まのさば Restart 作:雪うさぎ
牢屋敷の大きな扉を抜けると、朝の冷たい空気が頬を撫でた。
「……わ」
昨日も見た景色。
けれど。改めて外へ出てみると、やっぱり牢屋敷の中とはまるで別世界みたいだった。
澄み切った青空。遥か遠くまで広がる森。その合間を彩るように、色とりどりの花々が咲き誇っている。
「エマさん。こっちです」
「うん」
メルルちゃんは僕の手を握ったまま、嬉しそうに笑っていた。
「今日は、あっちの花畑に行こうと思ってるんです」
「昨日見えたところ?」
「はい。あの辺りなら探しているものも沢山生えていると思うので」
「そっか」
「……それに」
「ん?」
「…………」
何故かメルルちゃんは少しだけ頬を赤らめ、僕から視線を逸らしてしまって。
「メルルちゃん?」
「な、何でもないです」
「?」
繋がれた手が、ほんの少し強く握られる。
「……行きましょう。エマさん」
「うん」
そして。そのまま僕はメルルちゃんに手を引かれながら、花畑へと続く道を歩き始めたのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「……着きました」
「わぁ……」
森を抜けた先には、昨日遠くから眺めていた花畑が一面に広がっていた。
淡い黄色。白。青。赤。
色とりどりの花が朝の風に揺れ、その度に甘い香りがふわりと漂ってくる。
「近くで見ると、もっと綺麗だね」
「……はい」
そう答えるメルルちゃんの声は、どこか弾んでいた。
「今日は天気も良くて、良かったです」
「そうだね。これならハーブも探しやすそう」
「…………」
「メルルちゃん?」
「……はい」
返事はするものの。メルルちゃんは僕の手を握ったまま、なかなか動こうとはしなかった。
「ハーブ。探さないの?」
「え、えっと……」
メルルちゃんが繋いだ手へ視線を落とす。
「そ、その……せっかく2人きりなので」
「……あ」
その言葉に込められた好意に気づいて、思わず苦笑してしまう。
「そっか」
「……すみません」
「謝らなくていいよ」
むしろ。そんな風に思ってくれていることが、とても嬉しかったものの。
「でも。まずはハーブを集めよう」
このままこうしている訳にもいかなくて。少し名残惜しく感じながらも、絡めていた指をゆっくりと解いた。
「……あ」
「それが終わったら。ゆっくりしようね」
「……!」
一瞬だけ寂しそうにしていたメルルちゃんだったけれど。そう告げると、その表情がぱっと明るくなり。
「……はい!」
そのまま花畑の奥へと駆け出して。
「エマさん。こっちです!」
「わ、分かったから! そんなに急がなくても!」
僕は慌ててその後を追う。少し先で待っていたメルルちゃんに追いつくと、そのまま二人で花々の間を縫うように奥へと進んでいく。
「この辺りが良さそうです」
色とりどりの花を避けながら進んでいくと、メルルちゃんは陽の良く当たる場所で足を止めて。
「それで、どれを採ればいいの?」
「えっと……今日はこれを集めようと思ってるんです」
そう言いながらしゃがみ込むと、メルルちゃんは細長い葉を持つ小さな草へ手を伸ばして。葉を一枚摘み取って差し出してくる。
「……わ」
受け取った葉を顔へ近づけてみると。
爽やかで。それでいて柔らかな香りが鼻を抜けた。
「良い匂い」
「ですよね? 強すぎなくて、落ち着く香りなんです」
「うん」
もう一度。その香りを嗅いでみる。
「……なんだか」
「はい?」
「メルルちゃんみたいな感じだね」
「…………」
そう告げると。メルルちゃんの動きが、ぴたりと止まった。
「わ、私みたい……ですか?」
「うん。何というか……すっごく安心する香りだから」
「……っ!」
「メルルちゃんと一緒にいる時も……いっつもこういう気持ちだなって」
「…………」
そう続けると、メルルちゃんの頬はみるみるうちに真っ赤に染まって。
「エ、エマさんは……ズルいです!」
「ええ!?」
「そういうことを、急に言うからです!」
「褒めただけなのに!?」
「それがズルいんです!」
「うぅ……も、もういいです! 早く探してしまいましょう!」
顔を真っ赤にして抗議しているのに、その口元は嬉しそうに緩んでしまっていて。
