下界の飯は悪くない   作:ボヤージュ500億

10 / 28
始まりと終わりの町

翌日の午後。

 

水平線の向こうに、大きな島影が見え始めた。

 

世界政府船の甲板。

 

メフェリアは手すりに両腕を乗せ、少し身を乗り出すようにして前方を眺めていた。

 

「見えてきた」

 

潮風に緑色の髪が揺れる。

 

その隣で、政府役人が港へ入る準備を確認していた。

 

「間もなくローグタウンです」

 

「大きいね」

 

「東の海でも有数の港町ですから。偉大なる航路へ向かう船の多くが、この町へ立ち寄ります」

 

「海賊も?」

 

「……残念ながら」

 

役人の表情が少し曇る。

 

ローグタウン。

 

海賊王ゴールド・ロジャーが生まれ、そして処刑された町。

 

大海賊時代の始まりを象徴する場所であり、偉大なる航路を目指す海賊たちにとっては特別な意味を持つ。

 

メフェリアは遠くに見える町並みを眺めた。

 

「変な町」

 

「何がでしょうか?」

 

「海賊を処刑した場所なのに、海賊がいっぱい来るんでしょ?」

 

「皮肉な話ではありますね」

 

「ふーん」

 

船が港へ近づいていく。

 

多くの帆船。

 

商船。

 

漁船。

 

その間を縫うように世界政府船が進む。

 

港には海兵の姿も多い。

 

さすがに、この町はこれまで立ち寄った島とは雰囲気が違った。

 

「メフェリア宮」

 

「なに?」

 

「到着後、まず現地の海軍支部から情報を受け取ります。その後、昨日の男が接触する予定だった場所へ向かいます」

 

「今日?」

 

「はい」

 

「何時?」

 

「日没前には」

 

メフェリアが空を見る。

 

まだ時間はある。

 

「じゃあ、その前に処刑台行ける?」

 

役人は少し考えた。

 

「……経路から大きく外れなければ」

 

メフェリアの目が少しだけ明るくなる。

 

「行こ」

 

「まずは海軍支部です」

 

「分かってるよ」

 

そう答えながら、もう町を見ている。

 

役人は小さくため息をついた。

 

 

港へ降りると、すぐにローグタウンの喧騒が押し寄せてきた。

 

行き交う人々。

 

荷物を運ぶ船員。

 

客を呼び込む商人。

 

店先から漂ってくる料理の匂い。

 

メフェリアは歩きながら、右を見る。

 

左を見る。

 

また右を見る。

 

「メフェリア宮」

 

「なに?」

 

「前をご覧ください」

 

「見てるよ」

 

「先ほどから左右しかご覧になっていません」

 

「ちゃんと見えてる」

 

そう言った直後。

 

正面から荷車が来た。

 

役人がメフェリアの肩を掴み、横へ避けさせる。

 

「危ないですよ」

 

「…………」

 

「前をご覧ください」

 

「分かった」

 

少しだけ大人しくなった。

 

一行は港から海軍支部へ向かう。

 

その途中にも、メフェリアの視線は忙しい。

 

武器屋。

 

衣料品店。

 

酒場。

 

菓子屋。

 

「…………」

 

役人は何も言わなかった。

 

言っても仕方がないと分かり始めていた。

 

 

ローグタウン海軍支部。

 

世界政府からの連絡は、すでに届いていた。

 

用意された部屋へ入り、現地で集められた情報を確認する。

 

机の上には町の地図。

 

役人が一点を指差した。

 

「接触予定地はこちらです」

 

港から少し離れた倉庫街。

 

使われていない古い建物。

 

「昨夜から監視しておりますが、今のところ怪しい動きはありません」

 

海兵が説明する。

 

「取引は?」

 

「本日の夕刻と見られます」

 

メフェリアは地図を見る。

 

「じゃあ、まだ時間あるね」

 

役人が先回りする。

 

「ございますが、好きに歩き回ってよいという意味ではありません」

 

「まだ何も言ってない」

 

「お顔に書いてあります」

 

「書いてない」

 

昨日も似たようなことを言われた気がする。

 

海兵が二人のやり取りを不思議そうに見ていた。

 

無理もない。

 

神の騎士団から人間が派遣される。

 

その話を聞いた時、支部では相当な緊張が走った。

 

