黒白の魔術師   作:神威 

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第2話 回路の構造と不条理

「――繰り返すが、魔法とは『自然界に遍在する魔力を取り込み、既存の現象や物質の形態を再現する技術』だ」

 

 講義棟の階段教室。壇上に立つ教員のくぐもった声と、黒板に滑るチョークの乾いた音だけが静かな室内に響いていた。

 教員が示す羊皮紙の図解には、空間に満ちる魔力が人体を経由し、術式へと変換されるプロセスの基礎が描かれている。生徒たちの多くは、それを生真面目な顔つきでメモに走らせていた。

 俺は一番後ろの席で頬杖をつきながら、その光景をただぼんやりと眺めていた。

 体内に魔力を蓄積して放出するのではなく、大気に満ちる魔力を人体という媒介(回路)を通して現象へ変換する。

 ゆえに、『魔力切れ』という概念は存在しない。周囲の空気を吸い続けるのと同じだ。

 だが、無限に引き込めるからといって際限なく使えばどうなるか。己の許容量(適性)を超えて魔力を体内に流し込めば、肉体が耐えきれず体温異常や感覚麻痺を引き起こし、酷い時には毛細血管が破裂して目や鼻から血を噴き出して命を落とす。

 筋繊維の超回復と同じで、適切な負荷と訓練によって取り込める許容量を広げることはできるが、無茶をすれば自滅する。

 

「さて、ここで重要なのは『魔力適正』と『現象の再構成効率』だ。特に貴族の家系においては――」

 

 教員、改めレイモンド=ケネス先生の説明が、血筋と干渉回路の効率に及ぶ。

 貴族の生徒たちが得意げに胸を張り、平民の生徒たちがどこか居心地悪そうに身を縮める。

 貴族の血統とは、長年の積み重ねによって『無駄なく滑らかに魔力を通す回路』が遺伝子に刻まれている状態に過ぎない。平民との差は才能というより、単なる器具の構造差だ。

 

「――おい、聞いてるのか?」

 

 隣の席から、呆れたような、しかしどこか面倒見の良さを滲ませた低い声が降ってきた。

 視線を向ければ、灰色の髪を短く刈り込んだ大柄な男、アルフが、俺のノートを覗き込みながら苦笑していた。彼のノートには、先ほどのレイモンド先生の言葉が一言一句漏らさず丁寧に書き留められている。

 

「聞いてる、聞いてる。回路の構造差の話だろ?」

「なら、なんでお前のノートは白紙なんだよ。これから実技の模擬戦があるってのに、余裕だな」

「予習は済んでるさ。それに、いくら頭で回路を理解したところで、実際に身体に流してみなけりゃ始まらないだろ」

 

 俺がそう言って肩をすくめると、アルフはふっと鼻で笑い、それ以上追究してこなかった。

 彼も平民出身でありながら、努力と堅実な魔力操作で上位に食い込んでいる数少ない生徒の一人だ。貴族特有の選民思想を持たず、かといって卑屈になることもない。

 

「さて、そこの――ルグラン」

 

 レイモンド先生が指名したのは、最前列で背筋を優雅に伸ばしていた金髪の貴族の生徒だった。

 ルグランと呼ばれた男は、当然指名されることを予期していたかのように優美な所作で立ち上がり、周囲の平民生徒たちを見下すように一瞥をくれた。その制服の胸元には、由緒ある名門貴族の家紋が誇らしげに刻まれている。

 

「ルグラン。君の現在の『魔力適性』と、構築における意識を聞かせてくれ」

「はい、先生。私の現在の魔力適性は『A-』。先日測定した取り込み上限は、一般的な平民の平均よりも上になっております」

 

 ルグランの声には、隠しきれない選民意識と絶対的な自信が満ちていた。周囲の貴族生徒たちから羨望と賞賛の視線が注がれ、平民の生徒たちは居心地悪そうに肩をすくめる。

 

「素晴らしい数値だ。では、魔力を取り込む際の感覚についてはどうだ?」

「特筆すべきことはございません。生まれた時から我がアウグスト家に流れる魔力回路は洗練されておりますゆえ。空気中の魔力を取り込む際も、何らの抵抗も受けることなく、ただ息を吸うのと同じように自然かつ最速で術式へと変換できます。無駄な抵抗による『過剰加熱』など、基礎すら出来ていない平民の起こす不始末に過ぎません」

 

 ルグランの鼻を鳴らすような言葉に、レイモンド先生は咎めるでもなく深く頷いた。

 

「まさにその通りだ。血統によって最適化された魔力回路は、魔力を無駄なく体内に通過させ、既存の現象をより強固に、より速く再現する。これが貴族が貴族たる所以であり、魔力操作における優位性なのだ」

 

