ベルには明確な弱点が二つあって、その二つのうちの一つは滅茶苦茶重要で、もう一つは滅茶苦茶可哀想な弱点です。
僕達の
群青色の髪を揺らしながら破顔してくるミアハ様に僕も口の端を緩めていると、そこでふと神様のことを思い出し、僕は少し尋ねてみることにした。
「あの、ミアハ様。ヘスティア様のことについて何か知っていませんか? 二日ぐらい前にご友人のパーティーに出席されて、その、まだ帰っていなくて……」
「ヘスティアが、か? ううむ……すまない。私には少しも見当がつかん。力になってやれそうにない」
「いえ、気になさらないでください」
神様に謝罪させてしまった僕は、滅相もございませんと慌てて手を振った。
「パーティーというのはガネーシャの開いた宴でまず間違いないだろうが……私はその日、宴そのものに出ていなくてな。顔を出していれば何かわかったかもしれんが」
「…えっと、ミアハ様はその宴にご招待されていなかったんですか?」
「いや声はかけてもらっていた。が、極貧の【ファミリア】を率いる身としては暇がなくてな、先日も酒宴そっちのけで商品調合の助手に勤しんでいたのだ」
ミアハ様は手に持っている紙袋を揺らしながら、優しい笑みを浮かべて言う。
「おお、そうだ。ベル、これをお前に渡しておこう。今も話したが、できたてのポーションだ」
「えっ!」
紙袋を片手で支え、懐から二本の試験管を取り出したミアハ様は、それを気軽に差し出してきた。ほれ、と言って手渡され、僕は思わず受け取ってしまう。
深海の水のような濃い青の液体が、細長い容器の中でちゃぷんと波打つ。
「ミアハ様、これって!?」
「なに、良き隣人に胡麻をすっておいて損はあるまい?」
面食らう僕を尻目に、ミアハ様は少し意地悪く、そして男前に笑う。
ぽんぽん、と空いた手で僕の肩を叩いた後、ミアハ様はすぐ隣をすり抜けていった。
「ふはは、それではな、ベル。今後とも我が【ファミリア】の御贔屓を頼むぞ?」
片手を振りながらミアハ様は僕に背を向けた。
ぽかんとしていた僕は、雑踏に消えていくミアハ様の後ろ姿に笑みを送る。
もう一度ぺこりとお辞儀をしてから、左腿に装備しているレッグホルスターに、頂戴した
ミアハ様の【ファミリア】は道具屋を営んでいる。お店自体はとても小さいけど、冒険者にポーションを売り込む本格的な専門店だ。
僕はポーションの製法なんてお義母さんから聞き齧った程度だけど、
ミアハ様のところがいい例だけど、一口に【ファミリア】と言っても、行っている活動は千差万別、沢山ある。
道具を販売している商業系の派閥もあれば、武器や防具を製造する
早い話、神の眷族は神様のためにお金を稼いでくればいいのだから、その活動内容は何だって構わないわけで。
【ファミリア】の方針自体は神様が決定するから、その派閥の主神様が酷く興味を持った事柄にも影響を受けるかもしれない。こう、『下界の美味しい料理を食べたいから料理屋を開こう!』なんて。一つの国を形成しちゃうところだってあるくらいだし、本当に【ファミリア】の属性は多種多様だ。
変態なお祖父ちゃんでも、一応お祖母ちゃんと一緒に最強の
ただ……何だかんだ言っても、派閥同士のいがみ合いなんかが勃発したりするから──特にお祖母ちゃんとかお祖母ちゃんとか──、腕っ節の強い構成員を確保しておかないと──あり過ぎて、好き勝手しちゃってお祖父ちゃん達は追い出されたけど!!──【ファミリア】が成り立たないのも事実。不慮の事態に対応できる存在、つまり冒険者みたいな人員は自然と必要とされてくる。
