海防艦 犬島   作:重装甲空母信濃

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準中型貨物船が犬島の側面に衝突、破断は無いが押し続けられ幅の広い河口に侵入、鉄道橋に衝突しかけるが直前で停止。仮に犬島と衝突していなければ定時運行していた列車ごと落下いていた。犬島は正しい航路を航行し、貨物船側も意図的にぶつけたものではなく舵が故障し航路から外れたことによる衝突。


犬島第三次久瀬川河口進入事故 河口12 営業列車4両

海防艦・犬島

 

――久瀬川鉄橋前、停止――

 

第三次久瀬川河口進入事故

 

久瀬川。

 

犬島にとって。

 

できれば事故では近づきたくない場所になりつつあった。

 

一度目。

 

推進・操舵能力を失いかけ。

 

錨を使って河口付近で停止。

 

二度目。

 

民間土運船を避ける途中。

 

左舷主機遠隔操縦信号が固定。

 

幅のある河口内へ入り。

 

軟泥へ軽く乗り上げた。

 

そのため工員の間では。

 

「犬島と久瀬川を同じ航路表に載せるな」

 

という冗談まで出るようになっていた。

 

犬島は。

 

そのたびに言っていた。

 

「うちが好きで行っとるんじゃありません」

 

そして。

 

三度目も。

 

本当に。

 

犬島自身の意思で河口へ入ったわけではなかった。

 

---

 

一 正しい航路

 

午後四時十二分。

 

犬島は沿岸警戒任務を終え。

 

第一岸壁へ帰投中だった。

 

天候。

 

晴れ。

 

視程。

 

十海里以上。

 

風。

 

南西三メートル毎秒。

 

海面。

 

穏やか。

 

久瀬川河口沖には。

 

港湾航路が設定されている。

 

河口から出入りする民間船。

 

沖を通過する船。

 

それぞれの通航帯が明確に分けられていた。

 

犬島は。

 

外側航路。

 

指定中心線よりやや沖側。

 

速力。

 

十三ノット。

 

進路。

 

北北東。

 

航路標識。

 

右舷側確認。

 

左舷側確認。

 

後方確認。

 

異常なし。

 

犬島自身の航法記録にも。

 

後の港湾監視記録にも。

 

犬島が正しい航路を維持していたことは明瞭に残った。

 

犬島は艦橋前方に立ち。

 

遠くの久瀬川河口を見た。

 

「今日は入らんですよ」

 

誰に言うでもなく。

 

少しだけ。

 

そう言った。

 

---

 

二 準中型貨物船「東栄丸」

 

その時。

 

久瀬川河口から。

 

一隻の準中型貨物船が出港していた。

 

船名。

 

東栄丸。

 

全長。

 

約八十七メートル。

 

総トン数。

 

約二千四百トン。

 

積荷。

 

鋼材および機械部品。

 

喫水。

 

約四・七メートル。

 

乗員。

 

十八名。

 

本来の航路。

 

河口を出た後。

 

右へ変針。

 

犬島とは十分な距離を保って。

 

外海へ向かう予定だった。

 

しかし。

 

河口防波堤を抜けて。

 

約二分後。

 

東栄丸の船橋で。

 

異常が発生した。

 

「右舵十度」

 

操舵手が舵輪を回す。

 

だが。

 

舵角指示器。

 

反応なし。

 

「右舵十度!」

 

船長が言い直す。

 

操舵手。

 

「舵、動きません!」

 

船長の表情が変わる。

 

「手動切替!」

 

「応答なし!」

 

油圧操舵機。

 

圧力低下。

 

さらに。

 

非常操舵系統へ切り替えようとしても。

 

切替弁が正常位置まで入らない。

 

東栄丸。

 

舵中央付近のまま。

 

直進。

 

しかし。

 

河口を出た直後の潮流。

 

さらに。

 

左舷後方からの風。

 

船首が徐々に。

 

本来航路より左へ流れ始める。

 

その先。

 

犬島。

 

---

 

