午後。
トップマン家の邸宅。
メフェリアは自室の長椅子に座り、ぼんやりと窓の外を眺めていた。
東の海から帰って三日目。
今日は神の騎士団からの呼び出しもなく、朝から何をするでもなく過ごしている。
そんな静かな時間の中、扉が控えめに叩かれた。
「メフェリア宮」
「なに?」
「今夜の晩餐会について、そろそろご準備を」
メフェリアが振り返る。
「晩餐会?」
「はい」
「今日だっけ」
「本日でございます」
忘れていた。
使用人が銀の盆に載せた招待状を差し出す。
メフェリアは受け取ると、改めて中を見る。
世界貴族の数家が集まる晩餐会。
珍しい催しではない。マリージョアでは、こうした席が定期的に設けられている。
「行かないと駄目?」
「すでに出席のお返事をしておりますので」
「誰が?」
「メフェリア宮が東の海へ向かわれる前に」
「…………」
そういえば、そんな話をされたような気がする。
メフェリアは招待状を閉じた。
「料理は?」
使用人が一瞬黙った。
「献立でございますか?」
「うん」
「西の海より献上された魚料理、北の海産の仔牛を使用した主菜、それから――」
「お菓子は?」
「食後には、南の海の果実を使用した菓子が用意されると伺っております」
メフェリアは立ち上がった。
「準備する」
使用人は小さく頭を下げる。
「かしこまりました」
理由はともかく、出席する気になったのなら問題はない。
*
日が暮れる頃。
鏡の前に立つメフェリアは、普段とは大きく違う姿をしていた。
神の騎士団として身につけている服ではない。
白を基調としたドレスには細かな金の刺繍が施され、胸元にはトップマン家に伝わる宝石が飾られている。緑色の髪も綺麗に整えられ、いつもより幾分大人びて見えた。
使用人が最後の飾りを整える。
「いかがでしょうか?」
メフェリアは鏡を見る。
「重い」
「……宝石が、でございますか?」
「うん」
「晩餐会の間だけですので」
「分かった」
不満そうではあるが、外そうとはしない。
こうした装いが必要になる場で、何を身につけ、どう振る舞うべきなのか。
メフェリアは当然知っている。
好きかどうかは別として。
生まれた時から、そういう世界で育ってきた。
「では、参りましょう」
「うん」
メフェリアは使用人を伴い、邸宅を後にした。
*
晩餐会が開かれる屋敷には、すでに多くの世界貴族が集まっていた。
高い天井から巨大なシャンデリアが下がり、長い食卓には白い布が敷かれている。金や銀の食器が整然と並び、壁際には何人もの使用人が控えていた。
メフェリアが入ると、何人かの天竜人がこちらを見る。
「トップマン家のメフェリア宮だえ」
「東の海から戻ったそうだえ」
聞こえてくる声を気にすることなく、メフェリアは自分の席へ向かった。
その途中。
「メフェリア宮」
聞き覚えのある声に足を止める。
シャルリア宮だった。
その隣には父のロズワード聖。そして兄のチャルロス聖もいる。
「シャルリア」
「今日はちゃんと来たアマスね」
「ちゃんと?」
「こういう集まり、面倒がって来ないこともあるでしょう」
「今日は料理が気になったから」
「やっぱりそれアマスか」
シャルリアが呆れたように言う。
チャルロスがメフェリアを見る。
「東の海に行っていたそうだえ」
「うん」
「何でそんな辺境に行くんだえ?」
「任務」
「神の騎士団も大変だえ。わちしなら絶対に嫌だえ」
「そう?」
「下々民しかいないではないかえ」
メフェリアは少し考える。
「いっぱいはいたよ」
「そういう意味じゃないえ!」
シャルリアが横から口を挟む。
「この人、東の海で下々民の菓子まで食べてきたアマスよ」
チャルロスの顔が変わる。
「食べたのかえ!?」
「うん」
「気持ち悪くないのかえ?」
「美味しかったよ」
「そういう問題じゃないえ!」
メフェリアには、何がそこまで問題なのかよく分からなかった。
その様子を見ていたロズワード聖が口を開く。
「まあよいえ。メフェリア宮は昔から少し変わっているえ」
「そうアマス」
「そうかな」
「そうアマスよ」
メフェリアは首を傾げた。
やがて晩餐会の開始が告げられ、それぞれが席へ向かった。
*
料理が次々と運ばれてくる。
最初に出されたのは、小さな前菜だった。
世界各地から集められた食材を使い、一皿ずつ美しく盛り付けられている。
メフェリアは黙って口へ運んだ。
食器の扱いにも、食事の所作にも迷いはない。
東の海では好きなように食べていたが、こうした席ではそうしない。
隣の席にいた天竜人がメフェリアを見る。
「神の騎士団は下界で何を食べるんだえ?」
「その土地のものとか」
「下々民と同じものをかえ?」
「うん」
男は露骨に顔をしかめた。
「わちきには無理だえ」
メフェリアは前菜を食べ終える。
「美味しいのもあるよ」
「そんなわけないえ。ここで出る料理の方が上等に決まっているえ」
「上等なのはこっちだと思う」
メフェリアは素直に答えた。
「でも、美味しいかは別じゃない?」
男が一瞬黙った。
「……どういう意味だえ?」
「高いものが一番好きとは限らないでしょ」
「…………」
メフェリアはそれ以上説明せず、次の料理を待った。
別に下界の料理を擁護したいわけではない。
自分が美味しいと思った。
ただそれだけだった。
*
