まのさば Restart 作:雪うさぎ
身体が、柔らかな温もりに包まれていた。
「…………」
暖かい。
まるで陽だまりの中にいるような心地よさに、深く沈んでいた意識がゆっくりと浮かび上がっていく。
まだ眠っていたい。
そんなことを思いながら微睡みに身を委ねていると、すぐ傍から小さな寝息が聞こえているのが分かった。
(……誰かいる?)
誰かが僕に寄り添うように眠っている。
その気配に引かれるように、僕は重たい瞼を持ち上げた。
「……ん」
ぼやけた視界に、最初に映ったのは白だった。
白いシーツ。そして見覚えのある純白の修道服。
「……メルルちゃん?」
目を開くと、僕の直ぐ隣では牢屋敷で出会ったばかりの女の子が静かに眠っていて。
どうやら、まだ目を覚ます気配も無いようだった。
「……」
思わず、その寝顔をじっと見つめてしまう。
閉じられた瞼から伸びる長い睫毛。淡い朝の光に照らされた、白磁のような頬。普段は不安そうに揺れている大きな瞳も、今は静かに閉じられていて。少しだけ力の抜けた口元と相まって、普段よりずっと幼く見えた。
「…………」
こんなに近くで見つめていることにも、当然気づかない。
少しくらい頬をつついても起きないんじゃないか――なんて。そんな他愛のない考えまで浮かんでしまうくらいに無防備で。
(……可愛いな)
気づけば、そんな言葉が自然と頭に浮かんでいた。
「……ん……」
そのとき、メルルちゃんが小さく身じろぎして。
「あ……」
閉じられていた瞼が、微かに震えた。
ゆっくりと長い睫毛が持ち上がり、灰青色の大きな瞳が姿を現す。まだ眠気が残っているのだろう。
しばらくぼんやりと宙を見つめていた瞳が、やがて僕の方に向けられて。
「……っ!」
メルルちゃんの瞳が大きく見開かれた。
「え……?」
思わず息を呑む。
その瞳に浮かんだのは、一言では言い表せないほどグチャグチャに入り混じった感情だった。
安堵。喜び。心配。そして――強い怒り。
いくつもの感情が縺れた糸みたいに絡まり合って、整った顔立ちを酷く歪ませている。
(ど、どうしたんだろう……?)
何か怒らせるような事をしてしまったのだろうか。何故だか少し朧げな記憶を辿ろうとした、その時だった。
「――っ!」
「えっ……うわっ」
突然、メルルちゃんの両手が伸びてきて。肩を掴まれる。
何が起きたのか理解するよりも早く、そのまま僕の身体は押し倒されて。
「わ……っ」
ぼふっと背中が柔らかな寝具へ沈み込んだ。
「…………っ」
気づけば。僕の身体の上に、メルルちゃんが馬乗りになっていて。
「…………っ」
心臓が、どくんと大きく跳ねた。
別に変な意味ではない。
思っていたより、ずっと力が強かったことに驚いただけで。それに目を覚ました直後に、いきなり押し倒されるなんて思ってもいなかったから。
そう。だから――全然おかしな感覚ではないのだけれど。
(あ、暴れたりしたら危ないもんね……?)
下手に身体を動かしてしまえば、メルルちゃんを落としてしまうかもしれない。そう思うと、あまり抵抗する気にもなれなくて。
なんだか妙に落ち着かない気持ちを抱えながら、僕は自分を見下ろしている少女の顔を見上げた。
「…………」
そこで初めて気づく。
怒っている。確かに怒っている。けれども――それ以上に。
「……メルルちゃん?」
今にも泣き出してしまいそうだった。
灰青色の瞳には、薄い涙の膜が張っている。唇は小さく震えていて。僕の肩を掴んでいる指にも、ぎゅっと強い力が込められていた。
優しそうな目尻が、きゅっと吊り上がっていく。
「どうして……あんな無茶をしたんですか! 私……てっきり、エマさんが死んでしまうかと思って……!」
その直後、怒りと悲しみが入り混じったメルルちゃんの声が響いて。僕は何も返せないまま、呆然とメルルちゃんの顔を見上げてしまった。
(……死ぬ?)
