海防艦・犬島
――もし、彗星が戻らなかったなら――
艦上爆撃機・艦橋直撃爆発事故 別分岐
これは。
本来の事故とは違う。
本来なら。
瑞鶴の制御は。
衝突直前。
ほんの一瞬だけ戻った。
彗星は機首をわずかに上げ。
艦橋への直撃角度を浅くした。
五百キログラム爆弾も。
作動せず。
犬島は。
艦橋を損傷しながらも。
比較的短い修理で海へ戻った。
だが。
もし。
最後まで。
瑞鶴の声が。
彗星へ届かなかったら。
そして。
その五百キログラム爆弾まで。
事故の衝撃と火災で爆発していたら。
犬島にとって。
あの日は。
まったく別の一日になっていた。
---
一 戻らない
午前十時二十七分。
瑞鶴。
二一号機。
制御不能。
「右!」
反応なし。
「機首上げて!」
反応なし。
「二一号機!」
瑞鶴の声が。
訓練海域へ響く。
だが。
彗星は。
下がり続ける。
高度。
三百。
二百五十。
二百。
その先。
犬島。
犬島自身も。
最大回頭。
「もう少し右……!」
舵。
右最大。
左舷機関。
全力。
右舷機関。
回転調整。
実艦は。
必死に向きを変える。
しかし。
空から落ちてくる航空機に対して。
海防艦の回頭は。
あまりにも遅い。
翔鶴。
『犬島さん!』
「はい!」
『二一号機、回復していません!』
瑞鶴。
『避けて!』
犬島は。
上を見る。
彗星。
真正面。
もう。
機体の形が。
はっきり見える距離。
「……間に合わん」
---
二 最後の警告
瑞鶴。
最後まで操作を続ける。
「上がって!」
「お願いだから!」
「動いて!」
何も起きない。
操縦翼面。
固定。
出力。
ほぼ一定。
彗星は。
犬島艦橋へ。
まっすぐ。
落ちてくる。
犬島が。
無線を取る。
「瑞鶴さん」
『犬島!?』
「瑞鶴さんのせいじゃありません」
『何言ってるの!』
「事故です」
『今そんなこと言ってる場合じゃない!』
犬島は。
少しだけ。
笑った。
「じゃあ」
「後で言います」
瑞鶴が。
返事をする前。
犬島は。
艦橋内。
非常遮断。
前部区画。
防火扉。
閉鎖。
弾薬庫。
隔離。
燃料系統。
緊急遮断。
機関室。
防爆配置。
できることを。
全部。
やる。
そして。
上を見る。
「来ます」
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三 艦橋直撃
午前十時二十七分十九秒。
彗星二一号機。
犬島艦橋。
直撃。
最初に。
機首。
艦橋前面。
次に。
エンジン。
艦橋上部。
右翼。
前部マスト。
左翼。
信号設備。
一瞬で。
犬島の視界が。
白くなる。
「――っ!」
轟音。
金属。
ガラス。
機体破片。
前部上構。
大きく破壊。
犬島自身も。
その場で。
膝をつく。
だが。
ここまでは。
まだ。
衝突だった。
その直後。
彗星の航空燃料。
飛散。
火。
そして。
胴体下に残っていた。
五百キログラム爆弾。
機体の破壊とともに。
艦橋後部付近へ。
叩きつけられる。
爆弾本体。
損傷。
信管系。
異常。
安全状態。
維持できず。
数秒。
本当に。
数秒だけ。
犬島が。
燃える艦橋の中で。
息を吸う。
そして。
爆発。
---
四 五百キログラム
爆音。
海面が。
大きく揺れる。
艦橋。
消えるように。
吹き飛ぶ。
前部上構。
大破。
前部マスト。
根元から倒れる。
第一主砲。
砲盾。
損傷。
砲架。
変形。
前甲板。
広範囲に。
歪み。
犬島の実艦。
大きく。
左へ傾く。
翔鶴。
遠方から。
その爆発を見る。
「……犬島さん!」
瑞鶴は。
何も言えなかった。
二一号機の感覚。
爆発と同時に。
消える。
でも。
瑞鶴が気にしたのは。
機体ではない。
その下。
犬島。
煙。
火。
破片。
そして。
無線。
沈黙。
---
五 聞こえない犬島
数秒。
十秒。
二十秒。
瑞鶴。
『犬島!』
返事なし。
翔鶴。
『犬島さん!』
返事なし。
支援艦。
救難艇。
現場へ。
犬島実艦。
まだ浮いている。
船体中央。
船尾。
保持。
だが。
艦橋。
ほぼ崩壊。
前甲板。
炎上。
前部区画。
