海防艦 犬島   作:重装甲空母信濃

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これも第三次久瀬川河口進入事故の別の可能性としてあったものとしメインストーリーではない。
衝突してきたのが大型貨物船で、列車は12両の普通列車、乗客多数。貨物船の質量によって押され続け最終的に鉄道橋へ衝突、列車も即座に非常ブレーキをかけたものの止まりきれず落下。死者はでなかったものの重軽傷者多数という結果になった世界線。死者がでなかったのは犬島の艦上に列車が落下し、海にはギリギリ落ちなかったため


犬島第三次久瀬川河口進入事故 営業列車12両

海防艦・犬島

 

――橋が落ちた日、それでも川へは落とさなかった――

 

第三次久瀬川河口進入事故・重大事故分岐

 

第三次久瀬川河口進入事故。

 

本来の歴史では。

 

準中型貨物船が犬島の左舷中央へ衝突。

 

犬島は貨物船に押されながら久瀬川河口へ進入。

 

鉄道橋まで約十七メートル。

 

橋へ近づいていた四両編成普通列車も、橋手前約四十メートル。

 

両方とも。

 

ぎりぎりで止まった。

 

死者なし。

 

重傷者なし。

 

橋梁損傷なし。

 

だが。

 

もし。

 

貨物船がもっと大きく。

 

犬島が貨物船の質量を抑えきれず。

 

そして。

 

鉄橋へ向かっていた列車が十二両編成。

 

多くの乗客を乗せ。

 

制動を掛けても止まりきれなかったなら。

 

結果は。

 

「直前で停止」では終わらなかった。

 

---

 

一 大型貨物船「海央丸」

 

午後四時十二分。

 

犬島。

 

指定航路。

 

速力十三ノット。

 

航法。

 

正常。

 

見張り。

 

正常。

 

機関。

 

正常。

 

舵。

 

正常。

 

そこへ。

 

久瀬川河口から出てきた大型貨物船。

 

海央丸。

 

全長。

 

約百五十八メートル。

 

全幅。

 

二十二・八メートル。

 

満載排水量。

 

約二万四千トン。

 

積荷。

 

鋼材。

 

機械部品。

 

建設資材。

 

海央丸は。

 

河口を出た後。

 

右へ変針する予定だった。

 

しかし。

 

主操舵油圧系統。

 

突然の圧力喪失。

 

非常操舵。

 

切替弁固着。

 

舵。

 

中央付近から動かない。

 

海央丸船橋。

 

「右舵二十!」

 

「反応なし!」

 

「非常操舵!」

 

「切り替わりません!」

 

船長。

 

「機関後進!」

 

汽笛。

 

無線。

 

犬島にも連絡。

 

『海防艦犬島!』

 

『操舵不能!』

 

犬島が海央丸を見る。

 

大きい。

 

そして。

 

近い。

 

「犬島、右へ避けます!」

 

犬島は即座に回避。

 

だが。

 

右側には航路限界。

 

浅瀬。

 

十分な余裕がない。

 

海央丸も。

 

機関を後進へ入れる。

 

それでも。

 

二万トンを超える質量は。

 

すぐには止まらなかった。

 

---

 

二 左舷中央へ

 

午後四時十六分四十二秒。

 

衝突。

 

海央丸の船首。

 

犬島左舷中央。

 

低い。

 

重い衝撃。

 

犬島の実艦が。

 

大きく右へ押し出される。

 

犬島自身も艦橋上でよろめいた。

 

「っ……!」

 

海央丸。

 

止まらない。

 

犬島左舷中央へ船首を押し付け。

 

そのまま。

 

犬島ごと。

 

久瀬川方向へ進む。

 

犬島。

 

右舷機関前進。

 

左舷機関後進。

 

舵。

 

最大。

 

だが。

 

まるで。

 

巨大な壁を小さな艦で押し返そうとしているような状態だった。

 

海央丸船長。

 

『犬島、離脱できるか!』

 

犬島は。

 

接触位置を見る。

 

「今離れたら」

 

「海央丸だけで河口へ入ります!」

 

『だが、このままでは犬島が――』

 

「まだ船体は持ちます!」

 

左舷外板。

 

変形。

 

手すり。

 

破損。

 

中央十二糎砲周辺。

 

歪み。

 

それでも。

 

船体はつながっている。

 

犬島は。

 

海央丸から離れなかった。

 

いや。

 

押し付けられている状態を。

 

利用することにした。

 

---

 

三 久瀬川鉄橋

 

二隻の進路。

 

久瀬川河口。

 

その先。

 

久瀬川鉄橋。

 

複線電化。

 

地域幹線。

 

問題は。

 

鉄橋へ近づいている列車だった。

 

十二両編成。

 

普通列車。

 

帰宅時間帯。

 

乗客。

 

約千百人。

 

座席はほぼ埋まり。

 

立客も多い。

 

列車速度。

 

約八十五キロ毎時。

 

鉄道指令へ。

 

港湾から緊急連絡。

 

「大型貨物船が久瀬川鉄橋方向へ進行!」

 

「列車を止めてください!」

 

信号。

 

停止。

 

運転士。

 

異常を認識。

 

非常制動。

 

十二両。

 

長い。

 

乗客多数。

 

車体質量も大きい。

 

ブレーキは作動。

 

しかし。

 

鉄橋までの残距離。

 

足りない。

 

---

 

四 犬島が押され続ける

 

犬島。

 

海央丸と接触したまま。

 

河口内へ。

 

「右舷機関、上げます!」

 

海央丸。

 

『こちらは全速後進中!』

 

犬島は。

 

自身の船体を斜めにする。

 

海央丸の船首を。

 

橋脚正面から少しでも外す。

 

一度。

 

二度。

 

海央丸の進路。

 

わずかに変わる。

 

しかし。

 

本来の事故とは違う。

 

貨物船が大きすぎる。

 

犬島の推力だけでは。

 

止めきれない。

 

鉄橋。

 

五百メートル。

 

犬島。

 

両錨投下。

 

海央丸も。

 

両錨投下。

 

四本の錨。

 

川底へ。

 

錨鎖が張る。

 

それでも。

 

二隻は前へ進む。

 

