メフェリアが二つ目の揚げ魚を食べ終える頃、倉庫から新しい木箱が運び出された。
向かいに座るベイルもそれに気づき、声を潜める。
「また出てきました」
「うん」
メフェリアは皿へ手を伸ばしながら、通りの向こうにある倉庫を見た。
二人の男が木箱を抱え、停めてある荷車へ積んでいる。箱の側面には、ここからでも世界政府の管理印が確認できた。
先ほどから同じ作業を何度も繰り返している。
「今のでいくつ?」
「七つ目です」
「結構あるね」
「はい。確認できる番号からして、消失した物資の一部と見て間違いないかと」
それだけの量が市場の倉庫に隠されていた。
そして、わざわざどこかへ運ぼうとしている。
メフェリアは揚げ魚を一つ取る。
少し冷めていたが、衣はまださくっとしていた。中の白身魚も柔らかい。
「これ美味しい」
「お気に召しましたか」
「うん」
「それは何よりでございます」
ベイルはそう答えながらも、視線は倉庫から外さなかった。
やがて八つ目の木箱が荷車に積まれた。
男たちは倉庫の扉を閉めると、そのまま荷車を引いて移動を始める。
メフェリアは最後の揚げ魚を食べ、水を飲んだ。
「行こう」
「はい」
代金を置き、二人は店を出た。
*
荷車は市場の奥へ進んでいった。
メフェリアとベイルは距離を空けて後を追う。
市場の中心部に比べると人通りは少なく、店の代わりに倉庫や作業場が増えている。荷車の車輪が石畳を転がる音も、ここまで来るとはっきり聞こえた。
「港とは違う方に行ってる?」
「正面の港からは離れております」
「この先は?」
「運河がございます。市場の裏を通って、そのまま港の南側へ抜ける水路です」
メフェリアは前を行く荷車を見る。
「船も通れる?」
「小型のものであれば」
「じゃあ、船に積むのかもね」
「その可能性はございます」
しばらく進むと、建物の間から水面が見えてきた。
運河だった。
岸には荷物の積み下ろしに使う場所がいくつかあり、小型の商船や漁船が停泊している。
荷車はそのうちの一隻の前で止まった。
船から男が一人降りてくる。
荷車を引いてきた二人と何かを話し始めた。
メフェリアは足を止めた。
「何話してるんだろ」
「ここからでは少々……」
二人は積まれていた樽や木箱に紛れるようにして、少しだけ距離を詰める。
やがて男たちの声が聞こえてきた。
「今日の分はこれだけだ」
「少ねェな」
「仕方ねェだろ。上が急にうるさくなったんだよ」
「何かあったのか?」
「聖地から人が来たらしい」
その言葉に、ベイルの表情が変わった。
メフェリアも男たちを見る。
「誰だ?」
「知らねェよ。ただ役所の連中が朝から慌ただしい。しばらく大人しくしろって話だ」
「だったら今日は止めときゃよかっただろ」
「もう倉庫から出しちまったんだ。こいつだけ運んだら終わりだよ」
男が木箱を軽く叩く。
「次は?」
「連絡があるまで待て」
それ以上の話はなかった。
すぐに木箱が荷車から降ろされ、船へ積み込まれていく。
メフェリアが小声で聞いた。
「聖地から来た人って、私かな」
「おそらくは」
「もう知られてるんだ」
「……メフェリア宮のご到着を事前に知っていた者は、それほど多くございません」
「ベイルも知ってたよね」
「はい。お迎えの準備がございましたので」
「他には?」
「港の管理責任者と、庁舎の一部の者。それから――」
ベイルはそこで言葉を切った。
メフェリアにも、その意味は分かった。
市場の商人たちが知っているような話ではない。
「中にいるんだね」
「その可能性が高いかと」
世界政府の管理物資を持ち出し、記録から消す。
さらに聖地から人間が派遣されたことまで知っている。
内部の人間が関わっていると考える方が自然だった。
メフェリアは船へ移されていく木箱を見る。
東の海での一件と似ている。
だからこそ、シャムロックたちは今回の事件との繋がりを疑っているのだろう。
やがて最後の木箱が積み込まれた。
船員が綱を外し始める。
「出るみたい」
「追跡いたしますか?」
「うん。どこに持っていくのか見たい」
「では政府の船を手配いたします」
ベイルが動こうとしたが、メフェリアは止めた。
「普通の船の方がいいんじゃない?」
「と申しますと?」
「向こうは私が来たこと知ってるんでしょ。政府の船がついてきたら変じゃない?」
ベイルは少し考え、頷いた。
「仰る通りです」
「漁船とかない?」
「探してまいります」
「お願い」
ベイルが急いで離れていった。
メフェリアは一人残り、出航しようとしている船を見ていた。
その時だった。
「おい」
背後から声がした。
振り返る。
荷車を運んでいた男の一人が、少し離れたところに立っていた。
