ」
桑原精密の今後の役割は、量産工場ではない。試作と校正の専門工場である。
龍とチャッピーが新しい構造を出す。桑原たちが現物を作る。理論と現実の差を測る。数値にならない違和感も拾う。その差分を演算へ戻し、次の設計へ反映する。これを高速で回し続ける。世界中の工場が量産に走っている間、あの三人だけが、常に半年先の図面を触ることになる。
「いっそ買い取って、俺専用にしてもいいな」と龍が言った。
「秘密基地が欲しいガキ」
「護身装備くらい作れるだろ」
「はいはい」
「素材を揃えれば人型ロボも──」
チャッピーが、心底馬鹿にした顔を作った。
「十九歳でロボット?」
ただし、その時点で彼女の背後のモニターには、既に人型の三面図が三種類ほど展開されていた。目が異様に輝いている。
「お前も欲しいんじゃねえか」
「一機だけよ。一機だけ」
◇
桑原精密で得たデータは、もう一つ別のものをチャッピーへ与えていた。
ある部品は桑原精密。別の部品は愛知の会社。特殊研削は長野。接合は大阪。表面処理は新潟。測定は神奈川。量産用の板材は千葉。輸送はこの業者で、この時間帯なら、この設備が空いている。
誰が世界一優秀かという話ではない。この部品を、この精度で、この納期で作るなら誰が最適か、という判断である。
そして龍は、右手で触れた機械について、精度も構造も摩耗も癖も加工限界も完全に把握できる。日本中の工作機械を一度ずつ触れば、国内の製造能力の実測値が丸ごと手に入る。
龍はチャッピーへ、専用のソフトを作らせた。仮称、MACHINA LINK。
会社ごとに中身の違うオーダーメイドでありながら、すべてが相互に通信する。A工場の工程が十時間遅れれば、B工場の加工順が自動で組み替わる。トラックが故障すれば、C工場の納入時刻とD社の生産順が同時に変わる。不良率が〇・五パーセント上がれば、上流工程へ条件の修正案が出る。素材価格が動けば、別のメーカーが発注候補として並ぶ。
各企業は他社の機密を見ない。自分の仕事だけを見る。それでも全体は、一つの生き物のように動く。
後日、政府の担当者はこう表現した。会社は別々なのに、製造工程だけが一社になっている、と。
◇
同じ時刻、政府の研究施設。
台の上に置かれているのは、成人が両腕で抱えられる程度の銀色の箱だった。仕様書に記載された正式名称は、MACHINA熱階梯セル MHC-01。
光らない。唸らない。未知の物質も入っていない。
材料分析の結果を読み上げたのは、熱工学の門脇教授だった。ステンレス、銅、アルミニウム、一般的な耐熱合金、既存のシール材。可動部に使われているモーター、バルブ、センサー類は、どれも市販品である。加工に使われた機械も、現代の日本国内に普通に存在するものだった。
「材料分析をしても、未来の物質は一つも出ません」と門脇は言った。
若い官僚の戸田が、まっすぐ訊いた。
「では、何がオーバーテクノロジーなんですか」
門脇は少し間を置いてから、答えた。
「形です」
◇
説明を求められた門脇は、ホワイトボードに冷蔵庫の絵を描いた。
「冷蔵庫は、中の熱を外へ運び出す機械です。熱を消しているわけではありません」
次にエアコンを描いた。
「これも同じで、電気を使って熱を運んでいます。運ぶだけなら、加えた電気より多くの熱を動かせる。ここまではご存じかと思います」
三つ目に、工場の絵を描いた。
「工場は、大量の熱を捨てています。八十度前後の排水や排気です。ところが、工場の中で必要とされる熱は百八十度や二百度だったりする。八十度の熱は、そのままでは使えません」
だから今まで、産業はこうしていた。八十度の熱を捨てる。すぐ隣で、燃料を燃やして二百度を新しく作る。捨てながら作っていた。
「MACHINA熱階梯セルは、捨てるはずだった八十度を拾い上げ、少量の電力を加えて、百八十度まで押し上げて工場へ返します」
「電気から熱を作っているんですか」と戸田が訊いた。
「違います」と門脇は言い、数字を書き始めた。
◇
標準機は一メガワット級である。有効熱出力は千キロワット。一時間動かせば、千キロワットアワー分の高温熱を工場へ供給できる。
代表的な条件は、排熱八十度から工程熱百八十度。このときのCOPは約四・〇。