犬島。

 

「止まらん……!」

 

港湾監視。

 

『犬島、橋まで四百!』

 

「列車は!」

 

『非常制動中!』

 

「止まれますか!」

 

返事がない。

 

それが。

 

答えだった。

 

---

 

五 十二両編成

 

列車内。

 

非常ブレーキ。

 

強い減速。

 

乗客が。

 

つり革。

 

手すり。

 

座席。

 

互いを支える。

 

運転士は。

 

前方を見る。

 

久瀬川鉄橋。

 

その先。

 

河面。

 

大型貨物船。

 

そして。

 

その横へ押し付けられている。

 

犬島。

 

速度。

 

六十。

 

五十。

 

四十。

 

まだ。

 

橋が近づく。

 

鉄道指令。

 

『久瀬川普通、現在位置!』

 

運転士。

 

『鉄橋まで約四百!』

 

『非常制動継続!』

 

『停止できません!』

 

車掌から。

 

車内放送。

 

「急停車します!」

 

「手すりにつかまってください!」

 

乗客たちが。

 

身構える。

 

だが。

 

誰も。

 

この時点では。

 

鉄橋そのものが危険になっているとは知らなかった。

 

---

 

六 犬島は止められないと知る

 

鉄橋。

 

二百メートル。

 

犬島。

 

速度。

 

約三・二ノット。

 

遅くなった。

 

しかし。

 

止まらない。

 

海央丸。

 

二万四千トン。

 

慣性。

 

錨。

 

機関後進。

 

犬島の抵抗。

 

それらを全部使っても。

 

まだ動く。

 

犬島は。

 

橋脚を見る。

 

「……間に合わん」

 

海央丸船長。

 

『何?』

 

「止まりません」

 

『犬島、離れろ!』

 

犬島は。

 

すぐ首を横へ振った。

 

「今離れたら」

 

「もっと速く橋へ当たります!」

 

『犬島!』

 

「このまま減速させます!」

 

犬島は。

 

自分の実艦を。

 

海央丸と橋脚の間へ残した。

 

結果として。

 

犬島は。

 

貨物船の進路をわずかに逸らし。

 

さらに。

 

船体そのもので。

 

最後まで抵抗を掛け続けることになる。

 

---

 

七 衝突

 

午後四時二十一分五十三秒。

 

久瀬川鉄橋。

 

犬島。

 

鉄橋まで。

 

十数メートル。

 

速度。

 

一・数ノット。

 

海央丸。

 

犬島へ押し付けたまま。

 

犬島の艦首側が。

 

先に。

 

橋脚保護構造へ接触。

 

大きな音。

 

犬島の艦首。

 

変形。

 

続いて。

 

海央丸の船首が。

 

犬島を介するように。

 

鉄橋橋脚側へ荷重を掛ける。

 

犬島が叫ぶ。

 

「止まって!」

 

機関。

 

後進。

 

錨。

 

四本。

 

船体。

 

軋む。

 

だが。

 

橋脚。

 

耐えきれない。

 

コンクリート。

 

損傷。

 

橋脚上部。

 

変位。

 

橋桁。

 

大きくずれる。

 

犬島が。

 

上を見る。

 

線路。

 

揺れる。

 

そして。

 

遠く。

 

列車の前照灯。

 

---

 

八 列車が来る

 

十二両普通列車。

 

非常制動。

 

速度。

 

かなり落ちている。

 

しかし。

 

停止しない。

 

運転士の正面。

 

橋梁。

 

明らかに変位している。

 

「止まれ……!」

 

ブレーキ。

 

すでに最大。

 

列車。

 

橋へ進入。

 

一両目。

 

鉄橋へ。

 

橋桁は。

 

まだ載っている。

 

だが。

 

橋脚支持部。

 

損傷。

 

一両目の重量。

 

二両目。

 

三両目。

 

荷重。

 

橋梁が。

 

さらに沈む。

 

線路。

 

大きく変形。

 

先頭車。

 

脱線。

 

速度が低下していたため。

 

その場で大きく横へ逸れる。

 

二両目。

 

連結器に引かれる。

 

三両目。

 

さらに続く。

 

犬島が。

 

頭上を見る。

 

「列車……!」

 

橋桁。

 

一部が。

 

耐えられなくなった。

 

---

 

九 落下

 

鉄橋の一部。

 

崩落。

 

先頭側数両。

 

橋梁から外れる。

 

だが。

 

真下には。

 

川だけではなかった。

 

犬島。

 

全長七十八・九メートルの海防艦。

 

そして。

 

その横へ押し付けられている海央丸。

 

犬島は。

 

橋脚のすぐ下。

 

鉄橋直下付近へ。

 

押し込まれていた。

 

先頭車。

 

落ちる。

 

川面へではない。

 

犬島の前甲板付近へ。

 

大きな衝撃。

 

犬島本人。

 

「うっ……!」

 

続いて。

 

二両目。

 

一部が。

 

犬島と橋梁残存部の間へ。

 

三両目。

 

前部が。

 

犬島の上部構造物側へ。

 

ただし。

 

列車は非常制動により速度をかなり落としていた。

 

さらに。

 

犬島の船体と。

 

海央丸の船体が。

 

橋の直下を埋める形になっていた。

 

車両は。

 

その上へ重なる。

 

完全に川へ沈むことを免れた。

 

後続車両。

 

連結器が。

 

次々と大きな荷重を受ける。

 

四両目。

 

橋上で脱線。

 

五両目以降。

 

非常制動と前方車両の抵抗により。

 

橋上および橋手前で停止。

 

十二両すべてが。

 

川へ落ちることはなかった。

 

---

 

十 犬島の上

 

犬島は。

 

しばらく。

 

何が起きたのか。

 

整理できなかった。

 

前甲板。

 

列車。

 

艦橋前方にも。

 

車体の一部。

 

第一主砲。

 

見えない。

 

中央十二糎砲。

 

使用不能。

 

マスト。

 

損傷。

 

艦橋窓。

 

何枚か破損。

 

それでも。

 

犬島の船体は。

 

沈んでいない。

 

列車を。

 

水面から。

 

ぎりぎりのところで支えている。

 