単純に言えば厄介事を押し付けられる存在、戦争の道具でもあり、危険視される対象でもあり、忌み嫌われる存在でもある。それが冒険者、いつの世も過ぎた力は怖がられるってお祖父ちゃんも言ってたしね。
このオラリオは迷宮都市なだけに、冒険者志望の人の多さも相まって、その傾向は一段と強いかもしれない。
僕の場合は、レベルをガンガン上げられる探索系ファミリア以外は視野に入れてなかったし、でも一応それ以外にも選択肢を広げる為にお義母さんや伯父さんに色んな技術を叩き込まれたから、そこそこ選択肢は広かったと思う。
「あ…、」
武具関連のお店が目に見えて増えだし、重装備を纏う冒険者達の姿が顕著になり始めた頃。僕はある店舗の前に差しかかったところで、足を止める。
隣接する左右の店と比べて、ふた回りほども大きい武具店。
炎を思わせる真っ赤な塗装は、商店が並ぶこの大通りでも一際人目を引く。
重厚な扉の上に飾られた看板には、【Ἥφαιστος】という奇怪なロゴタイプ。
【
いつも思うけど、こんな凄まじいファミリアの上級
いつか教えてくれると言ってたけど、考えても全然分かんないし。
…武器を壊しちゃったこと、また改めて謝らないと。
そう後悔を握りしめて、僕はまた歩き出した。
「……あんた、いつまでそうやっているつもりよ?」
「……」
ベルが
そのとある店の屋内では、紅眼紅髪の女神『ヘファイストス』が、呆れたような疲れたような声音をこぼしていた。
【ファミリア】の制服姿で執務机についている彼女の声が向かう先は、床に跪いてこれでもかと頭を下げている丸い物体、もとい幼女神こと『ヘスティア』である。
【ヘファイストス・ファミリア】、北西のメインストリート支店。
彼の大ブランド鍛治店、その三階にあたる執務室では、一種の混沌とした空気が流れていた。
「私、これでも忙しいんだけど?」
「……」
「騒いでなくても、そこで虫みたいに丸まってもらってると、気が削がれて仕事の効率落ちるの。わかる?」
「……」
「ちょっと、ヘスティア?」
「……」
「……はぁ」
押し黙りずっと同じ態勢のままでいる小さな親友に、ヘファイストスは溜息をつく。
丸一日。
ヘスティアがヘファイストスに頭を下げ続けている時間である。
『神の宴』があったあの日、【ファミリア】の構成員に武器を作って欲しいというヘスティアの懇願を、ヘファイストスはばっさりと切って捨てた。
自慢ではないが、【ヘファイストス・ファミリア】に所属する上級鍛冶師の作品は、同業者達の間でも最高品質であると誉れ高い。その相場は一流の冒険者や【ファミリア】であろうとおいそれと手を出せない域にある。賭けてもいいが、ヘスティア
それに何よりも、自分の眷族でありお気に入りでもある『ヴェルフ・クロッゾ』とヘスティアの眷族である『ベル・クラネル』は専属契約を結んでいる筈。
あのヴェルフが笑みを浮かべて自分に報告してきた事を、それはもう昨日のように思い出せる。
血筋柄、一部の種族からは嫌厭され、とある道化の派閥の遠征に着いて行った時なんてそれはもう其処に所属していた
そんな彼が自分から契約を結び、笑顔で報告してきた。こう言ってはなんだが、若干その少年に対して『嫉妬』のような大人気ない感情も、少しばかりはある。
だが、それ以上に興味もあった。ヘファイストスとて神、面白いことは好きだ。いつかその少年と面と向かって話してみたいとは思っていた、だからこそ。
友人のよしみで格安で譲るなどというのはもとから論外。それはヴェルフに対しても不義理を働くことになる上、【ファミリア】を統率する立場にあるヘファイストスにとって、構成員達が血と汗を流し生み出した武具を軽く扱うような真似は完璧なタブーだ。認められるわけがない。
