まのさば Restart 作:雪うさぎ
それから数分後。
「……本当に殺さない?」
「殺さないよ!」
「怒ってもない……?」
「怒ってもないから!」
何度目かも分からない確認に答えると。
「……よかったぁ」
ようやく安心してくれたらしく。ミリアちゃんは大きく息を吐きながら、力なく椅子へと座り込んだ。
「びっくりした……心臓止まるかと思ったよぉ……」
「僕も本当にびっくりしたよ……」
というより。マーゴさんの話があったとはいえ、ただ後ろに立っていただけなのに。どうして、あんなにも酷い反応をされねばならないのだろう。
「ふふっ……」
「マーゴさんは笑わないでよ!」
「あら。ごめんなさい」
思わず半目でマーゴさんを睨むも、彼女の口元には未だに楽しそうな笑みが残っていて。
「…………」
絶対に反省してない。
そんなことを思いながらも僕は倒れた椅子を元に戻し、ミリアちゃんの衣服も直すのも手伝ってあげて。
改めて3人で机を囲んだのだった。
「それじゃあ……話を戻すと」
開かれたままの本へ視線を落とす。
「この本は、過去に存在した『魔法』についてまとめられたものなんだね?」
「そうね」
マーゴさんが頬杖をつきながら頷く。
「少なくとも。私はそう考えているわ」
「少なくとも?」
「ええ」
マーゴさんの細い指が、開かれた頁の端をなぞった。
「私が今のところ把握している『魔法』は、自分自身のものを除いて4つだけ」
「メルルちゃんの『治癒』。ハンナちゃんの『浮遊』。シェリーちゃんの『怪力』」
そこで一度言葉を止める。
「そして――アリサちゃんの『発火』」
「…………」
「その4つについては、この本に描かれている内容と一致しているように見えるわ」
「じゃあ……」
「だからといって、この本に書かれていることが全て正しいと断定するのは早計でしょうけど」
マーゴさんは僅かに肩を竦める。
「少なくとも今のところ、疑う材料がないのも確かね」
「なるほど……」
僕はもう一度、本へ目を落とした。
確かに。
今確認できている例が、たった4つだけなら。いくら全部一致したからといって、それだけで本の内容を真実だと決めつけるのは危険かもしれない。
「…………」
でも。逆に考えれば。
もう少し確認できる『魔法』が増えれば、この本の真実味はもっと増すはずで。
「マーゴさん」
「あら。何かしら?」
「マーゴさんの『魔法』って……どんなものなの?」
「…………」
そう聞いてみると。
ほんの一瞬だけ。マーゴさんの目が、こちらを探るように細くなった。
「僕……まだマーゴさんの『魔法』って知らないから。もし教えてもらえたら、この本に同じものが載ってるか探せるんじゃないかなって」
「なるほど」
僕の言葉を聞き終えると、マーゴさんは納得したように小さく頷いた。
けれども。すぐには答えることはなく。
「……教えてもいいけれど」
僅かな間を置いてから。
マーゴさんはすっと目を細め、今度は僕の表情を確かめるようにこちらへ身体を寄せてきた。
「その代わり。1つだけ私の御願いを聞いてくれないかしら?」
「……え?」
思わず身体が強張る。浮かんでいるのは、いつもと変わらない柔らかな笑み。
それなのに。何故だか今は、それが妙に妖しく見えて。
「お、お願い?」
「ええ」
マーゴさんは戸惑う僕の姿を見るように顔を覗き込みながら、楽しそうに微笑んだ。
「そんなに難しいことじゃないわ」
「…………」
少し手を伸ばせば触れられそうな距離まで。マーゴちゃんの整った顔が、僕の反応を確かめるようにゆっくりと近づいてくる。
ただそれだけのことなのに。
何故だか急に落ち着かなくなって、心臓が少しだけ速くなってしまう。
(……別に。これくらいなら平気だよね)
妙に意識していると思われる方が恥ずかしく。
「良いよ。僕に出来ることなら……なんでも」
「…………」
すぐに平静を装いながら、そう告げると。
マーゴさんの目は僅かに細まり、まるで待っていたとでもいうかのように口元の笑みが少しだけ深くなった。
「ふふっ」
「……?」
「良い子ね」
「な、なんか嫌な言い方だね……それより僕は何をすればいいのかな?」
「そうね……」
マーゴさんは僕の反応を楽しむように少しだけ間を置いて。
「エマちゃんには、私がいいって言うまで――目を瞑って。あとは身体も動かさないで貰おうかしら?」
