呉鎮守府「海面離脱事故」
――犬島と藍島が、数秒だけ海から浮いた日――
事故が起きたのは、呉鎮守府だった。
第一岸壁。
犬島。
第二岸壁。
藍島。
二隻とも係留済み。
機関停止。
推進軸停止。
舵中央。
錨未使用。
係留索正常。
天候。
晴れ。
風。
三・一メートル毎秒。
波。
ほぼなし。
潮位。
正常。
港内交通。
問題なし。
つまり。
事故が起きる理由が。
何も。
なかった。
---
一 午後二時十八分
犬島。
第一岸壁。
甲板。
座っている。
藍島。
第二岸壁。
少し離れたところ。
同じ。
犬島。
「今日は静かですね」
藍島。
「はい」
犬島。
「何も起きてません」
藍島。
「その言い方やめません?」
犬島。
「今はほんまに何もありません」
そして。
約十秒後。
二人。
同時。
違和感。
覚える。
犬島。
「……え?」
藍島。
「犬島さん?」
海。
音。
消える。
波。
止まる。
鳥。
飛ぶ。
風。
ある。
でも。
犬島。
艦体。
少し。
軽く。
なる。
藍島も。
同じ。
犬島。
立つ。
「何です、これ」
次の瞬間。
二隻の実艦が同時に海面から持ち上がった。
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二 浮く
犬島。
喫水。
消える。
船底。
海面。
離れる。
約一・七メートル。
藍島。
約一・九メートル。
係留索。
当然。
張る。
ただ。
切れない。
なぜか。
岸壁側。
係留金具。
そのまま。
船だけ。
上。
犬島。
「……浮いとる?」
藍島。
「浮いとりますね」
犬島。
「何で?」
藍島。
「知りません」
二人。
自分。
艦。
海。
離れている。
見下ろす。
犬島。
「これ、絶対おかしいです」
藍島。
「はい」
そして。
今度。
二隻。
横。
動く。
犬島。
第二岸壁側。
約五・八メートル。
藍島。
第一岸壁側。
約四・九メートル。
つまり。
互い。
近づく。
犬島。
「藍島さん」
藍島。
「はい」
犬島。
「近いです」
藍島。
「見えてます」
犬島。
「止められます?」
藍島。
「無理です」
犬島。
「うちもです」
機関。
停止。
舵。
意味。
ない。
そもそも。
海。
浮いている。
操艦。
できない。
二隻。
ゆっくり。
近づく。
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三 接触
距離。
五メートル。
三。
一。
犬島。
藍島。
互い。
見る。
犬島。
「当たります」
藍島。
「はい」
ゴンッ。
犬島。
右舷中央部。
藍島。
左舷中央部。
接触。
速度。
推定。
〇・八ノット相当。
大衝突。
ではない。
ただし。
海から浮いたまま。
二隻。
接触。
している。
犬島。
「……痛いです」
藍島。
「うちもです」
その状態。
約三秒。
次。
突然。
二隻。
下。
落ちる。
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四 着水
ザァァンッ!!
