その上河口進入事故だからという理由で呉鎮守府に情報が来る。
河口へ進入したのは夜間に軍港ではなく通常の港で停泊していた横須賀鎮守府所属の駆逐艦時津風。
錨使用禁止区域、夜間停泊時機関停止区域である。
原因は本来使用されるべき係留索と材質が違う物が使用されていた為に係留索が切れて流された事故。
横須賀鎮守府・駆逐艦時津風 河口漂流進入事故
――「犬島と藍島は関係ありません」――
犬島と藍島は、その夜、呉にいた。
犬島は第一岸壁。
藍島は第二岸壁。
二隻とも実艦を係留し、その日の任務も終えている。
犬島は自分の艦上で工具箱を整理し、藍島は第二岸壁側で翌日の予定表を確認していた。
二人とも出港していない。
事故現場からは数百キロ離れている。
当然、そこで起きた事故に関与する方法そのものがなかった。
それなのに翌朝。
インターネット上では、なぜか二人の名前が出ていた。
«「また犬島?」»
«「今度は藍島?」»
«「どっちが川に入った?」»
ところが今回。
川へ入ったのは、どちらでもない。
横須賀鎮守府所属・駆逐艦時津風。
しかも原因は、犬島や藍島の過去の河口進入事故とはまったく違うものだった。
---
一 横須賀所属・時津風
事故前日、午後七時二十二分。
横須賀鎮守府所属の駆逐艦時津風は、沿岸連絡任務の途中で通常港湾である朝凪港へ寄港していた。
軍港ではない。
民間船舶も利用する地方港で、時津風は翌朝まで一泊し、その後横須賀へ戻る予定だった。
停泊場所は朝凪港第四埠頭。
この埠頭には二つの特殊な規則があった。
第一に、
錨の使用禁止。
港底の地下に電力・通信系統の海底ケーブルが複数敷設されており、投錨による損傷を防ぐためである。
第二に、
午後九時から翌午前五時まで、停泊艦船は原則として主機関を停止。
夜間の騒音・振動対策だった。
したがって時津風は岸壁の係留設備だけを使って船体を固定する。
これは例外的な措置でも、時津風独自の判断でもない。
朝凪港第四埠頭を夜間使用する船舶すべてに適用される規則だった。
午後八時五十八分。
時津風は最終確認を行った。
前部係留索。
正常。
後部係留索。
正常。
スプリングライン。
正常。
岸壁係船柱。
異常なし。
気象。
弱い雨。
風速約四・八メートル毎秒。
潮位変動も予報範囲内。
時津風は港務へ報告した。
『時津風、夜間停泊状態に移るよ』
『了解。第四埠頭、停泊確認』
午後九時。
規定に従い、時津風は主機関を停止した。
---
二 午前二時十一分
その後しばらく、何も起きなかった。
午前零時。
異常なし。
午前一時。
異常なし。
午前二時。
異常なし。
ところが午前二時十一分。
第四埠頭に設置されていた監視カメラに、わずかな変化が映った。
時津風の艦首が、岸壁から数十センチ離れた。
数秒後。
さらに離れる。
岸壁側の係留索一本が水面へ落ちた。
続いてもう一本。
時津風自身も、その瞬間に異常を感じた。
「……ん?」
眠っていたわけではない。
停泊中でも実艦の状態は常に自分自身の感覚として伝わっている。
いつもなら岸壁側から感じるはずの係留索の張力が、急に消えた。
時津風は艦首側を見る。
「ちょっと待って」
船体が動いている。
機関は停止している。
錨は使えない。
港内には弱いながらも河口方向へ向かう潮流が存在する。
さらにその夜は上げ潮だった。
時津風の船体は、ゆっくりと岸壁を離れ始めた。
---
三 係留索破断
時津風はすぐ港務へ連絡した。
『第四埠頭、係留索が切れた!』
夜間港務担当が監視画面を確認する。
『時津風、主機関始動できるか』
『夜間停止指定だけど、緊急なら始動するよ!』
『緊急始動許可。可能なら現位置保持』
『了解!』
ただし大型艦艇用ディーゼル機関は、自動車のようにキーを回して数秒で動かせるものではない。
安全確認。
燃料系統。
潤滑。
始動空気。
各部確認。
再始動手順が必要になる。
時津風が作業を開始した直後。
残っていた後部係留索にも荷重が集中した。
バンッ!