まして。

 

天竜人。

 

どのような人物が来るのかと身構えていた。

 

実際に現れたのは。

 

小柄な緑髪の少女だった。

 

しかも。

 

先ほどから観光のことばかり気にしている。

 

「何か?」

 

メフェリアが海兵を見る。

 

「い、いえ!」

 

海兵が姿勢を正す。

 

「何でもありません!」

 

「そう?」

 

役人が話を戻した。

 

「現場へは日没の一時間ほど前に向かいます。それまでは待機となります」

 

メフェリアが時計を見る。

 

「二時間くらい?」

 

「その程度ですね」

 

「じゃあ処刑台」

 

「……はい」

 

「行っていい?」

 

「私も同行いたします」

 

「うん」

 

許可が出た。

 

メフェリアはすぐに立ち上がった。

 

 

ローグタウン中央広場。

 

そこだけは、町の他の場所とは少し空気が違っていた。

 

大勢の人が行き交っている。

 

観光客。

 

商人。

 

船乗り。

 

海賊らしき者も混ざっている。

 

その中心。

 

高く設けられた処刑台。

 

メフェリアは少し離れた場所から、それを見上げていた。

 

「…………」

 

ここで。

 

ゴールド・ロジャーは死んだ。

 

世界政府によって処刑された。

 

それ自体は知っている。

 

マリージョアでも、ロジャーの名は何度も耳にした。

 

世界の秩序を乱した大罪人。

 

海賊王。

 

そう教えられてきた。

 

「ここ?」

 

「はい」

 

役人が答える。

 

「二十二年前、ゴールド・ロジャーはこの場所で処刑されました」

 

メフェリアは処刑台を見上げたまま尋ねる。

 

「いっぱい人いたの?」

 

「広場を埋め尽くすほどだったと聞いております」

 

「みんな見に来たんだ」

 

「海賊王の最期ですから」

 

「怖くなかったのかな」

 

役人がメフェリアを見る。

 

「誰がです?」

 

「ロジャー」

 

少し意外な質問だった。

 

「……さあ」

 

「死ぬんでしょ?」

 

「そうですね」

 

「なのに笑ってたって書いてあった」

 

メフェリアは昨日読んだ観光案内を思い出していた。

 

処刑される直前。

 

海賊王は笑ったという。

 

「変な人」

 

ぽつりと呟く。

 

役人は答えなかった。

 

メフェリアにも、その気持ちは分からない。

 

死ぬことが怖くない人間なんているのだろうか。

 

少なくとも。

 

自分にはまだ分からなかった。

 

「でも」

 

「はい?」

 

「ここで終わったのに、ここから始まったんだよね」

 

役人が黙る。

 

ロジャーの最期の言葉。

 

それによって。

 

大海賊時代が始まった。

 

「そういうことになります」

 

「やっぱり変なの」

 

一人の人間が死んだ場所。

 

なのに。

 

そこから数え切れないほどの人間が海へ出た。

 

始まりと終わりが、同じ場所にある。

 

メフェリアはしばらく処刑台を見つめていた。

 

その時。

 

広場の反対側。

 

一人の少年が走っていった。

 

「…………」

 

メフェリアの視線が、ほんの一瞬だけそちらへ向く。

 

麦わら帽子。

 

赤い服。

 

何かを探しているのか、きょろきょろと周囲を見ながら人混みの中へ消えていく。

 

それだけだった。

 

メフェリアはすぐに処刑台へ視線を戻した。

 

当然。

 

名前も知らない。

 

気に留める理由もない。

 

「そろそろ参りましょう」

 

役人が時計を見る。

 

「うん」

 

メフェリアも歩き出す。

 

数歩。

 

そして止まる。

 

役人が振り返る。

 

「どうされました?」

 

メフェリアは通りの向こうを見る。

 

そこには小さな店。

 

ガラス越しに、焼き菓子が並んでいる。

 

「…………」

 

「メフェリア宮」

 

「時間ある?」

 

「ございますが」

 

「一個だけ」

 

「何がでしょう?」

 

「あれ」

 

指差す。

 

役人は店を見る。

 

次に時計を見る。

 

「……一個だけですよ」

 

「うん」

 

数分後。

 

メフェリアは紙袋を持って店から出てきた。

 

