下界の飯は悪くない   作:ボヤージュ500億

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それぞれの場所

翌朝。

 

ベルネ島の港に、出航を告げる汽笛が響いた。

 

世界政府船がゆっくりと岸を離れていく。

 

甲板に立つメフェリアは、遠ざかっていく島を眺めていた。朝の風に緑色の髪が揺れる。その一部だけが、昨日の戦いでわずかに短くなっている。

 

「…………」

 

メフェリアはそこを指で摘まんだ。

 

やっぱり気になる。

 

傷なら放っておいても消える。けれど、切られた髪は戻らない。

 

「メフェリア宮」

 

後ろから役人に声をかけられた。

 

「なに?」

 

「間もなく昨日の男への尋問を始めます。可能であれば、お立ち会いいただきたいのですが」

 

メフェリアは少し考えた。

 

「長い?」

 

「できる限り手短にいたします」

 

「じゃあ行く」

 

甲板を離れようとして、もう一度だけ髪を触る。

 

役人もそれに気づいた。

 

「やはり気になりますか?」

 

「うん」

 

「それほど目立たないと思いますが」

 

「私には分かる」

 

「左様ですか……」

 

メフェリアは少しだけ不満そうな顔をしたまま、船内へ入っていった。

 

 

船内。

 

昨日捕らえた男は、椅子に座らされていた。

 

両手には手錠。武器はすべて取り上げられている。

 

メフェリアが部屋へ入ると、男が顔を上げた。

 

そして。

 

視線が彼女の髪へ向く。

 

「まだ気にしてるのか?」

 

「気にしてる」

 

「数本だろ」

 

「切ったのあなたでしょ」

 

「戦いだったんだから仕方ないだろ」

 

「謝って」

 

「……何でだよ」

 

「髪切ったから」

 

男が黙った。

 

役人も黙った。

 

数秒の沈黙。

 

男が深いため息をつく。

 

「……悪かった」

 

「うん」

 

メフェリアは満足した。

 

「では、始めてもよろしいでしょうか」

 

役人が尋ねる。

 

「いいよ」

 

「お前が仕切るんじゃないだろ……」

 

男が呟いたが、メフェリアは気にしなかった。

 

尋問が始まった。

 

名前。

 

所属。

 

ベルネ島の商会との関係。

 

男は自分の素性については頑として口を割らなかったが、押収した資料を突きつけられると、密輸についてはいくつか認めた。

 

ベルネ島の商会を占拠したのも彼らの一味。

 

政府から奪われた物資を運び、指定された場所へ届ける役割を担っていた。

 

「誰に渡してたの?」

 

メフェリアが尋ねる。

 

男は答えない。

 

「東の仲介人?」

 

わずかな沈黙。

 

「……そう呼ばれている男がいる」

 

役人が身を乗り出す。

 

「名前は?」

 

「知らん」

 

「顔は?」

 

「会ったこともない」

 

メフェリアが首を傾げた。

 

「じゃあ、どうやって取引するの?」

 

「向こうから連絡役が来る」

 

「その人がローグタウンにいる?」

 

男は黙った。

 

役人が机の上へ一枚の紙を置く。

 

昨日、男が持っていた革袋から発見した取引記録。

 

二日後。

 

ローグタウン。

 

「この予定について説明していただきましょう」

 

「…………」

 

男は紙を見る。

 

しばらく黙っていたが、やがて諦めたように息を吐いた。

 

「そこで連絡役と会う予定だった」

 

「誰?」

 

「知らん」

 

「また?」

 

「本当に知らないんだ。毎回違う人間が来る」

 

メフェリアは少し考える。

 

「じゃあ、その人を捕まえれば東の仲介人まで行ける?」

 

「運が良ければな」

 

「そっか」

 

メフェリアは役人を見る。

 

「じゃあローグタウンで決まりだね」

 

「はい」

 

今のところ、それ以上の手掛かりはない。

 

メフェリアは椅子から立ち上がった。

 

「終わり?」

 

「ひとまず、メフェリア宮にお立ち会いいただく必要はございません」

 

「じゃあ行ってくる」

 

「どちらへ?」

 

「朝ご飯」

 

「……まだ召し上がっていなかったのですか?」

 

「これあるって言われたから先に来たの」

 

そう言い残して、メフェリアは部屋を出ていった。

 

男がその背中を見送る。

 

「…………」

 

役人は何事もなかったように資料を整理している。

 

男が尋ねた。

 

「いつもあんな感じなのか?」

 

役人の手が止まった。

 

少し考えてから。

 

「……概ね」

 

「そうか」

 

男はそれ以上聞かなかった。

 

 

同じ頃。

 

赤い土の大陸、その頂。

 

聖地マリージョア。

 

白亜の建物が並ぶ街には、東の海とはまるで違う静けさがあった。

 

美しく整えられた庭園。

 

白い石で舗装された道。

 

その向こうには、巨大なパンゲア城が聳えている。

 

城内。

 

神の騎士団が使用する区画の一室。

 

フィガーランド・シャムロック聖は、一人で机に向かっていた。

 

手元にあるのは、東の海から届いた報告書。

 

ラッカ島。

 

ベルネ島。

 

押収された世界政府の物資。

 

そして、東の仲介人。

 

順番に目を通していく。

 

やがて、ある一文で視線が止まった。

 

『ベルネ島北部にて武装組織と交戦。メフェリア宮に負傷なし』

 