車両の一部は。

 

犬島の甲板へ。

 

一部は。

 

海央丸側へ。

 

一部は。

 

崩れた橋桁へ。

 

複数の構造物が。

 

互いを支えている。

 

犬島が。

 

最初に聞いたのは。

 

列車内からの声だった。

 

泣き声。

 

助けを呼ぶ声。

 

車掌の放送。

 

「動ける方は、その場で待ってください!」

 

犬島の表情が変わる。

 

自分の損傷より。

 

先。

 

「人がおる」

 

---

 

十一 犬島は動けない

 

提督から無線。

 

『犬島!』

 

雑音。

 

『犬島、応答しろ!』

 

犬島。

 

「おります」

 

『状態は!』

 

犬島は。

 

自分の実艦を見る。

 

艦首。

 

大破。

 

左舷中央。

 

海央丸との衝突損傷。

 

上部構造。

 

列車落下。

 

甲板。

 

変形。

 

それでも。

 

機関室。

 

保持。

 

浮力。

 

残っている。

 

「動けません」

 

『浸水は』

 

「あります」

 

『沈むか』

 

犬島は。

 

確認。

 

各区画。

 

排水。

 

隔壁。

 

船体姿勢。

 

「今すぐではありません」

 

提督が息を吐く。

 

犬島は続ける。

 

「でも」

 

「列車を動かすまで」

 

「うちを動かさんでください」

 

『なぜ』

 

犬島は。

 

上を見る。

 

自分の甲板に乗った車両。

 

「うちが動いたら」

 

「車両が川へ落ちるかもしれません」

 

無線。

 

静かになる。

 

犬島。

 

「タグも」

 

「海央丸も」

 

「今の位置を変えんでください」

 

「先に人を出してください」

 

---

 

十二 救助

 

消防。

 

警察。

 

海上救助隊。

 

鉄道会社。

 

鎮守府。

 

軍令部。

 

港湾局。

 

すべてが。

 

久瀬川へ集まった。

 

救助の優先順位。

 

列車乗客。

 

約千百人。

 

脱線・落下した先頭側車両。

 

最も負傷者が多い。

 

だが。

 

川へ沈んでいない。

 

犬島の甲板。

 

海央丸。

 

崩れた橋桁。

 

それらが。

 

不安定ながら。

 

車両を支えている。

 

救助員は。

 

犬島の前甲板へ降りる。

 

犬島が。

 

自分の船体を通じて。

 

安全な場所を伝える。

 

「そこは踏めます」

 

「右側は避けてください」

 

「第一主砲の基部は歪んどります」

 

「こっちから車両へ行けます」

 

負傷者。

 

次々と運び出される。

 

担架。

 

一人。

 

二人。

 

十人。

 

数十人。

 

犬島は。

 

痛みに耐えながら。

 

船体姿勢を維持。

 

排水。

 

区画封鎖。

 

機関。

 

最低限。

 

一つでも姿勢を変えれば。

 

車両が動く可能性がある。

 

だから。

 

動かない。

 

---

 

十三 死者なし

 

救助開始から。

 

数時間。

 

最終集計。

 

乗客。

 

約千百人。

 

乗務員。

 

全員確認。

 

死者。

 

〇名。

 

重傷。

 

三十数名。

 

中等傷。

 

百人前後。

 

軽傷。

 

数百名。

 

残り。

 

無傷または軽い打撲程度。

 

特に。

 

先頭三両。

 

大きな損傷。

 

それでも。

 

水没しなかった。

 

救助まで。

 

空間が残った。

 

その理由。

 

犬島の実艦が。

 

列車落下地点の真下近くにいたこと。

 

海央丸も隣接していたこと。

 

列車が非常ブレーキによって減速していたこと。

 

橋桁が一度にすべて崩れず。

 

部分的に荷重を支えたこと。

 

複数の偶然が。

 

重なった。

 

事故調査官が。

 

後に言う。

 

「一つずれていたら」

 

「結果は変わっていた」

 

犬島は。

 

その言葉へ。

 

何も返さなかった。

 

---

 

十四 もし犬島がそこにいなければ

 

事故シミュレーション。

 

犬島なし。

 

海央丸。

 

舵故障。

 

単独で鉄道橋へ。

 

衝突。

 

橋脚損傷。

 

列車。

 

非常制動。

 

停止しきれず橋へ進入。

 

橋桁崩落。

 

先頭数両。

 

久瀬川へ。

 

水深。

 

車体の一部が水没する深さ。

 

乗客多数。

 

脱出困難。

 

夜間ではない。

 

救助も早い。

 

それでも。

 

死者発生の可能性は。

 

高かった。

 

犬島あり。

 

犬島自身が。

 

橋脚衝突まで。

 

海央丸を減速。

 

進路もわずかに偏向。

 

さらに。

 

衝突後。

 

犬島の船体が。

 

崩落した列車の受け台になる。

 

報告書。

 

«犬島の存在は橋梁損傷自体を防止できなかった。»

 

«しかし、海央丸の衝突速度低減および列車車両の河川直接落下防止という二段階において、人的被害の軽減へ大きく寄与した。»

 

さらに。

 

«犬島が当該位置に存在しなかった場合、先頭車両群は河川へ直接落下し、一部水没した可能性が高い。»

 

---

 

十五 犬島の損傷

 

犬島の損傷。

 

かなり大きい。

 

艦首。

 

大破。

 

前甲板。

 

広範囲座屈。

 

第一主砲。

 

基部損傷。

 

砲自体。

 

使用不能。

 

艦橋前面。

 

変形。

 

窓。

 

複数損傷。

 

前部マスト。

 

折損。

 

左舷中央。

 

海央丸衝突部。

 

外板大規模変形。

 

浸水。

 

複数区画。

 

中央十二糎砲。

 

基部損傷。

 

上甲板。

 

列車荷重で広範囲変形。

 

船体中央部。

 

一部フレーム変形。

 

機関。

 

片舷停止。

 

もう片舷。

 

非常用として稼働可能。

 

舵。

 

使用不能。

 

船体破断。

 

なし。

 

沈没。

 

なし。

 

犬島自身。

 

広い範囲に痛み。

 