 教室内に静かな優越感と屈辱感が二分されて広がっていく。

 俺はルグランの立つ背中を静かに観察していた。

 彼が誇っている『生まれつきの回路の滑らかさ』。確かに取り込みの抵抗が少なく、過剰摂取による体温上昇や感覚麻痺などの軽症を起こしにくい身体構造をしている。平民が必死に訓練の『超回復』を繰り返して回路を広げようとしている横で、彼は鼻歌交じりに幅広い道を走っているようなものだ。

 アルフが隣で悔しそうに拳を強く握りしめているのが視界の端に見えた。

 

「では、ルグラン。先ほど君の魔力適正はA-と言っていたな。魔力適正は何を軸にして評価されているか、改めてその三つの軸について説明できるか?」

 

 レイモンド先生の問いかけに、ルグランはわずかに表情を引き締め、しかしすぐに余裕を取り戻してスラスラと答えた。

 

「――はい。評価基準となるのは『許容量』『変換効率』『制御安定性』の三つです。我が家の血筋はそのすべてにおいて優れておりますが、とりわけ魔力をロスなく現象に置き換える変換効率において、他の追随を許さぬ適性を有しております」

「見事だ。着席しなさい」

 

 レイモンド先生が満足げにうなずくと、ルグランは勝ち誇ったような笑みを浮

かべたままで席に戻った。貴族の生徒たちから小さく賞賛の拍手が送られる。

 彼が口にしたA-はその三つの軸の評価に基づいたものだ。

 大気中の魔力をどれだけ体内に導けるかという『許容量』。

 取り込んだ魔力をどれだけロスなく現象の構築に回せるかという『変換効率』。

 そして、その現象を暴走させずに維持・操作し続けられるかという『制御安定性』。

 ルグランが誇っていたのは、その中の「変換効率」に特化した血統的特性にすぎない。回路が最初から広く滑らかであれば、大気中の魔力をスムーズに術式へ変換できるのは当然の理だ。

 多くの者はそこで思考を止める。生まれつきの回路が太く滑らかであれば、高度な魔法が扱える。それは間違いではないが、本質からは遠い。

 大気を媒体とする以上、肝心なのは「どれだけ効率よく空気を吸うか」ではなく、「吸い込んだ空気でどれほど正確に、無駄なく現象を精密に固定するか」なのだから。

 

「では、理論の復習はここまでとする。これより、簡易的な魔力導入の測定を行う。一人ずつ壇上の評価結晶に魔力を通し、許容量、変換率、制御安定性の現数値を出してもらう」

 

 レイモンド先生の言葉により、教室内に緊張が走った。

 壇上に据え付けられた透明な水晶体が、鈍い光を放ち始める。生徒たちが順に壇上へ上がり、結晶に手をかざして己の魔力を流し込んでいく。

 

「ルグラン=アウグスト。許容量、78。変換率、84。制御安定性、72。総合評価、A-」

 

 ルグランが自信満々に結晶を輝かせ、教室から歓声が上がる。

 続いて数人の貴族や平民が続き、結果が出るたびに一喜一憂の声が響く。平民の生徒たちは『C+』や『B-』といった数値に甘んじ、悔しそうに歯を噛み締めていた。

 

「次、アルフ」

 

 隣のアルフが立ち上がり、緊張した面持ちで壇上へ向かった。彼は集中するように深く息を吐き、結晶に手をかざす。

 結晶が力強い青い光を宿した。

 

「アルフ。許容量、68。変換率、72、制御安定性、75。総合評価、B+。平民としては極めて優秀だ。日頃の鍛錬が窺える」

「――ありがとうございます」

 

 アルフはほっと胸を撫で下ろし、誇らしげに席へと戻ってきた。

 

「どうだ、ノクス。これでも結構血反吐吐くほど訓練したんだぜ」

「ああ、見事なもんだ。無駄な力みがなくて良い回路の使い方だった」

「お前に褒められると、なんだか妙な気分だな……よし、次はお前の番だぞ」

 

 レイモンド先生の声が階段教室に響く。

 

「次――ノクス」

「はい」

 

 俺は静かに立ち上がり、木製の階段を降りて教壇へと向かった。

 教室中の視線が俺に集まる。編入生という物珍しさも手伝ってか、貴族たちの冷ややかな目と、平民たちの探るような視線が背中に突き刺さる。

 講義棟の大教室は、段々畑のように座席が配置された半円形構造をしている。最前列を陣取るのは、高級な布地で仕立てられた制服を纏う上位貴族の生徒たち。対して、後方の薄暗い席に身を縮めているのは、奨学金や推薦で滑り込んだ平民の生徒たちだ。この大教室の座席配置そのものが、この学園における身分格差の縮図と言えた。

 

「――ふん。あいつ、確か試験の時も大した数値を出していなかったはずだが」

 