複数浸水。
傾斜。
左へ。
約七度。
機関。
右舷。
停止。
左舷。
低速維持。
操舵。
不明。
艦内電源。
前部。
喪失。
後部。
非常電源。
生きている。
そして。
犬島本人。
前部上構の破壊と。
強く連動。
意識。
途切れていた。
---
六 最初に戻ったもの
犬島が。
最初に感じたのは。
痛みではなかった。
音。
遠く。
誰かが。
自分を呼んでいる。
『犬島』
聞こえる。
『犬島!』
瑞鶴。
その声。
犬島は。
目を開けようとする。
視界。
ぼやける。
自分が。
どこにいるのか。
分からない。
でも。
実艦。
まだある。
船尾。
機関室。
右舷軸。
左舷軸。
後部甲板。
残っている。
犬島が。
小さく息を吸う。
「……おります」
無線。
拾う。
雑音。
瑞鶴。
『犬島!?』
犬島。
「……おります」
瑞鶴。
声が。
完全に変わる。
『返事して!』
犬島。
「しとります」
翔鶴。
『意識はありますか!?』
犬島。
「たぶん」
瑞鶴。
『たぶんじゃない!』
犬島は。
少しだけ。
笑おうとする。
「じゃあ」
「あります」
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七 犬島が最初に確認したこと
犬島。
自分の状態。
確認。
艦橋。
大破。
前部通信。
不良。
前部火災。
継続。
弾薬庫。
隔離。
成功。
第一主砲。
使用不能。
中央十二糎砲。
使用可能。
後部。
比較的健全。
機関室。
浸水なし。
前部二区画。
浸水。
第三前部区画。
漏水。
排水。
稼働。
浮力。
残っている。
犬島は。
無線。
「瑞鶴さん」
『いる!』
「翔鶴さん」
『はい!』
「周りの艦」
『大丈夫』
「破片で」
少し息を整える。
「誰か怪我してませんか」
瑞鶴。
『今それ聞く!?』
犬島。
「大事です」
翔鶴。
『周辺艦に大きな被害はありません』
犬島。
「よかった」
それから。
少しだけ。
力を抜く。
---
八 火
問題。
前部火災。
爆発で。
消火主管。
一部破断。
前部固定消火。
能力低下。
犬島。
後部系統から。
消火水。
送り直す。
火。
艦橋残骸。
前部甲板。
航空燃料。
塗装。
可燃物。
燃える。
瑞鶴。
『犬島、私が行く!』
犬島。
「来たら駄目です」
『何で!』
「まだ爆発するものがあるかもしれません」
翔鶴。
『救難班が先行します』
犬島。
「お願いします」
瑞鶴。
『私も――』
翔鶴。
「瑞鶴」
「今は待って」
瑞鶴。
歯を食いしばる。
犬島は。
それを聞く。
「瑞鶴さん」
『何』
「ほんまに」
「瑞鶴さんのせいじゃありません」
瑞鶴。
返事。
ない。
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九 第二爆発を防ぐ
犬島。
前部弾薬庫。
温度。
上昇。
危険。
五百キログラム爆弾の爆発。
衝撃。
火。
もし。
弾薬庫まで。
熱が回れば。
もっと悪くなる。
犬島は。
前部弾薬庫。
注水。
決断。
「前部弾薬庫」
「注水します」
提督。
遠隔指揮所から。
通信。
『犬島、許可する』
犬島。
「はい」
注水。
弾薬庫。
使用不能。
だが。
安全。
犬島。
「これで」
「次はないです」
提督。
『よくやった』
犬島。
「まだです」
「火を消します」
---
十 瑞鶴が見た犬島
約四十分後。
火勢。
低下。
救難班。
接近。
瑞鶴と翔鶴。
ようやく。
犬島の近くまで来る。
瑞鶴は。
言葉を失う。
犬島の実艦。
艦橋。
半分以上。
形が変わっている。
前部マスト。
倒壊。
艦橋上部。
吹き飛び。
甲板。
黒く。
歪む。
その中で。
犬島自身が。
まだ立っている。
不安定。
かなり疲れている。
でも。
立っている。
瑞鶴。
「犬島……」
犬島が。
ゆっくり。
見る。
「瑞鶴さん」
「来たんですね」
瑞鶴。
「ごめん」
犬島。
「それ」
「今言ったら」
少し間。
「怒ります」
瑞鶴。
「でも!」
犬島。
「制御不能でした」
「点検もしてました」
「最後まで戻そうとしてました」