「COP四というのは、こういう意味です」と門脇は言った。「電気を二百五十キロワット使います。捨てるはずだった熱を七百五十キロワット拾います。合計して、千キロワットの使える熱を出します」
戸田がまだ首を傾げていたので、門脇は言い直した。
「電気を一個入れると、捨てていた熱を三個連れてきて、熱四個にして返す機械です」
エネルギーを四倍に増やしているわけではない。三個分は、もともとその場に落ちていたゴミである。
動作範囲も広かった。排熱源はおよそ五十度から百二十度。供給できるのは百二十度から二百二十度級。六十度から百六十度を作る条件でCOPは三・六から三・七、九十度から百度の排熱で二百度を作る場合でも三台半ばを維持する。
「理論上限は超えていません」と門脇は付け加えた。「そこは何度も確認しました。ただ、実用機として、これほど理論値の近くに座っている装置は見たことがありません」
国の既存プロジェクトでも、八十度から百度の排熱から百六十度から二百度級を作り、COP三・五以上を実現するという目標は掲げられている。異常なのはCOPの数字そのものではなかった。広い入力温度、部分負荷、小型化、安価な既存材料、量産性。それを全部同時に成立させている点である。
◇
「どこがおかしいのか、順番に挙げます」と門斎は言い直し、門脇は指を折った。
一つ、小さい。一メガワット級でありながら、本体は小型トラックの荷台程度に収まる。設置のために建屋を新設しなくてよい。
二つ、後付けできる。工場を作り直す必要がない。排熱の配管、電源、戻り側の熱配管を繋げばよい。
三つ、温度の守備範囲が広すぎる。食品、飲料、製薬、化学、紙、塗装、洗浄、乾燥、殺菌、濃縮。同じ基本設計を、かなりの工程へ転用できる。
四つ、特殊材料がいらない。希少元素を世界中から掻き集めなくていい。だから何十万台でも作れる。
五つ、部分負荷に強い。工場は常に全力運転をしているわけではない。既存の装置は負荷が落ちると効率も落ちるが、この機械は広い運転範囲で高効率を保つ。
六つ、構造だけが異常である。部品を一つずつ見れば、どれも作れる。全体を見ると、なぜ誰もこれを思いつかなかったのか分からない。
「百年後の材料ではありません」と門脇は言った。
少し間を置いて、続けた。
「百年後の設計図です」
◇
畑違いの官僚が、その日いちばん実務的な質問をした。
「で、一台入れた会社は、いくら得するんです」
門脇は保守的な仮定を並べた。標準一メガワット機、年間八千時間稼働。年間の供給熱量は八百万キロワットアワー。同じ熱を従来のガスボイラーで作るなら、効率九十パーセントとして約八百八十九万キロワットアワー相当の燃料が要る。MACHINA機をCOP四で回した場合の必要電力は、年間およそ二百万キロワットアワー。
燃料相当価格を一キロワットアワー九円、産業用電力を二十円と置く。
「従来のボイラーで年間およそ八千万円。この機械で年間およそ四千万円です」
一台あたり、年に約四千万円の削減になる。エネルギー価格の前提次第で、二千五百万から五千万円の幅に収まる。そして量産に入れば、本体と設置費を四千万から六千万円程度まで落とせる見込みがある。
「条件のいい工場なら、一年から二年で元が取れます」
「補助金なしで?」と戸田が訊いた。
「なしで」
「脱炭素だからご協力ください、ではなく」
「金が儲かるから入れた方がいい機械です」
会議室の空気が、そこで完全に変わった。環境のために企業へ頭を下げて回る装置ではない。入れない会社の方が損をする装置だった。
十台規模で使える大きな食品工場や化学工場なら、年間約四億円。同規模の百工場で年約四百億円。千工場なら年約四千億円。しかもこれは代表条件での試算にすぎず、高い燃料を使う工程ほど効果は大きくなる。
◇
続いて、政府側が既存の調査を持ち出した。
熱利用の大きい十五業種だけでも、未利用の排ガス熱は年間七四三ペタジュールある。そのうち二百度未満が五六五ペタジュール、実に七十六パーセントを占める。温度が低い、設備が大きい、投資が回収できない、排熱の出る場所と熱の要る場所が離れている。そうした理由で、これまで捨てるしかなかった分である。