「…………」
言われた意味を理解するまで、少し時間がかかった。
「目を瞑って……?」
「ええ」
「身体も動かさない?」
「そう」
「…………」
嫌な予感しかしない。
というより。この人にそんな条件を出されて、素直に従っていいのだろうか。
「マーゴさん」
「なぁに?」
「あんまり変なことはしないでね?」
「…………」
「絶対にだよ?」
念を押すように、じっと見つめると。
「ええ。勿論よ」
マーゴさんは、それはそれは嬉しそうな笑顔を浮かべていて。
「その笑顔が一番信用できないんだけど……」
「あら。酷いわね」
そう言いながらも。
マーゴさんは否定するどころか、僕が警戒している様子が面白いとでもいうように、ますます楽しそうに笑っていた。
「…………」
やっぱり。ものすごく不安だ。
でも。
マーゴさんの『魔法』なんて、普通に尋ねただけでは絶対に教えてもらえないような話のはずで。そんな話を、この程度のお願いを聞くだけで教えてもらえるというのなら。
少しくらい恥ずかしい目にあうのだとしても、逃すには惜しい機会に感じて。
「……分かったよ」
僕は観念して椅子へ座り直した。
「目を瞑ってればいいんだよね?」
「ええ。それと私がいいと言うまでは動かないこと」
「はいはい……」
仕方なく息を吐きながら、ゆっくりと瞼を閉じる。
「…………」
視界が暗闇に包まれる。当然だけれど、もう周りの光景は何も見えなくなって。
「これでいい?」
「ええ。そのままでいてね」
「分かったよ」
そう返事をすると。何やらマーゴさんは隣のミリアちゃんと話し始めたようだった。
「…………?」
続いて。
「――――」
「えっ……?」
「ぜ」
「う、うん……」
声を潜めているせいで、内容までは聞き取れない。
「…………」
何を話しているのか、とても気にはなるけれど。約束した以上、目を開けるわけにもいかなくて。
僕は仕方なく身体を固めたまま。何も見えない暗闇の中で、じっと何かが起きるのを待つことにしたのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
真っ黒な視界の中。
「…………」
どれくらい、そうして待っていただろう。不意に。頬へ柔らかな何かが触れた。
「……?」
指先だろうか。確かめるように、そっと頬の輪郭をなぞられて。続いて僅かに熱を帯びた吐息が、微かに頬を撫でていった。
「…………」
思っていたよりも近い。
そう気付いた途端。何だか落ち着かなくなって、また心臓が少しだけ速くなってしまう。
けれども。警戒していたような悪戯をされることはなく。頬に触れていた手は、ゆっくりと上へ移っていき。今度は僕の髪を優しく撫で始めた。
「…………」
とても暖かい手だった。指先が髪を梳くように、何度も頭を撫でていく。
驚かせるような乱暴さもなければ、こちらの反応を面白がっているような気配もない。まるで壊れやすいものに触れているかのような、とても優しい手つきで。
(……なんだろう)
なんだか普段のマーゴさんからは、あまり想像できない触れ方で。ほんの少しだけ驚いてしまうも。
「…………」
それでも。撫でられる感触は思いのほか心地良くて。僕は目を閉じたまま、その手のひらへ甘えるように、そっと頭を預けた。
「……っ!」
その瞬間。髪を撫でていた手が、驚いたようにぴたりと止まった。
「……?」
何かしてしまっただろうかと思うも。しばらくすると、その手は先ほどよりも少しだけぎこちなく、再び僕の頭を撫で始めて。
「…………」
やがて。すぐ近くで衣擦れの音が聞こえたかと思うと、マーゴさんの気配はさらに近づいてきて。
「……ん?」
膝の上に少し重い圧迫感が加わり、太腿の上を滑らかな感触が包み込む。触れ合った箇所からは、布越しにもじんわりと体温が伝わってきて。
ほとんど同時に。おずおずと確かめるように、背中へ細い腕が回された。
「…………」
そこでようやく。自分が正面から抱き締められようとしていることに気づいた。
次の瞬間。僕の身体は柔らかでありながらも、とても暖かいマーゴちゃんの身体に包み込まれて。
「…………」
柔らかな温もりと一緒に、言葉にできないほどの安心感が押し寄せてきた。
背中へ回された腕。髪を撫でてくれる手のひら。そして、すぐ近くから伝わってくる誰かの体温。その全てがあまりにも心地良くて。
