搭乗員はおらず艦娘が制御していたが突如制御不能になったことが原因。
航空機の所属艦は日本正規空母艦娘
海防艦・犬島
――空から落ちてきた彗星――
味方艦爆・艦橋衝突事故
犬島は。
海の上から来るものには、かなり注意していた。
貨物船。
漂流物。
切れた曳航索。
海底から浮き上がった鋼索。
河口。
最近では、港湾クレーンまで。
前。
横。
後ろ。
海面。
時には海底。
確認する場所は増える一方だった。
だが。
その日。
犬島にぶつかったものは。
空から来た。
しかも。
敵機ではない。
味方だった。
---
一 瑞鶴航空隊
午前十時二十分。
鎮守府沖。
航空訓練海域。
参加艦。
正規空母艦娘・瑞鶴。
海防艦・犬島。
その他支援艦艇。
訓練内容。
艦上爆撃機による対艦攻撃進入。
ただし。
実際に犬島を攻撃するものではない。
犬島は標的艦役ですらなかった。
指定航路上を航行し。
航空隊から十分に離れた場所で。
対空見張り訓練を実施する予定。
瑞鶴が運用していた機体。
艦上爆撃機。
彗星。
艦娘による遠隔直接制御方式。
搭乗員。
なし。
瑞鶴自身が。
機体の姿勢。
速度。
針路。
機関。
兵装状態。
すべてを感覚的に把握して操る。
そのうち一機。
機体番号。
瑞鶴航空隊・彗星二一号機。
搭載兵装。
胴体下。
五百キログラム爆弾一発。
実戦を想定した搭載訓練だった。
ただし。
爆弾は機体から正常に投下され。
所定の作動条件が成立するまで。
安全状態を保つ設定になっていた。
事故は。
その二一号機で起きた。
---
二 「変」
瑞鶴は。
海面上空を飛ぶ二一号機を。
いつものように感じていた。
高度。
約千二百メートル。
速度。
正常。
機関。
正常。
操縦。
正常。
瑞鶴。
「二一号機、次の旋回入るよ」
機体。
左旋回。
正常。
ところが。
旋回終了直前。
瑞鶴の表情が変わった。
「……あれ?」
翔鶴が。
隣から見る。
「瑞鶴?」
「ちょっと待って」
瑞鶴は二一号機へ。
右への修正を送る。
反応。
ない。
「右へ」
反応なし。
「二一号機、右!」
機体は。
左へ傾いたまま。
ゆっくり高度を落とし始める。
瑞鶴。
「何で!?」
機関出力を絞る。
反応。
遅延。
姿勢制御。
反応なし。
瑞鶴の顔から。
血の気が引いた。
「翔鶴姉!」
翔鶴も。
二一号機を見る。
「制御不能?」
「信号は届いてる!」
瑞鶴が叫ぶ。
「でも動かない!」
---
三 その先に犬島
二一号機。
左旋回。
降下。
その先。
約三千メートル。
犬島。
犬島は。
艦橋前方で。
対空見張りをしていた。
「瑞鶴さんの彗星」
「一機」
目で追う。
少し違和感。
進入角。
おかしい。
訓練区域から。
外れ始めている。
犬島が無線。
「瑞鶴さん」
「二一号機、こっち向いとります」
すぐ返答。
『犬島!』
瑞鶴の声。
いつもの勢いがない。
『避けて!』
犬島の表情が変わる。
「操縦不能ですか」
『そう!』
犬島は。
即座に実艦を動かす。
「両舷機関、最大!」
舵。
右。
犬島。
急回頭。
だが。
海防艦。
七十八・九メートル。
航空機と比べれば。
動きは遅い。
空から落ちてくる機体を。
見てから避けるには。
距離が短かった。
---
四 五百キロ
翔鶴から。
別無線。
『犬島さん!』
「はい!」
『その機体、五百キロ爆弾を搭載しています!』
犬島が。
一瞬。
上を見る。
彗星。
かなり大きくなっている。
「……それは」
少し間。
「先に言ってほしかったです」
瑞鶴。
『ごめん!』
「謝るのは後です!」
犬島は。
艦首を右へ振る。
彗星の予想落下線。
艦尾側へずらしたい。
犬島自身の実艦。
最大回頭。
右舷機。
出力調整。
左舷機。
最大。
舵。
右最大。
犬島。
「もう少し……!」
