まのさば Restart 作:雪うさぎ
それからしばらくして。
採ったハーブを抱えた僕たちは来た時と同じ道を通り、牢屋敷へと戻ってきていた。
「もう着いちゃいましたね……」
「うん」
どこか名残惜しそうに呟くメルルちゃんの手を、そっと握り返す。
「でも。また一緒に来ようね」
「……はい。約束ですよ?」
「もちろん」
そんなことを話しながら森を抜けると、牢屋敷の大きな扉が見えてきて。
「……あれ?」
その前に見覚えのある2人の姿があった。
「シェリーちゃん? それにハンナちゃんも……」
1人は僕たちに背を向けたまま、しきりに森の方を眺めているシェリーちゃん。そして。その隣でハンナちゃんが何故か少し不満げに頬を膨らませている。
僕の声が聞こえたのか。
「……!」
シェリーちゃんが弾かれたように此方に振り返って。
「エマさん!」
「わっ……シェリーちゃん。どうして此処に――」
尋ね終えるよりも早く。
「お帰りなさい、エマさん!」
「わっ!?」
駆け寄ってきたシェリーちゃんに、正面から勢いよく抱きしめられた。
「ちょ、ちょっと、シェリーちゃん!?」
「ふふふ……待っていましたよ。私の助手!」
背中へ回された腕に力が籠もる。
それだけならまだしも、シェリーちゃんは僕の頬へ自分の頬を押しつけ始めて。そのまますりすりと頬ずりまで始めてしまう。
「…………」
ふと隣を見ると、メルルちゃんが何とも言えない表情でこちらを見つめていて。
「そ、それより……どうして僕たちが帰ってくるって分かったの?」
これ以上続けるのは何となくまずい気がして。どうにかシェリーちゃんの身体を引き離しながら尋ねると。
「ふふふ。簡単な推理ですよ。エマさん!」
シェリーちゃんは得意げに胸を張った。
「昨日、外に出かけるって約束してたので。そのうち玄関に戻ってくるかなって思ったんです!」
「本当に簡単な推理ですわね」
呆れたようなハンナちゃんの指摘に、シェリーちゃんは少しだけ頬を膨らませるも。
「まぁ。というのは半分冗談で。本当はハンナさんと外に出かけたかったんです!」
すぐに気を取り直したように笑顔を浮かべて、同意を求めるように振り返る。
「…………」
けれども何故かハンナちゃんは、つんとシェリーちゃんから顔を背けてしまっていて。
「まったく。ちらちらと森の方を眺めていると思ったら……」
「え?」
「わたくしとの付き合いは所詮、お遊びでしたのね!」
「えっ!?」
明らかに拗ねた口調で言われて、シェリーちゃんの顔からさっと余裕が消えるのが分かった。
「え、えっと。違います! そんなつもりじゃ……!」
「では、どういうおつもりでしたの?」
「そ、その……エマさんは私の助手で、とっても大切な人ですけど……」
「……大切な人?」
ハンナちゃんの眉が僅かに動く。
「ち、違います!いや……そんな違わないんですけど、そういう甘い感じではなくてですね!?」
「は、ハンナさんは……その……ありのままの自分で喋れるので。エマさんとは少し別枠というか……」
「その……いわゆる味変みたいな感じで。とっても大切な存在だと思ってます!」
「わたくしは料理扱いですの!?」
「え、えっと。あくまで物の例えのつもりで……!」
助けを求めるようにこちらを振り返られても、僕にもどう助ければいいのか分からない。隣ではメルルちゃんも困ったように微笑んでいて。
「シェリーちゃんは……もう喋らない方がいいんじゃないかな」
「エマさんまで!?」
思わず口を挟むと、シェリーちゃんはますます慌てた顔になってしまった。
ハンナちゃんは暫くそんなシェリーちゃんを眺めていたけれど。
「……仕方ありませんわね」
やがて小さく息を吐くと、腰へと手を当てて。
「シェリーさん」
「は、はい!」
「とにかく。わたくしといる時は、ちゃんと私を見ること!」
「良いですわね!?」
そう言うと。ハンナちゃんは背を伸ばしながら、念を押すようにシェリーちゃんの顔を覗き込んで。
「は、はい! もちろんです!」
そんな彼女にシェリーちゃんは背筋をピンと伸ばし、勢いよく何度も頷いていた。
「……まったく」
その様子を見て、ハンナちゃんは呆れたように息を吐いていたが。その口元は明らかに嬉しそうに緩んでいるのが分かって。
僕はそんな彼女に少し親近感を覚えながらも、メルルちゃんと一緒にそそくさと屋敷の中へと入っていったのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
それから。
ハーブを抱えたメルルちゃんと別れ、僕は一人で図書室へと向かっていた。
「…………」
歩きながら、手の中にある小さな袋へ視線を落とす。
淡い色の布で作られた、手のひらに収まるくらいの小さな袋。
中には、さっき僕たちが採ってきたものとは別に、メルルちゃんが予め用意していたらしい乾燥したハーブが詰められていて。鼻へ近づけてみると、花畑で嗅いだものとよく似た柔らかな香りが漂ってくる。