低い破断音。
「っ!」
三本目。
そして四本目。
短時間に次々と破断する。
午前二時十三分。
時津風は岸壁から完全に離れた。
---
四 錨を使えない
港務。
『時津風、投錨可能か』
時津風は即答した。
『ここ錨禁止でしょ!』
港務側もすぐ気づく。
第四埠頭正面。
海底ケーブル敷設区域。
投錨すれば、今度は港湾インフラを破壊する可能性がある。
『投錨中止。そのまま機関始動を優先』
『分かった!』
しかし。
船体は待ってくれない。
潮流と弱い北東風。
二つが重なり、時津風は港内を南西へ流されていく。
その先。
水城川河口。
川幅は広い。
だが、当然ながら駆逐艦の夜間停泊場所ではない。
時津風。
「いやいやいや」
距離。
約四百メートル。
「そっちは川じゃん!」
三百。
主機関。
まだ始動前。
二百。
港務艇。
緊急出港。
曳船も呼ばれる。
だが間に合わない。
午前二時十六分。
時津風の艦首が、水城川の河口線を越えた。
---
五 横須賀所属駆逐艦、川へ
時津風は完全に無動力というわけではない。
補助電源。
舵機。
一部。
使用可能。
しかし主機関が止まっている以上、舵だけでは流される船体を止められない。
川へ約百五十メートル。
時津風は必死に始動手順を進める。
「早く……!」
約二百八十メートル。
川幅。
まだ余裕。
水深も駆逐艦が直ちに座礁するほどではない。
約三百七十メートル。
ようやく。
右主機。
始動。
「きた!」
右軸。
最微速前進。
続いて左主機。
始動。
流下を止めるため船首を調整。
午前二時十九分。
時津風は河口から約四百二十メートルの地点で船体の流下を停止させた。
接触なし。
座礁なし。
河川施設損傷なし。
時津風自身も損傷なし。
ただし。
駆逐艦が夜中に川の中にいる。
時津風は周囲を見回した。
「……これ、絶対なんか言われるやつじゃん」
---
六 原因調査
夜明け後。
時津風は曳船支援で水城川を退出。
別の安全な岸壁へ移された。
すぐに調査が始まった。
時津風側の点検記録。
問題なし。
係留手順。
問題なし。
係船柱。
問題なし。
気象条件。
許容範囲。
係留索の使用荷重も、本来の指定品であれば余裕がある範囲だった。
それなのに複数本が次々と破断した。
調査員が回収した係留索を確認する。
そして早い段階で違和感に気づいた。
「……これ、指定品じゃないぞ」
港務担当。
「え?」
切断した索。
本来使われるはずだったものとは、外見こそ似ている。
しかし材質が違う。
指定されていたのは、高い伸縮性と衝撃吸収性能を持つ合成繊維製の大型艦対応係留索。
実際に第四埠頭で時津風へ渡されていたものは、別用途の船舶向けに保管されていた、より伸びの少ない材質の索だった。
太さと外装色が非常に似ていた。
保管棚も隣。
港湾業者が補充作業を行った際、識別札が入れ替わっていた。
その結果。
通常なら索の伸びによって吸収されるはずだった潮位変化と船体動揺による瞬間荷重が吸収されず、一本目が破断。
残存索へ荷重集中。
連鎖的に破断。
時津風は係留能力を失った。
---
七 時津風にできたこと
調査委員会は、事故発生時の条件を改めて確認した。
時津風は港湾規則に従っている。
錨使用禁止区域。
そのため錨を投下していない。
夜間主機関停止区域。
そのため主機関を停止していた。
係留索についても、港湾側から提供された規格適合品として受領している。
外観から材質違いを判別するのは困難。
事故発生後は即座に緊急始動。
港務との連絡も適切。
河口内で機関が始動してからも座礁や施設接触を避け、約四百二十メートルで停止した。
最終判定。
時津風、過失なし。
事故原因。
港湾係留設備管理上の物品取り違え。
---
八 ところがネットでは
事故は午前二時台だった。
情報が出始めたのは午前六時過ぎ。
最初。
地域投稿。
«「夜中、水城川に軍艦みたいなのいたんだけど」»
