「――これより、実技模擬戦を開始する!」
第一演習場に、レイモンド先生の怒号のような声が響き渡った。
石造りの壁で四方を囲まれた広大な演習場。その床面には、強力な衝撃吸収と致死干渉を遮断するための巨大な防護陣(術式)が刻まれており、うっすらと青白い光を帯びて拍動している。
中央に並べられた木製の兵装ラックから、生徒たちが訓練用の模擬剣を手に取っていく。
「ルールは単純だ。一対一の模擬決闘。降伏を宣言するか、防護陣が致死ダメージと判断して強制遮断(判定敗北)を出した時点で決着とする。……ただし」
レイモンド先生は鋭い眼光で、最前列に並ぶ貴族の生徒たちを見回した。
「相手を無駄に痛めつける行為、あるいは感情に任せて過剰に魔力を散らす行為は『責任の欠如』とみなし、評価を大幅に減点する。戦場において無駄な殺傷は自らの回路を削る愚行と知れ」
彼の釘を刺すような言葉にも、ルグランをはじめとする上位貴族たちは鼻で笑うばかりだった。彼らにとって平民など、己の血統の優位性を示すための引き立て役に過ぎないのだから。
「第一組、壇上へ!」
模擬戦が始まった。
繰り広げられるのは、絵に描いたような「格差」の構図だ。
「ハハッ! どうした平民、その程度の魔力膜で防げると思っているのか!」
「くっ……あぁぁっ!?」
轟音と共に、平民の生徒が弾き飛ばされ、壁に激突する。
貴族の生徒は、生まれた時から最適化された回路に任せ、溢れんばかりの魔力で構築した火球や衝撃波を叩き込んでいた。
圧倒的な魔力の暴力の前に、平民の生徒たちが次々とマットへ沈んでいく。
防護陣があるおかげで致命傷には至らないものの、容赦なく浴びせられる魔力の余波は、受ける者に筆舌に尽くしがたい屈辱と肉体的な苦痛を与えていた。観覧席や控えの間から聞こえる貴族たちの嘲笑と歓声が、冷たい空気の中でいやおうなしに響き渡る。
「……やっぱり、こうなるわよね」
控えの列で、エレーナは忌々しそうに唇を噛み締めた。
彼女自身も優れた魔法適性を持つが、ルグランたちに代表される大貴族閥の排他的な空気と、平民を虫けらのように見下す態度には強い嫌悪感を抱いていた。
俺は壁に背を預けながらその光景を観察していた。
確かに貴族たちの放つ魔法は威力的で速い。だが、大気から取り込んだ魔力の三割近くを威圧や余計な演出として周囲に霧散させている。滑らかな回路を持っていたとしても、技術自体は雑極まりない。
それでも、回路の太さに圧倒的な差がある平民たちにとっては、その力押しすら防ぎきれない絶望的な壁となって立ちふさがっていた。
「……ひでぇな」
隣で低く呟いたのは、アルフだった。
彼は訓練用の片手剣の柄を握りしめ、次々と運ばれていく平民の生徒たちを見つめている。その目は恐れではなく、悔しさと怒りに揺れていた。
「数字が出た時点で勝負はついている、と言わんばかりだ。血筋がねぇってだけで、俺たちの努力まで全部否定されてる気がする」
「魔力適正は現時点での評価にすぎない。勝ち負けを決めるのは、それをどう使うか本人による」
「……お前は本当に冷静だな、ノクス。度胸があるっていうか、達観してるっていうか」
アルフは苦笑し、ポンと俺の肩を叩いた。
「第三組――アルフ=ベック、ジュリアン=マルティン!」
名前を呼ばれたアルフの身体が、微かに跳ねた。
「……行ってくる。見てろよ、平民だってやれるってところを見せてやる」
「ああ、応援してる」
俺が短く応じると、アルフは深く息を吸い込み、気負いを押し殺すようにぎゅっと拳を握りしめて演習場の中心へと歩み出した。
対戦相手のジュリアンは、ルグランの取り巻きの一人だった男だ。巻き毛の髪を弄りながら、アルフをまるで汚物でも見るかのような冷ややかな視線で見下ろしている。
「構え!」
レイモンド先生の声と同時に、ジュリアンの全身から魔力が吹き荒れた。大気が振動し、彼を中心に不可視の圧力が広がる。
「――始めっ!」
レイモンド先生の号令が響いた瞬間、ジュリアンが動いた。
「平民の分際でB+などと生意気な数値を出しおって……己の身程を知れ!」
ジュリアンが腕を振るう。
大気中の魔力が即座に収束し、第一段位風魔法『風の刃』、鋭利な真空の刃が、唸りを上げてアルフへと殺到する。貴族特有の、目にも留まらぬ構築速度。
「――くっ!」
だが、アルフもただ叩きのめされるために前に出たわけではなかった。
アルフは過剰な構築を捨て、最小限の魔力を脚部と木剣だけに集中させた。最小限の動作で風の刃を紙一重で回避し、残る一本を木剣の斜面で受け流す。
鋭い衝撃音が演習場に響く。
「なっ……受け流しただと!?」
ジュリアンが目を見開く。
「馬鹿な……平民の分際で、俺の魔法を……!」
驚愕に歪むジュリアンの顔を無視し、アルフの踏み込みが一段と鋭さを増す。
貴族たちが好む見栄えの派手な魔法とは違う、泥臭く研ぎ澄まれた実戦的な剣技。魔力回路の質では劣っていようとも、日々の鍛錬で叩き上げた体捌きは、基礎を疎かにした甘いエリートのそれよりも確実に重かった。