これはメルルちゃんが作ってくれたもので。
『ちゃんとしたものを作ろうと思うと……少し時間がかかっちゃうので』
屋敷へ戻った後。
メルルちゃんはそう申し訳なさそうになが告げながら、この小さな匂い袋を僕に渡してくれた。
どうやらこれは試作品らしい。
今日採ったハーブは一度乾燥させてから袋へ詰める必要があるため、完成するまでには少し時間がかかるとのことらしく。
「でも……これでも十分良い匂いだよね」
もう一度だけ香りを確かめてから、落とさないように大切にしまい込む。
「…………」
それと。メルルちゃんとは、もう一つ約束をしていた。
『えっ……昨日はレイアさんのお部屋で寝たんですか?』
『う、うん』
『だったら……その』
昨日、僕がヒロちゃんの部屋ではなく、レイアちゃんの部屋で過ごしたことを話すと。
『私の部屋……ベッドが一つ空いてるんです』
『そうなの?』
『はい。だから、その……もし良かったら。エマさんが使いませんか?』
『僕が?』
『その……ヒロさんのお部屋に戻れない間だけでも』
メルルちゃんは少しだけ考え込んだ後、遠慮がちにこんなことを言ってきて。
『うん。じゃあ、お言葉に甘えようかな』
ヒロの事情を踏まえるに、全く断る理由なんてなく。
すぐに申し出を受け入れたので、今夜はメルルちゃんの部屋で眠ることに決めていた。さっき花畑であんな話をしたばかりだからか。なんとなく照れくさかったものの。
(まぁ。夜のことは……夜になってから考えればいいよね)
それよりも優先すべき内容がある。そんなことを考えているうちに。
「……っと」
いつの間にか、僕は目的の場所まで辿り着いていた。
「これで2回目か……」
図書室の大きな扉の前で足を止める。
ここへ来た理由は一つ。
ヒロちゃんのことを、もっと調べるためだった。
「…………」
シェリーちゃんやメルルちゃんから聞いた話では、魔女化は精神的な負担によって進みやすくなるらしい。
だから今のところは、なるべくヒロちゃんのストレスを減らす方法を探している。けれども。それだけで十分であるとは到底考えられなかった。
そんな対策で防げるのなら、こうして僕たちが集められることになるとは考えにくい。
それでも。魔女化そのものを止める方法。症状の進行を遅らせる方法。あるいは一度進んでしまった症状を元に戻す方法。
そんなものが何かが1つでも見つかってくれれば。
「……よし」
小さく気合いを入れ直す。
もっとも。
この図書室に置かれている本は、そのほとんどが僕たちには読めない文字で書かれている。
以前来た時にも見たけれど。意味の分からない記号のような文字が延々と並んでいて、何かを読み取ることは出来なかった。
それでも。
中には挿絵や図が多く使われていて、何について書かれたのか分かるものもあるかもしれなくて。そういったものを片っ端から探していけば、何か手掛かりくらいは見つかるかもしれない。
「……やってみるしかないよね」
改めてそう自分に言い聞かせて。
再び図書室の扉へ手をかけると、無数の本棚が整然と並んだ空間が僕を出迎えた。
天井近くまで伸びた棚が幾つも並び、壁という壁が本で埋め尽くされていて。古い紙と木の匂いが、仄かに鼻の奥をくすぐった。
牢屋敷の中にいることを忘れてしまいそうなくらい、静かで落ち着いた空間。
「相変わらず……すごい量だなぁ」
その光景に思わず小さく呟いてしまう。これを一冊ずつ確認するとなると、かなり大変そうだ。
ひとまず何処から探そうかと辺りを見渡して。
「……あれ?」
そこで。僕は図書室の奥に、2つの人影があることに気がついた。
「マーゴさんに……ミリアちゃん?」
見間違いかと思って目を凝らす。けれども。やっぱりそこにいたのは、見覚えのある2人で。
2人は並んで机の前に座っていて、その間には一冊の本が大きく開かれている。
「…………」
「…………」
どうやら2人とも、その本へ食い入るように顔を近づけていて。僕が図書室へ入ってきたことにも、まるで気づいていないようだった。
「何見てるんだろう……?」
淡い期待を抱く。
この図書室にありそうな本で、あんなに夢中になれる内容があったとしたらーーもしかしたら『魔女化』についての情報や、この牢屋敷についての何かを見つけたのかもしれなくて。
少し気になり。
邪魔をしないよう注意しながら、僕は2人の方に近づいていったのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
少しずつ距離を詰めていく。すると。
「…………」
ふとマーゴさんが顔を上げた。
「……あ」
ばっちりと視線が合って。反射的に手を挙げて挨拶しようとしたけれど。
「……♪」
マーゴさんはお茶目に片目だけ瞑ると、自分の唇に人差し指をそっと当てていて。
(今は静かにってことなのかな……?)
