下界の飯は悪くない   作:ボヤージュ500億

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帰還

赤い土の大陸、その頂。

 

世界の中心に君臨する聖地――マリージョア。

 

東の海を発って数日。

 

世界政府船は長い航海を終え、ようやくメフェリアを故郷へ送り届けた。

 

久しぶりに目にする白い街並みを前に、メフェリアは小さく息を吐く。

 

広く整えられた道に、美しく並ぶ建物。遠くにはパンゲア城がそびえ、その周囲には世界貴族たちの邸宅が点在している。

 

生まれた時から見てきた景色だった。

 

「やっと着いた」

 

どこか嬉しそうな声だった。

 

隣にいた政府役人が一礼する。

 

「長旅、お疲れ様でございました」

 

「うん」

 

「東の海からですので、さすがに長かったですね」

 

「船飽きた」

 

「途中から毎日のように仰っていましたね」

 

メフェリアはマリージョアの街並みを眺める。

 

「やっぱり落ち着く」

 

「故郷ですからね」

 

「ベッドあるし」

 

「そこですか」

 

「お風呂も広い」

 

「そちらも何度か伺いました」

 

メフェリアは気にせず歩き出す。

 

久しぶりのマリージョア。

 

やっと自分の部屋へ戻れる。

 

そう思ったところで、ふと足を止めた。

 

「そういえば報告は?」

 

「本日中にお願いいたします」

 

「今日?」

 

「はい」

 

メフェリアの顔が曇る。

 

「明日じゃ駄目?」

 

「駄目です」

 

「帰ってきたばっかりなのに」

 

「まずは神の騎士団へ帰還のご報告を。その後でしたら、ご自由になさっていただいて構いません」

 

「…………」

 

東の海へ出発してから今日まで、この役人は最後まで変わらなかった。

 

メフェリアはしばらく無言で見つめていたが、相手が折れる気配はない。

 

「分かった」

 

「ありがとうございます」

 

「終わったら帰っていい?」

 

「もちろんです」

 

それを聞いた途端、メフェリアの歩く速度が少し上がった。

 

 

パンゲア城。

 

長い廊下を歩いていると、すれ違う政府役人や衛兵たちが次々と道を空けていく。

 

やがて、向こうから数人の従者を連れた天竜人が歩いてきた。

 

華美な衣服を身につけた、いかにも世界貴族らしい男だった。

 

男はメフェリアに気づくと足を止める。

 

「おや。トップマン家のメフェリア宮ではないかえ」

 

「うん」

 

「しばらく姿を見なかったが、どこへ行っていたのだえ?」

 

「東の海」

 

「東の海?」

 

男は露骨に顔をしかめた。

 

「そのような場所へ、わざわざ?」

 

「任務」

 

「神の騎士団というのも大変だえ。わちきなら、下々民のいる場所へなど降りたくもないえ」

 

「そう?」

 

「当然だえ。下界など、何があるか分かったものではないえ」

 

メフェリアは少し考える。

 

東の海で見たものが頭に浮かんだ。

 

ラッカ島やベルネ島の町並み。

 

ローグタウンの処刑台。

 

ゴア王国の城壁。

 

そして――

 

「でも食べ物美味しかったよ」

 

「……食べ物?」

 

「うん。チーズとかプリンとか、あと飴も」

 

男の表情が変わった。

 

「下々民の作ったものを食べたのかえ?」

 

「食べたよ」

 

「…………」

 

信じられないものを見るような顔をされた。

 

メフェリアは首を傾げる。

 

「美味しいのに」

 

「そ、そういう問題では――」

 

「メフェリア」

 

別の声が廊下に響いた。

 

振り返る。

 

赤い髪の男がこちらへ歩いてくる。

 

フィガーランド・シャムロック。

 

神の騎士団団長。

 

彼の姿を見ると、先ほどまで話していた天竜人がわずかに姿勢を正した。

 

「シャムロック聖」

 

シャムロックは男へ一瞥を向けたあと、メフェリアを見る。

 

「戻ったか」

 

「うん。今着いた」

 