「おらあっ!」
アルフの木剣が、ジュリアンの防御魔法の薄い脇腹を捉える。
乾いた衝撃音と共に、ジュリアンの身体がくの字に折れ曲がり、たまらず数歩後退した。
「なっ……ガハッ!?」
ジュリアンが苦悶の声を漏らし、床へ膝をつきかける。演習場の平民生徒たちから、一瞬息を飲むような、小さな歓声の予兆が漏れ出た。
だが俺の目は、ジュリアンの瞳に浮かんだ激越な感情を見逃さなかった。
屈辱。選民意識を傷つけられたことによる、見苦しい逆上。
「貴様ぁ……平民の分際で、この俺に……手を出したなあああっ!?」
ジュリアンの怒号と共に、彼の周囲の空気が嫌な熱を帯びて歪んだ。
ありふれる魔力の拡散。彼は取り込んだ魔力を制御する冷静さを完全に失い、ただ目の前の敵を圧殺するためだけに、回路の限界を超えた魔力を強引に引き込み始めている。
レイモンド先生が「そこまでだ、ジュリアン!」と制止の声を上げようとした、まさにその時だった。
「消えろぉっ!」
ジュリアンが放ったのは、基礎的な風の刃などではない。
第三段位の火魔法『炎蛇の奔流』。
本来なら一回の試行に十分な構築時間を要する高威力魔法を、感情任せの力押しで強引に完成させた。蛇の形状を模した獰猛な炎の渦が、猛烈な熱風を撒き散らしながら、至近距離からアルフへ向かって襲いかかる。
「っ……しまっ――!?」
踏み込んだ直後だったアルフには、回避する余地すらなかった。
彼は咄嗟に木剣を交差させ、全身の魔力をかき集めて即席の防御膜を張る。しかし急造の防御膜では、力任せに膨らませた炎の熱量と物理的な衝撃を相殺しきれない。このまま直撃すれば、防護陣が発動して強制遮断されるまでのコンマ数秒の間、アルフの皮膚と気道は激しい焼き焦げの痛みに晒されることになる。
俺はポケットの中で右指を僅かに弾き、外へと干渉する力をコンマ数ミリ、指先だけに局所展開した。
狙うはアルフの防護膜でも、ジュリアンの炎の正面でもない。炎蛇の頭部、その左顎に位置する『魔力構成の最弱点』。
目に見えない微小な力場が、大気を通じてピンポイントで炎の顎を突いた。
巨体を持つ炎蛇は、あたかも不可視の障害物に衝突したかのように、アルフの目前で急激にその軌道を右斜め上へと乱した。
「――がっ!?」
直撃を免れたアルフの横を、熱風の奔流が通り過ぎていく。
炎蛇はアルフの肩口をかすめただけで明後日の方向へと突き抜け、演習場の壁面に刻まれた防護陣へ衝突。激しい爆音と共に青い光の防護膜に爆散し吸収された。
「なっ……なぜ逸れた……!?」
ジュリアンが信じられないといった様子で自らの両手を振り返る。制御を無視した荒業だったとはいえ、至近距離からの『炎蛇の奔流』を直撃させ損ねた動揺は大きかった。
「そこまで!」
すかさずレイモンド先生が舞台へと飛び込み、二人の間に割って入る。その鋭い眼光は、完全に冷静さを失っていたジュリアンを捉えていた。
「ジュリアン=マルティン、感情に任せた過剰な魔力散発および、防護陣の規定値を超える中級魔法の強引な行使。ルール違反および『責任の欠如』とみなす。勝負あり、勝者――アルフ=ベック!」
レイモンド先生の宣言が演習場に響き渡る。
一瞬の静寂の後、平民の生徒たちの間からどよめきと、抑えきれない歓声が沸き起こった。血筋の優位性を絶対とするこの学園において、平民が格上の貴族を実力で打ち破ったのだ。それは彼らにとって、小さくない希望の光だった。
「はぁ、はぁっ……勝った……のか?」
アルフは肩で息をしながら、自身の無事な身体を見下ろした。直撃したはずの炎が直前で逸れた理由を彼自身は分かっていないが、それでも目の前の勝利が消えるわけではない。彼は荒い息を整えながら、ふっと力強い笑みを浮かべた。
「やったな、アルフ」
控えに戻ってきたアルフに、俺は声をかけた。
アルフは汗を拭いながら、どこか誇らしげに胸を張る。
「ああ! ……だが、最後のは冷や汗もんだったぜ。あんな至近距離で炎が逸れなけりゃ、今頃俺の眉毛は全部消え飛んでたとこだ」
「いや、眉毛が消えるどころではなく、皮膚がただれていたところだぞ」
俺が呆れたように付け足すと、アルフは「はは、だな!」と苦笑交じりに肩をすくめた。
だが、その眼差しには先ほどまでの焦燥は消え、確かな手応えと自信が宿っていた。平民であっても、研ぎ澄まされた技術と判断力があれば貴族の力押しを打破できる、その証明を彼は身をもって果たしてみせたのだ。
一方で、観覧席や貴族側の控えの間には、冷ややかな沈黙が流れていた。
特にルグランの表情は険しく、忌々しげに石造りの手すりを強く握りしめている。平民が自分たちの優位性を脅かしたこと、そして取り巻きのジュリアンが無様な負け方をさらしたことが、彼のプライドを深く逆撫でたのだろう。冷徹な殺気を孕んだ青い瞳が、こちらを一瞥するのが遠目にも分かった。