マーゴさんの『魔法』について聞くという目的まで、思わず忘れてしまいそうになる。
「…………」
けれど。そうして身を委ねているうちに、抱き締め方が少しずつ変わっていくのが分かった。
抱き締めてくるマーゴさんの腕には、普段の彼女からは想像できないほど力が籠もっていた。いつものような余裕は少しも感じられない。
僕を逃がすまいとするかのように。縋りつくように身体を寄せてくる様子は、どこか必死さすら感じられて。
(……なんだか可愛いかも)
普段とのあまりの違いが、どうしようもなく可愛らしく思えてしまう。
だから。ほんの少しだけ悪戯をしてみたくなって。
「…………」
僕は目を閉じたまま。甘えるようにマーゴさんの胸元へ自分の身体をそっと押しつけた。
「――っ!」
途端。僕を抱き締めていた身体が、面白いくらい大きく強張って。
背中に回されていた腕にも、思わずといったように強い力が籠もる。
「…………」
普段の僕なら、きっとこんなことは絶対にしない。
もしもヒロちゃんが見ていたら、はしたないと怒られてしまいそうな揶揄い方。
けれども。
いつも僕を困らせてばかりいるマーゴさんが、こんなにも分かりやすく動揺していると思うと、なんだか少しだけ楽しくなってしまって。
もう一度。今度は先ほどよりも少しだけ大胆に、その胸元へ身体を預けてみると。
「……ぅ」
すぐ近くから、押し殺しきれなかったような小さな声が漏れた。
それと同時に。触れ合った身体から伝わってくる鼓動も、いつの間にか驚くほど速くなっていた。
トクントクンという音が、僕の耳にまで届いてしまいそうなくらい激しく脈打っていて。
(今の表情って……どんな感じなのかな?)
きっと。いつもの余裕そうな笑みなんて浮かべてはいない。もしかしたら顔を真っ赤にしているのかもしれないと思うと。
約束したはずなのに、どうしても瞼を開きたくなってしまう。
(少しくらいなら……)
薄目を開けるだけなら、気づかれないだろうか。
そんな考えが頭を過った、その次の瞬間。
「ふふっ……もう良いわよ」
「……え?」
マーゴさんの楽しそうな声が聞こえた。
けれども。
その声は何故か、僕を抱き締めている相手よりも少し離れた場所から聞こえてきたような気がして。
「…………?」
胸元に身体を預けたまま、僕は訝しみながらゆっくりと瞼を開いた。
「…………」
最初に見えたのは、少し大人っぽい白黒のドレスだった。
続いて。僕の背中へおずおずと回されている細い腕。そして、長くて柔らかな金髪。
「……あれ?」
どう考えてもおかしい。マーゴさんの衣服と髪は、こんな姿では全くなかったはずで。恐る恐る顔を上げると。
「…………」
そこにいたのは、いつもの余裕そうな笑みを浮かべるマーゴさんではなく。
僕を膝の上に乗せたまま、零れんばかりに目を見開いているミリアさんで。
「ミリアさん……?」
「……っ」
名前を呼んだ瞬間。
ミリアさんの顔は首元から耳の先まで、みるみるうちに真っ赤に染まっていった。
そのまま互いに身動き一つできず、至近距離で見つめ合う。
「そ、その……」
ミリアさんの視線が、助けを求めるように僕とマーゴさんの間を何度も行き来した。
「これはマーゴちゃんの指示で……おじさんがやりたかったわけじゃないというか……」
「…………」
「ほ、本当だよ……?」
あまりの恥ずかしさに耐えられなくなったのか。そう僕に訴えるミリアさんの瞳には、うっすらと涙まで浮かんでしまっていて。
「えっと……災難だったね」
「うぅ……」
慰めるつもりで声をかけるも、ミリアちゃんはますます恥ずかしそうに顔を俯けてしまった。
「本当に……ごめんね……?」
「ミリアちゃんが謝ることじゃないよ。僕も途中から……その……す、すこし悪戯しちゃったし」
「で、でもぉ……」
「それに……その」
「……?」
ミリアちゃんが、おそるおそる顔を上げる。
その潤んだ瞳に見つめられながら。少しだけ迷った末に言葉を続けると。
「もしミリアちゃんがしたかったらだけど……ハグくらいなら別に、いつでも大丈夫だから」
「…………」
ミリアちゃんの目は再び大きく見開かれて。
「え、エマちゃん……?」
「だから。そんなに気にしなくていいよ」
僕はそう言って安心させるように微笑みながら、もう一度ミリアちゃんの身体へそっと身を寄せた。