「随分長かったな」

 

「東の海遠い」

 

「そういう任務だ」

 

「知ってる」

 

いつも通りの会話だった。

 

シャムロックはメフェリアの隣にいる政府役人へ目を向ける。

 

「これから帰還報告か?」

 

「はい」

 

「俺も聞く」

 

「承知いたしました」

 

それだけ言うと、シャムロックは歩き出した。

 

メフェリアも自然にその隣へ並ぶ。

 

先ほどの天竜人が声をかけた。

 

「シャムロック聖」

 

シャムロックが足を止める。

 

「何だ」

 

「い、いや……わちきはこれで失礼するえ」

 

「そうか」

 

男は従者を連れて去っていった。

 

メフェリアはその背中を見る。

 

「行っちゃった」

 

「用がないなら放っておけ」

 

「うん」

 

すぐに興味を失う。

 

三人はそのまま廊下を進んだ。

 

「シャムロック」

 

「何だ」

 

「報告、長いと思う?」

 

「お前次第だ」

 

「私?」

 

「必要なことだけ話せばいい」

 

「分かった」

 

少し間を置く。

 

「眠くなったら?」

 

「寝るな」

 

「…………」

 

政府役人は二人の後ろを歩きながら、何も聞かなかったことにした。

 

 

帰還報告は、メフェリアが期待していたほど短くはなかった。

 

ラッカ島で発生した世界政府管理物資の強奪。

 

ベルネ島で発見された密輸拠点。

 

ローグタウンで拘束した連絡役。

 

そして、ゴア王国での東の仲介人の拘束。

 

政府役人が順を追って説明していく間、メフェリアは椅子に座って聞いていた。

 

最初こそ普通にしていたものの、しばらくすると頬杖をつき始める。

 

向かいに座るシャムロックは資料へ目を通していた。

 

「ゴア王国の拠点は?」

 

「東の仲介人を拘束した直後、仕掛けられていた爆薬によって地下施設の一部が崩落しました。回収できた資料については、すでに調査へ回しております」

 

シャムロックが資料を一枚めくる。

 

「他の拠点は」

 

「押収した帳簿から判明したものについては、各地の政府機関へ情報を共有しております。残党についても順次処理される予定です」

 

「なら十分だ」

 

シャムロックが資料を閉じる。

 

「東の仲介人から何か出そうか?」

 

「現在尋問中ですが、押収した資料との照合が進めば、別の取引経路が判明する可能性はございます」

 

「分かった。何か出たら騎士団にも回せ」

 

「承知いたしました」

 

メフェリアが顔を上げる。

 

「終わった?」

 

政府役人が最後の資料を確認する。

 

「本日の帰還報告は以上でございます」

 

「本当に?」

 

「はい」

 

メフェリアはすぐに立ち上がった。

 

「じゃあ帰る」

 

シャムロックが資料から目を上げる。

 

「今帰ってきたばかりだろう」

 

「家に帰るの」

 

「……そういう意味か」

 

「お風呂入りたい」

 

「好きにしろ」

 

メフェリアはそのまま扉へ向かう。

 

しかし、途中で何かを思い出したように振り返った。

 

「シャムロック」

 

「何だ」

 

「東の海って行ったことある?」

 

「ああ。昔の任務で何度かな」

 

「美味しいものあった?」

 

「覚えていない」

 

「なんで?」

 

「食事をしに行ったわけじゃない」

 

「もったいない」

 

シャムロックの眉がわずかに動く。

 

「何がだ」

 

「色々あるのに」

 

「お前は何をしに行っていたんだ」

 

「任務」

 

「なら同じだろう」

 

「任務しながら食べた」

 

「そうか」

 

「チーズ美味しかったよ」

 

「聞いていない」

 

「プリンも」

 

「もう帰れ」

 

「言われなくても」

 

メフェリアは扉を開け、そのまま部屋を出ていった。

 

扉が閉じる。

 

室内に静けさが戻った。

 

政府役人が資料をまとめ始める。

 

シャムロックはその様子を見ながら尋ねた。

 