その言葉を、頭の中で反芻する。
そこでようやく。まるで霞がかかっているみたいに朧げだった記憶が、少しずつ形を取り戻していくのが分かった。
ゴクチョー。看守。火かき棒を振るうヒロちゃん。床へ倒れ込んだ看守。
そして――。
「……あ」
背中を貫いた、あの途方もない痛み。
「…………っ」
思い出した途端、身体が強張ってしまう。
灼けるような衝撃。身体の奥から、急速に力が抜けていく感覚。息が上手く吸えなくなって。何も考えられなくなって。
そんな僕をヒロは、今にも泣き出してしまいそうな表情で見つめていた事を思い出す。
「……」
どうやら僕は、本当にかなり危ない状態だったらしい。そう思うと、今更ながら背筋が少し寒くなってしまう。
けれども。目の前で、僕以上に辛そうな顔をしているメルルちゃんを見ていると。
自分が死にかけていたことよりも。この子に、こんな酷い顔をさせてしまっていることの方がずっと申し訳なく思えて。
「ご、ごめんね。メルルちゃん」
「……」
「で、でも……ほら。メルルちゃんが治療してくれた御蔭で、今はこんなに元気いっぱいになったよ!」
なるべく明るく。
もう大丈夫なんだと、安心してもらえるように。努めて元気な声を出してみせる。
「ほ、ほら!」
元気だということを証明しようと、少しだけ身体を起こそうとするも――。
「……そういうことじゃありません」
「え……」
その動きは強い力で止められて。頭上から小さな声が落ちてくる。
「治ったからいいとか……今、元気だから大丈夫とか……そういうことじゃありません」
肩を掴んでいた片方の手が離れて。そのまま僕の胸元へ落ちた。
細い指が、ぎゅっと服を掴む。
メルルちゃんは顔を俯かせた。
白い髪がさらりと零れ落ち、その表情を覆い隠してしまう。
「……血がいっぱい出てたんです」
「……」
「何度呼んでも返事をしてくれなくて……身体もどんどん冷たくなっていって……」
震える声が、ぽつりぽつりと零れていく。
「死んじゃったら……治すことだって出来ないのに……」
そこで一度、言葉が途切れた。胸元を掴む指に、さらに力が込められて。
「エマさん本当に……死んじゃう寸前だったんですよ……?」
ゆっくりと顔が上がる。
「……っ」
灰青色の大きな瞳には、今にも零れ落ちそうなほど涙が溜まっていた。
さっきまであれほど怒っていたはずなのに。今はもう、その顔のどこを見ても。怖かった。悲しかった。そんな気持ちばかりが滲んでいて。
「め、メルルちゃん……」
胸が、きゅっと締めつけられるのが分かった。
「な、泣かないで……?」
「な、泣いてなんて無いです……こんな悪いことするエマさんの為に、泣いたりなんてしてません!」
とても胸が痛くて、メルルちゃんに泣かないでと頼んでも、もう遅かった。目尻に溜まっていた雫が、幾筋も頬を伝っていく。
メルルちゃんは慌てて顔を逸らしたけれど、隠しきれるはずもなくて。
僕は修道服の袖で顔を隠した少女を、ただ呆然と見つめる。
(……メルルちゃん)
自分が傷ついたことについては、不思議なくらい怖くなかった。あの時だって。ヒロちゃんを助けなきゃ。ただ、それくらいしか考えていなくて。
今だって、あの選択を後悔していない。けれど――。
(……想像すらしてなかったな。僕を必死に助けようとしてくれる人がいるなんて)
きっとメルルちゃんは、目の前で誰かが傷つくことに耐えられないくらい優しい子で。
出会ったばかりの僕なんかのために、こんなにも泣いてくれることが、どうしようもなく胸に沁みた。
「……ごめん」
「……」
「本当にごめんね」
だから今度は誤魔化さなかった。明るく笑って、大丈夫だと言うこともしない。
ただ真っ直ぐに瞳を見て、本心からの言葉を告げていく。
「……とっても怖い思いをさせちゃったんだよね。もう絶対にしない……そう約束するから」
「だから……もう泣かないで。メルルちゃん」
「……っ」
メルルちゃんは直ぐには答えてくれなかった。
けれども僕の胸元を掴んだまま、小さくこくんと頷いてくれて。僕は恐る恐るその頭を撫でながら、いつまでも離れようとしない彼女を落ち着かせたのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
