必須項目
全長、全幅、速力、馬力、兵装、艦歴(かなり詳しく)、艦娘にした場合の設定(艦娘の見た目は鵜来型)(時々岡山弁が出るときがある)
海防艦 犬島
改鵜来型海防艦「犬島」
1. 基本概要
艦名:犬島(いぬじま)
艦種:海防艦
艦型:改鵜来型海防艦
建造所:岡山県玉野市・玉野造船所
艦名の由来:岡山県岡山市東区の犬島
犬島は、鵜来型海防艦の基本設計をもとに、玉野造船所での分割建造・溶接工法に適応させた改良型海防艦である。
船団護衛と対潜戦闘を主任務としながら、瀬戸内海の浅い港湾や狭い水道でも行動しやすいよう、鵜来型よりわずかに船体幅を広げ、低速時の操縦性を改善していた。
一方で、急速建造による工作精度のばらつきから、竣工直後には推進軸の振動や浸水、聴音機への雑音混入といった問題を抱えている。
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2. 性能
項目| 内容
全長| 78.9メートル
水線長| 76.2メートル
全幅| 9.20メートル
吃水| 3.08メートル
基準排水量| 975トン
公試排水量| 1,065トン
満載排水量| 1,185トン
機関| 艦本式22号10型ディーゼル機関2基
推進| 2軸
馬力| 4,200馬力
最大速力| 19.5ノット
航続距離| 16ノットで約5,000海里
乗員| 149名、戦争末期は最大164名
電探| 二十二号対水上電探1基、十三号対空電探1基
水中探信儀| 三式水中探信儀
水中聴音機| 九三式水中聴音機
兵装・竣工時
- 四十五口径三年式十二糎単装砲:3基
- 九六式二十五粍三連装機銃:2基
- 九六式二十五粍単装機銃:6基
- 九四式爆雷投射機:2基
- 爆雷投下軌条:2条
- 爆雷:120個
- 九五式爆雷および二式爆雷を混載
1945年7月時
- 四十五口径三年式十二糎単装砲:3基
- 九六式二十五粍三連装機銃:2基
- 九六式二十五粍連装機銃:2基
- 九六式二十五粍単装機銃:10基
- 十三粍単装機銃:2基
- 爆雷投射機:2基
- 爆雷投下軌条:2条
- 爆雷:約140個
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3. 設計上の特徴
玉野造船所向けの分割建造
犬島は、艦首・中央部・艦尾の三つの船体区画を別々に組み立て、船台上で接合する方式が採用された。
玉野造船所は商船や補助艦艇の建造経験が豊富だった一方、小型軍艦を短期間で大量建造する設備には余裕がなかった。このため、工場内で組み立てた船体区画を大型台車で船台まで運搬する方式が取られている。
この工法によって建造期間は短縮されたが、中央部と艦尾を接合した部分にわずかなねじれが生じ、竣工後もしばらく右舷推進軸に強い振動が残った。
船体幅の拡大
鵜来型より全幅を約10センチ広げ、燃料庫と爆雷庫の配置を変更している。
これにより復原性と低速航行時の安定性が向上した一方、同じ機関出力で船体抵抗が増えたため、最大速力は鵜来型とほぼ同等に留まった。
対潜兵装の強化
艦尾甲板には爆雷搭載スペースが広く取られ、通常の鵜来型より多くの爆雷を搭載できた。
また、爆雷投下時の艦尾への衝撃を軽減するため、艦尾内部の縦通材が補強されている。この補強は後に、機雷接触による損傷を受けた際、船体の破断を防ぐことにつながった。
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4. 建造
計画
犬島は1943年9月、船団護衛艦艇の不足を補うために追加された戦時建造計画によって発注された。
当初は標準的な鵜来型として建造される予定だったが、玉野造船所側から、
- 曲面部分を減らした船体構造
- 艤装品の種類削減
- 商船用工作機械を利用できる部材寸法
- 船体区画の分割建造
などの変更案が提出された。
海軍艦政本部は、速力や航続距離に大きな影響を与えないことを条件に変更を認め、犬島は非公式に「玉野型」「玉野改鵜来型」とも呼ばれた。
起工から竣工まで
- 1944年2月11日:起工
- 1944年5月:船体中央部完成
- 1944年6月:艦首・艦尾区画を接合
- 1944年8月9日:進水
- 1944年10月:係留運転開始
- 1944年11月24日:竣工
