まのさば Restart 作:雪うさぎ
「ま、待って……!」
僕はヒロの背中を追うように、牢屋の外へと飛び出した。
鉄格子の向こうに広がっていたのは、牢屋の中と同じように酷く古びた通路だった。
床も壁も湿気を吸って黒ずみ、ところどころに濃い緑色の苔が張りついている。石造りの天井には大きな罅が走り、その隙間から差し込む太陽の光が、薄暗い廊下を僅かに照らしていた。
(牢屋も結構古かったみたいだし……ここって何処かの廃墟なのかな)
辺りを見回す。
どうやら牢屋から出てきたのは、僕たちだけではないらしい。通路には既に何人もの少女たちが立っていた。
呆然としている子。鋭い目で周囲を警戒している子。反応こそ違うものの、誰もが少なからず戸惑っているようだった。
そんな少女たちの間を、ヒロだけは迷う様子もなく進んでいて。
「そ、その……待ってよ!ヒロちゃん!」
慌てて声を上げる。
すると――。
「……っ」
廊下にいた少女たちの視線が、一斉に僕たちへ向けられた。
突然注がれた無数の視線に、思わず足が竦みそうになる。けれど、その顔を確かめてみると、ヒロ以外は全員見覚えのない女の子ばかりだった。
(……良かった。もしも知ってる人ばかりだったら、どうしようかなって思ってた)
普通なら知らない人ばかりの方が不安になるのだろう。けれど、僕の場合は少し事情が違う。
強張っていた肩から僅かに力を抜き、改めて周囲を見渡す。
そこで、別の違和感に気がついた。
(というか……みんな凄い格好してる……)
純白の修道服を纏っている子もいれば、まるで夜の蝶のような妖艶な服装をしている子もいる。普段着とは思えない、少し奇抜な装いも混じっていて、まるで仮装大会にでも迷い込んだかのようだった。
――けれども。
(……あれ?)
不意に違和感を感じて、自分の身体へと視線を落とす。
「……え」
そこで初めて気がついた。
僕だって、人のことを言えるような格好ではなかった。
身につけていたのは、黒を基調とした襟付きの制服を思わせる服だ。
白い縁取りの入った襟元には、中央に赤い宝石のような飾りがついた大きな灰色のリボンが結ばれている。白い袖は手先に向かってゆったりと広がっていて、上半身だけなら普通に可愛らしい服にも見えた。
ただ――そこから下へ視線を落とした瞬間、思わず目を見開いてしまう。
長い上着の下に身につけているのは、丈の短い黒のショートパンツだけだった。
そして露わになった脚を強調するかのように、細いガーダーリングが幾重にも巻きつけられていて。
(な、なにこれ……!?)
思わず服の裾を下に引っ張ってしまう。
指先に伝わる生地は滑らかで、少なくとも幻や夢の類ではないことだけは分かったけれども。
(どうして……こ、こんな……ちょっと勇気が必要な服装をしてるのかな⁉)
なんだか急に恥ずかしくなって、反射的に脚を寄せた。
こんな格好で知らない女の子たちの前に立っていたのかと思うと、今更ながら少しだけ顔が熱くなってしまう。
それに、そもそも僕はこんな服を持っていない。
牢屋に閉じ込められているだけでも意味が分からないというのに、どうして服まで見覚えのないものに着替えさせられているのだろう。
誰が。いつ。何の目的で。
考えれば考えるほど疑問ばかりが増えていくけれども――。
「あっ……!」
気がつけば、ヒロとの距離が少し開いていてしまっていて。
僕は慌てて服装のことを頭の隅へ追いやると、その背中を追って小走りに駆け出した。
少女たちの間を縫うように進みながら、ふと列の先頭へと視線を向ける。
(……あの存在が『看守』ってことなのかな?)
