下界の飯は悪くない   作:ボヤージュ500億

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ただいま、マリージョア

赤い土の大陸――レッドライン。

 

その頂。

 

雲よりも高い場所に存在する世界の中心。

 

聖地マリージョア。

 

世界政府加盟国の王族でさえ、世界会議など限られた機会にしか足を踏み入れない場所。

 

そして――トップマン・メフェリア宮にとっては、生まれ育った故郷だった。

 

 

「……帰ってきちゃった」

 

聖地へ戻ったメフェリアは、開口一番そう呟いた。

 

まるで帰ってきたことを残念がっているような言い方だった。

 

実際、もう少し下界にいたかった。

 

今回の任務は予定よりずっと早く終わった。

 

そのおかげで二日ほど自由に食べ歩くことができた。

 

骨付き肉。

 

港で獲れた魚の香草焼き。

 

市場で見つけた串焼き。

 

それから、あの店のプリン。

 

悪くなかった。

 

いや。

 

かなり良かった。

 

メフェリアは先ほどまで食べていた料理を思い出す。

 

「……また行こ」

 

小さく呟いて歩き出したところで、

 

「メフェリア宮」

 

呼び止められた。

 

世界政府の役人だった。

 

男はメフェリアの姿を確認すると、すぐに深々と頭を下げる。

 

「お戻りでしたか」

 

「今戻った」

 

「任務のご報告をお願いしたく――」

 

「終わったよ」

 

「……はい?」

 

役人が顔を上げる。

 

メフェリアは眠そうな顔のまま続けた。

 

「だから、終わった」

 

「い、いえ。任務が終了したことは伺っております。報告書の提出を――」

 

メフェリアの足が止まった。

 

振り返る。

 

露骨に嫌そうな顔だった。

 

「書かなきゃダメ?」

 

「規則ですので……」

 

「口で言う」

 

「書面でお願いいたします」

 

「面倒」

 

「……申し訳ございません」

 

メフェリアは少し考える。

 

そして。

 

「あなた書いて」

 

「わ、私がですか!?」

 

「私が話すから」

 

「しかし、それは――」

 

メフェリアは再び歩き出した。

 

「よろしく」

 

「メ、メフェリア宮!?」

 

後ろから声が聞こえる。

 

聞こえないふりをした。

 

 

神の騎士団。

 

天竜人の中でも、さらに特殊な立場にある者たち。

 

その本拠となる区画へメフェリアは戻ってきた。

 

扉を開ける。

 

「ただいま」

 

返事を待つこともなく、中へ入る。

 

メフェリアにとっては見慣れた場所だった。

 

「随分と遅い帰還だな」

 

声が飛んできた。

 

メフェリアがそちらを見る。

 

フィガーランド・シャムロック聖。

 

神の騎士団の団長。

 

メフェリアは少し考えた。

 

「遅い?」

 

「任務そのものは三日前に終了している」

 

「うん」

 

「では、その三日間は何をしていた」

 

「ご飯食べてた」

 

一切の悪びれもない。

 

沈黙。

 

「……三日間か」

 

「うん」

 

「任務終了後、速やかに帰還しろとは言わなかったか」

 

「言ってた気がする」

 

「ならば何故戻らない」

 

「せっかく下まで行ったのに、すぐ帰ってくるの勿体ないでしょ」

 

メフェリアは持っていた紙袋を持ち上げる。

 

「お土産あるよ」

 

シャムロックは紙袋を一瞥した。

 

「……何だ、それは」

 

「焼き菓子」

 

「そういう話をしているのではない」

 

「食べる?」

 

「いらん」

 

「そう」

 

メフェリアはあっさり紙袋を引っ込めた。

 

まったく堪えていない。

 

「で、何かある?」

 

「まず報告だ」

 

「さっきした」

 

「私は何も聞いていない」

 

「対象は確認した。必要な情報も取った。もう動けないようにしてある」

 

「詳細は」

 

「報告書」

 

シャムロックの目が細くなる。

 

「先ほど書くのを拒否していただろう」

 

メフェリアが少しだけ目を逸らす。

 

「……役人が書いてくれる」

 

「お前は……」

 

「だから大丈夫」

 

近くにあった椅子へ座る。

 

いや。

 

座るというより、身体を沈めた。

 

完全にくつろいでいる。

 

シャムロックはしばらくメフェリアを見ていた。

 

態度には問題がある。

 

大いにある。

 

だが、任務そのものには問題がない。

 

今回もそうだった。

 

本来なら複数人で数日を要する可能性があった任務を、彼女は一人で半日ほどで終わらせている。

 

結果だけを見れば、文句をつける部分は少ない。

 

――本人の態度を除けば。

 

「相変わらずだな」

 

「何が?」

 

「いや」

 

シャムロックはそれ以上言わなかった。

 

 

「戻っていたのか、メフェリア」

 

別の声が飛んできた。

 

メフェリアが顔を上げる。

 

軍子宮だった。

 

「軍子」

 

「随分と遅い帰還だな。任務はとうに終わっていたと聞いたぞ」

 

「うん」

 

「……では何故、今頃戻ってきた?」

 

「ご飯食べてた」

 

軍子の眉がわずかに動いた。

 

「三日もか?」

 

「三日も」

 

「任務先で何をしているんだ、お前は」

 

「任務はちゃんと終わらせたよ」

 