立っていることも難しく。

 

救助終盤には。

 

艦橋床へ座り込んでいた。

 

それでも。

 

意識は保っていた。

 

救助員が言う。

 

「犬島、もう全員降りた!」

 

犬島。

 

「ほんまですか」

 

「乗客も乗務員も確認した!」

 

「死者は?」

 

少し間。

 

「今のところ、いない!」

 

犬島は。

 

目を閉じた。

 

「よかった……」

 

それが。

 

事故後。

 

初めて。

 

自分のために力を抜いた瞬間だった。

 

---

 

十六 最後の乗客

 

ただし。

 

一人。

 

最後まで。

 

車内から出せなかった乗客がいた。

 

先頭車後部。

 

座席周辺。

 

変形した内装。

 

負傷している。

 

意識あり。

 

救助員が。

 

慎重に。

 

救出する。

 

犬島は。

 

その位置を。

 

艦体の感覚で分かっていた。

 

「右へ少し」

 

「そこ」

 

「その下はうちの艦橋天井です」

 

「大きく動かさんでください」

 

救助員。

 

「分かった!」

 

しばらく。

 

作業。

 

そして。

 

『救出!』

 

犬島が顔を上げる。

 

担架。

 

最後の一人。

 

犬島の甲板から。

 

岸側救助設備へ。

 

運ばれる。

 

犬島が。

 

小さく数える。

 

「これで」

 

「全部?」

 

救助指揮官。

 

「全部だ!」

 

犬島は。

 

いつもの言葉を。

 

小さく言った。

 

「誰も置いていかんかった」

 

---

 

十七 海央丸船長

 

海央丸船長は。

 

犬島の前で。

 

言葉を失っていた。

 

海央丸自身にも。

 

船首大破。

 

浸水。

 

機器損傷。

 

しかし。

 

沈没はしていない。

 

船長が言う。

 

「犬島さん」

 

犬島は。

 

修理前。

 

臨時の岸壁から返事をする。

 

「はい」

 

「申し訳ない」

 

「舵の故障です」

 

「だが」

 

「わざとじゃありません」

 

「それでも、あなたの船を」

 

犬島は。

 

少しだけ首を横へ振る。

 

「うちに当たらんかったら」

 

「もっと速く橋へ行っとりました」

 

船長は黙る。

 

「それに」

 

犬島は続ける。

 

「うちがおったから」

 

「列車が川まで落ちませんでした」

 

少し間。

 

「事故は嫌です」

 

「痛いですし」

 

「修理も長いです」

 

「でも」

 

鉄橋を見る。

 

「死んだ人がおらんなら」

 

「そこはよかったです」

 

---

 

十八 提督

 

提督は。

 

犬島の修理前。

 

損傷した実艦を。

 

長い間見ていた。

 

犬島が尋ねる。

 

「ひどいですか」

 

提督は正直に答える。

 

「ひどい」

 

犬島が少し困った顔をする。

 

「もう少し言い方ありませんか」

 

「だが直せる」

 

犬島は。

 

その言葉を聞いて。

 

少し笑う。

 

「はい」

 

提督。

 

「犬島」

 

「はい」

 

「橋へ当たるまで止められなかったことを」

 

犬島は提督を見る。

 

「気にしてません」

 

「本当に?」

 

「止めたかったです」

 

「橋も壊したくありませんでした」

 

「列車も落としたくありませんでした」

 

少し間。

 

「でも」

 

「最後まで止めようとはしました」

 

「その後」

 

「列車を川へ落とさんようにできました」

 

提督は。

 

静かに頷く。

 

「十分だ」

 

犬島は。

 

深緑色のスカーフを整えた。

 

「うちも、そう思うことにします」

 

---

 

十九 鉄道会社の報告

 

鉄道会社。

 

事故報告。

 

十二両普通列車。

 

乗客。

 

千百名余。

 

非常制動。

 

正常作動。

 

運転士。

 

規程どおり。

 

信号。

 

緊急停止へ切替。

 

しかし。

 

通報から列車到達までの時間が短く。

 

停止距離不足。

 

運転士側過失。

 

なし。

 

列車。

 

先頭三両大破。

 

四〜六両目。

 

中破。

 

後部車両。

 

比較的軽度。

 

死者。

 

なし。

 

負傷者。

 

多数。

 

鉄道会社社長が。

 

犬島へ直接礼を述べた。

 

「あなたの船がなければ」

 

犬島は。

 

すぐ言う。

 

「運転士さんもブレーキを掛けとります」

 

「消防の人も」

 

「列車の中で助け合った人も」

 

「いっぱいおります」

 

社長は。

 

それでも。

 

「それでも」

 

と続ける。

 

「川へ直接落ちなかったことは大きい」

 

犬島は。

 

少しだけ。

 

自分の実艦を見る。

 

前甲板。

 

列車が乗った跡。

 

大きくへこんでいる。

 

「……役に立ったなら」

 

「ええです」

 

---

 

二十 復旧した久瀬川鉄橋

 

鉄橋。

 

長期間運休。

 

仮設輸送。

 

バス代行。

 

貨物迂回。

 

新橋脚。

 

新桁。

 

安全対策。

 

数か月後。

 

復旧。

 

最初の試運転列車。

 

犬島は。

 

修理途中。

 

タグに曳かれ。

 

河口付近から見守った。

 

列車が。

 

ゆっくり。

 

新しい橋を渡る。

 

犬島は。

 

じっと見る。

 

提督が隣で尋ねる。

 

「何を考えている」

 

犬島。

 

「今度は」

 

少し間。

 

「上を普通に走っとるなって」

 

「それが普通だ」

 

「はい」

 

犬島は。

 

少しだけ笑う。

 

「普通がええです」

 

---

 

二十一 犬島の記録

 

修理後。

 

犬島は。

 

事故報告書の最後へ。

 

自分の手で追記した。

 

«海央丸は操舵故障によって犬島へ衝突したものであり、故意ではない。»

 

«列車運転士は非常制動を実施しており、停止できなかったことを乗務員の過失として扱わない。»

 

«鉄橋への接触を防ぐことはできなかった。»

 