三 犬島が気づく

 

犬島は。

 

左前方。

 

約九百メートル。

 

東栄丸の動きを見る。

 

「……曲がらん?」

 

通常なら。

 

もう右へ変針している位置。

 

だが東栄丸は。

 

直進。

 

さらに。

 

犬島側へ。

 

わずかに船首を向け始めている。

 

犬島は無線を取る。

 

「東栄丸」

 

「こちら海防艦犬島」

 

「進路確認してください」

 

数秒後。

 

『犬島、こちら東栄丸』

 

声が。

 

かなり急いでいる。

 

『操舵故障!』

 

『舵が効かない!』

 

犬島の表情が変わる。

 

距離。

 

七百メートル。

 

相対速度。

 

かなり大きい。

 

犬島は即座に判断。

 

「犬島、右へ回避します」

 

舵。

 

右二十度。

 

両舷機関。

 

増速。

 

犬島は。

 

東栄丸の進路から外れようとする。

 

だが。

 

問題が一つあった。

 

犬島の右側。

 

浅瀬。

 

さらに。

 

沿岸警戒ブイ。

 

そのため。

 

回避できる幅は限られていた。

 

左へ避ければ。

 

東栄丸の進路へ近づく。

 

右へ。

 

可能な限り。

 

犬島は船首を振る。

 

距離。

 

四百メートル。

 

三百。

 

二百。

 

東栄丸から汽笛。

 

長音。

 

犬島も汽笛を返す。

 

「もっと右へ……!」

 

犬島自身の舵は正常。

 

機関も正常。

 

それでも。

 

大型の貨物船相手。

 

距離が足りない。

 

---

 

四 衝突

 

午後四時十六分三十八秒。

 

東栄丸の船首左舷側。

 

犬島の左舷中央部。

 

接触。

 

最初。

 

鋭い衝撃。

 

犬島の身体が。

 

艦橋で横へよろける。

 

「っ……!」

 

しかし。

 

東栄丸は止まらない。

 

舵故障。

 

機関は緊急後進に入っている。

 

だが。

 

満載に近い貨物船。

 

慣性が大きい。

 

東栄丸の船首が。

 

犬島の左舷中央へ押し付けられたまま。

 

犬島を横へ。

 

押し始める。

 

犬島。

 

左舷中央外板。

 

大きくへこむ。

 

手すり。

 

変形。

 

第二主砲基部外周。

 

軽度歪み。

 

通風筒。

 

一本破損。

 

しかし。

 

船体破断なし。

 

浸水。

 

ごく少量。

 

主要隔壁。

 

保持。

 

機関室。

 

無事。

 

推進軸。

 

無事。

 

舵。

 

無事。

 

犬島は。

 

歯を食いしばる。

 

「離してください……!」

 

東栄丸側。

 

『機関全速後進!』

 

『もう入っています!』

 

だが。

 

東栄丸の船首が。

 

犬島を押す。

 

犬島は自力で右へ出ようとする。

 

右舷機関前進。

 

左舷機関後進。

 

舵。

 

右。

 

しかし。

 

東栄丸の質量。

 

横から押される力。

 

犬島の船体だけでは。

 

すぐには抜け出せない。

 

二隻は。

 

ほとんど。

 

T字に近い形で絡み。

 

そのまま。

 

久瀬川河口方向へ。

 

動き始めた。

 

---

 

五 「また河口!?」

 

港湾監視所。

 

職員が立ち上がる。

 

「犬島が押されてる!」

 

別の職員。

 

「河口方向!」

 

さらに一人。

 

「また犬島か!?」

 

無線。

 

『犬島、状態!』

 

犬島。

 

「うちは正常です!」

 

少し間。

 

「押されとります!」

 

『東栄丸は!』

 

「舵故障です!」

 

『離れられるか!』

 

犬島は。

 

左舷中央へ押し付けられている東栄丸を見る。

 

「今やっとります!」

 

犬島。

 

両舷機関。

 

出力調整。

 

一時的に。

 

