市場へ入ると、港とはまた違った賑わいがあった。
通りの両側に店が並び、その間を大勢の人が行き交っている。
魚。
肉。
野菜。
果物。
パン。
香辛料。
港から運ばれてきたばかりなのか、荷車から木箱を降ろしている者もいる。
店先では商人たちが声を張り上げていた。
「思ってたより広い」
メフェリアが辺りを見ながら言う。
「この島では最大の市場でございます」
隣を歩くベイルが答える。
「港へ入った食料品の多くが、一度ここへ集められます。島内だけでなく、他の島へ運ばれる品もございます」
「じゃあ荷物が多いのは普通なんだ」
「はい」
メフェリアは歩きながら周囲を見る。
積まれた木箱。
麻袋。
荷車。
それを運ぶ人間。
似たようなものがいくつもある。
その中から、さっき見つけたものと同じ印を探す。
「ベイル」
「はい」
「政府の箱って、全部同じ印?」
「基本的には。ただ、管理する品目や部署によって番号が異なります」
「番号?」
「はい。先ほどご覧になったものにも記載されていたはずです」
「そこまで見てなかった」
メフェリアは素直に言った。
「箱の印だけ見えたから」
「なるほど……」
二人はさらに奥へ進む。
すれ違う人間の何人かがメフェリアを見る。
珍しい髪色。
腰のレイピア。
それに、明らかに市場の人間ではない服装。
だが、それ以上のことまでは分からないらしい。
ベイルは少し落ち着かない様子だった。
「どうしたの?」
「いえ……」
「さっきから周り見てる」
「メフェリア宮に何かあってはなりませんので」
「何もないよ」
「しかし――」
「それより箱探して」
「……承知いたしました」
メフェリアは前を向いた。
少し歩いたところで、足が止まる。
今度は箱ではなかった。
店先に赤い果実が山積みになっている。
第21話の資料に書かれていた、この島の名産品。
「これ?」
メフェリアが聞く。
ベイルも店を見る。
「はい。この島で多く栽培されている果実です」
店主の女が二人に気づいた。
「一つどうだい? 今朝入ったばっかりだよ」
メフェリアは果実を見る。
丸く、表面には艶がある。
「甘い?」
「甘いよ。ちょうど今が食べ頃さ」
メフェリアが一つ手に取る。
「これください」
「あいよ」
代金を払い、受け取る。
その場で一口齧った。
しゃく、と小さな音がする。
中から果汁が溢れた。
「…………」
甘い。
けれど、後から少しだけ酸味がくる。
瑞々しくて、船の上で食べていた保存の利く果物とはまるで違う。
もう一口食べる。
「美味しい」
「だろ?」
店主が笑った。
メフェリアも果実を食べながら、店先を見る。
「これ、全部この島の?」
「そうだよ。北側の農園から毎朝運んでくるんだ」
「たくさん採れるんだね」
「今年は出来がいいからね」
「じゃあ安い?」
「去年よりはね」
メフェリアは頷いた。
ベイルは黙ってそのやり取りを聞いている。
「他の店も同じくらい?」
「まあ、大体そんなもんじゃないかね」
「最近、急に増えたりしてない?」
店主が少し考える。
「そういや……」
「何?」
「安く売ってる連中はいるね」
「どこ?」
「市場の奥だよ。ここ何週間か、随分安く果物や小麦を売ってる商人がいる」
ベイルの表情が変わる。
「それはどの商会です?」
「商会ってほど立派な連中じゃないよ。港から直接仕入れてるとか何とか」
「港から?」
メフェリアが聞く。
「ああ。だから安くできるって話だけど」
「ふうん」
メフェリアは残っていた果実を食べる。
「ありがとう」
「また買っておくれ」
「うん」
店を離れる。
少し進んでから、ベイルが声を落とした。
「そのような業者がいるとは聞いておりませんでした」
「そうなの?」
「港から市場へ商品を直接流す場合でも、記録は残ります」
「残ってない?」
「少なくとも、私が確認したものには」
メフェリアは市場の奥を見る。
「じゃあ行ってみよう」
「はい」
*
奥へ進むにつれて、店の雰囲気が少し変わった。
入口付近にあった大きな店は減り、小さな露店や倉庫のような建物が増えている。
人通りも少ない。
「この辺?」
「おそらくは」
メフェリアは辺りを見る。
小麦の袋。
酒樽。
果物の箱。
干し肉。
確かに食料を扱う店が多い。
「安いな」
近くを通った男の声が聞こえた。
「また入ったのか?」
「ああ。今度は砂糖もあるらしいぞ」
メフェリアの足が止まった。
男たちはそのまま通り過ぎていく。
「砂糖」
「……はい」
ベイルも聞いていた。
二人は男たちが来た方向を見る。
少し先。
人が集まっている店があった。
屋根だけを取り付けた簡素な店。
その前には小麦や果物が並んでいる。
値段を見る。
「安い?」
「……かなり」
ベイルが答える。
「通常の相場では考えにくい価格です」
メフェリアは店の前へ行った。
店番をしていた男がこちらを見る。
「いらっしゃい」
メフェリアは商品を見る。
「砂糖ある?」
「ああ。あるよ」
「見せて」
男は店の奥から小さな袋を持ってきた。
白い砂糖。
メフェリアは袋を見る。
「いくら?」
値段を聞く。
ベイルが僅かに眉を寄せた。
やはり安いらしい。
「どこから仕入れてるの?」
メフェリアが聞いた。
「そりゃ商売の秘密だ」
男が笑う。
「安けりゃいいだろ?」
「そう?」
「ああ」
メフェリアは砂糖を見る。
普通の砂糖にしか見えない。