進水式では、玉野周辺の学校から集められた児童や造船所従業員の家族が見守ったとされる。
しかし進水直後、艦尾区画の浸水試験で溶接部から複数の漏水が確認された。さらに公試運転では右舷推進軸が毎分280回転付近で激しく振動し、艦尾区画全体が震える問題が発生した。
修正作業のため竣工は当初予定より約三週間遅れたが、戦況の悪化により完全な解決を待たず就役している。
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5. 艦歴
1944年11月――竣工
1944年11月24日、犬島は玉野造船所で竣工した。
竣工時の初代艦長は、船団護衛任務の経験を持つ予備少佐・河野正晴であった。
犬島は呉鎮守府籍となり、竣工翌日に玉野を出港。宇野沖を経て呉へ向かった。
ところが出港直後から右舷推進軸の振動が再発し、速力を十五ノット以上に上げられなかった。さらに聴音機には機関振動による雑音が入り、対潜艦艇として重大な問題を抱えていた。
呉で約十日間の緊急修理を受け、推進軸の軸受を交換。完全には解決しなかったものの、十八ノットまでの航行が可能となった。
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1944年12月――最初の船団護衛
12月18日、犬島は門司から上海方面へ向かう輸送船団の護衛に加わった。
これが初の実戦任務であった。
12月21日未明、済州島南方で聴音員が左舷前方に断続的な推進音を探知した。犬島は船団を右へ変針させ、自らは音源へ向かって爆雷十二個を投下した。
この音源は後に海流に流された漂流物だった可能性が高いと判断されたが、犬島の早い判断によって船団は対潜隊形を取ることができた。
初任務では敵潜水艦との交戦こそなかったものの、犬島の乗員にとっては対潜戦闘の緊張を初めて経験した航海となった。
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1945年1月――輸送船救難
1945年1月8日、犬島は上海から門司へ向かう輸送船五隻を護衛していた。
午前4時過ぎ、船団中央を航行していた陸軍輸送船「東亜丸」が魚雷を受け、機関室付近から急速に浸水した。
犬島は魚雷の航跡を確認すると、船団と魚雷の発射地点の間へ進出。爆雷十八個を投下して敵潜水艦を牽制した。
続いて沈没しつつある東亜丸へ接近し、短艇と縄梯子を使って乗員・乗船者の救助を実施した。
波浪によって両艦が接触する危険があったが、犬島は機関を細かく前後進させながら船体を維持し、最終的に184名を救助した。
東亜丸はその約三十分後に沈没した。
犬島の甲板は救助者であふれ、爆雷投射機の周囲や十二糎砲の下にまで人が横たわった。犬島の乗員は自分たちの食事や毛布を救助者に渡し、負傷者を艦長室や士官室に収容した。
この一件から、犬島は護衛部隊内で「拾い上手の犬島」と呼ばれるようになった。
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1945年2月――航空攻撃
2月14日、犬島は輸送船六隻からなる「モタ四〇船団」の護衛として台湾方面へ向かった。
五島列島西方で敵艦載機十一機の攻撃を受け、船団は低空からの機銃掃射と爆撃にさらされた。
犬島は船団の外側へ出て対空射撃を行い、十二糎砲には対空用の三式弾を装填。二十五粍機銃とともに弾幕を形成した。
爆弾一発が左舷約十メートルに落下し、その水柱で艦橋の窓が割れた。機銃員三名が負傷したが、船体に致命的な損傷はなかった。
輸送船「若葉山丸」が至近弾で舵を損傷すると、犬島は曳航索を渡して船団後方から曳航した。航海中に二度索が切れたものの、翌朝までに応急操舵装置の修理が完了し、若葉山丸は自力航行を再開した。
犬島はこの戦闘で敵機一機を撃墜したと報告したが、公式には「撃墜不確実」と判定された。
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1945年3月――夜間対潜戦闘
3月9日深夜、犬島は高雄から上海へ向かう小型輸送船団を護衛していた。
午前1時17分、水中聴音機が船団右舷後方から接近する推進音を探知。直後、輸送船の船首前方を魚雷一本が通過した。
犬島は敵潜水艦の推定位置へ急行し、三度にわたって合計58個の爆雷を投下した。