東栄丸と同じ方向へ動きながら。

 

衝突角度を浅くする。

 

無理に離れれば。

 

貨物船の船首が。

 

犬島の船体を削る。

 

あるいは。

 

東栄丸だけが。

 

制御不能のまま河口内部へ突っ込む。

 

犬島は。

 

その危険を理解した。

 

「……このまま押さえます」

 

港湾監視所。

 

『何?』

 

「東栄丸を」

 

犬島は答える。

 

「うちで進路をずらします」

 

---

 

六 河口の先

 

久瀬川河口は。

 

前二回の事故現場より。

 

かなり幅が広い区間だった。

 

河口幅。

 

約二百八十メートル。

 

中央航路。

 

水深。

 

十分。

 

通常なら。

 

小型貨物船も。

 

港湾作業船も通れる。

 

問題は。

 

その上流。

 

約九百メートル。

 

鉄道橋。

 

久瀬川鉄橋。

 

複線電化線。

 

地域幹線。

 

橋脚は。

 

河道中央と両岸寄り。

 

中央径間。

 

船舶通過用に幅を広く取っている。

 

だが。

 

東栄丸の現在進路。

 

このままなら。

 

中央径間ではない。

 

橋脚。

 

ほぼ正面。

 

犬島が港湾図を確認する。

 

東栄丸も。

 

同じことを理解した。

 

無線。

 

『犬島』

 

東栄丸船長の声。

 

『このままだと橋へ行く』

 

犬島。

 

「分かっとります」

 

『犬島だけ離れろ』

 

「駄目です」

 

『こちらは後進中だ』

 

「止まる距離が足りません」

 

犬島は。

 

鉄道橋を見る。

 

その時。

 

橋の向こう。

 

信号。

 

青。

 

---

 

七 列車

 

午後四時十九分。

 

鉄道指令。

 

久瀬川鉄橋へ。

 

一本の定期列車が接近していた。

 

四両編成。

 

普通列車。

 

約二百八十名乗車。

 

定刻。

 

一分の遅れもなし。

 

列車側には。

 

まだ。

 

河口事故の情報が届いていなかった。

 

港湾から鉄道会社への緊急通報。

 

開始。

 

だが。

 

船舶事故。

 

港湾。

 

警察。

 

鉄道指令。

 

信号扱い所。

 

複数経路。

 

伝達には。

 

わずかな時間が必要だった。

 

その間にも。

 

列車は。

 

鉄橋へ近づく。

 

そして。

 

犬島と東栄丸も。

 

川を上流へ。

 

押されている。

 

犬島が。

 

橋上を見る。

 

「……列車?」

 

遠く。

 

電車の前照灯。

 

犬島の表情が変わった。

 

「鉄道指令へ!」

 

港湾監視。

 

『連絡中!』

 

「橋に列車が来ます!」

 

---

 

八 犬島が船首を振る

 

犬島は。

 

東栄丸と接触したまま。

 

機関を使う。

 

右舷機関。

 

前進強速。

 

左舷機関。

 

後進。

 

舵。

 

右三十度。

 

東栄丸の船首が押している位置を。

 

逆に利用する。

 

犬島を。

 

巨大な「舵」のように使う。

 

犬島の船尾。

 

右へ。

 

艦首。

 

左へ。

 

東栄丸の船首も。

 

少しずつ。

 

橋脚正面から。

 

中央径間方向へ。

 

ずれる。

 

犬島。

 

「もう少し……!」

 

東栄丸側。

 

『こちらも左舷機関だけ前進にする!』

 

「待って!」

 

犬島が即座に止める。

 

「今やると押す力が変わります!」

 

『了解!』

 

二隻。

 

一体のように。

 

河口を上る。

 

犬島の艦尾。

 

右岸寄り。

 

東栄丸。

 

左後方。

 

そして。

 

鉄橋。

 

距離。

 

三百五十メートル。

 

列車。

 

橋まで。

 

約六百メートル。

 

---

 

九 鉄道側も気づく

 