«ただし、列車の河川への直接落下を犬島船体で受け止める結果となり、死者は発生しなかった。»

 

そして。

 

最後。

 

«橋は壊れました。»

 

«うちもかなり壊れました。»

 

«列車も壊れました。»

 

«でも、みんなおります。»

 

«なら、直せるものから直せばええです。»

 

---

 

二十二 本編との区別

 

この世界線では。

 

第三次久瀬川河口進入事故は。

 

鉄道橋崩落。

 

十二両普通列車脱線・一部落下。

 

大型貨物船大破。

 

犬島大破。

 

重軽傷者多数。

 

という。

 

本編よりはるかに大きな事故となった。

 

それでも。

 

死者は出なかった。

 

犬島が。

 

貨物船を最後まで減速させ。

 

橋の真下近くに押し込まれ。

 

崩れた列車を。

 

自分の艦上で受け止めたからだった。

 

ただし。

 

これは。

 

第三次久瀬川河口進入事故の別の可能性。

 

犬島の本来の物語では。

 

衝突相手は準中型貨物船。

 

鉄道橋へ接近していたのは四両普通列車。

 

両船は橋脚まで約十七メートル。

 

列車は橋手前約四十メートル。

 

橋梁への衝突も。

 

列車落下も起きていない。

 

そちらが。

 

本編の第三次久瀬川河口進入事故である。

 

この世界線だけ。

 

犬島は後年。

 

久瀬川鉄橋を通る列車を見るたび。

 

少しだけ上を確認する癖がついた。

 

「今日は落ちてこんですよね」

 

提督が答える。

 

「普通は落ちてこない」

 

犬島は。

 

少し不満そうに。

 

「普通でお願いします」

 

と返すのだった。

 

――犬島から降りた十二両――

 

第三次久瀬川河口進入事故・重大事故分岐 後日談

 

事故発生から七時間。

 

久瀬川鉄橋。

 

橋脚は大きく損傷。

 

橋桁の一部は沈下。

 

大型貨物船「海央丸」は犬島の左舷へ押し付けられたまま停止。

 

その中央。

 

本来なら列車が存在するはずのない場所に。

 

十二両編成の普通列車があった。

 

一〜三両目。

 

橋から脱落。

 

一両目は犬島の前甲板。

 

二両目は犬島の上部構造物と残存橋桁の間。

 

三両目は犬島の中央部付近へ斜めに載っている。

 

四両目。

 

半分ほど橋梁から外れた状態。

 

五両目以降。

 

脱線しながらも橋上または陸側に残存。

 

乗客。

 

全員救出済み。

 

死者。

 

〇。

 

それを確認して。

 

ようやく犬島は言った。

 

「次は……」

 

疲れた声だった。

 

「列車を降ろしてください」

 

---

 

一 動かしてはいけない犬島

 

事故直後。

 

救助隊が最初に考えたのは。

 

犬島を大型貨物船から離すことだった。

 

だが。

 

犬島本人が止めた。

 

「まだ駄目です」

 

「どうしてだ?」

 

犬島は。

 

頭上を指した。

 

「一両目と三両目は、うちが支えとります」

 

「二両目は橋と、うちの艦橋側で止まっとります」

 

「今動いたら」

 

「車両が川へ行くかもしれません」

 

そのため。

 

救助終了後も。

 

犬島は動かなかった。

 

両錨。

 

投下状態。

 

海央丸。

 

機関停止。

 

タグボート四隻。

 

双方の位置保持。

 

犬島自身は。

 

複数区画へ浸水し。

 

艦首。

 

前甲板。

 

左舷中央。

 

上部構造物。

 

広範囲に損傷している。

 

それでも。

 

排水だけを続ける。

 

「犬島」

 

提督から無線。

 

『いつまで持てる』

 

「分かりません」

 

『危なくなったら言え』

 

「はい」

 

少し間。

 

「でも」

 

『何だ』

 

「列車が先です」

 

提督は。

 

すぐには答えなかった。

 

やがて。

 

『分かった』

 

『列車を降ろす』

 

と答えた。

 

---

 

二 鉄道会社の決断

 

事故翌朝。

 

鉄道会社本社。

 

臨時対策会議。

 

議題。

 

事故編成の処遇。

 

通常なら。

 

橋梁から落下し。

 

車体が大きく変形。

 

床下機器も損傷。

 

構体へ負荷を受けた車両。

 

経済性だけを考えれば。

 

新造車への置換も検討される。

 

だが。

 

鉄道会社社長は。

 

最初から一つの条件を出した。

 

「十二両とも回収する」

 

技術部長。

 

「先頭三両は損傷が大きいです」

 

「分かっている」

 

「修復費用は新造に近くなる可能性があります」

 

「それでもだ」

 

理由。

 

単なる感情ではない。

 

十二両。

 

全車。

 

乗客の生命を守った。

 

非常ブレーキも正常に作動した。

 

車体も。

 

落下後。

 

可能な限り客室空間を残した。

 

そして。

 

犬島の上へ落ちた三両は。

 

沈まなかった。

 

社長が言う。

 

「この編成は事故を起こした列車ではない」

 

「事故の中で乗客を守った列車だ」

 

「修復可能なら」

 

「戻す」

 

---

 

三 最初に降ろすのは一両目

 

犬島から車両を下ろす作業。

 

簡単ではなかった。

 

大型クレーン船。

 

二隻。

 

陸側。

 

大型移動式クレーン。

 

橋梁側。

 

仮設支持梁。

 

鉄道会社。

 

造船所。

 

海軍工廠。

 

消防。

 

港湾局。

 

合同作業。

 

犬島の実艦の上には。

 

測定器が大量に置かれる。

 

犬島自身が。

 

荷重の変化を報告する。

 

「一両目」

 

「今、少し軽くなりました」

 

吊り上げ。

 

数センチ。

 

列車が。

 

犬島の前甲板から浮く。

 

犬島の甲板。

 

大きく沈んでいた部分が見える。

 

第一主砲周辺。

 

損傷。

 

しかし。

 

車両の床下。

 

犬島の甲板。

 

互いに食い込むような形で。

 

列車を止めていた。

 

クレーンオペレーター。

 

慎重に。

 

吊る。

 

