下界の飯は悪くない   作:ボヤージュ500億

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十個分の借り

「待って」

 

「無理!」

 

「弁償して」

 

「金ねェって言ってんだろ!」

 

ラッカ島。

 

朝市のど真ん中を、一人の少年が全力で駆け抜けていた。

 

その少し後ろ。

 

メフェリア宮が追っている。

 

少年は必死だった。

 

対してメフェリアは――歩いている。

 

「…………」

 

少年が振り返る。

 

距離が開いている。

 

「なんだ、遅ぇじゃん!」

 

さらに走る。

 

角を曲がる。

 

「これなら――」

 

その瞬間。

 

「ねえ」

 

「うわっ!?」

 

目の前にメフェリアがいた。

 

少年が急停止する。

 

「な、なんで!?」

 

「走ったから」

 

「歩いてただろ!」

 

「途中から走った」

 

「見りゃ分かるよ!」

 

メフェリアは少年の手を見る。

 

パン。

 

さっき盗んだものだ。

 

「それ」

 

「……なんだよ」

 

「盗んだ?」

 

少年の表情が強張る。

 

「関係ねェだろ」

 

「うん」

 

「じゃあ聞くなよ!」

 

「でも」

 

メフェリアが少年を見る。

 

「私のお菓子落としたのは関係ある」

 

「まだ言ってんのかよ!」

 

「十個」

 

「細けぇな!」

 

「美味しかったから」

 

「知らねェよ!」

 

少年が再び逃げようとする。

 

メフェリアが服の襟を掴んだ。

 

「ぐえっ!」

 

「どこ行くの」

 

「離せ!」

 

「弁償」

 

「だから金が――」

 

「じゃあ働いて」

 

「何すんだよ!」

 

メフェリアは少し考えた。

 

特に思いつかない。

 

「…………」

 

「考えてなかっただろ!」

 

「うん」

 

「うんじゃねェ!」

 

その時。

 

市場の方から声が聞こえた。

 

「いたぞ!」

 

パン屋の店主だった。

 

数人の男を連れている。

 

少年の顔色が変わった。

 

「やべっ」

 

メフェリアが振り返る。

 

「お前! また盗みやがったな!」

 

店主が少年を指差す。

 

「今度こそ許さねェぞ!」

 

「……また?」

 

メフェリアが少年を見る。

 

「…………」

 

少年が目を逸らした。

 

店主たちが近づいてくる。

 

「嬢ちゃん、そいつ捕まえててくれ!」

 

「嫌」

 

「は?」

 

メフェリアは少年の襟から手を離した。

 

「私、関係ないし」

 

「いや、捕まえてるじゃねェか!」

 

「私のお菓子落としたから」

 

「何の話だ!?」

 

少年はその隙に走り出した。

 

「あ」

 

メフェリアも追う。

 

「待って」

 

「結局追ってくんのかよ!」

 

二人は再び路地へ消えていった。

 

 

しばらくして。

 

港町の外れ。

 

「はぁ……はぁ……!」

 

少年は壁に手をついていた。

 

「なんなんだよ……あんた……」

 

メフェリアは普通に立っている。

 

「メフェリア」

 

「名前聞いてねェよ」

 

「私は聞いた」

 

「いつ!?」

 

「今」

 

少年が睨む。

 

「…………カイ」

 

「カイ」

 

「そうだよ」

 

「何歳?」

 

「十五」

 

「ふーん」

 

興味があるのかないのか分からない。

 

カイはメフェリアを見る。

 

緑色の髪。

 

見慣れない服。

 

腰のレイピア。

 

どう見ても普通の旅人ではない。

 

「……あんた、何者?」

 

「神の騎士団」

 

「何それ」

 

「…………」

 

メフェリアが少し考える。

 

東の海の一般人なら、知らなくてもおかしくない。

 

「まあいいや」

 

「なんだよそれ」

 

「知らなくていい」

 

「偉そうだな」

 

「偉いから」

 

即答。

 

カイが呆れた顔をする。

 

「変な奴」

 

「よく言われる」

 

メフェリアの視線がパンへ向いた。

 

「それ」

 

「やらねェぞ」

 

「いらない」

 

「じゃあ見るな」

 

「なんで盗んだの?」

 

カイの表情が変わった。

 

「……関係ない」

 

「そう」

 

メフェリアはあっさり引いた。

 

カイが逆に戸惑う。

 

「……聞かねェの?」

 

「関係ないんでしょ?」

 

「まあ……そうだけど」

 

「じゃあいい」

 

メフェリアは踵を返した。

 

「待てよ」

 

止まる。

 

「なに」

 

「菓子は?」

 

「弁償できないんでしょ?」

 

「……まあ」

 

「じゃあいい」

 

「いいのかよ!」

 

メフェリアが振り返る。

 

「面倒になった」

 

「お前……!」

 

そのまま歩き出す。

 

十個。

 

確かに惜しい。

 

でも。

 

この少年から十個分を取り立てる方が面倒だ。

 

だったら新しく買った方が早い。

 

合理的な判断だった。

 

「……変な女」

 

カイが呟いた。

 

メフェリアの足が止まる。

 