「……っ」
胸元に頬を預けると、柔らかな感触と暖かな体温が全身を包み込む。
「…………」
けれども。ミリアちゃんは直ぐには抱き締め返してくれなかった。どうすれば良いのか分からないように、その両手が僕の背中の近くを何度も彷徨って。
やがて。
壊れ物にでも触れるような、おずおずとした手つきで。細い腕が僕の背中へと回された。
「…………」
(ミリアちゃんの身体って……とっても大きいな)
こうして正面から抱き締められてみると、僕とは身体つきがまるで違う。
すっぽりと包み込まれてしまうような感覚に、ほんの少しだけ驚きながら。僕はミリアちゃんの肩元に自分の顔をのせた。
「…………」
触れ合った身体越しに、激しい鼓動が伝わってくる。
トクントクンなんて穏やかなものではない。
胸の奥から響く音が、僕の身体にまで伝わってきそうなくらい速く。シェリーちゃんやメルルちゃんに抱き締められた時とは、まるで違っていた。
それに。なんだか身体まで、とても熱いような気がして。
少し気になって。僕はミリアちゃんの肩元から顔を離すと、その顔をそっと見上げる。
「ミリアちゃん……?」
「…………」
改めて視線を合わせると、ミリアちゃんは酷く潤んだ瞳で僕を見つめていた。
何かを訴えかけるような。あるいは何かを必死に堪えているような視線。
けれども。その視線は僕と目が合った途端。逃げるように逸らされてしまって。
「……エマちゃん」
「なに?」
「そういうことは……あんまり軽はずみに言わない方が良いと思うな」
ミリアちゃんは少し困ったように微笑みながら。背中へ回されていた腕を、どこか名残惜しそうにゆっくりと解いて。
そのまま僕の身体を自分から離すと。ミリアちゃんは逃げるように椅子から立ち上がった。
「そ、それじゃあ……またね! エマちゃん!」
「えっ? ミリアちゃん?」
呼び止める間もなく。
ミリアちゃんは顔を隠すように俯いたまま、慌ただしく図書室から走り去ってしまって。
「…………」
残された僕は、閉じていく扉を呆然と見つめた。
「どうしたんだろう……?」
「ふふっ……」
背後から聞こえた笑い声に、ゆっくりと振り返ると。
「とっても良いものを見せてもらったわ」
マーゴさんは口元へ手を添えながら、心の底から満足そうに笑っていて。
「マーゴさん……」
「あら。そんなに怖い顔をしないでちょうだい」
「誰のせいだと思ってるの!?」
「でも。エマちゃんだって途中から楽しんでいたでしょう?」
「それはマーゴさんだと思ってたからで……!」
そこまで言いかけて。先ほどまで自分がしていたことを思い返してしまう。
「…………」
僕はマーゴさんだと勘違いしたまま、あんな揶揘い方をしてしまった。
望んでやったのではないミリアちゃんに、甘えるように身体を押しつけて。
その上。相手がミリアちゃんだと分かった後も、いつでも抱き締めていいと伝えて、もう一度自分からくっついてしまった。
「…………」
「ふふっ」
「わ、笑わないでよ……!」
「ごめんなさい。あまりにも可愛らしかったものだから」
「もう……」
遅れて顔が熱くなり始めるのを感じながら、どうにか話を戻そうと机の上の本へ目を向けた。
「それより。約束は守ったんだから、マーゴさんの『魔法』を教えてよ」
「ええ。勿論」
マーゴさんは素直に頷くと。僕へと意味深な視線を向ける。
「え、えっと……僕の名前は桜羽エマって言うんだ」
「……え?」
その次の瞬間。マーゴさんの口からは、紛れもない自分自身の声が聞こえて。
驚いて顔を上げると。マーゴさんは今度は本来の声で楽しそうに笑っていて。
「これが私の『魔法』――『声真似』よ」
「マーゴさんの魔法……なんだか凄く納得できるかも」
「あら。それは褒め言葉として受け取っておくわね」
「褒めてないから……」
満足そうに微笑むマーゴさんへ、僕は再び恨めしげな視線を向けた。
けれども。それ以上何かを言い返す気力もなくて。
「……もう今日は部屋に戻るね」
「ええ。またね、エマちゃん」
椅子から立ち上がり、図書室の扉へと向かう。
その途中。
つい先ほどまで自分を包み込んでいた、柔らかな身体と熱い鼓動を思い出してしまって。
「…………」
遅れて頬が熱くなり始めたことには、努めて気づかないふりをしながら。
僕はメルルちゃんの部屋へと、足早に向かっていったのだった。