別。
«「河口の奥に駆逐艦いる」»
そして写真。
暗い。
艦影。
分かる。
ただ。
艦名。
判別。
難しい。
ここで。
なぜか。
コメント。
«「犬島?」»
続いて。
«「藍島じゃない?」»
«「また河口?」»
«「どっち?」»
さらに。
«「最近河口って聞くと犬島姉妹が最初に浮かぶ」»
情報。
広がる。
«「犬島また川に入った説」»
«「今度は藍島説」»
«「二人ともいた説」»
実際。
二人。
呉。
---
九 犬島、起きる
午前六時四十三分。
第一岸壁。
犬島。
起床。
端末。
見る。
通知。
多い。
「……何です?」
一件。
開く。
«「犬島、今度は水城川?」»
犬島。
数秒。
画面。
見る。
第二岸壁。
藍島。
いる。
犬島。
自分。
第一岸壁。
いる。
もう一度。
投稿。
見る。
犬島。
「……うち、ここにおりますけど」
藍島。
向こうから声。
「犬島さん」
「はい?」
「何かうちが水城川に入ったことになっとるんですけど」
犬島。
藍島。
見る。
「藍島さんも?」
「はい」
二人。
同時に。
端末。
見る。
---
十 朝一番の犬島公式SNS
犬島。
あまりに。
問い合わせ。
多い。
ため。
事故詳細。
まだ。
知らない。
段階。
最低限。
投稿。
«【水城川河口の件について】
犬島ではありません。
犬島は昨夜から呉鎮守府第一岸壁におります。
実艦も第一岸壁に係留中です。
水城川には行っていません。
現時点で事故の詳細を犬島は把握していないため、それ以上については回答できません。»
ネット。
«「本人否定きた」»
«「今回は犬島じゃない」»
その直後。
藍島。
«うちでもありません。
藍島は呉鎮守府第二岸壁です。
犬島さんは第一岸壁におります。
二人とも水城川とは関係ありません。»
一般ユーザー。
«「姉妹両方からアリバイ出た」»
犬島。
«アリバイではなく現在地です。»
---
十一 呉鎮守府にも情報が来る
午前七時十二分。
呉鎮守府。
港務部。
一通の優先情報。
送信元。
横須賀鎮守府経由。
件名。
「水城川河口・駆逐艦時津風漂流進入事案について」
呉港務担当。
資料。
開く。
一読。
首。
傾げる。
「横須賀の時津風?」
隣。
「何で呉に?」
送付理由。
見る。
そこ。
簡潔。
記載。
«「河口進入事案に関する類似事例共有のため」»
担当。
無言。
さらに。
備考。
«「呉鎮守府所属犬島・藍島に係る過去事案との比較参考」»
担当。
「……」
隣。
「どうしました?」
担当。
«「河口事故だからって、うちに情報来た」»
---
十二 提督
報告書。
提督。
机。
乗る。
提督。
最初。
事故概要。
読む。
次。
送付理由。
読む。
顔。
上げる。
「何で横須賀の時津風の事故が俺のところに来るんだ」
副官。
「類似事例共有だそうです」
「何が類似?」
「河口進入です」
提督。
「それだけ?」
「それだけです」
提督。
少し。
黙る。
«「犬島と藍島のせいで、うちが河口事故の専門部署みたいになってないか?」»
副官。
「少し」
「少し?」
「かなり」
提督。
頭。
抱える。
---
十三 犬飼担当官にも届く
広報室。
犬飼藍人。
朝。
出勤。
机。
上。
資料。
一冊。
ある。
表紙。
横須賀鎮守府所属 駆逐艦時津風 水城川河口漂流進入事案
犬飼。
しばらく。
見る。
職員。
来る。
「おはようございます」
犬飼。
資料。
持ち上げる。
「これ何?」
「河口進入事故です」
「それは読めば分かる」
「横須賀から情報共有が」
「何で俺に?」
職員。
少し。
言いづらそう。
「犬島と藍島の担当官なので」
犬飼。
「時津風の担当官じゃないぞ」
「でも河口なので」
犬飼。
「河口なので、って何だよ」
---
十四 二人が広報室に来る
少し後。
犬島。
藍島。
広報室。
入る。
犬飼。
資料。
読んでいる。
犬島。
「担当官さん」
