翌朝。
ローグタウンの通りは、朝から多くの人で賑わっていた。
店を開く商人たちの声に、港からやってきた船乗りたちの足音が重なる。昨夜あれだけの騒ぎがあったというのに、町は何事もなかったかのようにいつもの活気を取り戻していた。
その人混みの中を、メフェリアは政府役人とともに歩いていた。
今日は外套を羽織り、神の騎士団員としての装いを目立たせないようにしている。当然、天竜人であることも周囲には知られていない。
「メフェリア宮。正午までには船へお戻りください」
「分かってる」
「十一時半には港へ向かいます」
「分かってるって」
メフェリアが振り返る。
「昨日もちゃんと帰ったでしょ?」
「……確かに」
役人はそれ以上言えなくなった。
任務の途中で寄り道はする。食べ物も買うし、観光案内も熱心に読む。
その一方で、約束した時間は意外なほどきちんと守る。任務そのものを放り出したこともない。
メフェリアは再び前を向いた。
「どこ行こうかな」
「決めていなかったのですか?」
「歩いて決める」
「左様ですか……」
どうやら完全に散歩らしい。
役人は小さく息を吐き、その後をついていった。
*
ローグタウンには様々な店が並んでいた。
武器屋や衣料品店、雑貨屋に飲食店。港町らしく扱われている品も多く、メフェリアは気になった店があるたびに足を止めては、中を覗いていた。
その途中、一軒の露店の前で立ち止まる。
「これ何?」
店先には、小さなガラス瓶がいくつも並んでいた。中には赤や黄色、緑といった色とりどりの飴が入っている。
「果物の飴だよ」
店主の女性が答えた。
「赤いのはイチゴ、黄色はレモン。こっちはリンゴだね」
「全部味違うの?」
「もちろん」
メフェリアは真剣な顔で瓶を見比べる。
役人は一度時計を確認したが、まだ十分に時間はある。
「全部」
「全部?」
「一個ずつ」
店主が楽しそうに笑った。
「随分気に入ってくれたね」
いくつかの飴が小さな紙袋へ入れられる。
メフェリアはさっそく赤いものを一つ取り出し、口に入れた。
甘い。
その後から、ほんの少し酸味が広がる。
「美味しい」
「そりゃよかった」
店主は何気なく笑っている。
当然、目の前の少女が世界貴族だとは思っていない。
メフェリアも自分から名乗ることはなく、代金を払うとそのまま店を離れた。
「気に入られましたか?」
「うん」
「マリージョアにも似た菓子はあると思いますが」
メフェリアは次の飴を取り出しながら役人を見る。
「でも、これはここで買ったやつでしょ?」
「……まあ、そうですね」
今度は黄色。
口に入れた途端、メフェリアの眉が少し寄った。
「すっぱい」
「レモンですから」
「知ってる」
そう言いながらも、吐き出すことはない。
役人はその様子を見て、わずかに笑った。
*
しばらく町を歩いていると、二人は中央広場へ出た。
昨日と同じように、多くの人々が行き交っている。商人や船乗り、旅人の姿が入り混じり、その中心には町の象徴ともいえる処刑台が高くそびえていた。
メフェリアは歩きながら、もう一度そこを見上げる。
昨日、長い時間眺めた場所。
海賊王ゴールド・ロジャーが最期を迎えた場所。
今日は足を止めなかった。
その時、人混みの向こうから騒がしい声が聞こえてきた。
「おい! 麦わら!」
「待て!」
「?」
メフェリアがそちらを見る。
人の間を縫うようにして、一人の少年が走っていた。
麦わら帽子。
赤い服。
どこかで見た気がする。
「…………」
少し考える。
昨日、処刑台の近くで見かけた少年だ。
何をしているのかは分からないが、本人は妙に楽しそうに笑っている。その後ろからは何人かの男たちが必死の形相で追いかけていた。
メフェリアは数秒だけその光景を眺める。
「元気だね」
それだけ言って、再び歩き出した。
役人が少年の消えていった方向を見る。
「お知り合いですか?」
「知らない」
「では、なぜ?」
「昨日もいたから」
「なるほど」
少年はすでに人混みの向こうへ消えている。
メフェリアにとっては、それだけの出来事だった。
「そろそろ港へ向かいましょう」
「うん」
紙袋から新しい飴を一つ取り出す。
二人はそのまま広場を離れていった。
この時のメフェリアは、まだ知らない。
昨日から何度か目にしている麦わら帽子の少年が、やがて世界中を騒がせる存在になることも。
いつか自分と深く関わることになることも。
今はまだ、互いの名前すら知らなかった。
*
午後。
出航の準備を終えた世界政府船が、ローグタウンの港を離れていく。
甲板では、メフェリアが手すりにもたれて遠ざかる町を眺めていた。片手には、朝買った飴の紙袋がある。