三回目の攻撃後、海面に大量の気泡と油膜が浮上した。木片らしき漂流物も確認されたが、潜水艦の撃沈を証明するものは発見されなかった。
戦後の調査でも該当する潜水艦の喪失は確認されず、敵潜水艦は損傷しながら離脱した可能性が高いとされている。
この戦闘では爆雷の連続投下によって、犬島自身の艦尾外板にも亀裂が生じた。右舷軸の振動も悪化し、帰投後に佐世保で応急修理を受けた。
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1945年4月――瀬戸内海輸送
戦局の悪化によって外洋船団の運航が減少すると、犬島は瀬戸内海の燃料・弾薬輸送船護衛に回された。
主な航路は徳山、呉、広島湾、宇品、玉野、神戸の間であった。
敵機による空襲だけでなく、瀬戸内海に投下された機雷の危険も増していたため、犬島は掃海艇と協力しながら輸送船の前路警戒を担当した。
4月27日、備讃瀬戸を航行中、犬島の見張員が海面に浮かぶ機雷を発見した。
犬島は船団を停止させ、十二糎砲で機雷を射撃。七発目で爆発させた。
爆発地点が予想より近かったため艦橋に破片が降り注いだが、負傷者はなかった。
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1945年5月――対馬海峡の戦い
5月19日、犬島は釜山から門司へ向かう輸送船二隻を護衛していた。
対馬海峡北部で敵潜水艦の雷撃を受け、魚雷一本が犬島の艦尾近くを通過した。
犬島は魚雷の発射方向へ反転し、爆雷攻撃を実施。その間に輸送船を沿岸方向へ退避させた。
敵潜水艦は再び魚雷を発射したが、犬島はこれを回避した。魚雷は後方を航行していた輸送船の船尾をかすめ、爆発せず沈んだ。
犬島は約二時間にわたり探索を続けたが、敵潜水艦を捕捉できなかった。
この戦闘で右舷機関の冷却水管が破損し、一時は片軸航行となった。それでも犬島は輸送船を門司まで護衛している。
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1945年6月――機雷接触
6月12日、犬島は関門海峡西方で磁気機雷に触雷した。
爆発は左舷艦尾下方で発生し、左舷推進軸が曲損。艦尾外板が広範囲に変形し、爆雷庫にも浸水した。
後部居住区では乗員四名が死亡、十一名が重軽傷を負った。
爆雷庫に海水が流入し、一部の爆雷が船体内で転がる危険な状態となったが、乗員たちは浸水区画へ入り、爆雷を固定した。
犬島は右舷機関のみで六ノットを維持し、護衛に来た掃海艇とともに門司へ帰投した。
艦尾区画の損傷が大きかったため、呉や佐世保ではなく、建造所である玉野造船所へ回航されることになった。
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1945年6月から7月――故郷での修理
6月20日、犬島は約七か月ぶりに玉野へ帰還した。
造船所の作業員たちは、自分たちが建造した犬島の損傷を見て言葉を失ったという。
艦尾外板は大きくへこみ、左舷推進軸は使用不能となっていた。しかし、建造時に追加された艦尾補強材によって、船体そのものの破断は防がれていた。
修理では左舷推進軸、舵取機、爆雷投下軌条を交換。艦尾外板の約三割が新造部材に張り替えられた。
資材不足のため、交換用外板には建造中止となった小型輸送船の鋼材が転用されている。
7月24日、修理中の玉野周辺が敵機の空襲を受けた。
犬島は左舷機関を分解した状態で動けなかったが、甲板上の機銃は使用可能だった。乗員と造船所作業員が共同で二十五粍機銃を操作し、来襲機に対して射撃した。
爆弾二発が犬島の近くに落下し、艦首外板が変形したものの、沈没には至らなかった。
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1945年8月――終戦
犬島の修理は8月10日にほぼ完了した。
8月14日には公試運転が実施され、最大十八・八ノットを記録した。建造時から続いていた右舷推進軸の振動も、軸系全体を調整したことで大きく軽減されていた。
しかし翌8月15日、終戦を迎えた。
犬島は玉野沖に停泊した状態で終戦を迎え、乗員たちは艦上で玉音放送を聞いた。
艦長は乗員を後甲板に集め、
「この艦は敵艦を沈めるためだけに造られたのではない。最後まで人を送り届け、人を連れ帰る役目が残っている」
