まのさば Restart 作:雪うさぎ
互いに自己紹介を終えた僕たちは少し歩調を速め、先に行ってしまった看守の後を追っていた。
薄暗い廊下を抜け、上の階へと続く大きな階段を昇っていく。
その先にあったのは、屋敷の玄関ホールらしき場所だった。右手にはラウンジらしき広間があり、左手には重厚な扉が二つ並んでいる。
看守の姿は見当たらない。けれども、そのうち1つが僅かに開いているのが見えて。
少し躊躇いながら、取っ手へと手をかけた。
「ん……っ」
思っていた以上に重い。
身体ごと押し込むように力を込めると、鈍い音を響かせながら扉がゆっくりと開いた。
おそるおそる中を覗き込む。
「……わ」
思わず小さな声が漏れる。
そこは先ほどまでの寒々とした地下とは違う、とても御洒落な広い部屋だった。どうやら僕たち以外は既に全員集まっているらしく。扉の音に反応して、いくつもの視線がこちらへ向けられて。
「……」
反射的に身体が強張った。
怯えたように肩を縮こまらせた子。険しい顔で腕を組む子。昏い瞳でじっと床を見つめる子。
そして――部屋の中央。
少女たちに取り囲まれるように、その存在はいた。
(……あれが)
大きく丸い瞳に、鋭く尖った嘴。本来あるべき向きから九十度傾いた頭。この牢獄の管理者を名乗る、ゴクチョーの姿があった。
「……」
僕たちに気づいたのか、そのつぶらな瞳が此方に向けられる。
「っ……!」
思わず息を呑む。
愛嬌のある丸い瞳。それなのに、その視線は酷く冷たくて。
(そ、そういえば……僕たち集合に遅れちゃったよね……?)
今更ながら、その事実に気付いてしまう。
看守の後についてくるよう言われていたのに、僕が途中で倒れたせいで、シェリーちゃん達の足まで止めてしまっていた。
(ど、どうしよう……怒られるのかな……?)
ぞくりと背筋に冷たいものが走る。
僕たちを牢屋へ閉じ込めるような相手だ。何をされるのか分からない。思わず僕は身体を縮こまらせていたが。
「少し遅くはありましたが……まぁ逃げてはいないようですし」
「…………」
幸い何もされることはなく、ゴクチョーは直ぐに僕たちから視線を外した。
「時間も限られていますので……手短にお話しします」
その言葉を境に、僅かにざわついていた部屋がしんと静まり返る。何を言われるのだろう。この場所について、何か分かるのだろうか。
不安と期待が入り混じる中、ゴクチョーが告げたのは、あまりにも唐突な言葉だった。
「まず結論から言うと――ここにいる皆さんには『魔女』という悪しき存在となる因子が備わっています」
「……え?」
意味が分からず、思わず瞬きを繰り返す。
(……魔女?)
周囲からも小さなどよめきが広がった。互いに顔を見合わせる子もいれば、何を馬鹿なことをとでも言いたげに眉を顰める子もいる。
(お、おとぎ話じゃないの……?)
箒に乗って空を飛び、不思議な魔法を使う。
少なくとも僕にとって魔女とは、物語の中に出てくる存在でしかなかった。けれどもゴクチョーは僕たちの動揺など気にも留めず、淡々と説明を続けていく。
「……そうですね。簡潔に言うなれば『魔女』というのは、人類に仇なし様々な災厄を齎す悪。滅されるべき存在です」
「ここに集められた皆さまは、我が国が秘密裏に行った検査で、その『魔女となる因子』が極めて高い値で検出されてしまったため、この春から此方の施設に死ぬまで収容されることが決まりました」
告げられた言葉が、少しずつ頭の中へ入り込んでくる。
魔女。人類に災厄をもたらす悪。此方の施設に収容――そして何よりも。
(……え?)