第一岸壁。
第二岸壁。
大波。
立つ。
犬島。
海面。
戻る。
藍島。
戻る。
係留索。
大きく。
揺れる。
しかし。
切れない。
犬島。
船体。
上下。
揺れる。
藍島。
同じ。
そして。
海。
何事も。
なかった。
ように。
戻る。
全部。
事故発生。
から。
終了。
まで。
約十一秒。
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五 第一声
犬島。
無線。
『藍島さん』
『はい』
『今、浮きました?』
『浮きました』
『うちだけじゃないですよね』
『うちもです』
犬島。
少し。
安心。
「良かった」
藍島。
『何がです?』
犬島。
「うちだけおかしくなったんかと思いました」
藍島。
『二隻ともおかしいです』
犬島。
「それはそうですね」
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六 港務部
監視カメラ。
全部。
映っている。
港務員。
動画。
巻き戻す。
一回。
二回。
三回。
「……浮いてる」
「浮いてるな」
「編集じゃないよな?」
「監視カメラだぞ」
別。
角度。
見る。
犬島。
浮く。
藍島。
浮く。
接触。
落ちる。
港務員。
「何これ」
誰も。
答えられない。
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七 提督
提督。
映像。
見る。
長い。
沈黙。
副官。
「どう思います?」
提督。
「どう思えって?」
「事故原因」
「知らない」
「犬島と藍島の過失は?」
提督。
画面。
止める。
犬島。
約二メートル。
空中。
藍島。
同じ。
«「これで二人に何の過失を取れっていうんだ」»
副官。
「ですよね」
提督。
「停泊してる艦が浮くことまで予測しろとは言えない」
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八 犬飼担当官
広報室。
呼ばれる。
犬飼。
監視映像。
見る。
最初。
犬島。
浮く。
藍島。
浮く。
犬飼。
止める。
「待って」
再生。
また。
見る。
「……浮いてる?」
提督。
「浮いてる」
犬飼。
「海防艦って浮くものですけど」
提督。
「そういう意味じゃない」
犬飼。
「分かってます」
もう一回。
見る。
犬飼。
「何で上に浮いてるんです?」
提督。
「それを調べてる」
犬飼。
「海から浮いた艦を調査する係、誰です?」
提督。
「今作ってる」
犬飼。
「部署から作るんですか」
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九 損傷
接触。
着水。
二種類。
損傷。
出る。
犬島。
右舷中央部。
擦過。
約十一メートル。
凹損。
最大。
九センチ。
中央十二糎砲。
基部。
微小。
ずれ。
再調整。
必要。
甲板。
局部。
軽度。
座屈。
藍島。
左舷中央部。
擦過。
約十三メートル。
凹損。
最大。
十一センチ。
外板。
軽微。
亀裂。
一か所。
後部。
配管支持。
三か所。
ずれ。
双方。
浸水。
なし。
機関。
異常なし。
軸。
異常なし。
修理。
犬島。
六日。
藍島。
七日。
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十 調査開始
最初。
考えられる。
原因。
波。
否定。
潮。
否定。
地震。
なし。
海底。
変動。
なし。
突風。
なし。
竜巻。
なし。
磁気。
通常。
水中爆発。
なし。
潜水艦。
なし。
大型艦。
通過。
なし。
係留設備。
正常。
浮力。
計算。
合わない。
海水。
密度。
正常。
気圧。
正常。
二隻。
機関。
停止。
さらに。
岸壁。
監視カメラ。
六台。
別角度。
全て。
同じ。
船。
本当に。
海面。
離れる。
軍令部。
専門家。
集める。
海洋。
物理。
造船。
地質。
気象。
磁気。
電気。
そして。
全員。
同じ。
顔。
する。
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十一 浮いていた高さ
映像解析。
犬島。
最大。
一・七四メートル。
藍島。
最大。
一・九一メートル。
浮遊時間。
犬島。
六・二秒。
藍島。
六・四秒。
水平移動。
犬島。
五・八三メートル。
藍島。
四・九七メートル。
外力。
計算。
必要。
しかし。
その外力。
観測。
されていない。
空気。
押していない。
水。
押していない。
係留索。
引いていない。