鉄道指令。

 

緊急連絡。

 

「久瀬川鉄橋、船舶接近!」

 

信号扱い。

 

停止信号へ。

 

しかし。

 

列車は。

 

すでに。

 

閉塞区間内。

 

運転士。

 

前方信号。

 

赤。

 

非常制動。

 

ブレーキ。

 

最大。

 

列車は。

 

減速。

 

だが。

 

停止位置は。

 

鉄橋手前ぎりぎり。

 

そして。

 

仮に。

 

東栄丸が。

 

犬島と衝突していなかった場合。

 

そのまま舵故障状態で。

 

河口から直進。

 

犬島による進路変更も。

 

抵抗も受けず。

 

今より高い速度で。

 

鉄橋橋脚へ到達していた。

 

推定。

 

列車が橋中央付近を通過している。

 

ほぼ同時刻。

 

後の解析では。

 

差。

 

十数秒から二十数秒。

 

最悪の場合。

 

東栄丸の船首。

 

橋脚直撃。

 

橋脚。

 

大規模損傷。

 

桁。

 

支持喪失。

 

通過中の四両編成。

 

橋桁ごと。

 

久瀬川へ落下。

 

その可能性が。

 

非常に高いと判断された。

 

しかし。

 

現実には。

 

東栄丸は。

 

犬島に衝突した。

 

そして。

 

犬島が。

 

横から押されながらも。

 

東栄丸を。

 

少しずつ。

 

橋脚正面から外している。

 

---

 

十 停止距離

 

鉄橋。

 

二百メートル。

 

犬島。

 

「錨!」

 

河口内。

 

水深。

 

投錨可能。

 

犬島。

 

右舷錨。

 

投下。

 

左舷錨。

 

投下。

 

二つ同時。

 

錨鎖。

 

走る。

 

東栄丸も。

 

両錨投下。

 

四本の錨。

 

二隻の船。

 

川底へ。

 

錨が食い込む。

 

しかし。

 

二隻合計。

 

三千トンを超える質量。

 

すぐには止まらない。

 

百五十メートル。

 

犬島。

 

両舷機関。

 

全速後進。

 

東栄丸。

 

機関。

 

全速後進。

 

錨鎖。

 

張る。

 

犬島の船体が。

 

東栄丸の船首へ押され。

 

左舷外板がさらにへこむ。

 

犬島の身体にも。

 

鈍い痛み。

 

それでも。

 

機関出力を落とさない。

 

「止まって……!」

 

百メートル。

 

鉄橋上。

 

列車。

 

非常制動。

 

先頭車。

 

橋の手前。

 

まだ動いている。

 

犬島。

 

「もう少し!」

 

七十。

 

五十。

 

三十。

 

二十。

 

---

 

十一 十七メートル

 

午後四時二十一分十一秒。

 

犬島。

 

停止。

 

東栄丸。

 

停止。

 

犬島艦首から。

 

久瀬川鉄橋の橋脚基部まで。

 

約十七メートル。

 

東栄丸船首から。

 

最も近い橋脚。

 

約二十四メートル。

 

二隻。

 

錨鎖を張り。

 

機関全速後進のまま。

 

ようやく動きを止めた。

 

犬島は。

 

艦橋で。

 

しばらく何も言わなかった。

 

目の前。

 

鉄道橋。

 

あまりにも近い。

 

その上。

 

列車。

 

非常制動。

 

先頭車が。

 

鉄橋手前。

 

約四十メートルで停止。

 

乗客。

 

無事。

 

脱線なし。

 

橋。

 

損傷なし。

 

船。

 

接触なし。

 

犬島が。

 

小さく言う。

 

「……止まった」

 

東栄丸船長。

 

無線。

 

『犬島』

 

声が震えている。

 

『止まった』

 

犬島。

 

「はい」

 

『橋も』

 

「はい」

 

『列車も』

 

犬島は。

 

橋の向こう。

 

停止した列車を見る。

 

「はい」

 

少し間。

 

「みんなおります」

 

