翌朝。
トップマン家の食堂には、昨日の晩餐会でメフェリアが気に入った料理が並んでいた。
北の海産の仔牛を使った料理。
南の海の果実を使った菓子。
そして、例のミルクプリン。
「…………」
朝食としては、少し豪華すぎる。
メフェリアは席につくと、まずプリンを見た。
料理長が少し離れたところに立っている。
「昨日と違う?」
「はい。ベルネ島で使用されているものと同じ種類の牛乳について、可能な限り調べた上で調整しております」
「もう分かったの?」
「現地へ問い合わせを行いましたので」
「早いね」
「メフェリア宮のご希望ですので」
メフェリアはスプーンを入れ、一口食べた。
「…………」
料理長が待つ。
もう一口。
「近い」
「本当でございますか?」
「うん。今までで一番近い」
料理長の表情が明るくなる。
「でも――」
「違う、のでございますか?」
先に言われた。
メフェリアが料理長を見る。
「うん」
「やはり」
「なんで分かったの?」
「ここ数日、毎日伺っておりますので」
「そっか」
メフェリアはもう一口食べた。
違う。
でも、美味しい。
最近はそれでいいような気もしてきていた。
「今日も作って」
「かしこまりました」
「二個」
「一個です」
「まだ駄目?」
「駄目です」
「けち」
料理長は聞かなかったことにした。
そこへ使用人の一人が食堂へ入ってくる。
「メフェリア宮」
「なに?」
「パンゲア城より使者が参っております」
メフェリアの手が止まる。
「誰?」
「神の騎士団より」
「…………」
プリンを見る。
まだ半分残っている。
「何時?」
「一時間後にお越しいただきたいとのことです」
メフェリアは少し安心した。
「じゃあ食べられる」
料理長が小さく息を吐いた。
「どうぞごゆっくりお召し上がりください」
*
一時間後。
パンゲア城。
メフェリアは長い廊下を歩いていた。
昨日までのドレス姿とは違う。
神の騎士団員としての、いつもの服装。
腰には細身のレイピア。緑色の髪も普段通りに整えられている。
昨日は世界貴族として晩餐会に出席し、今日は神の騎士団員として城へ向かう。
どちらもメフェリアにとっては日常だった。
やがて、神の騎士団が使用する一室へ入る。
中にはすでに一人の男がいた。
フィガーランド・シャムロック。
机の上にいくつもの書類を広げている。
「来たか」
「うん」
メフェリアは室内を見回した。
「シャムロックだけ?」
「今はな」
「何するの?」
「確認だ」
「何の?」
シャムロックが一枚の書類を取る。
「東の海から回収した資料の解析が終わった」
メフェリアの表情が少し変わった。
「まだ続きあったの?」
「任務は終わっている」
「じゃあ何?」
「後始末だ」
シャムロックが書類を差し出す。
メフェリアは受け取り、目を通した。
密輸組織から押収した帳簿。
取引先。
運搬経路。
関係者の名前。
東の海で拘束した者たちの証言。
その多くは、すでに世界政府の各機関へ引き継がれている。
「お前にもう一度東の海へ行けという話じゃない」
「よかった」
即答だった。
シャムロックがメフェリアを見る。
「そんなに嫌だったか」
「遠い」
「それは何度も聞いた」
「船長いし」
「それも聞いた」
「ご飯――」
「それもだ」
先に止められた。
メフェリアは口を閉じる。
シャムロックは資料の一箇所を指した。
「ここを見ろ」
「どこ?」
「ゴア王国で押さえた帳簿だ」
メフェリアが目を落とす。
そこには、いくつかの名前と金額が記されていた。
「世界政府の関係者?」
「ああ。内部から情報を流していた者がいる」
「ふーん」
「驚かないのか」
「いる時はいるでしょ」
シャムロックは何も言わなかった。
確かにその通りだった。
「こいつらは?」
「すでに拘束させた」
「じゃあ終わり?」
「終わりだ」
メフェリアは書類を机へ戻した。
「帰っていい?」
「まだだ」
「…………」
予想はしていた。
*
二人はパンゲア城の別の区画へ向かっていた。
「どこ行くの?」
「訓練場だ」
「なんで?」
「しばらく本部を離れていただろう」
「うん」
「身体を動かす」
メフェリアは少し考える。
「シャムロックも?」
「ああ」
「戦う?」
「そのつもりだ」
「分かった」
今度は返事が早かった。
書類を読むより、こちらの方がいい。
城の奥に設けられた訓練場は広く、床も壁も頑丈に作られている。神の騎士団が使用することを前提としている以上、多少の戦闘で壊れるような造りではない。
メフェリアは中央まで進むと、腰のレイピアへ手をかけた。
向かいでは、シャムロックも剣を抜く。
メフェリアの視線が、その剣へ向いた。
ただの剣ではない。
悪魔の実の能力を宿した剣。
だが、今はまだ何の変化も見せていない。
「剣の能力は使わない?」
「ああ」
「分かった」
メフェリアも自身の能力を使うつもりはなかった。
今日は純粋な剣技と覇気だけ。
シャムロックが剣を構える。
メフェリアもレイピアを抜いた。
空気が変わった。
先ほどまでプリンのことを考えていた少女と同じ人物とは思えないほど、メフェリアの目が静かになる。
「いつでもいいよ」
「来い」
次の瞬間、金属音が響いた。
メフェリアが一気に間合いを詰めている。
突き出されたレイピアの切っ先を、シャムロックが剣で受けた。
メフェリアは押し合わない。
触れた瞬間には刃を引き、角度を変えて二撃目を放つ。
速い。