その下。

 

『敵一名を拘束。ローグタウンにて次回接触予定あり』

 

「…………」

 

順調だった。

 

少なくとも、任務に関しては。

 

シャムロックは次の紙へ目を移す。

 

今回の行程について記された報告だった。

 

その途中。

 

妙な一文がある。

 

『ベルネ島移動中、本人の希望により牧場へ立ち寄り。任務への影響なし』

 

シャムロックの目が止まった。

 

「…………」

 

さらに下。

 

『現地名産品の確認』

 

焼きチーズ肉。

 

ミルクプリン。

 

しばらく。

 

部屋には静寂だけが流れた。

 

「……何をしているんだ、あいつは」

 

当然、返事はない。

 

シャムロックは報告書を眺める。

 

想像するまでもなかった。

 

本人に聞いたところで、おそらく大した答えは返ってこない。

 

『通り道だったから』

 

せいぜい、その程度だろう。

 

昔からそうだった。

 

気になるものを見つければ、すぐそちらへ行く。

 

自由に動き。

 

好きなことをして。

 

そのくせ、やるべきことだけは妙に早く片付けてしまう。

 

だから余計に扱いづらい。

 

シャムロックは小さく息を吐いた。

 

「まあいい」

 

任務そのものに支障はない。

 

それどころか、想定より早く手掛かりへ辿り着いている。

 

シャムロックは報告書の最後を見る。

 

次の目的地。

 

ローグタウン。

 

海賊王ゴールド・ロジャーが処刑された町。

 

その名を見た瞬間。

 

シャムロックの表情から、わずかな呆れが消えた。

 

東の仲介人。

 

政府から奪われた物資。

 

それらが何のために動かされているのかは、まだ分からない。

 

だが。

 

少なくとも、糸は繋がり始めている。

 

「ローグタウンか」

 

シャムロックは報告書を閉じた。

 

追加の指示を出す必要はない。

 

今はまだ。

 

メフェリアに任せておけばいい。

 

椅子の背へ身体を預ける。

 

そのまま別の書類へ手を伸ばそうとして。

 

止まった。

 

視線が。

 

先ほど閉じた報告書へ戻る。

 

「…………」

 

ベルネ島。

 

牧場。

 

焼きチーズ肉。

 

ミルクプリン。

 

数秒。

 

「……そんなに美味いのか?」

 

小さな呟き。

 

直後。

 

シャムロックの眉間に皺が寄った。

 

何を考えている。

 

メフェリアに影響されたわけでもあるまい。

 

報告書を脇へ押しやり、今度こそ別の書類を手に取った。

 

 

昼過ぎ。

 

東の海。

 

世界政府船は穏やかな海を進んでいた。

 

甲板。

 

メフェリアは椅子に座っている。

 

その手には、一冊の本。

 

『ローグタウン観光案内』

 

「…………」

 

ページをめくる。

 

海賊王の処刑台。

 

武器屋。

 

衣料品店。

 

飲食店。

 

市場。

 

「いっぱいある」

 

隣に立っていた役人が、嫌な予感を覚えた。

 

「メフェリア宮」

 

「なに?」

 

「我々は観光へ向かうのではございません」

 

「知ってるよ」

 

「では、なぜ観光案内を?」

 

「任務しながら見ればいいでしょ」

 

「…………」

 

役人は反論しようとした。

 

だが。

 

ベルネ島でも、実際に任務への支障は出ていない。

 

むしろ予定より早く手掛かりを発見している。

 

「仕事はちゃんとするよ」

 

メフェリアが言った。

 

「その代わり、終わったら自由でしょ?」

 

「……状況次第では」

 

「またそれ」

 

メフェリアはページをめくった。

 

しばらく眺めていると。

 

ある場所で手が止まる。

 

「処刑台」

 

「はい」

 

「ロジャーが死んだところ?」

 

「その通りです」

 

メフェリアは掲載されている写真を見る。

 

「見てみたい」

 

役人は少し意外そうな顔をした。

 

これまで彼女が積極的に興味を示した場所といえば、食べ物に関係する場所が多かったからだ。

 

「海賊王にご興味が?」

 

「少し」

 

写真を見つめる。

 

ゴールド・ロジャー。

 

世界中の海賊を海へ駆り立てた男。

 

マリージョアでも、その名を知らない者はいない。

 

「どんな人だったのかなって」

 

「凶悪な海賊です」

 

「それだけ?」

 

役人が少し言葉に詰まった。

 

「……少なくとも、世界政府としてはそういう認識です」

 

「ふーん」

 

メフェリアはもう一度、写真を見る。

 

会ったこともない。

 

もうこの世にもいない。

 

それでも。

 

たった一人の死が、今も世界を動かしている。

 

少しだけ。

 

不思議だった。

 

「ローグタウンまでどれくらい?」

 

「明日の午後には到着する予定です」

 

「そっか」

 

メフェリアは観光案内を閉じた。

 

椅子の背にもたれ、青い空を見上げる。

 

次の町。

 

次の手掛かり。

 

東の仲介人。

 

そして。

 

海賊王が最期を迎えた場所。

 

まだ見たことのないものが、そこにはある。

 

メフェリアは静かに目を閉じた。

 

潮風が、少しだけ短くなった緑色の髪を揺らしていく。

 

ローグタウンまでは。

 

あと一日。

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