「いっぱいある?」
「欲しいならな」
「どのくらい?」
「樽でも売れるぜ」
ベイルが口を開く。
「それほどの量をどこから――」
メフェリアが手を少し上げた。
ベイルが黙る。
「見たい」
「何を?」
「いっぱいあるなら」
メフェリアが店の奥を見る。
「買う前に見たい」
男の笑みが少しだけ消えた。
「嬢ちゃん、何者だ?」
「お客さん」
「客が倉庫まで見たがるか?」
「駄目?」
「駄目だな」
「じゃあいい」
メフェリアはあっさり砂糖を置いた。
そのまま店を離れる。
男が少し意外そうに彼女を見る。
ベイルも慌てて後を追った。
しばらく歩く。
「よろしいのですか?」
「何が?」
「あの店です。明らかに――」
「うん」
「でしたら、なぜ?」
メフェリアが振り返る。
さっきの店。
男はもうこちらを見ていなかった。
「今あそこで騒いだら、奥にいる人が逃げるかもしれない」
ベイルが黙る。
「倉庫があるって言ってた」
「いえ、男は倉庫とは――」
「言ってたよ」
「……いつでしょうか」
「客が倉庫まで見たがるか、って」
ベイルが目を見開く。
「自分で言った」
「…………」
確かに。
男は自分から倉庫の存在を口にしている。
「どこにあるかは分からないけど」
メフェリアは周囲を見る。
「大量に売るなら、近くに置いてるんじゃない?」
「可能性は高いかと」
「じゃあ探そう」
二人は市場のさらに奥へ進む。
そこから先は、ほとんど店がなかった。
代わりに増えたのは倉庫。
港から運ばれてきた商品を一時的に置いておく場所らしい。
同じような建物が並んでいる。
「多いね」
「市場全体の在庫を保管しておりますので」
「全部見るの大変」
「管理記録を確認すれば、所有者は――」
メフェリアが足を止めた。
「ベイル」
「はい」
「あれ」
一つの倉庫。
扉の前に荷車が停まっている。
男たちが木箱を運び出していた。
それだけなら珍しくない。
けれど。
箱の側面。
黒い印。
さらに、その下に小さな数字が並んでいる。
「さっき言ってた番号って、あれ?」
ベイルが目を凝らす。
そして、表情が変わった。
「……はい」
「何の番号?」
「政府管理倉庫から消失した物資の管理番号です」
メフェリアは男たちを見る。
木箱は次々と荷車へ積まれている。
誰もこちらには気づいていない。
「見つけた」
メフェリアが小さく言った。
だが、すぐには近づかなかった。
箱を運んでいる男。
荷車。
倉庫。
その周囲にいる人間。
一人ずつ見る。
「ベイル」
「はい」
「ここの裏ってどこに繋がってる?」
「裏手には運河がございます。そのまま港の南側へ出られます」
「船は?」
「小型船であれば通れます」
メフェリアは倉庫を見る。
市場で売るだけなら、わざわざ運河の近くに倉庫を用意する必要はない。
ここから別の場所へ運んでいる。
「もう少し見よう」
「踏み込まれないのですか?」
「まだ」
メフェリアは答えた。
目の前にある物だけ取り戻しても、また同じことをされる。
東の海で見つけた密輸組織と同じだ。
必要なのは、その先。
誰が物資を流しているのか。
どこへ運んでいるのか。
そして。
政府内部の誰が、それを手伝っているのか。
メフェリアは倉庫から少し離れた。
「今日はここ見てる」
「監視なさるので?」
「うん」
「では人員を――」
「いらない」
メフェリアはすぐに言った。
「増えたら気づかれる」
「しかし、お一人では」
「ベイルもいるでしょ」
「私も、でございますか」
「うん」
当然のように答えられ、ベイルは少し黙った。
「……承知いたしました」
メフェリアは倉庫の見える場所を探す。
通りの反対側。
ちょうど小さな店があった。
簡単な料理を出す店らしく、外にもいくつか席が置かれている。
そこからなら倉庫の入口がよく見えた。
メフェリアは店を見る。
次に倉庫を見る。
もう一度店を見る。
「…………」
「どうかなさいましたか?」
「ここにしよう」
「ここ?」
「座って見てた方が自然でしょ」
確かに。
市場の真ん中で立ったまま倉庫を見続けているよりは、ずっと目立たない。
二人は店へ入った。
外の席に座る。
店員がやってきた。
「何にする?」
メフェリアは品書きを見る。
魚。
貝。
パン。
軽い料理がいくつか。
その中に。
揚げ魚。
「…………」
メフェリアは少しだけ目を止めた。
「これ」
「揚げ魚?」
「うん」
「飲み物は?」
「水」
「はいよ」
店員が戻っていく。
ベイルがメフェリアを見る。
「……お食事をなさるのですか?」
「見てるだけだと変でしょ」
「なるほど」
「それに」
メフェリアは倉庫へ視線を向けたまま言う。
「さっき食べられなかったから」
ベイルは一瞬黙った。
「……そうでございましたか」
しばらくして、皿が運ばれてきた。
小さく切った白身魚を衣で包み、油で揚げたもの。
まだ熱い。
メフェリアは一つ取る。
さくっ、と衣が鳴った。
中の魚は柔らかい。
塩が少し強め。
けれど、それがちょうどいい。
「美味しい」
小さく呟く。
視線の先では。
倉庫から、また一つ。
政府の印が付いた木箱が運び出されていた。
メフェリアは揚げ魚をもう一つ取る。
急ぐ必要はない。
ここまで来れば、逃がさなければいい。
食べながら。
見る。
待つ。
そして、その先まで辿る。
メフェリアは倉庫を眺めながら、静かに次の一口を食べた。