地面。
動いていない。
ただ。
船。
だけ。
移動。
する。
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十二 軍令部会議
専門家。
「浮力ではありません」
別。
「揚力でもない」
別。
「磁力ではありません」
別。
「気象現象でもない」
軍令部。
「では何です?」
全員。
沈黙。
最後。
調査主任。
«「分かりません」»
軍令部。
「……公式報告に?」
「現状、それしか」
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十三 犬島への聞き取り
調査員。
「浮いた時、何か操作しました?」
犬島。
「してません」
「機関」
「停止してました」
「舵」
「中央です」
「船体に異常」
「その前はありません」
「何か音」
「海の音が少し消えた感じはしました」
調査員。
書く。
「藍島さんに近づいた時は?」
犬島。
「何もできませんでした」
「避けようとは?」
「避けたかったですけど海に触れとらんので」
調査員。
「ですよね」
犬島。
「うちの過失になります?」
調査員。
即。
«「なりません」»
---
十四 藍島への聞き取り
「浮いた時どう思いました?」
藍島。
「まず犬島さん見ました」
「自分ではなく?」
「犬島さんも浮いとったので」
「接触直前は?」
「当たると思いました」
「回避は?」
「できません」
「ですよね」
藍島。
少し。
考える。
«「空中で舵が効かんのは初めて知りました」»
調査員。
「普通は知る機会ありません」
---
十五 最終調査結果
三週間後。
軍令部。
公表。
«本件について、犬島・藍島の航海、係留、機関操作、艦体管理、事前点検に異常は認められなかった。
両艦の海面離脱および水平移動を生じさせた既知の外力は確認できていない。
観測映像および各種計測記録から、両艦が実際に海面から離脱した事実そのものは確認されている。
現時点で原因不明。
犬島・藍島とも過失なし。»
備考。
«既知の海洋・気象・地震・船体現象では説明困難。»
軍令部。
歴史上。
珍しい。
公式。
「説明困難」。
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十六 犬島公式SNS
«【第一・第二岸壁での接触について】
先日の事故について調査結果が出ました。
犬島と藍島さんは停泊中でした。
機関停止、推進軸停止、係留正常です。
その状態で二隻とも海面から一時的に浮きました。
犬島は約1.7m、藍島さんは約1.9mです。
その後、二隻が横方向へ移動して接触し、海面へ戻りました。
犬島・藍島さんとも過失なしです。
原因は分からないそうです。
うちも分かりません。
停泊中に空を飛ぶことまで想定した操艦はできません。»
ネット。
一気。
爆発。
«「最後の一文強すぎる」»
«「そりゃそう」»
«「海防艦が飛ぶ事故って何」»
«「軍令部も原因不明なの怖い」»
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十七 藍島公式SNS
«犬島さんとうちが海面から浮いた事故について。
映像を見ました。
本当に浮いとりました。
自分で見ても意味が分かりません。
うちは最大約1.9m海面から離れています。
犬島さんに近づいたので避けようとしましたけど、海に触れていないので舵が効きませんでした。
そのまま接触しました。
うちにも犬島さんにも過失はありません。
原因不明です。
今後同じことが起きた場合の対策も、今のところありません。
できれば二度目は起きんでほしいです。»
犬島。
返信。
«それはほんまにそうです。»
---
十八 ネット上の反応
最初。
«「動画は?」»
«「監視映像公開してほしい」»
«「本当に飛んだの?」»
後日。
機密。
問題。
ない。
短い。
監視映像。
公開。
犬島。
上。
藍島。
上。
横。
移動。
ゴン。
落下。
ネット。
完全。
停止。
数秒。
その後。
«「飛んでる」»
«「飛んでるな」»
«「海防艦とは」»
«「これは無理」»
«「誰に責任取らせるんだよこれ」»
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十九 最上位コメント
«「犬島:停泊してた。
藍島:停泊してた。
海:普通。
天気:普通。
係留:正常。
二隻:突然浮いた。
軍令部:分からない。
結論:犬島藍島過失なし。
そりゃそうだ。」»
犬島。
いいね。
藍島。
いいね。
犬飼。
いいね。