「じゃから」
「事故です」
瑞鶴。
目を逸らす。
翔鶴が。
静かに。
瑞鶴の肩へ手を置く。
---
十一 曳航
犬島。
自力航行。
困難。
右舷機関。
停止。
左舷。
生きている。
だが。
船体前部。
損傷大。
強い振動を避ける必要。
タグボート。
三隻。
前。
左右。
犬島。
両錨。
回収。
可能。
曳航索。
接続。
鎮守府へ。
低速。
二ノット。
犬島は。
帰る間。
ほとんど。
話さなかった。
提督。
『犬島』
「はい」
『眠るなよ』
犬島。
「分かっとります」
少し間。
「でも」
『何だ』
「眠いです」
提督。
『港まで付き合え』
犬島。
「はい」
提督。
『帰ったら寝ろ』
犬島。
少しだけ。
笑う。
「おかえりって」
「言ってください」
提督。
『ああ』
『必ず』
---
十二 第一岸壁
夕方。
第一岸壁。
犬島。
曳航され。
帰投。
岸壁。
提督。
瑞鶴。
翔鶴。
工員。
医療班。
消防。
大勢。
犬島が。
岸壁へ近づく。
本来なら。
自力で。
静かに接岸する。
今日は。
タグボート。
三隻。
前部。
黒焦げ。
艦橋。
大破。
提督が。
待っている。
犬島は。
実艦から。
岸壁を見る。
提督。
「おかえり、犬島」
犬島。
目を閉じる。
「ただいまです」
その瞬間。
犬島は。
ようやく。
座り込んだ。
---
十三 損傷判定
翌日。
詳細調査。
判定。
大破。
艦橋。
大部分再構築必要。
前部マスト。
全交換。
電探。
全損。
艦橋前面。
大規模損傷。
操舵指令系。
前部配線。
断線多数。
第一主砲。
砲架変形。
砲身。
再利用可。
基部。
大規模修理。
前甲板。
広範囲座屈。
船体前部。
外板。
複数箇所変形。
前部二区画。
浸水。
第三区画。
漏水。
前部弾薬庫。
注水済み。
中央十二糎砲。
軽度損傷。
機関。
右舷。
衝撃停止。
左舷。
使用可能。
右舷軸。
点検要。
左舷軸。
正常。
舵。
遠隔系統損傷。
機械系。
生存。
船体。
主構造。
保持。
龍骨。
保持。
沈没危険。
鎮火後。
低下。
犬島本人。
強い疲労。
衝撃。
感覚混乱。
数日間。
安静。
---
十四 なぜ沈まなかったか
調査報告。
犬島が。
沈没しなかった理由。
第一。
爆発位置。
艦橋。
前部上構。
主として。
水線より上。
第二。
五百キログラム爆弾の爆圧。
多くが。
上方。
側方。
へ逃げた。
第三。
犬島が。
衝突直前。
防火区画。
弾薬庫隔離。
燃料遮断。
実施。
第四。
爆発後。
前部弾薬庫へ。
早期注水。
誘爆防止。
第五。
船体中央部。
機関室。
後部区画。
保持。
第六。
前部浸水。
隔壁で制限。
排水。
継続。
結果。
«艦橋および前部上構に甚大な損害を受けたものの、船体主要浮力区画は保持され、沈没には至らなかった。»
提督が。
報告書を読む。
犬島。
横から。
「丈夫でした」
提督。
「それで済ませる損傷ではない」
犬島。
「でも」
「おります」
提督。
「ああ」
「それで十分だ」
---
十五 瑞鶴の処分
瑞鶴は。
自分から。
処分を申し出た。
「私の航空隊の機体です」
「私が制御してました」
「犬島を大破させました」
軍令部。
調査結果。
瑞鶴。
点検。
正常。
操作。
正常。
異常認識。
迅速。
警告。
実施。
回復操作。
継続。
操縦系。
内部電源故障。
事前予測。
困難。
結論。
瑞鶴に過失なし。
懲戒。
なし。
瑞鶴は。
それでも。
納得しなかった。
犬島が。
療養中。
瑞鶴を呼ぶ。
「瑞鶴さん」
「何」
犬島。
「報告書」
差し出す。
瑞鶴。
「見た」
犬島。
「ここ」
指。
過失なし。
瑞鶴。
「でも」
犬島。
「じゃあ」
「うちが正しい航路におったのに貨物船にぶつかられた時」
「うちが悪かったですか」
瑞鶴。
「違う」
犬島。
「海底のワイヤ巻いた時」
「うちが悪かったですか」
「違う」
「クレーンが艦橋に来た時」
「うちが悪かったですか」
「違う」
犬島。
「なら」
「今回も同じです」
瑞鶴。
何も言えない。
---
十六 それでも残ったもの