犬島が言う。

 

「右側、もう少しです」

 

「車体が手すりに引っ掛かっとります」

 

鉄道技術者。

 

「確認!」

 

切断ではなく。

 

犬島側の変形した手すりを。

 

一時的に外す。

 

そして。

 

事故から十五時間二十二分。

 

一両目。

 

犬島から離れた。

 

岸壁上に用意された。

 

仮設台車へ降ろされる。

 

犬島は。

 

その車両を見た。

 

前面。

 

大きく損傷。

 

側面。

 

へこみ。

 

窓。

 

複数破損。

 

だが。

 

車体は。

 

原形を残している。

 

「……降りました」

 

---

 

四 二両目

 

二両目。

 

最も難しかった。

 

一端。

 

橋桁。

 

もう一端。

 

犬島の艦橋前部。

 

斜め。

 

下には川。

 

不用意に持ち上げれば。

 

橋の残存部が崩れる。

 

そのため。

 

先に。

 

二両目へ仮設フレームを取り付ける。

 

四点吊り。

 

さらに。

 

横揺れ防止索。

 

犬島側にも。

 

仮設支持台。

 

犬島は。

 

自分の艦橋前面に載る車両を見ながら。

 

少し困ったように言った。

 

「列車って」

 

工員。

 

「ん?」

 

「近くで見ると大きいですね」

 

「今さらか」

 

「上から落ちてくるとは思いませんでした」

 

工員は。

 

返事に困る。

 

吊り上げ開始。

 

二両目。

 

ゆっくり。

 

橋から離れる。

 

犬島の上部構造物から。

 

離れる。

 

犬島が。

 

大きく息を吐いた。

 

「軽いです」

 

「まだ三両目があるぞ」

 

「知っとります」

 

---

 

五 三両目が最後まで残る

 

三両目。

 

犬島の中央部。

 

中央十二糎砲付近。

 

もっとも深く。

 

犬島の艦上へ入り込んでいた車両。

 

車体下部。

 

大きく変形。

 

だが。

 

客室部分。

 

かなり残っている。

 

この車両には。

 

重傷者が最も多かった。

 

同時に。

 

犬島の上に落ちたことで。

 

川への直接落下を免れた車両でもあった。

 

鉄道会社の技術者が。

 

車体へ触れる。

 

「これも直す」

 

海軍工廠の技師が。

 

少し驚く。

 

「ここまで変形しているぞ」

 

「直します」

 

「構体交換がかなり必要になる」

 

「それでもです」

 

犬島が。

 

横から言う。

 

「直せるんですか」

 

鉄道技術者。

 

「時間はかかる」

 

「でも直す」

 

犬島は。

 

少し笑った。

 

「なら」

 

「うちと一緒ですね」

 

---

 

六 列車が全部降りた瞬間

 

事故から。

 

二十七時間四十一分。

 

三両目。

 

吊り上げ。

 

犬島から離れる。

 

大型クレーン。

 

岸へ旋回。

 

仮設台車へ。

 

着地。

 

犬島の艦上。

 

ようやく。

 

列車がなくなる。

 

残るのは。

 

折れた架台。

 

へこんだ甲板。

 

壊れた第一主砲周辺。

 

曲がった上部構造物。

 

そして。

 

列車車体の形に近い。

 

大きな圧痕。

 

犬島は。

 

しばらく。

 

自分の甲板を見る。

 

提督が尋ねる。

 

「どうした」

 

「急に軽くなりました」

 

「当然だ」

 

「三両も乗っとりましたから」

 

少し間。

 

「でも」

 

犬島は岸を見る。

 

一両目。

 

二両目。

 

三両目。

 

「全部、陸におります」

 

「ああ」

 

「よかったです」

 

---

 

七 十二両は工場へ

 

事故編成。

 

十二両。

 

一〜三両。

 

大型低床トレーラー。

 

四〜六両。

 

応急台車。

 

七〜十二両。

 

線路復旧後。

 

自力走行はせず。

 

別の車両に牽引。

 

全車。

 

鉄道会社の中央車両工場へ集められた。

 

工場。

 

入場線。

 

事故編成十二両。

 

一列に並べられる。

 

損傷程度。

 

一両目。

 

大破。

 

二両目。

 

大破。

 

三両目。

 

大破。

 

四両目。

 

中破。

 

五・六両目。

 

中破。

 

七〜十二両目。

 

軽度から中程度。

 

普通なら。

 

編成を分けてもおかしくない。

 

しかし。

 

会社方針。

 

十二両全車修復。

 

編成番号。

 

変更なし。

 

車番。

 

変更なし。

 

事故前の編成として。

 

戻す。

 

---

 

八 修復方針

 

一両目。

 

前頭部。

 

大規模交換。

 

台枠。

 

一部交換。

 

運転台。

 

再構築。

 

ただし。

 

車体番号板。

 

事故当時のものを。

 

修復して再使用。

 

二両目。

 

車体構体。

 

約四割交換。

 

屋根。

 

床。

 

側構体。

 

大規模修正。

 

三両目。

 

床下機器。

 

ほぼ全交換。

 

台車。

 

新製。

 

車体側面。

 

大部分再構築。

 

四〜六両目。

 

台車。

 

連結器。

 

車体構体。

 

修理。

 

七〜十二両目。

 

配線。

 

ブレーキ系統。

 

扉。

 

窓。

 

座席。

 

検査。

 

そして。

 

一つだけ。

 

全車共通の方針。

 

事故当時の傷を。

 

すべて消すわけではない。

 

安全上問題のない。

 

小さな痕跡を。

 

一か所だけ残す。

 

一〜三両目には。

 

犬島の甲板や構造物へ接触した痕跡の一部。

 

修復後。

 

透明保護板で覆う。

 

その横。

 

小さな銘板。

 

«久瀬川鉄橋事故時保存痕»

 

ただし。

 

事故を美化するためではない。

 

「ここまで壊れても」

 

「乗客が帰れた」

 

ことを残すためだった。

 

---

 

九 犬島も同時に修理中

 

その頃。

 

犬島も。

 

造船所。

 

大規模修理。

 

艦首。

 

再構築。

 

前甲板。

 

