第二十九話
「八月六日の朝」
20XX年8月6日
午前六時四十分
神奈川県 住宅街
蝉が鳴いているどこにでもある夏の朝
昨夜はほとんど眠れなかったため母親は目覚ましより早く起きていた
台所でお湯を沸かしコーヒーをくむ
時計を見ると六時四十八分になり夫が起きてくる
「……」
言葉はない
二人とも視線だけが廊下の先へ向いていた。
六時五十五分
母親はゆっくり立ち上がる
廊下を歩く
一歩また一歩
息が浅くなる
ドアの前でノックをする
「起きてる?」
返事はない
もう一度。
「起きる時間よ」
静かにドアノブを回す
部屋の中でカーテンの隙間から朝日が差し込む。
ベッドには少年が眠っている
母親は近付き肩へ手を伸ばす。
「起きなさい」
少年はゆっくり目を開ける。
「……ん」
眠そうに起き上がり髪をかく
そして母親は小さく息を呑んだ。
頭上には朝日に照らされる淡い光輪
そして昨日まで存在しなかった制服を着ていた
少年は数秒ぼんやりしていた。
「……」
いつもとは違い違和感を感じ顔を触る
耳、頬、髪
「え」
枕元のスマートフォンを取る
インカメラに画面が映る。
そこには十五歳ほどの少女が
見覚えのない制服
見覚えのある自分の表情
「……え?」
母親は何も言えない
少年も何も言えない
部屋には蝉の声だけが聞こえていた
一時間後リビングにて
父親、母親、姉、そして……
制服から私服へ着替えた娘――昨日まで息子だった子
テーブルの上に置かれた朝食には誰も箸を付けない
沈黙の中やがて父親が喋る
「……学校は」
静かに首を横に振る
「今日は無理」
その声は昨日までの息子の声ではなかった
少し高かったがしかし話し方は全く同じだった
「ごめん」
母親は泣きそうになりながら笑う
「謝らなくていいの」
匿名掲示板
【Part9】俺たちまだ戻らないんだけど
午前七時十一分
912 :風吹けば名無し
起きた
913 :風吹けば名無し
おはよう
914 :風吹けば名無し
おっはー!
915 :風吹けば名無し
え? もう朝なん?
916 :風吹けば名無し
どうだった?
917 :風吹けば名無し
もうそんな時間か
918 :風吹けば名無し
時間感覚が狂う!
919 :風吹けば名無し
無事?
920 :風吹けば名無し
なってた
921 :風吹けば名無し
……そうか
922 :風吹けば名無し
あー変わってたか
923 :風吹けば名無し
大丈夫か?
924 :風吹けば名無し
変わったのは息子さん?
925:風吹けば名無し
そう、娘になってた
926 :風吹けば名無し
そっちか
927 :風吹けば名無し
大丈夫そう?
928 :風吹けば名無し
混乱してるなら変様者対応のセンターに電話するんやで
929 :風吹けば名無し
いつも思うけどこんな所に書き込んどる場合か?
930 :風吹けば名無し
現実逃避と落ち着くのを兼ねとるんや
931 :風吹けば名無し
その時になってみればわかる(経験談)
932 :風吹けば名無し
まあこればかりは個人の意識やから何とも言わんけど
933 :風吹けば名無し
お子さんは大丈夫そう?
934 :風吹けば名無し
泣いてたりパニックになってない?
935 :風吹けば名無し
そういうのは大丈夫
ただ一番泣いてるのは自分
国立感染症研究所
午前九時
電話が鳴り止まない
「十五歳になった息子が」
「娘が」
「朝起きたら」
相談件数が増えてくる
しかし秋山はその数字よりもある共通点に気付く
全員が同じことを言っていることに
「本人は意外と落ち着いています」
教授が資料を読む。
「家族の方が動揺している」
「はい」
秋山は頷く
「本人は」
少し考えてから言う
「鏡等を見て驚きます そして十分ほど混乱します」
「ですがその後は…」
ページをめくる
「……受け入れようとしている」
「人間は…」
教授が静かに呟く。
「案外、強い生き物だな」
秋山の研究ノート
8月6日
今日は十五歳の誕生日を迎えた変様例が七件報告された
皆、朝に鏡を見て驚いた。
泣いた人もいる
叫んだ人もいる
しかし一時間後の聞き取りでは皆がまず口にしたのは同じ言葉だった。
「学校や仕事には、何て説明すればいいですか」
人は絶望の中でも生活を考える
それが人間の強さなのか
あるいは日常を失うことの方が怖いのか
私はまだ答えを持っていない
深夜・匿名掲示板
104 :風吹けば名無し
今日一日終わった
105 :風吹けば名無し
お疲れ
106 :風吹けば名無し
おつかれ〜
107 :風吹けば名無し
どうだった?