修理。
長期。
約四か月。
艦橋。
ほぼ新造。
前部マスト。
新造。
電探。
新型へ更新。
第一主砲。
基部。
再構築。
前甲板。
交換。
ただし。
犬島が。
一つだけ。
残したもの。
爆発した艦橋の。
小さな鋼板片。
黒く。
変形。
端。
焼けている。
銘板。
«瑞鶴航空隊・彗星二一号機事故
艦橋旧材»
瑞鶴が。
それを見る。
「残すの?」
犬島。
「はい」
瑞鶴。
「嫌じゃない?」
犬島。
少し考える。
「嫌な事故です」
「でも」
「うちが帰ってきたところでもあります」
瑞鶴。
黙る。
犬島。
「なくさんでもええです」
---
十七 瑞鶴は飛ばせなくなる
事故後。
瑞鶴。
一時的に。
艦爆を。
犬島の近くで飛ばせなくなる。
機体は。
新型制御系。
二重化。
独立非常回路。
故障率。
大幅低下。
それでも。
犬島がいる訓練海域。
瑞鶴。
高度。
いつもより高い。
距離。
いつもより遠い。
犬島。
気づく。
「瑞鶴さん」
『何』
「遠いです」
『安全第一!』
犬島。
「遠すぎます」
『いいの!』
犬島。
少し考える。
「うち」
「もう直っとります」
瑞鶴。
返事なし。
犬島。
「二一号機は事故でした」
「次の機体まで」
「信用せんのは」
少し間。
「かわいそうです」
瑞鶴。
『犬島に言われたくない……』
犬島。
「何でですか」
---
十八 再訓練
犬島。
修理完了後。
自分から。
瑞鶴へ頼む。
「艦爆」
「上飛ばしてください」
瑞鶴。
「嫌」
即答。
犬島。
「何でですか」
「怖いから」
犬島が。
少し驚く。
「瑞鶴さんが?」
「そうよ!」
「また止まったらって思う」
犬島は。
しばらく。
黙る。
それから。
言う。
「じゃあ」
「一緒に確認しましょう」
翔鶴も。
同席。
最初。
高度。
三千メートル。
犬島。
見る。
正常。
次。
二千。
正常。
千五百。
正常。
千。
正常。
犬島。
「もう大丈夫です」
瑞鶴。
「私はまだ」
犬島。
「じゃあ」
「瑞鶴さんが大丈夫になるまでやります」
翔鶴。
少し笑う。
「今度は犬島さんが瑞鶴を戻す番ですね」
---
十九 頭上を通る
数週間後。
新しい艦上爆撃機。
犬島の上空。
高度。
八百メートル。
正常航過。
瑞鶴。
集中。
犬島。
上を見る。
機体。
まっすぐ。
通る。
制御。
正常。
犬島。
無線。
「瑞鶴さん」
『何』
「ちゃんと飛んどります」
瑞鶴。
少し間。
『うん』
犬島。
「怖いですか」
瑞鶴。
『少し』
犬島。
「うちも」
『え』
犬島。
「少し怖いです」
「でも」
空。
見る。
「飛んどるだけなら」
「大丈夫です」
瑞鶴。
『……うん』
---
二十 もし爆発していたとしても
この分岐では。
犬島は。
艦橋へ。
彗星の直撃を受けた。
さらに。
五百キログラム爆弾。
爆発。
艦橋。
前部上構。
大破。
第一主砲。
使用不能。
前甲板。
大規模損傷。
複数区画。
浸水。
犬島。
大破。
それでも。
沈まなかった。
そして。
瑞鶴を。
責めなかった。
なぜなら。
最後まで。
瑞鶴は。
機体を戻そうとしていたから。
事故原因は。
機体の制御系統。
突発故障。
犬島にも。
瑞鶴にも。
過失なし。
修理後。
犬島は。
第一岸壁へ戻る。
提督。
「おかえり、犬島」
犬島。
「ただいまです」
遠く。
瑞鶴の艦爆。
一機。
上空。
正常飛行。
犬島は。
少しだけ。
身構える。
でも。
逃げない。
見上げる。
そして。
その機体が。
自分の上を。
何事もなく。
通り過ぎるのを見る。
犬島は。
深緑色のスカーフを整える。
「今日は」
提督。
「何だ」
犬島。
「落ちてこんかったです」
提督。
「ああ」
犬島は。
少しだけ笑う。
「それが普通でええです」
この世界線でも。
犬島は。
壊れた。
かなり。
でも。
帰ってきた。
だから。
最後に言うことは。
同じだった。
「壊れたら」
「また直しゃあええ」
そして。
今度は。
瑞鶴にも。
同じ言葉を向けた。
「怖くなったら」
「また飛べるところまで」
「ゆっくり直しゃあええです」