オーダーメイドを注文するなら少しは金を集めてからにしろと言って──言外に身の程を知れとはっきり告げて──、ヘファイストスは容赦なくヘスティアを突っぱねた。
しかしである。申し出を断られたヘスティアは、宴がお開きになった後も何度も何度も頭を下げて頼み込んできた。いくら追い払おうが何故かしつこく付きまとってくるヘスティアに、ヘファイストスの方が先に弱り切ってしまったほどだ。
こうなったらヘスティアが諦めるまで好きにさせようと、ヘファイストスは彼女をとことん放置することにした。腹も空けばとぼとぼと帰っていくだろうとそう考えて。
そして、ガネーシャの宴から二日。
まだヘスティアはヘファイストスに
「(何があんたをそうさせるのよ……)」
ヘファイストスは渋い顔で目頭を押さえる。
自分が仮眠している最中でさえこの平伏じみたポーズを取っていた神友の心情が、この時ばかりはまるで理解できない。余談にはなるが、目覚めた際は仰天してベッドから転げ落ちそうにもなった。
今まで散々頼られることはあったが、今回は様子が違う。
何と言うのか、執念、あるいは切望じみた強い意志が伝わってくる。
「そもそも、あんた昨日から何やってるの? なんなのよ、その格好?」
「……土下座」
「ドゲザ?」
「これをすれば何をしたって許されて、何を頼んでも頷いてもらえる最終奥義……ってタケから聞いた」
「タケ……?」
「タケミカヅチ……」
ああ……、とヘファイストスは親交のある神の顔を思い浮かべる。と同時に、面倒臭いことを吹き込むなと悪態をついた。
もう無理だ、とヘファイストスは嘆息。仕事に身が入らない。持っていた羽ペンを机の隅に置き、サイン待ちの書類をほどほどに残して事務を投げ出す。
室内に差し込む夕日の光は薄らいできている。夜がもう近い。
ヘファイストスは一度窓の外に目をやってから、すっと丁寧過ぎるほどに姿勢を正し、こちらに後頭部を晒しているヘスティアをじっと見据えた。
「……ヘスティア、教えてちょうだい。どうしてあんたがそうまでするのか」
顔の半面ごと右眼を覆う眼帯を指で軽くなぞりながら、声を真っ直ぐに飛ばす。
「……あの子の、力になりたいんだ!」
ヘスティアは土下座の格好を崩さず、吐き出すように答えた。
「今あの子は変わろうとしてるっ。一つの目標があって、ベル君は、高く険しい道のりを走り出そうとしてる! 危険な道だ、そして彼は絶対にその道を走り続ける。 今まで誰も成してたことのない事を成すだろう、だから欲しい! あの子を手助けしてやれる力が! あの子の道を切り開ける、意思を突き通せる、武器が!」
視線は床に縫い付けたまま、ヘファイストスの方を見向きもせずに言葉を続ける。
神が神に願う行為。それは本音を包み隠さずさらけ出し、自分という存在をぶつけるための儀式でもあった。神を動かすに足りる想いか、吐露をもって証明する。
「ボクはあの子に助けられてばっかだっ! ていうか、ひたすら養ってもらってるだけだ! ボクはあの子の主神なのに、神らしいことは何一つだってしてやれてない!」
最後は絞り出すようにして、ヘスティアはぐっと体を強張らせた。
「……何もしてやれないのは、嫌なんだよ……」
消え入りそうな弱々しいその言葉は、しかしヘファイストスを動かすに
この時、偽らざるヘスティアの想いを、彼女は認めたのだった。
「……わかったわ。作ってあげる、あんたの子にね」
ばっと瞠目した顔を振り上げたヘスティアに、ヘファイストスは肩をすくめてみせる。
「私が頷かなきゃ、あんたは梃子でも動かないでしょうが」