しばらく頭を撫でているうちに、泣き疲れてしまったのか。メルルちゃんは僕の胸元に顔を埋めたまま、いつしか小さな寝息を立て始めていた。
それから、しばらくして。
こんこんと控えめに扉を叩く音が響き。
「……?」
反射的にそちらへ顔を向ける。
そのついでに改めて辺りを見渡してみると、どうやらここは医務室らしかった。部屋の中には白いベッドが幾つか並んでいて、壁際には薬品の入った棚や見慣れない医療器具が置かれている。
その入口の扉が、ゆっくりと開いて。
「――エマさん!」
「わっ」
弾むような声と共に、見覚えのある青い髪が飛び込んできた。
「シェリーちゃん?」
「おはようございます!最後に見た時は今際の際でしたけど、もうすっかり元気そうですねっ!」
満面の笑みを浮かべながら、シェリーちゃんがこちらへ駆け寄ってくる。言っていることは結構物騒なのに、その表情は心の底から嬉しそうで。
その少し後ろから金色の髪を揺らしながら、ハンナちゃんも入ってきていた。
「……ふんっ。別に心配なんてしてませんが……平気そうで何よりですわ」
「……ハンナちゃんも」
腕を組み、いかにも素っ気ない態度を取っている。
けれども僕の顔や身体を何度も見ているあたり、本当に心配してくれていたのだと思う。そのことが、なんだか嬉しくて。
「2人とも……ありがとう! 僕のお見舞いに来てくれたんだね!」
自然と笑みが零れた。
「もちろんです!」
「……たまたま近くを通りかかっただけですわ」
「えへへ……そうなんだね」
「な、なんですの。その顔は!」
そんな僕の表情に、ハンナちゃんは少し頬を赤くしていて。
そんな様子がおかしくて微笑んでいると、シェリーちゃんは僕のベッドの直ぐ側までやってきた。
「それにしても、本当に良かったです。メルルさんから治療は成功したって聞いてましたけど、ずっと目を覚まさなかったので」
「……そんなに寝てたの?」
「はい。昨日からずっとです」
「昨日……」
思わず窓の方を見る。
カーテンの隙間から差し込んでいる光は明るい。どうやら一晩どころか、かなり長い時間眠っていたらしい。
「……今は9時頃。朝の自由時間の時間帯ですわ」
僕の疑問を察したのか、ハンナちゃんが教えてくれる。
「自由時間?」
「ええ。今の時間は、この屋敷の中を自由に歩き回って構わないそうです。外へ出ることも許可されていますわ」
「外にも?」
「はいっ!」
そんな僕の疑問に、シェリーちゃんが元気よく頷いた。
「牢屋に入れられた時はどうなることかと思いましたけど、四六時中閉じ込められているわけじゃないみたいですね。自由時間なら屋敷の中も外も探検し放題です!」
「た、探検……」
こんな状況でも楽しそうなのが、なんともシェリーちゃんらしい。
けれども。
その言葉を聞いた瞬間、別のことが頭を過った。
「……そうだ」
「?」
「あの後……どうなったの?」
無意識に声が小さくなる。
「僕が気を失った後……看守は?それにヒロちゃんは……?」
「…………」
ほんの僅か。
2人の表情から笑みが薄れた。やっぱり何かあったのだと悟って、胸の奥がざわつく。
けれどシェリーちゃんは、すぐに僕を安心させるように口を開いた。
「大丈夫ですよ。あの看守は、レイアさんって人が止めてくれました」
「レイア……さん?」
「はい。騎士みたいな服装をした、とっても綺麗な人です。エマさんが倒れた後も看守がヒロさんへ攻撃しようとしてたんですけど――その人が間に入ってくれたんですよ」
「…………」
知らない名前だった。
僕が気を失っている間に、そんなことが起きていたらしい。
「それ以上は看守も襲ってこなかったので、他に怪我人は出ていませんわ」
ハンナちゃんの言葉に、ほっと息を吐く。
「……良かった」
けれど――他にも大事な問題はあって。
「じゃあ、ヒロちゃんは?」
「…………」
そう問いかけてみると、今度は2人とも直ぐには答えてくれなかった。その沈黙だけで、とても嫌な予感がする。
「……ヒロさんなら懲罰房ですわ」
「え……?」
「看守を攻撃したことが問題になったそうです」
胸がどくりと鳴った。
「懲罰房って……」
「だ、大丈夫ですよ!」