108 :風吹けば名無し
何とかなったか?
109 :風吹けば名無し
言われた通りセンターに電話して色々聞いてきた
110 :風吹けば名無し
電話したか
111 :風吹けば名無し
変様者の対応は進んできとるからな 対応とかのマニュアルもできてきとる
112 :風吹けば名無し
ほーそうなんか
113 :風吹けば名無し
マジでそこのあたりの対応は神
114 :風吹けば名無し
変様者関連で混乱した時にはマジでオススメ
115 :風吹けば名無し
家族の誰かが変様したらまず変様者対応センターに電話
116 :風吹けば名無し
変に混乱撒き散らされるよりはガチで電話してもらった方がマシなんだよな
117 :風吹けば名無し
ホンマそれ(役人並感)
118 :風吹けば名無し
初期はこれがなかったのはマジ?
119 :風吹けば名無し
マジやで
120 :風吹けば名無し
市役所関連は混乱不回避やったんだよなぁ
121 :風吹けば名無し
すっげー大混乱だったゾ〜
122 :風吹けば名無し
次点で医療関連もな(医者)
123 :風吹けば名無し
当時はクッソ混沌に満ちてたんだ…
124 :風吹けば名無し
というかあらゆる職種が突発的♂大事故に巻き込まれてたんや
125 :風吹けば名無し
へーすっげー大変そう(小並感)
126 :風吹けば名無し
はえ〜すっごい
127 :風吹けば名無し
カッチャマが発狂してたのを見かけたゾ〜
128:風吹けば名無し
電話のね、やり取りが終わらないのね…
129 :風吹けば名無し
電話越しも直接のやり取りもクソだよクソ!ははは!
130 :風吹けば名無し
あと変様してでの仕事の急な休みも問題になってた
131 :風吹けば名無し
あーあったあった
132 :風吹けば名無し
戯言と取られて無理やり出させられる人もいたな
133 :風吹けば名無し
まあそれはいるやろ
134 :風吹けば名無し
そして本人(変様)きてたまげるまでテンプレ
135 :風吹けば名無し
何で来たんやと切れられる 若しくはお前誰やねん!誰誰誰誰と言われるのもセット
136 :風吹けば名無し
お前が来いと言ったからじゃい!(ガチギレ)
137 :風吹けば名無し
申し訳ないが草生える
138 :風吹けば名無し
実際見てるだけならおもろかったで(窓際族)
139 :風吹けば名無し
見てるだけならね
140 :風吹けば名無し
当事者(変様者)と関係者は地獄なんですがそれは…
141 :風吹けば名無し
それはそう
142 :風吹けば名無し
今でもその問題は完全に解決しとるとは言い切れんからな
143 :風吹けば名無し
固定観念は取れにくいねんな
144 :風吹けば名無し
そうそう(クソ上司をみながら)
145 :風吹けば名無し
へ〜当時は色々あったんですね
146 :風吹けば名無し
そうやで
147 :風吹けば名無し
所で娘?さんはどう?
148 :風吹けば名無し
落ち着いとる?
149 :風吹けば名無し
大丈夫そう
今日娘になった息子と一緒に夕飯食べた
150 :風吹けば名無し
そうか
151:風吹けば名無し
カレーおかわりしてた
152 :風吹けば名無し
無事そうやね
153 :風吹けば名無し
中には引きこもったりまだ受け入れられん人もいるからな
154 :風吹けば名無し
それはそうだろ
155 :風吹けば名無し
皆が皆平気なわけではないからな
156 :風吹けば名無し
息子さんは気持ちがつよいね
157 :風吹けば名無し
いつも通りそうだね
158 :風吹けば名無し
そうなんだよ顔だけなんだよ
だから余計につらい
その夜日本中の家庭で十五歳の子供を持つ親たちは自分の子供の寝顔をいつもより長く見つめていた。
「明日もこのままでいてほしい」
その願いは静かな夏の夜へ溶けていった。
しかし世界は誰の願いも聞くことなく今日もまたゆっくりと変様者が増えていくのいたであった。