集団の先頭を歩いているのは、明らかに人間ではなかった。
高さは2メートル――いや3メートルはあるだろうか。
人一人隠れられそうな巨大なフードを纏った異形が、何も言わず通路の先へと歩み続けている。
けれども今の僕にとっては、正体の分からない看守よりも気になることがあって。
「ヒロちゃん!」
改めて呼びかけた。けれども。
「………」
返事はない。
「あ、あの……ヒロちゃん」
もう一度、今度は近くから声をかける。それでもヒロは振り返らない。
どうしていいのか分からなくなって、気がつけば僕はその腕を掴んでいた。
必死だった。こんな異常な場所で、何が起きているのかも分からない。知らない人ばかりに囲まれた僕に、頼れる相手なんてヒロしかいなかった。
それに――。
昔だってそうだった。僕が怖がっているときには、いつだってヒロちゃんが隣にいてくれた。
少し嫌そうな顔をするかもしれない。呆れたように溜息を吐かれるかもしれない。それでも最後には、きっと昔と同じように僕の手を振り払わずにいてくれる。
どこかで、そう信じていた。
けれども。
「触るな!!」
「――っ」
通路中を震わせるほどの怒声が響いて。腕を強く振り払われ、僕の身体は大きく後ろへ飛ばされた。
「っ、ぁ――!」
何が起きたのか理解するよりも早く、背中が硬い石床へと思いきり叩きつけられた。
息が止まる。
肺の中にあった空気が一気に押し出され、喉から声にならない音が漏れた。咄嗟に身体を支えようと床についた手に、焼けつくような痛みが走って。
「……っ、ぁ……」
じわりと温かい血が滲み出し、指の間を伝って掌へと広がっていく。
痛い。背中も。手も。
けれども、それ以上に――どうして。
そんな思いが頭の中を埋め尽くしていた。
衝撃で揺れる視界の向こうで、ヒロが振り返り。赤い瞳が僕を見下ろした。そこにあったのは心配でも驚きでもない。
明確な嫌悪。
まるで触れてはいけないものに触れられたかのような、冷たく鋭い眼差しだった。
「気安く触れないでくれ。忘れてもらっては困る。私は君が嫌いなんだ」
「…………」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。それなのに心のどこかでは「やっぱり」と納得している自分がいた。
ヒロはそれ以上、何も言わない。ただ冷たい視線を僕から外して、迷うことなく踵を返して。
「あ……」
ヒロは今度こそ、冷たい闇の中へと消えてしまった。
全身から、ふっと力が抜ける。起き上がることもできず、そのまま石造りの床へ倒れ込んだ。背中に触れる冷たさが、服越しにじわじわと身体へ染み込んでくる。
痛い。けれども、それ以上に胸の奥が酷く重かった。
分かっていたはずなのに。ヒロちゃんが僕を嫌っていることなんて、ずっと前から。それでも、どこかで少しだけ期待していた。
昔と同じように、ほんの少しくらいなら受け入れてくれるんじゃないかって。
「…………」
ぼんやりと天井を見つめているうちに、視界の端が少しずつ滲んでいく。
泣きたくなんてないのに。こんなところで泣いたって、どうしようもないのに。
そう思っていると――。
こつこつと。複数の足音がこちらへ近づいてくるのが聞こえた。
「……え……?」
誰かが戻ってきたのだろうか。
腕に力を入れ、どうにか上半身だけを起こして顔を上げる。そこに立っていたのは、僕が先ほど見た修道服を着た少女だった。
(――きれい)
改めて見てみると、そんな言葉が頭に浮かんでしまう。
まず目を奪われたのは、その大きな瞳だった。
濡れた宝石のように煌めく、綺麗な灰青色の瞳。
白磁を思わせる滑らかな肌に、どこか儚さを感じさせる整った顔立ち。身体を包んでいるのは穢れ一つない修道服で、その姿は薄汚れた牢獄の中で際立って美しく見えた。
「……あ、あの、あのあのあの……」
「えーと?どうしたのかな?」
そんな美しい少女だったが、あまりにも言葉につっかえているものだから、思わず戸惑いながら問い返してしまう。
少女はびくりと肩を揺らした。大きな瞳が不安そうに揺れる。それでも何かを決意したように、ぎゅっと手を握り締めて。
「けっ……怪我しちゃってます」
「あ……」
叫ぶように告げた少女の視線の先を追って、ようやく僕は自分の掌のことを思い出した。
小さく溝の走った皮膚から血が滲み、指先まで赤く汚れている。
「えっと……だ、大したことないよ!大丈夫!」
反射的に傷ついた手を身体の後ろへ隠した。
別に強がったつもりではない。この程度の怪我なら、きっと少しくらい跡が残るだけで済む。それよりも見ず知らずの子に心配をかけていることの方が気になった。
けれども。
「…………」
少女の大きな瞳が、見る見るうちに悲しそうに潤んでいく。
「えっ……?」
まさかそんな反応をされるとは思わず、僕は戸惑った。
次の瞬間。
「……そんなこと、ありませんっ!!」
「わっ……!」
先ほどまでとは打って変わった強い声が発せられて。
少女は僕の前へ屈み込み、隠していた手にそっと手を伸ばした。純白の手袋に包まれた手が、傷ついた掌に優しく絡みつく。
「え……?」
すると突然、少女の掌が淡い光を帯びて。
「な……に、これ……」
掌を包み込む柔らかな光が、ゆっくりと傷口へ染み込んでいく。
焼けつくような痛みが引き、赤く裂けていた皮膚が見る見るうちに塞がっていく。滲んでいた血も止まり、やがてひりつく熱さまで消えていく。
「……うそ」
思わず小さく声が漏れる。
――傷が治っていた。
つい数秒前まで裂けていた掌には、もう跡すら残っていない。
「大丈夫ですか?もう痛くはないですか?」
「…………」
すぐには返事ができなかった。目の前で起きたことが信じられない。
人の手が光って。触れられただけで怪我が治った。そんなこと普通ならあり得ない。驚くべきことはいくらでもあるはずなのに。
それなのに今、胸の奥をいっぱいにしていたのは別の感情だった。
「……っ」
胸の奥が、なんだか強く締めつけられて。少しだけ視界が滲む。それでも声が震えないように。ちゃんと相手の顔を見ながら。
「――ありがとう」
万感の思いを込めながら感謝の言葉を告げた。
その直後。
「……わっ」
不意に横から更なる影が近づいてくる。
何事かと思う間もなく、座り込んでいた僕の身体に両腕が回されて。そのまま、ひょいと抱え上げられた。
「えっ……?」
一瞬、何が起きたのか分からなかった。
僕だって決して重くない方だと思うけど、それにしたって余りにも軽々と持ち上げられている。
驚いて息を呑んだ次の瞬間。
くりくりとした琥珀色の瞳が、視界いっぱいに飛び込んできた。
透き通るような白い肌。物凄く整った小さな顔立ち。その顔には、ぱっと花が開いたような満面の笑みが咲いていて。まるで妖精のように可愛らしい少女だった。
というか――。
(ち、近い……!)