「おはよう」
藍島。
机。
資料。
見る。
「時津風さん?」
犬飼。
「そう」
犬島。
「何で担当官さんが持っとるんです?」
犬飼。
二人を見る。
«「河口に入ったから」»
犬島。
「……はい?」
「横須賀が『河口進入事案だから参考になると思って』って呉に送ってきた」
藍島。
数秒。
黙る。
「うちら、河口担当なんです?」
犬飼。
「違う」
犬島。
「ですよね」
犬飼。
「ただ、他所からそう見え始めてる可能性はある」
犬島。
「嫌です」
藍島。
「うちもです」
---
十五 時津風だった
午前九時。
横須賀鎮守府。
正式発表。
«昨夜、水城川河口へ漂流進入した艦は横須賀鎮守府所属駆逐艦時津風です。
時津風は朝凪港第四埠頭に夜間停泊中でした。
同埠頭は錨使用禁止区域であり、夜間は主機関停止指定となっています。
午前2時11分頃、複数の係留索が相次いで破断し、潮流によって岸壁から漂流しました。
時津風は緊急主機関始動を実施しましたが、始動完了までの間に水城川河口へ約420m進入しました。
接触、座礁、人的・艦体被害はありません。
現在、係留索破断原因を調査中です。»
ネット。
一気に。
«「時津風だったの!?」»
«「犬島でも藍島でもなかった」»
«「横須賀じゃん」»
«「呉ですらない」»
そして。
最も。
恥ずかしい。
流れ。
«「犬島藍島ごめん」»
犬島。
公式。
«大丈夫です。»
少し後。
«でも河口事故だけでうちらと思わんでください。»
---
十六 時津風の反応
時津風。
公式SNS。
投稿。
«昨日の夜、朝凪港で係留索が切れて、水城川の中まで流されちゃいました。
あそこは錨を使っちゃいけない場所で、夜は機関を止める決まりだったから、ちゃんとその通りにしてました。
索が切れてからすぐ機関を起こしたけど、動かせるようになる前に川まで行っちゃった。
420mくらい入ったところで止められました。
ぶつかってないし、座礁もしてないよ。
それと。
犬島と藍島は関係ないよ。
なんで二人の名前が出てるの?»
ネット。
«「本人も困惑」»
«「ごもっとも」»
«「河口の先輩だから……」»
時津風。
«何その先輩。»
犬島。
返信。
«うちも知りません。»
藍島。
«うちらも困っとります。»
---
十七 調査結果
数日後。
正式。
原因。
判明。
破断した係留索。
材質。
誤り。
本来。
使用。
される。
指定索。
高伸度。
衝撃吸収性。
高い。
大型艦用。
しかし。
時津風。
使った。
もの。
低伸度。
別用途。
索。
外径。
ほぼ。
同じ。
外装色。
非常に。
似ている。
保管時。
識別タグ。
誤装着。
そのまま。
第四埠頭。
配置。
時津風。
受領。
時。
タグ。
規格。
正しい。
外観。
異常。
なし。
したがって。
時津風側。
見抜けない。
夜間。
潮位。
変化。
風。
船体。
わずか。
動揺。
指定索。
なら。
伸び。
吸収。
しかし。
誤索。
伸びない。
荷重。
瞬間。
集中。
一本。
破断。
続いて。
他。
破断。
事故。
発生。
最終判定。
時津風、過失なし。
---
十八 犬島、調査結果を見る
犬飼。
犬島。
藍島。
説明。
する。
「原因、索の材質違い」
犬島。
「外見で分かったんです?」
「ほぼ無理」
藍島。
「時津風さんは規格票を確認した?」
「確認済み。タグ自体が間違ってた」
犬島。
「じゃあ、どうしようもないですね」
犬飼。
「そういう結論」
藍島。
「錨も使えない」
「使ったら海底ケーブル傷つける」
「機関も夜間停止」
「港の規則」
犬島。
少し。
考える。
«「時津風さん、ほんまに悪くないですね」»
犬飼。
「そう」
犬島。
「良かったです」
---
十九 犬島公式SNS、改めて
«水城川河口へ進入した時津風さんの事故について、原因が公表されています。