僕の顔色が変わったのを見て、シェリーちゃんが慌てて手を振る。
「何か酷いことをされてるわけじゃありません。部屋に閉じ込められてるだけです!」
「身体的な罰はないと、ゴクチョーも明言していましたわ。明日になれば出て来られるそうです」
「…………」
「なので、そんな顔をしないでください」
「……うん」
胸を撫で下ろす。
ヒロちゃんが無事だと分かっただけで、身体から少し力が抜けた。
それでも。
(……僕のせいなのかな)
そんな考えが頭を過ってしまう。
ヒロちゃんの様子は何処かおかしかった。おおよその原因は環境によるものだと思うけど、ほんの少しくらいは僕が原因かもしれない。
「エマさん」
「……え?」
そんな事を考えてしまっていると、気づけばシェリーちゃんがじっと僕の顔を覗き込んでいて。
「もしかして自分のせいかもとか考えてません?」
「……っ」
その言葉に思わず目を逸らしてしまう。
「図星ですね!」
「う……」
「ヒロさんが何を考えてあんなことをしたのかは、本人に聞かないと分かりません」
いつもの明るい声。けれども、その言葉だけは少し真面目で。
「なので勝手に自分のせいにするのは禁止です!」
「……はい」
「返事が小さいです!」
「は、はい!」
「よろしいです!」
満足そうに頷くシェリーちゃん。その隣ではハンナちゃんも小さく息を吐いていて。
「まったく……少しは自分の心配もしなさい。死にかけて目を覚ましたばかりなのでしょう?」
「……うん。ごめんね」
「謝るところではありませんわ!」
「あぅ……」
もの凄い正論を言われた上に怒られてしまった。
というか。ついさっきまでメルルちゃんにも同じようなことで怒られていた気がする。
(……気をつけないとなぁ)
そんなことを考えていると。
「――あっ!」
突然、シェリーちゃんが何かを思い出したように声を上げた。
「ど、どうしたの?」
「そうです! エマさんって、あれだけの怪我をしたんですし……とってもお腹が減ってますよね!」
「お腹?」
そう言われて初めて、自分の身体へ意識を向ける。そうすると。
ぐぅぅ。
「……」
「……」
「…………」
静かな医務室に、なんとも間の抜けた音が響いて。思わず顔が熱くなってしまった。
「……減ってるみたい」
「やっぱり!」
そんな僕の言葉に何故かシェリーちゃんは嬉しそうに笑う。
「そんなこともあろうかと――朝ごはん持って来てあげました!」
「えっ。本当に?」
「はい!」
そう言って。
シェリーちゃんは、背後に隠していたトレーを僕の前へ差し出した。
「…………」
そこに載っていたのは。
「……え?」
食べ物――なのだろうか。
いや。食べ物であって欲しくない。
形容し難い色をした、ぶよぶよとした何か。
粘性のある表面が時折ぷるりと震えていて、ところどころには何なのか分からない固形物まで浮かんでいる。
しかも鼻を近づけていないにもかかわらず、得体の知れない臭いが漂ってきていた。
(……なに、これ)
少なくとも僕が知っている料理の中に、これと一致するものは存在しない。
呆然としている僕をよそに、シェリーちゃんは何の迷いもなくスプーンを手に取った。
「熱くはないので、一気に食べちゃって大丈夫ですよ!」
「えっ」
にこにこ。とても良い笑顔だった。
「はい、あーん!」
「…………」
差し出されるスプーン。その上では、灰色とも緑色とも茶色ともつかない物体がぷるぷると揺れていた。
(……シェリーちゃん)
笑っている。ものすごく笑ってはいる。けれども。
(やっぱり……怒ってるのかな)
僕が無茶をしたことについて、実はかなり怒っていて。これは彼女なりの罰なのだろう。
「エマさん?」
「……っ」
とはいえ。せっかく僕のために持ってきてくれたのだ。覚悟を決め口を開く。
「……あーん」
ぱくっ。
「…………」
舌に触れた瞬間。
「――っ!?」
身体中の感覚が一瞬で口の中へ集中した。
苦い。酸っぱい。なのに妙に甘い。そして、その全てを押し流すように生臭い何かが鼻へ抜けていく。
(ま、まず……っ)
反射的に吐き出しそうになる。
けれど。
「……っ」
せっかく持ってきてくれたものだ。目をぎゅっと閉じて。どうにかソレを飲み込んだ。