---

 

十二 もし犬島がいなかったら

 

事故調査。

 

最も注目されたのは。

 

原因だけではなかった。

 

犬島との衝突そのものが、結果として何を変えたか。

 

航跡データ。

 

AIS。

 

港湾レーダー。

 

東栄丸の機関ログ。

 

潮流。

 

風。

 

船体抵抗。

 

操舵故障発生地点。

 

すべてを使い。

 

再現計算が行われた。

 

結果。

 

東栄丸が犬島へ衝突しなかった場合。

 

東栄丸は。

 

約八・四ノット前後で。

 

久瀬川河口へ進入。

 

舵はほぼ中央固定。

 

潮流により。

 

久瀬川鉄橋の中央橋脚寄りへ進む。

 

船単独での緊急後進と投錨だけでは。

 

橋までに停止できない。

 

推定衝突速度。

 

三・一から四・六ノット。

 

鋼製貨物船。

 

約二千四百総トン。

 

鋼材積載。

 

中央橋脚への衝撃。

 

橋脚構造へ重大な損傷を与える可能性。

 

高。

 

さらに。

 

事故発生時刻。

 

定期列車。

 

ダイヤどおり。

 

鉄橋通過予定時刻。

 

東栄丸推定衝突時刻との差。

 

非常に小さい。

 

報告書。

 

«犬島との接触が存在しなかった場合、東栄丸は久瀬川鉄橋橋脚へ衝突した蓋然性が高い。»

 

«当該時刻には定期旅客列車が同橋梁を通過予定であり、橋脚損傷の程度によっては橋桁支持能力を喪失し、列車が橋梁構造とともに河川へ転落する事態も想定された。»

 

犬島は。

 

そこを読んで。

 

黙った。

 

提督が尋ねる。

 

「どうした」

 

犬島は。

 

少し時間を置いて。

 

「うちにぶつかったから」

 

「はい」

 

「あの船」

 

「橋へ行かんかったんですね」

 

提督が答える。

 

「ああ」

 

犬島は。

 

さらに報告書を見る。

 

「じゃあ」

 

「ぶつかられたのも」

 

少し考える。

 

「悪いことだけじゃなかったんですか」

 

提督は答える。

 

「事故そのものは事故だ」

 

「だが」

 

「犬島がそこにいたから救われたものは多かった」

 

---

 

十三 過失

 

責任関係。

 

犬島。

 

航路。

 

正常。

 

速力。

 

規定内。

 

見張り。

 

正常。

 

回避。

 

適切。

 

事故前操作。

 

問題なし。

 

犬島側過失なし。

 

東栄丸。

 

当初航路。

 

正常。

 

操船。

 

正常。

 

しかし。

 

操舵油圧系統。

 

主ポンプ内部。

 

駆動軸連結部。

 

疲労破損。

 

同時に。

 

非常操舵切替弁。

 

内部固着。

 

操舵不能。

 

船長。

 

機関後進。

 

汽笛。

 

無線警告。

 

投錨。

 

実施。

 

故意。

 

なし。

 

無謀操船。

 

なし。

 

整備記録。

 

規定どおり。

 

部品内部の疲労は。

 

定期検査で発見困難。

 

軍令部および海事当局。

 

最終判断。

 

«海防艦犬島に過失なし。»

 

«貨物船東栄丸についても、乗組員による意図的または重大な操船上の過失は認められず。»

 

«主因は操舵装置内部部品の突発的破損および非常系統切替弁固着の複合故障。»

 

犬島は。

 

東栄丸船長へ言った。

 

「謝り続けんでください」

 

船長は。

 

犬島の左舷側。

 

大きくへこんだ外板を見る。

 

「でも」

 

「うちも」

 

犬島が鉄橋を見る。

 

「橋へぶつけずに済みました」

 

「みんな無事です」

 

「なら」

 

少しだけ。

 

犬島らしく。

 

「後は船を直せばええです」

 

---

 

十四 犬島の損傷

 

船体調査。

 