「……うんっ、ありがとう、ヘファイストス!」
立ち上がり──長時間土下座をした反動か、すぐにぐらっとよろめいて四つん這いに戻ったが──頰を染めて破顔する友の姿に、ヘファイストスは形だけの溜息をつく。
甘やかし過ぎだと自覚しつつも、今のヘスティアになら手を貸すのはやぶさかではないと思っている自分がいた。
少なくとも、ぐーたらと部屋に引きこもっていた以前よりは、くすりと笑みを漏らしてしまうくらいに微笑ましいものがある。
「──で、言っておくけど、ちゃんと代価は払うのよ。何十年何百年かかっても、絶対にこのツケは返済しなさい」
が、けじめだけはつけてもらう。
天下の【ヘファイストス・ファミリア】がタダ働きするのもありえなければ、あくまで他力本願であるヘスティアにも、しっかり痛みを伴ってもらわなければならない。
それだけの覚悟があるなら身を粉にしてみせろと、椅子から立ち上がりつかつかと歩み寄ったヘファイストスは、ヘスティアの鼻先にその細い指をびしりと突きつけた。
「わ、わかってるさっ、ボクだってやる時はやるんだっ。ああいいとも、いいさ、ベル君へのこの愛が本物だって、身をもってヘファイストスに証明してあげるよ」
「はいはい、楽しみに待ってるわ。でも、借金の重さで愛を語るのは止めなさい」
目を閉じて胸を張ってみせるヘスティアの言葉を話半分に聞きながらも一応叱責し、ヘファイストスは壁に作り付けされた飾り棚へ向かった。
細長い棚には新品同然に磨き抜かれているショートハンマーが数点並べられている。
「あんたの子が使う得物は?」
「え……二刀流の長剣だけど?」
そう、と一言呟いてヘファイストスは紅緋色の鎚を取った。
作るなら片振りね、長剣ならある程度予想できるし。
余計な装飾が一切施されていない機能重視のハンマーを、腰に常備しているポーチにしまい込む。
次は透明のクリスタルケースのもとまで歩み寄り、錠を解く。ケースの中でどっかりと鎮座している数種類の金属塊──武器素材の中で、白銀色に輝く真銀『ミスリル』を選択。
鉄より軽く堅く、そして鉄より遥かに鍛えやすい完成された
女の細腕、いや
「ヘ、ヘファイストス。もしかして、君が武器を打つのかい?」
「そうよ、当たり前でしょう。これは完璧にあんたとのプライベートなんだから。私の事情に【ファミリア】の団員を巻き込むわけにはいかないわ」
この支店の一階には鍛冶作業を行うための『工房』が小規模ながら備わっている。ヘファイストスはそこで自ら武器を作成しようとしているのだ。
何か文句ある? とヘファイストスは眼帯をしていない左眼でジロリと一睨みする。
ヘスティアの方は「まさか」と言わんばかりに首を横に振り、その幼い顔を輝かせた。
「文句なんてあるわけないじゃないか! 天界でも神匠と謳われた君に作ってもらうんだ、むしろ大歓迎だよ!」
「あんた、忘れてない? ここは天界じゃないのよ、私は一切『力』を使えないんですからね」
神々の間で取り決められたルールによって、下界では『神の力』の使用は禁じられている。
天界では数多の神器神具を作り出してきた『鍛冶神』ヘファイストスといえど、この下界においては『
「構うもんか! ボクは君に武器を打ってもらうのが一番嬉しいんだから!」
「……」
ヘファイストスの腕を疑っていないのか。無条件で己のことを受け入れているヘスティアに、ヘファイストスは思わず眉根を寄り合せた難しい表情を作るが。
悔しいことに、悪い気はしなかった。
「……これからやる作業、あんたも手伝いなさい。今からしっかり働いてもらうから」
「ああ、任せてくれよ! あと…この魔法石を使ってくれないか?」