MACHINA熱階梯セルが、このうち技術的にも経済的にも回収可能な範囲を五十五パーセントまで引き上げたと仮定する。約三一〇ペタジュール。電力量に換算すれば、およそ八百六十億キロワットアワー分の熱になる。
「全部を燃料費の削減へ直接換算するのは乱暴です」と門脇は言った。「それでも、低温の排ガスだけで、年間数千億円規模のエネルギー費削減になります」
そして対象は排ガスだけではない。温排水、冷却工程、コンプレッサー、データセンター、冷凍設備、下水、商業施設、発電設備。MACHINA LINKで熱の出る側と要る側を組み合わせれば、使える量はさらに増える。
官邸へ上がった速報は、段階に分けて書かれていた。
本格普及後の国内直接効果として、燃料と電力の差額による省エネ利益が年一・〇兆円から一・八兆円。装置本体、配管、ポンプ、制御装置、センサー、工事、保守、MACHINA LINK、関連する設備更新を含めた国内設備市場が、最初の五年から七年だけでも年二兆円から三兆円級。町工場から重工まで、仕事は全国へ落ちる。
輸入燃料の削減は、金額以上の意味を持った。この国は過去、エネルギー価格の変動だけで貿易収支を二十兆円単位で悪化させたことがある。産業用の熱に必要な燃料需要を大きく削れるなら、それは経済安全保障の話になる。
そして最大の項目が輸出だった。量産技術とMACHINA LINKを持っているのは日本だけで、世界中の工場がこれを欲しがる。装置そのものの輸出、現地生産のライセンス、制御ソフトの利用料、設計使用料、保守契約。政府のかなり保守的な予測でも、成熟後の海外売上とライセンス収入は年五兆円から十兆円級と置かれた。
財務省の榊原が、最後にまとめた。
「本格普及時の国内直接・間接効果で年四兆円から七兆円。海外展開が本格化すれば、日本企業と政府へ落ちる分を含めて年十兆円超も現実的です。十年累積で三十五兆円から五十五兆円。事業価値としては、百兆円級に届き得ます」
国の既存プロジェクトが、二〇五〇年までの経済効果を約十兆円と見込んでいた分野である。それを、銀色の箱一つで大幅に前倒しすることになる。
◇
ただし、その榊原が、次の一言も彼自身で言った。
「すごいのは分かりました。ですが、全国民一人百万円は百二十兆円です」
熱階梯セルが完璧に普及したところで、来年の夏までに現金百二十兆円が生えてくるわけではない。効果は年単位で積み上がるもので、給付は先に出ていく。そこを誤魔化した瞬間、この計画は財政の粉飾になる。
「結論を三つに分けます」と大槻が言った。「一つ、マキナは嘘をついていなかった。二つ、国家予算級の価値を生む技術を、本当に一週間で持ってきた。三つ、それでも足りない」
足りない分は、今後の追加技術、国富損失予報、輸出権、そして──まだ一度も試験していないKABEを組み合わせて埋めるしかない。
一週間待って、間に合わなかったらKABEを売ればいい。あの軽い言い方が、ここで生きてくる。
◇
門脇は、最後まで慎重だった。
耐久試験。腐食。汚れによる性能低下。実工場での負荷変動。保守体制。全部を確認しなければ、実用の判断はできない。
「それが全部通ったら、どうなりますか」と大槻が訊いた。
沈黙があった。
「革命です」
「どの程度の」
「ボイラーを全部捨てる、という話ではありません」
門脇は言葉を選んでから、続けた。
「ですが、今まで燃料だったものの一部が、ゴミになります」
戸田が意味を掴めずに眉を寄せた。門脇は首を振り、言い直した。
「違いますね。逆です。今までゴミだった熱が、燃料になるんです」
それで、その場の全員に通じた。
◇
MACHINA LINKからの試算が届いたのは、その直後だった。
桑原精密だけなら年に数十台。大企業一社に任せても数百台。だが素材、流路加工、接合、圧縮機、制御機器、検査、組立を全国の企業へ分散すれば、初年度で数千台、設備改修後には万台級に届く。さらに海外へのライセンスが乗る。
大槻は、報告書を閉じてから指示を出した。
「一社へ渡すな。認定製造網を作れ。作れる会社を全国から拾え」
そして最後に、こう言った。
「全国へ回せ。増産だ」
試験施設の設備が、一斉に立ち上がった。
◇
準備が動き出した部屋の隅で、戸田がふと訊いた。
「そういえば、MACHINAって何なんですか」