メルルちゃんは誤魔化すようにぷいっと顔を逸らすと、急に手際よくハーブを摘み始めた。
「ぼ、僕も手伝うよ」
「……お願いします」
その姿を見ながら、僕も見様見真似で採取を始めて。
それから程なくして、僕たちは必要な分のハーブを集め終えたのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ふぅ……」
採取を終えた僕たちは、花畑の端に生えていた大きな木の下で休んでいた。
頭上には枝葉が大きく広がり、朝の陽射しを柔らかく遮ってくれている。風が吹くたびに葉がさわさわと揺れていて。木々の隙間から零れた光が、足元でゆらゆらと揺れていた。
「結構集まったね」
「はい。これだけあれば十分だと思います」
メルルちゃんの隣には、さっき摘んだハーブが綺麗にまとめて置かれている。
「このハーブは、このままヒロちゃんに渡すの?」
「いえ。まずは一度乾かそうと思っています」
「乾かすんだ」
「はい。小さな袋に入れて、匂い袋を作ろうかなって」
「なるほどね」
乾かしたハーブを袋に詰めて、香りを持ち歩けるようにするらしい。
「ヒロちゃん。ちゃんと使ってくれるかな」
「そう言われてみると……少し心配ですね」
「だよね」
思わず二人で苦笑してしまう。
ヒロちゃんのことだから。
『そんなものは必要ない』
なんて言って最初は受け取ってくれないかもしれない。
「でも。何とか渡してみよう」
「はい」
すんなり受け取ってくれるかは分からない。それでも少しでもヒロの気持ちを落ち着かせられるのなら、試してみる価値はあると思う。
そう考えながら小さく笑うと、メルルちゃんもまた柔らかな笑顔で頷いた。
「…………」
「…………」
それからは特に何かするわけでもなく。僕たちは2人並んで花畑を眺めていた。
朝の風が気持ちよく、まるで花の香りに包まれているような感じがして。さっきまで一生懸命ハーブを探していたせいか、こうして座っているだけで眠くなってしまいそうだった。
「……あの」
「ん?」
そんな心地よさに、いつの間にか少し微睡みかけていた時だった。
不意に隣から、遠慮がちな声が聞こえてきて。そちらに顔を向けると。
「…………」
メルルちゃんが自分の膝の上で、両手の指をもじもじと絡ませていた。
「どうしたの?」
「そ、その……」
何度か何かを言いかけては、恥ずかしそうに視線を彷徨わせる。
やがて。意を決したように僕の方を見て。
「また……手を握ってもいいですか?」
おずおずと、そんなことを尋ねてきた。
「……あ」
そういえば。ハーブを集める前に、終わったらゆっくりしようと約束していた。
きっとメルルちゃんは、そのことを覚えていたのだろう。
「もちろん」
僕は笑いながら、メルルちゃんの方へ手を差し出した。
「はい」
「……!」
メルルちゃんの顔が、ぱっと明るくなる。
そして。差し出した僕の手を両手で包み込むと、ぎゅっと大切そうに握ってきた。
「…………」
そのままメルルちゃんの顔を見ると。
「……えへへ」
そこには隠しきれないくらい幸せそうな笑顔が浮かんでいた。
僕と手を繋いでいる。ただそれだけのことなのに。
メルルちゃんは大切な宝物でも手に入れたみたいに、どうしようもなく嬉しそうな表情を浮かべていて。
「…………」
そんな顔を見ているうちに。ずっと心の片隅に引っかかっていた小さな疑問が、ふと頭をもたげた。
「…………」
「エマさん?」
「あ、あの……メルルちゃん」
「はい?」
言うべきか迷う。
せっかくこんなに嬉しそうにしてくれているのに。こんなことを聞けば、少し嫌な気持ちにさせてしまうかもしれない。
それでも。
今のメルルちゃんを見ていると、どうしても聞かずにはいられなかった。
「メルルちゃんは……どうして」
「……?」
「そこまで僕のことを大切にしてくれるのかな?」
「…………」
口にした途端。それまで幸せそうに緩んでいたメルルちゃんの表情が、僅かに固まった。
「僕も……メルルちゃんのことは大好きだよ」
「……!」
「一緒にいると安心するし。こうやって手を繋いでいられるのも、すっごく嬉しい」
そして何よりも。
「初めて会った時から、ずっと優しくしてくれたし……命まで助けてくれて。すっごく感謝してる」
「……でも」