鼻先が触れてしまいそうなくらい顔が近い。
「ひゃ……っ!?」
思わず身体を引こうとして体勢を崩しかけるも、背中を柔らかな何かが受け止めてくれて。
「もう……危ないですわね」
高く澄んだ声が、後ろから聞こえてくる。
抱え上げられていた身体をそっと床へ降ろされながら振り返ると、そこにはまた別の少女が立っていた。
若葉を思わせる鮮やかな瞳。柔らかな光を纏う金色の髪。小柄な身体と整った顔立ちも相まって、人形のように可愛らしい少女だった。
どうやら僕が倒れないように身体を支えてくれたらしい。
「……あ、ありがとう」
「いえいえ!気にすることないですよぉ!!」
「え……?」
何故か返事をしたのは、まだ僕の身体へ抱きついたままの青髪の少女だった。満面の笑みを浮かべ、まるで自分が褒められたかのように胸を張っている。
「そ、れ、は、わたくしへの言葉ですわぁ!」
すかさず金髪の少女が声を上げて。
「え、えっと……」
思わず瞬きを繰り返す。
こんな場所だというのに、2人の間の空気は奇妙なくらいに明るくて。まるで何年も一緒に過ごしてきた親友のような調子で言葉を交わしている。
ついさっきまで張り詰めていた空気との落差があまりにも大きくて、僕はどう反応していいのか分からず、2人の間で視線を行ったり来たりさせてしまった。
けれども。
不思議と嫌ではなかった。むしろ牢獄で起きた時から溜まり続けた冷たいものが、ほんの少しだけ溶けていくような気がする。
傷を治してくれた少女も抱き起こしてくれた少女も、身体を支えてくれた少女も。
全員、今日初めて会った人たちだ。
それなのに、こうして僕へと手を差し伸べてくれて。
(……このまま離れたくないな)
唐突に、そんな思いが胸に浮かんでしまった。さっきヒロに拒絶されたばかりだからこそ、余計にそう思ったのかもしれない。
だから僕は、少しだけ勇気を振り絞って口を開く。
「あ、あの……ぼ、僕は桜羽エマ!その良かったら……みんなの名前も聞かせてくれないかな!?」
言い切った瞬間、心臓がどくんと大きく跳ねた。
変なことを言ってしまっただろうか。馴れ馴れしいと思われないだろうか。そんな僅かな不安が、遅れて全身へ広がっていく。
けれども返ってきたのは――。
「はいはーい!」
底抜けに明るい声だった。
青い髪の少女が満面の笑みを浮かべながら、勢いよく手を挙げる。
「私は橘シェリーっていいます!この姿の通り何を隠そう――すっごい名探偵なので!何かあった時は、いつでも私を頼ってくださいねっ!!」
「め、名探偵……!」
その言葉を聞いた瞬間、思わず目を輝かせてしまう。
名探偵。
物語の中でしか聞かないような響きなのに、今の僕には酷く頼もしく感じられた。
こんな訳の分からない状況で「頼ってほしい」と言ってくれる人がいる。それだけで胸の奥に、ほんの少し熱が灯る感じがした。
すると今度は僕の背中を支えてくれた小柄な少女が、どこか優雅な仕草で口を開いてくれる。
「私は遠野ハンナですわ……どうぞ皆さま、お見知りおき遊ばせ?」
お嬢様らしいその名乗りに、思わず小さく頷いた。
そのまま最後の少女に視線を向けると、その少女がびくりと肩を揺らしていた。
ーーどうやら相変わらず少し緊張しているらしかったけど。
それども彼女は、先ほどよりも少しだけ柔らかな表情をしてくれていて。
「わ、わたしの名前は――氷上、メルルといいます」
僅かに恥ずかしそうにしながらも、そう名乗ってくれた。
(……メルルちゃん)
胸の奥で、そっと名前を反芻する。
橘シェリー。遠野ハンナ。氷上メルル。
胸の奥に沈んでいた重苦しさが、少しずつ解けてゆく。ヒロに拒絶された痛みが消えたわけではない。
それでも。
あれだけ塞ぎ込んでいたはずなのに、気がつけば僕の口元はほころんでいて。
「……うん。よろしくね!シェリーちゃん、ハンナちゃん、メルルちゃん!」
そう言って。僕は牢獄で起きてから初めて、心からの笑みを浮かべたのだった。