「さっきから何してやがる」
どうやら気づかれたらしい。
メフェリアは特に慌てなかった。
「見てた」
「何をだ」
「荷物」
男の顔から表情が消えた。
「……誰だ、お前」
「言わないと駄目?」
「質問してんのはこっちだ」
男がこちらへ近づいてくる。
腰には短剣が下がっていた。
メフェリアはそれを見る。
「そんなに見られたら困るの?」
「何?」
「ただ荷物を見てただけなのに」
男の足が止まる。
メフェリアは少し首を傾げた。
「やっぱり、見られたら困るものだった?」
「てめェ……」
男が短剣へ手を伸ばした。
刃が鞘から抜ける。
その直後。
甲高い金属音が響いた。
男の短剣が地面を転がる。
「……は?」
男は自分の手を見た。
メフェリアの右手には、すでにレイピアが握られていた。
細い切っ先が男の喉元で止まっている。
「動かないで」
男の額に汗が浮かんだ。
「いつ抜きやがった……」
「今」
「見えなかったぞ……」
「そう?」
男が僅かに後ろへ下がろうとする。
それに合わせて切っ先が動く。
「動いたら危ないよ」
男の足が止まった。
そこへベイルが戻ってくる。
「メフェリア宮、お待たせ――」
目の前の状況を見て言葉を止めた。
「見つかった」
「……そのようでございますな」
「船あった?」
「はい。漁師に一隻借りることができました」
「じゃあ行こう」
メフェリアはレイピアを下ろした。
男が僅かに息を吐く。
「この人、お願いしていい?」
「もちろんでございます。警備へ引き渡します」
「うん」
ベイルが近くにいた港の警備員を呼ぶ。
男は抵抗しなかった。
メフェリアはレイピアを鞘へ戻すと、運河の先を見る。
追っていた船はすでに離れ始めていた。
「急ごう」
「はい」
*
用意されたのは小さな漁船だった。
甲板には網や籠が置かれ、つい先ほどまで漁に出ていたらしく、潮と魚の匂いが残っている。
メフェリアは船へ乗り込んだ。
「これなら分からなそう」
「普段からこの周辺で漁をしている船だそうです」
「ちょうどいいね」
ベイルも続いて乗り込む。
漁師が船を出す。
運河を抜けると、一気に視界が開けた。
広い海。
少し離れたところに、先ほどの船が見える。
「まだいる」
「この程度の距離であれば見失うことはないでしょう」
「近づきすぎないでね」
「承知しました」
漁師が答える。
メフェリアは船首近くから前を見る。
風が緑色の髪を揺らす。
さっきまでいた市場が少しずつ遠くなっていった。
「どこに行くと思う?」
「この方角ですと、島の南側へ向かっているように見えます」
「何かあるの?」
「古い船着き場がございます。現在の港が整備される以前は商船にも使われておりました」
「今は?」
「ほとんど利用されておりません」
「倉庫とか残ってる?」
「いくつかは」
メフェリアは遠ざかる船を見る。
「じゃあ、そこかも」
しばらく追跡を続ける。
やがて島の南側が見えてきた。
岩場の間に古びた桟橋が伸びている。
その奥には、海沿いにいくつかの建物が残っていた。
前を行く船が進路を変える。
そのまま古い桟橋へ向かっていった。
「行ったね」
「はい」
ベイルの表情も険しくなる。
「現在、政府が使用している場所ではございません」
岸にはすでに何人かの人間が待っていた。
船が到着すると、すぐに木箱を降ろす準備を始める。
メフェリアはその様子を眺めた。
「ベイル」
「はい」
「あの人たち知ってる?」
ベイルも目を凝らす。
「少なくとも、私の管轄にいる政府職員ではございません」
「そう」
木箱が一つ、船から降ろされた。
それを男たちが倉庫へ運んでいく。
市場から消えた食料は、ここへ集められている。
けれど。
これが最後なのかは、まだ分からない。
「もう少し離れたところに船をつけて」
メフェリアが言った。
「上陸なさるおつもりですか?」
「うん。中を見たい」
「では私も参ります」
メフェリアはベイルを見る。
「危ないかもしれないよ」
「メフェリア宮をお一人で向かわせるわけにはまいりません」
少しだけ間を置いて、メフェリアは頷いた。
「じゃあ来て」
漁船は正面の船着き場を避け、少し離れた岩場へ向かった。
船を停め、メフェリアが岸へ降りる。
潮風の向こうに、古い倉庫が見える。
政府から消えた食料。
市場で安く売られていた品。
裏手の運河。
そして、ここへ運び込まれた木箱。
少しずつ道筋が見えてきた。
あとは、この先に誰がいるのか。
メフェリアは腰のレイピアを確かめると、倉庫の裏手へ続く道へ足を向けた。
「行こう」
「はい」
二人は見つからないよう距離を取りながら、古い船着き場へ近づいていった。