照れ隠しじみた指示をぶっきらぼうに伝えヘファイストスは体を翻した。
そんなヘファイストスにヘスティアは一つの『灰色の魔法石』を手渡し、そしてそれを見てヘファイストスは瞠目する。
やがて、その魔法石の出処を問い詰めようとしたが、ヘスティアが頑なに言おうとしないのでヘファイストスは諦め、部屋の扉へと進むそんな彼女の後を、ヘスティアは機嫌良さそうにぴょんぴょんと跳びはねながら追ってくる。
「(……ま、客の要望には応えないとね)」
少なからず気分を高揚させられたヘファイストスは、意識を【ファミリア】の主神のものからいち鍛冶師のものへと切り換える。
ヘスティアの望む武器。
冒険者の進む道を切り開く
【ヘファイストス】の名に恥じぬ一品を作ってみせよう。
「(……とは言ったものの)」
記憶から引き出すのは、当の武器の使い手となる人物情報。
ベル・クラネル。種族はヒューマン、齢十四の少年。
友人の【ファミリア】の唯一の構成員であり、『神の恩恵』を授かってからまだ半月しか経っていない。
噂で聞く限りでは凄まじい才能を有していると言われているが、それでもまだまだ冒険者としては完璧な新米だ。
「(駆け出し冒険者に持たせる、一級品装備……。しかも剣と杖の両方の性質を併せ持つ物……)」
はっきり言って、無理難題である。
武器の威力があまりにも強過ぎては冒険者が腐る。一方的に装備品に寄りかかる行為は使い手の成長を妨げるのだ。
もとより十分に使いこなせまい。身分不相応、この言葉につきる。
しかし、かと言って適当に作ってしまえば、それこそ【ヘファイストス】の名折れ。
ヘファイストスは、自分は神である前に一人の
やるからには全力で最高のモノを作り出す。
よって、板挟み。
「(さて、どうするか……)」
今まで己が鍛えてきた数々の作品を参照しながら思考に耽る。
我が神友ながら厄介な依頼をしてくると、隣で嬉しそうに付いてくるヘスティアをちらっと見やりながら、思わず心の中で呟くヘファイストスだった。
神様が出かけられてから三日目の朝。まだ神様は帰ってこない。アストレア様に聞いて、一応無事なのは分かっているが、一体何処で油を売っているのやら。
がらんとした教会の隠し部屋で、一人で迎える朝食にほんのちょっぴり寂しい思いをした後、僕は今日もダンジョンにもぐる準備をする。
ちなみに今日の朝ご飯は昨日のうちに仕込みをしておいたビーフシチューがメイン。伯父さんの料理が少し恋しく感じる今日この頃。
神様がいてくれなくても僕のやることは変わらない。むしろ帰ってきてくれた時に「こんなにお金稼ぎました!」なんて言って、喜んでもらえるよう頑張っていかなきゃいけない。
僕は姿見に映る自分と向かい合いながら、気合いを入れ直せと活を入れた。
ポーションが差し込まれたレッグホルスターを脚に装着し、短剣を腰に差す。ヴェルフの打ってくれた防具の上からバックパックを背負って装備を整えた僕は、最後に『銀色の腕輪』を右手にしっかりと嵌め込み、最後に誰もいないホームに「行ってきます」と言って扉に手をかけた。
「(今日は…十三階層にでも行ってみようかな…?)」
先日は暴走まがいにダンジョンに突っ込んで、かなり神様に迷惑を掛けてしまった。なので流石に今中層なんかに突っ込んだりすれば神様に要らぬ心配を掛けてしまうだろう。…何より、アドバイザーであるエイナさんが、般若のような表情で…あとあの人にも滅茶苦茶叱られる事が大いに予想させる。 うん、ギルドには当分行かないでおこう。この間のミノタウロスの件がエイナさんに知れればエラい事になるのは目に見えているからね!