左舷中央部。

 

外板。

 

約十九メートルにわたり変形。

 

最大へこみ。

 

約四十八センチ。

 

船体破断。

 

なし。

 

第一防水区画。

 

保持。

 

第二防水区画。

 

局所的漏水。

 

排水可能。

 

中央十二糎砲。

 

基部外周軽度変形。

 

旋回制限。

 

約十五度。

 

左舷通風筒。

 

一本破損。

 

救命艇架台。

 

変形。

 

左舷手すり。

 

約十三メートル損傷。

 

機関。

 

両舷正常。

 

軸。

 

正常。

 

舵。

 

正常。

 

錨。

 

両方とも強い荷重を受け。

 

右舷錨爪変形。

 

左舷錨鎖数環伸び。

 

しかし。

 

船体主構造。

 

保持。

 

犬島本人。

 

左側へ強い衝撃感。

 

短時間の痛み。

 

歩行可能。

 

任務継続可能。

 

犬島が損傷一覧を見る。

 

「また左側です」

 

工員。

 

「貨物船が左から来たからな」

 

「知っとります」

 

「直すぞ」

 

犬島は。

 

いつもの言葉を返す。

 

「壊れたら、また直しゃあええです」

 

---

 

十五 鉄道会社から

 

数日後。

 

鎮守府へ。

 

鉄道会社の関係者が訪れた。

 

運転士。

 

車掌。

 

保線担当。

 

鉄道会社支社長。

 

犬島は。

 

少し戸惑った。

 

「うちにですか」

 

「はい」

 

列車。

 

四両。

 

乗客。

 

二百八十三名。

 

乗務員。

 

二名。

 

全員無事。

 

急制動による軽い転倒者。

 

数名。

 

大きな負傷なし。

 

運転士が犬島へ言う。

 

「あの時」

 

「橋の向こうに船が見えました」

 

犬島は黙って聞く。

 

「止まりながら」

 

「間に合うか分かりませんでした」

 

「でも」

 

「船の方が先に止まった」

 

犬島。

 

「うちだけじゃありません」

 

「東栄丸も錨を使いました」

 

「港湾の人も」

 

「鉄道の人も」

 

「みんな動いとりました」

 

運転士は頷く。

 

それでも。

 

最後に言った。

 

「でも」

 

「犬島さんがいなかったら」

 

「列車は、あの橋の上にいたかもしれません」

 

犬島は。

 

少しだけ。

 

深緑色のスカーフを握った。

 

そして。

 

「誰も落ちんでよかったです」

 

と答えた。

 

---

 

十六 新聞

 

翌日の新聞。

 

一面ではなかった。

 

だが。

 

地方版。

 

かなり大きい。

 

見出し。

 

«海防艦、貨物船を受け止め鉄橋直前で停止»

 

別紙。

 

«定期列車、橋手前で非常停止»

 

そして。

 

少し小さな見出し。

 

«犬島、また久瀬川河口へ»

 

犬島は。

 

そこだけ見て。

 

顔をしかめた。

 

「またって書かんでもええでしょう」

 

提督が新聞を見る。

 

「三回目だからな」

 

「理由は毎回違います」

 

「それも記事に書いてある」

 

「見出しが大きいです」

 

「有名になったな」

 

犬島は。

 

少し不満そうに。

 

「河口で有名になりたくないです」

 

---

 

十七 事故調査報告書

 

正式名称。

 

「海防艦犬島・貨物船東栄丸接触ならびに久瀬川河口鉄道橋接近事案」

 

調査委員会最終所見。

 

«犬島は指定航路内を正常に航行していた。»

 

«東栄丸は操舵装置複合故障により航路を逸脱。»

 

«犬島は回避行動を実施したが、東栄丸との接触を回避する距離を確保できなかった。»

 

«接触後、犬島は東栄丸を離脱させるよりも、両船一体の運動を利用して進路を鉄道橋橋脚から中央径間方向へ偏向。»

 

«その後、両船が主機後進および投錨を実施し、久瀬川鉄橋直前で停止した。»