「ずっとあんな調子だったのか」

 

役人は少し考える。

 

「概ね」

 

「そうか」

 

「ただ、任務自体は滞りなく遂行されております」

 

「分かっている」

 

シャムロックにとって、それは最初から疑うようなことではなかった。

 

政府役人は資料を重ねながら、ふと思い出したように口を開く。

 

「ベルネ島では、乳製品を随分お気に召しておられました」

 

「それも報告事項か?」

 

「いえ」

 

「なら何故言った」

 

「……失礼いたしました」

 

シャムロックは小さく息を吐き、次の資料へ手を伸ばした。

 

 

パンゲア城を出たメフェリアは、そのままトップマン家の邸宅へ戻った。

 

大きな扉が開く。

 

見慣れた廊下。

 

見慣れた家具。

 

そして、ずらりと並んだ使用人たちが一斉に頭を下げた。

 

「お帰りなさいませ、メフェリア宮」

 

メフェリアは足を止める。

 

東の海へ出てから、それほど長い月日が経ったわけではない。

 

それでも、見慣れた場所が少しだけ懐かしく感じた。

 

「ただいま」

 

使用人たちがわずかに顔を上げる。

 

その中から、一人の使用人が進み出た。

 

「お食事はいかがなさいますか?」

 

「あとでいい」

 

「かしこまりました」

 

メフェリアは数歩進んだところで止まる。

 

「あ」

 

「いかがなさいましたか?」

 

「料理長いる?」

 

「はい」

 

「あとで呼んで」

 

「承知いたしました」

 

「作ってほしいものあるから」

 

使用人は少しだけ意外そうな顔をした。

 

「どのようなお料理でしょうか?」

 

「プリン」

 

「プリン、でございますか?」

 

「うん。白いやつ」

 

「……承知いたしました」

 

「蜂蜜もかかってる」

 

「料理長へお伝えしておきます」

 

「お願い」

 

それだけ言うと、メフェリアは今度こそ自室へ向かった。

 

 

扉を開ける。

 

広い部屋。

 

見慣れた家具。

 

窓の向こうに広がる、マリージョアの白い街並み。

 

そして、大きなベッド。

 

「…………」

 

メフェリアはそこまで歩いていくと、そのまま身体を投げ出した。

 

柔らかな感触に身体が沈む。

 

顔を枕へ埋める。

 

船の寝台とは全然違う。

 

「やっぱりこれ」

 

しばらく、そのまま動かなかった。

 

ようやく帰ってきた。

 

東の海での仕事も、ひとまず終わった。

 

残った資料や捕らえた者たちの処理は、これから政府側が進めていく。

 

少なくともメフェリアが、すぐ東の海へ引き返す必要はない。

 

それだけで十分だった。

 

「…………」

 

目を閉じる。

 

ベルネ島の牧草地。

 

ローグタウンの賑やかな通り。

 

ゴア王国の高い城壁。

 

色々な場所へ行った。

 

面倒なことも多かったし、船にはもうしばらく乗りたくない。

 

けれど、食べたものは悪くなかった。

 

特に、ベルネ島のミルクプリン。

 

「同じの作れるかな」

 

小さく呟く。

 

マリージョアには世界中から食材が集まる。

 

料理人だって一流だ。

 

なら、きっと作れる。

 

そう考えているうちに、別のことを思い出した。

 

「お風呂……」

 

帰ってきてから、ずっと楽しみにしていた。

 

けれど。

 

ベッドが思っていた以上に気持ちいい。

 

起き上がるか。

 

もう少しこのままでいるか。

 

メフェリアは枕に顔を埋めたまま、しばらく真剣に悩んでいた。

 

東の海での任務を終え、メフェリアはマリージョアへ帰ってきた。

 

世界貴族として生まれ育った場所。

 

神の騎士団員として戻る場所。

 

そして今は何より、自分のベッドがある場所。

 

いつもの日常が、再び始まる。

 

その最初に待っているのが、ベルネ島で食べたミルクプリンの再現になるとは――

 

この時の料理長は、まだ知らなかった。

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