交換。

 

第一主砲基部。

 

修復。

 

左舷中央。

 

広範囲外板交換。

 

上部構造物。

 

修復。

 

中央十二糎砲。

 

基部再調整。

 

犬島は。

 

修理ドックから。

 

鉄道会社の工場へ。

 

時々連絡した。

 

最初は。

 

提督を通じて。

 

「一両目はどうですか」

 

「前頭部再構築中」

 

「二両目は?」

 

「構体修正」

 

「三両目」

 

「台枠検査中」

 

何度も聞く。

 

提督が。

 

少し呆れる。

 

「犬島」

 

「はい」

 

「自分の修理状況も気にしろ」

 

「うちは工員さんが見とります」

 

「列車も鉄道員が見ている」

 

犬島は少し考える。

 

「それでも気になります」

 

---

 

十 初めての再会

 

事故から。

 

四か月。

 

犬島。

 

まだ修理中。

 

だが。

 

外出許可。

 

鉄道会社中央車両工場。

 

犬島が。

 

初めて。

 

事故編成を見に行った。

 

工場の奥。

 

一両目。

 

新しい前面。

 

まだ塗装前。

 

二両目。

 

構体だけ。

 

三両目。

 

床下機器を載せ直している。

 

犬島は。

 

一両目の前で止まる。

 

「ほんまに直っとる……」

 

鉄道技術者。

 

「まだ途中だ」

 

犬島が。

 

側面へ回る。

 

一か所。

 

小さなへこみ。

 

そのまま。

 

残している。

 

「ここ」

 

「犬島の甲板へ当たった場所だ」

 

犬島は。

 

少し複雑な顔をする。

 

「直さんのですか」

 

「強度には関係ない」

 

「事故の記録として残すことになった」

 

犬島は。

 

触らない。

 

ただ見る。

 

「……うちにも」

 

「列車が乗った跡が少し残るそうです」

 

技術者が笑う。

 

「お揃いだな」

 

犬島は。

 

少し考えて。

 

「変なお揃いです」

 

---

 

十一 編成復元

 

事故から。

 

十か月。

 

十二両。

 

再び。

 

一本の編成になる。

 

一号車。

 

二号車。

 

三号車。

 

四号車。

 

五号車。

 

六号車。

 

七号車。

 

八号車。

 

九号車。

 

十号車。

 

十一号車。

 

十二号車。

 

連結。

 

電気回路。

 

空気管。

 

情報系統。

 

接続。

 

初回通電。

 

異常なし。

 

扉。

 

開閉。

 

正常。

 

照明。

 

正常。

 

放送。

 

正常。

 

制動試験。

 

正常。

 

低速走行。

 

正常。

 

高速走行試験。

 

正常。

 

鉄道会社は。

 

事故編成へ。

 

新しい名前を付けなかった。

 

特別塗装にも。

 

変更しない。

 

事故以前と。

 

同じ普通列車の姿。

 

理由。

 

社長。

 

「この列車は記念物になるために直したのではない」

 

「もう一度」

 

「普通の列車として走らせるために直した」

 

---

 

十二 犬島に届いた招待状

 

犬島。

 

第一岸壁。

 

郵便。

 

鉄道会社から。

 

封筒。

 

«事故編成営業運転復帰式へのご案内»

 

犬島は。

 

何度か読む。

 

提督。

 

「行くか」

 

「……はい」

 

「迷った?」

 

「少し」

 

「なぜ」

 

犬島は答える。

 

「うちの上に乗っとった時と」

 

「普通に線路へおるところが」

 

「ちゃんと同じ列車に見えるか」

 

提督は。

 

少し笑う。

 

「見に行けば分かる」

 

---

 

十三 十二両が戻る日

 

事故から。

 

一年と二十三日。

 

復帰当日。

 

駅。

 

ホーム。

 

十二両編成。

 

事故前と同じ塗装。

 

同じ形式。

 

同じ編成番号。

 

犬島は。

 

ホーム端。

 

提督。

 

鉄道会社関係者。

 

事故当時の運転士。

 

車掌。

 

救助隊員。

 

そして。

 

当時の乗客。

 

希望者。

 

多くが集まった。

 

犬島は。

 

先頭車を見る。

 

「……列車です」

 

提督。

 

「最初から列車だ」

 

「前に見た時」

 

「うちの甲板に乗っとったので」

 

犬島は。

 

一両目の前へ。

 

運転士。

 

同じ人物。

 

「犬島さん」

 

「はい」

 

「今日は落ちません」

 

犬島は少し笑う。

 

「お願いします」

 

---

 

十四 復帰列車に乗る犬島

 

鉄道会社から。

 

犬島へ。

 

一つ提案。

 

「最初の列車へ乗りませんか」

 

犬島。

 

「うちが?」

 

「はい」

 

犬島は。

 

少し悩む。

 

艦。

 

ではない。

 

列車。

 

しかも。

 

自分の艦上へ落ちた列車。

 

提督が尋ねる。

 

「怖いか」

 

犬島は首を横へ振る。

 

「ちょっと変な感じです」

 

それでも。

 

乗車。

 

一両目。

 

事故当時。

 

犬島の前甲板へ落ちた車両。

 

犬島は。

 

窓側へ座る。

 

列車。

 

発車。

 

静かに。

 

駅を離れる。

 

犬島が。

 

車内を見る。

 

普通。

 

座席。

 

乗客。

 

窓。

 

広告。

 

吊り革。

 

どこにも。

 

事故当時の混乱はない。

 

犬島は。

 

少し安心した。

 

「普通ですね」

 

提督。

 

「普通列車だからな」

 

「そういう意味じゃありません」

 

---

 

十五 久瀬川へ

 

そして。

 

列車は。

 

久瀬川へ近づく。

 

復旧された鉄橋。

 

新しい橋脚。

 

新しい桁。

 

線路。

 

犬島は。

 

窓から外を見る。

 

下。

 

川。

 

事故地点。

 

あの日。

 

自分の実艦がいたところ。

 

犬島の手が。

 

少しだけ。

 

深緑色のスカーフへ行く。

 

列車。

 

減速しない。

 

普通に。

 

橋へ進入。

 