 

«犬島艦首と最寄橋脚との最短距離は約17m。»

 

«鉄橋、河川施設、列車、民間船に接触なし。»

 

«死者なし。»

 

«重傷者なし。»

 

さらに。

 

特記事項。

 

«犬島との衝突が発生しなかった場合、東栄丸はより高い速度を保持した状態で久瀬川鉄橋橋脚へ達した可能性が高い。»

 

«当該時刻には定時旅客列車が橋梁へ進入する時刻と重複していた。»

 

«犬島の存在および接触後の操船が、橋梁事故の拡大を防いだ主要要因の一つである。»

 

犬島は。

 

最後まで読んだ。

 

そして。

 

鉛筆で。

 

余白へ小さく書いた。

 

«東栄丸も悪くありません。»

 

さらに。

 

その下。

 

«列車もちゃんと止まりました。»

 

最後。

 

少し迷って。

 

«でも、もう河口はしばらくええです。»

 

---

 

十八 第一岸壁

 

修理。

 

約二十八日。

 

左舷外板。

 

交換。

 

隔壁補正。

 

中央十二糎砲基部。

 

修正。

 

錨および錨鎖。

 

交換。

 

試運転。

 

終了。

 

犬島は。

 

第一岸壁へ戻る。

 

提督が待っている。

 

「おかえり、犬島」

 

「ただいまです」

 

提督が。

 

左舷側を見る。

 

「きれいに直ったな」

 

「はい」

 

「河口は」

 

犬島が。

 

すぐ提督を見る。

 

「行きません」

 

「本当に?」

 

「行きたくて行ったことありません」

 

提督は少し笑う。

 

犬島は。

 

深緑色のスカーフを整える。

 

「でも」

 

「何だ」

 

犬島は。

 

久瀬川の方向を見る。

 

「あの時だけは」

 

少し考える。

 

「うちがそこにおってよかったと思います」

 

鉄橋。

 

列車。

 

二百八十三人。

 

貨物船十八人。

 

港湾職員。

 

河岸の人々。

 

誰も。

 

川へ落ちなかった。

 

犬島は。

 

静かに言った。

 

「誰も置いていかんかったので」

 

提督は。

 

その言葉に。

 

何も付け足さなかった。

 

ただ。

 

「よく止めた」

 

と言った。

 

犬島は。

 

少しだけ笑った。

 

---

 

事故概要

 

事故名

海防艦犬島・貨物船東栄丸接触ならびに久瀬川河口鉄道橋接近事案

 

犬島の状態

指定航路内を正常航行。操舵・機関とも正常。

 

東栄丸の状態

操舵油圧系主ポンプ故障+非常操舵切替弁固着により操舵不能。

 

衝突原因

東栄丸が意図せず航路を逸脱し、犬島左舷中央部へ衝突。

 

衝突後

東栄丸が犬島を横方向へ押し続け、両船が久瀬川河口へ進入。

 

犬島の判断

無理な離脱を避け、東栄丸との接触状態を利用して同船の進路を鉄道橋橋脚から中央径間方向へ偏向。

 

停止方法

犬島・東栄丸双方が主機全速後進および両錨投下。

 

停止地点

犬島艦首から鉄道橋橋脚まで約17m。

 

鉄道

定時運行中の4両編成普通列車が鉄橋へ接近。非常制動により橋手前約40mで停止。

 

仮に犬島がいなかった場合

東栄丸はより高い速度で橋脚へ衝突した可能性が高く、その時刻には列車が橋梁上へ進入していた可能性がある。橋脚損傷次第では、列車を含む橋桁の河川転落が想定された。

 

人的被害

死者なし。重傷者なし。

 

責任判断

犬島側に操船上の過失なし。

東栄丸乗員にも故意・重大な操船過失なし。

主因は操舵装置の突発的複合故障。

 

犬島の一言

 

「ぶつかられたのは困りました。でも、あの船が橋に行かんかったなら……うちがおってよかったです」

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