シャムロックは身体をずらして避けると、そのまま横薙ぎに剣を振るった。
メフェリアが身を低くする。
刃が頭上を通過した直後、低い姿勢からレイピアを突き出した。
狙いは脇腹。
シャムロックの剣が落ちる。
甲高い音が響き、切っ先が弾かれた。
メフェリアはすぐに距離を取った。
「鈍ったか?」
シャムロックが尋ねる。
「何が?」
「東の海でだ」
「別に」
「なら続けろ」
「うん」
再び刃がぶつかる。
一度。
二度。
三度。
メフェリアは真正面から力で押す戦い方をしない。
他の騎士団員と比べても小柄な身体を活かし、速度と細かな足運びで相手の死角へ入り込む。
シャムロックはそれを崩す。
一歩先。
時には半歩先。
メフェリアが狙おうとする場所へ、先に剣が置かれている。
「…………」
メフェリアの目が細くなった。
踏み込む。
レイピアの刃が黒く染まる。
シャムロックの剣も同じだった。
武装色を纏った二本の刃が衝突する。
鈍い衝撃が訓練場に広がった。
メフェリアの身体が後方へ押し戻される。
靴底が床を滑る。
一歩。
二歩。
三歩。
そこで止まった。
「やっぱり強いね」
「今更か」
「知ってるけど」
メフェリアはレイピアを構え直す。
今度はほんの少し、楽しそうだった。
「もう一回」
「来い」
床を蹴る。
メフェリアの姿が消えたように見えた。
今度は正面ではない。
シャムロックの右側へ回り込む。
突き。
受けられる。
ならば次。
切っ先を引き、そのまま身体を反転させる。
シャムロックの剣が追う。
メフェリアは寸前で身を逸らした。
頬のすぐ横を刃が通り抜ける。
「危ない」
そう言いながら、声にはほとんど焦りがない。
「訓練だと思って気を抜くな」
「抜いてないよ」
言葉と同時に、メフェリアの足がシャムロックの足元へ伸びた。
シャムロックが避ける。
その瞬間を狙ってレイピアを突き込む。
しかし、また止められる。
「…………」
「単純だ」
「じゃあ変える」
次からメフェリアの動きが変わった。
速度だけではない。
誘う。
わざと隙を見せ、シャムロックの剣を動かす。
その動きを見てから、別の場所へ切っ先を向ける。
だが、シャムロックも簡単には乗らない。
数合。
十数合。
金属音が途切れることなく続く。
やがて――
「そこ」
メフェリアのレイピアが、シャムロックの喉元へ伸びた。
だが、その直前。
シャムロックの剣がメフェリアの首筋で止まっていた。
「…………」
二人の動きが止まる。
メフェリアは自分の首元にある刃を見る。
それから、自分のレイピアを見る。
あと僅かに届いていない。
「負けた」
「判断が遅い」
「もう一回」
「休め」
「まだできるよ」
「呼吸が乱れている」
言われて、メフェリアは自分の息に気づいた。
少し速い。
「ちょっとだけ」
「だから休め」
「分かった」
今度は素直に従った。
*
訓練場の壁際。
メフェリアは床に座り、壁へ背中を預けていた。
隣にはレイピアが置かれている。
シャムロックは少し離れた場所で剣を鞘へ戻した。
「シャムロック」
「何だ」
「昨日、晩餐会いた?」
「いない」
「なんで?」
「別件があった」
「そっか」
会話が途切れる。
メフェリアは天井を見る。
少しして、また口を開いた。
「昨日のお肉美味しかったよ」
「そうか」
「今日、家でも作ってもらう」
「そうか」
「お菓子も」
「そうか」
「プリンも」
シャムロックがメフェリアを見る。
「何の話をしている」
「今日のご飯」
「聞いていない」
「今話してる」
「そういう意味じゃない」
メフェリアは少し考えた。
「シャムロックも食べる?」
「いらん」
「美味しいのに」
「お前が食え」
「分かった」
あっさり引いた。
シャムロックは小さく息を吐く。
「もういいか」
「休憩?」
「ああ」
メフェリアは立ち上がる。
「じゃあもう一回」
「随分やる気だな」
「さっき負けたから」
「そうか」
シャムロックが再び剣を抜く。
メフェリアもレイピアを拾った。
「今度は勝つ」
「できるものならな」
「言ったね」
「来い」
メフェリアが笑う。
ほんの少しだけ。
そして再び、二人の刃がぶつかった。
*
夕方。
訓練を終えたメフェリアは、トップマン家の邸宅へ戻った。
「ただいま」
「お帰りなさいませ、メフェリア宮」
使用人が迎える。
メフェリアは真っ先に尋ねた。
「プリンは?」
「ご用意しております」
「お肉は?」
「そちらも」
「お菓子は?」
「もちろんでございます」
満足した。
「お風呂入ってくる」
「お食事はその後でよろしいでしょうか?」
「うん」
メフェリアは自室へ向かう。
神の騎士団員として世界政府の内部に潜んでいた裏切り者の処理を確認し、団長と剣を交える。
そして家へ帰れば、夕食とプリンのことを考える。
世界貴族として過ごすメフェリア。
神の騎士団員として剣を握るメフェリア。
どちらか一方が本当の姿というわけではない。
どちらも彼女にとっては当たり前の日常だった。
廊下を歩いていたメフェリアが、ふと足を止める。
「そうだ」
後ろを歩いていた使用人も止まった。
「いかがなさいましたか?」
「明日のプリン」
「はい」
「今日より近くなるかな」
使用人は少し困ったように微笑んだ。
「料理長が、きっと何とかしてくださいます」
「そっか」
それなら楽しみにしておこう。
メフェリアは再び歩き出した。
任務のないマリージョアでの日々は、まだしばらく続きそうだった。