ゴア王国。
港へ降りたメフェリアを待っていたのは、整然と並んだ王国兵と、正装に身を包んだ役人たちだった。
タラップを下りる彼女の姿が見えると、それまで小声で指示を交わしていた者たちが一斉に口を閉ざし、港には目に見えない緊張が走る。
彼らが待っているのは、ただの世界政府の役人ではない。
世界貴族であり、神の騎士団に所属する天竜人。
トップマン・メフェリア宮。
メフェリアが港へ降り立つと、出迎えの中心にいた男が深々と頭を下げた。
「ようこそお越しくださいました、メフェリア宮。ゴア王国を代表し、心より歓迎申し上げます」
「うん」
「王宮では国王陛下がお待ちでございます。馬車をご用意しておりますので、どうぞこちらへ」
男が示した先には、金の装飾が施された豪華な馬車が停まっていた。
メフェリアはそれを眺める。
「歩いたら駄目?」
男の表情が固まった。
「……はい?」
「王宮まで」
「い、いえ、もちろん不可能ではございませんが……」
男が困ったように周囲を見る。
「メフェリア宮」
後ろから政府役人が静かに声をかけた。
「馬車を利用された方がよろしいかと」
「なんで?」
「おそらく、皆様が困ります」
メフェリアは周囲を見る。
王国の役人たちは何も言わない。
けれど、確かに困っている。
「そう」
少し考えてから、馬車へ向かった。
「じゃあ乗る」
出迎えの男が、目に見えて安堵した。
*
馬車は王都の中心へ向かって進んでいた。
窓の外には、美しく整えられた町並みが流れていく。石造りの建物に手入れされた街路樹、綺麗に舗装された道路。通りを歩く人々の身なりも良く、店先には様々な商品が並んでいる。
メフェリアは窓際に座り、興味深そうに外を眺めていた。
「本当に綺麗だね」
「王都中心部は特に整備されております」
向かいに座った政府役人が答える。
「マリージョアほどじゃないけど」
「比較対象が少々厳しいかと」
「そう?」
「世界貴族の方々がお住まいの場所ですから」
「でも、綺麗なのは本当」
メフェリアは再び窓の外を見る。
通りを歩いていた人々が馬車に気づき、次々と道を空けていく。王国の紋章とは違う世界政府の旗を掲げているためか、何事かとこちらを見る者もいた。
ただ、馬車の中に誰が乗っているのかまでは分からないらしい。
メフェリアにとっては、その方が気楽だった。
「さっきの壁」
「はい?」
「外側に人がいるって言ってたところ」
「王都の外側ですね」
「ここから見える?」
「王宮へ向かう経路からは難しいかと」
「そっか」
少しだけ残念そうに答える。
役人はそんなメフェリアを見たが、何も言わなかった。
やがて窓の向こうに、大きな宮殿が見えてきた。
ゴア王国の王宮だった。
*
謁見の間。
国王をはじめ、王族や国の高官たちがメフェリアの到着を待っていた。
巨大な扉が開く。
「世界貴族、トップマン・メフェリア宮がお見えになりました!」
その声とともに、メフェリアが謁見の間へ入る。
緑色の髪に翡翠色の瞳。腰には細身のレイピアがあり、小柄な姿だけを見れば、彼女一人のためにこれほどの緊張が生まれているとは思えない。
しかし、ゴア王国側の人間たちにとっては違った。
国王をはじめ、その場にいる王族や高官たちが一斉に頭を下げる。
メフェリアはその光景を特に気にする様子もなく、用意された席まで歩いていった。
マリージョアでは珍しくもない光景だった。
「遠路はるばる、我がゴア王国へお越しいただき、誠にありがとうございます。この度、メフェリア宮を我が国へお迎えできますこと――」
国王の挨拶が始まった。
メフェリアは黙って聞いている。
「我がゴア王国にとりましても、これ以上ない誉れであり――」
まだ続く。
「今後とも世界政府、そして世界貴族の皆様との変わらぬ友好を――」
「…………」
メフェリアは隣に立つ政府役人を見た。
「長い?」
小さな声で尋ねる。
役人が一瞬だけ返答に困った。
「……もう少々かと」
「そう」
聞こえてしまったらしい。
国王の言葉が止まった。
「し、失礼いたしました。では早速、本題へ移らせていただきます」
メフェリアの表情がほんの少しだけ明るくなる。
「うん」
政府役人は何も言わず、持っていた資料を開いた。
「それでは、今回の訪問についてご説明いたします」
ラッカ島から続く一連の事件について、順を追って説明していく。
世界政府が管理する物資の強奪。
複数の島を経由した密輸。
ベルネ島で発見された取引記録。
ローグタウンで拘束した連絡役。
そして、その背後に存在する『東の仲介人』。
「我々の調査では、奪われた物資の多くが最終的にゴア王国へ運び込まれております」
その言葉を聞いた瞬間、王国側の空気が変わった。
「そ、そのような……!」
国王が顔色を変える。
「我が国は一切関与しておりません!」
「現時点では、ゴア王国そのものが関与しているとは判断しておりません」
政府役人が落ち着いて答えた。
「ただし、国内に密輸組織の拠点が存在する可能性は極めて高いと見ております」
「場所は分かっているのですか?」
王国の高官が尋ねる。
地図が広げられた。
政府役人が王都北部を指す。
「この周辺です」
国王の表情が曇った。
「……そこは」
メフェリアが地図を覗き込む。
「何かあるの?」
国王は一瞬言葉を選ぶようにしてから答えた。
「古い貴族区画でございます。現在はほとんど使われておりません」