本日の予定を組み立てつつ僕は地下室を出発する。廃墟じみた教会を後にすると朝の澄んだ空気に包まれた。「」いつか修繕ししたいなぁ」と零しながら、路地裏に飛び出した僕はこなれた動きで何度も角を曲がり、西のメインストリートに出る。
ぐんぐんと加速しながら走っていると、いつかの早朝に見た光景と今の光景がだぶる。
一人でカフェテラスの準備を行う店員さんに、路地の角でたむろする獣人の二人組。商店の二階の窓から大通りを俯瞰する女の子は、今日はいなかった。
「おーいっ、待つニャそこの白髪頭ー!」
白髪という単語にぎょっと反応してしまい、僕は思わず足を止める。
声のした方向に振り向くと、『豊饒の女主人』の店先で、ネコ耳と細い尻尾を生やしたキャットピープルの少女が、ぶんぶんと大きく手を振っていた。
…前にリューさんと一緒に表にいた人だ。
前回は告白した、というあらぬ疑いを掛けられたり、一度辺りを見やってから──なんか、刺すような視線を感じる…けど──自分に指を向けて「僕ですか?」と確認すると、こくこくと頷かれた。
シルさんにもらったランチのバスケットだったらもう返した筈だし……何なんだろうと思いながら、僕はウエイトレス姿の彼女に駆け寄った。
「おはようございます、ニャ。いきなり呼び止めて、悪かったニャ」
「あ、いえ、おはようございます。……えっと、それで何か僕に?」
眼前でぺこりと頭を下げられ、こちらも頭を下げ返す。
何だかよく躾けられたようなお辞儀をした店員さんは、早速とばかりに用件を切り出した。
「ちょっと面倒ニャこと頼みたいニャ。はい、コレ」
「へっ?」
「白髪頭はシルのマブダチニャ。だからコレをあのおっちょこちょいに渡して欲しいニャ」
手渡されたものはこの頃よく見かけるようになった、お金を持ち運ぶためのお財布だった。
布袋状で、口金のついた『がま口財布』。さり気なく見慣れないエンブレムが刻まれてあって、どこかの商業系の【ファミリア】が製作したことがわかる。紫色のその金入れは、小ぢんまりしていて可愛らしい。
うん、可愛らしいのはいいんだけど……ちょっと話が見えてこないぞ?
コレをシルさんに渡すって、一体どういう……?
「アーニャ。それでは説明不足です。クラネルさんも困っています」
と、今度は店の入り口からリューさんが現れた。前日の件がある為僕は咄嗟に目を話してしまったら、リューさんもなんだかなんとも言えないような感じで僕から視線を切っていた。
「リューはアホニャー。店番サボって祭り見に行ったシルに、忘れていった財布を届けて欲しいニャんて、そんニャこと話さずともわかることニャ。ニャア、白髪頭?」
「というわけです。言葉足らずで申し訳ありませんでした」
「あ、いえ、よくわかりました。そういうことだったんですね」
ふぅーヤレヤレという顔をするキャットピープルの店員さんを綺麗に無視して、リューさんは僕に謝罪してきた。僕も疑問が解消され納得する。
一瞬で蚊帳の外に置かれたアーニャと呼ばれた少女は、得意げに揺らしていた尻尾をぐにゃりと垂らし、赤くなった顔をうつむけてわなわなと震え出す。僕は汗を流し、そしてそこである疑問が頭をよぎる。
「あれ?そう言えばリューさんはファミリアの皆さんと一緒に今日のお祭りの警邏に当たるのでは?」
「はい、なので一緒に行ってもらえないでしょうか。自分勝手で申し訳ありませんが、私は途中でアリーゼ達の方へと行かなくてはならないので」
「あぁ、そっか。分かりました、では行きましょう」
よく見るとリューさんの服装はいつもの若葉色の制服ではなく、緑色のケープを纏い、内側には魔法衣?のような、精霊の護符が付与された白い服を着ていた。
「あんまり僕が言うことじゃないんですが……シルさんがお店をさぼっちゃったって、本当なんですか?」
「さぼる、と言い方には語弊があります。ここに住まわせてもらっている私達とシルとでは、環境が違うので」