どうやらミリアちゃんは相当集中しているらしい。僕は挙げかけた手をそっと下ろし、あまり足音を立てないように近づいていく。
ミリアちゃんの真後ろまで来たところで。
「…………」
僕は2人の手元を、そっと覗き込んだのだった。
「これは間違いなく……メルルちゃんの『魔法』でしょうね」
「……!」
不意にマーゴさんが、そう小さな声で呟いて。視線を本へ落とす。開かれたページの中央には、1枚の大きな挿絵が描かれていた。
「…………」
そこに描かれているのは、1人の少女だった。
頭から身体を覆うような、白を基調とした修道服。細かな形こそ違うものの、その意匠はメルルちゃんが普段身につけているものと良く似ていた。
そして少女の前には、傷を負って横たわる人の姿があった。少女はその傷へ両手を翳していて。掌から溢れた光のようなものが、深い傷口を包み込んでいる様子が描写されていた。
「……!」
思わず声が漏れそうになる。
物凄く見覚えがある。というより。僕自身が何度もその光に助けられていて。
「メルルちゃんの『治癒』」
僕の考えを肯定するように、ミリアちゃんが挿絵から目を離さないまま小さく呟いた。
淀みなく白くて細い指が動き、次々と本のページが捲られていく。
「ハンナちゃんの『浮遊』……これはシェリーちゃんの『怪力』かな」
「…………」
どうやら。この一冊には同じような挿絵が幾つも載っているらしく。
ページの端には宙へ浮かび上がる人影や。到底人間の力では持ち上げられそうもない大きな物を、軽々と持ち上げる少女の姿まで描かれていた。
「あ、あの……」
ミリアちゃんが不安そうにマーゴさんの方を見る。
「やっぱり……これって」
「……ええ」
マーゴさんは一度だけ目を伏せて。それから重々しく頷いた。
「間違いないでしょうね」
白い指先で、開かれたページをそっとなぞる。
「この本は……過去に存在した少女の『魔法』。それらの詳細について記されているものよ」
「…………」
(……メルルちゃん達の『魔法』か)
改めて、その言葉を頭の中で反芻する。
ここにいる少女たちが『魔法』という。普通なら到底信じられないような力を扱えるということ自体は、既に聞かされていた。
確か。レイアさんが医務室で僕に色々なことを説明してくれた時。その中の話の一つとして、そんな話が出ていたはずだ。
「…………」
それに。何より僕自身が、その力を何度も目の当たりにしていた。
初めてここへ来た時も、メルルちゃんは掌の傷を治してくれて。何より看守によって大怪我をした時も、こうして何事もなく歩けるようになるまで治してくれた。
(やっぱり……『魔法』って本当にあるんだよね)
今更疑う余地などない。ただ。
(……でも。僕には本当に『魔法』とかあるのかな)
少なくとも。自分が何か特別な力を使えたことは一度もなく。それに他のみんなも『魔法』を積極的に見せびらかしているわけでもないので。
存在そのものは知っていたはずなのに。普段生活している間は、あまり意識することもなくなっていた。
「…………」
目の前の本へ、改めて視線を落とす。
この本には僕たちが持っているものと同じ『魔法』が幾つも記されている。
それならーーもしかしたら『魔法』の種類だけでなく、他にも『魔法』という物が何なのかについてや。『魔女化』する原因についても書かれているかもしれなくて。
思わず穴が開きそうなくらいに注視していると。
「……この本は」
不意に。マーゴさんが静かに声を上げた。
「私たちの間で秘密にしておきましょう」
「え……?」
ミリアちゃんが戸惑ったように瞬きをする。
「ど、どうして……?」
「いい?ミリアちゃん」
マーゴさんは開かれた本へ視線を落としたまま、いつもより少しだけ真剣な口調で続けた。
「厳しいことを言うようだけど……私たちの『魔女化』の症状を踏まえるなら、この牢屋敷にいる全ての人は、潜在的に殺人を犯しかねない人たちよ」
「…………」
その言葉に。図書室の空気が、僅かに重くなったような気がした。
「誰しもが殺される側になり得るし……反対に殺す側にだってなり得る」