「誰も住んでない?」
「いくつかの屋敷は残っておりますが、所有者の多くはすでに別の場所へ移っております」
政府役人が地図へ目を落とした。
「地下施設などは存在しますか?」
その質問に、国王の表情がわずかに変わる。
メフェリアはそれを見逃さなかった。
「あるんだ」
「…………」
国王の額に汗が浮かぶ。
「古い貯蔵庫がいくつか存在したはずでございます。ただ、長年使用されておらず、現在どのような状態になっているかまでは……」
「じゃあ、そこ見ればいいね」
メフェリアが言った。
政府役人も頷く。
「その必要があるでしょう」
「行こ」
メフェリアが席を立とうとする。
「お、お待ちください!」
思わず国王が声を上げた。
メフェリアがそちらを見る。
「なに?」
国王の顔が一瞬で強張った。
「い、いえ、その……現地は危険である可能性がございます。必要であれば、我が国の兵を派遣いたしますので、メフェリア宮自ら赴かれずとも――」
「でも私の任務だよ」
「それは承知しておりますが……」
「じゃあ兵士も来れば?」
国王が言葉を失った。
メフェリアとしては、ごく普通の提案だった。
政府役人が横から補足する。
「王国側には周辺の封鎖をお願いいたします。我々が内部を確認しますので、逃走者が出た場合には対処を」
「しょ、承知いたしました」
国王はすぐに頷いた。
話は終わったらしい。
メフェリアは今度こそ席を立つ。
「じゃあ行こ」
「メフェリア宮」
「なに?」
「本来であれば、まだいくつか形式上のご挨拶がございます」
「…………」
メフェリアの顔が曇った。
それを見た国王が慌てて口を開く。
「い、いえ! どうか任務を優先なさってください!」
「いいの?」
「もちろんでございます!」
「ありがとう」
あっさり答えて、メフェリアは扉へ向かった。
政府役人は国王たちへ一礼してから、その後を追う。
巨大な扉が閉じると、謁見の間には張り詰めていた空気だけが残された。
国王はしばらく扉を見つめ、やがて深く息を吐いた。
「……緊張した」
その呟きに答える者はいなかった。
*
王宮の廊下。
メフェリアは政府役人と並んで歩いていた。
「ねえ」
「はい」
「みんな緊張してたね」
「……お気づきでしたか」
「分かるよ」
あれだけ露骨なら、見聞色を使うまでもない。
「私が天竜人だから?」
役人は少し迷ってから頷いた。
「それが最も大きな理由かと」
「王様なのに?」
「下界の王族と世界貴族では、立場が異なりますから」
「ふーん」
メフェリアにとって、その上下関係は生まれた時から当たり前のものだった。
だから、国王が自分に頭を下げること自体に疑問を持ったわけではない。
ただ。
「マリージョアだと普通だから、あんなに緊張するのちょっと変な感じ」
「メフェリア宮にとっては、そうかもしれませんね」
「うん」
それ以上は考えなかった。
すぐに別のことが気になる。
「馬車まだ?」
「正面玄関に用意されております」
「早く行こ」
歩く速度が少しだけ上がった。
政府役人もその後を追う。
*
午後。
王都北部。
かつて貴族たちが使用していた区画には、古い屋敷が点在していた。
中心街の華やかさは薄れ、人通りもほとんどない。手入れされなくなった庭には草が伸び、閉ざされた屋敷の窓には埃が積もっている。
王国兵によって周辺はすでに封鎖されていた。
メフェリアは、その中でもひときわ大きな屋敷の前に立っている。
「ここ?」
「帳簿に記されていた位置と一致します」
政府役人が答えた。
外から見る限り、人が暮らしている様子はない。
だが、メフェリアには分かっていた。
「いる」
「何人ほどでしょうか?」
メフェリアは目を閉じ、見聞色を広げる。
地上。
屋敷の中にも、いくつかの気配。
さらに意識を地下へ伸ばす。
「……結構いる」
「具体的には?」
「二十人以上。もう少しいるかも」
役人の表情が険しくなった。
「やはり地下施設が使われているようですね」
「うん」
そのまま意識を奥へ伸ばしていく。
すると。
メフェリアの表情が少し変わった。
地下の最も深い場所。
周囲とは明らかに違う気配が一つある。
強いという意味ではない。
けれど、周囲にいる人間たちの動きが、その人物を中心にしている。
守る者。
指示を待つ者。
慌ただしく動く者。
「…………」
メフェリアが目を開いた。
「どうされました?」
「多分、見つけた」
役人の表情が変わる。
「東の仲介人ですか?」
「多分ね」
メフェリアは屋敷を見上げる。
ラッカ島から追い続けてきた存在。
世界政府から奪われた物資を東の海各地から集め、密かに流していた密輸網の中心人物。
その男が、この地下にいる。
腰のレイピアへ手を置く。
「やっと終わりそう」
どこか嬉しそうな声だった。
政府役人は屋敷を見たあと、メフェリアへ視線を戻す。
「油断はなさらないでください」
「してないよ」
「本当でしょうか」
「ほんと」
メフェリアは一歩、屋敷へ近づいた。
「終わったらマリージョア帰れるんでしょ?」
「問題なく解決できれば」
「じゃあ頑張る」
その答えを聞いて、役人は何とも言えない顔をした。
理由はともかく。
本人にやる気があるなら、それでいい。
古びた屋敷の扉を前に、メフェリアの翡翠色の瞳が静かに細められる。
今回の任務は、いよいよ最後の局面を迎えようとしていた。