僕とメルルちゃんが出会ってから、まだ一週間も経っていないし。一緒に過ごした時間だって、それほど長いわけじゃない。
それなのに僕は怪我を治してもらったり。心配をかけたり。振り返ってみれば、メルルちゃんに助けてもらってばかりで。
「でも僕は……メルルちゃんに何も返せてないと思うんだ。むしろ助けてもらってばっかりで」
「だから……もし僕のことを気遣って無理してくれてるなら――」
そう口にした瞬間。僕の手を包んでいたメルルちゃんの指に、ぎゅっと力が込められて。
「メルルちゃん?」
「…………」
顔を上げると。いつの間にかメルルちゃんは俯いていた。
その様子が気になって。少し身体を傾け、そっと顔を覗き込む。
「……え」
思わず声が漏れた。メルルちゃんの表情が、さっきまでとはまるで違っていた。
少しだけ目を見開いて。唇をきゅっと結んで。その瞳には今にも零れそうな涙まで浮かんでいる。
「メ、メルルちゃん……?」
「……無理なんてしてません」
「え?」
「そんな風に言わないでください……」
今にも泣き出してしまいそうな声だった。
「私がエマさんを大切にしたいって思うのは……私がそうしたいからなんです」
「優しくしなきゃとか。助けなきゃとか……そんなことを思ってるわけじゃなくて」
そこで一度言葉を切ると、メルルちゃんは僕の手を包んだまま、ぎゅっと胸元へと引き寄せて。
「……私にとって必要だから。エマさんを助けているんです」
「……ぇ」
「そ、その……私は誰かに離れていかれるのが……とっても怖いんです」
「1人になるのが怖くて仕方なくて……だからエマさんと一緒にいたいと思ったんです」
ぽつりぽつりと。
胸の奥に隠していたものを一つずつ取り出すみたいに、メルルちゃんは言葉を続けていく。
「エマさんは凄く優しくて。あんなに酷いことされたり、とっても痛い目にあっても……ヒロさんから決して離れようとしませんでした」
「…………」
あの時のことを思い出しているのだろうか。メルルちゃんの指先に、また少しだけ力が籠もった。
「だから……思ったんです」
「臆病で心配性で。不安になると泣いてばかりな私だけど……エマさんなら。こんな私でも受け入れて、ずっと一緒にいてくれるんじゃないかって」
最後の方は、ほとんど縋るような声になっていた。
「…………」
僕は何も言えないまま、その様子を見つめていた。
メルルちゃんが、どうして僕をこんなにも大切にしてくれるのか。ずっと疑問だった。
でも。ようやく少しだけ、その理由が分かったような気がした。
「……そっか」
何と答えればいいのか、すぐには分からなかった。
ただ。メルルちゃんが今口にした気持ちは、不思議なくらい僕にもよく分かるような気がして。
「……僕も誰かに離れられるのが……すっごく怖いんだ」
「……え?」
そう言うと。メルルちゃんが、ゆっくりと顔を上げる。
「みんなに嫌われるのが怖いから……明るく振る舞ったり。誰かには、なるべく優しくするようにしてて」
「…………」
「だから……きっとメルルちゃんが思ってくれてるほど、僕は優しくなんてないと思う」
人に優しくしたい。誰かを助けたい。その気持ちが嘘なわけじゃない。
だけど。その奥にはきっと。誰かに嫌われたくない。誰かに置いていかれたくない。そんな自分勝手な気持ちだって混ざっている。
「……でも。それでもいいなら」
「……え?」
「ずっとメルルちゃんの側にいさせて欲しいな」
「…………」
そう告げると。メルルちゃんの瞳が大きく揺れて。
「……っ」
次の瞬間。
「わっ……!」
メルルちゃんの身体が、勢いよく僕の胸へ飛び込んできた。
「メ、メルルちゃん?」
「……はい。ずっと私の側にいてくださいね」
震えていた声が、今度は嬉しさを堪えるように弾んでいて。
僕の背中へ腕を回し。もう離さないと言わんばかりに、ぎゅっと抱きしめてくる。
「……もう」
その様子に思わず苦笑してしまうものの。離れてほしいとは、少しも思わなくて。
「…………」
僕もそっと腕を回し、その小さな身体を抱きしめる。
すると。さっきまで微かに震えていた身体から、少しずつ力が抜けていくのが分かって。
僕はメルルちゃんが自分から離れてくれるまで。何も言わず、その温もりを確かめるように静かに抱きしめ続けたのだった。