「……た、食べたよ」
「おおー!」
そんな僕にシェリーちゃんは、ぱちぱちと手を叩いていて。
「良く食べれましたね!」
「……あはは」
褒められたのに。何故だろう。全然嬉しくはなかった。
するとシェリーちゃんは何故か満足そうに頷いた後。
「それじゃあ今度は、私にください!」
「……え?」
「はいっ」
すっとトレーとスプーンを僕へ渡してくる。
「私にも食べさせてください!」
「その……シェリーちゃんも……食べるの?」
「もちろんです!」
「……」
どういうことなのだろう。さっぱり理解できない。けれどもシェリーちゃんは当然のように口を開けて待っていて。
(な、なんだか……)
妙に緊張する。
さっき自分がされたことを、そのまま返すだけなのに。僕は恐る恐るスプーンで例の物体を掬って。
「じゃ、じゃあ……」
「はい!」
「……あーん」
ぱくっ。
差し出してあげると、シェリーちゃんの口がスプーンを勢い良く咥えた。
「…………」
もぐ。
「…………」
もぐもぐ。
「…………」
ごくん。
シェリーちゃんは、あれを頬張ったにも関わらず特に表情も変化させずに。
「うーん!」
満面の笑みを浮かべて。
「やっぱり、とっても不味いです!」
「ええっ!?」
あまりにも爽やかに言われて、思わず声を上げてしまう。
「まずいって分かってたの!?」
「はい!」
「じゃ、じゃあ何で僕に……!?」
「うーん。誰かに食べさせてもらったら、少しはマシになるかなって思ったんですけど……」
シェリーちゃんは少し考えるように首を傾げて。
「やっぱり不味いものはマズイですね!」
「…………」
その言葉の意味が何一つ分からなくて、完全に混乱してしまう。
「……何か勘違いしていそうなので言っておきますが」
そんな僕に向かって、ハンナちゃんの呆れたような声が飛んできて。
「この牢屋敷の食事には、ソレしか置いてありませんでしたわ」
「……え?」
「朝食も昼食も夕食も、基本的にはそれです」
「…………」
もう一度。トレーを見る。
「……これしかないの?」
「誠に残念なことに……事実ですわ」
「…………」
牢屋敷。魔女。看守。懲罰房。
これまでにも恐ろしい言葉はいくつも聞いてきた。けれど。
(……もしかして)
この場所に来てから初めて。
(僕……生きていけないかもしれない)
本気で、そんなことを思った。
「まあまあ!味は酷いですけど、一応お腹は膨れますから!」
「一応なんだ……」
「慣れればきっと平気になります!」
「……慣れますのこれ?」
「私は無理だと思います!」
「…………」
それでもシェリーちゃんは今日も元気いっぱいだった。
それから三人で、牢屋敷について分かったことや、昨日の出来事について少しだけ話をした。
まだ分からないことばかり。
何故僕たちがここへ連れてこられたのか。
何故『魔女』なんて呼ばれているのか。
ゴクチョーは、一体何をさせようとしているのか。どれだけ話しても、答えらしい答えは一つも出ない。
それでも。
「それでは、私たちはそろそろ行きますね!」
「エマさんは今日一日、大人しく休んでいることですわ。くれぐれも勝手に出歩いたりしないように」
「う、うん」
「本当に分かっていますの?」
「分かってるよ!」
「怪しいですわね……」
そんな他愛のない会話を交わせるだけで。さっきまで胸の中にあった不安が、ほんの少しだけ薄れていくような気がした。
「じゃあ、また後で!」
「またね、シェリーちゃん。ハンナちゃん」
笑顔で手を振る。2人もそれぞれに手を振り返し、医務室を出ていった。
扉が閉じられる。
「…………」
静けさが戻ってきた部屋で。
泣きつかれて眠ってしまったメルルちゃんを撫でながら、ふうと小さく息を吐いた。
知らない場所。分からないことだらけの状況。
ヒロちゃんのことだって、まだ何一つ解決していない。
それでもメルルちゃんがいて。シェリーちゃんとハンナちゃんも来てくれて。僕が目を覚ましたことを、こんなにも喜んでくれる人がいた。
「…………」
それだけで。
ここへ来たばかりの時よりは、ほんの少しだけ。この場所が怖くなくなったような気がしていて。
僕は誰にも見られないように、小さく本心からの笑みを浮かべたのだった。