瑞鶴も。
二一号機の制御を諦めていない。
『昇れ!』
『機首上げて!』
機体。
反応しない。
だが。
一瞬。
昇降舵が。
わずかに動く。
彗星の機首。
ほんの少し。
上。
完全な墜落角度から。
浅くなる。
瑞鶴。
「動いた!」
しかし。
遅い。
---
五 衝突
午前十時二十七分十九秒。
彗星二一号機。
犬島。
相対位置。
機体は。
犬島艦橋正面。
わずかに左寄り。
犬島が。
上を見る。
「来る……!」
直前。
瑞鶴が送った最後の制御。
機体。
ほんの少し。
左翼を上げる。
そのため。
真正面からではなく。
斜め。
彗星の右翼。
最初に。
犬島の前部マストへ。
衝突。
金属音。
マスト。
大きく曲がる。
続いて。
胴体。
犬島の艦橋上部へ。
激突。
轟音。
犬島自身。
強い衝撃。
「っ――!」
艦橋屋根。
大きく変形。
電探。
破損。
艦橋前面。
一部損傷。
彗星。
機体中央部。
破壊。
翼。
折れる。
破片。
前甲板へ。
そして。
もっとも危険なもの。
五百キログラム爆弾。
機体から。
外れた。
犬島の前甲板へ。
落下。
どん。
という。
重い音。
犬島が。
それを見る。
数秒。
時間が。
止まったように感じた。
---
六 「爆弾があります」
無線。
瑞鶴。
『犬島!』
翔鶴。
『犬島さん!』
犬島は。
動かない。
前甲板。
五百キログラム爆弾。
横倒し。
少し転がっただけ。
静止。
犬島が。
ゆっくり言う。
「……あります」
瑞鶴。
『何が!?』
犬島。
「爆弾です」
瑞鶴。
沈黙。
翔鶴。
『触らないでください!』
犬島。
「触りません!」
『機関を止めて!』
「止めます!」
犬島。
両舷機関停止。
実艦。
惰性。
徐々に減速。
犬島自身も。
艦橋から。
不用意に前甲板へ行かない。
まず。
火災確認。
航空燃料。
彗星の残骸。
一部から煙。
犬島。
消火装置。
作動。
前部甲板。
放水。
火。
数分で。
抑える。
問題は。
爆弾。
---
七 なぜ爆発しなかったか
後から分かった。
五百キログラム爆弾そのもの。
異常なし。
ただし。
事故発生時。
まだ。
訓練上の攻撃進入段階。
投下操作。
未実施。
爆弾。
機体搭載状態。
安全。
そのまま。
機体破壊によって。
物理的に外れた。
つまり。
通常の投下手順を。
通っていなかった。
衝撃は。
確かに大きかった。
だが。
爆発を作動させる状態には。
移っていなかった。
そのため。
犬島の甲板へ落ちても。
爆発しなかった。
犬島が。
後で説明を聞き。
一言。
「そこだけは」
「ちゃんと仕事してくれたんですね」
だった。
---
八 瑞鶴が来る
事故から。
約三十分。
瑞鶴。
翔鶴。
現場へ。
瑞鶴は。
犬島を見る。
艦橋。
潰れてはいない。
だが。
上部。
大きく壊れている。
前部マスト。
折れ。
電探。
失われ。
彗星の残骸。
甲板上。
そして。
爆弾処理班。
作業中。
瑞鶴は。
犬島へ近づく。
「犬島……」
犬島が。
振り返る。
「瑞鶴さん」
瑞鶴。
言葉が出ない。
犬島。
「怪我してませんか」
瑞鶴が。
逆に驚く。
「私!?」
「はい」
「私は何ともない!」
「ならよかったです」
「よくない!」
瑞鶴の声が。
強くなる。
「私の艦爆が」
「犬島の艦橋に」
犬島が。
少し首を横へ振る。
「制御不能だったんでしょう」
瑞鶴。
「でも私の機体よ!」
犬島。
「瑞鶴さんがぶつけたんじゃありません」
---
九 翔鶴が止める
瑞鶴は。
それでも。
自分を責める。
「もっと早く気づいてれば」
「非常停止できたかもしれない」
「兵装だって――」
翔鶴。
「瑞鶴」
静かな声。
瑞鶴が止まる。
翔鶴。
「まだ原因は調査されていません」
「今は」
「犬島さんが無事だったことを確認しましょう」