停泊時に使われていた係留索が、本来指定されていたものとは異なる材質だったことが原因とのことです。
外観や表示から時津風さんが事前に判断することは困難だったとされています。
また停泊場所は錨使用禁止区域、夜間主機関停止区域でした。
時津風さんに過失はありません。
犬島・藍島さんは、この事故には関係ありません。
「河口へ入った」という部分だけは似ていますが、それだけです。»
ネット。
«「最後ちょっと諦めてる」»
«「犬島が類似点認めた」»
犬島。
«そこだけです。»
---
二十 藍島公式SNS
«時津風さん、無事で良かったです。
河口へ流されたと聞いた時、うちらの名前がネットで出ていて驚きました。
犬島さんは第一岸壁、うちは第二岸壁にいました。
水城川にはおりません。
時津風さんの事故原因とうちらの過去の河口進入原因も違います。
河口進入事故が全部犬島さんか藍島とは限りません。»
一般。
«「当たり前なんだよなぁ」»
藍島。
«はい。»
---
二十一 ネットで作られる誤情報
それでも。
一部。
妙な。
噂。
残る。
«「犬島と藍島が河口事故を引き寄せてる説」»
«「二人の近くでなくても河口事故が起きるようになった」»
犬島。
簡潔。
«関係ありません。»
別。
«「犬島藍島の河口事故が伝染した?」»
犬島。
«しません。»
藍島。
«事故は伝染しません。»
さらに。
«「時津風が犬島に影響されて川へ?」»
時津風。
«会ってないよ。»
犬島。
«影響の与え方が分かりません。»
---
二十二 最も拡散された画像
あるユーザー。
三枚。
並べる。
一枚目。
犬島公式。
「犬島ではありません」
二枚目。
藍島公式。
「うちでもありません」
三枚目。
時津風公式。
「犬島と藍島は関係ないよ。なんで二人の名前が出てるの?」
キャプション。
«「河口進入事故が起きただけで三艦から否定される事態」»
爆発的。
拡散。
犬飼。
見る。
思わず。
笑う。
犬島。
横。
「担当官さん」
犬飼。
「ごめん。でもこれはちょっと面白い」
藍島。
「うちら何もしてないんですよ?」
「知ってる」
---
二十三 横須賀からのお礼
横須賀鎮守府。
広報。
呉。
連絡。
«「誤情報訂正への協力ありがとうございました」»
犬飼。
電話。
受ける。
「いえ」
相手。
少し。
申し訳なさそう。
『河口進入事案ということで、犬島さんと藍島さんにも余計な注目が……』
犬飼。
「もう慣れてます」
少し。
間。
«「いや、慣れちゃ駄目なんですけど」»
相手。
笑う。
『時津風からも二人によろしくと』
「伝えます」
---
二十四 そして問題の「情報共有」
犬飼。
最後。
聞く。
「一個だけ聞いていいですか」
『はい』
「何で事故情報が呉に送られてきたんです?」
電話。
向こう。
少し。
沈黙。
『……河口進入事故だったので』
犬飼。
「やっぱりそれ?」
『過去事例が多いと聞きまして』
犬飼。
「多いのは否定しませんけど」
『特に犬島さん』
犬飼。
「本人に聞かせたくないな、それ」
後ろ。
犬島。
普通にいる。
「聞こえとります」
犬飼。
振り返る。
「ごめん」
犬島。
「事実なのでええですけど……」
藍島。
隣。
少し笑う。
---
二十五 呉鎮守府内で新しい冗談が生まれる
数日後。
港務部。
別。
事故情報。
届く。
職員。
件名。
見る。
「座礁事故」
隣。
「河口?」
「違う」
「じゃあ犬島担当じゃないな」
後ろ。
犬島。
通りかかる。
止まる。
「誰が犬島担当です?」
職員。
凍る。
「……すみません」
犬島。
少し呆れた顔。
「うちは河口事故担当ではありません」
---
二十六 犬飼が釘を刺す
広報室。
犬島。
藍島。
犬飼。
三人。
いる。
犬飼。
二人。
見る。
「一応言っとくけど」
犬島。
「何です?」
「今後、他鎮守府で河口進入事故が起きても、お前らが説明する義務はないからな」
藍島。
「はい」
犬島。