と訓示したとされる。
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6. 戦後
復員輸送
武装を撤去された犬島は、復員輸送艦に指定された。
十二糎砲や機銃、爆雷兵装は取り外され、甲板上に簡易居住区と天幕が設置された。
1945年10月から1946年8月まで、上海、釜山、博多、佐世保、舞鶴を結ぶ復員輸送に従事。合計九航海を行い、約4,600名の軍人・軍属・民間人を日本へ送り届けた。
輸送中、犬島の乗員は子どもや高齢者を士官室に入れ、自分たちは甲板や通路で睡眠を取った。
また、船酔いした復員者のために、玉野で積み込んだ麦飯を柔らかく炊き直して粥にしたという記録も残された。
掃海支援
1946年9月からは、瀬戸内海の航路啓開作業に参加した。
犬島自身が機雷を除去するのではなく、掃海艇への燃料・食料補給、気象観測、遭難艇の救助を担当した。
かつて機雷によって損傷した犬島が、戦後は機雷除去を支える側に回ったことから、乗員たちは「犬島らしい最後の仕事」と語った。
除籍
長期間の酷使によって船体と機関の老朽化が進み、1948年4月に除籍。
巡視船や練習船への転用案も出されたが、右舷推進軸周辺の構造疲労と燃費の悪さから断念された。
犬島は玉野造船所へ回航され、1949年から1950年にかけて解体された。
艦名板、号鐘、右舷錨、十二糎砲の照準器が保存され、号鐘は後に玉野港近くの海事資料館へ寄贈された。
犬島の最後の艦長は、解体前の艦内を見て回り、艦橋の壁に小さく、
「おかえり、犬島」
と書き残したという。
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7. 艦としての評価
犬島は敵艦撃沈などの目立った戦果を持たない。
しかし、船団護衛、対潜警戒、輸送船救助、損傷船曳航、復員輸送、掃海支援と、一貫して「誰かを無事に送り届ける」任務に従事した。
海軍内での評価は、
«機関に難あり。速力は平凡。ただし、護衛艦として最も必要な粘り強さを持つ。»
というものであった。
右舷推進軸の振動、聴音機への雑音、浸水しやすい艦尾など、多くの欠点を抱えていたが、損傷しても任務を放棄せず、最後には必ず帰港する艦だった。
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8. 艦娘としての設定
艦名
海防艦・犬島
外見
鵜来型海防艦の艦娘と共通する、幼く小柄で素朴な外見。
身長は約136センチほどで、細身ながら脚や腕には造船所育ちらしい健康的な力強さがある。
髪は黒に近い濃紺色。肩に届かない程度の丸みを帯びた短いボブヘアで、右側に桃の花を模した小さな髪留めを付けている。
瞳は、瀬戸内海の夕暮れを思わせる明るい琥珀色。
服装は鵜来型に近い、白い半袖の水兵服と紺色のプリーツスカート。襟には淡い水色の線が入り、胸元には深緑色のスカーフを結んでいる。
靴下は白い膝下丈。靴は飾りのない茶色の編み上げ靴。
制服の縫い目や裾には何度も修繕された跡があり、本人はそれを恥ずかしがらず、
「直して使えるんなら、それが一番ええじゃろ」
と言っている。
艤装を装備した際は、背部に小型の爆雷投射機と投下軌条を備え、左右に鵜来型と同系統の十二糎単装砲を装着する。
性格
真面目で控えめ。派手な戦果よりも、仲間や輸送船を無事に帰すことを何より重視する。
自分から前に出て話すことは少ないが、周囲をよく観察しており、困っている艦娘がいれば黙って手を貸す。
掃除、修理、荷物運び、食事の配膳などを率先して行い、誰かに褒められると少し困ったように笑う。
普段は標準語で話すものの、安心したとき、焦ったとき、怒ったときには岡山弁が混ざる。
特に、
- 「じゃけぇ」
- 「しとる」
- 「ええんよ」
- 「ぼっけぇ」
- 「でぇれぇ」
- 「無理せんでええ」
などが出やすい。
ただし、本人は自分が方言を使っていることにあまり気づいていない。
岡山県への思い
玉野造船所で生まれたことを強く誇りに思っている。
同じ岡山県の地名や名物の話をされると、普段より明らかに口数が増える。
特に玉野港、宇野港、児島湾、犬島、備讃瀬戸の景色が好き。
鎮守府の地図で岡山を見つけると、指で玉野の位置を押さえながら、