瑞鶴。
「……うん」
犬島が。
少し困った顔で。
「うちはおります」
翔鶴。
「艦橋にかなり損傷があります」
犬島。
「直せます」
瑞鶴。
「簡単に言わないでよ」
犬島は。
少しだけ笑う。
「壊れたら」
「また直しゃあええです」
瑞鶴は。
それ以上。
何も言えなかった。
---
十 機体調査
彗星二一号機。
残骸。
回収。
艦娘航空機技術部。
瑞鶴。
翔鶴。
軍令部。
合同調査。
重点。
なぜ。
瑞鶴から制御信号が送られていたにもかかわらず。
機体が。
突然。
反応しなくなったのか。
結果。
原因。
機体中央部。
制御信号変換装置。
内部電源ユニット。
製造時。
微細な接合不良。
通常飛行時。
問題なし。
しかし。
訓練中。
振動。
温度上昇。
複数条件が重なり。
接合部。
一瞬。
断続。
制御装置が。
誤った姿勢データを保持。
さらに。
安全回復回路も。
同一電源を使用していたため。
同時に機能低下。
瑞鶴からの命令そのものは。
機体まで届いていた。
だが。
操舵面へ。
正しく伝達されなかった。
そして。
衝突直前。
電源接合部が一時的に戻ったことで。
瑞鶴の最後の機首上げ命令だけが。
部分的に反映された。
その数度の違いが。
犬島の艦橋へ。
より深く突っ込むことを。
わずかに防いでいた。
---
十一 過失なし
調査委員会。
結論。
犬島
指定された航路。
正常。
航空訓練区域外。
見張り。
正常。
異常機発見後。
即座に回避。
回頭。
最大限。
過失なし。
瑞鶴
二一号機。
訓練前点検。
実施。
操縦。
規定どおり。
異常発生後。
複数回の姿勢回復操作。
犬島へ警告。
最後まで操縦回復を試行。
過失なし。
翔鶴
事故への関与なし。
機体整備班
規定点検。
実施済。
内部接合不良。
通常点検では。
発見困難。
重大な整備過失。
なし。
事故分類。
«艦娘制御式艦上爆撃機・制御系統突発故障による偶発事故»
犬島は。
報告書を読んで。
最初に。
瑞鶴の欄を見る。
過失なし。
それを。
指で。
二回。
確認した。
---
十二 瑞鶴へ見せる
数日後。
犬島。
修理ドック。
瑞鶴が来る。
犬島は。
事故報告書を持っている。
「瑞鶴さん」
「何」
犬島が。
一ページ。
見せる。
«瑞鶴:過失なし。»
瑞鶴。
黙る。
犬島。
「ここ」
「読みましたか」
「読んだわよ」
「なら」
犬島は言う。
「もう」
「うちに謝らんでください」
瑞鶴。
「でも」
犬島。
「うちも」
「貨物船にぶつかられたことあります」
「ワイヤも巻いたことあります」
「クレーンも来ました」
瑞鶴。
「最後の三つを一緒にする話?」
犬島。
「事故は」
「事故です」
少し間。
「誰かが悪くない事故で」
「悪い人を作らんでもええです」
瑞鶴は。
しばらく。
犬島を見る。
「……分かった」
犬島。
「はい」
瑞鶴。
「でも」
「心配くらいはさせて」
犬島は。
少し考える。
「それはええです」
---
十三 犬島の損傷
艦橋上部。
大きく変形。
艦橋天蓋。
部分交換。
前部マスト。
交換。
電探。
新規搭載。
信号灯。
破損。
交換。
艦橋前面窓。
三枚。
交換。
羅針儀台。
軽度変形。
修正。
前甲板。
航空機残骸による。
局所損傷。
五百キログラム爆弾落下地点。
甲板。
へこみ。
最大。
約十九センチ。
ただし。
下部構造。
保持。
第一主砲。
衝突そのものは免れる。
機関。
両舷正常。
推進器。
正常。
舵。
正常。
船体。
浸水なし。
修理期間。
二十三日。
犬島が。
爆弾の落下痕を見る。
工員。
「ここ交換するぞ」
犬島。
「全部?」
「一部は」
犬島。
少し考える。
「小さい部分」
「残せませんか」
「なぜ」
犬島は。
へこんだ甲板を見る。