何だかんだで真面目そうなシルさんがなまけるところを想像できなくて尋ねてみると、どうやら休暇扱いらしい。住み込みで働いている目の前の彼女達と異なって、シルさんは毎日この酒場で立ち働いているわけではないのだと言う。女将さんであるドワーフのミアさんの許可も取っているのだそうだ。
ううん、やっぱりそういう所も含めて怪しさ満点なんだよなぁ。
要は、シルさんは自宅通いだから、例外的な非番を認められているってことか。
どうやらシルさんはそれを使って『お祭り』に行ったらしい。
「そう言えば、僕そのお祭りについてあまり知らないんですよね。どういう催しなんですか?」
「
摩天楼の中で聞いた言葉。
何も知らない僕は当然興味を引かれた。
「知りませんか?」
「はい、お恥ずかしながら僕は最近オラリオに来たばかりなので」
「──ニャら、ミャーが教えてやるのニャ!」
僕がそう言うと、うつむいていたキャットピープルの店員さんががばっと勢いよく動き、ずいっと僕達の間に割って入った。名誉挽回とでも言うように鼻息荒く話し出す。
「
「へぇ~、調教?(ヘルメス様が言ってたなぁ、いつも話半分にしか聞いてなかったら覚えてないけど)」
「別にモンスターを手懐けること自体はおかしいことじゃニャい。白髪頭だって冒険者ニャら一度は経験したことがある筈ニャ。ぶっ倒したモンスターがむくりと起き上がり、仲間になりたそうな眼差しをミャー達に送ってくるあの瞬間を……」
「いえ、あの、一度もないんですけど……」
なんですかそのペケモンみたいな奴。というかそれ、スライムなんじゃあ?
どんな眼差しなんだと一向に半信半疑でいると、リューさんが口を挟む。
「
あぁ、そう言えばレオンさんが「
お義母さんも僕とミノタウロスを戦わせる為に、態々竜種の魔石をミノタウロスに喰わせる為にボコボコにしてたな、ん?アレはワンチャン偉業なのでは?
……深くは考えてはいけない。
「ダンジョンにいるモンスターはタチが悪くて調教を受け付けにくいから、普通は地上のモンスターを手懐けるもんニャんだけどニャー……【ガネーシャ・ファミリア】の構成員は実力が半端じゃニャいから、迷宮育ちのモンスター相手でも成功させてのけるニャ」
【ガネーシャ・ファミリア】とは、簡単に言えば都市の憲兵のような存在であり、主神である神ガネーシャは相当な
お祖父ちゃんや伯父さんは喧しい奴だと言い、お祖母ちゃんやお義母さんは「絶対にあの派閥にだけは入るな」と警告された。一応、4人とも善神であるとは断言していたが…。
「つまり、モンスターと格闘して大人しくさせるまでの流れを、
「そういうことニャ。ぶっちゃけサーカスみたいなもんニャ」
ただし偉いハードの、と店員さんは最後に付け加えた。やっぱり危険は伴うらしい。
「ミャー達だって本当は見に行きたいニャ、でも母ちゃんが許してくれねーニャ。シルは土産を買ってくるとか言って、笑顔で敬礼なんかしていったけど……財布を店に忘れていくというこの体たらくニャ。シルはうっかり娘ニャ」
「アーニャ、貴方が言えたことではないと思いますが」
「はは……」
それに関しては僕も内心激しく同意する。
まあ大体の要件は理解した、日々お昼ご飯を用意してもらっている恩もある。こういうところで少しつづ返していかなければ、あの人ならいつか凄まじいお願いをしかねない。
「では行きましょうか、リューさん」
「はい、よろしくお願いします」
『灰色の魔法石』:何処ぞの過保護な母親が少年に持たせた第一等級の魔法石であり、灰色なのはその母親と似ていると少年が言った為、「私だと思って武器の素材にでもしろ」と言う。それをヘスティアは本拠から出ていく前に持っていった。少年自身は「使い所分かんない、高すぎて使うの怖い」ということで管理は自分で、使用するタイミング自体はヘスティアに一任されていた。
お気に入り登録やコメントをしてくれるとモチベに繋がるので是非お願いします!評価もしてくれると嬉しいです、コメントでのアドバイスも待っています!
それでは次回まで楽しみに待っていて下さい!