やがて主菜が運ばれてきた。
北の海で育てられた仔牛を使った料理。
香草とともに焼き上げられた肉に、濃厚なソースが添えられている。
メフェリアは一口食べた。
「…………」
もう一口。
気に入った。
後ろに控えている自分の使用人を呼ぶ。
「これ」
「はい」
「明日、家でも作って」
「かしこまりました」
それだけで話は終わる。
料理人が誰なのか。
材料をどこから運ぶのか。
どうやって同じものを用意するのか。
メフェリアは尋ねない。
必要なら使用人たちが調べ、材料も取り寄せるだろう。
それが彼女にとっては当たり前だった。
向かい側からシャルリアがその様子を見ている。
「気に入ったアマス?」
「うん」
「例のプリンとどっちが美味しいアマス?」
メフェリアの手が止まる。
真剣に考える。
「違う食べ物だから比べられない」
「…………」
シャルリアは少し不満そうな顔をした。
「面白くない答えアマスね」
「じゃあ何て言えばいいの?」
「もういいアマス」
メフェリアはよく分からないまま食事を続けた。
*
食事が進むにつれて、話題は自然とメフェリアの東の海での任務へ移っていった。
「ゴア王国にも行ったそうだえ?」
別の天竜人が尋ねる。
「行ったよ」
「王族はきちんと出迎えたのかえ?」
「うん」
「当然だえ」
別の男が満足そうに頷く。
「下界の王族といっても、我々世界貴族の前では頭を垂れるしかないえ」
「そうだね」
メフェリアもそこには何の疑問も持っていない。
ゴア王国の国王が自分へ頭を下げたことも、王国兵が道を空けたことも、彼女にとっては特別な出来事ではなかった。
世界貴族なのだから当然。
その価値観は、東の海へ行った程度で変わるものではない。
「でもゴア王国よりベルネ島の方が好きだった」
「何故だえ?」
「チーズ美味しかったから」
「また食べ物アマスか」
シャルリアが呆れる。
「大事だよ」
「何が大事アマス?」
「美味しいもの」
チャルロスが鼻を鳴らした。
「そんなに気に入ったなら、島ごとマリージョアへ持ってくればいいんだえ」
メフェリアがチャルロスを見る。
「島は持ってこれないよ」
「そういう意味じゃないえ!」
「じゃあどういう意味?」
「…………」
チャルロスが言葉に詰まる。
ロズワード聖は二人のやり取りを見ながら、静かに食事を続けていた。
*
最後に菓子が運ばれてきた。
南の海の果実を使った冷たい菓子だった。
薄く切られた果実の上に、淡い色のクリームが重ねられている。
メフェリアは一口食べる。
目が少し開いた。
「美味しい」
シャルリアがすぐに気づいた。
「気に入ったアマスね」
「うん」
もう一口。
甘さは控えめで、果実の酸味が残っている。
ベルネ島のミルクプリンとは全く違う。
けれど、これも好きだった。
メフェリアは後ろを振り返る。
「これも」
使用人はすぐに理解した。
「明日、ご用意いたします」
「お願い」
シャルリアが呆れたように言う。
「さっきの肉も頼んでいたアマス」
「うん」
「例のプリンも作らせているのでしょう?」
「うん」
「全部食べるアマスか?」
「食べるよ」
「太るアマスよ」
メフェリアの手が止まった。
昨日も似たようなことを言われた気がする。
自分の身体を見る。
ドレスの上からではよく分からない。
「…………」
「何アマス?」
「大丈夫」
「だから何を根拠に言っているアマスか」
「動くから」
シャルリアは何とも言えない顔をした。
*
晩餐会が終わった頃には、すっかり夜も深くなっていた。
邸宅へ戻ったメフェリアは、玄関で待っていた料理長と顔を合わせる。
「お帰りなさいませ、メフェリア宮」
「ただいま」
「晩餐会はいかがでしたでしょうか」
「美味しかった」
「それは何よりでございます」
「明日、作ってほしいものある」
「すでに伺っております」
「早いね」
「同行した者より連絡を受けておりますので」
「お肉と、お菓子」
「はい」
料理長が頷く。
そして少し間を置いた。
「ミルクプリンはいかがなさいますか?」
「作って」
即答だった。
「……すべてでございますか?」
「うん」
料理長は少しだけ黙る。
「朝食、昼食、夕食のいずれかに分けてもよろしいでしょうか」
「一緒じゃ駄目?」
「おすすめはいたしません」
「なんで?」
「量が多すぎます」
「食べられるよ」
「そういう問題ではございません」
メフェリアは少し考えた。
料理長は譲りそうにない。
「じゃあ分けて」
「かしこまりました」
「プリンはおやつ」
「承知いたしました」
話がまとまった。
メフェリアは自室へ向かおうとして、ふと振り返る。
「料理長」
「はい?」
「今日の料理、作れる?」
「同じものを、という意味でしょうか」
「うん」
料理長は少しだけ笑った。
「お任せください」
「よかった」
メフェリアは満足そうに頷き、今度こそ自室へ向かった。
世界各地から最高の食材が集められ、欲しいものを口にすれば翌日には用意される。
それを贅沢だとは思わない。
特別なことだとも思わない。
メフェリアにとって、それは生まれた時から続いている日常だった。
それでも。
東の海の小さな牧場で食べたミルクプリンだけは、まだここにはない。
「…………」
明日は、少し近づくだろうか。
そんなことを考えながら、メフェリアは自室の扉を開けた。