提督。
公式。
いいね。
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二十 「また犬島か」
一部。
当然。
«「また犬島事故?」»
しかし。
即。
反論。
«「今回は藍島も一緒に飛んでる」»
«「停泊中に浮いた艦へ『またお前か』は酷い」»
«「犬島が何をすれば防げたんだ」»
犬島。
直接。
返信。
«今回はほんまに何もしてません。»
ネット。
«「今回は、じゃなく今回もでは」»
犬島。
«……そうですね。»
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二十一 犬飼の反応
犬飼。
公式。
投稿。
«【広報担当・犬飼藍人】
犬島・藍島の岸壁接触事故について調査結果が出ました。
二人とも過失なしです。
通常指揮官として事故報告を受けることには慣れてきたつもりでしたが、
「停泊中の二隻が約2m浮上し、空中で接触しました」
という報告は初めてでした。
最初は報告書の誤記を疑いました。
誤記ではありませんでした。
現在、二人とも修理済みです。
同様の事故を想定した指示については、原因が分からないため出しようがありません。
とりあえず、次は浮かないでください。»
藍島。
返信。
«うちらに言われても困ります。»
犬島。
«うちもそう思います。»
犬飼。
«俺も言った後そう思った。»
---
二十二 提督の反応
記者。
質問。
「再発防止策は?」
提督。
数秒。
黙る。
«「海防艦が空中へ浮かないようにする方法が判明したら採用します」»
質問。
「現時点では?」
«「ありません」»
「犬島・藍島へ注意は?」
提督。
«「何を注意すればいいんですか」»
質問者。
沈黙。
提督。
«「こちらが聞きたいです」»
---
二十三 工廠
修理。
六日目。
犬島。
直る。
七日目。
藍島。
直る。
二隻。
第一。
第二。
岸壁。
戻る。
犬島。
海。
見る。
藍島。
海。
見る。
犬島。
「今日は浮きませんね」
藍島。
「はい」
犬飼。
後ろ。
「その確認必要?」
犬島。
「前例できたので」
犬飼。
「嫌な前例だな」
藍島。
「今、喫水あります」
犬飼。
「普通はあるんだよ」
---
二十四 犬島が少し不安になる
その夜。
犬島。
第一岸壁。
停泊。
藍島。
第二。
犬島。
少し。
海面。
見る。
藍島。
気づく。
「犬島さん」
「はい」
「気になります?」
「ちょっと」
「うちもです」
犬島。
「また浮いたらどうしましょう」
藍島。
「今度は離れて浮きたいです」
犬島。
「そういう問題です?」
犬飼。
巡回。
来る。
「二人とも何してる?」
犬島。
「浮かんか見とります」
犬飼。
「……」
藍島。
「今のところ大丈夫です」
犬飼。
二人。
近く。
来る。
「まあ」
少し。
笑う。
«「今日は普通に海に浮いとけ」»
犬島。
「はい」
藍島。
「はい」
---
二十五 そしてネットで定着した呼び方
事故。
正式名称。
「呉鎮守府第一・第二岸壁海防艦一時海面離脱接触事故」
長い。
ため。
ネット。
短く。
呼ぶ。
「犬島藍島浮遊事故」
犬島。
公式。
«浮遊事故って言われとるみたいです。
間違いではないですけど、あまり慣れたくないです。»
藍島。
«うちもです。»
別。
ユーザー。
«「久瀬川に入る海防艦姉妹から、ついに空へ進出」»
犬島。
即。
«進出してません。»
藍島。
«飛行能力もありません。»
一般。
«「でも飛んだ」»
犬島。
«飛ばされました。»
---
終章 無過失の限界
事故調査。
終了。
報告書。
最後。
一文。
«「両艦が当該事象を予見・回避することは不可能であった。」»
犬島。
その。
文章。
読む。
「これはさすがに」
藍島。
「はい」
犬島。
«「うちら悪くないですね」»
藍島。
«「今回は自信持って言えます」»
犬飼。
横。
「今回は?」
犬島。
「いつも悪くないです」
犬飼。
「そうだった」
三人。
少し。
笑う。
第一岸壁。
犬島。
第二岸壁。
藍島。
二隻。
静か。
海。
浮かぶ。
今度は。
正しい意味。
で。
浮いている。
犬島。
「担当官さん」
「何」
「今は普通です」
犬飼。
「それでいい」
藍島。
「海に浮いとります」
犬飼。
「それが海防艦だからな」
犬島。
少し。
笑う。
そして。
その日。
二隻。
空。
飛ばない。
接触。
しない。
事故。
なし。
ネット。
夜。
犬島。
一件。
投稿。
«今日は海に浮いたまま一日が終わりました。»
大量。
返信。
«「それが普通です。」»
犬島。
«はい。»