「次、ゴア王国だよね」
「はい」
隣に立つ役人が頷いた。
「航路が順調なら、明日の午前中には到着する予定です」
「近いんだ」
「ローグタウンからであれば、それほど遠くありません」
メフェリアは海へ目を向けた。
ゴア王国。
今回の任務における、最後の目的地になる可能性が高い場所。
「どんな国?」
「東の海でも有数の豊かな王国です。世界政府加盟国でもあります」
そこでメフェリアの目が少し動いた。
「加盟国なんだ」
「はい」
「じゃあ王族いる?」
「もちろんです」
「会うの?」
「今回の件については、王国側へ正式な連絡を入れる必要があります。おそらく王宮にも赴くことになるでしょう」
メフェリアは分かりやすく嫌そうな顔をした。
「面倒」
役人は少し意外そうに彼女を見る。
「王族との面会がですか?」
「挨拶長そう」
「……否定はできませんが」
「そのまま東の仲介人のところ行っちゃ駄目?」
「お控えください」
「なんで?」
「ゴア王国は世界政府加盟国です。今回の件に王国そのものが関与していると決まったわけではありませんから、まず事情を伝えておく方が余計な混乱を避けられます」
メフェリアは少し考えた。
「私が勝手に行ったら?」
「王国側が大騒ぎするでしょうね」
「…………」
天竜人が何の前触れもなく現れ、王国内で神の騎士団として武力行使を始める。
想像してみる。
確かに。
「そっちの方が面倒そう」
「ご理解いただけて何よりです」
メフェリアは紙袋から飴を一つ取り出した。
今度は緑色だった。
口へ入れて、しばらく転がす。
「これ何味?」
「私に聞かれましても」
「食べる?」
「結構です」
「美味しいのに」
穏やかな風が甲板を抜けていく。
世界政府船は、次なる目的地へ向けて東の海を進んでいった。
*
翌朝。
「見えてきました」
役人の声に、メフェリアは船首へ向かった。
水平線の向こう。
やがて姿を現したのは、高い城壁に囲まれた大きな町だった。
ゴア王国。
港へ近づくにつれて、その姿がはっきりと見えてくる。
整然と並ぶ建物。
綺麗に整備された街路。
町の奥には王宮があり、その周囲にも立派な建物が並んでいる。
港もよく整備され、これまで訪れた島々と比べても明らかに裕福な国だと分かった。
メフェリアは甲板から、その景色を眺めていた。
「綺麗」
「ゴア王国は、東の海でも特に美しい国として知られております」
「へえ」
メフェリアはもう少し町を眺める。
確かに美しい。
けれど、どこか妙だった。
「…………?」
目を細める。
見聞色を広げた。
港にいる人々。
城壁の内側。
そのさらに向こうへ意識を伸ばしていく。
「メフェリア宮?」
役人が彼女の様子に気づいた。
「どうされました?」
「町の外にも人いる」
「はい」
役人は特に驚かなかった。
「ゴア王国には、城壁の外側にも人々が暮らす区域があります」
「結構いるよ?」
「そうですね」
メフェリアは城壁の向こうを見る。
ここからでは、何があるのかまでは分からない。
ただ。
美しく整えられた町を囲む壁の、その向こうにも大勢の人間がいる。
それだけが少し気になった。
「見える?」
「この位置からでは難しいでしょう」
「あとで行ける?」
「今回の任務と関係があれば」
「なかったら?」
「……時間があれば」
「じゃあ覚えとく」
役人は何も言わなかった。
メフェリアも、それ以上気にすることなく港へ視線を戻す。
今は任務が先だった。
「東の仲介人は?」
「王都北部に拠点がある可能性が高いと見ています。ただし、先ほど申し上げた通り、まずは王国側との面会です」
「やっぱり行くんだ」
「はい」
「…………」
明らかに嫌そうな顔をする。
「そんなお顔をなさらないでください」
「してない」
「されています」
船が港へ入っていく。
岸にはすでにゴア王国の兵士たちが並び、その中央では豪華な服を身につけた王国の役人たちが世界政府船の到着を待っていた。
「迎えに来てる」
「世界政府から事前に連絡しておりますので」
「帰っていい?」
「到着したばかりです」
「冗談」
「……本当でしょうか」
メフェリアは答えなかった。
やがて船が岸へ着き、タラップが下ろされる。
王国の役人たちが一斉に姿勢を正した。
彼らが迎えようとしているのは、世界政府から派遣された神の騎士団員。
そして、彼ら王族よりも遥か上の立場にある世界貴族。
トップマン・メフェリア宮。
メフェリアは港に並ぶ人々を眺め、小さく息を吐いた。
「早く終わらせよ」
ラッカ島から始まった任務も、いよいよ終わりが見えてきた。
その最後の舞台となるゴア王国へ。
メフェリアはゆっくりと、最初の一歩を踏み出した。