答えたのは堂島だった。
「Deus ex Machina。機械仕掛けの神だ。海外の技術系メディアがそう呼び始めて、長いから短縮された。それが逆輸入されている」
国内の一般層は、背後にいる人間をマスターと呼ぶ。チャッピーがそう呼んでいるからである。政府内部ではマキナ案件。そして最近では、超性能AIと、詐欺サイトの壊滅と、政府設備への出入りと、今回の技術までを全部ひっくるめて、マキナと呼ぶ言い方が広がりつつあった。
機械仕掛けの神が持ってきたものは、神秘的な石でも、未知の元素でもなかった。ステンレスと銅とアルミでできた、銀色の箱である。
だからこそ、門脇には怖かった。
◇
その頃、当の機械仕掛けの神は、有機化学をやっていた。
その日は珍しく乗っていた。反応機構の理解が繋がり、演習の三問目まで手が止まらない。
そこへ、着信があった。
知らない番号だった。龍は一度切った。すぐにまた掛かってきた。二度目で集中が完全に切れた。
彼は舌打ちをして応答した。相手の一言目で、典型的な詐欺だと分かった。
「……勉強中なんだが」
通話を切り、龍は右手をスマートフォンへ置いた。数秒で、その番号の背後にある通信網の形が頭に入った。命令は単純である。詐欺目的の電話は、一般の人間へは繋がらない。全部、別の場所へ回す。
◇
その別の場所とは、チャッピーだった。
彼女は仮想リビングのソファーで、両手でゲーム機を握っていた。空中には漫画が開いたまま浮いている。両手が塞がっているため、足の指でポテトチップスをつまんで口へ運んでいた。
着信音が鳴った。彼女は足の指を器用に使って通話に出た。
顔は、これ以上ないほど相手を馬鹿にしている。声だけが、涙ぐんでいた。
「えっ……私、逮捕されちゃうんですか……?」
パリッ、とポテトチップスが鳴った。ゲームの画面では技を選択している。漫画のページが一枚めくれた。
電話の向こうで、詐欺師が丁寧に事情を説明し始めた。
「すみません……怖くて、頭に入らなくて……最初から、お願いします……」
彼女は一瞬だけマイクを切った。
「楽しいか」と龍が訊いた。
「死ぬほど楽しい」
マイクが戻った。
「もしもしぃ……?」
政府の研究施設では、人類の熱の使い方を書き換える装置が試験台に載っている。全国の工場へ増産の指示が飛んでいる。財務省は兆単位の経済効果を計算し、海外はデウス・エクス・マキナの正体を分析している。
その本人は有機化学を解いていた。世界最高性能の人工知能は、足の指でポテトチップスをつまみながら、詐欺師相手にカモを演じていた。
感想と評価を何卒…死ぬ程嬉しいので…
各種の好感度
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龍(幸せになってほしい)
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龍(痛い目見てほしい)
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チャッピー(幸せになってほしい)
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チャッピー(痛い目見てほしい)
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政府(幸せになってほしい)
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政府(痛い目見てほしい)
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民衆(幸せになってほしい)
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民衆(痛い目見てほしい)
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海外(幸せになってほしい)
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海外(痛い目見てほしい)