最後の言葉だけが、はっきりと耳の奥に残っていた。
――死ぬまで。
「………」
喉の奥が酷く乾いていた。
高校だって、まだ通っていないというのに。
今までとは違う自分になるって。今度こそちゃんとやり直すのだと誓って、新しい環境で改めて青春を送ろうとしていたのに。
指先が震える。
(……そんなの絶対に嫌だ)
魔女になる因子なんて知らない。検査を受けた覚えだってないし、まだ何の罪も犯していない。それなのに、どうして死ぬまでこんな場所に閉じ込められなければならないのか。
到底納得なんてできるはずがない。
けれども同時に。もし本当に、ゴクチョーの言っていることが全て事実なのだとしたら。
「……っ」
無意識に服の裾を強く握り締める。
目の前には、明らかに異形の看守の姿がある。
そして――つい先ほども。
僕はメルルちゃんが、触れただけで掌の傷を治す光景を目撃していた。普通ならあり得ないことを、この目で確かに見てしまっている。
荒唐無稽だと笑い飛ばしたい。全部嘘だって言ってほしい。
けれども、この場所で目を覚ましてから起きたことの全てが、ゴクチョーの話をただの冗談だと切り捨てることを許してくれなかった。
重苦しい沈黙が、部屋の中を満たしている。
誰もが告げられた事実を受け止めきれずにいる――そんな中。
人垣の中から、1人の少女が前へ踏み出した。
「……っ」
見間違えるはずもない、とても綺麗な後ろ姿。腰元まで伸びた黒い髪に、鮮烈なまでに輝く赤い瞳。
(……ヒロちゃん?)
その姿を認めた瞬間、胸の奥が僅かに痛んだ。けれどもヒロは僕の方など見ていない。
赤い瞳に冷たい光を宿し、ただ真っ直ぐにゴクチョーを射抜いていて。
一歩。また一歩。
迷いのない足取りで、ヒロは少女たちの間から抜け出していく。
「…………」
いったい何をするつもりなのだろう。
胸の奥がざわついた。
(止めないと……)
理由なんて分からない。それなのに酷く嫌な予感がした。けれども僕が声をかけるより先に、ヒロはゴクチョーへ向けて堂々と口を開いた。
「……私は悪ではない」
静かな声だった。
けれど、その声には僅かな揺らぎすらない。
自分の言葉こそが絶対に正しいと信じ切っているかのような、強い確信が宿っていた。
「本当に悪なのは私ではなく、この巫山戯た状況そのものだ。どれほど崇高な目的を掲げようとも、その過程で用いる手段が誤っているのならば、そこに正義などない」
「少なくとも現時点では罪なき人間を一方的に悪と断じ、あまつさえ生涯にわたって拘束するなど到底許される行為ではない。だから私は、この悪を排するために立ち上が……」
そこで、なぜかヒロの言葉が不自然に途切れた。
「………」
まるで頭痛を堪えているかのように、白くて細い手が側頭部へと当てられる。
けれども、その変調は一瞬だけで。再び顔を上げたとき、その赤い瞳には先ほどまではなかった獰猛な光が宿っていた。
「……そう。だから私は、この悪を排除する為に立ち上がる。まずは――」
そう告げたヒロの瞳が、鋭く閃いて。
「え……?」
思わずその視線を追う。
暖炉の傍には、一本の鉄製の火かき棒が立てかけられていた。
ヒロの手が迷いなくソレへと伸びる。
ガシャンッ――!
金属の擦れる甲高い音が、静まり返った部屋に響き渡って。次の瞬間、ヒロの手には火かき棒が握られていた。
(……まさか)
何をしようとしているのか。
僕がようやく理解した時には、もう遅く。
「――貴様だ!化け物!」
怒声が広間を震わせて。
「ヒロちゃん……!」
ヒロが床を蹴った。
あまりにも鋭い踏み込み。一瞬前まで少女たちの中にいたはずなのに、瞬く間に看守との距離を詰めていく。
それに反応して、看守の巨大な腕が動いた。
「――っ!」
いつの間に取り出したのだろう。その両手には、巨大な鎌が握られていて。鈍い光を放つ刃が持ち上がり――瞬く間に振るわれた。
「危ないっ……!」
思わず声を上げる。けれども。
「――!」
刃がヒロへ届く寸前。
ヒロは身体を低く沈め、頭上すれすれで巨大な刃を躱した。そのまま一切の躊躇なく刃の内側へ踏み込み、火かき棒を看守の巨体へと振り抜いて。
――ゴッ!