「聞こえてるよ」

 

「耳いいな!」

 

「猫だから」

 

「は?」

 

「なんでもない」

 

再び歩き出した。

 

その時だった。

 

ぐぅぅぅ……。

 

大きな音。

 

メフェリアが振り返る。

 

カイが腹を押さえている。

 

「…………」

 

「見るな!」

 

「お腹すいてる?」

 

「すいてねェ!」

 

ぐぅぅぅ……。

 

「鳴ってる」

 

「うるせェ!」

 

メフェリアはカイの持つパンを見る。

 

「それ食べれば?」

 

「これは俺のじゃねェ」

 

「盗んだんだから、もうあなたのでしょ」

 

「そういう意味じゃねェよ」

 

「?」

 

カイが黙った。

 

そして。

 

「……妹のだ」

 

「妹?」

 

「腹減らしてんだよ」

 

メフェリアは何も言わなかった。

 

 

町のさらに外れ。

 

古い家。

 

屋根には穴。

 

壁も傷んでいる。

 

「ここ」

 

カイが扉を開けた。

 

「なんでついて来てんだよ」

 

「暇だから」

 

「市場行けよ」

 

「あとで行く」

 

家の中。

 

小さな少女がいた。

 

十歳にも満たない。

 

「お兄ちゃん!」

 

「ただいま」

 

カイがパンを渡す。

 

少女の顔が明るくなる。

 

「パン!」

 

「ゆっくり食えよ」

 

「うん!」

 

少女がパンを食べ始める。

 

メフェリアはその様子を見ていた。

 

「…………」

 

よく分からない。

 

食べ物なんて。

 

欲しければ用意される。

 

それがメフェリアにとっての常識だった。

 

腹が減ったまま待つ。

 

パン一つのために盗みをする。

 

そんな生活を、彼女は知らない。

 

「お兄ちゃん」

 

少女がパンを半分に割る。

 

「半分」

 

「俺はいらねェよ」

 

「お腹鳴ってた」

 

「鳴ってねェ」

 

「鳴ってたよ」

 

「…………」

 

メフェリアが言った。

 

「鳴ってた」

 

カイが睨む。

 

「お前は黙ってろ!」

 

少女がメフェリアを見る。

 

「お姉ちゃん誰?」

 

「メフェリア」

 

「お兄ちゃんの友達?」

 

「違う!」

 

カイが即答する。

 

メフェリアは少し考える。

 

「お菓子十個落とされた人」

 

「説明がおかしいだろ!」

 

少女はよく分からないまま笑った。

 

 

メフェリアは家を出た。

 

「じゃあ」

 

カイがついてくる。

 

「帰るのか」

 

「市場」

 

「やっぱ行くのかよ」

 

「うん」

 

少し歩く。

 

「……ねえ」

 

「なんだよ」

 

「ご飯って、そんなに手に入らないもの?」

 

カイが止まった。

 

「は?」

 

「お腹すいたら食べればいいでしょ」

 

「……お前、本当にどこで育ったんだよ」

 

「マリージョア」

 

「知らねェ」

 

「そう」

 

カイはため息をついた。

 

「金がなきゃ食えねェんだよ」

 

「働けば?」

 

「仕事がねェ」

 

「なんで?」

 

「だから……!」

 

言いかけて、カイが止まる。

 

「最近、この島に変な連中が増えたんだよ」

 

メフェリアが見る。

 

「変な連中?」

 

「港の仕事を仕切ってた連中が急に変わった。逆らった奴は仕事をもらえねェ。うちの親父もそれで――」

 

「…………」

 

「なんだよ」

 

「その人たち」

 

メフェリアが首を傾げる。

 

「倉庫にいた人たち?」

 

カイの顔が変わった。

 

「知ってんのか?」

 

「さっき片付けた」

 

「…………は?」

 

「九人くらい」

 

「は?」

 

「寝てると思う」

 

「何したんだよお前!?」

 

「ちょっと」

 

「ちょっとで九人寝かせる奴がいるか!」

 

メフェリアは少し考えた。

 

「いるよ」

 

「どこに」

 

「ここ」

 

「そういう意味じゃねェ!」

 

カイが頭を抱えた。

 

 

朝市へ戻る。

 

カイも何故かついてきた。

 

「これ」

 

メフェリアが蜜揚げの屋台を指差す。

 

「お前が落としたやつ」

 

「……それか」

 

「十個」

 

「まだ覚えてんのかよ」

 

「うん」

 

屋台の女性がメフェリアに気づく。

 

「あら、さっきのお嬢ちゃん」

 

「十個」

 

「また?」

 

「うん」

 

「よっぽど気に入ったんだねぇ」

 

袋いっぱいの蜜揚げ。

 

メフェリアが一つ食べる。

 

「…………」

 

美味しい。

 

やっぱり美味しい。

 

もう一つ。

 

カイが見ている。

 

「食べる?」

 

「え?」

 

「一個」

 

「……いいのか?」

 

「うん」

 

一つ渡す。

 

カイが食べる。

 

「熱っ!」

 

「出来たてだから」

 

「先に言えよ!」

 

それでも食べる。

 