鉄橋。

 

通過。

 

ごとん。

 

ごとん。

 

ただ。

 

普通に。

 

十二両。

 

全部。

 

橋を渡る。

 

犬島は。

 

後ろを見る。

 

川。

 

遠ざかる。

 

「渡りました」

 

提督。

 

「ああ」

 

「全部?」

 

「十二両全部」

 

犬島は。

 

ようやく。

 

少し笑った。

 

「よかったです」

 

---

 

十六 事故車ではなくなる

 

復帰後。

 

十二両編成は。

 

特別扱いされなかった。

 

朝。

 

通勤客。

 

昼。

 

買い物客。

 

夕方。

 

学生。

 

会社員。

 

休日。

 

家族。

 

毎日。

 

普通に走る。

 

もちろん。

 

事故を知っている人もいる。

 

だが。

 

時間が経つにつれ。

 

「あの事故の列車」

 

ではなく。

 

「いつもの十二両」

 

へ戻っていった。

 

犬島は。

 

それを気に入っていた。

 

ある日。

 

第一岸壁。

 

遠くに。

 

鉄橋を渡る十二両編成が見えた。

 

犬島が。

 

少しだけ手を振る。

 

提督。

 

「列車からは見えないぞ」

 

「知っとります」

 

「ではなぜ」

 

犬島は。

 

答える。

 

「普通に走っとるので」

 

---

 

十七 一両目に残されたもの

 

一両目。

 

運転台の後ろ。

 

乗客からは目立たない場所。

 

小さなプレート。

 

派手な記念碑ではない。

 

そこには。

 

こう記されていた。

 

«本車両は久瀬川鉄橋事故において損傷し、修復された。»

 

«乗客・乗務員全員帰還。»

 

それだけ。

 

犬島の名前も。

 

海央丸の名前も。

 

英雄的な文章もない。

 

ただ。

 

全員帰還。

 

犬島は。

 

それを見た時。

 

かなり気に入った。

 

「これでええです」

 

鉄道会社職員。

 

「犬島さんの名前を入れなくてよかった?」

 

「はい」

 

「どうして」

 

犬島は答える。

 

「列車の中の人も」

 

「運転士さんも」

 

「救助の人も」

 

「海央丸の人も」

 

「みんなで帰ったので」

 

---

 

十八 犬島との不思議な関係

 

事故後。

 

十二両編成には。

 

鉄道員の間で。

 

非公式な呼び名ができた。

 

「犬島編成」

 

正式名称ではない。

 

犬島本人が知ったのは。

 

かなり後。

 

「何でうちの名前なんですか」

 

整備員。

 

「一回乗っただろ」

 

「復帰列車で一回です」

 

「その前にも乗った」

 

犬島。

 

「……?」

 

整備員。

 

「艦の上に」

 

犬島の顔が。

 

少しむっとする。

 

「それは乗ったんじゃなくて」

 

「乗られたんです」

 

「三両も」

 

周囲。

 

笑う。

 

犬島も。

 

最後には。

 

少し笑った。

 

---

 

十九 修理されたもの同士

 

一年半後。

 

犬島。

 

修理済み。

 

十二両普通列車。

 

修理済み。

 

久瀬川鉄橋。

 

再建済み。

 

海央丸。

 

修理済み。

 

すべて。

 

また使われていた。

 

壊れた。

 

直した。

 

そして。

 

戻った。

 

犬島は。

 

その事実が好きだった。

 

提督が言う。

 

「犬島らしいな」

 

「何がですか」

 

「事故の後」

 

「保存するより、また使えるようになったものを喜ぶところが」

 

犬島は。

 

少し考える。

 

「使えるなら」

 

「使った方がええです」

 

そして。

 

いつもの言葉。

 

「壊れたら、また直しゃあええ」

 

提督が続ける。

 

「列車も?」

 

「はい」

 

「橋も?」

 

「はい」

 

「犬島も?」

 

犬島は。

 

深緑色のスカーフを整えて。

 

少し笑った。

 

「もちろんです」

 

---

 

二十 その後の十二両

 

事故編成は。

 

その後も。

 

長く普通列車として運用された。

 

事故のために。

 

特別な運用へ固定されることはない。

 

快速にも入る。

 

普通にも入る。

 

朝ラッシュ。

 

夕方。

 

休日。

 

他の編成と同じ。

 

ただし。

 

鉄道会社では。

 

通常より細かい構体検査が。

 

しばらく続けられた。

 

修復一周年。

 

異常なし。

 

三周年。

 

異常なし。

 

五周年。

 

異常なし。

 

十周年。

 

構体。

 

問題なし。

 

犬島は。

 

十周年の報告を聞いて。

 

「丈夫ですね」

 

と言った。

 

鉄道技術者からは。

 

「犬島に言われたくない」

 

と返された。

 

犬島。

 

「何でですか」

 

「列車三両を載せて沈まなかった艦が何を言う」

 

犬島は。

 

少し考える。

 

「……それもそうですね」

 

---

 

二十一 久瀬川鉄橋を渡るたびに

 

事故編成が。

 

久瀬川鉄橋を渡る。

 

その下に。

 

犬島はいない。

 

大型貨物船も。

 

橋へ突っ込んでこない。

 

列車は。

 

普通に。

 

川を越える。

 

十二両すべて。

 

向こう岸へ。

 

それが。

 

この世界線における。

 

事故列車のその後だった。

 

壊れたから。

 

終わるのではない。

 

事故に遭ったから。

 

事故そのものになるのでもない。

 

修理し。

 

検査し。

 

線路へ戻り。

 

また人を運ぶ。

 

犬島が。

 

遠くからその列車を見て。

 

ぽつりと言った。

 

「今度は」

 

提督。

 

「何だ」

 

「うちの上じゃなくて」

 

鉄橋の上。

 

十二両編成が。

 

静かに走っていく。

 

「ちゃんと線路の上におります」

 

提督が答える。

 

「あれが本来の場所だからな」

 

犬島は頷く。

 

「はい」

 

少し間。

 

「そっちの方が、ずっとええです」

 

そして。

 

十二両の列車は。

 

今日も。

 

久瀬川を渡っていった。

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