中には、焼きたてのアップルパイ。

 

「一個だけって言いましたよね」

 

「一個だよ」

 

「その袋、随分と大きくありませんか?」

 

「大きい一個」

 

「…………」

 

丸ごと一台だった。

 

役人は額を押さえた。

 

 

夕刻。

 

ローグタウン西部。

 

倉庫街。

 

昼間の賑わいは遠く、辺りには古い建物が並んでいる。

 

メフェリアたちは一つの倉庫が見える場所で待機していた。

 

現地の海兵たちは少し離れた場所に配置されている。

 

「来るかな」

 

「予定が変更されていなければ」

 

役人が答える。

 

メフェリアは木箱に腰掛けていた。

 

手にはアップルパイ。

 

「メフェリア宮」

 

「なに?」

 

「まだ召し上がっていたのですか?」

 

「大きいから」

 

「……そうでしたね」

 

一口。

 

サクッ。

 

メフェリアは満足そうに食べる。

 

「美味しい」

 

「それは何よりです」

 

役人はすでに諦めていた。

 

「来たら教えて」

 

「メフェリア宮も警戒を」

 

「してるよ」

 

「食べながら?」

 

「うん」

 

本当なのだから困る。

 

見聞色。

 

メフェリアは食事をしながらでも、周囲の気配を捉えていた。

 

その時。

 

「…………」

 

フォークが止まった。

 

役人が気づく。

 

「どうされました?」

 

メフェリアは倉庫の方を見る。

 

「来た」

 

役人の表情が変わる。

 

「何人です?」

 

「一人」

 

路地の向こう。

 

男が歩いてくる。

 

灰色の上着。

 

帽子を深く被っている。

 

ごく普通の商人に見える。

 

だが。

 

男は周囲を何度も確認していた。

 

やがて、目的の倉庫へ入っていく。

 

「情報通りですね」

 

役人が小声で言う。

 

「どうする?」

 

「接触相手を確認します」

 

「捕まえないの?」

 

「まだです」

 

メフェリアは少し不満そうだった。

 

「待つの?」

 

「はい」

 

「どれくらい?」

 

「それは……」

 

役人にも分からない。

 

メフェリアは残っているアップルパイを見る。

 

「じゃあ食べてる」

 

「静かにお願いいたします」

 

「分かってる」

 

十分。

 

二十分。

 

日が沈み始める。

 

倉庫に入った男は出てこない。

 

「遅い」

 

「もう少しお待ちください」

 

「アップルパイなくなった」

 

「それは知りません」

 

さらに数分。

 

その時。

 

メフェリアの表情が変わった。

 

「…………」

 

「メフェリア宮?」

 

「増えた」

 

「何がです?」

 

「中の人」

 

役人が倉庫を見る。

 

「何人です?」

 

「二人」

 

「いつ入った?」

 

周囲を監視していた海兵からも連絡はない。

 

正面入口。

 

裏口。

 

どちらからも誰も入っていない。

 

「分かんない」

 

メフェリアは立ち上がる。

 

「でもいる」

 

役人の顔が険しくなる。

 

「地下道でしょうか」

 

「多分」

 

倉庫の中。

 

二つの気配。

 

一人は先ほど入った男。

 

もう一人。

 

「…………」

 

メフェリアの目が細くなる。

 

その気配が動いた。

 

速い。

 

「離れて!」

 

役人が反応するより早く。

 

倉庫の壁が吹き飛んだ。

 

ドンッ!!

 

木片と埃が路地へ飛び散る。

 

メフェリアは役人の前へ出た。

 

煙の向こう。

 

一人の男が姿を現す。

 

黒い服。

 

手には小さな鞄。

 

こちらを見る。

 

メフェリアと目が合った。

 

「…………」

 

「…………」

 

男の顔が変わる。

 

「神の騎士団……!」

 

メフェリアはレイピアへ手を伸ばした。

 

だが。

 

男は戦わなかった。

 

反対方向へ走り出す。

 

「あ」

 

役人が叫ぶ。

 

「逃げます!」

 

「うん」

 

メフェリアが地面を蹴る。

 

「追う」

 

夕暮れのローグタウン。

 

人々の知らないところで。

 

東の仲介人へ繋がる追跡が始まった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。