「ここ。うちが生まれたんは、ここなんよ」
と静かに教えてくれる。
故郷を離れて長くなると少し寂しそうにするが、「帰りたい」とは言わない。
本人にとって玉野は、帰る場所であると同時に、自分を送り出してくれた場所でもあるためである。
戦闘時の性格
対潜戦闘では非常に冷静。
敵潜水艦を深追いするよりも、船団と敵潜水艦の間に入り、攻撃を妨害する戦い方を好む。
味方が損傷すると、自分の安全を後回しにして救助へ向かおうとする傾向がある。
艦隊決戦や砲撃戦は不得意だが、護衛任務、対潜哨戒、輸送作戦では高い能力を発揮する。
爆雷攻撃を行う直前だけ、普段とは違う低く強い声になる。
「ここから先は行かせん。みんなのところへは、絶対に行かせんけぇ」
弱点
機関振動の記憶から、床や壁が小刻みに震える場所を苦手としている。
大型艦の機関室や、工廠の大型機械が動いている場所では、不安そうに足元を確認する。
また、艦尾付近を強く叩かれると、機雷に触雷したときの記憶がよみがえり、反射的に身をすくめる。
それでも本人は、
「大丈夫。壊れたら、また直しゃあええんよ」
と笑ってごまかす。
好きなもの
- 祭り寿司
- 白桃
- きびだんご
- 瀬戸内海の穏やかな夕暮れ
- 金属を叩く造船所の音
- 古い道具を修理して使うこと
- 小型輸送艦や補給艦
- 復員船や救難艦の話
- 温かい麦粥
苦手なもの
- 食べ物を粗末にすること
- 任務中に仲間を置き去りにする判断
- 艦尾付近で鳴る大きな衝撃音
- 「目立った戦果がない」と言われること
- 救助できなかった人の名簿
- 造船所や港が空襲される夢
他の艦娘との関係
鵜来型の艦娘たちを姉のように慕っている。
自分が純粋な鵜来型ではなく「玉野で造られた少し違う艦」であることを気にしていたが、鵜来型の仲間から「同じ海防艦でしょう」と受け入れられたことで、強い絆を持つようになる。
駆逐艦に対しては少し遠慮がちだが、護衛任務で一緒になると非常に頼りにする。
工作艦や明石型の艦娘には特に懐きやすく、修理中に工具を手渡したり、外した部品を種類ごとに並べたりして手伝う。
輸送艦や補給艦が傷つけられると、普段からは想像できないほど強く怒る。
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9. 代表的な台詞
入手時
「改鵜来型海防艦、犬島です。岡山の玉野で造ってもろうたんよ。派手なことはできんけど……みんなを無事に帰すんは、任せてください」
母港
「提督、何か運ぶものはありますか? 重たいものでも、うちが持ちます」
「この服、またほつれとる……でも大丈夫。これくらいなら、自分で直せるけぇ」
「岡山のこと? えっと……玉野の港は、夕方がぼっけぇ綺麗なんよ」
放置時
「静かじゃなあ……造船所の音が聞こえんと、ちょっと寂しいかも」
編成時
「犬島、護衛任務に出ます。今度もみんなで帰ろうな」
出撃時
「前を見て、横を見て、後ろも見る。誰も置いていかんけぇ」
対潜攻撃時
「見つけた。船団には近づけさせん!」
「爆雷、投下! ここは通さんけぇ!」
被弾時
「艦尾が……っ。でも、まだ動ける。まだ護れる!」
小破時
「これくらい、玉野で受けた傷に比べたら……大したことないんよ」
中破時
「浸水を止めて! 爆雷は固定して! 慌てんでええ、うちはまだ沈まん!」
補給時
「ありがとぉ。食べ物は、一粒も無駄にせんようにするけぇ」
修理時
「また直してもらえるんじゃな……えへへ。ちょっとだけ、玉野に帰ったみたい」
勝利時
「全員、無事ですか? ……うん。それなら、うちの勝ちでええよ」
轟沈時
「ごめんなあ……今度は、帰れんみたいじゃ……。でも、みんなは先に行って。うちがここで……海の道を、護っとくけぇ……」
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10. 艦娘としての象徴
犬島は、強力な砲や華々しい戦果を象徴する艦娘ではない。
何度壊れても修理され、損傷した仲間のそばに残り、最後の一人まで連れて帰ろうとする艦娘である。
彼女にとって勝利とは、敵を多く沈めることではない。
出撃した全員が、再び鎮守府の灯りを見ることである。
そのため犬島は、帰投した艦娘たちを港で迎えるたびに、安心した顔でこう言う。
「おかえり。よう帰ってきたなあ。もう大丈夫じゃけぇ」