「でも今回みたいに名前出されたら?」
「否定だけして終わりでいい」
犬島。
「『関係ありません』?」
「それでいい」
藍島。
「短いですね」
犬飼。
「関係ないんだから説明しようがないだろ」
犬島。
「確かに」
---
二十七 時津風から直接連絡
後日。
時津風。
呉。
犬島。
連絡。
『犬島ー』
「はい?」
『なんかごめんね』
犬島。
「何がです?」
『あたしが川に入ったせいで犬島たちまで名前出されちゃった』
犬島。
「時津風さんも悪くないでしょう」
『でもさ』
犬島。
少し考える。
«「うちも今まで河口に入った時、いろんな人に心配してもらったので。今回は時津風さんが無事ならそれでええです」»
時津風。
少し。
静か。
『……そっか』
犬島。
「はい」
時津風。
明るく。
『じゃあ今度会ったら河口の話しようよ』
犬島。
即。
«「それ以外の話にしましょう」»
時津風。
笑う。
『なんでー?』
---
二十八 藍島も参加
藍島。
横。
会話。
聞く。
「時津風さん?」
犬島。
「はい」
藍島。
端末。
近く。
『時津風さん』
『藍島?』
『今度会った時、川の深さ比べるのは禁止です』
時津風。
『しないよ!』
犬島。
「良かったです」
時津風。
『そもそも何で二人ともそんなに警戒してるのさ』
犬島。
藍島。
同時に。
「過去がありますので」
---
二十九 最終的なネットの反応
調査。
完了。
すると。
空気。
変わる。
«「時津風これ回避無理だな」»
«「錨禁止、機関停止、係留索は見た目で判別不能」»
«「港から渡された索が規格違いなら本人にはどうしようもない」»
«「河口内で機関起動して420mで止めたならむしろよくやった」»
そして。
犬島。
藍島。
対して。
«「最初疑ってごめん」»
«「河口って見ただけで犬島が浮かんだ」»
«「藍島まで疑った」»
犬島。
«次から艦名を確認してからお願いします。»
藍島。
«うちらが毎回川に入るわけではありません。»
誰か。
«「毎回ではないけど結構入ってる」»
犬島。
しばらく。
返信。
しない。
その後。
«それとこれとは別です。»
---
終章 河口事故専門鎮守府ではありません
事故から一週間後。
呉鎮守府。
広報室。
犬飼。
新しい郵便物。
受け取る。
差出人。
別の鎮守府。
表題。
「河口付近における漂流事例共有」
犬飼。
封筒。
見て。
固まる。
犬島。
「担当官さん?」
犬飼。
「また来た」
藍島。
「何がです?」
犬飼。
封筒。
見せる。
犬島。
読む。
数秒。
黙る。
«「……うちのところ、そういう窓口になったんです?」»
犬飼。
「なってない」
藍島。
「でも送られてきてます」
「なってない」
提督。
通りかかる。
封筒。
見る。
「また河口?」
犬飼。
「はい」
提督。
ため息。
«「一応資料室に入れといて」»
犬飼。
「受け入れ始めないでください」
その夜。
犬島公式SNS。
短い投稿。
«念のためですが、呉鎮守府は河口進入事故専門の鎮守府ではありません。
犬島も河口進入事故担当ではありません。
藍島さんも違います。»
藍島。
引用。
«時津風さんも違います。»
少し後。
時津風。
«あたしも!?»
ネット。
一番多かった返信。
«「分かっています。」»
そして犬飼は、その三艦のやり取りを見ながら笑った。
今回、犬島と藍島は何もしていない。
横須賀の時津風も、決められた方法で停泊していただけだった。
係留索の材質を取り違えたことで発生した、まったく別の河口進入事故。
それでも「河口」という言葉一つで犬島と藍島の名前が出てしまう程度には、二人の過去の事故は有名になっていた。
犬島はそれをあまり嬉しく思っていなかった。
藍島も同じだった。
ただ一つだけ、二人とも同じことを言った。
«「時津風さんが無事だったなら、それが一番です。」»
その部分だけは、いつもの二人だった。