「……そんな中で」
マーゴさんの指先が、開かれた本の上をゆっくりと滑っていく。
「もし私達が持っている一番の命綱――『魔法』について詳しく知る者がいたとしたら」
「その娘は……おそらく優先的に殺人の標的にされかねないでしょうね」
「……っ」
反射的に。そんなことはないと言いかけた。けれども。
「…………」
その言葉は喉の奥で止まってしまって、僕は唇を噛みながら小さく俯いてしまった。
今。この牢屋敷の中で『魔女化』が最も進んでいるのは恐らくヒロちゃん以外に。
その現象の恐ろしさを誰よりも感じているのは、きっと他ならぬ僕だった。
「…………」
ヒロちゃんは確かに正義感が強い。
けれども。少なくとも短絡的に誰かを傷つけるような人ではなくて。何かあれば一度立ち止まって考えて。自分が正しいと思ったことに対しては、誰より真っ直ぐな人だった。
(……だから)
マーゴさんの言っていることが。全くの絵空事だと、僕には言い切ることができなかった。
「そ、それでも……」
重苦しい沈黙を破るように。ミリアちゃんが小さな声を上げる。
「殺人なんて……絶対に有り得ないと思うな」
「…………」
その言葉に。マーゴさんは一瞬だけ目を細めるも。
「あら」
すぐに。いつもの余裕のある笑みを浮かべる。
「きっと……そんなことはないと思うわよ?」
「え……?」
「私は今にも」
マーゴさんが、わざとらしく声を潜める。
「何らかの『魔法』で、この本の情報を知った人が襲ってきかねない……なんて事を考えてるもの」
「えっ」
「ほら……」
マーゴさんの視線が、ゆっくりとミリアちゃんの背後へ向けられる。
「もしかしたら……今にも貴方の背後に――」
「…………」
その言葉に数秒の間。ミリアちゃんは、その場でぴたりと固まった。けれども。
「はぁ……」
やがて深い溜息を吐くと、呆れたように肩を落として。
「マーゴちゃんは、そういうのが本当に好きだよね~」
「あら。何のことかしら?」
「もう……」
ミリアちゃんは困ったように眉を下げながら。
「そういう悪戯するなら、おじさんみたいな娘じゃなくて。もっとアンアンちゃんみたいな可愛い娘に――」
何の気なしに。くるりと後ろを振り返って。
「…………」
「…………」
ばっちりと。視線が合った。
「……あ」
思わず小さく声を漏らす。
「…………」
そうしている間にもミリアちゃんの目は。これでもかというほど大きく見開かれていき。
「ぎょえ~~~!!!」
「ええっ!?」
次の瞬間。図書室中に、凄まじい悲鳴が響き渡った。
「殺される!エマちゃんに殺される~~~!!!」
「え……え!?こ、殺さないけど!?」
僕が思わず詰め寄ると、ミリアちゃんは椅子を蹴るように立ち上がろうとして。
「ひゃっ!?」
盛大に足をもつれさせる。ガタンッと大きな音を立てながら椅子から転げ落ちたミリアちゃんは。
「ひぃぃぃぃ……!」
盛大に乱れた衣服を気にする余裕もなく、ほうほうの体で床を這うように逃げ出して。
「マーゴちゃぁぁぁん!」
「あらあら」
そのままマーゴさんへ勢いよく抱きついた。
「た、助けて!おじさん殺されちゃう!」
「だから殺さないよ!?」
「だって後ろにいるって!」
「それはマーゴさんが言ったんだよね!?」
「ふっ……」
「マーゴさん!?」
「ふふ……っ」
マーゴさんが堪えきれないといった様子で口元を手で押さえた。けれども。どうやら限界だったらしく。
「あははははははっ!」
「笑わないでよ!?」
「ご、ごめんなさい……でも……っ。あはははは!」
「い、嫌だ……殺さないで!エマちゃんのことは大好きだから!」
「ミリアちゃんも落ち着いて!?」
マーゴさんへ必死にしがみつくミリアちゃん。それを見て腹を抱えて笑うマーゴさん。
そして。何故か殺人犯扱いされながら、必死に弁明する僕。
「…………」
さっきまであれほど静かだった図書室は。一瞬にして。この上ない混沌の坩堝へと変わってしまって。
僕は思わず瞳をグルグルさせながらも、必死にミリアちゃんの前で釈明を続けたのだった。