「や……!」
黒っぽい少女の叫び声と同時に、肉へ金属を打ち据える鈍い音が響いた。
けれども、ヒロは止まらない。
もう一度。さらに――もう一度。動きを止めた看守へ、火かき棒が容赦なく振るわれた。
「……っ」
息を呑んだ。速い。けれども、それ以上にヒロの攻撃には一切の容赦がなかった。看守が体勢を立て直すよりも早く、ヒロは火かき棒を叩きつけ続ける。
「もう……やめてよ!」
あまりの惨状に耐えられなくなったのか、少女の悲痛な声が響いた。それでもヒロの手は止まることはなく。
大きく火かき棒が振り上げられて。
――ドッ!
ひときわ重い音が響いた。
その攻撃を最後に看守の巨体はぐらりと傾き、そのまま地響きを立てながら床へ崩れ落ちて。
「…………」
一瞬。広間から、全ての音が消えた。
誰も声を上げない。誰も動かない。ただヒロの荒い呼吸だけが、静寂の中に響いている。
「はぁ……はぁ……」
ヒロは暫く火かき棒を握ったまま、倒れ伏した看守を冷たい瞳で見下ろしていた。しかし、もう動くことはないと判断したのだろう。
彼女はようやく両手を離して。乾いた音を立て、火かき棒が床へ転がった。
(……倒せたの?)
あれほど大きな化け物を。たった一人で。そんな驚きが頭を過る。
けれども。
「……え?」
何かが見えた。
倒れた看守の身体。ヒロからは見えない位置へ投げ出されていた巨大な腕が――ほんの僅かに動いて。
「……っ!」
心臓が大きく跳ねた。看守の太い指が、ゆっくりと曲がっているのが分かった。その手が握ったのは、先ほどヒロへ振るわれた巨大な鎌で。
(……まだ終わってない!)
看守は生きている。そう確信した瞬間、僕の身体は勝手に動いていた。
「ヒロ!」
叫びながら駆け出す。ヒロが此方を振り返り。驚いたように赤い瞳が見開かれる。
その向こうで、不自然に変形した看守の腕がブレるのが見えて。
「――っ!」
考える暇なんてなかった。ヒロの身体へ飛びつき、そのまま守るように強く抱き締める。
その次の瞬間――。
「…………っ」
背中に、灼けつくような衝撃が走った。
「――――」
声が出ない。何が起きたのかも、一瞬分からなかった。
ただ熱い。痛い。そんな言葉では言い足りないほどの衝撃が、背中から全身を突き抜けて。世界が一瞬で赤く染まった。
「……ぁ」
肺から息が漏れる。
身体に力が入らない。ヒロを抱き締めていたはずの手から、少しずつ感覚が失われていく。
背中は焼けるように熱い。それなのに指先や足先から、身体の奥へ向かって凍りつくような冷たさが広がっていく。
(……なに、これ)
視界が揺れる。
床が傾いているのか。自分が倒れているのか。それすらもよく分からない。
輪郭がぼやける。色が滲む。音が酷く遠くなっていく。
「…………」
霞んでいく視界の中、すぐ近くにヒロちゃんの顔が見えた。いつも凛とした表情の彼女が、今にも泣き出してしまいそうなほど顔を歪めていて。
「……!……!!」
必死に何かを叫んでいた。それでも。
(……良かった)
どうしてか、そんな言葉が頭に浮かんで。
だんだんと。ヒロちゃんの顔さえ、見えなくなっていく。赤い瞳も。動いている唇も。何もかもが、深い霧の向こうへ遠ざかって。
「…………」
そして最後には。光も音も、痛みさえも。全てが消えて。
僕の意識は、底の見えない暗闇の中に落ちていったのだった。