メフェリアは手にしていた紙袋を持ち上げた。

 

「お土産もある」

 

「……土産?」

 

軍子の視線が紙袋へ落ちる。

 

「焼き菓子。美味しかったよ」

 

「下界の菓子か」

 

「うん」

 

「ふん」

 

そう言いながらも、軍子の目は紙袋から離れない。

 

メフェリアはしばらく軍子を見た。

 

「食べたい?」

 

「誰がそんなことを言った」

 

「じゃあ、いらない?」

 

メフェリアが紙袋を引っ込めようとする。

 

「待て」

 

ぴたり。

 

メフェリアの手が止まった。

 

軍子が一つ取る。

 

「せっかく持ち帰ったものを無駄にする必要もあるまい」

 

「食べたいんじゃん」

 

「黙れ」

 

軍子が焼き菓子を口へ運ぶ。

 

一口。

 

「…………」

 

メフェリアがじっと見ている。

 

「どう?」

 

「……まあ、食えなくはない」

 

「美味しい?」

 

「調子に乗るな」

 

「私が作ったんじゃないけど」

 

「分かっている!」

 

メフェリアの口元が少しだけ緩んだ。

 

その様子を見て、軍子が眉をひそめる。

 

「何がおかしい」

 

「別に」

 

「なら笑うな」

 

「笑ってないよ」

 

「笑っているだろう!」

 

少し離れたところで、シャムロックが二人を一瞥した。

 

「騒ぐなら外でやれ」

 

二人が同時にそちらを見る。

 

メフェリアは紙袋を抱えたまま言った。

 

「団長も食べれば機嫌よくなると思うよ」

 

「ならん」

 

即答だった。

 

軍子が鼻で笑う。

 

メフェリアは、

 

「美味しいのに」

 

と呟きながら、残った焼き菓子を一つ口へ放り込んだ。

 

 

その日の夕刻。

 

メフェリアは自室へ戻った。

 

神の騎士団員として与えられている部屋――というより、彼女にとっては昔から見慣れた聖地の一室だ。

 

レイピアを壁際へ置く。

 

マントを脱ぐ。

 

そして。

 

ぼふっ。

 

ベッドへ倒れ込んだ。

 

「疲れた……」

 

任務では疲れていない。

 

帰還後のやり取りで疲れた。

 

寝返りを打つ。

 

天井を見る。

 

静かだった。

 

下界とは違う。

 

マリージョアには何でもある。

 

世界中から最高級の食材が集められる。

 

望めば一流の料理人が食事を作る。

 

それが当然だった。

 

メフェリア自身も、それを疑問に思ったことはない。

 

ここは聖地マリージョア。

 

自分は天竜人。

 

欲しいものが用意されるのは当たり前。

 

下界の人間が自分たちとは違う扱いを受けることについても、特に何とも思わない。

 

それが彼女にとって生まれた時からの世界だった。

 

それでも。

 

「……あの肉、美味しかったな」

 

思い出したのは、豪華な宮殿の料理ではなかった。

 

港町の古びた店。

 

木製のテーブル。

 

少し焦げた骨付き肉。

 

肉汁。

 

店主が自信なさそうにこちらを見ていた顔。

 

それから――プリン。

 

「…………」

 

むくり。

 

メフェリアが起き上がった。

 

机へ向かう。

 

そこには世界地図が置かれていた。

 

広げる。

 

指を滑らせる。

 

世界には、まだ行ったことのない場所が山ほどある。

 

知らない料理。

 

知らない食材。

 

知らない味。

 

下界そのものには大して興味はない。

 

だが。

 

そこにある料理には、興味がある。

 

「次……どこ行こう」

 

地図を眺める。

 

偉大なる航路。

 

四つの海。

 

無数の島。

 

メフェリアの指が東へ動いていく。

 

その時だった。

 

コンコン。

 

扉が叩かれる。

 

「メフェリア宮」

 

「なに」

 

「団長より伝言です」

 

嫌な予感がした。

 

「……明日、新たな任務について話があるとのことです」

 

沈黙。

 

「明日?」

 

「はい」

 

「休みは?」

 

「存じ上げません」

 

「…………」

 

メフェリアはベッドへ倒れ込んだ。

 

「面倒……」

 

枕へ顔を埋める。

 

数秒。

 

また顔を上げた。

 

「どこ行くか聞いてる?」

 

「いえ。詳細は明日とのことです」

 

「そう」

 

少し考える。

 

「食べ物が美味しいところならいいな」

 

「……は?」

 

「なんでもない」

 

「では、失礼いたします」

 

扉が閉じる。

 

静寂が戻ってきた。

 

メフェリアは再び地図を見る。

 

まだ知らない島。

 

まだ知らない料理。

 

そして――。

 

まだ出会っていない人間たち。

 

本人は知らない。

 

この頃。

 

東の海の小さな村では、一人の少年が海へ出る日を待ち続けていた。

 

その少年がやがて世界政府にとって巨大な脅威となることも。

 

聖地マリージョアを揺るがす存在になることも。

 

当然、メフェリアには知る由もない。

 

仮に今それを聞かされたところで――。

 

「ふーん」

 

で終わっていただろう。

 

今の彼女にとって重要なのは世界の未来ではない。

 

明日の任務先に、

 

美味しい店があるかどうか。

 

ただ、それだけだった。

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