 前方から聞こえてきたのは、先ほど高得点を叩き出したルグランのひそひそ声だった。その隣に座る取り巻きの男子生徒が、品のない冷笑を浮かべて相槌を打つ。

 

「平民の編入生なんて、所詮はその程度の枠だろ。実技の模擬戦で恥をかかないように、今のうちに祈っておくんだな」

 

 周囲の貴族たちからも、クスクスと嘲笑が漏れ伝わってくる。

 アルフが「おい……」と気遣わしげに身じろぎしたが、俺は振り返ることなく、淡々と教壇の前まで歩みを進めた。

 視線の先にあるのは、鈍い光を湛えた無機質な評価結晶だ。透明なその球体は、触れた者の魔力を吸い上げ、大気中の魔力流動を数値化して映し出すために置かれている。

 

「ノクス、だったな」

 

 壇上に立つレイモンド先生が、やや事務的な、どこか期待値の低い目を向けながら顎をしゃくった。

 

「規定の通り、結晶に片手をかざし、自身の内を通過する魔力をそのまま通しなさい。無理に引き出す必要はない。君の本来の数値を見るだけだ」

「はい」

 

 俺は小さく返事をすると、一歩踏み出し、冷やりとした評価結晶にそっと右手を触れた。

 瞬間――微かに結晶の内部が震える。

 大気中に遍在する魔力が、俺という人体(回路)のフィルターを通って結晶へと流れ込んでいく。

 一般的に、この測定では『どれだけ多くの魔力をスムーズに引き込めるか』が計測される。ルグランのように生まれつき回路が広く滑らかな者は、抵抗なく大量の魔力を通過させられるため、許容量や変換率の数値が跳ね上がる。そして制御安定性はその魔力をどれだけ安定して保持できるかという数値だ。

 結晶の表面に、鈍い橙色の光が灯った。

 

「ノクス。許容量、60。変換率、67、制御安定性、70。総合評価、C+」

 

 レイモンド先生が淡々と数値を読み上げ、羊皮紙に書き留める。

 貴族たちの席から、予想通りといったような嘲笑混じりの安堵が漏れた。

 

「……C+か。まあ、平民の編入生ならそんなものだろう」

「見ろよ、あの変換効率の低さ。回路が引っかかっている証拠だ」

「ふん、やはりその程度のものか」

 

 ルグランが鼻で笑い、周囲の貴族たちもそれに同調するように薄笑いを浮かべる。平民の生徒たちの中には、自分と同じような評価にどこか安堵したような、あるいは同情のような複雑な視線を寄せる者もいた。

 

「よし、測定は終了だ。席に戻りなさい」

「失礼します」

 

 レイモンド先生の指示を受け、俺は短く告げて教壇から身を翻した。

 席に戻ると、アルフが気まずそうに俺の肩を叩いた。

 

「まあ……気にするなよ、ノクス。C+なら平均より少し上だ。実践で巻き返せばいい」

「気にしてないさ。訓練次第ではどうにでもなるからな」

 

 俺がそう言って席に座り直すと、アルフは「それもそうだな」と苦笑して前を向き直した。

 魔力適正を測る際、許容量、変換効率、制御安定性の三つの数値を平均して算出されるのが総合評価。

 総合評価はその算出された数値を基に段階的に評価される。最高位の『S+』から始まり、最下位の『E-』まで。

 

・95以上:S+

・90〜94:S-

・85〜89:A+

・80〜84:A-

・75〜79:B+

・70〜74:B-

・65〜69:C+

・60〜64:C-

・55〜59:D+

・50〜54:D-

・45〜49:E+

・44以下:E-

 

 血統を誇る貴族たちが望むのは他者を見下すための絶対的な数値であり、必死に生き残ろうとする平民たちが望むのは現状を打破するための少しでも高い数値だ。

 レイモンド先生が黒板に大きくチョークを走らせ、次の指示を告げた。

 

「基礎測定はここまでだ。各自、制服のまま中庭の第一演習場へ移動しなさい。これより、各人の数値を実戦でどう落とし込むか、実技の模擬戦を行う」

 

 その一言で、教室の空気が一段と張り詰めた。

 貴族たちは「いよいよか」と冷徹な笑みを浮かべ、平民の生徒たちは緊張の色を隠せないまま立ち上がり始める。演習場という現実の舞台で、数値通りの序列がそのまま暴力として突きつけられるのだ。

 

「行くぞ、ノクス」

「ああ」

 

 アルフに促され、俺は重い腰を上げた。

 階段教室を抜けて中庭へと続く廊下を歩きながら、先ほど評価結晶に触れた右手の感覚を確かめる。

 ――許容量、60。変換率、67、制御安定性、70。総合評価、C+。

 確かに、学園の基準に照らし合わせれば凡庸な数字だ。ルグランのような圧倒的な血統的特権を持つ者から見れば、笑い話にもならないちっぽけな結果なのだろう。 

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