「爆発せんかったところなので」
工員は。
少し考え。
強度に関係しない。
小さな部材だけ。
保存することにした。
銘板。
«瑞鶴航空隊彗星二一号機事故・前甲板旧材»
犬島は。
その名前を見て。
「瑞鶴さんが怒りそうです」
と言った。
---
十四 機体番号二一
瑞鶴航空隊。
事故後。
同型制御装置。
全数交換。
独立した。
非常回復系統。
追加。
二一号機。
機体そのもの。
再使用不能。
しかし。
機体番号。
「二一」。
瑞鶴は。
欠番にしようとした。
犬島が。
それを聞く。
「何でですか」
瑞鶴。
「事故機だから」
犬島。
「次の機体につけたら駄目ですか」
「嫌じゃない?」
犬島。
「何でうちが?」
「犬島の艦橋に突っ込んだ番号よ」
犬島は。
少し考える。
「でも」
「最後にちょっと機首を上げてくれました」
瑞鶴。
「私が上げたの」
犬島。
「ならなおさらです」
瑞鶴は。
しばらく考えた。
後日。
新しい艦上爆撃機。
機体番号。
二一。
引き継がれた。
ただし。
新二一号機が。
犬島の上空を通る時だけ。
瑞鶴は。
妙に慎重になった。
犬島。
「高度ありますよ」
瑞鶴。
「分かってる!」
「もっと離れますか」
「そこまでしなくていい!」
犬島。
少し笑う。
---
十五 復帰
二十三日後。
第一岸壁。
犬島。
艦橋修理。
完了。
新しい前部マスト。
新しい電探。
甲板。
補修。
実艦。
航行可能。
瑞鶴。
翔鶴。
見送り。
犬島は。
艦橋上へ立つ。
瑞鶴が。
下から言う。
「犬島!」
「はい」
「上!」
犬島が。
反射的に。
空を見る。
何もない。
瑞鶴が。
少し笑う。
犬島。
「何ですか」
瑞鶴。
「ちゃんと上も見てるかなって」
犬島。
少しむっとする。
「最近」
「見るところ多すぎます」
翔鶴が。
少し笑う。
「前、横、後ろ」
犬島。
「海面」
瑞鶴。
「海底」
犬島。
「岸壁」
翔鶴。
「そして」
二人が。
空を見る。
犬島も。
つられて見る。
青空。
航空機。
なし。
犬島。
「……空もです」
---
十六 提督の報告書
事故報告書。
提督所見。
«犬島は異常機確認後、即座に回避運動を開始。»
«艦上爆撃機側の制御不能および高度・速度を考慮すると、犬島側で衝突を避け切ることは困難であった。»
«瑞鶴についても機体故障発生後、犬島への警告および操縦回復を継続しており、衝突直前の姿勢変化は被害軽減へ寄与した。»
«双方に過失なし。»
最後。
«なお、五百キログラム爆弾が作動しなかったことは本事故の被害拡大を防いだ最大要因の一つである。»
犬島は。
そこへ。
鉛筆で。
小さく追記した。
«ほんまに、そこは助かりました。»
提督が見る。
「公文書だぞ」
犬島。
「事実です」
---
十七 空から来るもの
夕方。
第一岸壁。
犬島と提督。
海を見る。
犬島が。
ふと。
空を見る。
提督。
「気になるか」
「少し」
「怖い?」
犬島は。
考える。
「彗星そのものは」
「怖くないです」
「瑞鶴さんも」
「怖くありません」
「では」
犬島は。
少し上を見る。
「急に制御できんくなることが」
「怖いです」
提督。
「ああ」
犬島。
「でも」
「それは」
「瑞鶴さんも同じだったと思います」
「自分の機体なのに」
「言うこと聞かんくなったので」
提督は。
頷く。
犬島は。
少し笑う。
「じゃから」
「うちだけ怖がっとったら」
「瑞鶴さんが困ります」
その時。
遠く。
一機の彗星。
新しい。
二一号機。
高い高度。
犬島の近くではなく。
訓練航路を。
正常に飛ぶ。
犬島は。
見上げる。
今度は。
まっすぐ。
「今日は」
提督。
「何だ」
犬島は答える。
「ちゃんと飛んどります」
そして。
少しだけ。
安心したように。
深緑色のスカーフを整えた。