「…………うま」

 

メフェリアが少しだけ満足そうな顔をした。

 

「でしょ」

 

何故か自分が褒められたような反応だった。

 

「妹にも持ってく?」

 

「いいのか?」

 

「別に」

 

「……ありがと」

 

メフェリアが首を傾げる。

 

「何が?」

 

「いや……」

 

カイは少し笑った。

 

「なんでもねェ」

 

メフェリアは袋を見る。

 

残り八個。

 

「…………」

 

一つ、カイ。

 

一つ、妹。

 

残り六個。

 

「足りない」

 

「何が!?」

 

「また買う」

 

「どんだけ食うんだよ!」

 

 

少し離れた場所。

 

政府役人がようやくメフェリアを発見した。

 

「メフェリア宮!」

 

「見つかった」

 

「見つかった、ではございません!」

 

息を切らしている。

 

「どちらへ行かれていたのですか!」

 

「色々」

 

「色々とは!?」

 

「お菓子買ってた」

 

「一時間以上経過しております!」

 

「そう?」

 

「そうです!」

 

役人はカイを見る。

 

「こちらの少年は?」

 

「お菓子落とした人」

 

「まだその話を……」

 

カイが小声で聞く。

 

「なあ」

 

「なに」

 

「あんた、本当に偉い奴なの?」

 

「偉いよ」

 

「どれくらい」

 

メフェリアが考える。

 

説明するのが面倒だった。

 

「かなり」

 

「分かんねェよ」

 

役人が青ざめている。

 

「き、君! メフェリア宮に対して何という口の――」

 

「いいよ」

 

メフェリアが遮った。

 

「でも!」

 

「面倒だから」

 

役人は口を閉じる。

 

カイは不思議そうにメフェリアを見る。

 

「宮?」

 

「なに」

 

「なんで宮なんだ?」

 

「そういうものだから」

 

「ふーん」

 

興味を失った。

 

メフェリアも気にしない。

 

この時。

 

カイは知らなかった。

 

自分が今、世界の頂点に住む者の一人と普通に話していることを。

 

そしてメフェリアも。

 

そんなことを教える必要があるとは思っていなかった。

 

 

船へ戻る途中。

 

役人が報告する。

 

「倉庫で発見された資料の解析が進みました」

 

「うん」

 

「密輸組織の次の取引場所が判明しております」

 

「どこ?」

 

島の名前が告げられる。

 

メフェリアが立ち止まる。

 

「そこ、何が美味しい?」

 

「……現在調べております」

 

「お」

 

メフェリアが少し驚く。

 

役人が胸を張る。

 

「学習いたしました」

 

「偉い」

 

「ありがとうございます」

 

何故、自分は天竜人から料理情報について褒められているのだろう。

 

役人は考えないことにした。

 

「それによりますと、次の島は酪農が盛んで――」

 

メフェリアの目が開く。

 

「酪農?」

 

「はい。乳製品が名産とのことです」

 

「チーズ?」

 

「有名だそうです」

 

「デザートは?」

 

「乳製品を使用した菓子も多数あると」

 

「行こ」

 

「もちろん任務で向かいます」

 

「今日?」

 

「明朝です」

 

「今から」

 

「無理です」

 

「なんで?」

 

「航海の準備がございます!」

 

「…………」

 

露骨に残念そうな顔。

 

役人はため息をついた。

 

その後ろ。

 

カイが手を振っている。

 

「おーい!」

 

メフェリアが振り返る。

 

「またな!」

 

メフェリアは少しだけ首を傾げた。

 

また。

 

次にこの島へ来る予定などない。

 

だから。

 

「多分もう会わないよ」

 

「そこは普通『またな』でいいんだよ!」

 

「そうなの?」

 

「そうだよ!」

 

メフェリアは考えた。

 

そして。

 

小さく手を上げる。

 

「……またね」

 

カイが笑った。

 

メフェリアは再び歩き出す。

 

数歩。

 

「…………」

 

役人が横を見る。

 

「どうかなさいましたか?」

 

「別に」

 

「左様ですか」

 

メフェリアは蜜揚げを一つ口へ入れた。

 

甘い。

 

美味しい。

 

下界の人間など、どうでもいい。

 

昨日までと、その考えは何も変わっていない。

 

ただ。

 

カイ。

 

その名前だけは――。

 

なんとなく覚えていた。

 

 

翌朝。

 

船はラッカ島を離れる。

 

次の目的地へ。

 

その海の遥か向こう。

 

東の海の小さな村で。

 

一人の少年が、小舟へ荷物を積み始めていた。

 

麦わら帽子を被り。

 

満面の笑みを浮かべながら。

 

「よーし!!」

 

少年は海を見る。

 

長い間待ち続けた日。

 

海へ出る日。

 

その時が、ついにやって来ようとしていた。

 

一方。

 

同じ東の海を進む世界政府の船。

 

「チーズ……」

 

メフェリア宮は、次の島の資料を眺めていた。

 

「ケーキもあるかな」

 

世界を変える少年の冒険が始まる、そのすぐ近くで。

 

神の騎士の美食旅もまた――。

 

何事もなかったかのように続いていた。

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